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明けましておめでとうございます。
今年も、どうかよろしくお願い申し上げます。
さて、年頭に当たって、是非、申し上げたいことがあります。
それは、僕の信条についてです。
僕は、自分さえ良ければ、自分さえ豊かに暮らせて、自分さえ生理的社会的欲求を満たすことが出来れば、他の事はどうなってもいいとは考えることが出来ない人間です。
周りに、何ら問題がなく、真っ当に一生懸命に生きているのに、理不尽なこと、筋が通らないことで苦しんでいる人がいると、僕は納得できません。
僕は以前、そこそこ恵まれた待遇のサラリーマンでしたが、非正規の従業員達が正社員とほとんど変わらない仕事をしているのに、少ない収入しか得られず、苦しい生活を強いられている実態を目の当たりにして、とても気の毒に思いました。
僕の部下には非正規社員が多くいたのです。
僕の仕事が評価されて、表彰されて営業報奨金など金一封をいただいた際、表彰された僕以外の社員達は、そのお金を高級車を買う頭金にするなど、自分達の贅沢な生活に直結させていましたが、僕はそういうことができませんでした。
いっそのこと、非正規の人達に営業報奨金を全額渡して、「みんなで分けなさい」と言ってやろうと考えたことが何回もあります。
でも、結局、それは実行しませんでした。
それをやると、非正規の人達の職業人としての尊厳を傷つけるかも知れないことに気付いたからです。
だから、僕は、自分が貰った営業報奨金を職場の親睦会費にしていました。
最初は全額、親睦会費にしていましたが、そのうち、非正規の人達が気の毒がり、「そんなお金で飲み食いできない」と言うので、彼らの精神的負担も考慮して、一部のみを親睦会費にするようにしました。
たとえば、歓迎会、送別会、忘年会などの宴会の費用で、参加者が一人当たり5000円を負担する場合、僕が営業報奨金から4000円を出すから、君たちは1000円だけ負担しなさいと、1万円の時は、僕が8000円出すから、2000円だけ負担しなさいというようにしたのです。
非正規社員の部下達からは、とても感謝をされました。
でも、それ以上に感謝したいのは僕の方でした。
僕は、社会の歪みによって理不尽にも苦しんでいる人が周囲にいるというのに、「自分は頑張って、この競争社会の中で勝ち抜いてきたんだから、贅沢が許されるんだ」なんて考えることは出来ないし、また、それを実行することもできませんでした。
もし、非正規の部下達が僕の営業報奨金で飲食してくれないと、僕の心が壊れていました。
僕には、なんら問題もなく真っ当に生きているのに、苦しんだり、悲しんだりする人が周りにいるのに、それを見て見ぬふりして、自分だけが幸せを享受しようなんてそんなことは出来ないのです。
その苦しみや悲しみの原因が、構造的な社会の歪みを放置している人達に由来するものであれば、尚更です。
だから、冤罪で苦しむ人たちの問題についても義憤を覚えるのです。
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