PR
カレンダー
コメント新着
岡田 辞めてちょっと休んだ後、「指導者としての自分の限界を破りたい」と思って滅茶苦茶勉強しました。勉強といってもサッカーの勉強というより指導法の勉強、人間としての勉強ということで、いろんな経営者のセミナーに出たり、会いに行って教えを請うたり、脳や心理学などいろんなことを勉強したりしました。
怪しいこともいろいろやりました。空手や古武術、気功とか、占星術師のところまで行きましたが、ともかく何でもやりました。でも分からなかった。「自分が指導者としての殻を破るための“秘密の鍵”があるはずだ。それが何なのか見つけたい」と思って勉強したのですが、この秘密の鍵は見つからなかった。
僕は「また同じことをやるのはもういい。この秘密の鍵が見つかるまで、俺は絶対現場に戻らない」と思っていて、事実Jリーグのチームからいくつかお話をいただいていたのを全部お断りしていました。そんな時(2007年11月16日)、前日本代表監督のイビチャ・オシムさんが倒れられたんです。僕がJリーグのオファーを断って、「さあもっと勉強しなきゃ」と思っている時に倒れた。
そして日本サッカー協会の人が来て、「本当に大変な仕事だということは分かっています。でも、ぜひやってください」と言われました。僕は実を言うと、そのオファーをもらった瞬間に「やる」と決めていたんです。これ、理由は本当に分からないです。自分の腹の底から、「これを絶対俺はやらないといけない。逃げちゃダメだ。これにチャレンジしないといけない」とふつふつと沸いてきたんですね。
頭で考えたら、どう考えても割に合わない。そりゃあ5億円とか10億円をもらえるのなら別ですけど、そんなにくれるわけがないですし、「こんな割に合わない仕事、頭で考えたら引き受けたらいけねえ」と思うのですが分からないんです。「やるんだ。俺は絶対これをやるんだ」と思いました。
協会の人に「こんな大変なことをすぐに返事できないでしょう。まだ1週間くらい時間があります。考えてください」と言われたのですが、僕は言われた瞬間にもう「やる」と決めていたんです。でも、すぐに「やる」と言うと軽いでしょ、ちょっと(笑)。「分かった、ちょっと考える」と言って、2~3日して返事をしたのですが、家族もまさか僕がやるとは思っていなかった。
フランスW杯の日本代表監督の時に、家族もかなりつらい目をしましたから。そういう意味で「まさかやらないだろう」と思っていたのに僕は「やる」と言ったら、かみさんに「本当に引き受けるの?」と言われて「やる」。「えー」「やりたいんだ」「自信あるの?」「全然ない」「じゃあ何で引き受けるの!」とすごい怒られたんですけど、自分でも分からない。
「やんなきゃいけない」という気持ちだけで引き受けてから大変な仕事だと気付いたのですが、最初の仕事が南アフリカW杯アジア地区3次予選だったんです。Jリーグのシーズン明けで、そんなに準備もしていませんでした。「秘密の鍵も見つけていないのに、俺やっていいのか?」と引き受けてからそんなことを考えていたのですが、と言ったらまた叩かれますね。「そんな感じで引き受けて」と(笑)。でも、それが事実なんです。
●バーレーン戦で負けて開き直った
岡田 僕はW杯予選の難しさや怖さを知っていたのですが、もう時間が忘れさせているんですね。3次予選の相手(タイ、バーレーン、オマーン)を見たら「何とかなるだろう」と思い、今までの流れ通りでいこうとしたところ、最初のタイ戦(2008年2月6日)には勝ちました。
しかし、2試合目のアウェーのバーレーン戦(2008年3月26日)で、残り時間があまりない時(後半32分)にポロっと入れられてしまって0対1で負けた。まあ大騒動ですね。「バーレーンに負けたから、W杯に行けないかもしれない」といろいろ叩かれもしましたし、自分自身も相当苦しみました。
本当にのた打ち回るほど苦しんだのですが、「よく考えたら自分自身の腹のくくりがなかったから当たり前だ。W杯予選が大変だと知っているのに、何て俺は甘いんだ。しょうがない。俺はもう自分のやり方でやるしかない。秘密の鍵もくそもない。誰がどう言おうが今の俺にできること以外できねえんだから、俺のやり方でやるしかねえんだ」とその時に開き直った。
「開き直り」という表現は悪いかもしれないですが、これはある意味どんな仕事でもトップやリーダーになったら、一番大事な要素かもしれないですね。「監督の仕事って何だ?」といったら1つだけなんです。「決断する」ということなんです。「この戦術とこの戦術、どっち使う?」「この選手とこの選手、どっち使う?」ということです。
ただ、「この戦術を使ったら勝率40%、この戦術だったら勝率60%」「この選手だったら勝率50%、こっちの選手だったら勝率55%」、そんなもの何も出てこないんです。答えが分からないんですね、それをたった1人で全責任を負って決断しないといけない。
例えばコーチを集めて「お前どっちだと思う?」と多数決をとって、「3対2だから、はいこっち」と絶対いかない。全員が反対しても、たった1人で全責任を負って決断しないといけない。これがW杯出場が決まるかどうか、優勝が決まるかどうかという試合だったらとても怖いです。「この決断1つですべてが変わる」と思うと滅茶苦茶ビビります。考えに考えます。論理的に考えても答えは出ないのですが、必死に考えます。「相手がこうしたらこうだ。こうなったらこうだ」と考えても答えは出ません。
じゃあ「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。
●素の自分になって決断できるかどうか
岡田 じゃあ全部勘が当たるかというと、そう当たりはしないですね。でも、当たる確率を高くする方法があるんです。それは何かというと、「決断をする時に、完全に素の自分になれるかどうか」ということです。「こんなことをやったら、あいつふてくされるかな」「こんなことやったら、また叩かれるかな」「こんなこと言ったらどうなるかな」、そんな余計なことを考えていたら大体勘は当たりません。本当に開き直って素の自分になって決断できるかどうか、これがポイントなんです。
僕は座禅をやるのですが、座禅でよく言う“無心”。無の心なんて簡単になれないですよ、そんなもん。僕は自分の弱さを知っていますから、できるだけ邪念を入れないためにいろいろやります。
例えば、僕は選手と一緒に酒を飲んだりは絶対しません。なぜか? 酒を飲んでわいわいやって、翌日「君、クビ」と僕は言えない。仲人は絶対しません。仲人をやって奥さんやご両親知っていて「はい、君アウト」と僕は言えない。浪花節なところがあるんでね。だからあえて僕はそういう一線を常に引いています。
この前、ケープタウンでヒデ(中田英寿)がたまたま来ていて、「飯食いませんか?」と言うから、僕はちょっとほかの人と先約があったので「俺は人とここで食ってるから、もしよかったら来たら」と言ったら来たことがあります。酒を飲みながら話していて、「あれ、俺よく考えたら、ヒデとこうやって酒を飲むのは初めてだな。10何年間なかったな」と思ったくらい、僕は自分の中で一線を引いています。
僕も人間ですからみんなから「いい人だ」と言われたいし、好かれたいですよ。でも、この仕事はそれができないんです。なぜなら、選手にとっての“いい人”“いい監督”というのは「自分を使ってくれる監督」ですから。僕は11人しか使えないので、あきらめないとしょうがないんです。
選手でも日本代表選手にもなるとみんなしっかりしていますから、「監督、僕はこう考えていて、こういう風にしたい」とか「私生活でももっと自由にこういうことをしたい」とかいろんなことを言ってきます。
僕は聞きます。正しいと思ったらもちろん受け入れますが、そうではなかったら「俺は監督として全責任を負ってこう考えている。お前は能力があると思うからここに呼んでいる。お前がやってくれたら非常にうれしい。でも、どうしてもやってられない、冗談じゃねえというのなら、これはしょうがない。俺は非常に残念だけどあきらめるから出て行ってくれ。怒りも何もしない、お前が選ぶんだ」と言います。みなさんはご存じないと思いますが、つい最近もそういう事件がいろいろあって、その時もそういうスタンスを常に僕はとっていました。
そこで選手の肩を抱いて、「お前、頼むからやってくれ」「お前がやってくれたら」なんてことをやっていたらチームなんかできません。ましてや代表チームなんてお山の大将が集まってきているわけですから、とてもできないです。ある意味突き放したようなところがあります。
そりゃあ正直、(選手を落とすことは)やりたくないですよ。ジーコが日本代表監督の時、2006年ドイツW杯直前に久保(竜彦)をメンバーから落としたんです。その時、僕は久保が所属している横浜F・マリノスの監督だったんですね。久保が落とされた後、マリノスの練習場から帰ろうとしたら、たまたま駐車場に久保の家族がいて、久保には小さなかわいい女の子がいるんですけど、その子が「ジーコだいっきらい」と叫んでいたんですね。「ああ、また俺もそうなるんだなあ」と思い出しました。
ほかにも、スタジアムに試合を見に行ったら、じーっとにらんでいる女の人がいるんですね。「身に覚えがないなあ」と思って聞いてみたら、僕がメンバーから外した選手の奥さんだった。それは当たり前なんです、そうなるんですよ。それが嫌だったら日本代表監督なんてできないのですが、そういう意味でいかにいろんな雑念を払って、チームが勝つために決断できるかが大事です。
その時に例えば、私心で「俺がこう思われたいから」「俺がこうなりたいから」と思って、選手を外したとしますよね。これは一生うらみをかいますよ。ところが自分自身のためではなく、「チームが勝つために」という純粋にそれだけでした決断というのは、いつかは伝わるんです。そりゃね、みんな落とされた時は頭にきますよ。会いたくもないでしょう。
でも、「本当にそういう私心がなくやったとしたら、いつかは伝わる」と僕は信じているんです。そう信じないと中々できないんですけどね。外国人だったら自分の国に帰ってしまえばいいのですが、僕は一生この日本のサッカー界にいるわけですから、そういう奴らとまたどこで出会うか分からないわけです。そういう意味で私心をなくして、無心の状態で決断していかないといけない。
でも、どうです。無心になるために修行を積んでいるお坊さん、銀座でクラブの姉ちゃん相手にいっぱい酒を飲んでいますよ。そんなもんね、簡単に無心になんかなれないですよ。この俗物の固まりみたいな俺が無心になれるわけがないんですよ。ところが、手っ取り早く無心になる方法が1つだけあるんです。何かといったら、どん底を経験するんです。