石川県知事の谷本正憲は7期にわたり男性中心の県庁組織を束ねてきた。在職期間が現職最長に及ぶなか、職員はしきりに谷本の顔色を伺い、谷本は緊張感を欠いた言動を繰り返すようになる。コロナ禍に「無症状の方は石川県にお越しいただければ」と失言したかと思えば、「 4
人以下での会食」を呼びかけた裏で自身は90人以上で会食をしていた。権力を手中におさめる時が長くなるほど、仕える者は忖度の度合いを強め、為政者は傍若無人になっていく。ムードに流されやすい社会は、押し寄せる矛盾にも慣らされる。そんなムラで、谷本は長期県政を築き上げた。
金沢市内で暮らすイスラム教徒の松井誠志さん一家は、2001年の米中枢同時テロ以降、根拠もなくイスラム過激派との関係を疑われてきた。同調圧力の強い社会から受けてきた理不尽な差別。来日して 22
年の妻ヒクマさんは、永住権を取得したものの帰化はしていない。「国籍を日本に変えても外国人。日本では顔で判断されるから」。厳格なムスリムの目は、ムラ社会の矛盾をえぐりだしていく。
谷本による長期県政は28年で終焉を迎えた。8選出馬に前向きに見えた谷本の機先を制したのは、谷本の選対本部長を務めていた衆議院議員の馳浩。過去2度の知事選前には谷本の多選批判を展開し、対抗馬の擁立を画策してきた。「新時代」をスローガンに掲げ新知事となった馳だが、22年前の衆議院初当選時に掲げたのも「新時代」だった。
28年間カメラが捉えてきたのは、移り行く時代と変わらぬムラの男たち。「谷本 vs 馳」の権力闘争を紐解くと現れるキングメーカー森喜朗。権力移譲の過渡期に描く栄枯盛衰のコメディーは、この国の「男村」を動かしてきた正体を浮かび上がらせる。
日本国男村 |
石川テレビ放送 (ishikawa-tv.com)
外国人差別にも迫る
権力への忖度(そんたく)や同調圧力が強すぎる男性中心の「ムラ社会」に疑問符を投げかける石川テレビのドキュメンタリー番組「日本国男村」が、二十八日午後一時五十五分から放送される。七期二十八年の長期にわたった石川県の谷本正憲知事時代の県庁の様子と、差別を受けてきたイスラム教徒の家族の姿を対比させる演出で、ジェンダー問題を軽視しがちな現代社会に警鐘を鳴らす。(河野晴気)
番組はドキュメンタリー制作部兼報道部の五百旗頭(いおきべ)幸男副部長(43)が手掛けた。五百旗頭さんは前職のチューリップテレビ(富山県高岡市)時代に富山市議の政務活動費不正を追及した映画「はりぼて」で監督を務めている。今回は昨年五月放送の石川テレビでの初作品「裸のムラ」を基に、馳浩新知事誕生といったこの一年の石川県政の動きなども加えて再編集した。
番組では、県庁と金沢市内に住むイスラム教徒の家族を追った二つのパートが並行して進む。
県庁では知事を前にほぼ男性の県幹部が居並ぶシーンや、県議会の知事席で女性職員が飲み物の容器の水滴を入念に拭いて準備するシーンを象徴的に見せる。「石川に限らず、日本の縮図を表している。行政の唱えるジェンダー平等や女性活躍は上滑りしている」と五百旗頭さんは話す。
一方、家族のパートでは、インドネシアから来日して二十年以上の妻が、外国人やイスラム教徒への差別を感じながらの生活を語る。妻は永住権を得たが、日本国籍は取得していない。「国籍を変えても外国人でしょ。日本では顔で判断されるから」
後半は、新旧知事や森喜朗元首相の過去映像から、時に滑稽に映る権力者の言動を振り返る。五百旗頭さんは「権力を握る人の振る舞いは似ている。結局、同じことを繰り返しているのでは」と指摘する。
「ドキュメンタリーは堅苦しく思われるが、エンターテインメントの一つ」とコミカルな演出も意識したという。「番組を見る人によって解釈は違う。考えるきっかけを提供できたら」と話す。
男性の「ムラ社会」警鐘 あす放送
石川テレビ「日本国男村」:北陸中日新聞Web (chunichi.co.jp
)
適度な演出?で、異色のドキュメンタリーでした。
制作者自身も登場します。
やはりイスラムの家庭が興味深く、ウクライナと違って侵略されたパレスチナ人が抵抗するとテロとされるのはおかしい、
キリストの誕生日のクリスマスを祝わないのは当然といった率直な物言いが興味深かったです。
また、イスラム教徒の夫に対して、公安調査庁がスパイになるよう近づいていたことなども紹介されていました。
税金でやることではないとの、もっともな指摘です。
森、馳、谷本と地元の政治家を大胆に取り上げて、地方局なのに大丈夫かと思いました。
地方局だからできた?
権力の監視、腐敗や不正の告発といったジャーナリズムの基本姿勢が評価されたということでしょう。
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