かりん御殿

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November 2, 2003
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カテゴリ: 旧(ろば耳)
「結婚は恋愛の墓場」

「恋愛」という言葉から想像する感情には個人差があるので
この「ありそうな格言」が常に正しいとは言えないが
個人的体験から言うと、少なくとも
結婚は究極の「Passion Killer」なんじゃないかと思う。

「Passion」は、中国語では「激情jiqing」という。
ちなみに日本語の「情熱」と字面が似た「熱情reqing」は
「情熱の花」の「情熱」というよりも

とても「Passion」に該当するとは思えない。
日本語でも中国語でも「熱心」と書いても
別に「心が燃えている」わけではないのと同じ様なものだ。


さて、「結婚後にも恋愛感情が継続するか、どうか?」という問いの答えは
随分のところ、個人の恋愛体験に影響されるのではないだろうか?

非常に穏やかで優しい恋愛をしていた「情侶(カップル)」
幼なじみから発展した「情侶」
仲間・家族意識の強い「情侶」
性の相性が非常に良い「情侶」

ざっと思いついて挙げてみたが、この様な「情侶」は
結婚後も「結婚前の恋愛感情」を持続させる事が


だが、「激情的な恋愛」をしていた「情侶」は、どうだろう。
何て言ったって「激情」、「激」だ。
はたして、毎日、毎日、そんなに「激」していられるもんだろうか?
不可能だとは断言できないが
「激情」と「日常」ほど相性の悪い組合わせは無いのではないか?


「激情恋愛型情侶」達が、結婚後、取る道は二つ。
結婚しても「日常」と無縁に生きる。....か、
「激情」の「激」を薄める。

「日常」と無縁ま結婚には、色々な種類がある。
ざっと思いついたものだけで....

A.激動の時代型
(日常そのものが、激動の時代や社会での結婚)
B.実際に、殆ど一緒に暮さない型。
(何の為に結婚したんだ??)
C.お金の力で「日常」生活を解決する型。
(仕事はする必要が無いかラクで高収入・使用人多数)
D.結婚しても、互いの「日常」的な面を見せ合わない型。
(太らない。「おなら」を我慢する。......等。)

....などがあるが、
不可抗力的なAを除き、平穏な時代と社会で日常と無縁な
結婚生活を実現するには、かなりの条件や気力が必要になる。
よって、多くの「激情恋愛型情侶」は、
無意識・有意識のうちに、「激」を薄める様になるか
或いは、「激」すぎて燃え尽きてしてしまう。

「薄め派」が、結婚生活を継続させる事は可能だが
「燃え尽き派」は、離婚せざるを得ないだろう。

ただ、「薄め派」も、決して離婚とは無縁では無い。
例えば
「薄め派」が、新たな「激情」を発見した時
「薄め派」が、「日常」の重みに耐えられなくなった時
「薄め派」が、低温ヤケドをした時
「薄めた激情」が「憎悪」に変わってしまった時
....等々
やはり、結婚生活は、重大な試練を迎える。


☆☆☆☆☆☆

と...ここまで、エラソ~に書いたところで
夕食の仕度の時間になってしまいました~。(日常、日常^^;)
続きは、また、明日~。





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Last updated  August 28, 2004 07:07:38 PM
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