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1985年8月上旬、友人のk君と一緒に自転車で四国一周をしました。(1週間の旅です)友人のK君とは、音楽の趣味がほとんど重なっており、当時は二人とも、河合奈保子さん、岡田有希子さん、松本典子さん、菊池桃子さんなどに夢中でした。四国を自転車で走っている時、疲れて苦しくなってくると、二人で大声を出して、好きな曲のサビを歌いました。特に次の3曲のサビは、何十回も繰り返して歌いました。多分、これらの曲を歌わなければ、四国を1週間で回れなかったと思います。本当にパワーを貰った歌でした。3曲を紹介します。1)岡田有希子さんの「恋のダブルス」(恋のダブルス 作詞:康珍化、作曲・編曲:萩田光雄、歌:岡田有希子)「恋のダブルス」は、岡田有希子さんの2枚目のレコード「リトルプリンセス」のB面曲です。岡田有希子さんファンなら分かっていただけると思うのですが、「恋のダブルス」の2番のサビが、とてもキャッチーで、よくこのような歌詞を考えたなと感心していました。私の大切な青春曲です。「世界で一番仲良しなものはなあに?ナイフとフォーク?いえいえ あなたとわたしよ」2)松本典子さんの「青い風のビーチサイド」(青い風のビーチサイド 作詞:麻生圭子、作曲:岸正之、編曲:船山基紀、歌:松本典子)松本典子さんは、1985年3月発売の「春色のエアメール」でデビューされました。同年6月に発売された2枚目のレコード「青い風のビーチサイド」は、夏を歌った素晴らしい曲です。この曲も、サビの部分がとても良くて、何度も繰り返し歌いました。「お願いよあなたから ささやいてキミが大好きだと少しだけ頼りないひとだけどあなたと同じ夏見つめたい」3)河合奈保子さんの「デビュー Fly Me To Love」(デビュー Fly Me To Love 歌詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:鷲巣詩郎、歌:河合奈保子)私もk君も、河合奈保子さんが一番好きで、メロメロでした。素敵な笑顔、素晴らしい歌唱力、清楚な姿、礼儀正しい態度など、こんなに魅力的な人が世の中にいたのかと驚き、芸能界でデビューされたことに感謝していました。奈保子さんがいなかったら、私の青春は本当につまらないものだったと思います。奈保子さんの「デビュー Fly Me To Love」ですが、1985年6月に発売されました。ちなみにB面は東宝アニメーション映画「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」主題歌「MANHATTAN JOKE:マンハッタンジョーク 作詞:秋元康、作曲・編曲:大野雄二」です。この「デビュー Fly Me To Love」ですが、曲の最初から奈保子さんの伸びやかな声に魅了されます。夏の定番曲です。奈保子さんのこの曲は、オリコン1位を獲得しました。「Fly Me To Love珊瑚礁まで 波の銀河を滑りFly Me To You燃える想いが南の島へ飛ぶわ」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー四国自転車旅行が終わった後、広島FM放送の番組の中で、自転車旅行の話をする機会がありました。番組前の打ち合わせで、旅行の思い出の歌を番組で流すと言われ、「ぜひ、岡田有希子さんの『恋のダブルス』をお願いします。あの曲のサビの部分にパワーを貰いました」と伝えました。番組では旅の出来事を楽しく話したのですが、最後にアナウンサーの方が「色々考えたのですが、四国一周自転車旅行のイメージとして、この曲を紹介します」と言われ、流れた曲が高田渡さんの「自転車にのって」でした。「自転車にのって ベルをならしあそこの原っぱまで野球の続きをそして帰りにゃ 川で足を洗って自転車にのっておうちへ帰る」岡田有希子さんの「恋のダブルス」を期待していたので、曲の変更にがっかりしました。「自転車にのって」を聴きながら、「この曲では四国一周はできないよ!」と思っていました。あの夏の自転車旅行は、絶対に岡田有希子さんの「恋のダブルス」、松本典子さんの「青い風のビーチサイド」、河合奈保子さんの「デビュー Fly Me To Love」が無いと、できなかったと思います。これらの曲をあらためて今聴いてみると、四国の青い空、青い海、まぶしい太陽、陽炎がゆれる熱いアスファルトの道、そして友人たちとの楽しい思い出が脳裏に浮かんできます。ーーーーーーーーーーーーー1)岡田有希子さん。↓ (恋のダブルス 作詞:康珍化、作曲・編曲:萩田光雄、歌:岡田有希子)ーーーーーーーーーーーーーーーーーー2)松本典子さん↓(青い風のビーチサイド 作詞:麻生圭子、作曲:岸正之、編曲:船山基紀、歌:松本典子)ーーーーーーーーーーーーーーー3) 河合奈保子さん↓(デビュー Fly Me To Love 歌詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:鷲巣詩郎、歌:河合奈保子)ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 自分で作った冊子「WINDOW SHOPPING VOL.7 DEC 1986」四国自転車旅行を描いた漫画の一部分。↓ 四国地図。帝国書院 最新基本地図 -世界・日本ー15訂版/帝国書院
2023.07.27
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1985年8月上旬、友人のk君と一緒に、自転車で四国を一周しました、(一週間の旅です)今治市内で野宿をした後、自転車で波方町を通り、松山市に着きました。一週間前に四国一周をスタートした場所なので、感慨深いものがありました。松山市では、知り合いになった人が旅を続けるという事で、別れました。高知の中村市からずっと一緒だったので、とても寂しく感じました。私とk君で、松山城や道後温泉に行って観光しました。午後に松山港から船に乗り、約3時間で広島に戻りました。広島港から家までは結構距離がありますが、自転車に慣れてしまい、あっという間に自宅に帰りました。家に着くと、体が汚く臭いということで、真っ先に風呂に入らされました。母が手料理を用意してくれていたので、しっかり味わって食べました。肩や背中の日焼けや、股ずれの炎症部分がひどく、治るのに当分の間かかりました。四国を1週間で回りましたが、広島ー松山の往復の時間を考えると、6日間で回れたと思います。当時は若かったから走れたので、今なら無理かもしれません。その後、四国には何度も行きました。子供が生まれてからも夏休みには、道後温泉に毎年行っていました。でも、四国というと、私としては自転車で一周した最初の旅が一番心に残っています。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 波方町にて記念撮影。 今治から松山に行く途中。写真中央は私、左はk君、右は旅の途中で一緒に旅した人。↓ 松山に到着。私の写真。↓ 高知から一緒に旅した人。ここで別れることになった。(いっしょに旅が出来て楽しかったです。ありがとうございました)↓ k君と知り合いになった人。↓ k君。↓ 松山市内。↓ 愛媛県庁。↓ 松山城へのロープウェー。↓ 松山城と私。↓ 松山城とk君。↓ k君。↓ 道後温泉。↓ 道後温泉とk君。↓ k君。↓ 松山港から広島港まで船で帰った。瀬戸内海の夕日。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 四国の地図。帝国書院 最新基本地図ー世界・日本ー15訂版↓ 今治→波方→松山。↓ 松山→広島
2023.07.26
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1985年8月上旬、友人のK君と一緒に、自転車で四国一周をしました。(1週間の旅です)高松から今治まで、私、k君、そして途中で知り合った人と3人で自転車をこぎました。瀬戸内海の景色が見える浜辺があれば、寄り道をしました。写真の中に、「唐子浜パーク」での写真があります。インターネットで調べると、今治に昔あった遊園地で、解体されて今は無いそうです。↓ 高松↓ 「唐子浜パーク」↓ 瀬戸内海。↓ 今治ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 四国の地図帝国書院 最新基本地図ー世界・日本ー15訂版/帝国書院↓ 高松から今治へ自転車で移動。
2023.07.25
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1985年8月上旬、友人のK君と一緒に、自転車で四国一周をしました。(1週間の旅です)高知の東洋町・白浜海岸で野宿をして、朝に出発しようとすると、龍河洞見学をして遅れて来た人がやって来ました。深夜に一人で自転車をこいで室戸岬を回ってきたそうです。再び4人になって自転車旅行をスタートしました。徳島市で吉野川を越えていきます。合流した1人が、観光したいところがあるという事で、再び別れました。結局3人で高松に向かう事にしました。やっとの事で高松に到着し、銭湯に入りましたが、私の肩と背中の部分は日焼けがひどく、熱い湯に入ると激痛が走りました。銭湯で知り合った人が、自宅からアロエを切って、私の炎症部分にアロエの汁を塗ってくれました。駅近くのベンチで野宿をしました。ーーーーーーーーーーー↓ 写真左が私、中央は知り合った人、右はk君。↓ 四国の地図帝国書院 最新基本地図 -世界・日本ー15訂版↓ 東洋町 → 高松
2023.07.24
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1985年8月初旬、友人のK君と一緒に、自転車で四国一周をしました。(一週間の旅です)高知の桂浜で野宿をした後、私とK君、そして知り合いになった2人の合計4人で、高知市内を自転車で回りました。高知市からそのまま室戸岬に行く予定でしたが、4人のうち1人が、是非とも龍河洞を見たいと言いました。私も龍河洞に行きたい気持ちがあったのですが、すでに日焼けと股ずれがひどくなっており、食欲も無くなってきていたので、私は直接室戸岬に行き、できれば徳島県境くらいまで行きたいと言いました。結局1人だけが龍河洞に行くことになり、もし万が一、再び合流できたら皆で祝おうと言って別れました。室戸岬に続く道は単調で、どこまで進んでも、右は青い海、左は緑の山が続きます。山のひだが見えると、いよいよ室戸岬かもと期待するのですが、近づくと次の山が続きます。勘弁してほしいと何度も何度も叫びながら自転車をこいでいくと、やっとの事で室戸岬に着きました。記念撮影をした後、すぐに徳島県堺を目指して自転車をこぎます。これまた単調な道が続き、精神的にも肉体的にもきつい時間が続きます。結局、東洋町の白浜海岸で野宿をすることにしました。この浜には、カメが産卵しにやってくるので有名だそうです。夜は3人で寝袋を並べて、潮騒を聴きながら色々な話をしました。龍河洞に行った人は、今どのあたりにいるのだろうかと話をしている間に、疲れのせいか、いつの間にか寝てしまいました。次の朝、起きて自転車に荷物を詰めていると、遠くから「おーい」と声がします。道路をみると、なんと龍河洞に行った人が自転車で浜辺にやって来ました。4人で集まり、もう大騒ぎになりました。聞けば、龍河洞を見た後、夜を徹して自転車をこいで室戸岬を回り、明け方に浜辺を見ると、我々3人の姿を見つけたそうです。4人で抱き合って、喜びを分かち合いました。夜の間にたった一人で、あの単調で長い道を進み、室戸岬を回って進んで来たという事が、私にとって大きな驚きでした。多分、一人で淋しかったり、恐かったりしたのではないかと思ったのですが、彼の勇気に尊敬しました。*高知市内や室戸岬岬へ続く単調な道の写真も撮ったはずですが、手元を探したところ行方不明でした。 ーーーーーーーーーーーーー↓ 室戸岬で記念撮影。↓ 室戸岬。↓ 太平洋。↓ 海で水浴びをする。↓ 東洋町の白浜海岸。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 四国の地図帝国書院 最新基本地図 -世界・日本ー15訂版/帝国書院↓ 桂浜 → 高知市 → 室戸岬 → 東洋町白浜海岸
2023.07.23
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1985年8月上旬、友人のK君と一緒に、自転車で四国一周をしました。(1週間の旅です)足摺岬近くの「ドライブイン 足摺ハット」社長のご厚意で、社長のワゴン車に寝させていただきました。翌朝、足摺岬の灯台に行き、海中展望塔で海中の魚を見ました。自転車で中村まで行くと、自転車旅行中の2人と仲良くなり、4人で自転車旅行をすることにしました。窪川付近では、結構高度差がある道が続き、ブレーキを掛けながら走りました。須崎では、普通に高知へ行く道と、海岸沿いの横波黒潮ラインを進む道があり、どちらに進むか4人で話し合いました。やはり景色が良いのが一番ということで、横波黒潮ラインを進みました。ところが、この道は景色は美しいのですが、アップダウンが激しく、本当にヘトヘトになってしまいました。やっとの事で桂浜に着きました。桂浜で月や波を見ながら野宿をしようと4人で決め、自転車から荷物を出していると、男性の方が声を掛けてきました。その方は高知大学の先生で、桂浜について色々と面白い話を教えていただきました。そして、「今日は私の家に泊まっても良いがどうする?」と聞かれました。すぐに返事をすれば良かったのですが、4人で桂浜で野宿をすると決めていたので、少し時間をくださいと言って、4人で話し合いました。中々意見がまとまらず、少ししてから、先生にお願いしますと伝えると、「判断に時間がかかりすぎたので、この話は無しにしよう」と言われました。もしかして、先生の家に行けば、面白い話を沢山聞かせていただいたかもという気持ちがありましたが、いまさら仕方がないので、桂浜で4人で色々な話をして楽しみました。* 桂浜では、坂本龍馬像の前や、桂浜の景色など、色々と写真を撮ったはずですが、手元を探してあところ、行方不明でした。残念。ーーーーーーーーーーーーー↓足摺の案内板で記念写真。画面左が私。右がK君。↓ 私。↓ 足摺岬の灯台。↓ 足摺海底館。↓ 海中の魚。↓ 四国の地図 帝国書院 最新基本地図 -世界・日本ー 15訂版/帝国書院↓ 足摺岬 → 桂浜。 (途中の矢印は、横波黒潮ライン)
2023.07.22
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1985年8月上旬、友人のK君と一緒に、自転車で四国一周をしました。(1週間の旅です)足摺岬の近くで野宿の場所を探していた時に、男性の方から、ワゴン車に寝ても良いと言われました。その方は「ドライブイン 足摺ハット」の社長で、約1か月前にドライブインが全焼し、建物が無くなったそうですが、再建を目指して頑張ると言われました。その社長から、「ドライブイン 足摺ハット」のパンフレットを頂きました。パンフレットを見ると、社長の足摺への愛が伝わってきます。パンフレットには次の文言が続きます。ーーーーーーーーーーーーー「四国・高知・足摺国立公園 ドライブイン 足摺ハット」南国の自然がいっぱい「足摺岬」友、遠方より来たる我れ真心で待つ観光とは・・・私の答・・・心なり。テレビで紹介された名物ガイド社長が、足摺をご案内いたします。土佐一番の良い男は坂本龍馬。二番目はハットの社長!三番目がジョン万次郎・・・と、うわさの高いハットの社長が、ご希望の方には無料でご案内させていただきます。あなたもどうぞ。ーーーーーーーーーーーー旅で持ち帰った物は、その後処分したりしましたが、このパンフレットだけは大事に持っています。いつか「足摺ハット」に再び行きたいと思いながら、あっという間に約40年が経過してしまいました。ハットの社長が元気でおられたら嬉しいです。あの時は、ドライブインが大変な時期だったのに、私どもに優しくしていただき、本当にありがとうございました。この歳になっても、良い思い出として蘇ってきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 1985年8月にいただいた「ドライブイン 足摺ハット」のパンフレット。足摺ハットの社長。↓ テレビで消化された名物ガイド社長が、足摺をご案内致します。↓「四国・高知・足摺国立公園 ドライブイン 足摺ハット」(高知より車で3時間30分)↓ 南国の自然がいっぱい「足摺岬」友、遠方より来たる我れ真心で待つ観光とは・・・私の答・・・心なり。↓ 高知県土佐清水市足摺岬。↓ 「足摺ハット」の社長。土佐一番の良い男は坂本龍馬。二番目はハットの社長!三番目がジョン万次郎・・・と、うわさの高いハットの社長が、ご希望の方には無料でご案内させていただきます。あなたもどうぞ。↓ ドライブインハットに寄らずに足摺の旅は語れません!↓ (全景) 太平洋を眼下に眺めながら土佐の味をご賞味ください。↓ (レストラン)↓ (売店) 設備ごあんない↓ (大広間)土佐の名物・名産土佐鰹節・さんご・さんご細工・アッサム紅茶、うるめ丸干・かまぼこ等はおみやげに、また鰹のたたき、皿鉢料理、生け造り料理は足摺ハットならではの味です。↓ 自然も歴史も人情も足摺は豪快ですきに!↓ ドライブイン足摺ハットの場所。↓ 白山洞門。↓ 椿トンネル。↓ 足摺椿まつり (2月10日~3月10日)↓ ジョン万次郎像。↓ 金剛福寺。↓ (左)鯛の生造り (右)皿鉢(くみもの)↓ 南国足摺をドライブしませんか。↓ 青い空、青い海、青い山、赤い椿!足摺の大自然を足摺ハットでお楽しみください。*竜串、見残・海中公園海中公園第一号の血で、海岸を取り巻く奇巌と海中の造礁サンゴ、熱帯魚の群雄は見事です。↓ 海中展望塔。
2023.07.21
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1985年8月上旬、友人のK君と一緒に自転車で四国を一周しました。1週間の旅です。宇和島を出発し、足摺岬を目指します。途中で宿毛(すくも)を通り、足摺岬のそばまで行きました。どこで野宿をするか、K君と話をしていたところ、男性の方が声を掛けてきました。その方は「ドライブイン 足摺ハット」の社長で、ワゴンがあるのでその中で寝ても良いと言われました。社長の話では、約1か月前に足摺ハットが全焼し、建物が無くなったそうです。それでも、これから頑張って、新しい「足摺ハット」を再建するのだと意気込んでおられました。「ドライブイン 足摺ハット」のパンフレットを頂きました。下記の文章がとても良いです。「土佐一番の良い男は坂本竜馬。二番目はハットの社長!三番目がジョン万次郎・・・と、うわさの高いハットの社長が、ご希望の方には足摺を無料でご案内させていただきます。あなたもどうぞ」ーーーーーーーーーーーー↓ 宇和島から足摺岬へ進む途中。写真左が私、右がK君。↓ 足摺岬近くで夕日が沈む。野宿先を探している所で、「ドライブイン 足摺ハット」の社長に出逢い、ワゴンで宿泊させていただいた。↓ 1985年8月にいただいた、「ドライブイン 足摺ハット」のパンフレット。↓ 足摺ハットの社長。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 四国の地図帝国書院最新基本地図 -世界・日本ー15訂版/帝国書院↓ 宇和島 → 足摺岬
2023.07.20
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1985年8月上旬、友人のK君と一緒に、自転車で四国一周をしました。1週間の旅です。初日は広島港からフェリーで松山港に移動し、それから宇和島まで走りました。私の自転車は高校時代に通学用に使っていたもので、ギアの歯が擦れており、坂道になるとチェーンがすぐに外れてしまいます。宇和島に行く途中、何度も外れては手直しをする羽目になり、泣きそうになりました。夕方に宇和島に着き、市内で通りすがりのご夫婦に銭湯の場所を聞いたところ、自分の家で泊まりなさいと言われました。聞けば、ご夫婦の御子息が自転車で旅行をしたことがあり、色々なところで地元の方に泊めていただいた話を聞いていたので、私達も泊めようと考えたそうです。お風呂や食事を頂き、ぐっすり眠ることが出来ました。ありがとうございました。↓ 宇和島に到着。写真左が私、右はK君。↓ 宇和島の風景。ーーーーーーーーーーーーーー四国の地図(帝国書院 最新基本地図 -世界・日本ー 15訂版/帝国書院/平成2年12月20日発行)↓ 広島港 → 松山港↓ 松山港 → 宇和島
2023.07.19
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部屋を整理していると、大学時代に自分で作っていた冊子がでてきました。「WINDOW SHOPPING :ウィンドウショッピング」という題で、その当時の身の回りの出来事や、感想などを書きとめています。1985年7月の「WINDOW SHOPPING VOL.4 JUL 1985」を見ると、1985年7月11日~15日で、広島から名古屋へ行き、友人のYちゃんと一緒に松本から美ヶ原高原へ行ったことが書いてあります。美ヶ原はあいにく天気が悪く、アルプスを見ることができませんでした。1985年7月17日~19日には、広島県庄原市の県民の森で、私の出身高校が野外活動をするというので、アルバイトで手伝いに行きました。夜は望遠鏡を設置し、木星と土星を生徒に見せました。生まれて初めて本物の土星の輪を見た女生徒が何人も、感動で泣き出した事を記しています。広島県で二番目に高い山にも登りました。それ以外も、放送部のクラブ活動をしたり、新聞社やテレビ局のアルバイトで、広島市民球場や取材先に行っています。中学時代に好きになった女性がいたのですが、高校の頃に疎遠になり、その後どうしているのかなあと思っていると、本当に偶然な出来事で、電話で話をすることができました。思い切って映画に誘うと、ОKがでました。河合奈保子さんが主題歌を歌う「ルパン三世 バビロンの黄金伝説」に誘いたかったのですが、興味が無いと言われ、結局、市川崑監督作品で中井貴一さん主演の「ビルマの竪琴」を見る事になりました。映画を見た後は緊張して、喫茶店で何を話したか、全然思い出せません。再び電話をしたいのですが、彼女の家に電話をかけた時、彼女の親御さんが出たらどうしよう、なんと言おうとか、それがものすごくプレッシャーで電話が掛けられません。その後残念ながらコンタクトできませんでした。青春の苦い思い出です。1985年8月上旬、友人(K君)と一緒に自転車で四国一周をしました。K君は、大学1年の時に同じ学部で友達になったのですが、仮面浪人をしており、2年目には慶応大学に入り直し、東京で生活をし始めました。K君が夏休みに広島に戻るので、一緒に自転車で四国を一周しようという電話が入り、急遽2人で旅をする事にしました。何日かかるか全然予定を立てていない旅でしたが、広島ー松山のフェリー往復時間を入れて、7日間で回りました。私は高校時代に通学で使っていた自転車で旅をしたのですが、変速機の歯の部分がすり減っており、自転車をこぐと、坂道でチェーンが外れてしまい、大変でした。股ずれや日焼けの痛みも大変で、苦労しましたが、自転車のペースとしては、良かったのではないかと思います。当時の写真やネガフィルムをK君に送った所、戻ってこないままなので、手元に一部しか写真がありません。当時はフィルム撮影だったので、わずかな数しか写真が無いものの、1985年8月の四国一周旅行を振り返ってみようと思います。7日間で四国を一周しましたが、行きと帰りのフェリー時間を考えると、実質は6日間で回ったことになります。宿泊は、野宿か、その地で知り合った方の家に泊めさせていただきました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1985年8月上旬 (正確な日にちが分からず)*キロ数は自転車で走った距離の概算です。1日目 広島港フェリー → 松山港 → 大洲 → 八幡浜 → 宇和島 (100キロ)(宇和島で地元の方に道を聞くと、その家に泊めていただいた。その家の息子さんが高校生で、自転車旅行をしたときに知らない方の家に泊めていただいた事があり、今回は私達を受けいれることにしたとの事だった。)2日目 宇和島 → 宿毛 → 土佐清水 (100キロ)(土佐清水市で地元の人に道を聞くと、その方はドライブイン「足摺ハット」の社長さんだった。ドライブインは1か月くらい前に全焼してしまったそうだが、社長のワゴン車に泊めていただいた。いつか、足摺ハットを再建するから、そのときは是非泊まりに来てほしいと言われた)3日目 土佐清水 → 足摺岬 → 海中展望塔 → 中村 →窪川 → 須崎 → 横波黒潮ライン → 高知市 →桂浜 (150キロ)(足摺岬から高知を目指したが、途中の窪川はきつかった。須崎から高知に入るルートも、「横波黒潮ライン」だと景色がよさそうという理由で選択したが、アップダウンの連続で、大変な思いをした。自転車仲間が増えて、私とK君以外に2人が加わり、4人で自転車を走らせた。高知城を見て桂浜に行くと、高知大学の先生と知り合いになった。先生から自宅に泊まっても良いと言われたが、皆でどうしようか話し合うことにした。先生の所に泊まらせていただくことにして先生にお願いすると、「こういうことは即決をしないといけない。時間が経ったので、泊める話は無しだ」と言われた。結局、自転車仲間4人で、桂浜で野宿をした。4日目 桂浜 → 室戸岬 → 東洋町(白浜海岸)【130キロ)(仲間4人で桂浜を出発したが、一人が龍河洞を見に行くといって別れた。3人で室戸岬を目指すも、景色が単調で、走っても走っても岬に着かないことに焦った。やっと室戸岬に着いたので記念写真を撮り、徳島方面に向かう。東洋町の白浜海岸で野宿をした。この浜にはカメが産卵しにくるとの話であった)5日目 東洋町 → 徳島 → 高松(200キロ)(東京町の白浜海岸を出発しようとすると、龍河洞で別れた人が、手を振ってやってきたのでビックリした。私たちに追いつこうとして、深夜も自転車をこぎ続けたらしい。再び4人で徳島の吉野川を越えて、高松市内に入った。銭湯に入ったが、私は股ずれと日焼けの痛さで、熱いふろに入ると激痛だった。高松駅近くのベンチで野宿。ここで1人と別れて、残り3人で松山を目指すことになった。)6日目 高松 → 丸亀 → 新居浜 → 今治(180キロ)(瀬戸内海を見ながら、高松から今治へ向かって走る。高低差が無いので、とても走りやすかった。今治の駅近くのベンチで野宿)7日目 今治 → 波方 → 松山 → 松山城 → 道後温泉 → 松山 → 広島港 (60キロ)(今治から波方経由で松山市内に入った。松山城を見て、道後温泉に入り、松山港からフェリーで広島港に着いた。夜は自宅で、親の手料理を堪能した。日焼けで炎症を起こした皮膚が治るのに、当分時間がかかった)*その後地元の広島エフエムの番組で、自転車で四国一周した話をした。「ラジオを聴いたよ」と沢山の人から言われた。ーーーーーーーーーーーーー私が大学生の頃に作った冊子。↓ 0号 1984年6月8日 「戯曲 準備稿」↓ 1号 1984年9月 「WINDOW SHOPPING VOL.1 SEP 1984」↓ 2号 1985年2月 「WINDOW SHOPPING VOL.2 FEB 1985」↓ 3号 1985年5月 「WINDOW SHOPPING VOL.3 MAY 1985」↓ 4号 1985年7月 「WINDOW SHOPPING VOL.4 JUL 1985」↓ 1985年7月の「WINDOW SHOPPING VOL.4 JUL 1985」より。↓ 5号 1986年4月 「WINDOW SHOPPING VOL.5 APR 1986」* 6号 現在行方不明。↓ 7号 1986年12月 「WINDOW SHOPPING VOL.7 DEC 1986」↓ 8号 1988年7月 「WINDOW SHOPPING VOL.8 JUL 1988」
2023.07.18
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