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みなさんこんばんは
先日ブログに書いたリンパ腺の件で沢山のお見舞いコメントを頂戴し本当に有難うございました。もう、大分腫れの部位もやわらかくなり痛みも治まりつつあります。 ご心配お掛けし本当に申し訳ございませんでした。
さて、こう体調が悪い事が多いと体も弱く気も弱くなってしまい、最近は自分が子供だった頃をよく思い出すようになりました... 死ぬ?!)
昨年11月23日に書いたブログの通り、私は母子家庭で6歳まで育ちました。
母は八戸で私を産んだ後、自分の実家(二戸)へ行ったものの面倒を見てもらえず (当時父親のいない子を産んだ娘が実家に帰ると近所の評判になるからと敬遠されたらしい) 住み込みで働ける所を探して八戸へ戻ったそうです。
やっとの思いで働き口を見つけ私と二人の生活が始まったのでした。
住み込み先は老夫婦が経営する小さな食堂。部屋は屋根裏の2畳程のスペースだったそうです。荷物も布団と育児用品だけなので2畳でも何とかなったようです。
日中仕事をしている時は屋根裏に私を寝かせておき、仕事の合間に授乳をしていたようです。でも、ある時授乳の為に屋根裏に上がってくると私の頭の横にねずみが2匹いるのを発見!良く見ると私がしていたよだれ掛けのおっぱいが滲みたあたりがクルッとかじられて無くなっていたらしいのです。屋根裏ですからね...ねずみもいますよね...今考えてもキャーです
母はしばらくその店で働いていたのですが、栄養状態が悪かったのかだんだん母乳が出なくなってしまい、やむなく粉ミルクを買って飲ませる事になったそうです。
ところが、粉ミルクが異常に減るのだそうです。変に思ってある時隠れて見ていたら、何とその店の主人が粉ミルクを茶碗に分けていき自分達が飲んでいたんだとか。さすがに母も店の主人に抗議したそうです。 (母は強しですね) とりあえず、母が物凄く働き者だったので (母が自分で言ってた) そんな抗議をしたにもかかわらず辞めさせられる事も無く仕事は続けさせてもらったようです。
それから1年程過ぎたある日、店の奥さんが私を散歩に連れて行ってやると言っておんぶして出掛けたんだとか。母は有難いなと思ったもののその日は冷たい雨が降っていて少々不安になったそうです。その夜、不安は的中!高熱が出てギャーギャー泣く私。 病院に連れていくお金も無いし...と母は困り果てた。
でも、真っ赤な顔で泣き続ける私を見てこうしてはいられないと近くの小児科を訪ねたそうです。先生からは急性肺炎になってますよと告げられ入院させないと助かりませんよと言われてしまったのです。母は先生に事情を話し入院させるだけのお金が無いと伝えたのだそうです。
すると「お金はいいから入院させなさい」と言ってくれたんだとか。しかも、やせ細った母を見て先生は「あなたは栄養失調になってますよ」と言ったんだそうです。さらに、今のままの暮らしを続けるのは良くないので紹介してあげるから母子寮に入りなさいと言ってくれたんだそうです。先生は手続きも全部してくれて、お陰で私達親子は母子寮に入寮する事が出来たんです。その先生には本当に感謝していると母は今でも言い続けています。
私、今でもその母子寮の間取りが分かるんです。
母に言うとビックリするんです。「だってあの時まだ3歳ならない位だよ...」って。
でも覚えているんです。図に描いて母に見せたら全くその通りだったと言うのです。
自分の中では母子寮は泣いていた記憶が強いのです。屋根裏よりはいい環境だったのでしょうけど...。
朝、玄関のところで働きに行く母を見送るのが悲しくて毎朝大泣きしていた事を鮮明に覚えているんです。寮母さんにがっちり抑えられて追いかけないようにされていた自分の姿が目に浮かぶんです。だから、何歳になっても記憶が消えずに残っているのでしょうね...
子供でも辛い事、悲しい事は強烈に記憶に残るものだと思います。
出来れば小さい時にそういう思いをさせないで育てたいものですね...
こんな世の中だし大人達も本当に大変な毎日です...
でも、子供には罪はありません...
世界中の子供達が明るくのびのび過ごせる家庭であり世の中であってほしいと心から願っています。皆さんもそう思いますでしょ。
by まる子
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