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原題の「What Lies Beneath」が、そのまま(たぶん、よさそうな日本語訳が見つからなかったのだろう)「ホワット・ライズ・ビニース」とカタカナだけに置き換えられた映画を観た。実はこの映画は前にも観たことがあったのだ。ハリソン・フォードとミシェル・ファイファーが出ているホラーサスペンスで、結構期待して観始めたのに、怖さは感じるものの途中でつまらなくなって寝てしまったのだろうと思うが、途中から先はぜんぜん覚えていなかった。なので私の中では「アレはくだらない映画」というレッテルを貼り付けたまま、今日の今日まで、もう一度観ることになるとは思っていなかったところに、クマイチが人から借りてきた。怖い!***ここからは少々ネタバレです。***ハリソン・フォード扮する遺伝子科学者のノーマンと、連れ子の再婚でノーマンと結婚したクレアことミシェル・ファイファー。田舎の大きな一軒家で何不自由なく暮らす一家からクレアの連れ子がボストンの大学に進学するため家を離れ、二度目の新婚生活を楽しもうとする2人。ある日、引っ越して来た隣りの夫婦の妻の様子がおかしいことにクレアが気づく。どうしても気になるクレアは「お近づきの印に・・・」と、手製のプレゼントを持って隣家をたずねるが、無愛想な夫に会えたきりで肝心の妻には会えず、隣家の様子を気遣っているうちに、ふとしたことから自宅で亡霊を見る。そのうち、亡霊だけではなく、クレアの周りには不思議な現象が次々と身の回りに起こり始めるが、クレアが常軌を逸し始めていると感じるノーマンはクレアに精神科医と面談させることにする。隣家の夫の不審な行動から、自分が見た亡霊は、夫に殺された隣家の妻に違いないとの確信を持ち始めるクレア。クレアの精神的不安が募るある日、道で会った隣家の夫に「私は何もかも知っているのよ、この人殺し」と叫ぶクレアに呆然とする隣家の夫。「どうしたの?」と声をかけてきたのは、その隣家の妻だった。ではクレアを苦しめる亡霊や、不可解な現象はいったい何だったのか?*****筋だけを考えるとアリエナイ(いや、どこかにはこういうこともあるのかも知れない)映画とは言えなくもないが、この映画の怖さというか怖がらせ方というのは、もう一度観てみるととんでもないレベルにあることに気づいた。最初にこれを観た時、どうしてそんなに天下泰平で寝ていられたんだろう。監督は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズや「永遠に美しく」「フォレスト・ガンプ」「コンタクト」のロバート・ゼメキス。学生時代から特殊撮影に全身全霊をかけて打ち込み、かつては売れない映画監督だった彼はマイケル・ダグラスに請われて「秘宝の谷 ロマンシング・ストーン」でやっと陽の目を見る。この「ホワット・ライズ・ビニース」では、画面から迫り来る恐怖というものを音と映像でこれでもかと放ち続けるのだが、ロバート・ゼメキスとしては「この映画を今、ヒッチコックが撮ったら」という視点を常に持ち続けていたらしい。ヒッチコックの時代には使われなかったCG効果を多用し、もしもヒッチコックがCGを使えていたら絶対にこの角度からこんなふうにこの映画を撮るだろうというオマージュを注ぎながらも、それを現実のものとして実際に世に出したロバート・ゼメキスはやはりその道の一流の監督ではないかと思う。ハリソン・フォードもこの頃には結構若い女が好きでやに下がったオッサンの評判が定着していたと思うが、この映画を考えると配役としてはぴったりだったのかも知れない。ミシェル・ファイファーは私がいちばん好きな女優の一人だし、特にこの映画の中での彼女のファッションは家の中の部屋着から、パーティに出かける時の外出着まで、どれも自分好みで目の保養になった・・・但し、怖くて彼女が叫ぶシーンを除いては。(笑)ただ、映画全体を見て言えば、この映画にはこの主役2人でなくてはならないという人選ではなかったとは思う。それに、オチがものすごくうまく考えてある映画だとは言えないので、この映画はプロットを楽しむというよりはヒッチコックやブライアン・デ・パルマを頭のどこかに置きながら観るのがおもしろい。体温を下げてくれる映画であることは太鼓判。また、この映画は劇場向きというより(劇場で見たらこれは絶叫のるつぼかも)DVDやビデオでもう一回大事なところを戻して観てみたほうが絶対におもしろい。監督なりのこだわりの箇所が随所にあって、そこをもう一度確かめながら観るといろんな発見が結構あるし、今回は私も続けて2回観た。原題の「What Lies Beneath」という表現は実はダブルミーニング。これは「Lie」という単語の意味にかかってくる効果なのだが、1つは「何がその下に横たわっているか」という意味。そして、もう1つは「どんなウソが隠されているのか」という意味。猛暑が続く日本の皆様の熱帯夜にとりあえずオススメの一本。あ、但し一人で見ないほうがいいです。(爆)
2005年08月08日
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この前からかなり気になっているモノがある。ここを読みに来て下さっている皆さんはチョー・ヨンピルをご存知だろうか?80年代かなぁ、日本でもあちこちの歌謡番組にも出ていたし、「釜山港に帰れ」は日本でも大ヒット。日本では演歌歌手と思われがちなチョー・ヨンピルは、本国である韓国ではどちらかというとロック寄りアーティストと受け取られていたのは話には聞いていたが、それにしてもあれから20年前後も経ってしまい、彼は彼で韓国の一つのレジェンドの地位を築いてしまったに違いない。この23日には、彼は北朝鮮でもコンサートを行うという記事を見ていて、それがどんな感じだったかを知りたいと思っていたら、中央日報と朝鮮日報には記事が出ていて、北朝鮮での視聴率は17.4%を記録したとも発表されていた。(しかし、北朝鮮でテレビがある家なんか、まだまだないはずなのに・・・このコンサートに来ていたお客さんも、日本人が好きなコンサートに自由に行けるのとは違って、いわば命令で「今夜、行ってきなさい」と指示を受けた政府の高官の一家なんかではないのかと思うが)報道では、最初はそういうコンサートでどのような反応をしていいかわからないと見える聴衆に、チョー・ヨンピルもいささか調子が狂ってしまう出だしだったようだが、最後には北朝鮮の人たちもチョー・ヨンピルの熱唱に落涙していたのだそうだ。(私も聴きに行ってみたかった)さて、このチョー・ヨンピルが日本でヒットを飛ばしていた当時のアルバムを何枚か聴いたことがあった。私は非常に彼のアルバムを気に入ってしまい、カセットに録音して結構何回も聴いていたし、実際によくカラオケでも歌っていた。それらのアルバムの中に、彼のさまざまな歌の中でも白眉の1曲がある。タイトルは「恨五百年」。この曲をご存知の方があるだろうか?この間から、ヒマがあるとこの曲のことを調べていた。韓国は恨(ハン)の国と称されることがよくあるが「だから反日感情が強いのか」という短絡的な考え方をするのは正しくないと思う。韓国言うところの「恨」とは、その漢字の直接の意味である「怨恨」と考えるより、むしろ痛切さ・悲哀・寂寥感・無常観・・・そういうものがもっと深いところでないまぜになった言葉だという解釈が当たっている気がする。この「恨五百年」の「恨」についてだけでも2説あるようで、文字通りの「恨」が500年続いているという説の他、この「恨」は数を表していて、単に「約」と同じような意味に過ぎないとしている説もあるそうだが、もともとこの歌の成り立ちは朝鮮八道のうち、朝鮮半島中東部にある江原道の民謡がもとになっているらしい。その「恨五百年」をチョー・ヨンピルが原語で熱唱しているのを聴くと、意味はまったくわからないというのに体の中心から外側にむけてぞわぞわと総毛立つのを何度も感じた。とは言っても、それを最後に聴いたのはもう20年近くも前だから、このところ急にこの歌を思い出し、調べれば調べるほど、また聴きたくてたまらなくなってきた。チョー・ヨンピルのこの歌唱は、韓国の伝統芸能とも言えるパンソリの歌唱を少々取り入れているらしい。こう聞くと、今度はやっぱりパンソリ自体にも興味が出てくるのも当然だ。もともと、パンソリがどういうものかは前から知っていた。1人の歌い手と1人の太鼓の鼓手がペアになって繰り広げられる語りのようなパンソリは主に朝鮮半島南西部、全羅道で主に語り継がれてきた演唱、口誦で、昔は1枚敷いただけの筵を舞台として、民衆の感情を音楽物語のように演じるという大衆芸能だ。ちょっと聴くと、日本の浄瑠璃や浪曲にも似ている気がするし、民謡にも演歌にも通じるところが確かにあるように感じる。歌い手は、部分によっては太鼓のリズムで歌い、太鼓のないところではつぶやきのように語るが、ところどころはコミカルな愚痴めいた言葉も挿入されたりで、少しずつ時代によっても内容は変わっていくのだろう。最初に聴いた時には「なんだ、これ」と思ったが、言葉がまったくわからないにも関わらず、なんとなくそこにこめられた悲壮感や情念がなぜか感じられ、パンソリもまた一つのソウル・ミュージックだったのかというのがひしひしと伝わってくるのだ。近年、パンソリがまたクローズアップされてきたカギとなったのは93年の「風の丘を越えて ~西便制」という韓国映画だったようだが、この映画は観よう観ようと思いつつ、まだ今に至るまでその機を得ていない。次に日本に戻ったら絶対に借りてみなければいけないのだが、父が血の繋がらない娘にパンソリを厳しく教え込むという映画らしく、この映画が評価されてパンソリ自体がまた脚光を浴びるようになったということだ。私自身は、やっぱりいつかは「春香伝」と「沈清伝」のパンソリは絶対に生で聴いてみたいものだと思っている。今日、思い切り探して久しぶりに聴いてみたパンソリ。このページを開けると、エンコードが日本語のままだと文字化けして漢字ばっかりのサイトになっているが、韓国語にエンコードしてもどうせ読めないのだから気にしなくてもいい。(笑)文字化けオンパレードの下に緑色のハングルが並んでるが、そのうちの上から4つは画像つきでパンソリが聴ける。興味のある人はそう多いわけではないと思うが、こういう音楽もあるということで。
2005年08月25日
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