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人間物語・とね しゅんじ

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2019.08.02
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カテゴリ: いのち の 智慧
◇人間物語のメール講座NO9◇





昨日の中で1番大切で 重要だった処は
後半に記されていた ここからです。
       ↓
まず あなたが リラックスをして
力まずに 静かなままの あなたで 自分自身に正直に成って下さい。

静かに どこまでも  正直に成っていくと 自分の中の1番 奥の方に 
本当は自分は 自分独りでは 何も出来ない人間であり 
たいした事の無い人間なんだとか 


誰の中にでも 必ず有るはずです。


どうですか? 有りましたか・・・?


あなたは 今迄に まだ一度も その場所に対して・・・或いは 
その気持ちに対して 正直に成った事が有りません。

それは あなたに 本当の事実を感じさせている場所なのです。
その場所は あなたの中で 本当の事実を 唯一 感じられる場所なのです。


なのに あなたと来たら

もしも そんなところに正直になって生きたら 
自分は駄目に成ってしまうとか 
そんな場所などで 物事をやったりしたら失敗してしまうとか


何も出来るはずが無いと決め付けてしまって
正直な感覚自体に蓋を し続けて来て 
その本物の自分である方の 自分と一緒に 
生きようとした事など 一度も有りませんでした。

そればかりか

分厚い鉄板の扉で塞がれたまま 一生涯 陽の目を見ることは有りません。

まさか
背伸びをする あなたが自らの手で 
本物の あなたに対して この様な事をしているとは 
あなたは夢にも思っていないのです。

背伸びをしている あなたこそが 
ぶ厚い鉄板の扉なんだと 気付いている人達は 
多分 とても少ないことでしょう・・・。

そして
自己と言う小さな宇宙の中で
これほどの重要な事態が起こっているとは
殆どの人達が 御存知有りません。
まるで 皆が居眠りをしているかのように・・・・。

そこから あなたを救い出せるのは あなたしか居ないのに・・・。
その あなたが目覚めていずに 眠らされたままなのです・・・。
それも あなたの手によってです。
それが良い事だと思い込まされて・・・。

あなたが その本物の "駄目で出来損ないで チンケな自分"のまま
勇気を出して 生きようとしない限り 本物の自分が育つ事は永遠に有りません・・。


本物のあなたが育っていないから・・・
いいえ 本物の 
あなたが育っていない事を 
あなたは どこかで 薄っすらと 知っていたから
今日まで 背伸びをし続けなければ いけなかったのです。

そして 世の中の どこを探しても 本物のあなたを 育てられる人は、
本物の あなたを救い出せる人は、 あなた以外に存在しません。

例え あなたの親が どんなに あなたを愛していたとしても 
あなたに代わって 本物の あなたを育てる事は出来ないことなのです。

多くの人は その本物の自分に蓋をしたままで人生を終るのです。
あなたも そうするのですか・・・?


でも・・・不思議なことが有るのです。

それは あなたは 本物のあなたで生きたことが今迄に一度も
無い筈なのに そこで生きると駄目になってしまうと 
あなた自身が知っているということです。

不思議でしょう・・・?
だって 体験も無いのに 何故 あなたは そんな事を知っているのでしょう?

もう お解かりですよね・・・。

本当は あなたの中に有る "知っている"という
感覚自体が偽者で錯覚なのです。

あなたの中で  背伸びをしている あなた(偽者)が
何も出来そうに無い 一見 弱そうな あなた(本物)
に脅しをかけているのです。

なぜ そこで生きた事も無い人に
駄目に成るなどと言う事が解かるのでしょう?
そんなことは 有り得ない事です。

こうまでしてでも 背伸びをしている
今迄 自分が親しんできた 偽者の自分を守ろうとするのです。
自衛本能と言うのは 凄まじいものが有るでしょう?
でも本当は守れてなどいなくて 本物の自分を駄目にしているだけなのです。
本当は 駄目にしているどころか 
本物の自分を 産まれさせないようにしているのです。
気づかずにしている事とは言え 私達は とても恐ろしいことを
自分自身に対して しているのです。

本物の自分を育てる事の方が どんなにか簡単なのに・・・
多くの人は それを知らないのです。
馬鹿げた事です・・・。

楽々と有能に生きられる道が 直ぐ傍に有るのに・・・。
悲しい事に 私達は それらを見破り 見つけ出す術を持っていません。

ただ 自分の中の駄目な自分にチャンスを与え 邪魔をせずに 
そこで生きさせて上げるだけの事なのに・・・。


その駄目な自分というのは 一見 駄目で チンケで 何も出来そうも無い自分の様に
見えているけれど 本当は 小さくも大きくも無い 普通で等身大の自分なのです。
本当には 有りもしない高く評価をした自分と比べるから 一見 駄目な自分に
見えてしまうだけで 本当は 駄目な自分が居るというのは あなたの錯覚なのです。

ところが あなたの中では長年 有りもしない方の自分で
生きて来ているつもりで いますから

そこと比べたら
駄目でチンケな自分に感じられる方の自分こそが本物です。



と・・・ここまでが 昨日の大切な処に
新たな説明を付け加えたものです。
解かりやすくしたつもりですが
余計に解かりづらくなってしまいましたか・・・?(笑)




昨日から やり始めている 
相手に成切って 相手の心情を感じる為には
その駄目な あなたで感じ取る事をしない限り 1番重要な心情の部分を
感じて書く事が出来ないのです。
駄目な あなたにチャンスを与えて そこを動かすしか方法はないのです。

今迄の あなたに どんなに実力が有り その あなたが どんなに
逆立ちをしたところで 偽の あなたに 刃が立つ代物では有りません。

偽者の 背伸びをしている あなたには不可能なのです。
小さな頃から背伸びをし続けて来て 背伸びをするのが当たり前になってしまい
背伸びをしている感覚すら無くなっている あなたで有ったとしても
その あなたも 偽者ですから・・・。
どんなに完璧に作って有ったとしても偽者は偽者なのです。
偽者の あなたにはハートが有りません。 
偽者の あなたのハートは死んでいます。
偽者の あなたの ハートは ピクリとも動きません。

あなたの死なせて来た 本物の あなたに命を与える事が 
この講座の やろうとしている事なのです。

あなたが閉じ込めて来た 
本物のあなたに陽の目を見させたいのです。


この講座は
背伸びをしている 偽りの あなたにとっては 
私は 敵に成るのかも知れません。

ところが 
本物の あなたに取って この講座は 待ちに待っていた援軍です。
多分一生涯で たった数回のチャンスかも知れません。

だって そうでしょう。
背伸びをしながら生きている あなたに取って 危険に成る 場所に 
あなたが 今後も何度も近づくとは思えないからです。


話しを講座に戻しますね・・・。

相手に成って行く上で 
どうしても必要な"心情"を感じ取れるのは 
本物の あなたで有る 一見 駄目な あなたにチャンスを与え 
その あなたで試みようとした時です。

もう その あなた以外に 相手に成ることは出来ないのです。
一見出来そうな 背伸びをした あなたで100万回 やったところで全部駄目です。
残っているのは まだ試していない 駄目な あなたを於いて他には居ません。
そこにチャンスを与える以外に道は無いのです。
実際に そこで感じ取る事をするのが この講座です。

少しだけ ヒントを言うなら
心情というのは あなたが成ろうとしている
身近な相手が 死んでしまった時になって
初めて解かる事の出来る その人の気持ちです。

身近な人が亡くなってしまった経験を
持つ人なら 多分 解る筈なのですが・・・。
身近な人が亡くなった時に 相手に対して
それまで持っていた文句も不満も全部が消えてしまいます。

それどころか 今迄当たり前にしていた 
その人に 日常の中でして貰っていた 沢山のことが
決して 当たり前では無かったという事に気づかされてしまいます。
そして その相手が どんな思いで
色々な事をしてくれていたのかまでが見えてきます。

例え物理的に何もして貰っていなかったとしても その人が
生きていてくれるだけで あなたの心の支えになっていてくれた事が 
ハッキリと解かります。 その人が ただ生きてくれているだけで私達の心は
その人に 寄り掛ったり 甘えたりすることが出来ていたのです。
これらも その人から 立派にして貰っていたことの中に入るのです。
そして身近な人が 死んだ時に 誰であれ この様なことが解かるのです・・・・。


でも どうして相手が 死ぬ前に それらを解かっては いけないのですか?
どうして 相手が 死ぬ前に解かって その気持ちで毎日 相手に
接することをしてはいけないのでしょうか?


身近な相手が死んだ時に解かっても遅いのです。

身近な人の死による気づき・・・。
例え そういう気づき方が出来たとしても 
一端は気づけた事を 深い喪失感と 悲しみを忘れさせようとするがあまり
それらの気づきさえも忘れさせてしまい
再び 他の身近な相手の死ぬ時にも 
やはり同じ様に悔いる生き方をしてしまいます・・・。

だって相手の気持ちや心情を解かって生きていたとしても悔いるのです。

もしも相手の気持ちや心情が解からずに生きてしまった場合 
身近な相手を死なせてしまった時に 身近な相手を失ってしまった時に
初めて相手の気持ちが見えてきます。
どんな思いで その相手が自分に接してくれていたのかが 
切ないくらいに感じられてしまいます。
あなたは その想いを感じてしまう場所で生きるのは辛くなり 
再び その思いに蓋をして 自分の本当の気持ちを誤魔化して生きる様に成ります。
又 普段の生活の中で人の気持ちを感じる事が出来ない場所での生き方に成ります。
だから 再び 身近な人が亡くなる時に 同じ様に 悔いなければ成らないのです。
これは とても悲しい悪循環です。
私達は これほどまでに馬鹿な生き方をしているのです。
それに誰かが亡くならなければ
相手の気持ちが解からないなんて馬鹿げています。



前回から説明している 身近な相手に成切り
"ある1日の場面"を書いたものを心情文と言います。
ここからは ある女性の心情文をお見せします。
この女性は24歳になる独身の女性で
この女性が高校3年の時に 
父の仕事がうまくいかず
毎日の様に母親との夫婦喧嘩が絶えなかったそうです
挙句の果てに 父の事業が失敗し進学を諦めるしか無く 
高校を卒業と同時に 家を飛び出し 働きながら夜学に通い大学を終えた女性でした
実家は 電車で1時間の距離で 帰ろうと思えば いつでも帰れる距離なのですが
滅多に帰ることは無かったようです。
彼女は父親を とても嫌っていました。
最初に書いた10人の中で1番嫌いな相手も父親でした。

彼女は身近な相手の中から 自分の成る相手を母親にしたのですが
私の提案で 父親で やってみようと 相手を変えてもらいました。
何故なら このままの生き方を彼女が続ける限り
後悔をしてしまうのが目に見えていたからです。





自分の心の育て方
http://ameblo.jp/ningen-monogatari/





































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Last updated  2019.08.02 08:15:16
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