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2018年(平成30年)3月27日は、対馬放火殺人事件の判決の宣告(言い渡し)の日でした。
つまり、1月22日に裁判員に選任されて、65日間にも及んだ物理的に精神的に過酷であった裁判員業務の最終日でした。
この最終日、判決の言い渡しの日も、地裁書記官から渡されたバインダーの中にある予定表通りに粛々と裁判員たちは任務に従事しました。
下の写真がそのバインダーの予定表の頁です。
判決の言い渡しの後、僕たち裁判員は、裁判員退任に伴う事務手続きを済ませた後、K裁判長、T右陪席判事、M左陪席判事、H書記官、M書記官に最後の挨拶をして、おそらく、もう2度と来ることはない長崎地裁刑事部の評議室を後にしました。
しかし、厳密に言うと、裁判員としての仕事は、まだ終わっていませんでした。
裁判所の庁舎を出る前に、新聞記者たちが控える部屋に行って、新聞記事という形で、世間の皆様方に、この対馬放火殺人事件の裁判員を務めたことの意義をお知らせするという仕事が残っていました。
この判決後の記者会見については、本ブログ4月4日分「 裁判所の要請?それとも新聞社の自主判断? 記事にならなかった質疑応答。
」にも既述しました。
業務を終えた裁判員たちの苦悩は半端なものではありませんでした。
下の写真は、この記者会見に参加した記者が書いた記事です。
本ブログの4月4日分においても述べたとおり、正裁判員の4名は会見に出ませんでした。
また、会見に臨んだ正裁判員2名と補充裁判員4名が新聞記者の質問に答えた内容で記事になったのは一部です。
僕と記者との、どのような質疑応答がカットされたのかについては既述しましたが、他の裁判員の人達も結構カットされていました。
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