Laub🍃

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2010.05.26
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その女達は、有能な遺伝子同士の子どもを孕むことになった。

女達自身は貧困で、自分の能力にも自信を持てなかったが、子を産めるその一点のみでは合格と言われ、必要とされ、貧困の状態からも脱することが出来た。

子供を孕み産み回復していく期間は、ある施設に籠って、他の同様の条件下の妊婦達と共同生活をすること。
外部には治験の為にそこに居ると言い、妊娠についてはほのめかさないこと。
食事の際薬を服用すること。
産んだ子供を抱かないこと。
産まれた子供と以後接触しないこと。
子供達のその後の状況を尋ねないこと。
この話は門外不出であること。




そうした異様な条件に呑まれつつも、女達は契約書にサインをした。





彼と彼女は、有能だった。

しかしその二人はまだであったことがない。

二人とも監獄で暮らしていたからだ。

そして片方、『彼』は先日処刑された。

27年の短い生涯だった。

彼の罪は、長年の恨みから親族を複数名殺害したことだった。

精悍な顔つきで、体格も運動能力も高く、スイッチが入るまでは面倒見が良くて優しくて、そして鈍くてうっかり者で、素直で寂しがりな男だったと言う。

彼のスイッチを入れるのは、彼の大事な家族を傷付ける者だった。

あの時守れてよかったと思いながら彼は階段を上った。






誰も居なくなった、ある大きな家の庭で、池の鯉がぽちゃんと跳ねた。

彼の弟は、ああ、彼が死んだのだなと想い、涙をひとつ流した。



**


47歳の彼女は生きている。

隕石が数日後地球に落下することも知らずに生きている。


そんな彼女は精神科に通ったが、状況は好転せず、むしろ生来の寂しがりが加速するだけだった。

そして彼女は仕事にのめりこんでいく。

彼女の仕事は軍事兵器の開発だった。火薬の量を調節したり、新たな発火手段を開発したり、より軽く遠くまで届き、そして多大な被害を及ぼすもの。

17年と少し前、彼女はその部署の長を務めていた。

だが爆発事故が起きた時、その長という立場は全て、彼女への責任転嫁に使われた。


彼女は灰色の壁を眺め、それでも安堵する。
やっと悩む必要がなくなったのだ。


数日後、刑務所は跡形もなく津波に浚われる。


***


彼らは辞書を引いて名前を付けた。
はじめは思いつく限りの知っている単語をあげていたのだが、思った以上に名付けの相手が多く難儀してしまったのだ。

最後の一人。

一人があ、と声を上げた。

彼は寺の息子であったが少し頓珍漢な所があり、他の人々は彼の上げる単語を何度も却下していた。

「×××って、どうかな」

ふむ、と人々は頷いた。
彼の上げる単語にしては随分とまともだった。

そうして、一人の赤ん坊の名前が決定した。


****


彼女たちは、産まれたばかりの赤ん坊の世話を任された。

一人につき三人ほどの、粉ミルクでの哺乳におむつ替え、風呂に洗濯に病気の世話。

協力する相手が居り、既に子どもを育てたことがあるといってもここまでの急務はなかなかなく、彼女たちは苦労した。

それでもあまりだだをこねたり、不規則な時間に泣いたりはしないため、普通の赤ん坊よりは遥かに扱いやすかったのだが。

政府のプロジェクトだと言うことで、見知らぬいかつい男達が視察に訪れた時も、まだ幼い(それも4歳の!)子が抱きかかえた時も、赤ん坊達はおとなしくされるがままだった。
……少し不自然なほどに。

丁度離乳食の時期、約半年の任期で彼女たちは交代した。
交代する時に赤ん坊が手を伸ばしてくることが嬉しかった。

ぼんやりした赤毛の子。
よく眠る泣きぼくろの子。
元気一杯なくりくり巻き毛の子。

赤ん坊達の幸せを彼女は願った。


*****


生後半年の子達を彼女と彼らは任された。
子を教える教官達は男ばかりの為、ここから少しずつ慣らしていくのだそうだ。

離乳食で好き嫌いを減らし、言葉を教え、しつけをし、おもちゃを与え……
まるで昔の我が子を見ているようで、彼女と彼らは少し楽しく思えた。

中には、なかなか好き嫌いが治らない子、言葉を覚えない子、しつけに従わない子、おもちゃに関心を示さない子達も居た。

もう少し様子を見よう、と、監査に来た子、彼女と彼らの報告を受けた上司は言っていた。

半年後、彼女と彼らは名残惜し気に赤子たちと別れた。

せっかく言葉を覚え始め、よちよち歩きも出来るようになってきたのに。

最後に担当した子達が、彼女と彼には強く印象に残っていた。


おっとりした赤毛の子。
周りをよく見る泣きぼくろの子。
好奇心の高いくりくり巻き毛の子。


赤子たちの未来の姿を、彼女と彼らは想像した。


******


生後一年の子を彼女と彼らは任された。
歩き出せるようになり、おもちゃも自在に扱えるようになった子たちの安全管理や衛生管理が一番の課題だった。

未だに成長には個人差があった。彼女と彼らが一定周期で入れ替わり立ち代わり育てるせいではないかと進言されても、上司は頷かなかった。

孤児院、修道院、あるいは乳母の仕事は昔からこんなものだったと上司は主張していた。

彼女と彼らは諦めることしかできなかった。


しかし、家族が居ない穴、頼れる者が少ない状況を補うようにして、赤子たちは次第にしっかりと、また役割分担をするようになってきた。

例えば一人が甘えれば他の一人がしっかりし、
例えば一人が怒りっぽければ他の一人が宥め役になり、
例えば一人が危なっかしければ他の一人がバランスを取り、
その輪は歩けるようになって更に拡大した。

賢い子同士、好奇心の強い子同士、同じおもちゃで遊ぶ者同士、同じ本に興味を示す者同士。

彼女と彼らは安堵し、そして次の担当者に替わった。

子ども達に、名前でも、母や父とも呼ばれないまま。

*******

彼らは生後一年半の子を任された。

子ども達の中にはもう走れるようになっている子たちも居て、特に一部の男の子達は風呂の後元気余って裸のまま走り回ることもあった。

積み木やレゴブロックなどで複雑な作り方を覚える者や、図鑑で大人顔負けの記憶力を発揮する子も多かったが、一方で未だに新たな生育段階に進めない子達も居たし、ある条件を満たしても他の条件を満たせないアンバランスな子も居た。

「個人差があるから」と言いつつも、彼らの上司の目は厳しく、早くきちんと合格ラインまで引っ張って行けと彼らに対し言っていた。

彼は特に、彼の担当の子どもが心配だった。
おとなしく内気で、大抵いつも、もう一人の兄貴分と一緒に行動する。
彼の記憶力は類稀なるものであること、兄貴分の、こちらは随分と利発な子が引っ張っていることでなんとかついてきてはいること、兄貴分の子不安定になるだろうこと、協調性は悪くないことを進言し、上司はあるリストのチェックを外した。

あの子達は成長しても一緒に居るんだろうな、と、とある彼は思い、育て始めてから半年後、施設を去った。

********


生後二年。これが最後だと上司は言った。

彼らは殆どコミュニティを形成しており、一丁前に大人の話す言葉を端から覚えてもいた。
悪ふざけで教えた花札を教えてしまったことで上司に怒られた同僚は、しかし、記憶力や判断力、把握力を子供から引き出したということで許容された。

他にもあらゆること、例えばテレビの報道番組や天気予報、ドキュメンタリー映画などを見せることで、これまで特徴が薄かったり、やや劣っていると見られていた子達も、条件に足る……むしろ個性的だったり、伸びしろがあると判断されるようになった。

彼らはほっとした。

心配されることが多かった、ある赤毛の子は記憶力で。
少しぼーっとしたところの多かった、ある褐色肌の子は観察眼で。
それぞれ、少し以前より変化した条件を満たすことになる。

しかし、そこで力を伸ばすことが出来なかった子たちは、施設の外に出て、孤児として暮らすことになった。

そうして子どもたちは少しずつ、減らされることになる。


++++++++


ある時期から、子ども達は孤児として生きるには不適当になった。

誰かが言い出した。


あの設備がある、と。





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最終更新日  2018.02.26 12:09:30
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