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2002.7.以前
タイトルがずばり私のいつも思っているとおりだったので本屋で見つけ即、買ってしまった。
映画館に入り、時間になりブザーが鳴って、次第に暗闇に包まれ、静寂が訪れた時…衝撃的に始まる予告編の数々!ぞくぞくする瞬間!いつしか映画を観に行く時、本編の前のあの緊張感を期待するようになっていた私。
この本は映画の予告編が、何を目的として、どのようにつくられているのかが予告編会社の社長である著者によって自らの経験や携わる人々の声を集めて語られたものである。
それによれば、実際、予告編とは本編と全く別物でそれ自体がひとつの作品である。しかしそれ自体でお客を満足させてしまって続きを観ようという気にさせるものでなければ意義がない。あくまでも本編にお客を呼び寄せるものでないといけない。仮におもしろくない映画でも面白くみせなければいけない。予告編につられて本編を観たらがっかりだったというのは実は予告編製作者にとってはうまく予告編ができたと喜ぶべきところなのかもしれない…予告編と本編とは構成もまったく別、予告編では本編を素材として「売り」のシーンをつくっている…
なるほど…そういうことだったのね。あのわくわくはこうやってつくられているのね、芸術でもあるけれど広告ビジネスでもあったのね…なんだか日頃の思いに理論的な裏付けを得たようですっきりした!映画作りや映画興行の裏方のこともいろいろわかって楽しかった。著者が女性であり、映画が大好き、映画文化を後世に伝えていきたいという強い意志をもった人であるのも興味深い。
残念なのは本編と違い、予告編はこれまで作り捨てられてきて昔のものは残ってないとのこと…あればいろいろ観たかった…
ところで著者の会社「バカ・ザ・バッカ」は予告編を流すカフェを全国で4ヶ所オープンしているのだそうで、一度行ってみたい!
「女は生きる ひとのためならず」 岸本葉子 講談社プラスアルファ文庫
著者が東大卒で美人となると私などつい、堅苦しくて難しいのでは…、いや自分とかけ離れた華やかさに圧倒されてしまうのでは…とひいてしまうところだけれど…
この人の本はどれも肩のこらないおもしろいものばかり。しかも今すぐにでもおしゃべりできそうな親しみやすさまで感じてしまう。語り口も淡々としているが冷たいのではなく、むしろ少々おっとりした感じ…
この本も人生について結婚・仕事・親子関係・日常生活・女性であること・自分とは…など身近な視点から語られている。
だから、「そうそう、そうだよなー」「こういうことってあるよなー」とうなづいているうちに読めてしまう。
しかし、要所要所に人生の虚無感というのか、からまわりする心の動きや孤独についても核心をつくことが、さらりと書かれているのだ。どろどろと自意識に埋没して書いていないところがすごい!よけいこちらはしみじみしてしまうのである。
たとえば、結婚しても人は究極的にはひとり、生きること自体が寂しいことである、それでも結婚するのは「いっしょに家で何かさりげないことをしているのを」みたいからで、そのような月並みな人生の中に寂しさを癒すことができるものがあるのだろう…という(ある小説を引用しながら書かれている)くだり。OLを辞めて多くの旅をしたが、「人間、物理的な移動が、ものをいうわけではないな」、逃避していたのではと悟るくだり。
それにしても女の人生は選択枝が多い。いつのまにかこういう方向にきてしまっていた…ということも多いが。(それも一興だと思うけれど)男の人生はわりと単色だものね。どっちがよいかはお好みとして、くれぐれも「私の人生何だったの?」ということにはならないようにしたい!
「メイド・イン・ロンドン」 文春文庫 熊川哲也
私は昔からバレエにあこがれていて…HPで顔を見られてないから恥ずかしげもなく堂々といえるわけなんだけれど。
子供時代、本の世界へのとびらを開けてくれたのが外国の少女小説であって…バレエを題材にしたものもあったからだろう。「赤い靴」なんてドラマもあったし。
まだ実際舞台は2回くらいしか見ていないんだけれど(それもかなり前、メジャーなバレエ団ではない)とにかく本や映画ともまた違う非日常的なあの美しい世界に時々とび込みたいと思っているの。(もちろん観客としてよ)も少し余裕ができたら、バレエ鑑賞少しづつはじめるつもり。
と前置きが長くなったけれど、この本では熊川哲也が生い立ちやバレエ歴、バレエへの思い、これからの夢など自ら語っている。写真もところどころに織り込まれていて、英国バレエ団のトップダンサーになった経緯、英国での生活や恋人のことなど関心深く楽しめた。
しかし私にとって最もインパクトが強かったのは、彼が自分にとってバレエは仕事、「この次踊ってみたいものは?」と聞かれても「そんなものないです。」と答えざるを得ない、しかし本音はバレエを愛していると言うところだ。
確かに芸術は何もかも包み込んでしまうほど崇高ですばらしいものかもしれないけれど、虚無的なくらい冷静になっていないと目をくらまされてしまう、のみこまれてしまうような魔力ももっているのでは。天才が言うから生きてくる言葉かもしれないが。
次元が違うとは思うけれど、この言葉が日頃の自分の思いになぜかつながっていった。…「どうして働くのか」の問いにまず「生き生きしたいから」とか「自己実現のため」と答えるのは(女性に多いかな?)私にはちょっと抵抗ある。「食べていくため」と言い切りたい気がする。…何かに(はっきり何とも言えないけれど)目をくらまされないように。
「ガラスの天井」 集英社文庫 辻仁成
辻仁成の作品は江國香織からたどって「冷静と情熱のあいだ」から読み始めた。だから出会ったのはまだ最近。でも「孤独を埋め合うために人は出会い、別れの中でもう一度、人間は一人で強く生きることを学ぶのでしょう。」という言葉にうたれて「恋するために生まれた」も買って読んだ。(この題買う時なんだか恥ずかしかった。「このおばさんが…!?」と思われたかも。)あとはまだ「ニュートンの林檎」を読み、「目下の恋人」を読んでいるところだ。
鮮烈なのは別れた女性や決して思いの伝わらない女性を忘れられない…青春の影をひきずって少しふがいないようだが真摯で繊細な主人公…一見はかなげだがしんの強いひたむきな女性…もちろん美しくて(それも少女や少年のようで、あんまり女女していない)…
私などそんなに強く思われたことないので、単純にうらやましい、そんな女性に私もなりたかった…とかそういうことがこの世にはありうるのね~などと思ってしまうが…青春の光と影をはらみつづける人生もせつないけれどそれがたまらず…物語に吸い込まれていく…自分も自分の都合のいい物語をつくって(心の中でね)盛り上がってしまう…
「ガラスの天井」は10年前に書かれた初のエッセイ集で自身、「小説家辻仁成のゼロ地点を物語る参考書のようなもの、心の原点」と語っている。
果たして自分は誰なのか?からはじまって人との出会いと別れ、愛の遍歴、家族などについて書きながら、自分とは何か、孤独とは何か、生死とは何かなど根源的なことを模索している。(私結構こういうエッセイ好きだ)
25歳くらいの時、過ぎ去っていく青春の一時期を小説などに残したくて朝から夜まで一日ずっと駅の改札に立っていたこと(こういう雰囲気なぜか寺山修司を連想してしまう)太宰治の「人間失格」を折りにふれて読んでいること、音楽活動のこと…などまさに青春をはらむエピソードも印象的でおもしろい。
この本を読むと辻仁成の創作の源が感じられる。軽薄な言い方になってしまうけれど、文学に対して真剣で硬派だと思う。この10年でさらに恋愛、結婚など経験は多彩になってきたけれど。これからもどんどんこの人の作品を読んでいきたいと思っている。
「美人へのレッスン」 講談社 プラスアルフア文庫 斎藤薫
「きれいになりたい」という願いはいつの時代もいくつになっても衰えることのないもの。世はまさに美容整形ばやり。アクチブな友人も医療と美容のすれすれの歯列矯正やほくろとりをばしばしやってがんばっている。
私だって…昔はまさか結婚して子どもができて大きくなって、それでもまだきれいになりたいと思い続けるとは思わなんだ…でも若いうちはそれだけで価値あるけれど歳をとるごとに意識していないと悲惨になっていきそうな(もうなっている?)今日この頃…これからこそおしゃれが必要なのよ!
…というわけで恥ずかしながら買ってしまったこの本。こういう本って結局は心をきれいにして自分なりにきれいになりましょうっていう結論で終わることが多くもの足りない。それくらいならばりばりのハード論、究極のメイク方法で技術を身に付けたほうが…などと思うのだけれど…この本はずばりなかなかおもしろかった!
著者は女性誌の美容ページを担当後、美容ジャーナリストとしてエッセイ連載、化粧品アドバイザーなどをしている。
この本のなかにも確かに心のもちようがいかに大切であるかが書かれている。が、美しさについての分析が実に知的な感じがして斬新だった。「人間なら誰でも持っている最低限の負の感情を、包み隠して社会に挑む頭の良さ。これが必要なのである」などという表現、意味深で鋭い!
そして日常の心がけも大きなテーマと頭を使った小さな工夫がバランスよく配合されていて読んでいて飽きない。技術論・精神論のどちらかだけにかたよっていない。
ちなみに「20代の美しさは心が前向きか後ろ向きか」で決まり、(なんか納得できるものがある。私なんか卑屈で後ろ向きだったのでとっても後悔している。)
「30代はオバサンと呼ばれて「ハイ」と答えてしまうと美しさへの目覚めはもう永遠にやってこない」んだって。
40代から先は「「女の現役」という意志の強さが美しさを生むわけだが、ここに夫との関係が大きく影響する。片手に愛、片手に女をしっかりもっていれば光り輝いているはず」なんだって。
さあこれから、遅まきながらきれいになるべく努力しよっと!
「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」 集英社刊 江國香織
江國香織の世界はやっぱり魅力的だ。
日常が現実的に淡々と描かれ、読んでいると洗いたての白い木綿にひんやり包まれるような感触がする。さらさらと物語が織り成されていく。なんだか心地よい。
この物語も主人公の9人の女性たち…花屋のオーナー、雑誌編集者、モデル、主婦、アルバイト、OLたちが結婚したり、離婚したり、不倫したり、恋したり…と日々それぞれいろんなことを考え、感じながら暮らしているさまが描かれている。食事をはじめそれぞれの日課や生活スタイル、好み、考え方が自然に写しだされている。さまざまな感情、情熱も冷静も打算もあきらめも織りまぜながら日々は過ぎてゆく。
しかし私はこのゆらめくようなとりとめなさの中で忘れることのできない表現や情景にとらえられてしまうのだ。
たとえば、主人公のひとりである綾。彼女はかしこくて小柄な美人の主婦で小学2年の男の子がいて、もうひとり子どもが欲しいと思っている。ある時、公園のベンチで本を読みながら、小さな女の子が母親に手をひかれ、階段をのぼってくるのを見てふと心をとらえられてしまう。
「私もあんなふうだったのだ、と、綾は思った。(中略)いまだって、あのころとさして変わりはないのに、誰もそう思ってくれないのだ、と、思った。慎一(夫)も裕一(子ども)も誰もだ。綾は階段をのぼるのにあんな風に手を貸してくれる人物を、自分がいまだにどこかで必要としていると感じたことにおどろいた。」
本筋に影響のないはずのなにげない場面であるが妙に心にやきついている。
人間が孤独にめざめる瞬間、ひとりでに思い知らされる言いようのない孤独感が的確に表現されていると思う。そしてたぶん誰もがそのような時をむかえた記憶をよびさまされる懐かしい光景の描写…
また、別の主人公で家のことはまかされながらも、夫に庇護されているという感じを心地よく思う陶子。犬の散歩の時知り合った不器用で野暮ったい男と不倫し、友人とのランチでそのことについて思いめぐらす。
「 会いたいとか触りたいとかそばにいたいとか、相手に必要とされると私は欲望をおさえられない。もっと必要とされたい欲望、すっかり奪われたい欲望だ。」
誰かに必要とされたいという人間の欲望が端的に切々と表現されている。
人間は孤独、でもだからこそ誰かを必要とし、誰かに必要とされたいというのは痛切な願いだ。それが、江國香織の世界にはさりげなくこめられている。
きらめく刃のように、真実が。モノクロの情景写真に切りとった一瞬のような永遠、永遠のような一瞬に。
「私の部屋」 主婦と生活社
最近買ってないし、立ち読みもしていないけれど、たぶん、内容は変わっていないだろう。
カントリー調メインのインテリア雑誌。
3年くらい前1年間くらい買っていた。
私はおそろしく整理整頓の苦手な人間。読み始めたのはいったい何がきっかけだったのか。覚えていない。
とにかく私の半生の辞書に自分の家の部屋のインテリアなんていう言葉はなかったのだ。
ばりばりのアメリカンカントリー、アメリカンドールやパッチワークは好みではないけれど、カントリーテイストというのは親しみやすくてインテリア初心者の私にも楽しめた。もちろん(?)あくまでもシュミレーションね、実際の部屋の中はまったく変わらずだったわ。
モダン系の雑誌なんかだともう私のセンス(?)などでは想像にもおよばないような斬新であかぬけた感じ。とても自分の家では現実化しそうにないインテリアなので見るだけで楽しんでいた。
だから「私の部屋」を買っていたわけである。
でもいつしか気づくと、私の生活圏のそんじょそこらのレストランやホテルのインテリアが妙に雑にさえ感じられてくる。
そうなのだ。親しみやすいはずの「私の部屋」に出てくる世界、
実はすごいのだ。プロはだしなのだ。写真のとり方もうまいのかもしれないが、明らかに人さまの所帯じみているのに、そこらへんでみる商業インテリアよりずっと凝っていて力がこもっているのだ。
つぎつぎ展開される収納やディスプレイの大技小技。団地やマンションでの広く見える部屋作りのコツ。生活を楽しく素敵に…のイメージ作り。
素人でもこんなふうに部屋をつくれるのね~これまで私は夫や子どもをなんてかわいそうな目にあわせていたの?…って感じ。
そして世の中こんな世界もあったのね、今ごろ知ったわと目からうろこがおちた。
しかしさらなる発見が…ぞぞぞっ!
いろんなほかのインテリア雑誌や主婦雑誌を見ていて…あれ、何かこれ見たことあるなあ~もしや、こないだの…と心当たりの雑誌を出してくると…そう、そうなのだ。あっちにもこっちにも自分の家の部屋やアイデアを掲載している人が結構いるのだ。
メジャーなんだけれどマニアックなこの世界…すごい気合!
そういうすごさを感じ、そのへんからもうすーっとひいてしまった…のめらなくなった。
この感覚、そうあかぬけしない地方のダサい学生時代の私をもよびさます…お嬢様ばやりのあの頃の…
「ViVi」とか「CanCan」みたいな雑誌を初めて見て、「都会の女子大生はおしゃれで華やかなのね~私ってなんてダサいの」…なんて自分をみじめに感じてしまっていた。
でもこれでもかこれでもかとお洋服合戦みたいなこと見ているうちに、すーっとさめてきて「しょうもな」としらけて雑誌も見なくなっていたのである。(いまなら若い子のそういうのを目の保養って感じで素直に楽しむかも。)
この2つは似て非なることかもしれないが…なぜしらけてしまうのか、この私。
お嬢様華やか女子大生に対しては「べつに自分のかせいだお金でその洋服買ったわけでもないやろし」って感じだったが。
インテリアに関しては…気迫におされるのかな。オーラというのか。限りなくプロに近い素人集団の。プロと素人の境の絶妙さはスリリングでおもしろいが…プロと素人とは歴然と違う。素人の極みというのにはどうしても一抹のむなしさを感じてしまう。自己満足の範疇で極めているのはいいけれど。だからひけてしまうのか。
「Miss You」 文春文庫 柴田よしき
主人公は東大卒の文芸編集記者、26歳の有美。とりたてて目立つ才能があるわけではなく、ちょっとかわいいが、おとなしめ、天然ボケ気味の女性である。おくてながらもやっと恋人もでき、結婚への期待にときめきつつ、仕事にも生真面目にとりくんでいる。
そんな彼女が、同僚の事件に遭遇し、自分も狙われ始める。そうして作家たちとの関係や、自分の過去をも巻き込んで展開していくミステリー。テンポのよい2時間ドラマを見るように一気に読ませてくれる。
社会の裏側、アングラな世界も含め錯綜した人間関係、複雑な心理は混沌としたものなのにさばさばと描ききってある。
若い平凡な女性が事件に巻き込まれ戸惑いながらも、必死で立ち向かって自分も成長していくという物語、古典的だが私けっこう好きである。この作品も有美がおっとりして平凡であるところが好き。そしてその平凡ないわゆる普通の女性の視点で物語も書かれているので(東大卒で雑誌記者なんて実際にはすごそうだが)最近ではめずらしく自己投影して読めた。
内容は人を陥れる仕組みができあがっている世の中や、自分が無意識のうちにどれほど人を傷つけているか、恋愛のはかなさ、さまざまな恋愛のかたち…など重いものだったけれど。
著者の作品には他にも若い女性をヒロインにしたものがあるが、
体当たりの女刑事村上緑子のシリーズもとてもおもしろい。
「小説家の休日」 集英社文庫 阿刀田高
「いまだ死せず」というところに著者は出版社から依頼されてつづった自分の死亡記事のことを書いている。
「…おおむね臆病な良識派、感情に溺れることは少なかった。(中略)自らをドロドロにしても人間の心の闇をさぐる、というタイプではない。」と。言いえて妙である。
日常に潜む恐怖ものなど描いていても、著者と作品のあいだには一線が画されている。著者自身には洗練されたイメージがある。情より知の人という感じである。しかし、冷たくはない。エッセイにはユーモアとなごやかな感じがあふれている。
この本にも著者の貧乏時代のエピソードや日々雑感、社会分析をふくめながら、読書の楽しみ、文学の魅力、創作秘話などが楽しみながら落ち着いた感じで語られている。
そう、私が惹かれるのはやはり著者が普通の勤め人(国会図書館…私あこがれていた。)から、すぐれた書き手になってもずっとひとりの読み手であることだ。本を楽しむプライベートは私たちといっしょだ。(おこがましい言い方かな?)だからこの題名なのだろう。つたない読み手のひとりとしては、すぐれた読み手の書いた読書の楽しみについての本はとてもおもしろいのだ。
さてさきほどの死亡記事のなかで特に心に残るところ…
「何年か生きれば必ず生きた痕跡が残ります。(中略)一番いい例
が子孫でしょうけれど、作品とか、業績とか、思い出とかもね。それが生き残った人たちの目に触れ、胸に甦り、語られたりしている限り、心臓が止まっても、それを残した人はまだ死んじゃいないんです。」…私もしみじみそう思う。
「ミッフィーどうしたの?」 講談社 ディック・ブルーナー
シンプル・イズ・ベスト!まさにディック・ブルーナーの絵本の世界だ。
厳選された最小限の色や線や形が生み出す表現の意外な豊かさ。すっきりと鮮烈なイメージ。詩的でユーモラスな物語。ほのぼのしてほほえましい。
しかし、それだけではない。逆説やちょっとななめな見方も好きな私。ミッフィーの世界に漂う何となくシニカルな雰囲気がとても好きだ。
無機質なほどの登場人物(登場うさぎか?)の容貌。淡々とした動き。どんな感情表現も静的だ。でもそれが逆に意味深い、ふくみを感じる…というのか。
たとえば、この「ミッフィーどうしたの?」ではミッフィーのたいせつなくまちゃん(ぬいぐるみ)がいなくなってしまう。
あわててみんなにつぎつぎと聞きに行くミッフィー。「さあ?知らない」と答えるみんな。
ミッフィーのみんなに聞いているときの後姿、困っているはず、かなしいはずだけれどなんかしっかり現実を受け止めているというのか…
みんなは決して冷たくないんだろうけれどつぎつぎと知らない、知らないと言っている場面のくりかえしに(かなしそうな顔をする人もいるが特にいっしょに探そうといってくれる人はいない。)
妙に人の孤独感が浮き彫りになってくるというのか…(人じゃなくてうさぎだが)
物語はいつもハッピィエンドであたたかく終わるがなんだかとても哲学的だ。
「お目にかかれて満足です」 集英社文庫 田辺聖子
田辺聖子の小説大好きだ。
大人の恋愛、男女の機微、人生について…考えたい時、楽しみたい時、ひたりたい時、いつも聖子ワールドにとびこむ私。
すると物語の世界にいざなわれ、旅に飛び立たせてもらえる。
時間も空間も超え、登場人物が織り成す世界へ、解き放たれた自分を感じる。まさに読書は旅。
田辺聖子の出発点は大阪弁でサガンのようなロマンチックな恋愛小説を書こうというものだ。恋愛や人生の楽しさせつなさをユーモアでつつみこみながら、物語が紡がれていく。
落ち込んで行き場がないような時も帰るところに帰るべく、身ひとつで逃げ込んでしまう私。
心が弱っている時、ふととびこんでいくと、ユーモアでくるんだせつなさが心をとらえて、本当に読みながら泣き笑いしてしまうこともある。それでも読み終わった後、快くなり、元気がわいてくるのだ。
「お目にかかれて満足です」はそんな田辺作品の中で、目下一番好きな作品である。これまで折節何度も読み返してきた。20年ほど前に書かれた作品であるが、いつ読んでも新鮮で新しい発見ができる。人生の要所要所で読むとその時なりの感慨が持てる。
ヒロイン・るみ子とその夫・洋の物語。
るみ子は32歳。編物や手芸、料理をつくって人をよろこばせるのがとても好き。それで夢を紡いでいる。ちょっと頼りなげだが、こよなく洋を愛しており、洋といちゃついて暮らすのが楽しくてたまらない。洋もちょぴりわがままだが「おもろい男」で、るみ子に甘えている。(洋は私からみてもなんだか愛すべきキャラクターだ。)子どもはおらず、ふたりは神戸の坂の上の洋館で暮らしている。
るみ子と洋との生活がるみ子の洋への思い、ふたりのやりとり、愛情をこめた料理のことなどを通じて描かれていく。
しかし、るみ子が編物や手芸を少しづつ仕事としてやるようになってから、いろんなことが変化していく。
ますます夢や希望にみちてくるるみ子。自分だけの世界を作り始めるるみ子にとまどう洋。
私はるみ子が洋を愛しつづけながらも、男女の関係に疑問を持ったり、限界を感じながら、自分にめざめ、自分で考え、自分で行動していく、自分の世界を築いていくプロセスに強くひきつけられる。
今回は特に自分の今の状況と照らし合わせてか、男女の考察に言いたいことが言い当てられていて心地よかった。
るみ子は「洋といるだけで楽しい、生なりの自分が出せて楽しいとは、何という幸福なことか」と思うだけでは生きられなくなってくるのだ。
そしていつしか洋が気持ちよく仕事をさせてくれないことにだんだん腹をたてるのをやめてしまう。
それは、「男は非論理的で偏見の大家で、無理解な存在」であることに気づき、「男から見れば女もきっとそうみえる」ことに気づいたから。
「赤の他人とか友人同士であれば、性差からくる違和感をもてあましつつも、あゆみ寄る礼儀を示すだろうが」、夫と妻というのは、「いちゃつくのでなければ、(なんでこの道理がわからないのか)と腹をたてあう、まさに両極端の仲になってしまう」と思うから。
それでも洋が好きで洋がいなければ何をしても無意味と思うのだが。
そして「女は、社会のしくみのおかげで、男性研究や、男と女のかかわりの考察をようくゆきとどかせないといきのびてゆけないようになっているが、男はそんなものは要らない」「夫婦について考えると、どうしても、社会のしくみに思いをいたすことになってしまう」のだ。
ところでこの物語の中にはもうひとつの大きなテーマがある。
るみ子と洋の弟・舷との微妙な関係。
舷はぶっきらぼうで気難しそう、高野豆腐のもどし方のように注意をはらって関係をつくらなければならない。洋とは違うタイプ(舷もしぶくて素敵!)だが、「生きる喜びを挑発する」ようなスリルを感じひかれるるみ子。舷の方もるみ子の料理を好み、作品に関心を持ち、うれしい評も述べてくれる。船乗りの舷は陸に帰ってくるとき、ときどきるみ子らの家に寄る。舷とるみ子のやりとりは静かだが、何かをはらんでいる。その場面を読むのが楽しみな私。
そしてこのるみ子と舷のいくつかのやりとりやるみ子の舷への思いを重ねて衝撃のラストシーン(でもなぜか自然)が…
人間の不思議さ、奥深さ、本当の人間の自由、自由の魅力…それらが、凄みがあるのに自然にしみとおってくる描き方!何ともしぶい。聖子ワールドの裏バージョンなのだ。
「五感生活術」 文春新書 山下柚実
シンプルに生きたいといつも思っている私。
たとえばネットの世界もすごいと思うが、本や絵や音楽などシンプルなサイトは本当に奥深く素敵だと思う。時空を越え、お互いが交歓し、作り手にも受け手にも想像・創造の余地がある。本を閉じて思う…絵が目に焼きついて残る…音楽がふとよみがえってくる…なんかその余韻や記憶をひとりで味わったり、楽しんだりする時間が好きだ。
実は私、携帯電話も抵抗感じて持っていない。
どこでも電話している人みると、何でこんなところで?いつでもリアルタイムで思い立った時、人と関係を持たねば不安なのかな?自分にはいつでも必要としてくれる人がいるということを常に意識していたいのかな?などと思う。
私だってもちろんそうなんだけれど。強がっているだけかもしれないけれど。
でもひとりでその人を思う気持ちやうれしかった言葉を何度も反芻して楽しむ時間もやっぱり大切だと思うのだ。
待つ時間にも余白の美というのか、何かが生まれてくるのではと思う。
過剰なまで便利な情報化社会だが、物そのものも含めてこのままこんな世の中が続いていくわけがないような気がする。人間が本来持っている生きる力も弱っている。が、それを呼び覚まし、鍛えていくことが人間が生きのびる最後の手段であると思う。
前置きが長くなってしまったが、この本には五感について、いかに人間にとって必要なもので、今や失われつつあるが、これからどのように取り戻していったらよいか…が日常生活のレベルでわかりやすく書かれている。
たとえば、臭覚について。
「匂いを嗅ぐ、ということは、記憶の引き出しをたくさん作る、ということであり、ささやかではあるけれども鋭くて深い感動を、人生の中にいくつも育むことなのだ」と。
そして言う。 目をつむり、耳を澄まし、さわり、嗅いで、見て、「自分の体内に立ち上ってくる「未知の自分」に出逢って」、「五感を使うことの心地よさに全身を委ねながら、「新しい自分」へと一歩、踏み出してみよう」「世界は今とはまったく違う表情をして、あなたの前に立ち現れるだろう」と。
「五感地図」の作り方などものっていておもしろい。
ゲームやTV三昧の子どもを育てていることについて不安も強くなったが。何とかせねば!
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