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こんばんは。702です。何を隠そう、実はこのサイトの管理人です。昨日の日記のコメントをはじめ、1000通以上ものお便りを頂き、みなさん、どうもありがとうございます。すいません、見栄を張りました。1000通は嘘です。3通です。お便りを頂いて、とても嬉しいと同時に、さびしい思いでいっぱいです、正直、思った以上にこのサイト「思想悩労。」を楽しみにしてくれてた人がいて、まぁ、それは薄々気付いていたんですけれども(イヤラシイ笑いを浮かべながら)ほんとに何だか更新をやめるのが申し訳なくなってきたんで、更新を止めることを止めます。と、言いたいのですよ。言うだけならタダなんで。けど、やっぱりもう、更新は無いでしょう。更新終了の理由なんてホントに普通の事です。時間が無いだけです。僕はと言えば、それなりに金稼いでメシ食ってます。世間一般で言うサラリーマンです。普通の人です。ただ、ちょっとだけ、楽天でブログを開いて、普通のブログより何だかんだいろいろ出来るんでいろいろやってるうちに、色んなコンテンツを抱えるようになりました。それらを更新してるのは非常に楽しく、O型のクセに結構生真面目な僕は我ながら中々の更新度でやってきましたよ。ただ、O型のクセに結構生真面目な僕は更新がなかなか出来ない今の状況がとてもとても歯痒いというか、ぶっちゃけ、ムカつく訳です。出来もしないことをするな、と。それでも、そんなコンテンツを楽しみにして頂いた方がいて、それを思うと心苦しいんですが、分かってくれ、僕だって苦しいんだ。何よ!あなただけ被害者ヅラしないで!あなたはいつだってそう!自分は悪くないって顔して、あたしに優しい言葉を投げかけてくる!そんなのもう、ウンザリ!はっ。少し自分に酔っていました。自己陶酔。それはさて置き、沢山あるコンテンツをほったらかしにするのが、どうにもダメなんです。かと言って、コンテンツを削除するのも違う気がします。選んだ方法は、このサイトそのものの更新終了。そしてこれからは、ちょっと、ゆったりやろうと。幸いにもmijinco8という場所で、書く機会を与えてもらっています。更にこんな所でこっそりと10分で書くブログを始めてます。意外にも反響の多かった「後悔するテキスト」の続きは、どちらかでいつか書こうと思います。いずれにせよ、「思想悩労。」の更新はもう、ありません。が、閉鎖(削除)することもありません。開店休業です。別にこのサイトは消したい過去とかではなく、mijinco8への参加であるとか、お気に入り日記に登録して頂いている方、リンクを張って頂いている方、それだけでなくて、いま、これを読んでいるあなたともつながりを持てた場所であるから。渾身の力を振り絞って、お腹の底から感謝の気持ちを述べたいと思います。今まで、どうも、ありがとうございました。2005年5月25日 「思想悩労。」管理人 702 -会社のPCから-~Special Thanks~・両親(このサイトの存在は知りません)・じいちゃん、ばぁちゃん(このサイトの存在は知りません)・弟たち(このサイトの存在は知りません)・恋人(このサイトの存在は知りません)(というかそんな人存在しません)・友達(このサイトの存在をバカにします)・楽天広場(削除しないでいてくれてありがとう)・ウチのPC(壊れないでいてくれてありがとう)・今まで一回でもこのサイトを見て頂いた方すべて。・と言うか、これを読んでいるPCの前のあなた。思想悩労。 第一部 完(第二部が始まる可能性はスラムダンクと同じくらいだと思って下さい。)
May 25, 2005
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あの頃の僕は若かった、とか未熟だったって過去の事にしてしまうのは簡単で、今の僕は違うんだぜ?みたいな事をアッピールするのもそれは簡単な事なんだろうけど、反吐が出るくらいどうしようもない僕の性格が変わって無いなんて、誰より僕が知ってる。いつだって僕は平気な顔をしながら、相手の気を引くために心配かけるようなことを言っていた。特に、大切な人に向かって。大切な人は「そう」って言って笑って、でもその笑顔が悲しそうだったことや、その度傷ついていってたなんて、そのときの僕には気付かなくて。気付かされたときには、大切な人の姿は見えなくなってた。真っ直ぐに出来ない僕を僕は嘲笑う。真っ直ぐに出来ない僕を僕は嫌う。真っ直ぐに出来ない僕を僕は呪う。真っ直ぐに出来ない僕に、僕は。それでも、変わりたいと思ってた。温もりさえ思い出せない、何も残っていない手を見ながらもう、二度と、繰り返しちゃいけないと思ってた。真っ直ぐを、あの人に届けたかった。否、今でも届けたいと思ってる。いま、僕の出した答えは、間違ってるかも知れない。けれど、これが僕の真っ直ぐ。これが、僕の答え。思想悩労は 全ての 更新を 終了します。
May 24, 2005
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ある男は考える。自分が何を求めているのか、を。何が本当にしたいのか、を。恐らく、恐らくだが"答え"はある。けれども、それは形が無い。手に入れる術も分からない。伸ばした手は、空を切るだけである。幻も、もう見えない。以前、見えていたものが。今はもう、見えない。見ようとしていないと、誰かが言った。そんなことは。そんなことは無い、と言い掛けて口をつぐむ。そうなのかな。もう、分からんよ。首を振るのが常。そうやって。そうやってるうちに見えなくなったのかも知れない。そうやってるうちに失ってしまったのかも知れない。ある男は考える。自分が何を求めているのか、を。何が本当にしたいのか、を。細やかなプライドとか、意味の無いしがらみとか。そういったもののために得たもの。喪失感。或いはそれに付随する自己嫌悪。反吐を吐く。自分に反吐を。返ってくるって分かり切っているのに。そうやって繰り返した。いつも自分がクズのような男だと、そう気付かされたのは大切な人によって。ある男は考える。自分がクズだから。クズだから手に入らないのか。それとも手に入らないからクズなのか。冷たいものが背中を下りていく。力なくソファに身を投げ、天井と壁とを繋ぐその一点に視線を止める。笑われるだろうけれど。俺が欲しかったのは温もりだけだったんだ。抱き締めたかっただけなんだ。抱き締めて、欲しかっただけなんだ。弱々しく口をついた言葉を 誰にも聞かせることのないよう、ビールで、流し込む。とか、こんなキャラどうよ?
May 16, 2005
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それにしても納得がいかないのは日本に来た外人(主にアメリカ人)が、英語で話し掛けてくること。以前にも書いた記憶がありますけども"郷に入っては郷に従え"ですよ。日本に来たなら日本語喋れ、ですよ。唐突に日本の街中で英語で話し掛けておいてこちらが返答に困ると「OH~~!(肩をすくめながら)」ですよ。なんでこっちが申し訳なさそうに"ソーリー(片言)"とか言わなくちゃいけねぇんだ。"日本なのに英語で話し掛けて申し訳ないです、ゴメンナサイスイマセンワタシ『ハラキリ』シマス。"ぐらいのテンションで話し掛けてきやがれと思う訳です。そんなん思ってても実際英語で話しかけられると超じゃぱにずいんぐりっしゅで愛想笑い、エニシングオッケーですよ。何がオッケーだ。お前がオッケーちゃうわ。何でジェスチャーまで外人ぽくなんねん。ぬぁんで日本語の単語まで英語なまりになんねん。この負け犬が。"日本で英語で話し掛けられたら死んでも日本語で返してやる。"とか誓ってた訳です。実際やったら僕が悪者ですよ。周りの人に"優しくない人"呼ばわりされる訳ですよ。これからの国際化社会生きていけないよ?と僕の人生否定ですよ。ははーん。英語喋れないヤツは生きる価値無し、と?むしろ英語喋れてもお前は生きる価値なしと?英語が世界共通語、ってのはどうしても納得がいかない訳で。僕はこういうところ、心が狭いのですがアメリカ人とか英語圏の人、超有利じゃん。僕が勉強するの嫌な訳じゃないですよ。不公平やん。お前らも勉強せえよ、と。別に日本語を世界共通語にせいと言ってる訳じゃないんです。エスペラント語を正式に世界共通語にすると言ったら僕、勉強しますよ。素直に勉強しますよ。アメリカ人も中国人もエロマンガ島の人たちもみんな平等に勉強するなら、僕も喜んでしますよ。英語だけはなんか許せん。許せんのです。英語なんかファックじゃ!あらやだ、私ったらファックだなんて。はしたない。おファックですわ。おFUCK。このKUSOYAROU☆そして遂に復讐の舞台がやってきたのです。にっくき英語圏の国。究極の選民思想が支配する国。United States of Americaへ。否、アメリカ合衆国へ。何の因果が陰謀か。はたまた誰かの陰毛か。仕事で出張に向かった訳です。ここで、僕が日本で味わった屈辱を晴らすのです。さぁ、英語で話し掛けてきやがれ。日本語で胸を張って『はぁ?自分英語しか喋れないの? 俺は日本人やっちゅーの! 日本語で喋りかけろや!』ぐらいのテンションでね。向こうが申し訳なさそうにしてたら英語で喋ってやろうじゃない。"しょーがねーなぁ"くらいのテンションで喋ってあげてもいいよ?これは復讐だ。繰り返す、これは復讐だ。今まで散々僕に対して『OH~~(肩をすくめながら)』って言ってきた奴らへの復讐じゃ!!そして空港到着。いるいる。いるいる。カモがうようよしてるわ。さぁさぁさぁさぁ。早く話し掛けてごらんなさい。選民思想根付く君らの鼻っ柱を折って差し上げてよ?未曾有の屈辱を味あわせて差し上げてよ?空港スタッフ『May I help you, Sir?』僕『い、いえす!ののののーさんきゅー!!』僕、世界共通で負け犬。
May 10, 2005
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素(す)。言葉自体はそれはもう、昔々のむかーしからあるだろうけど『素(す)になる』という言い回し、それが持つ意味が現在のそれになったのは、恐らくだけれども、つい最近だと思っとる訳です。『素(す)になる』という意味を、わざわざ説明するまでも無いと思ってますけど、認識違いを起こしたままの話の展開によるすれ違いは、ある種滑稽であれ、完全な一方通行のコミュニケーションになるので僕自身は嫌いなのです。そんなことはどうでも良くて、『素(す)になる』の意。 ●思わず(意図せず)飾らないありのままの 姿を見せる、また発言をすること『あれー?今、素(す)になってなかった?』『うっわーマジで?やっべぇ!』とか、『おいおい、それって素(す)で言ってるやろ』『いやいや、そんなこと無いって!』みたいに使われてますね。いや、使われてる事にして下さい。で、どうにも『素(す)になる』ということは"恥ずかしい"ことであることが往々であり、『素(す)になる』ことを余り人は好みません。何故か。答えは簡単。飾らない、ありのままの自分は、社会の中に於いて非常に弱いという可能性が高いからで。どういう状況であれ、自分の本音を出してぶつかる事はなかなか出来ない事だし、『本音』は『建前』に比べ、どうしたって自己の要求を満たす方向(それはしばしば『ワガママ』と呼ばれ忌み嫌われる対象)になりかねない。更に『ありのままの姿を見せる』ということは非常にリラックスしている場合が多く、自然界に於いてその状態は"喰ってくれ"と言っているようなものだし、たとえ、現代社会に於いても気が抜けた姿を晒す事は評価できる対象にはならない。そういったことから、『素(す)になる』ことを恐れ、『素(す)になること』を恥じる訳ですよ。さてさて。『素(す)になること』を嫌う僕らが、どうしているかと言いますとその場その場に応じた仮面を被る訳です。 ●友達と居るときの仮面 ●恋人と居るときの仮面 ●会社に居るときの仮面 ●合コンに居るときの仮面 ●キャバクラに居るときの仮面『私は仮面被ったりなんかしない!いつでもありのままだもん!』とか言う人は、ハッキリ言って違います。まぁ、その人の仮面は他の人に比べて薄いでしょうけどまーーーったく同じ様な振る舞いを恋人と上司にしている人は只の社会不適合者です。『仮面を被ること』、すなわち『素(す)を出さないこと』は社会生活を送る為には必要最低限のこと。本当の『素(す)』を出す場は、真に気を遣わない場であり、(または、相当疲れてる場合もありえるけど)社会に出るときに仮面を被ることが"悪い"だなんて誰にも言えないんです。ただ。『素(す)』を誰かに見せられる、というのはある意味素晴らしいと思えるんです。だって『素(す)』を見せられる相手というのは(少なくとも自分からは)自分が相手を心許せる、信頼しているという証拠。奇麗事を並べる訳ではないけども、心許せる・信頼できる人が居るということは幸せなことだと思う訳です。もし、あなたが何かの折に ふと『素(す)になる』瞬間があったとして、『うっわーやっべー。いま自分 素だったよ!!恥ずかしい!!』って思うでしょうけど、その時に目の前に居る人を見て下さい。その人はあなたが本当に心許せる・信頼できる人かも知れません。そんな人が早く欲しいよ、と割と素(す)で思いながらこれを打ってる訳です。
May 7, 2005
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ウザイくらいに人が行き交う四条の交差点。GWともなれば、京都の街並みが人で溢れかえることなんか容易に想像できていたのに、僕は小さく舌打ちした。汗ばむような空気はいつの間にか、その熱を失っていた。ひんやりとした空気が通り抜けたシャツの袖から19:00を示しているデジタル時計が覗く。刹那、無機質な電子音が響いた。あ゛ぁ゛!?ちょっと遅れますだぁ!?携帯をポケットに仕舞い、街並みに目を戻す。もう一度、舌打ち。何に対してかは、さて置いて。ぼおっと突っ立ってる僕は、どの様に写るだろう。街行く人たちには。きっと視界にも入りやしない。彼女は。彼女は気付くのかな。分かるのかな。不意に頭をよぎった。「こんばんは!702ですよね!?」地面を写す僕の視界に大きな瞳が割り込んできた。無邪気な、顔。そして声。僕が知ってる彼女がそこに居て、前から知ってるはずの彼女と僕は、二度目の初めましてを言った。僕は自慢じゃないけど緊張と言うものをしない。人ごみの中を歩くのに慣れてしまった僕は、スタスタと狭く窮屈な歩道を歩き、時折、何気なく彼女のほうを向く。大きな荷物を抱えて、少し歩きづらそうにしてた彼女の口から繰り返し「緊張してるー!」って聞く度にしょうもない優越感が僕を支配して、「あ、そうなんだ」と必要以上に平気そうに言った。先斗町。僕はこの通りがどうにも好きで、でも、あの頃はあまり足を運ばなかった。何だか自分に似合って無い気が、その時はしてた。歩きながら僕は、今は違和感無い気がして、相変わらず人の多い中を、その景色に溶けるように歩いた。彼女と何気ない会話をしながら。違和感の無い会話。そのまま、景色のBGMになりそうな。少しだけ、歩くスピードを緩めてみた。「お店はどんな?」「うーんと、○○ってお店。」少しだけ見覚えのある雑居ビルの1階に入り、僕らは一番奥のテーブルに座る。向かい合わせに座って、僕は改めて彼女の顔を見たんだ。うっわー。ホンマにそのまんまやな。ってことは言わないでおいた。さて、ホントに見てて飽きない人って居るもんで。カクテル一杯で、「大変!あたし酔っとる!」て連呼したり携帯の充電が切れかけてて電源を切ったり付けたり。コンセントの位置を探したり。「水飲むか?」と言っても聞き入れない彼女を見ながらきっと僕の顔は終始緩んでただろう。会話が途切れることが無いのは、やはり心地の良いものだった。他愛の無い、思い出せないような会話。それでも心地よさだけが残ってる。飲み足らんな、と違うお店を探すときに、自分のヒールの音がうるさい!と繰り返す彼女がおもしろくて仕方なかった。急にマジメな事を言い出したり、彼氏の話をしながらニヤついてたり、それでも、キッとマジメな顔して今後の事を語りだしたり、友達の事を話しながら、また顔が緩んで。無邪気さと冷静さのバランスを、持て余すかのように彼女の話は続いた。それは、僕が見ていた文面と何ら変わらないそのままの姿。まるでPCの画面からそのまま抜けてきたかのような。否、彼女はそのままいつも仮想現実と呼ばれる世界に現実のまま、飛び込んでいたのだろう。僕は、僕らはそれを見ていた。きっと、そうだったんだろう。さすがに面と向かっては言えないから、最後にココで。みずき、君は酔ってて覚えてないだろうけど。僕は眠くて殆んど覚えてないよ。
May 2, 2005
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僕が思うに、誰かを祝うこと、誰かに祝われること、そういう事実があるだけで十分に幸せであると。何時の時代からか、誕生日にプレゼントを用意することが暗黙の了解のようになってきている節があって、誕生日が近付いてきた友人同士、更には恋人同士になると『プレゼント何がいいだろう?でも驚かせたいから聞くのもアレだしな…』といった変な探りあいが始まります。これが、更に更に親ともなって、自分の子供の誕生日が近付くと、『プレゼントを買わなくてはいけない』という脅迫観念の元、子供から欲しい物をリサーチし買い与えるという作業が、どこの家庭でも行われているのです。そこに大切なことを忘れていませんか?子供に買い与えるのは義務じゃないんです。あくまで、お祝い。年に一度、生まれてきたことを、そして、元気に生きている事を祝福する日なのです。プレゼントはあくまで、祝福の気持ちを形で表したもの。『まぁまぁ、今日は誕生日だから』と甘やかすのはちょーーーっとばかり違う。そういった意味では、子供から親への誕生日や母の日・父の日のプレゼントなんかいい感じだと思う訳で。『肩たたき券』なんて、感謝の気持ちを見事に体現した物だと思います。実際使われるのはその場限りの場合が殆んどですけど。それを踏まえて。『母さん、誕生日おめでとう』といった内容のメールを母親に送った訳です。先日。これだけ書くと、親想いの息子を連想させそうですがいや、そう思って頂いて結構なんですが、実の事を言うと、僕は母親の誕生日を正確に覚えていません。家庭崩壊している訳では無いですが、現代の希薄な家族関係を体現するかのように余りコミュニケーションをしっかり取っているとは言い難く。それ故、家族の誕生日も覚えようとしない訳です。それが、なぜ、メールを送れる?種明かしをすると、父親からメールが来た訳です。父親ともほとんど会話した記憶はありませんが、そんな父親から。『明日は、母さんの誕生日だから』と一文だけのメールが。誰かを祝うこと、誰かに祝われること、そういう事実があるだけで十分に幸せであると。父はそれをよく知っている。そう思いました。父が僕にメールをした事を、母は知る由も無い。しかし、母は息子からメールが来た、それだけで十分に嬉しく思うことだろうと彼は思ったのです。あの父が母に何かプレゼントを渡すとは思えず、つまり、これが彼から彼女へのプレゼント。そして、お祝いの気持ち。形有るものだけがプレゼントではなく、こういう心遣いが、むしろ形ばかりのプレゼントより価値があると思う。実際、後日に母から返信が届き、数行の文面は最後にこう、括られていました。『自分は幸せ者である』と。人を幸せにすることは、形あるものじゃない。それは誰にでも分かっていることだと思います。それを実際にすることは簡単なようで難しい。でも、誰にでも出来ること。それを教えてもらった気がします。僕が言うのも何ですが、いい話でした。ただ一点。一点だけ。父が母の誕生日を間違えていた事を、除けば。
Apr 26, 2005
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(或る一室。沈黙と静寂)A「矢張り、尻込みしてる自分を認めずにはいられない」B「そう、か」A「正直、ここまでとは思わなかったよ、自分の臆病さが」B「ならば、止めるかね?」A「あんたは」B「なんだね?」A「アンタは何とも思わないのか、罪悪感とか」B「罪悪感?なぜ」A「ココがどういう場だかは、ガキだって知ってる」B「そう、だろうね」A「アンタがやってる事はつまり・・・」B「私は自ら選んでココに居る」A「・・・」B「自らの選択により、ココに居る事に罪悪感など」A「俺は、俺は違う」B「何が、だね?」A「俺は、その、意志など何も無く・・・」B「ならば君は自ら望んで此処に来た訳ではないと?」A「望んで?或いはそうかも知れない。」B「或いは?」A「望んだのは確固たる意思ではなくて… なんと無く、との表現が当てはまるのかも知れない」B「それは正当化しているのかね?君自身を」A「正当化なのかどうなのか。しかし俺はあんたとは違う」B「しかし、君が此処にいるのは紛れも無く君自身の中に眠る 衝動に拠って、だよ」A「衝動・・・」B「理論では、無い。衝動だよ」B「そしてそれは、他の誰のものでもない。 君の、ものだ」A「・・・単なる欲望だよ。衝動なんてモンじゃない」B「しかし、君を此処まで連れてきた」A「大層なモンじゃないよ、こんな衝動」B「君は何故、迷う?躊躇する?」A「何故?決まってるだろ。此処は夢やお話の世界じゃない!」B「・・・」A「何度も幾度と無く頭には思い浮かべていた! 話だってどれほども聞いた!」A「しかし、全て現実じゃなかったんだ!けれど此処は!」B「現実」A「・・・そう、だよ」(沈黙)B「どうするかは、君が決める事だ」A「・・・」B「私は、罪悪感など感じた事は無いよ」A「・・・クズが」B「そう思っていれば良い。構わんよ」B「しかし」B「直に君も。同じだ」A「俺は!」B「違う、かね?」B「しかし、此処に来た時点で一緒だ」B「今引き返そうが、近いうちにまた、戻ってくる」B「私が、そうだった」A「・・・」B「無駄だよ。一度此処に来た人間は」B「また、来る」B「何も此処だけじゃなくても、いくらでも、な」B「世界中に、溢れている」B「逃れられんよ、君は」A「・・・なんで・・・なんでこんな事に・・・」B「君が、いや、君の衝動に拠って、だよ」A「俺は!」B「すまないが、私はもう、行くよ」A「・・・アンタはこれからどうなるんだ・・・」B「君も来れば分かる。即ち、直に分かるということだ」B「・・・引き返すか?と聞いたが、君はもう、引き返せんよ」A「・・・」B「君が思う以上に此処は素晴らしい場所だ」B「では、また」A「ま、待ってくれ! アンタにはまだ聞きたいことがあるんだ」B「答えは扉の向こうに全てある」B「私が言うまでも無く、な」(扉が閉まる)-----------------------------------------10:38 PM新宿 ファションヘルス 「ピンクルーム」にて-----------------------------------------※フィクションです。
Apr 21, 2005
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またやってしまった。またやってしまった訳です。僕はアレか。学習能力が無いんですか。サル以下ですか。そうですか。何かと言うと、『禁煙』をしてしまった訳で。そこで、普通なら、『えー。いいじゃーん』となる訳だけど僕の場合、こと、禁煙に於いては無駄な行動であることがハッキリしている訳です。だって、無理だもん。マジで。なら、何で禁煙すんねん、と。禁煙宣言なんかする意味が無かろうと。そう、自分でも思うわけです。が。タバコ吸いすぎて気持ち悪いんだよコノヤロウ。という状態なのです。今。僕は自他共に認めるヘビースモーカーでして、住んで1年の部屋の壁もまっ黄色になってますし、ハッキリ言って肺なんてどえらい事になってるはずです。でも、そんなこと言われてもタバコは吸いますし、『肺ガンになるよ?』と言われても『だから?』と返しますし、たとえ、手元に500円しかなくて、それで1週間生きるしかなくても迷わずタバコを買うんです。嫌煙家の方からしたら、ホント信じられないでしょうけど、そんなモンなんです。ところが、そんな僕にもタバコが嫌いになる時がありまして。それが今の状態な訳です。吸いすぎて気持ち悪い。たまーにこういう状態が来まして。その度に『禁煙』を誓うのです。だって、喫煙が『百害あって一利無し』であることは重々承知なんですもの。で、今まで『禁煙』を、かれこれ20回はしたのですが、というよりも20回してる時点で禁煙出来てないんですが、未だに、完全に辞めてないのが現状です。だから「またやってしまった」と。けれど、今回こそは。今回こそはと思う訳で。今までは『ペナルティ』を己に課してなかったのですよ。「やめよっかなー」くらいのノリだった訳ですよ。それじゃすぐに断念するって話。ペナルティが怖いから、というネガティブな我慢はあまり気乗りしませんがプレッシャーをかけないとやらないタイプですのでこの際、仕方ない。いろいろ考えましたよ。『タバコを吸ったらその火で自分に根性焼き』とか『タバコを吸ったらそのままタバコを食べなきゃいけない』とか『タバコを吸ったらおっぱいは吸わない』とか。でも、ともかくいいアイディアが浮かばない。『タバコを吸ったら…こんな事になっちゃうの!? それは絶対イヤだ!!』と言うのじゃなきゃ、ダメなんです。でも、何だかまとまらないので、いまタバコ吸いながらゆっくり考えてます。
Apr 14, 2005
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おっぱいを揉みたい。という衝動に駆られています。誤解の無いように言っておくと、僕自身、乳房に対するフェティシズムは一般の人のそれと比べ、非常に程度の低い物だと前置きしておきます。例えを挙げるならば、僕の今までお付き合いをしてきた女性は大変俗な言い方で恐縮ですが、貧乳でした。乳房の大きいことで、女性に特異な魅力を感じることは ほとんど無い、そう言っても過言では無いでしょう。…言い過ぎました。やっぱり胸の大きい女性には目がいきます。それはそれとして。女性の方が非常に乳房の大きさを気にされているその現状に対して、僕はそこまでのコダワリを持ち合わせていない。それは断言できますし今までの人生はその様にして生きてきた。それが、今、何故?要求不満なのか。確かに、それはあるかも知れません。なんぼ僕が最近性欲無いからと言っても、そして彼女が居ないからと言っても、生物である以上、ムラムラせざるを得ません。僕のせいじゃない。DNAのせいなんだ、それは。けれど、今回は違う。ムラムラしてない。おっぱいを純粋に揉みたいだけなのです。ただ、揉むだけでいいのです。さて、これは?この要求は一体、何?ヒトの乳房が発達したのは、二足歩行に進化した際にそれまでの性的アピールをしていたでん部が下の位置になり、視界に入らなくなったために新たな性的アピールをするためのパーツとなるべくして発達したという説があります。只の脂肪の塊とも言えるおっぱいは本能的に性的なものを感じるように出来ている。けれど、おっぱいてそれだけか?母親の胸に抱かれて眠る赤子を考えてみよう。或いは授乳している時の赤子でもいい。彼らのなんと幸せそうなことか。泣き喚く赤子も、胸に抱かれた時には安らかなになるのだ。そう、おっぱいは究極の癒しツールなのである。現代社会にはあまりに余裕がなさ過ぎる。特にこの時期は、新しい環境に放りこまれ、新しい季節に胸躍らせながらも誰もが見えないストレスを感じているのだと思います。そして、ここ数年『癒し』は一つのブームになっています。それだけみんな、心が身体が疲れているのです。のらりくらりと暮らす僕の中にもそういった見えないストレスが、実は存在しているのかも知れません。だからこそ、無意識のうちに『癒し』を、すなわちおっぱいを揉むことを求めているのだと思います。ギスギスした、社会に一服の清涼剤を。おっぱい。それは、全ての人の心に安息をもたらす天が授けた尊いものだと、僕は信じたい。だから、おっぱいを。女性はおっぱいを周りの人に揉ませるといいと思うんです。それだけで、確実に社会は今より余裕が生まれ、みんなの顔も柔らかくなるのです。まさに、乳房のように。だから、俺におっぱいを揉ませろ。今すぐ。
Apr 11, 2005
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微笑んだ先に、例え、君が居なくても。それでも微笑んで行こうと思った。宙に向けて微笑む姿は警察呼ばれるかも、病院送りにされるかも、それでも微笑んだ。それを、きっと望んでいると思ったから。それを、知る由は無くとも。宙に微笑んだ。自転車を漕ぎながら微笑んだ。何も無くとも。微笑んだ先に、何も無くとも。君が居なくとも。涙が、頬を伝おうとも。
Apr 8, 2005
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最近、「死ね」ってよく言われます。あと、2回ほど言われたら 死ぬかも知れない。日常的に「死ね」だの「死ぬ」だの「殺す」だのそういう言葉が溢れている昨今。比較的に安易に使用されてはいるけれども、非日常的な「死」という概念に対しデフォルメされた「死」の概念が浸透しています。要は、「死ね」と簡単に口にはしているが「死」というものに対し「責任」というかその本質を無視した形で「死」という言葉を使用しているということ。誰も、そうだと思いますが「死ね」と言ったからといってその相手が死ぬ事は望んでいない訳です。「殺す」も同様に、相手に対し殺意を抱いたという訳ではなくて、いわゆる、「怒ってるんだぞ!」というアピールにしか過ぎない訳です。(実際に「殺すぞ!」と言ってホントに殺しちゃう中学生とかいますが。)こういった、デフォルメされた言葉は割と蔓延していて、コミュニケーションには欠かせないツールとなっています。ところが、僕自身もよくよく使用していた この「死」に関するデフォルメにはどうにも違和感を感じてきました。「死」は「誕生」に次ぐ、人生における最大のイベントである、そう、最近思っていまして。僕はちなみに『遺書』を書いているんですが(遺書に関してはまた書くときがあるかも知れません。)「どう、死ぬか」は僕にとって、相当に重要なことなのです。そう考えたときに、「死ね」だの「死ぬ」だの「殺す」だの、安易に自分が使うことに抵抗を感じた訳です。しょっちゅう「死ぬ」って言ってた僕ですが、今日を限りに使うのを止めようと思います。次に「死ぬ」て使うときは、本当に死ぬときですし、「殺す」って言ったときは本当に殺しますし、「死ね」って言われたら本当に死にます。あ。
Apr 8, 2005
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昨晩、二度 職務質問を受ける。二件とも警官の切り出しが「最近、変質者が出没してまして…」だから、何だ。春の、訪れを感じます。
Apr 2, 2005
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話のオチとして、「と言うのはウソでした。だって今日はエイプリルフールだもん★」みたいなブログがある方に500円。ええ!?ソフト・オン・デマンドが解散!? ⇒ ■この世界ウソばっかりだ!!もうイヤだ!!と叫んでみても、そんなこと微塵にも思ってないので結局ウソです。別にウソが良い悪いはどうでもいいのですが、天邪鬼な僕からすれば、こんな日にウソをつくのも真っ平御免ですので、嘘偽りの無い、ある休日の出来事でも書いてみようかと思います。全く面白くも無いですけど。10:00 起床10:05 就寝11:00 再び起床12:30 ふらりと出掛ける。玄関先で靴紐が切れる。12:45 電車に乗る。横に座ったEGOISTの店員のような女性(20代前半)が横山光輝の三国志を読んでおり、ドキリとする。(こういうアンバランスさは時に人を惹きつけて止まないものである。)14:00渋谷でウロウロする。(不審者ごっこ)突然、見知らぬ若者(♂)に声を掛けられる。向こうは僕を知ってるようだったのでああ、きっと何かの合コンで同席した男なんだろなと適当に話を合わせる。が、どうにも気持ちが悪いので、「ところで、キミ、誰だっけ?」と尋ねると、「それ、俺も聞こうとしてた。」と返される。どうやら、向こうも誰か分かっていなかった。折角なので電話番号を交換しておく。(かなりのイケメンだった。)17:30過ぎ友人の女性(巨乳。ただし、足が尋常じゃなく太い)からTEL。暇だから遊ぼう、と。呼び寄せる。第一声が「わたし、ホワイトデーもらってないよ??」俺もお前からバレンタイン貰っとらん。というか、今年は誰からも貰ってない。今年、とか言ってますが、ココ5年くらい貰ってない。(彼女からも貰えなかった時がある。)18:00くらいメシを食いに行く。「おごって?」と言われたので、「てめぇの足でも食ってろ」と返す。メシを食いながら最近の恋愛事情について彼女が話す。(ちなみに、僕と彼女は 「人類が滅亡してこの世界に二人きりになってもお前とは交わらん」 という契約を交わしている。)何時の間にやら僕の好みの女性話になる。「ところであんたは、どんな子が好みなの?」「もう、どんなんでもイイよ」「じゃあウチのママは?」「そしたらお前は俺のことをパパと呼べよ」「うん。パパ、バッグ買って~?」「黙れ」という、どうでもいい会話をする。21:00帰る。もうすぐ春とは言え、夜は寒い。駅の喫煙スペースに居た浮浪者が、ガタガタ震えて毛布にくるまっていたので「大変に失礼な質問ですが」と前置きし、「どうしてそこまでして生きようとするのですか?」と質問する。「死んでないから」と答えられたのでそれが、全てだ。と思う。23:00帰宅。家の前で猫の死体を見る。10:00という、夢を見て目が覚める。一日得した気分になり、チョット浮かれながら出掛ける。靴紐が、切れる。あれ?予知夢?その他は何も無く一日は終わる。吉野家でご飯食べてサイフに50円しかない事に気付き、狼狽したくらいです。くだらん。
Apr 1, 2005
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大して忙しくも無いくせにどうにも仕事が長引き、サッカーのバーレーン戦を見ることが出来ませんでした。非国民とか言われるんだろうなぁ。とは、言いつつも、ナショナリズムや愛国心という概念はどうにも僕の中にあまり無いらしく、『日本人としての誇りを!!』とか言われても、「確かに日本家屋ってホコリが沢山出ますよね。 ハウスシックになるよりマシか。」とくらいしか思わないんで、もうすぐ右翼に刺されると思います。さて置き。殆んど喋った記憶の無い僕の弟(18歳)が明日からカナダへ1年か2年行くそうです。つい、最近知ったんですけど。僕の母は、僕以上に愛国心の欠片も無いらしく「日本はダメだ!海外へ行け!」「亜米利加の方が文化が進んでいる!!」と妄信的にアメリカというか、欧米文化を崇拝していまして、僕も何度と無く、渡米を勧められたものですが日本語もうまく喋れない僕が、他言語を操れるとは到底思えなく、(ちなみに彼女はネイティブ並に英語が堪能で、どっちかと言うと 日本語より堪能に喋ります。)(逆に言うと彼女は日本語がとても下手です。)彼女の言う『腐った国』でダラダラと人生を終えようとしてる訳です。弟君がそんな彼女に触発されたかどうかは、彼との連絡手段も無いため知る由も無いのですが、どうにも、「就職難だから」という理由が強いそうです。(彼はワーキングホリデーという名目でカナダ入りします。)僕の家族不仲をぐだぐだ綴ってもしょうがないのでこの辺りにしておきますが、なるほど確かに、異文化を肌で感じることは有益かも知れません。かく言う僕も、渡米経験はありまして、あの脂臭い風土を直に肌で感じたのですが、ダウンタウンにポルノ雑誌が落ちていて、(当然の様に)拾い上げ目を通すと、まぁ墨消しやモザイクの類は一切無く、ははぁ、やはりアメリカはおおらかな国だなと感心した記憶があります。ただ大らかなのは気質だけでなく、体も、でして、極度の肥満体を見る度に、別に日本人でいいなと思い、現在に至ります。そうは言っても、機会と時間があれば、いつか東南アジアをふらりと漂いたいなと思っています。特に理由は無いのですが、いつかブラウン管越しに見たタイの街並みの風景が僕の脳裏に焼きついてましてあの街並みを直に見たいな、という要求がある訳で。そういった話をタイに行ったという知人にすると、「タイはいいよ!○○ってとこでは、 物凄いカワイイ子がたくさん居て、しかも安いんだ!!」と堂々と自身の買春談を披露。タイへ行く=買春の図式が成り立つ日本人男性。 何だか日本人でいるのも少し嫌になりました。まぁ、僕みたいなモンはどこの国に生まれようと結局ぶちぶち文句を垂れると思うので、これでいいか、と思いながらニュースで、バーレーンの自殺点のシーンを見てました。たまには徒然なるままに。弟君が、有意義なカナダ生活を送る事を願いつつ。
Mar 30, 2005
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やっぱり反転するんだ。そんなことは さて置き、隠されているもの、分からない謎を解き明かしたいと思うのは人に備わった本能のようなもので。だからこそ、ミステリー小説が売れたりだとか探偵業が儲かったりする訳で。『怪しいもの』『隠しごと』『誰かのひみつ』を知りたい知りたいと思うことはしょうがないのかも知れません。『誰のことが好き?』という話題で盛り上がった記憶は誰にでもあると思います。この歳になると恥ずかしいもへったくれも無くなるものですが何故か思春期を迎える頃から、ハタチくらいまでの頃は『好きな人』を隠したがるものです。恥ずかしくて。ですので、その『秘密』を知りたがったり、知った時には何かしら『快感』に近い感情を得るものです。誰かの好きな人を知った所で、その実 自分にとって何かのメリットがある訳でもないのです。(それをダシにして、取引を行うこともありましたが)ところが、知りたがる。とても不思議なものでした。恥ずかしい、と言う感情は実の所、その感情が相手に伝わることにより、相手が今までと同じ様に接してくれなくなる可能性を恐れている訳で。確かに、その気が無い異性に特殊な感情を持たれることは困惑と言う感情が生まれる一つのファクターです。好意を持たれてるのなら無碍にも扱えないし…でも、自分はその気が無いんだよねぇ…この状態。自分も相手もツライ。だからこそ『好きな子』を隠したがる、と。じゃあですね。こうしたら良いんです。もう、ハッキリ表明するんです。最初から好意を持ちそうな相手に『ヤバイ、好きになりそうです』と事前に告げておく。そうすることにより、相手にも心の準備が出来る訳ですし、何より、好意を持たれることで悪い思いをする人は居ません。僕はこの方法を常に取るようにしている。そして、最近知り合った女性に、大変に魅力的な女性がいらっしゃいまして。早速、『惚れるかも知れないです』とお伝えしました。「アウト オブ 眼中。」即答。まぁ、そんなモンです。悪い気はしないどころか、何の気も持たれなかったようです。僕は、アレか。男として扱って貰えてないのか。と言うか、いまどき「アウト オブ 眼中。」とか のたまう女はコチラから願い下げじゃ。と、自分を慰めた。こんな男、『好きになりそう』にも無いだろな。誰も。
Mar 29, 2005
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こんばんは。ミドレンジャーです。体育教師では、無い。僕の生まれる前のずーっと昔から、いわゆる戦隊モノと呼ばれる特撮ヒーローものがやっておりまして、幼少の時分には誰でも熱中して見ていたと思います。内容と言えば、殆んど世界制服を狙う悪役を選ばれた正義の味方が退治する、勧善懲悪を絵に描いたもんです。これも、一つのメディアが生み出した洗脳のカタチなのでしょうか。誰しもが、世界には絶対の正義と、絶対の悪が在ると信じていたと思います。最初は。正義の味方が悪役を殺す。この場合の殺人は、正義の名の下に容認される訳で。『殺人は悪い』と言った基本的倫理観はとても薄くなってしまう。僕は何も、メディアが子供に悪影響与えるから、人殺しの映像を流すなとまでは思いません。人殺しは、悪い。それを伝えるなら、別に人を殺す映像が流れてもいい訳で。問題は、世の中に絶対的な正義が悪があると子供に思い込ませること。未だに、戦争に悪い国、いい国があるようにメディアは報じています。ある国が悪。だから攻撃する。正義の名の下に。戦争にいい国も悪い国もあるか。残念ながら戦争がこの先無くなることは無いと思います。こんな事を言うと、徹底的に叩かれそうですがあくまで僕の持論と言うことで。人が生きる以上、そして、様々な思想とそれに対する圧迫がある以上、摩擦が起きる事は必至だと、残念ながら思う訳です。昔に、機動戦士ガンダムというアニメがやっておりまして。僕と同じ世代の男性の方は皆さんご存知だと思いますが大変に人気のあるアニメでした。アニメの内容は、まぁ、遠い未来に起こる宇宙戦争な訳ですが、この劇中にはモビルスーツと呼ばれる人型の大型ロボット兵器がそれはもう、無数に登場する訳でして、(それは明らかに商業目的なのですが)僕らは、目を輝かせ、胸躍らせながらオモチャを買い漁り、アニメを見たものです。そして、当時の友人達と、どのモビルスーツが好きか言い合うのですが、大概が主人公が搭乗するガンダムというロボットでして。その中で僕は『量産型ザク』というロボットのデザインが非常に秀逸だと思っておりましてそう答える訳です。それに対する返答がこれ。「えーだって、ザクって悪モンじゃん!!」そう。既に、戦争における善と悪という概念は彼の中に刷り込まれていた。僕は、初めてそこで、善と悪なるものに対し、疑問を覚えた訳です。この世に、完全なる正義、完全なる悪は存在しない。そう、思っている。で。前述の『戦争は無くならない』という話をすると、「お前みたいなヤツが居るから無くならないんだ!」と言われ、『機動戦士ガンダム』の話で善と悪に対する疑問を覚えた、と話すと、「ふーん。ヲタク話はいいよ」と、あたかもヲタクが悪であるかの様な発言。完全な悪は無いと言いつつも、どうやら僕が悪だったようです。なぁんだ。
Mar 28, 2005
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それが正しいか間違っているかはさて置き、現代社会に於いては、実に大量の『情報』が飛び交っており、これらの情報を如何に手に入れ、そして使うかが大変重要に思われる節があるようです。確かに、『情報』を手に入れることにより、ビジネスの世界に於いては、競合社よりも一歩リードできる可能性が高くなりますし、全くのプライベートな世界に於いても、他者とひとつの『情報』を共有することにより、親密なコミュニケーションを可能にしたりと利点は多くあるように思われます。僕にとっても、多くの『情報』を得たり、はたまたそれらを自分のものとして『知識』と扱うことは、より積極的に行いたいなと思っていますので『知りたい』という欲求は中々に強い物だと自負しております。ですので、『知らないモノ』が現われた時に、どうにかして それを知りたいと思うのですが往々にして誰かに『尋ねる』ことはエネルギーを多分に使うものなのです。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』との格言にも現われるように、『聞く』ことは恥ずかしいものであると多くの方は思ってらっしゃると思いますし、『そんな事も知らないの?』と思われるのは僕のような矮小な人間であってもプライドだとかいう妙ちくりんな概念が邪魔をするのか、あまり気持ちの良いものではありません。したがって、会話の中に自分の『知らないモノ』が含まれていたとき、本来、僕の持っている『情報』に対する姿勢としては、「なにそれ?」と聞くのが正しいところ、「ああ、○○ね」と知ったかぶりをしたくなるのが本音なのです。知ったかぶり。この言葉はあまり良い意味を孕んでいるとは思えません。何故ならば、『知らないモノ』、すなわち未知の『情報』を自分の中に『知識』として取り入れる機会を失うばかりか、会話相手に対し嘘を吐くことになる。それは、やもすると悪印象を与える一端になるかもしれない危険性を孕んでいるからです。しかし、ですよ。僕は、あえてココで『知ったかぶり』を使ったろうと。良くないもの、と自分で断っておいた物を敢えて使ったろうと思った訳です。先にも挙げたように、『知ったかぶり』に於けるよろしくない点としては、・未知の『情報』を得る機会を失う。・会話相手に悪印象を与える恐れがある。の2つがありますが、これらを払拭する『知ったかぶり』の方法を編み出したのです。それは、『あり得ない知ったかぶり』でして、すなわち明らかに、間違っている知ったかぶりに対し「そんなことあるか!○○はそんなんじゃ無くて△△やろ!」というツッコミを期待する『ボケの知ったかぶり』です。具体例を挙げると、相手「わたし、クイニーアマン大好きなの!」僕 「ああ、クイニーアマンいいよね!キレイだよね! 今度、なんかの映画に出るんだったっけ?」相手「やだー何言ってんのよ。 クイニーアマンは菓子パンじゃない! ホントに702君ておもしろーい!あはは!」コレよ。僕の言いたいことが分かります?つまるところ、『あり得ない知ったかぶり』をすることによって、相手に情報の詳細を言わせることができ、尚且つ、高感度もあげることができる。更に言うと、相手に対し『聞く』訳では無いので、気恥ずかしい思いをすることも無いのです。僕はこの発想に大層 満足致しまして、積極的に実行に移そうと思った訳であります。そして、その結果、僕は手に入れました。「アホか」の一言と冷ややかな目線を。結論:やっぱり『知ったかぶり』は良くない。
Mar 26, 2005
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真に無意味なもの、とは一体何か。世の中に0%や100%は無い、ということと『意味』の捕らえ方は個々に違う、ということを前提にして、僕にとって、限りなく『無意味』に近いものを挙げてみました。(★:無意味度)・通販のダイエット器具 ★★★★★・虫歯に正露丸★★★★★★★★・2人が付き合い出した記念日★★・女性が来ない合コン★★★★★★★★★★★★★★★・おもいっきり生電話★★★★・みかんの周りについてる白いやつ★★★・古館伊知郎のリアクション★★・熱いものを触ったときに耳たぶを触る★★★★★・まな・かなの区別が出来る能力★★★★★★★・ホワイトデー★★★★★★★★★★★★・ファミコンのカセットに「フーッ!」と息をかける★・プレステのソフトに「フーッ!」と息をかける★★★★★★★★★★・「へぇ」と言うときに、右手が動く★★★・意地でも「試してガッテン」が元祖だと言い張る★★★★★★★★・「コンソメ派」か「うすしお派」かの争い★★★★・争ってる最中に「俺、のりしお派!」と言い出すヤツ★★★★★★★★・ピンクレディーの振り付けが完璧★・メロン記念日の振り付けが完璧★★★★★★★★★★・こんな事を考えてる時間★★★★★★★★★★★★★★★★★★みんなも、自分の思う『無意味なもの』を挙げてみよう!!(それこそ本当に無意味である。)
Mar 15, 2005
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哲学者は『意味』を求めた。そしてこれからも求め続けるだろう。今まで、幾度と無く言及してきたことですが、人は、分からないこと、不可思議なこと、見えないものに対し畏怖の念を抱きます。それはストレスとなり、襲い掛かってきます。発達した脳と思考は、『不明』を恐れ、それを解明しようと躍起になっていますが哲学者達のそれは、決して明確な唯一の『答え』ではなく、『自分はこう、思う』という思想にしか過ぎません。『答え』や『意味』なんてものは幾つにも存在しうるものですが、『コレはこういうものである』といった、物事を1対1の関係性で結びつける思考は明らかに世の中に蔓延しています。『明確』では無いことを嫌う人種には事象、存在、行動、全てに於いて『意味』を見出さずにはいられないのです。『意味』を求めることは『無意味』だ、とも言えますが、こういったことを考える時点で"『意味』を求めることは『無意味』だ"ということを証明する『意味』を求めることになり、ジレンマが生まれます。『意味』って、何だろう。『答え』って?全ての事に言えること。生きることに何の意味があるの?と尋ねられた。何のために生きている?生きるのに理由が必要?無数に存在する『生きる意味』。別にいいじゃない。それを言うなら、死ぬことにも意味は無い。死んだら楽になるんだって。なんじゃそら。聞いたこと無いよ。知り合いに一回死んだって人が居ないしね。生きることはツライから、意味が無いなら死ぬんだって。それを言うなら、死ぬ意味を教えて欲しかった。アイツは一体、誰から『死んだら楽になる』って聞いたんだ?哲学者は『意味』を求めた。そしてこれからも求め続けるだろう。僕が書いたこの文、意味があると思いますか?無意味だと思いますか?そんなことはきっとどうでもいいんだ。『意味』がどうとか、どうでもいいんだ。ココに居ること。ココにあること。それで、全てなのかも知れない。そんな僕はそうやって、『意味』付けをしている。
Mar 15, 2005
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昔、昔の話。逃げることが得意だった。嫌なこと、怖いこと、痛いこと、大変なこと、ツライこと。それらから全て逃げるのが得意だった。何の自慢にもならない。臆病者。ただの臆病者。けれど、そのお陰で傷ついたり、悲しんだり、苦しんだりすることは少なかった。ほとんど無かった。だからかも知れない。とても、とても打たれ弱かった。如何しても逃げることが出来ないとき、信じられないくらいに強く、傷ついたり、悲しんだり、苦しんだ。だから、余計に逃げた。身体の震えが止まらないんだ。どうしたって。怒られる。嫌われる。罵られる。それらがとても怖かった。ありえない位。いつしか、仮面を被る事を覚えた。仮面を被っていれば、逃げなくても大丈夫。だってそれは自分じゃ無い。自分じゃ無い他の誰か。と言っても何のことは無い。新しい逃げ道を知っただけ。新しい逃げ方を知っただけ。ますます、逃げ方が上手くなった。そんな折に彼女と会った。相変わらず仮面を被った自分と。何のことは無い、普通の女の子だと思った。バイト先の女の子。食事に行こうと彼女を誘った。彼女はそれを受けて、そして、それを聞いて自分に気があるんじゃないかと思った。そして、彼女と付き合った。仮面を着けたまま。何もかもが順調だった。デートしたり、いろんな事を喋ったり、そして身体も重ね合った。幸せだと、思っていた。彼女はある時、プレゼントを渡した。クリスマスだったかと思う。正直な話、そのプレゼントは気に入らなかった。でも、仮面を被ったまま、笑って言った。ありがとう、と。彼女は次の瞬間、泣いた。訳が分からなかった。なんで?どうして?嫌だ。泣かれるのは嫌だ。逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい。衝動が襲い掛かる。どうして、本心を言ってくれないのと彼女は泣いた。気に入らなかったプレゼント。彼女はわざと送りつけた。気に入らないであろう、プレゼントを。彼女には全てお見通しだった。仮面を被っていること。嫌なこと、怖いこと、痛いこと、大変なこと、ツライことそれらから逃げていること。そして。本当の自分から逃げていること。逃げてばかりの時、泣くことなんて無かった。逃げているから、当然だろう。でも、その時。信じられないくらい涙が出た。信じられないくらい大声で泣いた。信じられないくらい、全てを曝け出して子供のように泣きじゃくった。彼女は。誰も知らなかった自分を、自分さえ知らなかった自分を見ていた。見つけてくれた。まるで赤子のように無きじゃくる姿を見て、彼女は微笑んだ。やっと、やっと逃げなかったね。ホントにホントの姿を見せてくれたね、と。ホントの姿を知ってくれたのは彼女が初めてだった。親さえ知らないホントの姿。仮面を被っていない自分の姿。逃げなかった自分の姿。そして。そんな丸裸になった男を愛してくれた。それが嬉しくて、嬉しくて、申し訳なくて、申し訳なくて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、泣き続けた。今まで泣けなかった分、泣き続けた。逃げることは、もう、お終い。もう、逃げたくない。傷ついたり、悲しんだり、苦しんだりすることはたくさん、ある。震えだって止まらない。けれど、もう逃げない。逃げられない。逃げてしまえばいいことだってあるって誰かが言うかもしれない。自分でもそう、思う。なにも、傷だらけになってまで逃げない必要は無い。けれど、もう、逃げないんだよ。逃げられないんだ。彼女と約束したんだ。だから、彼女が去るときも、逃げなかった。ウソの笑いなんか見透かされるから大声で泣いてやった。力いっぱい抱き締めてやった。そして、大声で叫んでやった。ありがとう、って。心から叫んでやった。いまでも、逃げてないよ。傷だらけになってるけど。ブッ壊れそうになってるけど。それでも逃げない。逃げたくない。逃げられたらどんなに楽だろうと、思うこともある。正直な自分と逃げずに向き合い、そう思ったこともある。けどね。やっぱり心の奥から出るのは逃げるな!って言葉。逃げたら、自分じゃなくなる!だから、逃げない。逃げられない。昔、昔の話。逃げ方を知ってた昔の話。
Mar 7, 2005
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先日の話。僕の高校時代の後輩の女の子からメールが来た。彼女は現在、大学4年生で、今年の春から新社会人としてのスタートを切る。彼女が就職活動をしているときから何度かアドバイスを求められ、僕は彼女にアドバイスと言うか自分の実体験を話していた。そんな彼女は無事に就職先も決まり卒業論文の提出も終え、残された学生生活を満喫しているようである。彼女から来たメールは次のようなものだった。------------------------------仕事って、働くって何だろう?四月から働く実感が無いよ。------------------------------さて、僕はこのメールの回答として模範的な、いわゆる世の中に溢れている面白くも何とも無い回答を、した。------------------------------仕事をする、社会人になるって「自立する」ってことだよ。自分でお金を稼ぎ、自分で食っていく。そして誰も自分の代わりに責任を取ってくれない。「自立」すると同時に「責任」が加わる。そういうものじゃないかな?------------------------------この回答が彼女にとって求めていた答えなのかどうかは分からないのだが、僕が今から言いたいことは僕の回答が正しいかどうかの是非を求めている訳ではない。僕が働く理由。企業に勤める理由をこのとき考えてみた。勿論、いつまでも親の脛をかじる訳にもいかないので自立し、稼いで食っていく為に勤めている訳だがそれだけでは、無い。仕事のやりがい、充実感を得るため?それもある。そして僕は今まで、自分が働く理由をそういったことからである、と自分自身にも言い聞かせてきた。ただ、僕の根底にはそれだけでは無い、「何か」がある。その「何か」は「必要とされること」である。僕は、「誰かに必要とされたい」がために働いている。そういう部分も間違いなく、存在するのである。仕事に於いてのみでは、無い。僕は様々なことに於いて、「必要とされること」を求めている。それは、どんな形でもいい。友人として、恋人として、先輩として、部下として。利用されるだけでもいい。それでも良いから、必要とされることを望んでいる。「必要とされなくなること」。自分の存在が否定される事を僕はとにかく恐れる。原因は分かっている。とてつもなく強烈な恐怖を、僕は感じた。それは僕が1歳半の冬の出来事である。物心がつくかつかないか、と言った年齢であるが僕はそのときの光景を今でもはっきりと記憶している。僕には弟が2人居て、上の弟は僕と年子である。僕は長男としてこの世に生を受けた。当然、生まれた時の記憶は無い。ただ、大事に大事に育てられ、皆の視線と関心と愛情を一身に受けて育てられた「感覚」は残っている。それは、弟が生まれた冬のある日まで続いた。その頃の僕に「弟が生まれる」といったことが理解できていたかは分からない。僕の記憶は、僕を抱えた父親がタクシーに乗り込み、祖父と祖母も一緒に病院に向かっている場面から始まる。街の光が時折差し込む、暗いタクシーの車内。祖父は助手席に座り、父親に抱えられた僕の隣で祖母は僕に甘いビスケットをくれた。小さい、個人の産婦人科。古びてくすんだ白い建物。その中に入っていく。病室のベッド。母が居る。その瞬間。皆の視線は母の隣の小さな物体にうつった。そして。誰も、僕のことを見ていなかった。今まで自分を抱いていた父親も僕を車内でずっと構っていた祖母も大きな手で、ぐしゃぐしゃと僕を撫でていた祖父も誰も僕を見ていなかった。母親でさえ。僕はその瞬間の恐怖を、今でも鮮明に覚えている。自分はココに必要ない。居ない。自分はココに居ない存在。誰も、誰も見ていない。誰にも見えていない。そんな恐怖だったと思う。嫌だ。僕はココにいる。構って欲しい。見て欲しい。でも、その術をそのときの僕が知る由も無い。その恐怖で、僕の記憶はぷっつり途切れる。次に覚えている記憶は「兄」としての役割、「子供」としての役割を必死に果たそうとしている僕の姿。ほら、僕はココにいる。必要とされている。そう必死にアピールするように。もう、二度とあの恐怖を感じたくないがために。必要以上に弟の世話を焼いた。幼いながらにも。必要以上に、子供らしく振舞った。幼いながらにも。求められているものに対して必死で応えようとした。それが僕の幼少時代。そんな自分に嫌気が差して必要以上に「自分を必要としてもらう」のを止めてしまおうと、思春期の自分は思う。逆に、必要の無い子であろうとした。素行も悪くなっていったが、その話は別にどうでもいい。問題なのは、「必要とされること」を止めたはずの『今の自分』の中に、まだ「必要とされたい」と思う感情があること。今でも僕は誰かに「必要とされること」を求めていると気付いた。後輩からのメールによって。その後輩の悩みに付き合ってあげたのも彼女のためでなく、自分のためだったのかも知れない。自分を『必要』とされたいがための行動だったのかも知れない。僕に必要なのは「必要とされること」。その人がどういう人であるかは問題ではなくて、その人が「自分を必要としているかどうか」が問題である。友人であれ、恋人であれ、後輩であれ、上司であれ。自分を利用しようとする人であれ。それが正しいとは思わないし、到底思えない。けれど、この呪縛から完全に抜け出ることは、きっと無い。あのときの恐怖。今でも鮮明に映し出される恐怖。それが僕を縛り付ける。いつまでも。反転してもオチなんか無いですから。
Mar 4, 2005
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人間関係が希薄になりつつある昨今、知らない人に声を掛けるなどありえにゃーい、という方がほとんどでして、まぁそれについてとやかく言うこともありませんが僕はナンパ含め知らない人に声を掛けることを屁とも思っていません。むしろ糞とも思っていません。それを踏まえつつ。今朝の出来事をお話しようと思います。最近、分煙化、というかあちこちで『禁煙』になっています。僕みたいなヘビースモーカー(蛇みたいにしつこいストーカーでは無い)にとっては、まことにキツイものではありますが喫煙者に人権を!!と声高に叫ぼうとも思わないので、むしろ、喫煙者は端っこの方で細々と申し訳なさそうにタバコを吸うべきだと思っていますので、当然大人しく従う訳です。イライラしながら。そして、まぁ、僕は電車通勤をしている訳で。駅のホームで電車を待つ事は毎朝の日課なんです。そのときに女子高生をチェックするのも毎朝の日課なんです。そして、そんな駅のホームは禁煙なのです。で。そんないつもの朝の風景。電車を待つ僕の横で時計を気にする彼女でも居ればいいのですが、大概、僕の横にはおっさんがおる訳です。8割方はオッサンなのです。よく見たら僕もオッサンなので気にしません。しかし今朝の僕の横にいたオッサンは気になった。タバコ吸っていやがる。僕は迷わず言いました。ええ。冒頭にも書きましたが知らない人に声を掛けるのは屁とも思わないのです。なので迷わず言いました。「ここ、禁煙ですよ」と。別に正義感持って言った訳じゃないのです。俺が我慢してんだからテメェも我慢しやがれ、そんな感情なんです。なので、僕をカッコいいとか思った人は勘違いです。でも、勘違いでもいい。ソコから生まれる恋もあるじゃない。ラブレター、待ってます。話が逸れました。で、僕は「ここ、禁煙ですよ」と言ったのです。そのオッサンに。で、オッサンは持っていた携帯灰皿にタバコを捨てたんです。ああ、良かった良かった。分かってくれた。ここで全てが終われば良かったんです。「んんんんなんだよっぉぉおぉぉ!?おまぇええええ!! ばかやろぉぉぉぉおお!?おれをばばばばばかにしてんのかぁぁああ!??」もっそい大声がホームに響いたんです。そりゃもう、ホームに居た人全員がこっち見ました。当然僕も見ました。そのオッサンを。僕の方を見ずに、あさっての方を目を剥いて見ながら、大声で叫び続けるオッサンを。うーわ。やっべぇ。やっちまいました。オッサン、アレな人でした。あっち側の人でした。よく考えたら、要素満点じゃないか、アレの。辞書ほど分厚いゲームの攻略本を目から5センチくらいの距離で読みつつCONVERSEのベンチコートを着てよく分からんリュックを背負ったハゲなのに長髪のメガネを掛けた30代後半のデブ。あああ。コイツ、確実に家で少女を監禁してる。もしくは、猫を解体してる。そういう訳で、電車に乗り込むまでの数分間、オッサンは罵声を叫び続けました。どもりながら。僕を見ず、あさっての方を向いて。なので、僕は近々、コイツに刺されます。今日の帰りにでも刺されます。ああ、現代社会って恐ろしい。人に声掛けただけで殺されるんだもの。ココの更新が途絶えたらそういうことです。先に言っときます。よろしくお願いします。
Mar 2, 2005
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ヘッドフォン ボリュームアップ。目を閉じろ。外界シャットダウン。都会の喧騒とかすぐ慣れる。すぐ慣れるけれども好きかどうかは別の話。だから、閉じるんだわ。見えないように、聞こえないように。ヘッドフォン ボリュームアップ。目を閉じろ。外界シャットダウン。東京の空は冬の方が晴れるのだ。俺は山ん中の田舎生まれの田舎育ちだから知らなかった。冬の空は曇るもんなのだ。そう思って生きとったわ。アスファルトに寝っ転がるとすぐにクラクションが耳をつんざく。空が見えやしねぇ。折角晴れてんだ。ゆっくり見せろ。折角晴れてんだ。見れないんなら気付かんようにする。クラクションがうるせぇから気付かんようにする。ヘッドフォン ボリュームアップ。目を閉じろ。外界シャットダウン。そんでも匂いは感じる訳よ。あと、空気の感触。目と耳が使えん分だけ敏感になる訳よ。お。おおお。これ、この感じ。俺、知っとるわ。デジャブとかじゃねぇ。知ってんだ。この感じ。春が来る。ああああ。春が来るわ。もっと匂いを嗅ぎたいからもっと空気を触りたいから閉じるんだわ。ヘッドフォン ボリュームアップ。目を閉じろ。外界シャットダウン。だからクラクションは聞こえなかった。ヘッドライトの光も見えんかった。
Mar 1, 2005
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僕がこの楽天でブログをつけ始めてからと言うもの滅多に『今日の出来事』を綴る、いわゆる『日記』を書くということをしません。それは単純に僕の周りの日常が、特筆すべき物が何も無い単純な日常でして、まぁそれを不満に思うなら自分で何かおもしろいことを起こせばいいじゃ無い、とも思うのですが、僕自身大して面白くもなんとも無い人間でして日常生活をひっくり返そうと思っても出来ることは犯罪くらいで、それも人に迷惑を掛けることが死ぬほど嫌なので全裸で街を自転車に乗って滑走するとかホントどうしようもない犯罪しか思いつかんのです。そこまでして日常生活を面白くしようとする気概も無いので僕の脳内の彼がわーわー喚く事を書き綴ってますが、今日はたまには僕の日常を書いてみようかと。前置きが長かったのですが、僕はホント女性に縁が無い男です。職場も殆んど男性ですので、女性とお酒を飲みに行く機会などほぼ皆無なのです。そうでなくても(職場が女性で溢れていても)女性とお酒を飲む機会など作れないでしょうが、まぁそんなことはどうでもいいです。事の発端はそんな僕の元に入ってきた一つのメールからである。『合コン、しない?』よろこんで。このメールにより僕の新しい人生を生きる糧が見つかった、と言っても過言ではない。事実僕は、合コンが大好きである。この話は前もした事があるので、お暇でしたら読んで頂きたいのですが、下世話な気持ちよりも単純に初めて会った女性とお話しすることがたまらなく好きで、楽しいのです。まぁ、そんな建前はどうでも良くて兎に角僕がこの合コンを楽しみに、非常に楽しみにしていたことだけ知っていて頂きたい。そして、当日の土曜の晩、はち切れんばかりの股間期待で待ち合わせの店の前に立つ僕に電話が掛かってくる。大体において、このタイミングで掛かってくる電話などロクなものが無いのですが、その時の僕にそれを考える余裕など無く。僕 「はい、もしもし?」女性「あ、○○?ごっめーん、今日インフルエンザかかっちゃった☆ んで、今日来る予定の子も、みんなインフルエンザかかっちゃってさ、 みんな来れないの。ゴメンねー☆ばいばい♪」インフルエンザならもっと元気なく電話してきやがれ。とか思ってもしょうがないので集まった男性陣でお酒を酌み交わすことになる。この日、僕は止められてるお酒を浴びるように飲んだ。もう、涙も出なかった。
Feb 26, 2005
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何時だったか忘れたけど、俺は神を信じてる、って話をした。その時も話してたんだと思うけど。その『神を信じる』って言葉は『神様に感謝します』とかそういうもんじゃねぇんだ。ヤツがとんでもなく極悪人で最低な野郎で、いつも俺らの『幸せ』を壊していくこと。それを信じてるんだ。俺達が幸せになっているのは神のヤツのせいじゃなくて、それは俺達が幸せになれるように必死で必死で足掻いてるからなんだよ。そうやって築いた幸せが、一瞬にして訳も無く崩れるなんてそんなこと、神にしか出来ねぇだろ?ヤツは、俺が『神』って呼んでるヤツはとんでもなく極悪人だ。ヤツは人が幸せに、幸せになってると不幸を起こそうとする。それに黙って従うか?俺は従いたくねぇよ。人が足掻いて足掻いて掴み取った幸せだ。それを壊すんじゃねぇ。そいつを果たして『神』と呼ぶのが正しいかどうかは、分からない。でも、俺はそいつに抗うよ。ツバ吐きかけて、『クソったれ!』て言ってやるよ。誰が思うようになるかって、な。だから、悪い事が起きたら。必死で抗え。そんなクソ野郎の思うようになるかって。『神』だか『運命』だか知らねぇけど『幸せ』の邪魔すんじゃねぇよって。今、『アイツ』に抗っている全ての人へ。俺は『神』の存在は信じるが、『アイツ』は大っキライだ。だから俺も俺の息の根が止められるまで全力で抵抗する事を、今、誓う。
Feb 25, 2005
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電 車 の つ り 革 に 掴 ま る 右 手 が 自 分 の 物 じ ゃ な い 気 が し た の でそ の ま ま 電 車 に 置 い て き ま し た 。 鏡 に 映 っ た 顔 が 知 ら な い 気 が し た の で 、そ の ま ま ト イ レ に 置 い て き ま し た。 考 え 事 を し て い て も 、 頭 が す っ き り し な い の で 、 コ レ は 僕 の 脳 ミ ソ じ ゃ な い と 思 っ て 、 耳 の 穴 か ら 引 き ず り 出 し て 道 端 に 捨 て て 置 き ま し た 。 と こ ろ で 、 『 僕 』 は 何 処 か ら 何 処 ま で が 僕 で 、 何 処 か ら 何 処 ま で が 『 僕 』 じ ゃ 無 い の で し ょ う か ? 落 ち た 脳 ミ ソ は 僕 の も の じ ゃ な い な ら 『 僕 』 は 何 処 に 居 る の で し ょ う か ? 考 え よ う と し た の に 脳 ミ ソ が も う 無 い の で 、 考 え ら れ ま せ ん で し た 。 誰 か 『 僕 』 を 知 り ま せ ん か ? さ っ き か ら 探 し て い る け れ ど 見 つ か ら な い の で す 。 見 つ か ら な い の で す 。 見 つ か らな い 。 非 常 に 困 っ た 。
Feb 24, 2005
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全く唐突で、そして多くの方に『知ったこっちゃねぇよ』と一蹴されそうなのですが、僕はざるそばが好物です。ですので僕が年間消費するざるそばの量は日本人の平均のそれを遥かに上回っていまして、それでまぁ、今日の昼食も手打ちのざるそばを食べていたのですが、そこで僕はある一つの事実を知ることになる。『ざるそば』≠『もりそば』もうね、そば好きの名前を返上しようかと思った。『ざるそば』と『もりそば』の違いを分からんとよく今までざるそばを食えたな、と。全国のそば職人に申し訳ない。こんな男は『そば好き』と自称する訳にはいかんのです。『そば?ああ、割と好きな方かな?』くらいに留めて置かねばならんのです。間違っても『食わず嫌い王決定戦』に選んではいけないメニューなのです。あわわわわ。早くそば好きの名を返上しなくては。けど、返上しようにも、どこに返上すればいいのか分からないので諦めたのですが。取り敢えず、『ざるそば』と『もりそば』の違いが分からない輩は、『そば好き』を名乗る資格は無いのですが、この世の中には似ていて非なるもの他にもあるようです。『ハムスター』と『モルモット』『たぬきうどん』と『さぬきうどん』『そうめん』と『ひやむぎ』『SMAPの木村拓哉』と『広島カープの木村拓也』『オーストラリア』と『オーストリア』『オタク』と『マニア』これらを混同させてはいけません。似ているようでも全くの別物です。混同している人は早く過ちに気付きましょう。ちなみに。『セクキャバ』と『ピンサロ』と『ヘルス』の違いを聞かれましたが、どれも『行った事がある』と言った時点でその人の印象は同じになります。ですので違いを知ったところで余り意味はありません。こういう所からコツコツ物事を知っていき、『違いが分かる人間』になりたい物ですね。
Feb 23, 2005
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今日の空は、恐ろしいくらいに晴れて、そして澄んで見えた。僕は、いつもこんな空を見ると、全ての人が同じ色に見えているのかとても気になる。街行く人を捕まえて、『スイマセン、この空ってすごく澄んだブルーですよね?』と尋ねたくなるのだけれど、その人にとっての『澄んだブルー』と僕にとっての『澄んだブルー』が一緒だという確証なんてどこにも無いのだと思ったりする。ねぇ、君の所から見える空は何色?君が見る空の色は、僕が見る空の色と同じ?遠くに居たって隣に居たって全く同じ空の色かも知れないし、全く違う空の色かも知れない。それでも。例え違う空の色に見えていたとしても。『綺麗だねぇ。』と同じように思って居られれば良かった。今、君の隣に居る人と君が見ている空は同じ綺麗な色をしてる?僕の目に映る今日の空は綺麗過ぎて涙が出そうになった。
Feb 22, 2005
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『愛してる』って言葉はそうそう簡単に言えるものでは無いと思う。『好きだ』って言葉は割と簡単に出てくるものだと思いますが。ドラマや映画の中では『愛してる』が氾濫しています。虚構の世界だから、で片付けるのは簡単ですがやや大げさに表現して人の心の中に強く印象付けるために、強いチカラを持つ『愛してる』という言葉を多用するのかも知れません。けれど、普通の人生を送る上でこの言葉を多用することは余りありません。何故ならば、『愛してる』という言葉の中にはただならぬ重みや、強さを含むために日常で使用すると『日常性』を破綻させる恐れがあるためです。例えば、昼食で何を食べるか悩んでいる時に「今日のお昼、どうするよ?」「うーん…パスタかな?パスタが食べたい」「あれ?パスタ好きだったっけ?」「うん、パスタ愛してる」これでは、パスタ依存症だと思われます。さらに、「俺、あのマンガ好きなんだ」「マジで?俺も好き。全巻持ってるし」「そうなんだ。じゃ、あのマンガは知ってる?」「うん、それも好き。というかそれも持ってる」「へぇ~漫画好きなんだな」「うん、マンガ愛してる」コレでは相当のマンガオタクです。『愛してる』の多用は正直気持ちが悪い物です。新婚家庭や、多少夢見がちなカップルの間では別なのかも知れませんが。この様に、現実世界では、余り使用が好まれない語があります。例えば次のような物がそれに当たります。・この雌ブタが!・親父のカタキ!思い知れ!!・おにいちゃん大好き☆・アバヨ!!・お前の血は何色だ!!・コレだけは使いたくなかったが…・あんたバカァ?・何が欲しいか言ってごらん?何が欲しいんだ?ちゃんと言わなきゃ、あげないよ?・バルス!・俺の血が許さない・いいえ、ヤツは大変な物を盗みました。あなたの心です。こういう言葉を日常生活の中で使用するのは非常に危険です。気を付けて言葉を使用する様にしましょう。あと、『萌え』も使い過ぎに注意です。何かと『萌え』を使用すると、いらぬ誤解を招く可能性があります。僕の友人は、何かと『萌え』を多用したため、現実と虚構の違いが分からなくなってしまいました。パソコンの中の女の子に話しかけるようになってしまった彼は今、辛いリハビリの真っ最中です。それでは、今日はこの辺で。アバヨ!!
Feb 21, 2005
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頭痛が痛ぇ。日本語としておかしいのは重々承知の上です。ただ、僕の今の状況を最も的確に伝えるであろう言葉を捜したところ、これが一番しっくりくるように思います。頭痛が痛い。"アタマが痛い"というのとは若干違う。頭が痛いというと『借金でアタマが痛い』だとか『女性関係でアタマが痛い』とかそういうアタマを悩ませる事象に巻き込まれている様子をうかがわせられますね。(女性関係でアタマを悩ませてみてぇよ!!)また、『頭痛がする』という表現では若干威力が足りない。もっともっと、鬼気迫る感じを演出したい訳です。故に『頭痛が痛い』という表現に落ち着いた訳です。ところで、ヒトは自身に起きた様々な感覚を的確に他人に対して伝えられるか不安を持っています。『めちゃくちゃ面白かった』とか『すっごく悲しかった』という感覚を、相手に伝えたい。でも、それらの感覚がうまく相手に伝わるか。『感覚』はハッキリ言って人によって異なります。自身が『面白い』と思ったことが他人には全く面白くなかったり。冒頭で僕が言った『頭痛が痛い』という表現ですがぶっちゃけ、伝わらないと思います。ですので、『痛み』をココでは例にとり、万人に共通する感覚の基準を定めたいと思います。どういうことかと言いますと、例えば、『○○くらい痛い』という表現に於いて、○○に当てはまる物を殆んどの人が経験し、尚且つ、その時に感じた感覚の度合いがなるべく等しい物にすれば良いのです。※○○に入る例:1.たんすの角に小指をぶつけた。2.棘が指先に刺さって、しかも入り込んでしまい抜けない。3.肩越しに"ツンツン"と叩き、ほっぺに指を"ふにゃ"ってするつもりが、眼球に刺さった。4.天井の低い場所に居るのを忘れ、思いっきり立ち上がり、脳天強打。5."千年殺し"(カンチョー)がクリーンヒット。6."千年殺し"(カンチョー)を外し、指を粉砕骨折。7.先生に向かって『お母さん!』と叫ぶ。8.同窓会で再会した初恋の子に自分の存在を忘れられている。9.バレンタインに貰ったチョコは母親から、のみ。10.SEXの最中に相手と違う名前を叫ぶ。11.こんなリストを作っている。僕の存在自体がイタイ。※このサイトを知っている僕のリアル知人は口を揃えて 『あのサイト、イタイよ』と言います。えへ。
Feb 15, 2005
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僕は声を大にして言いたい。メガネっ娘が好きだ ゜この世の中、何が正しくて何が間違っているのか分からない。けれども、コレだけは断言できる。メガネっ娘が好ああ、うん。しつこい。ともかく。メガネっ娘は今や完全なる市民権を得たと言っても過言ではあるまい。いや、市民権を得たどころかもはや一種のステータスとも言える。ソレはメガネっ娘だけでは無くメガネ男子にも言える事である。何時から『メガネ』はかように人を惹き付けて止まない物になったのか。その裏には涙無しでは語れない物語がある事をご存知だろうか。今回は、『メガネ』をココまでの地位に押し上げた、とある出来事の話をしようと思う。元々、『メガネ』は余り良いイメージでは無かった。ガリ勉、マジメ、お堅い、陰気、そういった『負』のオーラを漂わせる物であった。何より、『メガネ』をかけると言うことは近眼をはじめとする眼病を矯正するためのツールであったため、そのものが持つイメージは足の不自由な方の車椅子であったり耳の不自由な方の補聴器であったりそういったものと同じ位置づけであったと思われる。身体における不自由さを補うためのツール。そう、メガネは『見ることが出来れば、良い』そういうものであった。それ故にメガネをかける事の不便さのみが浮き彫りになり、人々はメガネを避けた。寧ろ疎んでいた。『メガネかけるとラーメン食うとき曇るんだよ!!』『彼とのデートにメガネなんてかけていけないわ!!』『SEXの時にメガネかけるとユサユサ揺れるんだよ!! かといって外すと大事な部分が見えやしねぇ!!』 そういった人々の声に、コンタクトレンズが開発されたのだがその話は今回はどうでも良い。そう言った負のオーラを纏うメガネ。もう、メガネをかける者は無条件に格好のイジメの的となるメガネ暗黒時代があった。そんな時代に、一人の女性が居た。その女性は才色兼備という言葉が正に当てはまる、非常に魅力的な女性であった。誰もが彼女に引き寄せられそして、彼女はそれだけのものを持っていながら誰にも優しい女性だった。やがて女性は恋に落ちる。相手の男性も、これ以上無いほど素晴らしい男性だった。誰もが羨む外見と才能。そして心優しい性格。2人はお互いを深く深く想い合いそして周りの人々は心から2人を祝福した。2人は、幸せだった。そう、あの時が来るまでは。女性は、気付いていたのだった。自分の体に起きた異変に。いや、ずっと前からその異変には気付いていた。しかし、その異変を認めたくなかった。彼女は、病に冒されていた。『近眼』という病に。そして不幸は続く。彼女は極度のアレルギー体質でコンタクトをすることが出来なかったのだ。誤魔化し誤魔化し生きていたが彼女の『病』は確実に進行して行った。もう、街の雑踏から彼を見つけられない程までに。そして彼女は決断をする。それはとてもツライ決断。彼と、別れると言う決断。最早、彼女はメガネを着用せねば普通の暮らしを送ることすら困難になっていたのだった。しかし、メガネをかける事によって、そして、その姿を彼に見せることによって、彼の心が離れてしまう事を恐れていたし、何よりメガネをかけた醜い自分が彼の隣に居ることは許されないと思ったのである。そして、その時は来た。いつもの待ち合わせ。彼女は少し早めに賑わう街の真ん中、駅前の噴水で彼を待っていた。雑踏の中に彼を見つけることはその時の彼女には困難であったはずである。事実、2人の待ち合わせは、もっぱら人もまばらな公園ですることが多かった。しかし、その日の彼女は待ち合わせの場所を敢えて人の多い場所に選んだ。その日の彼女は、彼をどんな人ごみの中でも見つけることが出来たのだった。やがて、少し遅れて彼が現われる。辺りを見回しながら小走りで彼が走ってくるのを彼女は見つけた。そして彼が近付いてくる。彼は、彼女の方を向き、そして立ち止まり驚いた顔をした。彼女はメガネをかけていたのである。彼はゆっくり近づいて彼女に話しかけた。『どう、したの。そのメガネ…。』彼女は小さく答える。『ゴメンなさい…今までどうしても言えなかった…。 私、目が、目が悪いの。もう、貴方の顔も見えないくらい…』消え入りそうな声で彼女は続ける。『私がアレルギー体質なの、知ってるでしょ。 だからコンタクトも着けられない。でも、もう メガネをかけなきゃ普通の暮らしも出来ないの。』『醜いでしょ、私。だからもう、貴方の側に居られない。 居られないの…。』彼女の目から、涙が流れた。 彼はしばらく立ち尽くしていた。そして―ゆっくりとその場を離れて行った。彼女は噴水のへりに、よろよろと腰を落とした。涙は、もう流れなかった。深い、深い絶望の中に彼女は居た。近眼になった自分の運命を呪った。アレルギー体質の自分の体を呪った。メガネを心の底から憎んだ。この目さえ、体さえ、メガネさえ無ければ彼は…。いや、もう止そう。きっと彼はもっと素晴らしい人と幸せになる。メガネをかけていない素敵な女生と。どれ程の時間が経ったのか、彼女には分からなかった。深い悲しみの中に落ちた彼女にはもう、これからどうするのか考えたくも無かった。ずっと動けずに居た。その時だった。誰かが彼女の肩を叩く。彼女は驚いて顔を上げた。『あっ…。』彼女は驚愕の表情浮かべた。そこに居たのは彼だった。― メガネを、かけた。照れたような表情で彼は話しだす。『キミがそんなにメガネを気にするなら、 僕もメガネをかけるよ。 度は、入ってないけどそこの眼鏡屋で買ってきたんだ。 コレならキミも気にしなくてもイイだろ?』『それに…。』彼は尚のこと照れたようにこう付け加えた。『変だと思われるかも知れないけど、 メガネをかけたキミも、とても可愛いと思った。』彼女の目から涙が溢れた。それはさっきとは違う涙。温かい、涙だった。彼女は彼に抱きついた。『私も…変かも知れない。 だって、メガネをかけた貴方が 今まで以上に素敵に見えるの…。』雫がメガネのレンズを濡らしていく。そして二人は強く強く抱きしめ合った。かくしてこの美しい物語は人々の心を打ち、メガネをかけることはもはやマイナスのイメージを持つことは無くなった。そして現在におけるメガネの地位は皆さんもご存知の通りでしょう。しかし、その地位の裏にこの美しい物語があったことは誰も知りません。というか、僕自身も知りません。ま、ともかく。メガネは素晴らしいんですよ。ビバ!メガネ!!メガネ、フォーエバー!!今回のお話をメガネ同盟、代表に捧ぐ。
Feb 8, 2005
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とても寒い日が続きますがお体壊されていませんか?こんな時だからこそ自分の体の管理に気をつけたいものですね。毎日、乾布摩擦をするとか毎日、全裸で乾布摩擦するとか毎日、外で全裸で乾布摩擦するとか色々な健康促進方法、されてますか?そんな事は全く関係ないのですが、ちょっとだけ連絡事項。1.お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが TOPにもありますように『悩める日常』の公開を しばらく中止します。諸事情により。2.お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが 名前が『七〇二』から『702』になりました。諸事情により。3.お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが 日記の更新頻度が落ちています。諸事情により。4.お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが たまに『スクロール日記』じゃ なくなっています。諸事情により。5.お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが 僕の女性関係はてんでダメです。諸事情により。大人になると、色んな『諸事情』と言う名のしがらみで、うまくコトが運ばないんだなと思った冬のある日。
Feb 4, 2005
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僕はテレビをほとんど見ないのですが、ドラマは特に全くと言っていい程見ません。これを言っては元も子も無いのですがドラマをやってる時間に帰宅出来ないからな訳で。けれども仮にドラマをやってる時間帯に自分が帰ってきていた所で、ドラマを見るかと言うと恐らく見ないでしょう。理由としては、『つまんねー。』だとか『何すか、そのわざとらしい演技(笑)。アイタタタ。』そういうことでもなくて増してや『ドラマにおける非現実的な世界観や予定調和には辟易している』なんて高尚な意見も持ち合わせてはいないのです。僕がドラマを見ない理由。それは『つづく』にあります。どういうことか、と言いますと当然のようにドラマは複数回に渡って放映されます。一話完結もの(火サスなど)を除いて。大体1クールと呼ばれる3ヶ月の間で、12回前後に渡って放映されるものが殆どですが毎回必ずといっていい程、物語の展開が急変する場面で終わりを告げ、『つづく』となる訳で。『はぁ!?マジで!?』『うっわーその展開無いやろ…。』『いやいやいや、だって悪いのアイツやん。』『何でお前がそういうことすんのよ!』『てか、勘違いやから、それ!』『え、え、え、え・・・。うっそ!!』『どーなんの、コレ!!』"つづく"うそん。こんなんばっかりです。で、非常にイライラするのです。更に言うと僕は特にせっかちさんです。給食は一番に食べ終わりグラウンドでドッヂボールの場所取り。CDは発売日の前日に購入。前戯が短い。そんな僕は、続きが気になって仕様が無いのです。それが嫌ですしまんまとテレビ局の戦略に嵌っているのも兎に角、癪でありません。かくして、僕はドラマを見なくなった。しかし、何とか視聴者を次回の放送も見るようにさせるそのドラマの構成には感心させられます。元々、中途半端に終わってしまうと、人は心地悪さを感じます。すっきりしない。コレは誰もが嫌がることです。ただ『つづく』だけではなく、いい所で『つづく』。しかも放送時間内で。コレは普段の生活にも応用できるのではあるまいか。例えば、気になる人との初デート。願わくば最後まで…☆なんて思っていても、いい所まで雰囲気を盛り上げ、『それじゃ、また』ってな方がきっと恋も成就するハズ☆とか、確か昔の雑誌に載ってた気がします。決して僕の勝手な妄想ではありません。しかし、そう言えば僕にも経験があるような気がします。アレは高校生の頃。当時、思いを寄せていた女の子を含む数人で呑んで遊んでいました。深夜に。地元が田舎なので空はキレイに澄み渡り星がキレイな夜でした。真夜中の小学校に忍び込んで、騒いでいたのです。その際、図らずもその子と二人きりになりお酒が入ってたこともあり何だかイイ感じのムードになったんです。酔いも醒めてきて少し寒くなり、会話が止まりました。そこで彼女は、僕が思いもかけないことを口走ったのです。今でも僕は鮮明に覚えている。きっと忘れることは、無いでしょう。彼女はそっと僕にこう言ったんです。つづく。
Feb 2, 2005
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まぁ、何て言うか。大した事では無いのですが。僕の体がおかしな事になっているそうです。ちょっと前までは僕ほど健康な人間は滅多に居ないだろうと思っていたのですが。どうにもこうにもオカシな事になっているそうです。まだ20代前半ですので体はかなり丈夫だと思っていました。毎日ピンピンしています。特に下半身が。あ、いえ、その。下半身は見事に無事なのですがその上の方。そして内側。違う!そこじゃない!もっと奥!!そうそう、ソコソコ。イェス!!肝臓!!マイ レバー!! 肝臓がフォアグラ状態なんだってさー。てか、もう食・べ・ご・ろ☆になっちゃう勢いなんだってさー。世界3大珍味だよー。おーいしー。でもね、困った事に僕、フォアグラそんなに好きじゃないんですよー。何かギトギトしてて、ねっとりしてるじゃないですかー。てかねー、まぁ1回しか食べた事なんですけどねー。つぅか日本人ならフレンチとかね気取ってんじゃないよ!って話なの。米食え、米。そんな事はどうでもいい。ということで、禁酒アーンドダイエットを命じられましたとさ、先週末。前々から『お酒控えてね』的なことをかるーくかるーくジャブで喰らわせてきたお医者がですね先週末ね『まだ、死にたくないよね?』って右ストレートを織り交ぜてきやがったんですよ。そんで『正直言うと、このまま酒を飲むと下手すりゃ30代で逝くよ?』ってコークスクリューを喰らわせてきたのですよ。正直K.O.されました。だってそんな技、想定してないですもん。正に一撃必殺。だって『逝くよ?』ってお前、2ちゃ○ねらーか。それにしても情けない。もうね、オッサンかと。オッサンですね。うっさい誰がオッサンじゃー。モケー。ホントこの若さでコレは無い。無い無い無い。あり得なくない?あり得なくなく無い?ありえなーい。そういう訳で禁酒生活が本格的に始まりました。(今まで節酒してました。)やってらんないデェスよ。もうホントね、『禁酒してる僕を褒めて』とか『病気の僕って可哀想でしょ。慰めて』なんて気持ちはサラサラなーい。マジで。でもね、素の言葉で声を大にして言いたい。まーじでココを見ている人にとってはかなりどうでもいいことなんですけど言いたいんです。脱・フォアグラ。治して浴びるほど飲ーむ。浴びるほど飲んだらまた壊しちゃうのにね。にひひ。ままま、『その日』を楽しみに断酒生活スタートです。もーしも。万が一、億が一、金田一(うわー…)僕がお酒飲んでたらビール瓶投げつけて。そして踏んで、蹴って。ああ、もっと!!違う。『もう♪ダメだゾ☆』て僕の頭をコツンてして下さい。エヘ。もしくは『クォラァ!!何しとんじゃ、ワレェ!!』てキレて下さい。僕、本気です。本気で治します。では、以上!『アイタタ近況日記』でした!次回は2月30日だヨ!!*****---追記---もう一度文章を読み直して治さなければいけないのは頭とココロだと気付きました。ココロって何だよ。まぁいいです。がんばります。温かいお言葉をありがとうございました。余りの嬉しさにビールを空けようとした僕は死んだ方が良いんだと気付きました。禁酒生活1日目、終わり。
Jan 31, 2005
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何を血迷ったのか『恋』について語ってしまった僕ですが頂いたコメントの中でスーパーエロインの彼女にこんな事を言われました。>写真日記の702さんが着てた赤のネルシャツが>あたしの大学にいるヲタが着てるネルシャツと>酷似してたのでとても嫌な気分になりました。あいあいあーい。何ですってー?とても嫌な気分になりましたぁ!?あのですね、今シーズンはですね、"アメカジスタイル"がガンガン来とる訳ですよ。いや、別に流行にのってとかじゃなくてもね、"アメカジ"は定番な訳ですよ。その"アメカジスタイル"でもド定番のアイテムがバッファローブロックのネルシャツな訳ですよ。それでね、あのネルシャツは僕が足を棒にして古着屋を巡ってやっと見つけた一品なんですよ。『赤が似合わない』と思い込んでた僕に『意外と似合うじゃん』と気付かせてくれた一品なんですよ。てかね、アレね、ビンテージ物でこう、ちょっと着丈が短いのね。それで羽織るとジャケットみたいに着こなせるのよ。それがまた良い感じのシルエットでね、って。それはどーでもいー。問題は>ヲタが着てるネルシャツと>酷似してたのでとても嫌な気分になりました。ココです。ココ。ヲタ。つまり『オタク』な方たちは世間一般ではキ・モ・イ☆とされていると言うことです。鉄道オタク、パソコンオタク、アイドルオタク、アニメオタク、…いろんな"オタク"がいらっしゃいますが、所謂、"オタク"と名の付くモノ全て何処か『キモイ』、『えー勘弁』という位置づけにある訳です。何でかな、と。まず、見た目だと。ベタベタの長髪にデブでメガネ。ケミカルウォッシュのジーンズにTシャツインで問題のネルシャツを羽織っているというのが"オタク"のイメージらしくままま、そこまでいかなくても全身ユニクロだとか、つまりダサいからだと前に女性から聞いた事があるような。確かに見た目は大切です。『人は見た目じゃ無いよ!』と言っても第一印象は見た目なのでコレはどーしょーもない。けれども。一番の問題は"オタク"の方の多くがそうなのですがどっぷりその世界にはまり込んで一種独自の世界を作っていることに起因するのです。互いの間でのみ通じる専門用語という共通言語。趣味に没頭する余りに、周りに気遣うことなくむしろ排他的となるコミュニティー。同類以外を寄せ付けないそのオーラによって一般社会から断絶された世界を作り出す訳で。そして人は自分ではよく理解できないものに名前を付け、そうすることにより得体の知れないものを『そういうものだ』と思い込み安心感を得る、という特徴があります。(UFOとか、心霊現象であるとか。)つまり、アニメやアイドルだーいすき!でも周りの世界に目を向けつつ、同調性を図ることが出来るのであれば"キモイ"という扱いを受けることは無いのです。しかし、周りに気を遣いながらでは『没頭している』とは言えず、それは『オタク』では無いのです。没頭する、のめり込むのは悪い事ではないのですが『周りと同調性を持たない』ことに対し、一般社会はオタクに対して冷たいのではないかと思います。ココに、『同調すること』に対して安心感を得る人間の弱さが見えますね。言い換えると。"オタク"は同調することにより自分の欲望、衝動、それらを押さえ込む事を良しとせず、自分の使命感とも呼べるようなそれに駆られ独自の道を進んでいく、孤高のアウトロー集団であるのです。こう言うと、なんか『オタク』ってカッコいー。って僕だけですかそうですかすいません。更にオタクは趣味にお金をかける事を惜しみません。趣味に関しては湯水の如くお金をばら撒くそうです。あら、うらやましい。ではなくて、つまり、この不景気であるにも拘らずお金をどんどん使って日本の景気を微弱ながらも上向きにしているのです。だから『オタク』は今や、日本にとって無くてはならない存在。なので、『オタク』を毛嫌いせず、温かい目で見守って行こうじゃありませんか。
Jan 27, 2005
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恋愛という言葉に夢を抱いて生きるほどコドモでもなくて恋愛を『種族保存のためのプログラム』と切り捨てるほどスレてもいない。『恋』って何だろうと思いました。『大好きな人が居れば何も要らない』のが『恋』なのか。『大切な人を思うだけで幸せな気分になれる』のが『恋』なのか。形の無いもの、定義が難しい感情に『名前』を付けては『安心』しているだけなのか。きっと答えなんて、無いのだろうと思いました。思い込もうとしていました。大切な物は失ってから気付くもの。だから、目の前にある物をもう一度しっかり見てみよう。失う前に大切なことに気付けたら、ずっと側にあるでしょう。知っている筈だったのに、何度も失ってから気付きました。その度『もう失わぬように』と誓っては同じ事を繰り返しました。失くした後に『大切さ』に気付くのは『物』だけじゃなくて『人』もそうだとある時気付きました。その時僕は胸に溜まったものを吐き出すために大きな声でわめこうと、外へ出てから気付きました。わめき方が分からない。何とわめくか分からない。叫び声をあげようと喉から搾り出したのは声では無くて嗚咽でした。身を切るくらいに寒いのに一歩も動けず立っていました。寒さはとうに麻痺をして指先は熱いくらいでした。何とは無しにぼんやりと黒い黒い空を眺めました。ウザイくらいに星が光って月の光が目に痛い。それでも空を眺めてました。口を開けて、ぼんやりと。犬の散歩のオジサンが明らかに僕を避けました。帰宅途中のOLは訝しげな目で見てたでしょう。それでも空を見てました。瞬き一つしないまま。コンタクトが乾いて落ちました。でも、関係はありません。ずっと前から僕の眼はボヤけてました。口の中がカサカサです。でも、関係はありません。口から言葉は出ないから。『大切なもの』って何だろうと思いました。失くしてからしか気付けない。それなら初めから要らないものか?手に入れないなら失わない。失わなければ気付かない。気付かないなら必要無い。けれども誰もが求めてる。一つになりたいと願っている。例えそれがDNAに記されたプログラムであったとしたって。その感情だけは嘘じゃない。僕が一つになりたかったあの人は今はきっと笑ってる。きっと幸せに笑ってる。それで良いのかなと思いました。人を笑わせるのは好きだったし誰かが笑うと気持ちがいい。あの人と一つになれなくてもまた違う誰かと『一つになりたい』と思えるようになるのかなと思いました。冷えた体を毛布の中に押し込めて丸くなって思いました。この感情て何だろうと思いました。兎に角胸がいっぱいで叫びだしたくなってきてでも言葉は何にも出てきません。出てきたものは少しばかりの涙でした。昔々の話です。今でも『答え』は分かりません。『恋』とは一体何なのか。口にすると寒気がするような言葉ですが。恋愛という言葉に夢を抱いて生きるほどコドモでもなくて恋愛を『種族保存のためのプログラム』と切り捨てるほどスレてもいない。歳は確かにとったけど、結局何も分かってないんだなと思いました。お金を払って女の子と一緒にお酒を飲みながら思いました。
Jan 25, 2005
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ふ、と振り返った道が間違っていても引き返すことは出来ない。それが『人生』という道のり。今まで沢山の過ちを犯してきました。小さな小さな過ちからとても許されない過ちも。ある時思い出して、その過ちに気付いても取り返す事は、もう叶いません。『過ち』を背負って歩いていくしか無いのです。背負った『過ち』を降ろすことが出来なかったらその重さに耐えかねて、いつか潰れてしまうかも知れません。だから。潰れてしまわないように人は背負った『過ち』を時に降ろしてしまいます。要は『忘れてしまう』ということ。忘れてしまわないまでも心の奥へ奥へしまってしまいます。殆んどの『過ち』は奥底へとしまっています。だけど、どうしても時に浮かんでくる。何かの拍子に、ふわりと浮かんできてまた、背中に圧し掛かる。『もう、開放してくれ。』そう、懇願してみる。それでも軽くなることはありません。誰かに『もう、楽になっても構わないんだよ。』と言われても、その重さは変わることなく圧し掛かる。『彼』の事を、少し、思い出した。救ってあげられなかった『彼』のことを。僕は彼を傷つけていたのかそれとも彼は僕を慕っていたのか、それを聞くことは叶いません。『空虚』に向かって話しかけても答えは返ってきません。最後にすれ違った時に声を掛けなかった僕の『過ち』は消えることが、無い。あの時、声を掛けていたらまた、会うことが出来たのかな。背負った『過ち』を降ろせないなら、少しでも背負わないように過ちを少しでも背負わないように生きていこうと思った。『彼』によって知った事を心に刻んで生きていかなくてはいけない。それでも人は過ちを繰り返す。『彼』のことを思い出したのは僕がまた、過ちを犯してしまったから。そしてこれ以上『過ち』を犯さないようにともう一度、思い出させてくれました。僕は、また歩いていこうと思います。大きな『過ち』を犯さないように。そしていつか、顔をあげて『彼』の眠る場所へ行けるように。
Jan 23, 2005
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何故だか分かりませんが『もうすぐ、死ぬ。』という強迫観念に囚われまして、急に身の回りの身辺整理を始めました。『身の回りの身辺整理』て『お腹が腹痛で痛い』とか『遅刻して遅れる』みたいで言い方おかしいのはきっとテンパってるからです。ってそんなことはどうでもいい。兎に角。死んでしまったらきっと僕の両親やら何やら僕の部屋に来ましてきっと片付けを始めるのです。当然ながら。すると困った事に僕の部屋の押入れやら何やらから、エロ本だの、裏DVDだの、未開封のコンドームやら出てきて非常に僕は気恥ずかしい思いをするのです。とは言っても既に死んでいる人間が恥ずかしいと思うかどうかは一度も死んだ事が無いので知りませんが。ま、きっと僕がどうもこうも思わなくても片付けをしている両親は非常にばつが悪い。『堤さやか』の裏モノを手にした親父がどういった行動に出るかは正直想像したくは無いですがろくな事にはなるまい。ですので、全部処分する事にしました。中でも『未開封のコンドーム』ほど恥ずかしいものは無いと思います。つまり『今夜はやったんでぇ~!』と女性が遊びに来る際に意気込んで買ったはいいが使えなかった、という空回る僕の異性交遊が露になる訳でエロ本や裏DVDなどよりよっぽど恥ずかしい。大体、その通りなんですが。悔しいので全部開封して中身を入れて結んでおこうと思いましたが、きっと疲れるのでやめました。そのままゴミ箱にポイ。さて。モノは大体処分したので、あとは部屋の掃除を毎日マメにする事にします。一人暮らしの部屋が汚くて、『やっぱりな』という顔をされるのも癪なので。期待を(いい意味で)裏切るコトが、これからの社会から求められるモノなのです。死んだら関係ありませんが。ですので板張りの床をコロコロクリーナー?とかなんとか言う感じのベタベタするものを転がしました。取れた取れた。もっさり取れました。陰毛が。何でか分かりませんが床に落ちている毛の8割以上は陰毛です。きっとどこの家でもそうです。どうなっているか全く分かりません。陰部は抜けかわりが激しいのかしらん。それとも摩擦が多いから?兎にも角にも陰毛を人に処理してもらう(手術の時剃ってもらうんだって)のは死んでも嫌ですが処分してもらうのも嫌なので掃除して良かったと思います。部屋の中にある物理的空間を占めているモノはすっかり片付いたので、今度はPCの前に立ちました。仮想的空間を占めるモノも片付けなくてはいけません。何しろ、ハードディスクの中身は裏DVDなんて比じゃない物が入ってまして、アレを見られる訳にはいかんのです。僕と言う人格が全否定されます。というわけでゴミ箱にポイです。ポイ。そしてゴミ箱を空に。完璧。これでハードディスクの中身はキレイになりました。で。この際、このサイトもキレイにしようと思います。見直したら大分煩雑なので。どうせなら閉鎖して作り直そうかとも思いましたが携帯で『メールアドレス変わったよ☆』とくるメールが死ぬほどめんどくさい余り好きでは無いので止めます。死ぬ前には全てキレイにして死にたいモンですね。ちなみに嫌と言うほど健康です。
Jan 20, 2005
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切ないね。何を言いだすんすかぁ。キモチ悪い。・・・・・。ちょ、涙目じゃないすか。また娘に『キモイ』て言われたんすかぁ?日常茶飯事じゃないですかぁ。いや、それはもう慣れたからいいんだよ。(それも切ないな…。)いや・・・。『別れ』って何度経験しても切ないよな・・・。うわ、キモ。・・・・・。って何か言い返して下さいよぉ。僕が悪者みたいじゃないですかぁ。いや、そうだな。いい歳したオッサンが言うことじゃ無いよな・・・。しっかりして下さいよぉ。『永遠の別れ』って訳じゃ無いんでしょお?生きていればいつかは会える。だから『サヨナラ』だけじゃなくて『またね』って言うんだって誰かが言ってた気がしますよぉ?そのヒトは『サヨナラ』って言って行っちゃったんですかぁ?だとしたら『またね』って言わなきゃダメですよぉ。今からでも遅くない!諦めちゃダメです!言って来てください!オマエ、いい事言うなぁ。たまには。そりゃ常にやる気無いだけじゃ無いすから。で、誰なんです?そのヒト。こないだのキャバのチエミちゃん。諦めて下さい。※私信。maromaroponさん、今までお疲れ様でした。頂いたお言葉、非常に嬉しかったです。たくさん笑わせていただきました。"まろ節"をこれからも聞かせて下さい。"伝言"は必ず伝えます。笑『それでは、また。』
Jan 17, 2005
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・・・・・。・・・・・。・・・・・。何で僕らここにいるんすかぁ?・・・・・。いや、何か言って下さいよぉ。いや・・・。合同サイトの話。ああ。行きましたよ行きましたよ。すんごいですよね、8人同時の日記アップ。前代未聞ですよね。これから楽しみですよねぇ。ねぇ?・・・・・。って話そらさないで下さいよぉ。何で、ココに僕らがいるんすかぁ?・・・・・。どうしたんすかぁ?何か俺らの『ウケ』が良かったらしいのよ。はぁ、マジすかぁ。やる気無いんすけどねぇ。で、ココの管理人な・・・。はいはい。702だか072だか、そんなヤツでしょ。そいつが何か?そいつに頼まれたのよ。『まだしばらく休むし、その間頼む』って。なんすか、ソレぇ。アイツ天狗すか。天狗っすね。合同のメンバーってだけで。天狗になるのは股間だけにしとけって話っすよねぇ。ビシッと言ってやりましょうよぉ。『調子にのんなチンカス野郎!』ってね。・・・・・。何で黙ってるんすかぁ。言ってやりましょうよぉ。・・・いや、アイツにもいろいろあるんだろう。ココは一つ、聞いてやろうじゃ無いか。・・・・・。あの・・・ひょっとして・・・。さっき食ってたケーキ、アレで・・・。!!そそそ、そんなことよりな。合同サイトだよ合同サイト!!コレからが楽しみだなぁ。は、ははは。(こ、この男、 ケーキ一つで買収されやがって。 何て安い男なんだ・・・。)
Jan 16, 2005
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『忙しいこと』は嫌いでは、無い。確かに『生きていること』を実感できるから。相変わらず、毎日は忙しい。追われるように日々が過ぎていく。『自宅に帰ること』は『寝に帰ること』に等しい。帰宅と同時にシャワーを浴び、寝支度を始める。そして―パソコンを立ち上げる。― 今日の、『彼女』の日記を読むために。 *****「奇跡、だ。」とその後、彼女の主治医は洩らしたらしい。病状は驚くほど快方に向かっていった。「人の生きたいという思いの強さには、本当に驚かされるわ。」ベテラン看護婦は笑顔で、言った。彼女と最後に会ってから1年が経とうとした頃、『日記』が突然、更新された。途切れる前と何ら変わらない日常。それが綴られ始めた。それを目にして、すぐに病院の図書室に走った。―そこには彼女の姿は無かったが。代わりにあの、看護師の姿を見つけ話を聞くことが出来た。彼女はその後、退院できるほどまで回復した、と。「つい先日、退院したところよ。」と普段、気難しい顔をしている彼女が笑顔で話す。―全身の力が抜けるようだった。安堵。心から、嬉しかった。「これを。」彼女が白い封筒をナースセンターから持ち出す。「彼女から、預かりました。あなたに、って。」「きっと、ココに来る筈だからって。」封を切り、中身を開ける。便箋が1枚だけ。そこには、感謝の気持ちが綴られていた。何も、出来なかった自分宛に。彼女に会いに行ってから、少しずつ回復に向かったこと。少しでも早く日記を書けるように治療を頑張ったこと。また、日記を読んでもらえるように一生懸命書く、ということ。そして、最後に。― ありがとう。私は、元気です。 ―と書かれ、手紙は締められていた。*****彼女の日記は、入院していたときのそれと変わらず生き生きと日常が描かれ、瞳を閉じるとその風景が浮かんでくる。けれど。彼女にとってはその風景はもう、瞳を閉じて見ている風景では、無い。実際に彼女が目にした風景、実際に彼女が触れる日常、実際に彼女が感じた感情、それが溢れている。変わった日常では無い。『普通』の日常。でも、それはとても喜びに満ち溢れているように見える。時に迷い、悩み、涙し、時に笑い、喜び、恋をして。そんな『普通』の日常を送れること。彼女にとってそれは、とても素晴らしいことなのだろう。どんなに忙しくても寝る前に彼女の日記を読む。それが日課。今日も日記に目を通す。幸せな『普通』の日常が綴られて、そして日記の最後は、必ずいつも同じ言葉で結ばれる。― 私は、元気です。 ―そして、また彼女の見た風景を見るために瞳を、閉じた。The End1 2 3 4 5
Jan 9, 2005
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彼女と対面するまでの経緯ははっきりと憶えていない。今、思えば無茶な事を言ったものだ。集中治療室の中の患者に会わせろ、と。それも、『他人』が、だ。でも、その時は。彼女に会わなければいけない気が、した。看護師にしつこく食い下がったのか、それとも、ベッドの横に居た彼女の母親に頼み込んだのか、定かでは、無い。けれども、彼女と対面することは出来た。ベッドの横に立つ。静かに、静かに彼女は目を閉じている。何ら変わった様には見えない。ただ―人工呼吸器をつけ、点滴の管や医療機器から伸びた無数の線がひどく良くない状態である事を物語っている。そこで、改めて気付いた。― 何を、言えばいいんだ。 ―『会わなければいけない』確かにそう思った。けれど、実際に会って何を言うつもりだったのか。『がんばれ』?彼女はいま、必死に戦っている。そんな彼女に向かって、精一杯小さい体で頑張っている彼女に向けて、『がんばれ』だって?そんな事、言える筈が無い。『早く良くなってね』?それを誰より強く願っているのは彼女だ。早く元気になりたい。きっと、長い長い間そう思い続けて来たんだ。これも、言うべき言葉では、無い。何も言えず黙っていた。ベッドの脇で立ち尽くしたまま。どれくらい時間が経ったのか。分からない。長い気もするけれども、実際は5分位のものだったのかも知れない。― 彼女がゆっくりと目を、開いた。ベッドの脇に立つ人物に気付いたかのように視線を動かす。けれども。それが『誰』であるのか、はっきりと認識できているかどうか分からない。焦点が合っていない視線で見つめている。『ゴメン、ね。』そんな彼女を見て、口から出た言葉はこれだった。『ゴメン』。何に対して『ゴメン』だったのか。彼女が重たい病気だと気付かなかったこと?退院の日に会えなかったこと?何も出来ない自分に?―或いは、それら全てに?彼女は、小さく首を振った。こちらを見つめたまま。『君の日記を、楽しみにしてるんだ。』込み上げてくるやりきれない気持ちを振り払うかのようにわざと明るく言った。笑顔を作ったつもりだったが果たしてうまく笑えていたのか。『君の日記を読んで、目を閉じると、君の生きている景色、日常が はっきりと、生き生きと見えるんだ。』『そして、それはとっても素晴らしい景色。毎日が楽しくて、 でも、時に悩んで。それがありありと浮かんでくる。』『そんな日記なんだ。君の日記は。楽しみにしてるんだ。』彼女の目から、す、っと一筋の雫が流れ落ちる。小さく、小さく頷く。もう、笑顔はうまく作れていなかったと思う。ベッドから彼女がゆっくりと、ゆっくりと手を差し出した。そっと、手を握る。『君の日記を、君が生きる景色を、また、見たい。』そう、告げるとかすかに、手を握り返してきた。― 約束、する。きっとまた書く。 ―そう言っているように思えた。病室を後にすると上の空でふらふらと病院を出て行った。何時の間にか、雨。その雨の中をゆっくりと歩き、帰途に着いた。その日が、彼女に会った最後の日になる。to be continued >>>1 2 3 4 5
Jan 8, 2005
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決断までには少しだけ時間を要した。そして。病院の前に、立っていた。天気は曇り。それも、グレイの重たい雲が空を覆う暗い、暗い曇り。その空の下、病院の入り口に立ち尽くす。『嫌な予感』は、外れて欲しかった。けれども脳裏にこびりついて離れない。― ひょっとして、彼女は。 ―何度も頭の中に響く『予感』が体を鎖で縛るように締め付けていく。体が、重い。思う様に動かない。けれど。こうして何時までも此処に居る訳にもいかない。意を決して図書室に、足を向けた。大体、彼女が居る病室を知らない。彼女と会うのは図書室でだけ。― それも、きっかり3時に。腕時計を見る。3時15分。いつもなら。いつもならこの時間、彼女は隅のパソコンの前に座り、キーボードを叩いている。この時間の彼女の指定席。そこに真っ直ぐに向かった。そこには、真っ暗なディスプレイがあるだけだった。呆然と、図書室の隅に立つ。図書室は、まだ夕方だというのに人影は全くと言っていい程無く、静寂が耳に痛いほど響く。と、そこに。あの、ベテラン看護師の姿が見えた。彼女の担当は整形外科である。女の子は恐らく内科の患者、けれど、あの看護師はこの病院の情報通だと、入院中に聞かされていた。― 彼女なら知っているかも知れない。 ―足早に図書室の横を通り過ぎる看護師を追い後ろから声を掛ける。『あの、いつも図書室の、パソコンのところに居た女の子・・・』言いかけた所で看護師は振り向く。最初は怪訝そうな顔をしていたがすぐに思い出したらしい。1ヶ月前に退院した患者を。「あぁ。あなた、この間退院した・・。」『あそこにいつも居た、女の子は、今・・・。』彼女の言葉を遮り、問いただすかのように詰め寄る。すぐに彼女は困惑した表情を浮かべた。「あの、女の子ね・・・。」言い掛けて口をつぐむ。― 守秘義務、ってやつか。 ―すぐに理解した。が、引くことは出来ない。『教えて、下さい。彼女は今・・・。』彼女は明らかに戸惑っている。当然だろう。尋常ではない程、問い詰めているのだ。必死に。やがて、黙って下を向いていた彼女は「取り敢えず、こっちへ。」と先に歩き出した。後について歩く。幾つか角を曲がったところで彼女は足を、止めた。着いた先は、ICU―集中治療室。― 何も、何も頭の中に入ってこない。けれど、良い状況ではない。それだけが分かった。『あの子の、容態は。』やっとの事でそれだけ口にする。彼女は、また少し困惑した表情で口をつぐんだが、「本当は、部外者には言えないんだけど。」と前置きし、声を潜めて話し出す。― 心臓の、病。それも100万人に一人という難病。 ―そして、― 恐らく彼女が病院から出る事は、無い。 ―真っ白になった頭の中に入ってきた言葉はこの2つ、だった。あの子は知っていたのか。知らされていなかったのかも知れない。けれど。彼女はかなり強い感受性を持っている。周りの大人たちの反応、そして―何より自分の体の反応、それらで『理解』していたのではないか。その時、『元気な自分』を想像し、書き綴るときの彼女の姿が浮かんだ。鬼気迫るような、そんな印象さえ受けるあの姿。恐らく『理解』していたであろう彼女は『元気な自分』を描く事で、自分の体に巣食う病魔と戦える。そう、思っていたのかも知れない。だから、あんなにも強く、生き生きとした― そう、まるで彼女の『生命』そのものが吹き込まれた文章が生まれたのかも知れない。― 彼女と、話す事は出来ますか? ―それが、看護師の説明後の沈黙を破る最初の言葉だった。to be continued >>>1 2 3 4 5
Jan 7, 2005
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新しい日課の一つに図書室に行く事、が加わっていた。『退屈』はもう、しない。インターネットのサイトをぼんやりと眺めるのもそうだが、決まって夕方3時に現れ、一生懸命に『日記』を書く彼女といつの間にか会話を交わすようになっていた。時折、彼女はパソコンの前ではなく、テーブルに座って難しい顔をしていた。ノートと教科書を広げて。そこで、少しだけ家庭教師の真似事もするようになっていた。こうしていると、彼女は普通の小学生と変わりは全く無い。けれど、キーボードを打つ彼女だけはいつもと形相が違う。夢を、見ているような。そして何かに憑かれたかのような。そういった表情で無心にキーを叩く。― その姿は鬼気迫るものを、時折、感じさせたが。彼女が書く『日記』を、最初は見せようとしてくれなかった。当然、だろう。『日記』は人に見せる物ではない。が、彼女が書いていた『日記』はブログだった。WEB上で公開する日記。そして沢山の人の目に触れ、見た人が感想を書いていく。普通の日記なら頼まないだろうが、ブログなら『見せる日記』である。彼女が書く『日記』が余りにも気になるので、ある時ちょっとだけ頼んでみた。彼女は恥ずかしそうな顔をしながら、URLを告げる。そして、そのペ-ジを開いた。― しばらく、言葉が出なかった。 ―一瞬、夢中で読み耽ってしまった自分に気付く。彼女の『日記』は、とても小学生が書いたものとは思えなかった。そこに綴られる『日常』は余りにも生き生きと描かれ、日常の風景の描写もさることながら、『日記の中の彼女』の心理描写が見事だった。思春期を迎えた『彼女』は、時に友人関係で悩んだり、そして、『恋』もしていた。「もう、いいでしょ。」彼女の声で我に返る。『スゴイね・・・。これだけの文章、大人でも書けないよ。』ため息混じりに口にすると彼女は照れながらも得意げに微笑んだ。彼女の前で『日記』を読むのは流石に恥ずかしいだろう、そう思い、すっかり彼女の書く『日記』に魅せられながらも読むときは彼女のいない時間に一人で読むことにした。彼女が、書く。そしていない間に読む。それが新しい日課。そして、退院の日を迎えた。退院の日、彼女の姿を探してみたが見つからなかった。少々気にかかったが、入院中に溜まりに溜まった予定が、ある。足早に病院を後にした。*****暫く、忙しい日が続く。まともな時間に帰宅できる日は、ほとんど無かった。そんな生活も退院後一月も過ぎると収まってくる。久々に早い時間にリビングのソファに腰掛けてぼうっとする事ができた。― そう言えば、彼女の『日記』。 ―頭に、ふっ、とよぎる。退院してから彼女のブログを目にしていない。ソファから立ち上がり、パソコンを立ち上げる。― 1ヶ月、ぶりか。 ―そう、思うと毎日、『日記』を楽しみにしていたことが思い出され、高揚感にも似た心持ちでURLをメモした紙を見ながらキーを叩いた。ディスプレイに彼女の『日記』が映し出される。― あの日と、同じ日記が。 ―退院の日の前日に読んだ日記が、そこには、あった。つまり、その日から新しい『日記』は書かれていない事になる。嫌な予感が、体中をじんわりと巡っていった。to be continued >>>1 2 3 4 5
Jan 6, 2005
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病室のベッドから見える景色は『退屈』そのものである。白を基調とした部屋は患者に余計な刺激を与えない為、だろうけれどもその色気の無い景色が『退屈』を更に加速させる。山の様に積まれた雑誌を手に取り、ぱらぱらと頁をめくる。すぐに閉じて掛け布団に放り投げる。― ヒマ、だ。 ―特に、体調が悪いわけでは無くて、ただ、左足に不自由があるだけである。それなのに。あと2週間はこのベッドに縛り付けられる。いや、正確には病院内を歩くことは出来るのだけれども陰気な顔をした患者にしか出会えない廊下を歩くのは気が進むものでは無い。ヘッドフォンをつけボリュームを上げる。このCDにしても、一体何度聞いたか分からない。いやに時間が経つのが遅い。遅い。遅すぎる。ベッドから降りて、松葉杖に手を伸ばす。― 体だけでなく、心まで鈍ってしまいそうだ。 ―隣の病棟の1階には図書室があると、そう聞いていた。病院の図書室なんて、陰気なイメージが更に強くなる気がして、どうにも敬遠していたもののこれ以上ベッドの上に居たら元気な筈の体や頭が病んでしまう気が、した。エレベーターを降りて、すぐ右手。気難しいベテラン看護師からそう聞いた通りに、図書室が目に飛び込んでくる。― 想像以上に広いし、明るくて綺麗だな。 ―素直な感想。率直にそう、思った。病室とは比べ物にもならない。内装だけ改装したのだろうか。薄汚れた病棟の一角のそこは新しいクリーム色の壁と天井、薄いグレーと赤のカーペットに囲まれ、とても同じ建物の中とは思えない程小綺麗なスペース。心なしか照明も明るく感じる。本棚の数は、矢張り、そこまで多くは無いが、それでも間に閲覧用のテーブルを挟んで身の丈ほどの棚が10は並んでいる。雑誌もあるようだし、割と新しい読み物も読むことが出来る。― これは、いい場所を見つけた。 ―早速、数冊の本を手に取り、閲覧用のテーブルの奥に見つけたソファのコーナーに移動した。ソファに座ると本棚の死角になっていて入り口からは見えなかったが、2台のパソコンが並んでいて、『インターネットコーナー』と書かれたプラスチックのプレートが目に入った。― インターネットも、あるのか。 ―いよいよもってこれは良い。良い暇つぶしになるじゃ無いか。手に取った数冊の本を病室に持ち出す手続きを手早くとり、『インターネットコーナー』に向かう。と、そこに。先程までは居なかった人影が見えた。車椅子に乗った、小学生くらいの少女。今の世の中、小学生がパソコンに触るのは珍しくも何ともないが、やけに気になる。と言うのも。彼女は、ブラインドタッチで黙々とキーボードを叩き続けていたから。中々、この歳でここまでキーボードを打つことは出来ないだろう。彼女はディスプレイをじっと見据え黙々と、ただ黙々とキーボードを叩き続けた。横のパソコンの前に座り、なんでもないページを、ぼんやりと眺めていたが矢張り、隣の少女が気になる。余計な事を、と思いつつ好奇心を抑えることが出来ずに少女に声を掛けてしまった。「何をそんなに、一生懸命に打っているの?」彼女は、ビクッとしたように手を止め、ゆっくりコチラを向いた。明らかに警戒した目。― 悪いことしたな。 ―瞬時にそう、思った。『いや、良いんだ。余りにも一生懸命だったから気になって。 でも、気にしなくていい。続けて続けて。ゴメンね。』そう、告げて自分の前のパソコンのディスプレイに視線を戻した。「日記を、書いているの。」横から、小さく声が聞こえた。再び少女に目をやると、彼女はディスプレイに向かい、キーボードを打ち続けていた。そのまま、口を開く。「日記をね、書いてるの。」『日記?』「うん、日記。」『そう、なんだ。でも入院してたら書くことも無いんじゃ?』「ううん。だから、書いてるの。」『どういうこと?』「私は、毎日学校へ行くの。友達と一緒に授業を受けて、遊んで。 今日は理科の実験をしたの。」『え・・・?』「私は入院してなくて、元気で、毎日学校へ行って・・・」そこまで聞いて理解した。彼女の書いている『日記』は本当の彼女の毎日を綴るわけじゃ無い。『病院から出れない自分の日記』ではなく、『元気に暮らしている自分の日記』。聞けば入院してずいぶん経つ、と。それで、彼女はいつからか健康な自分が普通の小学生と同じように学校へ通い、勉強して、遊んで・・・という自分を『想像』し『日記』として残している。そういうことらしい。『早く、治るといいね。』自然にそんな言葉が口をついた。素直に、そう、思った。― 彼女が早く治って『日記』と同じ生活を送れるように。 ―そう願わずには居られなかった。彼女はキーボードを打っている最中だけでも『元気な自分』になれる。そう見えた。思えば、あの、思わず口をついて出た言葉は彼女にとってはツライ言葉だったのかも知れない。けれどその時は知る由も無かった。彼女の体を蝕む病を。そして、彼女の命があと、どれだけ残っているか、を。to be continued >>>1 2 3 4 5
Jan 5, 2005
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どうも初めまして。七〇二です。明けましておめでとうございます。ツッコミ、質問、抗議は受け付けません。そういうスタンスで行きたいと思います。『1年の計は元旦にあり』と言いますが、特に元旦でなければいけないと言う事はありません。元旦でなくても、1年の目標を立てても良い筈ですし、寧ろ目標は常に立てつつ進んでいく事が望まれます。この他にもとかく『元旦である』と言うことを必要以上に重要視するのは如何かと。初詣以外、神社でお参りしないでしょ?お年玉を貰う以外、親戚に会わないでしょ?別に、常に健康や幸せを祈願しても良いのです。親戚に会いに行って、元気な顔を見せれば良いのです。『元旦』は一つの区切りに過ぎない。とは言え、『区切り』は必要なものであることは確かです。『区切り』が無ければグダグダに成りますから。そこで。『正月だから』という理由ではなく、一つの区切りとして何か目標を。何か野望を。何か妄想を。そして何か夢を。そういったものを持ってみようでは無いかと思っています。目標を決める事は大事ですが、常に決め続けるのも困難です。ですのでこの区切りそしてテンションを利用して一発やってみようと。では、此処はストレートに。一 攫 千 金 。そしてすかさず年末ジャンボ宝くじをチェック!!全 部 ハ ズ レ 。元旦10時間後にして夢、破れる。本当に死んで、生まれ変わりたい。
Jan 1, 2005
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2004年、最後に一言だけ。携帯が水没した。そういう、年だったんだと思う。来年は良いお年を。
Dec 31, 2004
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『さよなら』って今度だけは、言わなくちゃいけない。『さよなら』って言葉が嫌いだ。如何したって寂しい気持ちになる。仕方が無いんだって。出会ったら別れなくちゃいけないんだって。『永遠』なんて現実には無いのだから。でも。それでも運命として一度巡り合ったのなら。そして其れが楽しい物であればある程、別れるのは寂しくなる。『楽しい』が消えて仕舞いそうで。『心』には残るんだってそう、言われても寂しい物は寂しい。だから。『さよなら』って言葉が嫌いだ。TVの中であっても、本の中であっても、其の言葉を聞くだけで、別れるときの痛い気持ちが蘇って来るから。自分が言う時には尚更、痛い。イタイ。痛い。痛いのは嫌いだから、少しでも和らげたい。自分自身もそうだし『さよなら』を言う相手もそう。だから何時でも『さよなら』言う時には代わりに、こう言う。『またね』って。また、会おうねって。また、会えるからねって。そう願いながら。痛みは、其れだけでも大分和らいでくれる。相手もそうかな?分からないけれどもきっとそうだと信じたい。でも、今度だけは。『さよなら』って今度だけは、言わなくちゃいけない。何故って、『またね』と言ってももう、絶対に二度と会うことは無いのだから。会っては、いけないのだから。新しく踏み出さなくちゃいけない。再び会う事を祈ってはいけない。今度ばかりは『さよなら』で終わらなくちゃいけないんだ。『またね』って言っちゃいけないんだ。じゃあ、言うよ?一度しか言わないけれども。さよなら、2004年。ありがとう。楽しかったよ。※感想・賛同・賞賛は此方まで。※苦情・批判・罵倒は此方へ。※リンクフリーです。『日記リンク』やリンクは、やりたい放題。※バナーも貼り放題。貼ってもご利益はありません。 ※余り言いたくありませんが、このサイトの文章・画像の著作権は 一応「七〇一」にある様で、無断での二次使用・転載は 非常に憂鬱になって仕舞いますので止めた方が無難です。
Dec 29, 2004
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フルーチェはマンゴー味、です。何しろ僕はマンゴーが大好きなのです。マンゴーがあればご飯3杯は軽くいけます。美味しいですよね、マンゴー。まだ一度もホンモノのマンゴーを食べた事はありませんが。其れは其れとして。僕は食べ物における『好き嫌い』が有りません。何でも食べます。何でも飲みます。場合によっては何でも舐めます。舐めまわします。とは言っても僕にとって『好き嫌い』が無いという事は口に入れて咀嚼し、飲み込む事が可能である、といった意味合いで勿論「美味しくないなぁ」「出来れば、食べたくないなぁ」という物は存在する訳です。誰にだって、「美味しい!大好き!」と思う食べ物と「マズイ!嫌い!」と思う食べ物が有るのは当然、です。ところが。僕が今迄出会った人の中で『カレーが嫌いで食べられない』と云う人は皆無です。『辛いものは全くダメ』でも激・甘口のバーモントカレーやカレーの王子様なら寧ろ好き、と言われる方もいらっしゃいます。何が言いたいかといいますと、カレーってスゴクねぇ!?って事なんです。カレーってスゴイ。うどんだって、そばだって、ラーメンだって、スパゲティだって、ピザだって、チキンだって、ハンバーグも、トンカツも、スナック菓子だって、勿論ご飯にだって何でも合います。具も、選びません。肉、野菜、魚介類、挙句の果てに納豆まで。何でもOK。味付けも醤油、ソース、牛乳を隠し味に使います。それでいて、ウマイ。ある意味、日本の国民的料理の一つとさえ言えるのでは無いでしょうか。因みにカレーと言えばインド、と云うのは常識ですがインドのカレーは日本の其れとは違い、種々の香辛料で味付けされた料理の総称を指しカレー粉というものは有りません。カレー粉を作ったのは英国、C&B社なのでカレー粉の起源は実はイギリスです。ぜんっぜん話が逸れたのですが、逸れついでに。知り合いのインド人に『毎日、カレー味で飽きないのか?』と聞いたところ『毎日、醤油味で飽きないのか?』と逆にやられたのを思い出しました。人種差別の趣味はありませんがあれから何だかインド人はキライです。話を元に戻すとカレーはスゴイ。言いたい事は其れだけです。で、この話を読んだ人はきっとカレーが食べたくなります。明日はカレーライスを食べに行くんです。寧ろ今からでも。だから、全国のカレー屋さんは宣伝費として僕にカレーをご馳走すべきなんです。だっていま、すげぇカレーが食いたいんですよ。※感想・賛同・賞賛は此方まで。※苦情・批判・罵倒は此方へ。※リンクフリーです。『日記リンク』やリンクは、やりたい放題。※バナーも貼り放題。貼ってもご利益はありません。 ※余り言いたくありませんが、このサイトの文章・画像の著作権は 一応「七〇一」にある様で、無断での二次使用・転載は 非常に憂鬱になって仕舞いますので止めた方が無難です。
Dec 28, 2004
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