おらほのかーちゃんのブログ

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震災の記録・2



出勤日。デイサービスやショートステイの受け入れは今週いっぱいストップが決定。
こんな時こそ頼みたい家族もあるだろうになぁ。福祉の力の限界を感じる。それでもどのご家族も「大丈夫、家でみます。こんな時ですものね。」と快く了解してくれる。家族の力って、すごいな。もしくは、これが東北人の気質なのか。
ガソリンや重油がいつ入るかわからないので、暖房もつけていない。コートを着ながら仕事。おまけに雪がちらついてきた。避難している人たち、寒いだろうな・・食べるものはあるのかな・・。
さて、私も通常の仕事はできないから、たまっていた書類作成やら整理やらしておこうか、と思いつつ・・やはり仕事に身が入らず。仕事するフリでネットで震災の情報を見る。ひどい状況。犠牲者の数もどんどん増えていく。いったい最終的には何人になる?・・ますます仕事に身が入らない。

帰りにコンビニによってみるが閉まっている。あけている時間を限定している様子。コンビニがコンビニじゃない。まあ考えてみると昔は遅くまで、まして24時間あけているお店なんてなかった。昭和に戻ったと思えばいいか。思うようにモノが手に入らない中、おとーさんは調達上手。毎日朝に事務所に行っているのですが、「ただ行って帰ってくるのはもったいない」と途中のドラッグストアに寄り、お菓子やらカップめんやら買ってくる。助かる~。
夜中。釜ばあから電話が入る。「つながってる~」。やるじゃん、ソフトバンク。いやはや、電話が通じるということがこんなに嬉しいなんて・・。
3月17日(木)

今日は休み。さーちゃんも家の中だけでは退屈そうになってきたので、近くのグラウンドにお散歩。グラウンドのそばにあるガソリンスタンドが今日はあけているようで、すごい車の列。それにしても並ぶのにも慣れてきたのか、美しい列。通行する車の邪魔にならないようキレイに並んでいる。そしてとにかく根気強く待っている。外国のみなさんが感心していたというのもわかる。
空はひっきりなしにヘリが飛んでいる。被災地に向かう自衛隊かな。支援物資かな。お願い。沿岸のみんなを助けてね。
昨日の雪がまだ積もっていて、さーちゃんは足跡をつけて大喜び。そして棒きれをみつけ腰を曲げて「おばあしゃん・・くっくっく」と一人でウケている。ほんとに無邪気なさーちゃんに癒される。

帰りに近くのコンビニをのぞいてみる。やった!パンがある!さすがヤマザキ。でも個数は限定だけど、そしてなぜか「あずき」系のみだけど、菓子パンがあるなんて、幸せ。

午後、東京で仕事しているおとーさんの弟が来る。新幹線や高速もダメなので、飛行機が出ると知って即飛んで来たとのこと。やっぱり離れている家族は心配だよね。

夕方、「不思議なことに」つながった、と兄の自宅電話から電話が。元気そうな声。相変わらず理路整然と淡々と話す兄。「釜石に津波が来る映像見てさ、心配だったよ~」と言うと「あの映像撮影していた、たぶん同じ所にいた」とのこと。すごかったでしょ?と聞くと「映像でも伝えられない」。その一言で、どれほどすさまじいものだったかを物語っていました。背筋がぞっとする。よく生きてたね・・。よかった。よかった。

家族の無事が確認でき、声も聞けて一安心。でも被害の大きさや犠牲者の数、避難している人たちのことを知るたび、心が重くなっていった震災後1週間でした。そして亡くなったおばちゃん。会いに行けなくてごめん。


3月20日(日)

この日は、スタジオマリオにさーちゃんの入園記念の撮影を予約していた日。おとーさんにスタジオから「撮影どうしますか?」と連絡が入っていて、「予定通りお願いしたよ」とのこと。「こんな時に?いいのかな。」気持ちが暗くなっているおかーさん。「こんな時だから、やるの。」と言うおとーさんの一言に引っ張られて撮影に行く。
スタジオまでの道路は、今日は開けているスタンドが割と多く行列も分散している。だいぶ供給されてきているのかな?そして午後からの撮影だったのでスタジオ近くの吉野家で昼食。吉野家、やるう。メニュー限定ではあるけど、しっかり営業していた。
そして撮影。さーちゃん、入園式用に買ったワンピースがいたくお気に入りで大喜び。注文されていないのに、一人でスカートの裾を広げてポーズ。スタジオの衣装も借り、とってもいい笑顔。家族での写真も撮影。「おかーさん、お腹の大きさ分かるように手をあててください」なんて言われ、照れながらお腹に手をあてる。
何年たっても、この時の写真をみたら思いだすんだろうな。さーちゃんの笑顔に癒されていたこと。このお腹にいる赤ちゃんに励まされていたこと。

撮影が済み、一足先に産休に入っていた同僚が出産した病院へお見舞いに。何か持っていくにも何もなく。寄ってみたスーパーで売っていた「ひよこクラブ」と上の子供さんたちに子供向け雑誌を買う。よかった。
久々に見る新生児。わー。ちっちゃい。軽い。そっか、このサイズでスタートだっけ・・。もうすぐこんな赤ちゃんを抱くんだな、と気持ちの準備。さーちゃんも興味津津。震災後のこの時期に生まれた赤ちゃん。宝物だね。


3月23日(水)

妊婦健診の日。日赤病院なので、玄関入ってすぐ「被災者受け入れ」の専用窓口が作られていました。受け入れている被災者の名簿が張り出してあったり、やはり物々しい雰囲気。産科は通常通りに健診等受け入れており、安心。前回の血液検査の結果、「貧血ですね」と。鉄剤が出る。「めまいとかしませんか?」と先生に聞かれ、「最近はめまいなのか地震なのか・・」と言うと先生ウケる。いや、先生、真面目な話、「地震酔い」みたいな感じですってば。赤ちゃんは元気。良かった。エライね。

そのままおとーさんの会社が契約しているガソリンスタンドに行って給油。法人会員向けに20?の給油券を配布していて昨日もらってきていました。法人会員のみなので、並ぶ時間は10分あったかな、ってくらい。おとーさんも会社の車にガソリンを入れ、さらに携行缶にも入れてもらってきました。
最近のガソリン事情は、スタンドはほとんど開けているのですが「会員のみ」「法人のみ」といった感じ。私たちも必死ですが、スタンドの方も必死です。ありがとう。


3月27日(土)

連休あけから仕事は通常通り動けるようになりました。産休代替えのOさん、陸前高田にいるご主人のお母さんがまだ行方不明で、先週は仕事もこの通りだし、いいよ、と休んでもらってその間ご主人と捜索していました。まだ見つかっていませんが、産休も間近なので戻ってきてくれました。急ピッチで引き継ぎ。この状況で産休に入るのも気が引けるけど、ごめんね。

今日は休み。なんとか実家に食糧とか送りたいな、と思っていたところ、佐川急便が営業所止めで釜石まで送ることができるとホームページで見て、電話してみると「営業所止めなので、送り先の方に引き取りに来てもらうことにはなりますが、送ることはできます」とのこと。やった!送ろう!
イオンで買い物。釜ばあによると、ガスのみがまだ復旧していなくて、電気と水道はOKとのこと。火を使わず調理できるものを探す。カップめんやレトルト食品は個数制限があるものの、買えるだけ買う。・・なんか、買占めっぽいなあ・・いやいや、これは支援物資!
そして自宅を流された従兄の娘さんに、下着を買う。あ、女の子の必需品、手に入りにくいだろうな。生理用品も個数限定で種類も少ないけど、あった!
さらにもう一軒スーパーをはしごして食品を買う。佐川急便で送れるんだって~、とおとーさんに話すと、「いいよ、俺が明日持って行く。」「だって、ガソリン大丈夫?」「何とかなるべ。大丈夫。」・・おとーさん、大好き。
夜、買って来たものと、ばーちゃんが用意してくれた野菜・お米を軽トラに積み込む。この間携行缶に入れてもらったガソリン、「これも持っていく」っておとーさん、いい人だぁ。荷台にシートをかけると、おとーさんの軽トラはさながら「物資輸送車両」。
翌朝早く(道が混むから、と)おとーさんが釜石に届けてくれました。帰ってきたおとーさんに様子を聞くと「みんな元気だったよ。おばちゃんにもお線香あげてきた」とのこと。良かった。被害のあった地区の方には、行ってみなかったそう。まだ、見てみたいとは思えない、と。
おとーさん、ありがとう。


6月11日(土)

今日で震災から3カ月。あっという間とも思えるし、長かったとも思える、不思議な時間の経過でした。とにかく、大きな出来事が凝縮した3ヶ月間。

4月1日から産休に入り、出産準備をしよう、と思いつつ、なんか身が入らず。
7日におとーさんのおばあさん(ばーちゃんの母)が亡くなりました。火葬・お葬式までは通常より日にちがかかり(たぶん、被災地からの火葬も受け入れているのかな?)13日にお葬式。ばーちゃんは毎日実家に通い、忙しそうでした。そうしているうちにお葬式の翌日14日、私が早めの入院となってしまい・・25日に出産。その前日、24日には釜石のヨシばあが亡くなっており・・。
震災で亡くなったおばちゃんを含め、ご不幸と出産がこの2ヶ月間に続き、まるで数年分の出来事のようです。

出産後、自宅でばーちゃんにお世話になっていましたが、田植え時期で忙しくなることもあり、10日間ばかり釜石でお世話になりました。その間に、被害を受けた市街地を見てきました。かなり片付いた状況とはいえ、やはりショック。こんなことがあっていいのかな。

今日で3カ月。きっと、一生忘れることのない3ヶ月間でした。


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