全16件 (16件中 1-16件目)
1
久しぶりにずっと前に書いた自分の日記を読んでみました。仕事と生活と暮らしている場所が大きく変わっている今も、考えていることは同じですね。このように、文章にしておいて、いつでも見れるのってすごいですね。
2010.08.13
コメント(0)
![]()
2008.09.25
コメント(0)
今年は春らしい空気を感じることがありません。ちょとあったかかった冬と寒くなったり暖かくなったりといろいろでなんとなく春になっていた感じで、でも夜はまだちょっと寒かったりして。でも、温暖化で地球は暖かくなっているようですね。もっと暖かい冬になって、春が長くなるのが待ち遠しいです。だって、もともと地球は暖かくなったりさむくなったりしているのが普通だったのだから、それがちょっと早まって、ちょっとくらい人間社会の二酸化炭素とかいろいろの排出とかであったかくなってしまうことなんてどうでも良いことなんだとおもいます。エコロジー???みんな、いまの便利な生活を捨てることができるのですか?
2007.04.12
コメント(0)
テレビを見ている人たちについて。テレビは日常の普通の生活の中の結構多くの時間をそれに費やしている人たちがすごくたくさんいると思いますが、あれはどうなんでしょうか?あちらからの一方的な情報を受け入れてもよいのでしょうかね?社会の真実だけを語っているとはどうも信じることができません。日常生活でテレビを見ない私が、たまにそれを見る機会があるときに目にするその世界は、とっても滑稽でくだらないものに感じます。とりあえずは、1ヶ月テレビを見ない生活をしてみると、そのつまらなさがわかりますよ。
2007.04.12
コメント(0)
ベランダでちいさな木を育てています。春に芽が出て、夏に緑の葉でいっぱいになり、実を付けて、秋には紅葉が訪れます。今は葉っぱもなくなり寂しくなってしまっていますが、小さな芽がふくらんでいます。こうして毎日、木の成長を観察していると、葉っぱの並び方や枝の伸びて行く方向など知っているようで知らなかったことを知る事ができます。どんなことでもそうなのかもしれませんね。
2007.01.13
コメント(0)
冬になると外から聞こえる音が違います。これはなにかと考えてみましたが、ぜんぶ車の音でした。寒くなるとエンジンの音がちょっと大きくなります。雪が降るとタイヤからの音がちがいます。歩く人たちの声が小さくなる分車の走る音だけが響きます。救急車とか消防車のサイレンとかも。街が静かになるけれど車はいつもどおりに走っています。車の音が外の音だったのですね。
2006.12.15
コメント(0)
なんだか世の中がへんな感じになっている様に感じますが、たぶんこれはこれまでの数千年の社会(国家らしきものがある時代)からずっと同じだったことなんだろうと思う。凶悪な事件があったりすることは昔からあったのでしょうが、世界中の事件を数時間後に知る事のできてしまう現在は昔の数千倍も多くのいやなことを聞く事になってしまっていますね。そんなことが普通になってしまっているからどんなことも平気にできてしまう人がたくさんになってしまいそうで怖いです。「悪い事」の水準が悪い事が普通にたくさん報道されてみんな慣れてしまっているからどんどん下の方に下がっているみたいです。情報は知識だけで充分です。
2006.12.15
コメント(0)
12月の雰囲気は他の11ヶ月とはちょっと違います。他の11ヶ月もそれぞれが雰囲気を持っていますが、今月の雰囲気と比べると普通の11ヶ月です。たぶん、12月のために残りの11ヶ月を過ごしてきているのでしょうね。年が変わるだけなんですがなにか期待しているのでしょうね。次の年に。この次の年も12月のための11ヶ月を過ごすのでしょうか?
2006.12.11
コメント(0)
美術界は最近、行き着くところまで行ってしまっているようです。昨日書いたデザインのはなしと一緒ですが。美術も自由なあらゆる表現方法でいろいろと発表するまでは良いのですが、単にひとと違うことをする事に意義を見いだそうという浅い考えから出発している人が多いのではないでしょうか?新しいアーティストはこれまでの美術のプロセスに沿った表現方法からあたらしいものを生み出す事に限界を感じているのでしょうか?本当の自由な造形とはある制限の中から新たな物を生み出す発想からなんじゃないのかな?と、思いますが。本物のアーティストは限られた素材を徹底的に観察し、過去のすばらしい物を観察しながら自分の感性と直感で創造しているのです。
2006.12.06
コメント(0)
最近のちょっとおしゃれな感じなセレクトショップについて。どれもこれもぜんぜんセレクトされていません。それらしいデザイナー物の小物なんかが適当に並んでいますが、デザイン界が発展することは無いのでしょうか?60年代・70年代のヴィンテージの方が断然魅力的に見えるのは僕の趣味の問題ではなくて、今のデザインの基礎をつくって、一流のデザイナーがいて、今の人たちはそれを勉強してその人たちに追いつこうとして、結局それ以上にはなれないみたいですね。技術も格段に進歩して、新素材もたくさんあるのに残念ですね。
2006.12.05
コメント(0)
私が勤める教育機関の来年度からの学生を選考する試験がありました。それぞれ大学で美術を学び作品を作って来たのですがどれもこれも作品と言えるものはありません。若い美術系の学生は誰もが自分が一番のアーティストだ!と思っているくらいだというふうに考えていたのですが、一番はどこにもいません。自分もそうだったのかと考えるとゾッとしますが、アーティストも他の仕事と同じように経験が全てであると実感しました。勉強すればのびるみたいです。上に。作品=研究美術という学問とちょっとした運が作品をつくるのです。
2006.12.03
コメント(0)

テンプラニーリョとガルナッチャにははずれがありません。
2006.08.22
コメント(0)
多くの人は、どこかしらに美術や工芸の鑑賞に出かけます。過去の偉大なアーティストの作品や、よくわからないけど有名なアーティストの作品など、世の中ではものすごくたくさんの美術展が開催されていますが、みんなはどんな事を感じてそれらの作品を鑑賞しているのでしょうか?展覧会で作品を鑑賞する人はたぶん作品と共に、その作品のタイトルも一緒に鑑賞しています。大きな展覧会だったっりすると、その制作者の生涯までも鑑賞しています。問題なのはその作品のタイトルのことです。ほとんどの鑑賞者はそのタイトルの言葉に頼って作品を見ているのではないでしょうか?表現者は作品のタイトルにしたようなことを作品として表すために表現しているのでしょうが、タイトルなしではその作品も表現しきれないのです。もちろん、タイトルをちょっとしたヒントになるようにつけているアーティストもたくさんいますし、作品だけで表現しきれるようなものもちょっと説明的すぎてつまらないかもしれませんね。頭の良いアーティストの逃げ道は「無題」であったり、制作年月日をタイトルにしたりしていますが、「無題」だったらなんか逆に意味ありげになってしまいそうになったり、ほんとに難しいですね。ちょっと話がずれてしまいましたが、先日、こんなことを言っている人がいました。「あの作品はタイトルのとおり海岸の夕日の風景が感じられて良かったな~。」って、その作品とは、陶芸の作品で花器が夕焼けの海岸の風景らしき色合いで表現されている「海の夕焼け」とかなんちゃらっていう作品みたいですが、まず、そんなことタイトルで言わなくっても分かるようにつくればいいし、その本物の夕焼けの方が美しいだろうし、鑑賞者にこう見てくださいって押し付けてるし、作品はどんなのか知りませんが、0点です。ぜんぶストレートな表現が悪いってことじゃないですけどね。タイトルか本体かどっちかに軽くモザイクをかければいいことなのかもしれないけど。
2006.08.10
コメント(0)
美術にはそれぞれの領域があります。彫刻、絵画、工芸.........どれも目的は同じなのに、それぞれの社会をもっています。本当は単に表現する手段や素材が違うだけなのに、見る側の人たちもどうやらそれぞれがぜんぜん違うものであると勘違いしてしまっている様です。作り手も同じように勘違いしている人がほとんどなのでもうどうしようもないことです。これは。自分の属する分野以外はなんにも知らないでものをつくっている人がたくさんいる世の中では、それを鑑賞する人々が多くの勘違いしてしまうことは必然的ななことなのかもしれません。それぞれの領域のなかでそれぞれの偉い人がいて、その次に偉い人がいて、そのひとのライバルがいたりして、そんな社会がたくさんあればあるほど、それぞれの偉い人がたくさん生き残れるんですね。美術鑑賞とは社会鑑賞でもあるのです。そんななかで、本物のアーティストはなんでも知っているのです。ここで言う本物のアーティストとは街の変わり者ではなくて、職業としてのアーティストですけどね。
2006.08.04
コメント(0)
アーティストはほんの少しの才能と、たくさんの努力によってつくられています。本当の天才アーティストはアートとしての職業が成り立っていません。街の変わり者が天才アーティストなのですから。では、職業としてのアーティストになるためにはどのような努力が必要なのか?まずは、アートの勉強をたくさんすることです。器用、不器用は人それぞれありますが、アートは学問のひとつなのですから多くの事を知っていれば何かしらの作品はつくることができるのです。実際に現在までの有名なアーティストで考えてみると、その作品はその時代時代の傾向を示した作品を制作しており、[なんとか主義]だとか、[なんとかイズム]でくくってしまうことができます。もちろん、その[なんとか主義]というものの基はだれかか、どこかのアーティスト集団がつくったものなのでしょうが、その時代に職業としてアーティストであるためにはそれらに協調することが最重要課題なのです。アーティストとは一般に独創的で個性的と思われているようですが、それは時代が求めているものに追いつこうという努力がそうさせているだけであり、本当のアーティストはただの変人で、無名のまま終わってしまうのです。そして、本人もそれがアートだとは気がついていません。
2006.08.03
コメント(0)
本日、本物のアーティストのスライドレクチャーに参加しました。本物のアーティストはなんでも知っています。彼は62歳のデザイナーなのですが、中身は完璧なアーティストです。一流はすべての枠を超えて一流なのです。彼の自慢話は全く単なる普通の人間が話す自慢話には聞こえません。もっと自慢話をして欲しいとさえ思ってしまう程です。約4時間の間、誰一人として聞き疲れてしまう人はいませんでした。と、思われます。デザイナーの仕事はめんどうな事が多いのでこれからは陶芸家として生きて行くことが夢だそうですが、大賛成です。彼は本物のアーティストなのですから。そして、彼は小さな建物なのにちょっと道に迷って、シルバーのボルボでさわやかに手を振って帰って行きました。
2006.07.31
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1
![]()

