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ご無沙汰しています♪
2015年03月08日
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長い間ご無沙汰していて日記も書かずに放置していて申し訳ありません。昨年は長女は自分の希望する学部への入学が決まらず1年間浪人生活を送っていました。長女はいつの日からか医師になりたいという希望を持っていたようです。最近になって小学校の卒業アルバムの中に将来はお医者さんになりたいと書いてあったことを初めて知りました。中3の進路指導の際に当然公立高校に進学するものだと思っていたのが将来は医学部進学希望と言い出したため担任の先生のすすめもありどうしても実績のある私立高校を受験したいということでいつの間にやら市立高校に通っていました。周りはやはり同じような目標を持った人がたくさんいたため長女にとってはとても刺激があったようです。しかしながら国立医学部の現役合格は長女の学力では厳しかったようで見事?不合格でした。試しに受験した公立の薬科大学や私学の工学部などはやはり行きたくないというので1年浪人をすることになりました。高校3年生になった日から浪人中も携帯電話のサイトなどは一切シャットアウトして毎日休むことなく勉強し続けていました。今年のセンター試験でも国語が思うように取れなくて目標の9割は取れなかったのですが今年も昨年と同じ大学を前期後期ともに受験することになりました。運が良かったのかなんだったのか今年は無事に前期試験で合格することができました。その前に私学の医大も受験していましたがこちらは県の推薦枠で合格したら学費が全額免除になるという狭き門を狙いましたがやはりだめで一般合格となりました。しかし・・・さすが???私学ですね。通知をもらってから1週間以内に入学金と前期の授業料合わせて550万円くらいのお金を振り込むようにという払込票が入っていました。当然うちにはそんなお金はないので丁重に辞退させていただきましたが・・・本人は少しつらそうでしたが、まだ国立大学の試験がこれからだというのだからそこで頑張るしかないと思ったのでしょうね・・・京都からは離れて寮生活をすることとなりましたが国立の医学部医学科に何とか無事に合格することができました。もちろん本人の努力があってこそだとは思いますが高校の時も学費の免除をしていただいたりあしなが育英会や府からも奨学金を貸していただいたりそのほかにもがん遺児の奨学金やら新聞社の奨学金を給付していただいたり…経済的な面でも周りの皆さんから助けていただいたおかげで安心して勉学に励むことができたのだと本人共々感謝の気持ちでいっぱいです。まだまだこれからが本当に大変だと思いますが本人が言うには父親のように病気で苦しい思いをしている人を少しでも助けることができるように努力していきたいそうです。これからもその気持ちを忘れることなく少しでも世の中の人のお役にたてるようなそんなお医者さんになってもらえたら私としてはうれしく思います。久しぶりの日記は長女の近況報告になりましたが今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2013年04月28日
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2010年10月30日。 京都宝が池で開催された癌治療学会の市民公開講座に参加した。 「キャンサー・サバイバーシップ」をテーマに、患者の立場から医療従事者の立場から講演とセッションが行われた。 「キャンサーサバイバーシップ」 どれだけ長く生きられるかではなくていかにその人らしく生き抜いたかが大切である。 主人が亡くなった後にネットを通じて知り合うことができたパチさんの講演を聞いて深く感動しこみあげてくるものがありました。 パチさんが闘病中に私が応援するつもりでメールを送ったのにいつも逆に励まされたいました。 そしてこの日もそうです。 またまたパチさんに頑張って共に生きていこう!と元気づけられたような気がします。 そういえば主人も遺書の中でこんな風に書き遺していました。 長生きしたい? 長生きしたい? 長生きした方が幸せ? 30歳になった人は、まだ死にたくはないと言う。 90歳になった人も、まだ死にたくはないと言う。 何歳になっても満足できないの? 人は必ず死ぬ。 だったら、長生きすることよりも、その日を大事に生きたい。 生きることのできるのは、今日だけ。 その後、精巣腫瘍患者友の会(Japanese Assosiation of Testicular Assist Group 通称J-TAG) いよいよ患者友の会の始動開始です。 京都と東京会場。Ustreamで二元生中継を行いながら進む予定でしたがなかなかうまい具合にはつながらなかったようです。でももうそんなことは関係ありません。離れた会場にいても、当日参加出来なかった方も・・・思いはみな同じだと思います。 精巣腫瘍の治療に永年頑張ってくださっている三木先生にもこの日初めてお会いすることができました。 京都宣言は京都会場ではパチさんとぺっぺさん、東京会場ではTBSテレビ報道局解説室の小嶋さん、のぶさんが読んで下さいました。 京都で確認した誓いを生涯忘れずに、助け合い、また励まし合って、世の中から、精巣腫瘍がなくなるまで闘うことを宣言しました。 そして末尾に賛同者ひとりひとりが直筆で署名をしました。 その後2次会では色々な方と和やかに交流することができました。 私もみんなと同じくサバイバーのひとりではあるけれども遺族という立場なのでやはり闘病中の患者さんやご家族にとってはお話しすることで不安に思われる方もいるのかな…と思っていました。 でも10年も前の古い経験談や情報ではあるけれども話しを聞きたいと言って下さる方もいらしてそんな経験談を話したり、また人の話を聞くそれだけでも患者会に参加させてもらった意味があるのかなと感じました。 思えば・・・主人が闘病中だった1999年~2002年のころには、精巣腫瘍の闘病記のホームページなども少なくてなかなか情報が得られなかったし、こういう患者会があって相談や情報交換などの交流の場があればもっと心強かっただろうなと思いました。 主人がホームページを立ち上げたのも自分の闘病の記録が同じ病気で闘う人に少しでも情報としてお役に立てればという思いからだったようです。 主人が亡くなる直前まで自分にできることは最期までこのホームページで闘病の様子を発信することだと言っていました。 だから私もいつまでも悲しんでばかりいるのではなく、主人がやろうとしていたことを受け継いでこの患者会で何か少しだけでもお手伝いできれば私自身も前進できるような気がしました。 この日は帰宅したら日付がかわっていたというくらいで時間を忘れるほど有意義に過ごすことができました。 私自身の意識の中でもこの日がまた新たな第一歩をふみだす日となりました。 今まで支えて下さった皆さんに感謝しています。 そしてこれからも共に歩んでいきたいです! (写真のほうは何枚かぺっぺさんとまさよしくくんから頂戴したものを使わせていただいています。)
2010年11月02日
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久しぶりの日記です。なんだか今日は気分が沈み込んでいて何もする気になれない。朝から好きな人の声を聞かせてもらって、私もいっぱい話を聞いてもらって・・・いつもなら元気になれるはずなのに・・・本当は京都駅前に出かけて本屋さんに行ったりお土産コーナーに行ったりしてぶらぶらしてみようかななんて思っていたのに今にも雨が降り出しそうな空を見た途端、急に気分が沈みこんでしまった。そのうちウトウト昼寝をしてしまっていたら・・・お鍋を火にかけていたことをすっかり忘れてしまっていて焦げ付いた臭いで目が覚めた。お鍋は真っ黒に焦げ付いてしまった。昔から鍋ややかんを焦がすのは得意?だったけれども最近はますますひどくなってきている気がする。今、とっても息苦しい気がする。主人が病気になったあの日から暗闇の中をさまよい続けている気がする。でも主人が生きていてくれたころは病気を治して元気になって元の生活に戻ろうと二人で頑張る目標をもつことができていたから何とか頑張ってこられたけれども・・・2002年に主人が旅立ってからはこの暗闇のトンネルの中で出口を見つけられずにもがき続けている。いろいろなことを試してみた。もちろん仕事も探して仕事も始めたけれども体力が付いていかずにすぐにダウンしてしまった。情けなかった。主人が私の作ったドールを可愛いとほめてくれたことを思い出していろいろなものを作り始めた。作っているときは夢中になって不安なことを忘れることができるけれども・・・またすぐに不安感が襲ってくる。病院で処方された薬を飲んだら不安感は少し取り除かれたけれどもあらゆることがどうでもよくなってきてお金の使い方がわからなくなって買い物依存症になってしまった。好きな人と再会することができたおかげで買い物もやめることができ、少し元気になれた気がしてたけれども・・・またその人とも会えなくなるかもしれないと思うと毎日不安でたまらない。もしも今私が事故や急病で死んでしまったら・・・子供たちはどうなるのだろう?病気の母はどうなるのだろう?子供たちのことは主人の両親が何とかしてくれるかもしれないし母のことはほかの兄弟が何とかしてくれると思うけれども・・・それなら誰もがわかるように預金関係のことや保険関係のことなど・・・整理しておかないといけないというプレッシャーに襲われている。もうこのトンネルに入ってしまって10年以上の時間が流れているというのに出口に向かう方向すらわからなくなってきている。主人は3年2か月で先に出口を見つけて逝ってしまった。「死んでからのことまでは自分にはわからない」と言っていた。生きていたくても死ななくてはならなかった主人の気持ちを考えるとそんなことを思ったらいけないのかもしれないけれども・・・「無責任だ」と思ってしまった。久しぶりに大きな不安感が襲ってきた。明日は元気で過ごせたらいいのにな・・・
2010年01月25日
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今年ももうすぐ終わりです。 また賢ちゃんと一緒に暮らした時が一年昔になってしまいます。 そしてもうすぐ私の誕生日です。 もともと賢ちゃんより3歳年上だったのに今年の誕生日が来たら10歳も年上になってしまいます。 賢ちゃんが死んでしまっても時は停まることなくどんどんと流れている。 世の中の無常を感じざるを得ません。 賢ちゃんは今は病気から解放されて元気に暮らしていますか? 笑って暮らしていますか? 私はまだ泣いていることの方が多いけれども少しずつ笑える時間もできてきました。 賢ちゃん、この世界では幸せでしたか? 私たちと家族として暮らした10年間は幸せでしたか? ごめんね。 急に賢ちゃんに手紙を書きたくなってしまいました。 届かぬ手紙だと知りながら…
2009年12月08日
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5日・6日…東京で開催されたあしなが育英会・第21回遺児と母親の全国大会に参加しました。 次女はバレエのリハーサルがあったため京都を離れる事が出来なくてはじめてひとりだけで1泊2日のお留守番をしました。 長女は土曜日は学校があったので午前中の授業終了後、午後の補修授業はでないでそのまま京都駅に直行、待ち合わせをして午後1時すぎの新幹線で東京に向かいました。お昼ご飯は新幹線の中で駅弁をいただきました。 会場に到着した時にはすでに座談会などは始まっていたので途中からの参加となりまいた。 午後11時ころまで皆さんといろいろお話をしました。 翌朝、オリンピックセンターに移動して政府・各党代表に遺児家庭の制度的救済を訴えました。 昨年17年ぶりに開催されたこの全国大会で訴えてきたことが少しずつでも見直されて実現に向かっているという成果があったようです。 ニュースの報道はこちらです。 新聞記事はこちらです。 遺児救済運動、いわゆる「あしなが運動」は1967年、交通遺児救済から始まりました。その後、支援の対象を災害遺児、病気遺児、震災遺児、自死遺児へと広げ、この40年間で約7万人の遺児が高校等へ進学するのを支援してきました。さらに、1999年からは、海外の震災遺児、エイズ遺児、戦争遺児、インド洋津波遺児らと日本の遺児との交流を開始し、世界の遺児2億人の連帯運動へと広がっています。 毎年春秋の「あしなが学生募金」や継続支援者の「あしながさん」をはじめ多くの国民の支援を受けた遺児が、救われていない遺児を次々と救う運動として発展してきました。 遺児と母親の全国大会は、1969年に第1回目を開催し、今回で21回目となります。過去20回の大会で掲げた要望事項で実現に至ったものは、高校授業料減免制度の導入、遺児家庭への歳末手当の支給、自損交通事故に対する自賠責保険の適用、ミニバイクの速度制限の導入、自賠責保険金の引上げ、遺族年金や児童扶養手当の支給期間を満18歳から高校卒業時まで延長したことなどです。 要 望 の 趣 旨 遺児家庭の母親の年間勤労所得は、1998年に201万円でしたが、その9年後の2007年には3分の1も激減し134万円と一般勤労者の3割にまで落ち込んでいます。奨学金だけでは子どもの教育費が賄えず、高校卒業後の就職希望者の割合は26.1%で、一般の高校生の1.4倍にものぼります(あしなが育英会調査=2009年11月)。 また、厚生労働省の発表によると、日本では親を失うと2人に1人は貧困に陥ってしまうという現実があります。その貧困は、子どもの衣食住という生存権を脅かしているだけではありません。日本は他の先進諸国に比べ、教育に関わる諸費用が多額にかかるため、子どもの貧困問題が教育と密接に関わっており、世帯の貧困が子どもの教育を脅かしています。満足に教育を受けることのできない子どもが大人になっても、正社員になれず、高収入は望めず、その子どもにも教育を受けさせることのできないという貧困の連鎖に陥っています。 問題は、経済的なものだけにとどまりません。遺児の高校生の不満や悩みは、「我慢することが多い」56%、「他の子のようにほしいものが買えない」47%、「勉強する気になれない」30%、「お金がなくて友だちづきあいができない」27%などで人並みの高校生活を送ることができず、孤立しています。さらに深刻なのは18%もの遺児高校生が「未来に希望が持てない」と回答しています(複数回答、同調査)。 なぜ、日本の未来を担う子どもたちが、不運にも親を失ったばかりに、貧困のために社会から排除されなければならないのでしょうか。貧困の連鎖を断ち切るためには、貧困世帯の子どもたちの親の就労支援や医療支援など子どもを取り巻く環境を含めた教育支援こそが大切です。日本の教育予算の対GDP比は3.4%(2008年)で先進諸国の中で最下位です。1988年の調査開始以来、日本としては最低の数字です。今までの日本政府の教育への関心が低すぎることは言うまでもありません。 すべての子どもへの教育支援が必要ですが、特に貧困にあえぐ遺児など母子家庭の親を支援し、その子どもに教育を受ける機会を与え、子どもを立派に成長させ、次世代への貧困の連鎖を断ち切ることこそ、政府が担うべき役割、政治が果たすべき使命ではありませんか。そのための施策の実施が、社会全体の活力を高めることにもつながると考えます。 遺児母子家庭をはじめとする社会的弱者の生活権と社会権を保障するための施策に全力で取り組んでください。私たちは、次の6項目の実現を政府・各党に強く要望いたします。 要 望 項 目 <要望1:子ども貧困対策基本法の制定について> 次世代への貧困の連鎖を断ち切るため、「子どもの貧困対策基本法」を制定してください。 政府は、次世代への貧困の連鎖を断ち切るため、行動計画を策定し、数値目標を掲げて、ひとり親家庭の貧困率(54.3%)を5年以内に半減、10年以内に10%未満にしてください。 政府は、子どもの貧困の実態や対策に関する年次報告をとりまとめ、公表してください。 政府は、子どもやその家庭を支援するため、国の行政組織を再編して、早急に「子ども家庭省」を設立するとともに、子どもと家庭に関連する予算を大幅に拡充してください。 <要望2:教育費に対する支援について> 遺児母子世帯など貧困世帯の子どもについて、高校授業料等の諸経費の負担を軽減するため、公的助成を強化するとともに、給付型の高校・大学奨学金制度を新設してください。 すべての高校において授業料を全額免除あるいは補助してください。 給付型の高校・大学奨学金制度を公的資金で新設してください。 高校卒業時、大学などへの進学のための一時金(進学支度金)制度を公的資金で新設してください。 <要望3:医療費の負担軽減について> 自治体が独自に実施している「ひとり親家庭等医療費公費負担制度」を全国に展開し、全国どこにいても同様の負担軽減措置が受けられるようにしてください。 医療費を無料、もしくは自己負担に低額の上限を設けてください。 子どもの対象年齢を20歳未満までに延長してください。 受診後に医療費を立て替える制度(償還払い)を撤廃してください。 <要望4:社会保障制度の改善について> ひとり親家庭に関連する以下の社会保障制度について、必要な改善を図ってください。 遺族年金と児童扶養手当の支給期間を、大学や専門学校卒業時まで延長してください。 生活保護受給世帯において、貸与の奨学金などを収入認定し生活保護の支給額を減額しているところがあります。こういうことがないよう改善・指導してください。 生活保護と児童扶養手当については、就労等による収入が貧困線を超えない限り、収入の増と同時に支給額を減らさないでください。また、減額措置を実施するケースについても、3年間は支給額を据え置いてください。 <要望5:母親の就労支援について> 「母子家庭の母親の雇用安定法」を制定するなど、母子家庭の母親の就労を支援し、その労働条件を改善するための法整備を早急に図ってください。 「母子家庭の母親の雇用安定法」を早急に制定し、官民ともに積極的に母子家庭の母親を雇用するとともに、母子家庭の母親の安定した雇用を確保してください。 正規雇用者と非正規雇用者との間における、同一労働同一賃金・均等待遇の原則を明文化した実体法を制定してください。 <要望6:母子家庭のためのワンストップ・サービスについて> 母子家庭の総合的な相談窓口として、「教育・就労・福祉テラス」(愛称「いいわテラス」)のようなワンストップ・サービスの仕組みを、全国津々浦々に整備してください。 その後、銀座通りを約1時間かけて日比谷公会堂前までデモ行進しました。 この大会は奨学金を受けている大学生が中心になって主催しているのですが、デモ行進の際、声をからして一生懸命訴える学生の姿を見て私も負けないように一生懸命訴えてきました。 どれだけのことが伝わったかわかりません。 要望に対する具体的な回答もまだまだみえませんでしたが、すぐにはどうにもならないけれども私たちの声は必ず届くような気がしました。 ある政党の回答の中で子育て支援金や高校授業料免除という制度について「まず切羽詰まって必要としているのはだれなのか」と言う話がありました。 私も同感でした。 貧困の連鎖を断ち切る・・・ 働いても働いて母子家庭の収入は・・・ そして今は仕事に就くことすら難しい現状・・・ 本来、私は集会やデモ行進など・・・ちょっと苦手?と思っていました。 けれども主催していた大学生たちの自分たちと同じように苦労している後輩の高校生たちを何とか救いたいという熱い思いをひしひしと感じました。 最近の学生は自己中心でいい加減・・・みたいなイメージは全くなくあしながの奨学金を借りてがんばって学業に励んでいる学生たちはとてもまじめに将来の夢にむかってがんばり自分のことだけでなく後輩たちのことを思いやる気持ち、母親たちのことを思いやり感謝している気持のあるとても明るくて優しい子だちが多いと感じました。 長女は夏の集いや今回の全国大会に参加してそういう先輩たちの姿をみてまた自分と同じ境遇の中でもがんばっている高校生とかかわりを持って長女自身も成長していくように感じました。 そして母親である私自身もがんばっている母子家庭のお母さんたちの現状や気持ちを話し合って・・・ わたしなんか毎日体や心がしんどいなどと言ってへこたれているけれどもそんなことを言って落ち込んでいる暇もなく生きていくために頑張って働いているお母さんたちの姿をすぐ近くで見て自分自身がかなり甘ったれているんだなと思い恥ずかしくなってしまいました。 実は長女は今日から期末テストです。 テスト前日ではあるけれども大会のお誘いを受けて是非参加したいと言った長女の心は以前より成長したと思いました。 そして往復の新幹線ではがんばってテスト勉強をしていました。 ひとりで一泊の留守番をした次女も寂しかっただろうけれどもよく頑張ったと思いました。 そして・・・普段しんどくて歩けないなどと言っている私が1時間頑張って歩いたこと・・・普通の人にとっては何でもない当たり前のことだけれどもちょっと頑張ったと思います。 京都に到着してから帰り道フラフラして・・・転びそうになりました。 あまりにしんどいので低血糖かなと思って測定したらやはり・・・血糖値が50まで下がっていて危ないところでした。 今回この大会に参加したことは私たち親子にとって貴重な経験となりました。 主人が元気だったころには学生たちとともにシュプレヒコールをしながらデモ行進するとは想像もできなかった。 シュプレヒコールを唱えながら・・・ 中島みゆきの「世情」が聞こえてきた
2009年12月07日
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北海道のどこかで… 小さな家を建てて暮らしたいな できれば家族で農業をしたい。 遠い昔からの夢… 本当は北海道でなくてもいい 一軒家でなくてもいい 賃貸のアパートメントでもいい 暖かなぬくもりがほしいだけ… ただそれだけなのに… それがこれほどまでに難しいことだったと今になって気が付いた。
2009年08月30日
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この時期は私にとっては辛すぎ・・・ 主人が亡くなる前のことがいろいろとよみがえってきて、表面的には涙がこぼれるだけだけれども心の中は半狂乱のような状態かもしれない。 残暑・息切れ・酸素マスク・・・ 自動巻腕時計の停止・・・のことで主人は自分の命の停止を予測していたかのようですが・・・ あの頃から私の心も停止してしまったのかもしれない。 命はあるけれども・・・ただ呼吸しているだけ・・・ 生きている目標も楽しみもない。 そんなことを言ったらだめ! 生きたくても生きられなかった主人のことを考えたらもっともっと毎日を大切に一生懸命生きなければいけない! そんなふうに思ってきたけれども・・・ 何も楽しみがなく、目標もなく、仕事もなく・・・ただ呼吸しているだけで自分自身の楽しみもないし人の役にも立っていない。 辛い・・・ 寂しい・・・ 私には生きていくのに居場所がない気がする。 どうして私だけが生き残ってしまったのだろうか・・・ そう思うと辛くてたまらない。 いろいろと前向きに考えようとしたけれども やっぱり私の人生は後悔ばかりのような気がする。 会いたい。 大丈夫だよ。昔みたいに言ってくれたら・・・ 将来が全く見えなくて・・・
2009年08月21日
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京都では16日の送り火が過ぎると夏も終わりです。と言ってもまだまだ暑い日は続くと思いますが・・・ 15日は次女の誕生日・・・ 7年前の次女の4歳の誕生日に在宅酸素療養が始まりました。 酸素を鼻から送りながら祝ったお誕生日・・・ この日からはめったに外出することもなくなってしまいました。 送り火の季節になるとあの頃のことばかり思い出すので辛いです。 ずっと昔、主人が元気だったころも冬には寒いし早く夏が来ればいいななんて夏に憧れていて、夏になると暑いし早く冬になればいいなんて思っていた。 でも主人が亡くなってからは夏が終わって秋になるというのがとても辛いです。 今年も同じです。 それに今年は北海道で楽しい夏を過ごしたから余計に夏が去っていくことが寂しく感じます。 昔のように訪れる季節を優しく歓迎できることができたらどれだけ幸せだろうかと思ってしまいます。 まずはお盆のお墓参りから私の辛い夏とのお別れが始まります。 毎年この時期をどのように乗り越えていくかが大変ん課題となっています。去年は17年ぶりに大好きだった人の声を聞いて支えてもらって乗り越えることができました。 だけどいつまでも人を頼っているわけにはいかないしやっぱり自分自身で乗り越えていかないといけないのだろうと思います。 辛いです。 寂しいです。 ひとりきりは・・・ 夏の終わり ←クリック
2009年08月13日
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京都に帰ってから何だか元気がでなくて・・・ ずっと昔幼稚園教諭をしていた頃・・・ 元気のない子供に元気出すようにという願いをこめて一緒にこんな歌を歌ったことを思い出しました。 もう今から23年くらい昔の話・・・ あの頃はこういう曲が今までからある子供の歌とか童謡と呼ばれるものとは雰囲気の違ったちょっとハイカラな感じの曲でした。 ぼくのミックスジュース・・・ ←クリック「ぼくのミックスジュース」 おはようさんの おおごえと キラキラキラの おひさまと それにゆうべの こわいゆめ みんなミキサーにぶちこんで あさはミックスジュース ミックスジュース ミックスジュース こいつを ググっとのみほせば きょうはいいことあるかもね ともだちなかよし うたごえと スカッとはれた おおぞらと それにけんかの べそっかき みんなミキサーにぶちこんで ひるはミックスジュース ミックスジュース ミックスジュース こいつをググっとのみほせば なんでもかんでもいいちょうし あのねそれでねの おはなしと ほんわかおふろの いいきもちと それにひざこぞうの すりきずを みんなミキサーにぶちこんで よるはミックスジュース ミックスジュース ミックスジュース こいつをググっとのみほせば あとはぐっすりゆめのなか 私も今の辛い気持ちを北海道での楽しい思い出や大自然の美味しい空気と一緒にミキサーに入れて作ったミックスジュースを飲んだら元気になれるかな・・・?
2009年08月12日
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子供たちが私のことを「私の両親」と言うことはないのだろうなこれから先もずっと・・・だって子どもたちは父親を亡くしてしまってひとり親しかいないのだから人が私のことを「○○さんのご両親」と呼ぶこともないのだろうな・・・○○さんのお母さんと呼ばれることはあったとしても・・・「奥さん」と呼ばれることもないし主人が私のことを人に話すときに「妻」「家内」などと言っていたがそんな風に呼ばれることももう二度とないのだろうな・・・そう私が書類の配偶者欄に記入するときは「配偶者なし」に○をつけなければならないのだから大好きな人から「○○子」と呼ばれることももうないのだな・・・寂しいな・・・私はもう二度と「両親」と呼ばれることはない・・・なぜなら私は主人が亡くなってからは一人で子育てをしてきたひとり親「独親」だから昨日、両親という言葉を聞いてそんな思いが駆け巡ってしまいました。今までは何とも思わず聞いていたし何とも思わず普通に使っていた「両親」という言葉がこんなにもわたしからは縁遠いものになってしまったのかと思うと・・・やっぱり 辛いです。またまた配偶者なしの独り言でした・・・
2009年06月29日
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子供たちはいてくれるけれども・・・ やっぱり毎日が不安で仕方ない。 寂しいです。 主人が「ただいま!」と言って帰ってきてくれたらどんなにいいだろう・・・ それができないというのなら私が主人の単身赴任先に行くしかないのだろうか・・・ でも子供たちはどうするんだろう? 主人の単身赴任先の住所がわからない。 私は主人が一人で行くことに納得できずにずっと泣いていたから・・・ 行き先の住所すら聞くことができなかった。 電話をかけてもメールをしてもあの日からはもう声も聞けなかったし返信もなかった・・・ わかっていることは天国というだけ・・・ 私は悪人だから天国行きのチケットは絶対に手に入らないこともわかっているし、もし何とかたどり着いてもそこで主人に会えるとは限らない・・・ もう7年経つし主人は単身赴任をしているということを忘れてしまって再婚して新しい家族とともに幸せに暮らしているかもしれない。 寂しいよ・・・ でも私の心だって最近は主人のことを忘れようとしている・・・ 主人は私に再婚をするようにと言い遺して発っていったけれども・・・ 私が主人の立場で旅立つ側であったとしたら・・・もしも帰って来た時に愛する家族たちが新しい家庭を築いて幸せに暮らしていたら・・・素直に喜べるのだろうか・・・ 自分の居場所がなくなってしまったようでやっぱりさびしい気持ちになると思う。 誰かに支えてもらいたいなんて自立していないということだろうけれども・・・ こんなに寂しくて不安な気持ちは誰にも理解してもらえないかもしれません。 同じような体験をした人でも思いは様々だと思うし・・・ 主人のことを思いつづけながらも自分自身が今の寂しさに耐えられずに気持ちが動揺している。 毎日毎日、寂しくて不安で辛いです。 こんなこともう終わりにしたい・・・ このドールたちも・・・ ひとりでいるよりも・・・ やっぱり二人でペアで並んでいる時の方が楽しそうな気がする・・・ また愚痴いっぱいの後向きの日記になりました。
2009年06月28日
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鉄ちゃんと仲良しの道ちゃん・・・? それとも鉄子さん・・・?(って言うのかな)です。 銀箱担いで写真を撮ったりはしないから本格的な道ちゃんや鉄子さんとは言えないけれども・・・ 昔から好きでした。 列車の旅や時刻表が好きでした。 今日、明日…遠軽ー北見間をSL常紋号が走るそうです。
2009年06月27日
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今日は朝から病院に行って、午後は子供の学校やバレエの送迎と子供の買い物・・・ 午後一度家に帰って2時間弱休憩したが・・・ 家に帰ってホッとしたのは午後7時ころです。 朝から頭痛と時間の追われるストレスとでかなりしんどかったです。 夕食を終えて・・・ 本当は今急いで作りたい編み物とフェルトケーキがあったのですが・・・ もう少しというところで1年以上も未完成にしていた羊毛フェルトがあったのでそちらを先にやりたくなって仕上げました。 ベビーくまちゃんです。 なんかwelcomeの文字がめちゃくちゃですが・・・ まぁ何とか完成ということにしておきます。 しんどいとか忙しいとか言いながら好きなことはできるのだから・・・ 私がしんどいというのも仮病なのかもしれませんね・・・
2009年06月27日
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ベロアレザーのコードとキー、角、プレート、リングなどのデザインのピューターなどを組み合わせてペンダントを作りました。 今回はキットで2種類のペンダントを作成しました。 長さが調節できるスライド式のペンダントがです。 このレザーコードの結び方が少しややこしくて難しかったですが・・・ 簡単にできるハンドメイドです。
2009年06月26日
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今年送ってもらった2回目のアスパラは277本… 最後のアスパラです… 彼が届けてくれるのは収穫した作物だけではなくて… 優しい気持ちや暖かな心も一緒に届けてくれるから… それでいつも元気を分けてもらっている私です。
2009年06月26日
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今日はとてもいいお天気・・・ 暑い一日でした。 今日のハンドメイドは・・・ 羊毛フェルトの講習会で作ったアイボリーちゃんです。 クマちゃんですが・・・耳が小さすぎたみたい・・・ ひとりで家に閉じこもっているよりハンドメイドが大好きなお友達と楽しくおしゃべりしながら手作りする時間は今の私にとって大切な時間です。
2009年06月25日
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ちょうど今から10年前の6月22日 主人が腰の激痛に耐えられなくなったと言って仕事を早退して帰って来た。2ヶ月くらい前から腰が痛いと言っていたものの整形外科や泌尿器科では特に異常なしと言われて痛み止めの頓服を服用していた。 この3日前の6月19日には長女の幼稚園の父親参観で楽しく一緒に遊んでいたのに… そして6月23日…痛み止めを飲んでも全く効き目がないので、初めて総合病院を受診した。でも整形外科、泌尿器科、外科、内科…どの科を受診しても痛みの原因がわからず結局何の処置もしてもらえず帰宅した。 あの時はまさか命にかかわるほどの病魔が主人の体を蝕んでいたとは思いもしなかった。その後1ヶ月の間、いろいろな検査を行ったもののげにんがわからないまま痛みに耐えて過ごしていた。 あれからもう10年もの歳月が流れたのかと思うと信じられない。 あの時、10年後に私はもしかしたらもう一人家族が増えるかもしれないと思っていたけれどもまさか…主人がなくなって3人家族で暮らしているなんて想像もつかなかった。 そして、主人以外の人を思っているということも… 目を閉じたら10年前の今日…病院で痛みに耐えている主人の姿、何とかならないかと思いながらも何もできずに主人の痛がっている腰部をそっとそっと撫でつづけていたあの光景が一気によみがえってくる。 つい昨日の出来事のように… 10年前のあの日以来私の心の中にはずっと「不安」という名の荷物が置かれたままです。闘病中はふたりで一生懸命頑張って持っていたその荷物ですが… その荷物はどんどん重くなって主人が旅立ってからはひとりで持たなければいけないものとなり3年くらい前には持ちきれなくなって限界に達してしまったみたいです。 そして去年の夏、17年ぶりの電話の声で私の心が少し楽になりました。 電話から半年後に再会することができてもっと荷物が軽くなりました。 そして来月、もう一度一緒に過ごせる… きっと心の中の荷物はもっと軽くなる予感がします。 それは彼が荷物を一緒に持ってくれたということではなくて… 亡くなった主人が私の心の中にある重い荷物を少しずつどこかへ運んで行ってくれたのだと思う。 亡くなって天国にいる主人にも感謝… そして私に元気をわけてくれる大好きな人にも感謝…
2009年06月23日
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今日まで人生の岐路でいくつもの扉を開けてきたと思う… ひとつの扉を迷わず開けていた幼少の頃… ふたつの扉の前でどちらの扉を開けようかと迷った青春の頃… 少し戸惑いながらもこの扉で間違いないと思って主人とふたりで結婚の扉を開けたのは17年前の春… 主人が一人で開けた天国の扉…私の手を引いて一緒に連れて行ってほしいと思ったけれども私がその扉を一緒に開けることは許されなかった。 それから7年間はまた一人で判断できずに間違った扉を開けて進んできたこともあった。 去年の夏にちょっと迷ったけれども勇気を出して結婚前の過去にさかのぼった扉を開けてみた。 もしこの扉を開けていなかったら… 私はもっともっと間違った道を進んでいたかもしれない。 これから先、いくつの扉を開けることになるのだろう… でもそれは私の人生だから私が決めて私が選んで開けていかなければならない扉なのだろうな・・・ 私自身の人生の扉は私の心の中にある鍵でないと開けることはできないから… 人生の扉 春がまた来るたびひとつ年を重ね 目に映る景色も少しずつ変わるよ 陽気にはしゃいでた幼い日は遠く 気がつけば五十路を越えた私がいる 信じられない速さで時は過ぎ去ると知ってしまったら どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ I say it's fun to be 20 You say it's great to be 30 And they say it's lovely to be 40 But I feel it's nice to be 50 満開の桜や色づく山の紅葉を この先いったい何度見ることになるだろう ひとつひとつ人生の扉を開けては感じる重さを ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ I say it's fine to be 60 You say it's alright to be 70 And they say it's still good to be 80 But I'll meybe live over 90 君のデニムの青が褪せてゆくほど味わい増すように 長い旅路の果てに輝く何かが誰にでもあるさ I say it's sad to get weak You say it's hard to get order And they say that life has no meaning But i still believe it's worth living
2009年06月22日
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今日の午後次女をバレエ教室に送って行く前に教室のすぐお隣にある伏見稲荷大社にお参りがてらお散歩に行ってきました。 いつもはひとりで教室に通っているのですが、今日はお昼をマクドで食べると言うので何かポケモンゲームの配信があるとかでそれが目的だったようです。 レッスンが始まるまでに1時間以上も時間があったので山までは登れませんでしたが奥之院までぶらっと歩いてきました。 自宅からも結構近くて週に何回も参道を通っているのになかなか神社の奥の方にいくことはありません。 千本鳥居も何年振りだろうか・・・ 小さい頃はもっともっと長い長い鳥居のトンネルだったような気がしたが今日はあっという間に感じた。 でもなかなか幽玄的な感じがして・・・ 実は子供のころからちょっとお気に入りの場所です。 帰り際に知らないお爺さんに声をかけたれて・・・ 「鳥居の数は本当に千本あると思うか?数を数えてみたか?」と尋ねられた。 次女が「千本あると思う・・・」と答えると・・・ お爺さんは「騙されたらあかんで!実際は800くらいしかないねんで・・・キツネに騙されたらあかんで・・・」と言って去って行きました。 たまにはこんなプチ散歩も楽しいなと思いました。
2009年06月20日
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去年まで玄関先のプランターに咲いていたツルスミレの花 とても小さくて可愛い花です。 はやくお花でいっぱいにしたいな・・・ この花を見たら・・・ 小学生のころ好きだった桜田淳子さんの「三色すみれ」の曲を聴きたくなりました。 手を出せば散りそうなそんな花びらを大切に胸に抱く愛の三色すみれ 忘れませんあの日のこと初めての口づけにめまいがした私 そして聞いたあのささやき「この花のおもいでは二人だけの秘密 この花がとどいたらすぐに駈けておいで」と 何日か過ぎたのにとどけられないの待ちこがれ泣いている愛の三色すみれ 忘れたのね私のこといじらしい片想い誰にいえばいいの 信じてるあの約束「この花は君のため咲いている」といった「この花を見かけたら思いだす」といった 忘れませんあの日のこと初めての口づけにめまいがした私 そして聞いたあのささやき「この花のおもいでは二人だけの秘密 この花がとどいたらすぐに駈けておいで」と 懐かしい・・・
2009年06月20日
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今日は午前中とても良い天気で・・・ ちょっと気分もよかったので家の外に出てみたら オーシャンブルーとバラが咲いていました。 バラはいっぱい花をつけていたけれどもオーシャンブルーは今年は初めて咲くみたいです。たった府たつしか花は咲いていないけれども・・・ 毎年種が零れてたくさんの花が鈴なりになります。 最初にこの花を育てたのはまだ主人がい生きていた頃の2001年くらいだったと思います。 西洋朝顔なのかな・・・でも朝早くから夜遅くまで一日中開花しています。 ほんの小さな猫の額ほどという表現がぴったりの所に咲いています。 去年は漏水の水道工事のためその土を掘り返したので花は全滅でした。 気持ちが元気になってくると花も元気に咲いてくれるのかな・・・ 以前はこんなふうにオーシャンブルーが咲き乱れていました。 ちょっと体調が良くなったらまた小さなプランターでガーデニングしてみようかな・・・ 綺麗なお花に囲まれたらきっと気持ちも明るくなれそう・・・ ちょっと体調が良くなったらまた小さなプランターでガーデニングしてみようかな・・・
2009年06月19日
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以前にネットで訪問しお買物したハンドメイドショップ「人形の小箱エトワル」のかよみんさんからとてもかわいい素敵な贈り物が届きました。 お店を開かれて6周年記念のプレゼント企画で私がドールを作り始めたのもちょうど7年ほど前のこと・・・ 私は何もできないのに彼女はいっぱい可愛い作品を作ってたくさんの人にその可愛い作品を届けている姿に感動しました。 6周年おめでとうございますのメッセージを添えてこの企画に参加させていただきました。 まさか私が当選するとは思っていなかったのですが・・・ こんなに可愛いプレゼントをいただき本当に心が晴れたような気がしました。 自分でも作るけれども人からプレゼントしてもらうととてもうれしい気持ちになります。 かよみんさん…ありがとうございます。
2009年06月19日
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弱虫という名の私の心はいつもしくしく泣いている。 今日も車の運転中に涙があふれて来て・・・危ない危ない! そんな時カーステレオのMDから流れてきた曲・・・ 竹内まりやの「みんなひとり」 その曲を聴きながらあの人の優しさを思い出さずにはいられなかった。 口ではいつも冷たい言い方をするけれども・・・ 私が胃がん検診で再検査が必要となり落ち込んでいた時には 「俺が見守っているから大丈夫だ。勇気を持って病院へ行って!」と言ってくれた。 納骨の日の朝も 「いつもなら泣くな!というけど今日だけは思い切り泣きなさい。」とメールをくれた。 今朝の日記で私のことを叱ってくれる人は誰もいないと書いたけれども・・・日々の寂しさに耐え切れなくなった日には「怒ってるぞ!」と本気で私を心配してくれた。 この曲の歌詞のように・・・ 生まれる時ひとり 最期もまたひとり だから生きてるあいだだけは 小さなぬくもりや ふとした 優しさを 求めずにはいられない あなたは恋人でも夫でも兄でも親でもない・・・ でもこんなに離れた所に住んでいてもいつも心の片隅で気にかけてくれていた…そのことを思い出した。 あなたに出会えた奇跡を あなたと再会できた奇跡を 生きている限り大切にしたいと思った。 あなたの存在に感謝しています。 みんなひとり 荒んだ世界に あなたのような人が いることに感謝 夢が遠く見えて 肩落とす夜は 電話をさせてよ 恋人ともちがう 大切な心友(ともだち) 代わりのきかない私の相棒 みんなひとりぼっち 探し続けるのは 確かな絆とその証 誰かのひとことで 明日もがんばると 思えるなんてすてきさ わけもなくふさぎ プチうつな自分が 嫌になる日も あなたの笑顔の 大きな力に 励まされるんだ どんな強い人も 弱さを隠してる 外には出せない傷抱えながら みんなひとりぼっち それを知るからなお あなたの大事さがわかるよ 心の片すみで 気にかけてくれる 恋よりも強い味方 Ahたまには私を Ah頼ってもいいよ 生まれる時ひとり 最後もまたひとり だから生きてるあいだだけは 小さなぬくもりや ふとした 優しさを 求めずにはいられない Everybody needs to be needed Everybody wants to be wanted Cause everybody knows that we are all alone Let me give my gratitube to you For always begin there and smile for me Many many thanks to you, the best friend of mine Many many thanks to you, the best friend of mine
2009年06月18日
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何をしても自由気ままで・・・ 誰にも叱られない。 自由だけれどもこれほどの孤独はない・・・ 寂しいな・・・ 子供のころはお父さんとお母さんがいてくれて 口うるさく言われて嫌だと思ったこともあったけれども・・・ 今は何も言ってくれない。なんて寂しいのだろう。 主人がいてたらどうだろう・・・ うるさいことは何一つ言われたことはなかったけれども・・・ いつもいつも私の歩く道に灯りをともしてくれて手をひいてくれた。 亡くなる前、自宅療養していた主人が私に言った。 これからは一緒に年をとっていけないのだから・・・ あなたは健康でいなければ・・・ 人に迷惑をかけないように、子どもたちに負担をかけないように・・・ 私は今のところ体調は良くないけれどもまだひとりで病院にも行けるし・・・でも心の病気はやっぱりひとりでは治せない。 甘えているのかもしれないけれども・・・ 今は自分では善悪の判断が曖昧になっていて何がいいことなのか何が悪いことなのか、よくわからない時がある。なんだかギリギリのところで生きている気がする。 どんなに立派なお医者さんでもどんなに良く効く薬でも・・・ 私の心の傷はもう・・・ いろいろとすればするほど副作用が出てきて逆効果なのかなと思うことがある。 甘えていると思われるだけれども・・・ そんな弱虫なんです。 子供たちがいるからがんばりなさい・・・と言われるけれども・・・ 「将来はお母さんみたいにはなりたくない」と言われてしまえばやっぱりひとりぼっち。 そんなふうにしか見られていないのなら・・・ 一緒に生きている意味がわからなくなってきた。
2009年06月18日
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今日は朝から夏物の作品を編むつもりでしたが… それは中途でストップして… 編み物の先生に教わりながらラリエットを編みました。 先日はオフホワイト一色で連続編みだったのですが、今日は同じオーガニックコットンの糸を4色使って仕上げました。 まずは茎と葉っぱを二重の鎖編みで編んでいきます。 別の糸で花とボップルを好きな数だけ編んで最後に茎部分に好きなデザインでとじていきます。所要時間は約3時間くらいです。 とてもかわいく仕上がったと思います。 一昨日手作り市にも手編みのコサージュやシュシュやラリエットがありました。 それを見てついつい刺激されてどうしても作りたくなりました。
2009年06月17日
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この頃の私…自分でもわかるほどひどい状態かもしれない。 ちょっと冷静になってみようと思う。 いろいろなことを考えても全然進む方向が見えてこない。 全てを忘れて休憩してみたら…心が少しだけ楽になれる気がする。 今までの自分を否定するわけではなくて、ちょっと休憩して今の自分の姿を省みてみよう… 主人のことも…永遠に愛し続ける人だけれどももっと冷静にみてみよう。 大好きな人のことも…ただ寂しい気持ちから愛情と勘違いしているのではないか冷静になろう。 子供のことは…忘れるわけにはいかない。この子たちに対しては母親として無償の愛を注いでいこう。 自分自身のことは… しんどくならない程度にがんばってみよう。
2009年06月17日
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昨日は久しぶりに手作り市にも行って楽しかったのに・・・ 今日はダメみたいです。 ひとりで家にいるのが寂しい・・・ 寝てしまえば悲しいことも寂しいことも忘れられるのかな? でも私には寝る布団さえ、寝るベッドさえない・・・ 主人が亡くなった時に一緒に寝ていたベッドを見るのが辛くて… ひとりきりで寝るのが怖くて… 処分してしまった。 あの日から私には寝る場所さえなくなってしまった。 だから夜は嫌いです。 子どもも親も兄弟も友達も好きな彼も… そして心の中にいる亡くなった主人も… みんな忘れてしまいたい。 時々どこだかわからないところで子供の私が家族そろって楽しそうに暮らしている姿を見ることがある。 でもすぐに消えてしまう。 夢なのか現実なのかわからない。 身体がしんどいのは辛いけれども… 心がしんどいのはもっと辛い。 私のことを知っている人が誰もいないところへ 誰も知らない人ばかりのところへ いってしまいたい。 そんなことは寂しいかもしれないけれども… 今だってもう十分寂しすぎる。 今この瞬間は一人で家にいるのが怖くてたまらない。 でも外に行ってちゃんと家族がそろっている人がスーパーで買い物している姿を見るのはもっと怖い。 どこに行けばいいのかわからない。 だれにも会いたくないくせに一人で家にいるのも怖い。 矛盾しているよね。 昔みたいに元気に仕事がしたい。 幼稚園で子供たちといっぱい遊んで歌もたくさん歌って運動会の練習も頑張って子供たちの楽しい作品や絵をみて感動したい。 子供たちと共にいろいろなことに感動して驚いて毎日大変だったけれどもともに成長していたあの頃みたいに… 今はもう何もできない。 身体も心も病んでしまったこんな人間は何の役にも立たないし、存在の意味がない。 子供達は私のことを頼ってくれているみたいだけれども… それは私しかいないから…仕方なしに私についてきてくれているのだと思う。あの子たちももうすぐ私のことを嫌になって離れていくに違いない。 なんでこんなふうになってしまったのだろう・・・ 老人のつぶやき 大空へ 海へ 故郷へ 私はもうすぐ 帰ってゆく 大空へ 海へ 故郷へ 私はもうすぐ 帰ってゆく いつまでも 空を見上げて 老人はあの頃を 思い出すのだろう 私の好きだった あの人も今では もう死んでしまったかしら 大空へ 海へ 故郷へ 私はもうすぐ 帰ってゆく 私はの短い人生は 私の生き方で 生きたから もういちど若い頃に 戻りたいと思うこともない ただあのひとに 私の愛が伝えられなかった それがこころ残りです 私の好きだった あのひとも今では もう死んでしまったかしら
2009年06月16日
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京都大学近くの左京区百万遍の知恩寺で毎月15日に行われる手作り市に行ってきました。 数年前までは毎月行ってましたが・・・いつだったかテレビで紹介されてからものすごく混雑するようになってまるでお祭りのようで歩くので精一杯という感じになってしまいました。出店者も増えて毎回抽選で出店しているとか・・・ こんなに人が多ければゆっくり楽しく見ることもできません。 それで最近は遠のいていましたが今日は朝8時前に家を出たので駐車場へもすんなり入れたし9時半ころまではお店の人ともゆっくり話をしながらいろいろと楽しむことができました。もう10時を過ぎた頃にはいつものように混雑が始まっていましたが・・・ この手作り市にはお客も出店者も関西に限らず全国から集まっていてとてもセンスの良い可愛いお店、個性的なお店がたくさんで本当に何時間でもあきることはありません。 今日は子供たちの好物のチーズケーキとバウンドケーキ・・・ それからキーをモチーフにしたアクセサリーと手編みのブローチ・・・ お花のブローチなんか自分で編んだらいいのだけれどもやっぱり人の作品が可愛くてよく見えてしまいます。 それから大切な人へのお土産も忘れずに・・・ よろこんでくれたらいいけれども・・・
2009年06月15日
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先日届いたアスパラ… 今日100本目を茹でました。 でもまだあと3倍くらいの量は冷蔵庫で保存しています。 考えたらたくさんの量のアスパラですよね。 アスパラ1本1本軽く皮をむいて茹でるのですがピューラーで皮をむきながら…ありがとうの気持ちがあふれてきます。 そんなことを彼に伝えたら「何言っているんだ?このおばさんは!」 と笑われてしまいます。 でも彼が育てたアスパラだと思うとそれを毎日食することができて本当にうれしい気持ちで感謝してしまいます。 だけどこれからは彼への思いがこれ以上にならないように… 兄を慕うように、尊敬する気持ちで彼を思い続けるように努力しようと思っています。 「海岸通」イルカが歌う「海岸通」もいいけれども私は伊勢正三が歌う「海岸通」が好きです。 あなたが船を 選んだのは 私への 思いやりだったのでしょうか 別れのテープは 切れるものだと なぜ 気づかなかったのでしょうか 港に沈む夕陽が とてもきれいですね あなたを乗せた船が 小さくなってゆく 夜明けの海が 悲しいことを あなたから教えられた 海岸通 あなたの言うとうり 妹のままでいた方が 良かったかも しれない あなたがいつか この街離れてしまうことを やさしい腕の中で 聞きたくはなかった まるで昨日と同じ海に 波を残して あなたをのせた船が 小さくなって行く
2009年06月14日
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「同じ太陽や月を見てるよね・・・」 そう言ってくれたことがうれしかった。 きれいな朝焼けの画像を・・・ありがとう!
2009年06月14日
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悲しくてやりきれない今の私の気持ちを代弁してくれているようなそんな曲です。 明日は少しだけこの暗いトンネルの先に光が見えてきますように・・・
2009年06月13日
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胃が痛いしお腹も痛いし・・・ 昼前になっても治まらないのでお医者さんに行ってきました。 熱は37度6分の微熱です。 咽喉もきれいだし・・・どうやら胃腸の風邪らしいです。 身体の節々がだる痛いです。 何だか体がふわふわ宙に浮いている感じです。 しんどいけれども気持ちがいい感じがします。 良くわからない症状ですね・・・ やっぱり布団に入ってちゃんと寝ていないのが原因かな・・・ 主人が亡くなってからそろそろ7年近くなりますが・・・直後にベッドを処分してあれ以来居間のカーペットの上でゴロンと横になって寝ています。電気を消すのも怖くてずっとつけたまま・・・電気代もったいないですね。でも電気を消してぐっすりと眠ることが怖くてできません。 ふ~!しんどいな~! 出てくるのはため息ばかりです。
2009年06月13日
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1週間前に減量宣言して・・・ マイナス1キロ・・・ 今月中に7キロ減量とか宣言したのに・・・ あと2週間で6キロ減量は無理だな・・・ でも頑張ろう・・・ 今はそんなことしか頑張ろうと思えることがないし なにも生きる目標がない私にとっては…今はそんな小さなことを生きる目標にして頑張ってみよう。
2009年06月13日
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今、1年前のような状態に戻っています。 何もする気になれなくて・・・ でも以前みたいに買い物に走ったりしないようにしないといけない。 幸せに生きていきたいと思う自分ともうどうでもいいやと思う自分が戦っているような気がする。 何だか自分のことなのに第三者になってそういう自分の姿を傍観している… その第三者の自分を愚かだなと…と思ってまた少し遠くで見ている自分がいる。 自分って誰? 自分って何? そう言えば5歳くらいのころからも時々自分自身を傍観している自分の姿をみて…だれにも聞くこともできずに自問自答していた私がいたな… もう生きていくのがしんどいです。 でも死ぬことは怖いです。 だから仕方なく生きているなんて… 主人のように生きたくても生きられずに死ななくてはならなかった人たちに対して申し訳ないと思います。 主人は死ぬのは怖くないと言っていた。 ただ一人で死んでいくのはやっぱり怖いからそばにいてしっかり手を握っていてと… 私はひとりで死んでいかないといけないのに… それに死ぬことを怖いとも思っているのに… 私がいなくなったらこんな親でも子供たちは困るかもしれないなと思うと唯一それだけのために生きなければいけないと思うのだろうね。 生きていく目標があればちょっと元気になれるのかもしれないけれども今の私には何にもないです。 ここで愚痴を書き連ねることだけでちょっと気が楽になるけれども… そんなことでは何の解決にもならないし、日記を読んでくれる人にの気分を害していることもわかっている。 だけど今はそんなことで気を紛らわすしかない… なんて愚かなんだろう…
2009年06月13日
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夜明けのブレスという曲…とても好きです。 チェッカーズの曲です。 1990年…あの時、「君のことを守りたい」という言葉をずっと待っていた。でも彼の言葉は「幸せにはしてあげられない」だった。 幸せにしてもらいたいのではなくて、二人で一緒に幸せを築いていきたかった。 今日、もしも「君のことを守りたい」言ってくれたら… 迷わず私は「共に生きよう」と返事をすだろう… 夜明けのブレス消えかけた街が 静かに色づく 夜明けのブレスが 傷跡に染みる 群れからはずれた 一羽のカモメが ビルの谷間を抜け 海を見つめる 羽ばたくことさえ 疲れはてた時 胸の奥に 振り返る影がある 君のことを守りたい その全てを守りたい 君を生きる証にしよう 誰のだめでもなく 折れかけた翼 静かに抱き寄せ 無口な笑顔に 空を見上げる 波にさらわれた 流木の後を つまづきながら 追いかける影がある 君のことを守りたい その全てを守りたい そして今を共に生きよう 誰のためでもなく 君のことを守りたい その全てを守りたい 君を生きる証にしよう 誰のだめでもなく 君のことを守りたい その全てを守りたい そして今を共に生きよう 誰のためでもなく 君のことを守りたい その全てを守りたい 君を生きる証にしよう 誰のだめでもなく
2009年06月13日
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メールを送ってもほとんど返事はないし・・・ 用事がなければ電話もない・・・ こちらから電話をかけたら「何?」とそっけない・・・ でも受話器の向こうから聞こえる牛の声、トラクターの音・・・ 一生懸命仕事している様子が手に取るようにわかる。 仕事しながら私の他愛ない話を聞いてくれる。 そして私が駄目になりそうな時には「大丈夫だよ!」と一言だけ言ってくれる。 それだけで十分です。 だけど本当は一緒に広い畑でアスパラやカボチャを作りたかった。 カーネーションの花も一緒に育てたかった。 私にはそういう仕事は無理だと彼は言ったけれども・・・ せめて近くで暮らしていて食事の支度くらい手伝いたかった・・・ そして私は時々彼が収穫した作物をお裾分けしてもらったら・・・ 彼が育てたカーネーションの花を一輪を手渡してもらったら・・・ きっと毎日もっと笑顔で過ごせただろうな・・・
2009年06月12日
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3月に契約してくれた携帯電話・・・ラベンダーの携帯と私は呼んでいます。 実は・・・「この支払は俺の携帯と一括で口座引き落としになっているよね?それなにこのラベンダーの分だけは別で窓口支払いの請求が来ているけれども・・・」ということでした。 一緒に携帯を買いに行ってまとめての請求で一括で口座引き落としと頼んだはずだが・・・最初1回か2回はもそかしたら間に合わないので別請求になるということでした。 それで彼も先月分は窓口支払いしたけれどももう大丈夫だと思っていたらしく、請求書が来ていることに気づいてみたら14日までに支払いができないと使用できなくなるという警告をみたようで支払いに行ってくれたようです。 どうなっているのかお客様センターに聞いておいてと言われてかけてみたのですがやはり契約者本人でないと対応してくれなくて・・・暗証番号も聞いているので・・・と言いましたが彼との関係を聞かれました。 親戚ですと言ったけれども、奥さんか御兄弟ならお応えできますが・・・無理ですと断られました。結局また仕事の合間をみて彼に直接聞いてもらうことにしました。 なんか・・・悲しくなってしまいました。 「奥さんならお応えできる」と言われた時・・・ 私は奥さんではないし当たり前のことなのに・・・悲しくなった。 最近は「奥さん」とういう言葉好きじゃない・・・ これは単に感情として好きでないだけです。 あと「未亡人」という言い方も嫌です。 未だ亡びずにいる人・・・というようにとってしまいます。 夫が亡くなったのに一人生き残っている・・・そんなイメージがあって嫌いです。意味を調べると「夫に死なれて共に死ぬべきなのに生き残っている人」だそうです。やっぱり私のイメージそのものの意味だった・・・ あと・・・後家さんとか言わるのも嫌いです。「後家とは夫に死なれ、再婚をせずに独身でいる女性」という意味だそうですが…響きが嫌です。 なんかまた愚痴をこぼしてしまいました。
2009年06月12日
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1996年6月10日…神戸の震災復興応援で兵庫県の明石に住んでいた13年前の6月10日「時の記念日」に明石市が配布していた今日この日に東経135度・日本標準時子午線のまち「明石」を通過したという通過記念証です。 確かにあの日、あの時… 私は家族そろって幸せに生きていた。 兵庫県の街の復興のために主人はがんばって働いていた。 私も長女も京都を離れて一緒にがんばっていた。 そしてこれから先何十年も二人で幸せに生きていくことを疑わなかった。 それから2年後には新しい家族が増えて・・・ それから3年後には主人の闘病が始まって・・・ それから6年後には主人はひとりで天国へ・・・ 今度は私たち家族が一緒についていくことは許されなかった。 たった一人で遠い遠いところへ永遠の単身赴任となった・・・ 「時」って何なんだろう? 時の流れは私の心をこれほどまでに孤独にしてしまったというのだろうか…? 時の流れは一方通行… 決して逆行することは許されないのだろうか? 戻りたい。 ルール違反だと責められても… ほんの一瞬だけでもいいからあの頃に戻って暖かい気持ちを取り戻せたらどんなにいいだろう…?
2009年06月10日
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今朝、ゆうパックで北海道の彼から2回目のアスパラが届いた。 ちょうど一か月前にもホワイトとグリーンのアスパラが届いたのだが・・・ 今回はもうホワイトアスパラはなくてグリーンアスパラばかり段ボール箱にぎっしりと送ってくれた。 他には前にも送ってもらった生キャラメルのフレッシュミルク味、カフェモカ味、ショコラ味を3種類・・・ 「今、忙しく働いているのはね・・・今度北海道に来た時に少しでも一緒にいる時間を作るために畑仕事を進めているんだ。」と前に言ってくれたことがある。彼にとっては私は一番ではないのに、そんな優しいことを言われると本当に混乱してしまう。 私自身の今の正直な気持ちを彼に話さないといけないと思いながらもどうしても話せないでいる。 段ボール箱のガムテープを外しながら、彼が梱包してくれたものを私が開封していると思っただけで心が熱くなってしまった。 そして箱いっぱいに縦向けにも横向けにも出来る限りたくさん詰めてくれてあったアスパラを見て・・・一生懸命作って私たちのために届けてくれたのだなと思うと涙が止まらなくなってしまった。 私にとって彼は一生友達なのだろうか・・・ 彼にとって私の存在は何なのだろうか・・・ 私が心から愛する人は誰なのだろうか・・・ 彼とは友達でもいい・・・一生心だけは通じていたい。やっぱり一番好きです。
2009年06月09日
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別のブログでの北海道のお友達が送ってくれた画像です。 京都ではこんなにきれいに虹がかかっているのを見たことがなかったので感動しました。 ダブルレインボー・・・ 心が暖かくなりました。 ありがとう!
2009年06月08日
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今日は7日… 主人の月命日です。。 春のころより以前ほどお墓参りに行かなくなってしまった。 先月17日に行って以来3週間も行ってなかった。 花は枯れてしまっていてお寺さんが片付けてくれいた。 それを見たら・・・もっと会いに来ないと主人は寂しく思っているんじゃないかなんて考えてしまった。 毎日でも・・・いつでもすぐに会いに行けるように・・・そう思ってこの場所にお墓を建てたのだから・・・ もし私が京都を離れるようなことがあったとしたら・・・ やっぱり主人の傍から離れることはできないのだろう・・・ どれだけ好きだと思う人が現れてもやっぱり私は生きている限り主人の傍を離れてはいけないのだろうか・・・ ひまわりと可愛い淡いピンクのお花…なんて言う名前だろう?
2009年06月07日
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今月中に7キロ減量します。 7月末に北海道に行く時までに12キロ減量します。 ブログで宣言したら途中で投げ出すわけにいかないし・・・ 頑張ってみます。 そう言えば・・・前に買ったマイクロダイエットがまだ残っていたし・・・がんばろう!
2009年06月07日
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私が心から愛する人は・・・ いったいどこにいるのかと思う。 子供たちのことはもちろん愛しています。 主人が今も一緒にに歩いていてくれたら・・・ 主人以外に愛する人も現れなかっただろうに・・・ 結婚する時に二人で話していたこと・・・ 「おじいさん、おばあさんになってもいつも一緒。ずっと一緒。」 それなのに主人は約束を守ってくれなかった。 悲しい・・・ でも約束守れずに死ななくてはならなかった主人はもっと悲しい思いをしていたのかもしれない。 「どうして私をひとりにしたの?」と悲しくて主人に裏切られたようなそんな気持ちになった時もあるけれども・・・ 今は少しずつ私の心の傷は小さくなりつつあるように思う。 いくら時間が経ってもこの悲しみや寂しさはいやされない。かえって時間とともに大きくなると思っていた。 でも今は違う。 人生の岐路で迷っている・・・ このまま想い出だけを大切にして生きていくの道と・・・ ちょっと想い出もある新しい道と・・・ 全く未知の想像もつかない道と・・・ どの方向に向かうのがいいのかなんて全くわからないけれども・・・ そういう新しい道が見えてきただけでも私にとっては進歩したように思う。 愛する人に守られて生きていけたらどれだけ幸せだろうな・・・ 愛する人はどこにいるのだろう? 守ってくれる人はどこにいるのだろう? そんな人に巡り合いたいな・・・ 愛を止めないで やさしくしないで 君はあれから 新しい別れを恐れている ぼくが君の心の扉を叩いてる 君のこころが そっとそっと揺れ始めてる 愛を止めないで そこから逃げないで 甘い夜は ひとりでいないで 君の人生が ふたつに分かれてる そのひとつがまっすぐにぼくの方へ なだらかな明日への坂道を駆け登って いきなりきみをだきしめよう 愛を止めないで そこから逃げないで 眠れぬ夜はいらないもういらない 愛を止めないで そこから逃げないで すなおに涙も流せばいいから ここへおいでくじけた夢を すべてその手にかかえたままで ぼくの人生がふたつに分かれてる そのひとつがまっすぐに
2009年06月06日
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私はおばさんだけれどもこのカントリードールみたいなカントリーガールになりたい。何年か前に作ったドールです。 純粋で優しい気持ちであり続けたい。 私の気持ち・・・あの人に伝わればいいのにな・・・ カントリーガールにぎやかな都会の景色は 変わる万華鏡 いつでもきみを驚かせる 七色プリズム きみは おふるのスカート はじらうように それでも瞳を輝かせて 街を歩いてたね カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする 好きだよ! とまどいがちのきみの視線が いつも追いかけるのは 長い煙草をきざにくわえた 若い男だった そいつがある日 きみに手わたした 青い封筒 手紙の中に書かれていたのは こんなセリフだったね カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする 好きだよ! あいつがきみを捨てたのは たった七日目のこと 化粧のうまい おしゃれな娘に さっさとのりかえたのさ きみは鏡に映った 自分の顔にむかって あいつがくれた いつかの言葉を 泣きながらつぶやいてたね カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする 好きだよ! ぼくは初めから終わりまで きみを見ていた 真っ赤なルージュ そっとひいてみて すぐに拭き取ったのも 今すぐうしろをふり返れ ぼくはここにいるよ ぼくが書いたあの手紙の言葉を もう一度きみに贈ろう カントリーガール きみの目の中で 夕焼けが燃える カントリーガール きみのほほえみは 草原のにおいがする 好きだよ!
2009年06月05日
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亡くなった主人のこと 自分の将来のこと そういうことをいろいろと考えだしたらまた気分がしんどくなってくる気がします。 そんな時にはどこへも出かけられないし、家の用事も何もできない。 ただぼんやりしてパソコンに向かうか、何か作り始めるか・・・ そういう方向に逃げている気がする。 一時的には楽になるけれども何の解決にもならないのかな・・・ 何もかも嫌になってきます。 寂しいです。 不安です。 私に故郷と呼べる場所があるなら今すぐにでも故郷行きの列車に乗って帰りたい。 ホームにてふるさとへ 向かう最終に 乗れる人は 急ぎなさいと やさしい やさしい声の 駅長が 街なかに 叫ぶ 振り向けば 空色の汽車は いま ドアが閉まりかけて 灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う 走りだせば 間に合うだろう かざり荷物を ふり捨てて 街に 街に挨拶を 振り向けば ドアは閉まる 振り向けば 空色の汽車は いま ドアが閉まりかけて 灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う ふるさとは 走り続けた ホームの果て 叩き続けた 窓ガラスの果て そして 手のひらに残るのは 白い煙と乗車券 涙の数 ため息の数 溜ってゆく空色のキップ ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券 たそがれには 彷徨う街に 心は 今夜も ホームに たたずんでいる ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券 ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券
2009年06月03日
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先日、北海道から送ってくれたアスパラ・・・ 長女と二人でたっぷりいただいたのですが、本当に美味しい! 特別な調理をしなくてもお湯で塩茹でしただけなのに・・・ 私が特別な感情を持っているから美味しいと感じるだけなのかなと思っていたら・・・ 長女が「北海道がおじさんが送ってくれたアスパラは特別美味しい! 私にとってはもはやアスパラでなくてホタテを食べているような気がする。まさにホタテや!やばすぎるくらい美味しい!」 こちらで売っているアスパラとは大きさからして違うし新鮮だし美味しいのだろうけれどもホタテに匹敵する美味しさとは・・・ アスパラとホタテとどこに共通点があるのか比較する基準がよくわからないけれども、食感とかのことを言っているのか・・・? 中央の束ねている分が京都のお店で買ったアスパラです。 でもその話を聞いて私もとてもうれしくなった。 もちろんアスパラも美味しくて大好きだけれども・・・ 私は彼のことが大好きです。 そういうことを言うと「何を言っているのだか・・・このおばさんは!」と言っていつも笑われていますが・・・ でも若い時よりも彼のことずっとたくさん知った気がする・・・ もっといっぱい話した気がする・・・ あの頃以上に好きだと思う気持ちが強くなった気がする。 もう一度20年前行きの切符を買う事が出来たら・・・ 20年前行き列車に乗って1990年駅で降ります。 そして周りの反対も相手の気持も無視して?すべて乗り越えて彼の所に飛び込んでいきたい。 それでもまた彼に「北海道に来ても幸せにはしてあげられない」と同じことを言われるかもしれないけれども・・・ ユーミンのこの曲を聴くとあの頃のことがいっぱい思い出される。
2009年06月03日
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会いたい ビルが見える教室で ふたりは机並べて 同じ月日を過ごした すこしの英語と バスケット そして私はあなたと恋を覚えた 卒業しても私を 子供扱いしたよね 「遠くへ行くなよ」と 半分笑って半分真顔で 抱き寄せた 低い雲を広げた 冬の夜 あなた夢のように 死んでしまったの 今年も海へ行くって いっぱい映画も観るって 約束したじゃない あなた 約束したじゃない 会いたい… Woo… 波打ち際すすんでは 不意にあきらめて戻る 海辺をただ独り 怒りたいのか 泣きたいのか わからずに 歩いてる 声をかける人を つい見つめる 彼があなただったら あなただったなら 強がる肩をつかんで バカだなって叱って 優しくKissをして 嘘だよって 抱きしめていて 会いたい… Woo… 遠くへ行くなと言って お願い独りにしないで 強く抱きしめて 私のそばで生きていて… 今年も海へ行くって いっぱい映画も観るって 約束したじゃない あなた 約束したじゃない 会いたい… Woo…主人と出会うちょっと前のころにこの曲はヒットしていたと思う。 あの時も今も・・・とても悲しく切ない曲だとは思ったけれども・・・ 最初に聴いた時には・・・自分には関係のない出来事として好きな人、彼、夫が亡くなって遺された人はてとても可哀想・・・ でもそんなことはまれな話で私にはやっぱり関係ないことだと思って聴いていた。そしてカラオケでも普通に歌っていた。 主人が病気になってもう助からないと宣告された時から・・・ この曲のイントロが流れてきただけで涙があふれ出てしまった。もちろんカラオケでなんて歌えるわけもなかった。 今は・・・ちょっと冷静にこの曲を聴いているような気がする。 この曲を聴きながら主人との約束をいろいろ思い出したり・・・ ずっとずっといつまでも一緒・・・ おじいさんとおばあさんになっても二人でテニスをしよう・・・ 俺がずっと守ってあげるから何も心配しなくていい・・・ それなのに・・・ 「ひとりで生きてはいけないからいい人が見つかったら再婚を考えてください。」なんて言い遺して死んでしまった・・・ 本当は「俺が先に死んでしまってもずっと一緒だよ!」そう言ってほしかった。 そうでないと悲しすぎるよ・・・
2009年05月21日
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今日は編物作品を二つ完成させました。 ひとつは長女のプルオーバー・・・1月くらいに編み始めて本当は4月には完成予定だったのですが、4か月もかかってしました。もう暑いので今からはちょっと着ることができません。秋になったら着られるかな・・・ 裾と襟ぐりと袖口はガーター編みです。 これは本に載っていたデザインで長女が毛糸も選びました。 それからもうひとつはラリエット・・・アクセサリー小物です。 上の画像のようにペンダントのようにつけたら可愛いです。 こちらは今日教室で少し教えてもらって家で1時間くらいで完成しました。 お花のモチーフが14枚とパプコーン編みのボップルが13個・・・一気につなげて編みました。 オーガニックコットンの糸で夏にもよく似合うナチュラルな感じが可愛いです。
2009年05月21日
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人を好きになったら・・・ 若いころはいつも相手に何かを求めていた。 そして思い通りに行かなかったらいつの間にか心が離れていった。 今は精一杯その人に優しい気持ちをおくり続けたいと思う。 たとえ遠く離れていたとしても心だけは寄り添っていたい。 恋はいつか消えてしまうものというけれども・・・ 愛というものに変わって永遠に続くような気がする。 相手に求めるのではなくて、優しく見守るというように・・・ 意味不明のひとりごとでした・・・ こんなことを思うのは年とったせいかな・・・?
2009年05月11日
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