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【旅行14日目】2025年5月30日(金)夜、ポルトガル・ポルト空港を出発した飛行機はイベリア半島を通過した後、トルコ・イスタンブール空港まで進みます。途中で撮った、メノルカ島、サルディーニャ島のアルゲーロ、オルビア、イタリア半島のサレルノ、ターラント、アルバニアのフローラ、トルコ・マルマラ海沿岸、そしてイスタンブール空港までの写真を紹介します。(夜なので、はっきりとは写っていません)↓ メノルカ島付近。↓ メノルカ島北側の入り組んだ海岸線が見える。↓ メノルカ島がうっすらとなった。↓ 夜食が出た。↓ 日が沈み、水平線のオレンジ色が、徐々に見えなくなってきた。↓ デザート。↓ サルディーニャ島を通過する。↓ サルディーニャ島西側のアルゲーロ(Alghero)海岸。↓ アルゲーロ市内。↓ アルゲーロの港。↓ サルディーニャ島のオルビア付近通過。↓ サルディーニャ島東海岸のオルビア海岸。↓ 機内でコーヒーが出た。↓ 飛行機はイタリアのソレント付近を進んだ。↓ イタリア・ソレント付近。↓ 半島の手前がソレント。反対側はアマルフィの海岸が続く。↓ アマルフィからサレルノへ続く海岸。↓ サレルノ(Salerno) の港。↓ サレルノからアグロポリへ続く海岸。↓ 飛行機はイタリア半島のアルタムラ(Altamura)付近を通過。↓ アルタムラ(Altamura)。↓ 飛行機はイタリア・ターラント(Taranto) 付近を進んだ。↓ ターラント(Taranto)の港。↓ イタリアの小都市。↓ アルバニア・ドゥラス(Durres)の海岸。↓ トルコ・マルマラ海の街。↓ 飛行機はイスタンブール空港へ進む。↓ ポルト空港からイスタンブール空港までの飛行ルート。
2026.06.23
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【旅行14日目】ポルト空港→バルセロナ上空2025年5月30日(金)、ポルト空港から、TK1452 ポルト18:05→イスタンブール00:48に乗り、移動しました。上空から見る地上はすでに暗く、はっきりしない場所も多かったのが残念です。途中で「ギマランイス」上空の写真を撮りました。ギマランイスは初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス誕生の地として有名です。途中から雲に覆われてしまい、イベリア半島の半分は地上を見ることが出来ませんでしたが、地中海そばのバルセロナにあるカタルーニャ・オリンピック運河が見えてきました。↓ ポルト空港(フランシスコ・サー・カルネイロ空港:Aeroporto Francisco Sá Carneiro)。↓ ポルト空港。↓ ポルト空港。↓ (中央)FCペドラス・ルブラス・スタジアム(Municipal Stadium FC Pedras Rubras)。↓ キレス(Quires)。↓ ヴィラル・デ・ピニェイロ(Vilar do Pinheiro)。↓ アヴェレダ(Aveleda)。↓ ヴィラル・デ・ピニェイロ(Vilar do Pinheiro) 駅付近。↓ モステイロー(Mosteiro)。↓ ヴィラル(Vilar)。↓ ヴィラル(Vilar)。↓ モディヴァス(Modivas)。↓ モディヴァス(Modivas)。↓ ヴァイラン(Vairao)。↓ ヴァイラン(Vairao)。↓ マシエイラ・ダ・マイア(Macieira da Maia)。↓ アーヴェ川(Rio Ave)。↓ フェレイロー(Ferreiro)。↓ フェレイロー(Ferreiro)。↓ フラデロス(Fradelos)。↓ A7高速道路。↓ トランスフラデロス・トランスポルタドーラ・デ・カルガ(Transfradelos-TransportadoraDe Carga, Lda)↓ トロファ(Trofa)、ボウガド(BOUGADO)。↓ ロウザド(Lousado)。↓ ヴェンダス(Vendas)↓ ポルテラ(Portela)。↓ クルース・ド・ロメウ(Cruz do Romeu)↓ シルヴァレス(Silvares)。↓ ギラマンイス(Guimarães)。* ギラマンイスは、初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス誕生の地として有名。↓ 中央:ギラマンイスのD・アフンソ・エンヒーケス競技場(Estádio D. Afonso Henriques)。↓ オリヴェイラ・ド・カステロ(Oliveira do Castelo)。↓ ファフェ(Fafe)。↓ サン・ジェンス(São Gens)。↓ ラゼル・デ・ヴィーラ・ポウカ公園(Parque de Lazer de Vila Pouca)。↓ A7高速道路と、ラゼル・デ・ヴィーラ・ポウカ公園。↓ カネド・デ・バスト(Canedo de Basto)。↓ シリンドロ(cilindro)。↓ カバニーニャス(Cabaninhas)。↓ アルバディア(Alvadia )↓ メロイチ―ニャ風力発電所(Parque Eolico de Meroicinha Ⅱ)。↓ ヴィラリーニョ・デ・サマルダン(Vilarinho de Samardã)。↓ ポルト空港からの飛行機空路。↓ キンタン(Quintã)。↓ IP3とキンタン(Quintã)。↓ ピンハオン川ダム(Barragem do Rio Pinhão)。↓ ムルサ(Murça)上空。↓ ムルサ(Murça)。↓ パリェイロス(Palheiros)。↓ ミランデラ(Mirandela)上空。↓ キンタ・ド・チョウピム(Quinta do Choupim)。↓ ミランデラ(Mirandela)。↓ ヴァレ・デ・アスネス(Vale de Asnes)。↓ ヴァーレ・ベンフェイト(Vale Benfeito)↓ ボルネス(Bornes)、風力発電施設。↓ ボルネス(Bornes)、風力発電施設。↓ ソエイマ(Soeima)。↓ クオータ700(Cota700 Pedreira Gralhos: ブラカンサの採石場)。↓ タリーニャス(Talhinhas)。↓ サボル川(Rio Sabor)。↓ サルト・デ・カストロ(Salto de Castro)。↓ サルト・デ・カストロ(Salto de Castro)。↓ ロサシノ(Losacino)/ムガ・デ・アルバ(Muga de Alba)。↓ ロサシノ(Losacino)。↓ マンサナル・デル・バルコ(Manzanal del Barco)。↓ マルティン・ヒル高架橋と、エスラ川。風力発電施設。↓ サン・ペドロ・デ・ラス・クエバス(San Pedro de las Cuevas)。↓ ラ・エンコミエンダ(La Encomienda)。↓ ラ・エンコミエンダ(La Encomienda)。↓ カストロトラフェ(Castrotorafe)。↓ カストロトラフェ(Castrotorafe)。↓ カニソ(Cañizo)。↓ カニソ(Cañizo)。↓ モンテ・エル・ラソ公園(Monte el Raso)。↓ 雲に覆われてきた。↓ お祈り用にメッカの方角が示されている。↓ 地中海近くで雲が切れた。↓ スペイン・プラタハ・デ・カステルデフェルス・ビーチ(Platja de Castelldefels)。↓ カタルーニャのオリンピック運河(Canal Olimpic de Catalunya)↓ カステイダフェルス(Castelldefels)。スペイン・カタルーニャ州バルセロナ県。↓ 地中海上空を進む。
2026.06.22
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト空港2025年5月30日(金)、メトロに乗ってポルト空港に14時20分に到着しました。トルコ空港(ターキッシュエアラインズ)TK1452便 ポルト空港16:50発、イスタンブール空港23:35着に搭乗する予定でした。検査場を通り、土産屋で土産を購入した後、飛行機を待っていると、トルコ航空からスマホにメッセージが入り、ポルト空港18:05発、イスタンブール空港00:48着に変更になったとの事でした。飛行機の窓から地上の写真を撮ろうと思っていましたが、2時間遅延すると、日が沈み、光が不足する写真しか取れなくなるのではないかと思い、がっかりしました。↓ ポルト空港。↓ トルコ航空イスタンブール行きTK1452 16:50発。↓ トルコ航空の窓口でカバンを渡す。↓ 免税店。↓ お土産を探す妻。↓ 当初は16:50発だった。↓ 最初の案内。トルコ空港(ターキッシュエアラインズ)TK1452便 ポルト空港16:50発、イスタンブール空港23:35着。↓ 時刻変更案内。ポルト空港18:05発、イスタンブール空港00:48着に変更↓ 飛行機がイベリア半島のどこを進むか確認した。↓ ポルトガル・ポルト空港からトルコ・イスタンブール空港までの飛行ルート確認。
2026.06.21
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【旅行14日目】2025年5月30日(金)午後、ポルトガルのボリャオン(Bolhão)駅からポルト空港のあるアエロポルト駅まで、メトロで移動しました。その区間の風景を紹介します。↓ 地球の歩き方2024~25 ポルトガル/Gakken p238 ポルト メトロ路線図。↓ オレンジのマーク。ボリャオン駅からアエロポルト駅まで、E線メトロライン(紫色)を移動する。↓ ボリャオン(Bolhão)駅とトラム。↓ この車両に乗車する。↓ 乗車した。現地時間13:45。↓ トラムが地上に出た。↓ フランコス(Francos) 駅。↓ A20高速道路。↓ セニョーラ・ダ・オーラ(Senhora da Hora) 駅↓ フォンテ・ド・クーコ(Fonte do Cuco) 駅。↓ このフォンテ・ド・クーコ駅から、メトロのⅭ線(グリーンライン)が分かれていく。このC線はイスマイ駅が終点。↓ A4高速道路。↓ エスポサーデ(Esposade) 駅。↓ クレスティンス(Crestins) 駅。↓ ヴェルデス(Verdes) 駅。ここで、空港行のE線(紫色)とB線(赤色)が分かれる。↓ SOLAR ANTIGO LUXYRY HOTEL AEROPORTOソラ―ル・アンティゴ・ポルト・ホテル。↓ ボティーカ(Botica) 駅。↓ 終点 アエロポルト(Aeroporto) 駅。↓ アエロポルト駅 プラットフォーム。↓ AEROPORTO FRANCISDO SA CARNEIRO (アエロポルト・フランシスコ・サーカルネイロ空港)。↓ カルゼドニア。(イタリアのビキニ会社)。↓ 出発3階。↓ 3階へ移動。↓ 出発のフロア。
2026.06.20
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、ドン・ルイス1世橋を戻り、宿泊所の「デカンティング・ポルト・ハウス」にて預けていたカバンを受け取りました。近くのボリャオン駅から、飛行場に行くためアエロポルト行きゾーンEメトロに乗車します。乗車券「アンダンテ」を購入機で買おうとするのですが、上手くいかず、妻が駅員に相談して券を出してもらいました。↓ メトロが地下に入る部分。↓ 宿泊所「デカンティング・ポルト・ハウス」に預けていた荷物を受け取った。↓ アルマス礼拝堂。↓ ボリャオン駅入り口。↓ 妻が切符を買おうとする。↓ 上手くいかず、駅員の方に相談した。↓ メトロ切符「アンダンテ」を購入した。↓ プラットフォーム。↓ ボリャオン駅。↓ アエロポルト駅行き。
2026.06.19
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)昼、セラ・ド・ピラール修道院の展望台で、晴天の中、同じような写真を沢山撮りました。妻は急いでホテルで荷物を取って空港に行きたいというので、駆け足で丘を下り、ドン・ルイス1世橋を戻りました。もしかしたら、もうポルトに来ることは無いかもしれないと思い、橋の上から心置きなく同じような写真を沢山撮り、十分満足しました。ブログに同じような写真を載せます。私の心象です。↓ セラ・ド・ピラール修道院の展望台からの景色。↓ 丘を下る妻。↓ ブラシの花。↓ トラム。↓ ドン・ルイス1世橋を歩きながら、どんどん写真を撮っていく。同じような写真が続きますが、ご容赦下さい。
2026.06.18
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、午前中に曇りと霧の中、ドウロ川のドン・ルイス川を越えてセラ・ド・ピラール修道院の展望台から写真を撮りました。私としては、この場所から晴れの写真を撮りたかったのにと忸怩たる思いでした。ところが昼になり、急に快晴となったので、妻にもう一度展望台で写真を撮りたいと懇願しました。妻は一度行ったところだし、暑い中再度歩いていくのは嫌だし、ホテルで荷物を取って空港に移動する時間だと主張します。結局、ご立腹の妻と一緒に展望台に行き、記念写真を撮りました。晴天の中、ドン・ルイス橋、ドウロ川を進む客船、そして橋を走るトラムを撮影しました。撮影できて、本当に満足しました。妻は「同じような写真をバシャバシャいっぱい撮って、どうするの」とますますご立腹でした。↓ 晴天のポルト。セラ・ド・ピラール修道院の展望台にて記念撮影。↓ 妻が指摘したように、「同じような、似たような写真」をいっぱい撮りましたが、当時天気が急に晴れて、晴天の中でポルトの景色を撮影できる私のはしゃぐ気持ちが表れているので、そのまま、「同じような、似たような写真」を載せます。
2026.06.17
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【旅行14日目】2025年5月30日(金)、世界で最も美しい書店といわれる「リヴラリア・レロ:livraria Lello」を見た後、通りに出ると快晴でした。朝から曇ったり霧が出ていたので街の写真を撮りながら残念に思っていたのですが、晴れになれば、是非晴れの街を撮りたくなりました。妻に「もう一度、セラ・ド・ピラール修道院の展望台に行って写真を撮りたい」と言うと、「さっき行ったところだから行かない。飛行場まで3時間前までに行きたいので早くホテルに預けた荷物を取りたい。もし展望台に行きたいなら、一人で行って」とつれない返事です。何度も妻にお願いし、妻は渋々ですが一緒に展望台に行ってくれることになりました。【晴れのポルトです】↓ カテドラル。↓ ドン・ルイス1世橋↓ セラ・ド・ピラール修道院。↓ ドウロ川に架かるインファンテ橋(手前)、ドナ・マリア・ピア橋(奥)。↓ トラム。↓ ジャルディン・ド・モーロ駅。↓ セラ・ド・ピラール修道院の坂を登る。↓ 礼拝堂。↓ 展望台に到着。↓ 晴れのポルト。
2026.06.16
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)12時、ポルトにある「世界で最も美しい書店 リウラリア・レロ:Livrarial Lello」に入り、内部の美しいアールヌーヴォーの建物を見ました。中央の螺旋階段は、天国への階段と呼ばれています。ハリーポッターシリーズの作者であるJ・K・ローリングは、ポルトで英語教師として働いたことがあり、小説はポルトの景色に影響を受けたとされています。ポルトで一番見たかった書店だったので、駆け足でしたが満足しました。↓「世界で最も美しい書店 リウラリア・レロ:Livrarial Lello」↓ 入口で入店確認を受ける。
2026.06.15
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、ポルトにある世界で美しい書店と呼ばれる「リヴラリア・レロ」に行き、店内を見学しようと思いました。ところが、書店のある通りに入ると、いきなり長蛇の列が見えてきました。書店入店待ちの人たちの列でした。11時頃、書店の入口の横に立っている人に、入店チケットを購入したいと相談したところ、看板を指さして「このQRコードをスマホに入れて申し込みをしたら、入店指定時間のメッセージが届き、入場料金の決済ができるし、入店用QRコードが出る」と言われました。早速QRコードを読み込み、必要事項を登録し、10ユーロの支払いも完了させました。入館時間が表記されている時間は、なんと12時50分でした。1時間50分後です。その時間を見た妻は、「空港に行く時間が心配なので、私は入店しない。一人で駆け足で中を見て」と言い、結局私が一人だけで入ることになりました。この日はポルト空港16時50分発、イスタンブール空港行きの飛行機に乗る必要があります。妻は今回の旅で20カ国旅行したことになりますが、海外旅行の経験から、空港には3時間前には絶対に到着するという信念を持っています。ホテルに戻って荷物を取り、空港に移動する時間も必要なので、全然余裕が無いと言います。12時50分の入店チェック用QRコードがスマホ画面に出てきません。モバイルWi-Fiの調子が悪いのか、案内が来ないので困っていると、ポルト大学の学生さんが、「May I help you ?」と言ってくれました。入店QRコードがスマホに来ない点と、夕方には飛行機に乗るため、早く入店したいと訴えると、店の人と交渉して、12時入店という手書きの紙を渡してくれました。時間が12時50分から12時になったので、とても助かりました。本当にその大学生の方に感謝しました。12:00と書いてあるプレートの列に並び、入店まで1時間待ちました。妻はその間にホテルに行って荷物を取りたかったらしいのですが、夫婦でモバイルWi-Fiの機器を1台で共有していたため、別行動ができず、妻はそばのベンチに座っていました。今回の反省として、モバイルWi-Fiは夫婦で共有しては駄目で、それぞれ別々のWi-Fiにすべきでした。金額をケチったので、失敗でした。↓ 書店「リヴラリア・レロ:Livraria Lello」の入店待ちの人々の列。↓ 右が本屋「リヴラリア・レロ:Livraria Lello」入口。入口の横の黒い板の部分にチケット窓口があったはずなのだが、閉められていた。↓ このパネルのQRコードをスマホで読んで、入店申し込みと10ユーロ支払いをするように言われた。↓ 店の前と入店を待つ人たち。↓ QRコードを読み込んで、必要事項を入力すると、5月30日 12:50から入店とのメッセージが出た。↓ 10ユーロ支払いが済んだことも画面に出てきた。しかし、入店入口で入口の人に見せるQRコード画面がでてこなかったので、大いに焦った。↓ 困っているとポルト大学の大学生が助けてくれた。紙に「12h00」と書いて、12時に入店できるようにしてくれた。この紙を店員に見せたら入れると言われた。↓ 朝から曇りだったポルトだが、12時近くに急に太陽の光が射してきた!!↓ 12時入店の列に並ぶ。↓ リヴラリア・レロ書店。
2026.06.14
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)、曇りで霧が流れる中、セラ・ド・ピラール修道院を下り、ドン・ルイス橋を通って、サン・ベント駅近くまで戻りました。次の観光ポイントは、世界で最も美しい書店と言われる「リブラリア・レロ」です。雑誌でその本屋の内部写真を見て、是非訪れたいと思っていました。↓ セラ・ド・ピラール修道院の展望台から撮影したカモメ。↓ 修道院の坂を下っていく。↓ トラム。↓ 横断歩道。↓ ゴンドラ。↓ プールが見える。↓ カイス・ダ・リベイラの河畔。↓ ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア河畔。↓ 紺色のトラム。↓ Galaxy S25 Series Galaxy AI のCMラッピングトラムだった。↓ クリスティアーノ・ロナウド。
2026.06.13
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、ポルトのドン・ルイス1世橋を渡り、坂を上がってセラ・ド・ピラール修道院に行きました。このセラ・ド・ピラール修道院は1537年に建てられ、ドーム型の礼拝堂が特徴ですが、もう一つのポイントは、この敷地が絶好の展望台になっており、ドウロ川の両岸とドン・ルイス1世橋を一望でき、絶好の写真撮影場所です。残念ながら街は霧に包まれ、美しい写真にはなりませんでしたが、記念写真は撮りました。ポルトに来て、これが一番の心残りでした。妻は写真を撮ったんだから良いでしょうと言うのですが、それは違うだろと突っ込みたいところでした。ドン・ルイス橋を走るトラムを見ていると、基本の黄色の車体以外に、紺色や複雑な模様の車体も見ることができました。特に複雑な模様の車体は、昆虫の擬態模様のようで、遠くから見ると芋虫に見えました。↓ ドン・ルイス橋の道路から崖の道を上がっていく。↓ ゴンドラのワイヤー。↓ 家の屋上でサボテンを育てている!↓ セラ・ド・ピラール修道院。↓ ドン・ルイス橋を走るトラム。紺色の車両と黄色の車両が見える。↓ 歌を歌う人。↓ ドン・ルイス橋の下流側から見たカイス・ダ・リベイラ地区。↓ トラムの連結部分。カバーが上に上がっている。↓ シャルディン・ド・モーロ駅。↓ セラ・ド・ピラール修道院の坂を登っていく。↓ セラ・ド・ピラール修道院の丸い礼拝堂。↓ メトロの天井部分が見える。↓ 展望台から見たドウロ川河畔の景色。霧に煙って残念だった。↓ 複雑な模様のメトロを見た。遠くから見ると、まるで芋虫が走っているようだった。↓ 芋虫みたい。↓ 私が天気が悪くて写真がいまいちと言うと、妻はこの場所に来ただけで十分と言って、天気について気にしなかった。↓ 天気が悪くて、内心忸怩たる思いだった。朝ホテルで天気予報を見た時は、晴れていくという事だったのに、晴れず残念だった。
2026.06.12
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、ポルトのドン・ルイス1世橋を渡り、対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアの道を散策しました。ここから見るカイズ・ダ・リベイラ地区の景色が、もし晴れていれば素晴らしかったのですが、天気は曇りでガスっぽく、とても残念でした。ロープウェーがストップしており、ゴンドラを修理している作業員の姿が見えました。気になって何度も作業員を眺めていました。ケーブルカーは順調に動いていました。↓ ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区と、ロープウェー。↓ ロープウェーは止まっており、作業員がゴンドラに向かう。↓ ゴンドラで修理する。↓ ロープウェーの駅。↓ ドウロ川とドン・ルイス1世橋。↓ カイス・ダ・リベイラ地区。晴れていれば、建物に日が当たり、カラフルな写真が撮れたのに残念。↓ メトロが橋の上を進む。↓ ケーブルカーが動いていた。↓ 修理中。↓ 妻は坂を登り始めた。
2026.06.11
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝。ドウロ川に架かるドン・ルイス1世橋です。パリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルの弟子であったテオフェロ・セイリグが設計し、1886年に開通した橋です。長さ395mで、174mの高さがある橋の上はメトロと人が渡れます。橋の下は自動車と人用です。↓ ドウロ川とドン・ルイス1世橋。↓ 丘から下る階段。↓ この右側の道を下りてきた。↓ 橋の下の道路。↓ 自転車のグループが走る。↓ 橋のたもとにあるポルト・ケーブルカーの乗り口。↓ 対岸にあるセラ・ド・ピラール修道院。↓(手前)インファンテ橋。(奥)ドナ・マリア・ピア橋。↓ ドン・ルイス1世橋を歩く。↓ セラ・ド・ピラール修道院。↓ ロープウェーのチケットオフィス。↓ 橋を渡った。
2026.06.10
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、カテドラル(ポルト大聖堂)に行き、側面のアズレージョ(青いポルトガルタイルの絵)を見ました。ポルト大聖堂は、市内で最も古い建造物で、ロマネスク様式です。1110年頃に建立が開始され、13世紀に完成しました。中の回廊のアズレージョがとても有名ですが、9時から入場可能で、私たちは8時台に訪れたので入場は諦め、ドウロ川に架かるドン・ルイス一世橋まで細い坂をくねくねと下りました。↓ カテドラル(ポルト大聖堂)↓ 側面のアズレージョ。↓ 9世紀のガリシア貴族であるヴィマラ・ペレス伯爵像。↓ 広場から見たエスクラ通り。修繕中、解体中の建物が見える。↓ 解体中?↓ クレリゴス教会の塔が見える。↓ グレリゴス教会の塔。(ズーム撮影)↓ カテドラル(ポルト大聖堂)正面。↓ サン・ロレンソ教会。↓ インフォメーションセンターは閉まっていた。↓ ドン・ウーゴ通りを進む。↓ セニョーラ・ダス・ヴェルダーデス通りの坂を下りていく。↓ ドン・ルイス1世橋が見えてきた。↓ ドン・ルイス橋の上を走るメトロ車両。↓ ドウロ川が見えてきた。↓ ドン・ルイス1世橋。
2026.06.09
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、天候は曇りでした。ホリャン市場を見た後、カテドラルの方へ歩いていきました。途中で、修繕をしている古い建物を見ました。天井も床も取り払われており、曲がった横木がむき出していました。この横木で床を支えていたのならば驚きです。すぐに床が抜けそうで、他の建物も同じような造りなのかなと考えると心配になりました。↓ ホリャン市場を見た後、街を散策した。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 天井や床が無い建物。修繕をしているのだろうか。↓ 横木。これで床を支える。↓ 天井、屋根が取り払われている。↓ レストランがあった。↓ 階段。↓ 建物の造りが分かって面白かった。ーーーーーーーーーーー↓ サン・ベント駅。↓ グレリゴス教会と塔。↓ サント・イルデフォンソ教会の青いタイル(アズレージョ)が見える。↓ サン・ベント駅。↓ ドウロ川に向かって下る坂。(ドン・アフンソ・エンビーケス通り)↓ ロータリーの案内。↓ ポルト大聖堂が見えてきた。↓ Museu do Vitral (ステンドグラス博物館)。↓ Statue of Vimara Peres (ヴィマラ・ペレス像)ヴィマラ・ペレス(820ー873年)は、9世紀にムーア人(北アフリカから来たイスラム教徒)の支配からポルトとガイアを奪還したガリシアの侯爵。そしてポルトガルの都市ギマランイスの創設者とされており、彼の名前ヴィマラが時を経てギマランイスになったと言われている。
2026.06.08
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日(金)朝、早速ボリャン市場に行きました。1879年に市場になり、1914年に鉄筋コンクリートで造られた二階建ての建物ができて、2022年に改修工事が行われました。妻は市場、スーパーマーケットを見るのが大好きで、ボリャン市場も絶対見たいと言っていたので訪問しました。↓ ポルト市内にあるボリャン市場入口。↓ 2階建ての市場。↓ ボリャン市場の外側。
2026.06.07
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【旅行14日目】ポルトガル・ポルト2025年5月30日朝、ポルトの宿泊所「Decunting Porto House:デカンティング・ポルト・ハウス」で荷物を整理し、チェックアウトしました。ポルトガル最後の日です。この2週間の旅行中、快晴が続きましたが、この日は初めて曇りました。ホテルに荷物を預けて、街に出ました。↓ ポルトの宿泊所「Decunting Porto House:デカンティング・ポルト・ハウス」の中庭。↓ グレリゴス教会の「グレリゴスの塔」。76mの高さ。↓ Via Catarina Shoppinng (ビア・カタリナ・ショッピングモール)の立体駐車場。↓ 残念ながら天気は曇り。↓ 部屋で自撮り記念撮影。↓ 壁の木製パネル。ーーーーーーーーーーー↓宿泊所を出て、街を散策する。↓ ヴィア・カタリナ・ショッピングモールの立体駐車場入り口。↓ スペインの雑貨屋「ALE-HOP」の牛の人形が2階の窓から顔を出している。↓ ポリャン市場。
2026.06.06
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【旅行13日目】スペイン・ポルト2025年5月29日(木)夕方、妻がポルトガルエッグタルト(パステル・デ・ナタ)を買いたいというので、一緒に店に行きました。妻はスマホで、ポルトの有名な店を検索しており、「Confeitaria Santa Catarina:コンフェイタリア・サンタ・カタリナ」でパステル・デ・ナタを購入しました。店名のコンフェイタイアは菓子店を意味しており、砂糖菓子を意味するコンフェイトが日本に入り、「こんぺいとう」になりました。その後、他にも気になる店があると言って「FABRICA NATA:ファブリカ・ナタ」でも菓子を購入しました。ホテルに帰る途中、店で水とジュースを買い、ホテルで2つの店のポルトガルエッグを食べ比べました。確かに店によって味が違うことに気が付きました。↓ 最初の店「Confeitaria Santa Catarina:コンフェイタリア・サンタ・カタリナ」。↓ 店に入る妻。ーーーーーーーーーー↓ 妻が別の店でもポルトガルエッグタルトを買いたいというので、移動した。↓ 2件目の店「FABRICA NATA:ファブリカ・ナタ」。↓ パステル・デ・ナタを買う妻。↓ パステル・デ・ナタの歴史。ーーーーーーーーーー↓ ホテルへ向かう。↓ アルマス礼拝堂とアズレージョ。↓ 飲み物を買うと言って妻が店に入る。↓ 飲み物を買う妻。ーーーーーーーーーーーーー↓ ホテルに戻った。↓ 最初の店「Confeitaria Santa Catarina:コンフェイタリア・サンタ・カタリナ」で買ったパステル・デ・ナタ。↓ 2件目の店「FABRICA NATA:ファブリカ・ナタ」のパステル・デ・ナタ。
2026.06.05
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、「アバディア・ド・ポルト」というレストランで食事をした後、アルマス礼拝堂の外壁のアズレージョ(ポルトガル青タイル)の絵を見ました。アルマス礼拝堂(Capela das Almas)のアズレージョは18世紀のものではなく、1929年に画家エドゥアルド・レイテが設計し、約16000枚のタイルで制作されました。アズレージョの絵は次の内容が描かれています。①聖フランチェスコが聖痕を受ける場面。十字架上のキリストが聖フランチェスコのもとへ現れ、キリストの傷(聖痕)がフランチェスコの身体に刻まれるという有名な場面。フランチェスコがキリストと同一化することを表わしている。②聖カタリーナの戴冠。聖カタリーナが天上的な栄光を受け、冠を授けられる場面。③聖カタリーナがアレクサンドリアの学者達と論争する。聖カタリーナは非常に優れた知性によってアレクサンドリアの18人の学者を論破し、キリスト教に改宗させた。④聖カタリーナの勝利を天使が告げる。カタリーナが学者との論争に勝ったので、天使がそれを確認し、聖カタリーナの信仰による勝利を喜んで告げた場面。⑤聖カタリーナの殉教。カタリーナが処刑されることになり、斬首される直前に祈る聖カタリーナの姿。⑥十字架上のキリストがアッシジの聖フランチェスコを抱擁。キリストが十字架から離れてフランチェスコのものへ身を寄せる印象的な場面。⑦聖フランチェスコが教皇ホノリウス3世の前で説教する姿。フランチェスコの修道運動が教会によって認められていく。⑧聖フランチェスコの奇跡フランチェスコが岩から水を湧き出させる様子。⑨聖フランチェスコの死。フランチェスコが死を迎え、周囲に弟子たちが集まっている。⑩天使たちが聖フランチェスコを天へ運ぶ。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ アルマス礼拝堂(Capela das Almas)のアズレージョ(ポルトガル青タイル)。↓ 正面。↓ 正面:聖カタリーナと聖フランチェスコ。↓ ①聖フランチェスコが聖痕を受ける場面。十字架上のキリスト(右上)が聖フランチェスコ(左下)のもとへ現れ、キリストの傷(聖痕)がフランチェスコの身体に刻まれるという有名な場面。フランチェスコがキリストと同一化することを表わしている。↓ ②聖カタリーナの戴冠。聖カタリーナが天上的な栄光を受け、冠を授けられる場面。下は煉獄の炎。↓ 角を曲がった右画面のアズレージョ。↓ ③聖カタリーナがアレクサンドリアの学者達と論争する。聖カタリーナは非常に優れた知性によってアレクサンドリアの18人の学者を論破し、キリスト教に改宗させた。↓ ④聖カタリーナの勝利を天使が告げる。カタリーナが学者との論争に勝ったので、天使がそれを確認し、聖カタリーナの信仰による勝利を喜んで告げた場面。↓ ⑤聖カタリーナの殉教。カタリーナが処刑されることになり、斬首される直前に祈る聖カタリーナの姿。(信号機の部分)↓ ⑥十字架上のキリストがアッシジの聖フランチェスコを抱擁。キリストが十字架から離れてフランチェスコのものへ身を寄せる印象的な場面。↓ ⑦聖フランチェスコが教皇ホノリウス3世の前で説教する姿。フランチェスコの修道運動が教会によって認められていく。↓ ⑧聖フランチェスコの奇跡フランチェスコが岩から水を湧き出させる様子。↓ ⑨聖フランチェスコの死。フランチェスコが死を迎え、周囲に弟子たちが集まっている。↓ 天の聖フランチェスコ。↓ ⑩天使たちが聖フランチェスコを天へ運ぶ。
2026.06.04
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、宿泊所のデカンティング・ポルト・ハウスで荷物を置いて、街で食事をすることにしました。妻が携帯でホテル近くのレストランを検索し、書き込みを読んで、「アバディア・ド・ポルト:ABADIA DO PORTO」に決めました。坂を下りていき、「アバディア・ド・ポルト」に着きました。妻が酒と料理を注文し、楽しい時間を過ごすことができました。↓ ホテルを出て、レストランまで歩いていく。↓ 坂を下りていく。↓ アバディア・ド・ポルト(レストラン)。↓ 食事が終わり、レストランを出た。
2026.06.03
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)夕方、ポルトのサン・ベント駅に到着し、宿泊先のデカンティング・ポルト・ハウス(Decunting Porto House)まで歩いていきました。途中で、美しいアズレージョ(ポルトガルの青タイル)で飾られたサント・イルデフォンソ教会の写真を撮りました。この教会のアズレージョは、サン・ベント駅のアズレージョも手掛けた画家ジョルジェ・コラコの作品です。通りにある雑貨屋を覗いたりしながら、坂道を登っていき、妻が予約していたデカンティング・ポルト・ハウスに到着しました。とても清潔感のある部屋でした。↓ ポルトのサン・ベント駅を出た。↓ 仮設の通路を歩いていく。↓ クレリゴス教会。ポルトのランドマーク。↓ 坂道を登っていく。↓ 路面電車軌道に置かれた、店の机と椅子。奥はサント・イルデフォンソ教会。↓ 美しいアズレージョ(ポルトガルの青タイル)で飾られたサント・イルデフォンソ教会。この教会のアズレージョは、サン・ベント駅のアズレージョも手掛けた画家ジョルジェ・コラコの作品。↓ 途中で雑貨屋に入る妻。↓ 宿泊先のデカンティング・ポルト・ハウス(Decunting Porto House)に入る。↓ 店の受付。↓ 部屋。↓ 窓からの景色。
2026.06.02
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、ポルトのサン・ベント駅に到着しました。この駅のホールには美しいアズレージョ(ポルトガルの青タイル)の絵が壁にあり、妻はこれを見るのをとても楽しみにしていました。一部のタイルは保護シートが被せられており、青タイルを直に見れないものがあったのがちょっと残念です。アーティストのジョルジェ・コラコ(Jorge Colaço)が2万枚の青タイルを使用して、11年掛けて作成し、1930年に完成したそうです。ポルトガルの有名な歴史の場面、庶民の生活の風景が描かれています。ゆっくりとタイルを見た妻は、満足と言っていました。↓ ポルトのサン・ベント駅プラットフォーム。↓ サン・ベント駅のホールに進む。↓ サン・ベント駅のホールの壁を飾るアズレージョ(青いタイル)。↓ アズレージョを見て喜ぶ妻。↓ 船でワインや人を運ぶ。↓ アルコス・デ・ヴァルデヴェスの激戦。(保護シートがかけてある)1140年にアルコス・デ・ヴァルデヴェスでアフォンソ・エンリケスが、レオン・カスティーリャ王国のアルフォンソ7世と戦い、1143年に休戦した後、アフォンソ・エンリケスが独立を宣言してポルトガル王国が誕生した。↓ 騎士が槍で決闘した。(保護シートがかけてある)↓ エガス・モニスの忠誠。(保護シートがかけてある)12世紀、ポルトガル独立を画策していたアフォンソ・エンリケスの家庭教師であり騎士だったエガス・モニスは、レオン・カスティーリャ王アルフォンソ7世に「アフォンソ・エンリケスには反乱は起こさせない」と約束したが、アフォンソ・エンリケスは独立の反乱を起こし、約束が守れなくなったので、自分と家族を裸足・首に縄を巻いた罪人の姿でアルフォンソ7世の前に出たが、王はその忠義、勇気に心を動かされ、エガス・モニスと家族を許した。↓ 聖女レメディオスの祭りの様子。↓ ジョアン1世とランカスター公女フィリッパのポルト入城。(保護シートがかけてある)1387年、ポルトガル王ジョアン1世とイングランド王家出身のフィリッパ・オブ・ランカスターが結婚するためポルトへ入城する様子。↓ セウタ攻略。(保護シートがかけてある)1415年、エンリケ航海王子率いるポルトガル軍が北アフリカの港湾都市セウタを攻略した。ポルトガルが海外進出を始める象徴的な絵。↓ 市場。
2026.06.01
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【旅行13日目】ポルトガル・ポルト2025年5月29日(木)、コインブラB駅15時47分発、ポルトガル鉄道AP133 一等車コンフォートシートクラスに乗車し、ポルト=カンパニャン駅に到着しました。APはALFA PENDULAR(アルファ・ペンドゥラール)高速鉄道の略です。途中の車窓から大西洋を見たり、ポルトのドゥエロ川の鉄橋サン・ジョアン橋から、隣のマリア・ピア橋を見たりしました。カンパニャン駅では、別のプラットフォームに移動し、市内のサン・ベント駅行きの電車に乗り換えました。一駅なので、すぐにサン・ベント駅に到着です。↓ コインブラB駅。予約した列車がホームに入って来る。↓ ポルト=カンパニャン駅行き。↓ 1等車の様子。↓ ポルトに行く途中で、大西洋が見えた。↓ 大西洋。↓ポルトの街が見えてきた。↓ ドゥエロ川に架かるマリア・ピア橋と、奥はインファンデ・ドン・エンリケ橋。↓ 車内電光掲示板 ポルト=カンパニャン駅 17:26 外は31度。↓ プラットフォームで記念撮影。↓ ポルト=カンパニャン駅で、市内のサン・ベント駅行き列車に乗り換えるため、通路を通って隣のプラットフォームに移動する。↓ 別のプラットフォームに移動した。↓ ポルトガル鉄道 AP(ALFA PENDULAR: アルファ・ペンドゥラール)高速鉄道1等車に描かれた絵。↓ サン・ベント駅行きの電車。↓ サン・ベント駅行き。↓ 車内の案内板。ポルト=カンパニャン駅からサン・ベント駅まで一駅。↓ 車内の様子。↓ ポルト=カンパニャン駅を出発。↓ ドゥエロ川とフレイショ橋。↓ (西側窓)インファンテ橋。↓(東側窓)サン・ジョアン橋。↓ サン・ベント駅に到着。↓ ポルトの地図を確認する妻。
2026.05.31
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)14時40分頃、コインブラB駅に到着しました。妻がコインブラB駅15時47分発、ポルト=カンパニャン駅16時48分着の鉄道をウェブで予約したので、駅で約1時間待ち時間があり、その間に駅に発着する車両を写真に撮りました。スプレー落書きされた車両がとても多く、落書きを消すところまで、費用と手が回らないのだろうと推察します。車両基地に夜間勝手に侵入しては、スプレーで描く輩が多いのでしょう。落書きは近郊通勤車両が多く、インターシティのような遠距離車両はきれいです。プラットフォームでコインブラ大学の男女の学生を見ました。大学生が着る有名な黒マントを棒状に巻いて、肩に掛けていました。女子学生は好きな男子学生のマントの裾を噛み切る習慣があり、人気のある男子学生のマントは裂け目が多いそうです。羨ましい。↓ コインブラB駅。↓ スプレー落書きの車両。↓ 窓までスプレー塗料が付いている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ インターシティ。車両は落書きなし。ーーーーーーーーーーーー↓ PORTUGAL RAILWAY SUMMIT (ポルトガル レールウェイ サミット:ポルトガル鉄道サミット)2025年5月21日~22日 ポルトガル・エントロンカメントでポルトガル鉄道サミット2025年が実施された。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ コインブラB駅。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ コインブラ大学の男女の学生。大学生が着る有名な黒マントを丸めている。↓ 黒マントを肩に担いでいる。↓ 自動販売機。妻がコインを入れたのに、壊れていたようで、反応しなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2026.05.30
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ観光を終えて14時頃コインブラA駅に到着しました。コインブラ観光でどれくらい時間がかかるか分からなかったので、コインブラからポルトまでの電車予約は事前にしていなかったのですが、妻が携帯でOMIOサイトに入り、コインブラB駅15時47分発、ポルト=カンパニャン駅16時48分着、ポルトガル鉄道 AP133 一等車コンフォートシートクラス 2人分のチケットを予約しました。私と違って、妻はやる事が早いです。その後、バスでコインブラA駅からコインブラB駅に10分で移動しました。予約した列車が車で1時間あるので、プラットフォームにある売店を覗いたりして時間をつぶしました。↓ 妻がOMIOでポルト行き列車の予約をした。コインブラB駅15時47分発、ポルト=カンパニャン駅16時48分着、ポルトガル鉄道 AP133 一等車コンフォートシートクラス 2人分のチケット↓ コインブラA駅そばの通り。↓ コインブラA駅からコインブラB駅までバスに乗って移動した。↓ バスを下車。(コインブラA駅、B駅の移動は、無料です)↓ バス停からコインブラB駅プラットフォームまで、結構歩く。↓ やっとコインブラB駅に着いた。↓ プラットフォームにある売店。↓ 時計は14時47分。予約した列車は約1時間後に来る。
2026.05.29
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ大学のジョアニナ図書館を見た後、コインブラA駅に行くため丘を下っていきました。途中で見たものです。① コインブラ大学法学部:メロス宮殿② 旧カテドラル。③ 洗濯女(トリカーナ)の像。④ ポルトガルギターの女性像。⑤ コインブラ・ファドの演奏像。⑥ SAMINA PT :ポルトガル・リスボンの現代芸術家の作品。⑦ コインブラ大学生の帽子のカラフルな吊りアート。↓ コインブラ大学法学部:メロス宮殿(FACULDADE DE DIREITO DA UNIVERSIDADE DE COIMBRAPALACIO DOS MELOS)16世紀後半、コインブラ大聖堂付属学校の校長であったドゥアルテ・デ・メロスによって造られた建物。 ↓ (左)コインブラ大学哲学研究所。↓ ノルテ通りの坂を下っていく。↓ 旧カテドラル。アフォンソ・エンリケスが1139年のオーリッケの戦い(イスラムのムラービト朝との戦い)で勝ったことにより、初代ポルトガル王アフォンソ1世として即位し、カスティーリャ=レオン王国から独立を宣言し、コインブラを首都と定めた。12世紀にロマネスク様式の教会(旧カテドラル)が建立された。↓ 旧カテドラルの正面。↓ コインブラの洗濯女の像(トリカーナ:Tricana)。コインブラのモンデゴ川で洗濯していた女性達を記念してできたブロンズ像。ケプラ・コスタス通りにある。↓ ポルトガルギターの女性像。↓ 表の部分。 裏はお尻の形。↓ アルメディナ門。↓ コインブラ・ファドの演奏像。↓ SAMINA PT :ポルトガル・リスボンの現代芸術家の作品。↓ フェレイラ・ボルジェス通り。↓ コメルシオ広場に下りていく。↓ アデリノ・ダ・ヴェイガ通り。この通りにあるタトゥーの店に旅行鞄を預けていたので、それを受け取った。店には客もおり、英語が得意と言われたので、通りに吊ってあるカラフルな帽子はどんな意味があるかを聞いたところ、コインブラ大学の学生が被るハットをイメージしてカラフルに飾っているとのことでした。↓ コインブラA駅に到着。
2026.05.28
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ大学のラテン回路を見た後、一番見たいジョアニナ図書館の入場時間が13時40分からなので、12時頃からインフォメーションセンターそばの椅子に座って、夫婦で時間を過ごしました。暑い日でしたが、日陰で風が抜けていくので、とても気持ちが良かったです。結婚してから起こった色々な出来事を、二人で思い出しながら話をしました。図書館入館待ちの隙間時間ですが、思いがけない楽しい時間になりました。13時20分頃、ジョアニナ図書館横にある礼拝堂(Capela)を見学し、ジョアニナ図書館の建物脇にある集合場所に移動しました。案内の女性に従って、ジョアニナ図書館内に入ります。英語の説明を聞くと、図書館の1階は学生牢、2階は図書室で、ここまでは写真撮影が可能だが、3階の特別な図書室は撮影禁止と言われました。3階の図書室ですが、30万冊の蔵書と金泥細工の装飾、調度品が素晴らしく、見ごたえのある空間でした。蝙蝠が部屋に住んでおり、部屋の虫を食べるという話がありました。撮影禁止なので、このブログでは、旅行会社の写真を載せます。(エクスペディア、トリップアドバイザー、ゲットユアガイド)↓ コインブラ大学のインフォメーションセンターそばのベンチで、妻と1時間以上話をした。↓ インフォメーションセンターのある建物に入ると、入口に「フーコーの振り子」があった。↓ 「フーコーの振り子」。↓ 大学構内を歩くコインブラ大学の学生達。黒いマントが特徴。↓ 礼拝堂。↓ ジョアニナ図書館の外観。↓ モンデゴ川。↓ モンテゴ川とライニャ・サンタ・イザベル橋。↓ ジョアニナ図書館見学の集合場所。↓ 13時40分が集合時間。すでに沢山の観光客が入口に待っていた。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 図書館1階にある学生牢。ーーーーーーーーーーーー↓ 図書館の2階。ここまでは写真撮影可能。ーーーーーーーーーーーーー↓ ジョアニナ図書館3階は、撮影禁止の為、代わりに旅行会社の写真を載せます。(エクスペディア、トリップアドバイザー、ゲットユアガイド)↓ エクスペディア。↓ トリップアドバイザー。↓ ゲットユアガイド。
2026.05.27
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラの新大学ビルを見ながら鉄の門をくぐると、旧大学があります。旧大学の端にはジョアニナ図書館がありますが、これは13時20分からでしか入れないので、それまで旧大学構内を見学しました。この中で一番有名なのは、ラテン回廊です。もともと宮殿の広場で、壁にはポルトガル歴代国王の肖像が飾られています。この場所ではラテン語だけを話すことが義務付けられていたため、ラテン回廊(Via Latina)と呼ばれています。敷地内にはポルトガル国王ジョアン3世(在位1521-1557)の像が建っています。ポルトガル人による日本への鉄砲伝来(1543年)時期の王でした。↓ コインブラの旧大学。↓ ジョアニナ図書館。↓ FACULDADE DE DIREITO : 法学部↓ ポルトガル国王ジョアン3世(在位1521-1557)の像。ポルトガル人による日本への鉄砲伝来(1543年)時期の王だった。↓ 時計塔。鐘の音が山羊の鳴き声に似ているため、コインブラ大学の学生は、この塔をカブラ(山羊)と呼んでいる。↓ ラテン回廊。もともと宮殿の広場で、壁にはポルトガル歴代国王の肖像が飾られている。この場所ではラテン語だけを話すことが義務付けられていたため、ラテン回廊(Via Latina)と呼ばれている。↓ ライニャ・サンタ・イサベル橋(Ponte Rainha Santa Isabel)。モンデゴ川に架かる斜張橋。↓ モンデゴ川。↓ 廊下のタイル。↓ 食堂。↓ 売店。↓ コインブラ大学のシャツ。
2026.05.26
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、コインブラ大学を囲む坂道を歩き、やっと階段を上ると、コインブラ大学の新館が見えてきました。敷地にはコインブラ大学を設立したディニス王の像が建てられています。ディニス王はポルトガル大6代国王で、ポルトガル海軍とキリスト騎士団を創設し、リスボンに創設した大学を1290年にコインブラに移転させました。ポルトガルの大学の父と呼ばれています。今回の目的は、コインブラ大学の旧館内部を見学することと、「ジョアニナ図書館」を見ることです。「ジョアニナ図書館」は、1724年に建設され、蔵書が30万冊保管されています。本好きなら、是非とも訪れるべき場所です。11時過ぎにインフォメーションセンター窓口で「ジョアニナ図書館」のチケットを求めた所、早い時間のチケットは売り切れており、結局13時40分入場の券を購入しました。この日はコインブラからポルトまで鉄道で移動する予定でしたが、図書館の入場時間が分からなったので、鉄道の予約をまだしていませんでした。結局、スマホで夕方発の列車を予約しました。↓ 坂道を上る妻。↓ コインブラ大学を設立したディニス王の像。ディニス王はポルトガル大6代国王で、ポルトガル海軍とキリスト騎士団を創設し、リスボンに創設した大学を1290年にコインブラに移転させた。ポルトガルの大学の父と呼ばれている。↓ ディニス王の像。↓ 手前は社会科センター。奥は学生オンブズマン事務所。↓ 学生オンブズマン事務所。↓ コインブラ大学数学科。↓ コインブラ大学医学部。↓ コインブラ大学物理学科。↓ ラルガ通り。↓ コインブラ大学化学科。1階にインフォメーションセンターがある。↓ インフォメーションセンターの旗。↓ 建物1階のフロアにある、インフォメーションセンター。↓ 11時過ぎに買ったジョアニナ図書館の入場券。早く入りたかったが、13時40分入場しか購入できなかった。↓ サン・ジョアン通り。奥は、サン・ジョアン・デ・アルメディナ教会。↓ コインブラ大学人文科学部。↓ コインブラ大学総合図書館。↓ コインブラ大学内を移動する乗り物。「Grupo GALA PORTUGAL DOS PEQUENITOS:ガラグループの、ポルトガル ドス ペケニトス」というコインブラにあるテーマパーク。↓ 旧大学と鉄の門。↓ 鉄の門。↓ 女神ミネルバの大きなモザイク。ミネルバは知恵と芸術をつかさどる神。
2026.05.25
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、妻が見たいと言ったので、コインブラの市場(MERCADO MUNISIPAL D.PEDRO V : ムニシパルDペドロV市場)の中に入りました。色々な街を訪れますが、妻は必ず市場、スーパーマーケットを見学します。市場を見た後、私が乗りたかったエレベーターのある場所に行きます。このエレベーターに乗ると、あっという間にコインブラ大学がある丘に行けるという優れものでしたが、エレベーターオフィスのチケット売り場で店の人に聞くと、エレベーターが壊れて乗れないと言われ、がっかりでした。暑い中、丘に向かって歩く必要があります。あまりに暑いので、道の途中にある店で妻が飲み物を購入しました。↓ コインブラの市場(MERCADO MUNISIPAL D.PEDRO V : ムニシパルDペドロV市場)↓ 市場を出た。↓ ポルトガルの青いタイル絵が続く。↓ エレベーター。(コインブラ大学まで簡単に行く事ができる)↓ チケット売り場。エレベーターは故障しており乗れないと言われた。↓ チケット販売機。↓ エレベーターに乗れず残念。↓ ダー・ダ・バンディラ通り。修理中。↓ スーパーマーケット「SPAR」に入り、飲み物を買う妻。↓ 暑すぎて日傘を出した妻。↓ ギル・ビセンテ・アカデミック・シアター(Teatro Académico de Gil Vicente)
2026.05.24
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、バスでコインブラA駅に10時頃到着しました。妻はスマホでコインブラの荷物預かり所を検索し、A駅近くで10時から預かるという店と、11時から預かるという店を見つけており、当然ながら10時から預かるという店に予約を入れていました。その店があるというアデリノ・ダ・ヴェイガ通りに入ると、通りの上にはカラフルな帽子がずらりと吊るしてあり、とても印象的でした。妻が店を見つけてドアをノックすると、女性が出てきました。荷物預かりサイトで10時からの預かりを予約したというと、この店は11時から開店なので、11時から預かれると言います。困っているとその女性は、折角店に来たのだから荷物を預かりますと言ってくれました。その店はタトゥーを入れる施術をしており、内装は独特な雰囲気がありました。多分私は一生縁が無いような感じでした。店を出て、コインブラの市内を妻と一緒に散策しました。写真を一部紹介します。↓ アデリノ・ダ・ヴェイガ通り。↓ カラフルな帽子が吊るされている。↓ 妻が荷物預かりをするタトゥーの店を見つけ、店の女性と話をした。10時から預かりということでスマホ申し込みをしていたが、店は11時から開店と言われたので困った。しかし、すでに店に来ているので荷物を預かると言われ、荷物を置くことが出来た。↓ コメルシオ広場。↓ サン・ティアゴ教会。↓ ヴィスコンテ・ダ・ルース通り。↓ 8デ・マイオ広場。ポルトガル内戦中の1834年5月8日、テルセイラ公の自由派軍がコインブラに入場したことを記念して広場の名前が8デ・マイオ広場になった。絶対王政を守ろうとするミゲル1世派と、自由主義的な憲法を支持するドン・ペトロ(ペトロ4世)派との戦いで、ドン・ペトロ派のテルセイラ公がコインブラに入場し、5月16日のアセイセイラの戦いでテルセイラ公が勝利し、5月24日のエヴォラ・モンテ協定でミゲル1世は降伏した。↓ サンタ・クルス教会。↓ 市役所。↓ カイシャ・デラル・デ・デポシトス:Caixa Geral de Depositos(ポルトガル国営銀行)。↓ 居酒屋 ONI (鬼のマークがある)↓ フォンテ・ノバ(新噴水)。↓ フォンテ・デ・マンガ:マンガ庭園。↓ 【左側)ムニシパルD ペトロV市場。
2026.05.23
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、ポルトガル・コインブラB駅に到着しました。「地球の歩き方 ポルトガル 2024~25/Gakken」p201には「リスボンやポルトからAPやICなどの特急列車で来ると、滋賀医師から離れたコインブラB駅に着く。町の中心にあるコインブラ駅(旧A駅)へは、連結列車に乗り換えてひと駅、約5分で到着する」と書いてあります。ところが、それらしい連結列車が見当たりません。プラットフォームの先にある歩道に女性が立っており、手に案内板を持って左側に行けと大声で叫んでいます。その女性に聞くと、連結列車は今年1月に廃止になったので、矢印の方向に代替バスのバス停があるから急ぐように」と言われました。妻を呼んで一緒に右側の通路を歩いていきます。途中は工事中らしく、どこにバス停があるのか不安でしたが、だいぶ先に代替バスが止まっていました。これはとても分かりにくかったです。バスはコインブラの大通りを進み、10分程度でコインブラ旧A駅の広場に止まったので下車しました。途中の大通りで、「プリンセス・シンダズンダの像」を見かけたので、その紹介も記載します。「5世紀にアラン族とスエヴィ族の間でイベリア半島の支配権を争って戦争が起きた。アラン族の王アタケスは現在のコインブラにあたるアエミニウムを征服した後、復讐を企てたスエヴィ族の王ヘルメネリックと対峙した。両軍の対立は激しく、モンデゴ川の水を赤く染めた。敗北が差し迫ったヘルメネリックは平和的解決を求め、美しい娘シンダズンダをアタケスに差し出した。シンダズンダは並外れた美しさを持ち、アタケスは彼女を見た瞬間に恋に落ちた。二人は結婚し、両民族に平和をもたらし、アラン族とスエヴィ族は同盟関係となった」↓ コインブラB駅のプラットフォーム。↓ 市内のコインブラA駅に行く連結列車が見当たらない。↓ 案内の紙を持った人が、左側に行けと叫ぶので、聞くとコインブラA駅行きの列車は今年1月に廃止となり、代替バスが走っているので、左に行けばバス停があると言った。急いで妻を呼んで、左側の道を一緒に進むことにした。駆け足でやってくる妻。↓ 左側の通路を歩くが、工事現場が続き、本当にバス停があるのか不安になった。↓ ずっと線路横を歩いていく。↓ ロータリーが見えてきた。↓ 代替バスが見つかりホッとした。すぐに乗車した。↓ バスはコインブラB駅を出発した。↓ モンデコ川を渡る高速道路。↓ コインブラ市内の大通り。↓ 衛生管理は、公衆衛生を促進し、害虫などの害と闘います。↓(左側)プリンセス・シンダズンダの像。↓ プリンセス・シンダズンダの像。5世紀にアラン族とスエヴィ族の間でイベリア半島の支配権を争って戦争が起きた。アラン族の王アタケスは現在のコインブラにあたるアエミニウムを征服した後、復讐を企てたスエヴィ族の王ヘルメネリックと対峙した。両軍の対立は激しく、モンデゴ川の水を赤く染めた。敗北が差し迫ったヘルメネリックは平和的解決を求め、美しい娘シンダズンダをアタケスに差し出した。シンダズンダは並外れた美しさを持ち、アタケスは彼女を見た瞬間に恋に落ちた。二人は結婚し、両民族に平和をもたらし、アラン族とスエヴィ族は同盟関係となった。2人はコインブラで盛大な結婚式を挙げた。両族の連合の象徴として、アタケスはコインブラに今日も残る紋章を授けた。紋章の中央の人物はシンダズンダで、冠を被った乙女として描かれている。聖杯は結婚の同盟を象徴し、ライオンはアタケスを表わし、ドラゴン(翼のある蛇)はヘルメネリックの紋章。↓ アラン族、スウェビ族の連合の象徴として、アタケスはコインブラに今日も残る紋章を授けた。紋章の中央の人物はシンダズンダで、冠を被った乙女として描かれている。聖杯は結婚の同盟を象徴し、ライオンはアタケスを表わし、ドラゴン(翼のある蛇)はヘルメネリックの紋章。↓ コインブラ旧A駅のプラットフォームが見えてきた。↓ コインブラ旧A駅。↓ バスを下車した。↓ コインブラ旧A駅。↓ バスの時刻表。↓ バスが出発。↓ ソタ通り。
2026.05.22
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【旅行13日目】ポルトガル・コインブラ2025年5月29日(木)、インターシティー511で、リスボン・オリエンテ駅からコインブラB駅まで移動しました。車中では、持参した食材で昼食を摂りました。ファティマ近くからコインブラB駅までの写真の一部を紹介します。ポンバル駅、グランジャ・ド・ウルメイロ・アルファレオス駅を通過してコインブラB駅に行きました。↓ お腹がすいたので、前日スーパーマーケットで購入した食材を、列車内で昼食として食べた。↓ ポンバル(POMBAL)駅。↓ GRANJA DO ULMEIRO ALFARELOS (グランジャ・ド・ウルメイロ・アルファレオス)駅。↓ モンデゴ川とアスデ橋。↓ コインブラB駅。↓ コインブラB駅で下車した。↓ 思わず写真に撮りたくなる車両のスプレー落書き。
2026.05.21
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【旅行13日目】ポルトガル・ファティマ近く2025年5月29日(木)、リスボン・オリエンテ駅から鉄道でコインブラを目指します。途中で、「Chao de Macas - Fatima: シャオン・デ・マサス・ファティマ駅」と「Caxarias - Fatima : カシャリアス・ファティマ駅」という、ファティマの名前が付いている駅を通りました。駅名にファティマとありますが、ファティマ市内とは20キロ以上離れています。駅からは車かバスでファティマ市内に移動する必要があります。私が小学生の頃、不思議な話が大好きで、夏になると幽霊、心霊写真、霊能者の霊視、奇跡の話などテレビ番組を夢中で見たり、雑誌を買ったりしていました。特に、1999年8月に世界が終わるというノストラダムスの大予言と、ファティマの子供たち3人の前に聖母マリアが現れ、3つの予言をし、その奇跡はカトリック教会が公認したというファティマの予言は忘れられませんでした。ファティマの3つの予言を簡単に紹介します。1917年5月13日、ファティマの3人の子供たち(ルシア、フランシスコ、ジャシンタ)の前に聖母マリアが現れ、6ヶ月続けて毎月13日にこの場所に来るように言われ、その後会うと聖母から3つの予言を聞くことになりました。3つの予言は次の内容です。① 地獄は実在する。人々が罪な生活を送り改心しないと、死後に地獄に行き、二度と地獄から出られない。聖母マリアは3人に地獄のビジョンを見せ、3人はあまりに悲惨な光景に戦慄した。3人が聖母マリアに、自分たちは天国に行く事ができるかと聞くと、マリアは天国に行けるが、ルシアには天国に行くまでにロザリオの祈りをたくさん唱えなければならないと伝えた。結局、フランシスコとジャシンタは、数年後に亡くなったが、ルシアは修道女になり97歳まで生きた。② 第一次世界大戦はまもなく終わるが、人々が悔い改めない限り再び大きな戦争が起きる。③ 3つ目は、聖母マリアは1960年になるまで秘密にするように厳命して伝えた。その内容は「ファティマ第三の秘密」とされ、生存したルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、教皇庁は長らく公表せず、2000年になって内容を発表した。内容は教皇暗殺の危機であった。1917年10月13日には、約7万人の群衆が雨の中、3人の子供たちといっしょに聖母マリアの出現を待った。すると太陽を見ることができ、その太陽は狂ったように急降下や回転を繰り返し、多くの人がその様子を見たとされる。今回、ポルトガルのファティマを旅行ルートに書き込んだのですが、妻は興味がないということで却下したので、観光ルートから外しました。将来、一人で再びポルトガルの旅をすることがあれば、是非訪れたいです。ーーーーーーーーーーーーー手元の本「地球の歩き方2022~ ムー異世界の歩き方/Gakken」p200~201には、「マリアが姿を現すという奇跡の舞台 聖母顕現の3大聖地(ポルトガル、フランス、メキシコ)が紹介されています。「イエスの母である聖母マリアは、無原罪で生を受け肉体と霊魂をもったまま天国に召されたとされるなど、カトリック教会において、特別な地位を占めている。そのため聖母マリアが人々の前に姿を現したという奇跡の報告も、時と場所を問わず数多いが、そのうちカトリック教会が公認した聖母顕現の地は、立派な教会が建てられるなど、多くの人々が訪れる巡礼地になっている。① ファティマ(ポルトガル)第一次世界大戦中の1917年5月13日、この地で3人の子供の前に聖母マリアが出現した。聖母はその後5カ月にわたり毎月13日に現れ、3つの予言を告げたという。10月13日の最後の顕現では、7万人の大観衆の前で、太陽が異常な動きをするという奇跡も起きている。当時のファティマは、オリーブの木が点在するだけの荒れ地だったが、今は荘厳なバジリカ教会が建つカトリックの聖地。教会前の大広場には10万人もの巡礼者で埋め尽くされる。② ルルド(フランス)1858年2月11日、ポー川のほとりにある洞窟近くに薪を集めに来た14歳の少女がいた。その名はベルナデット・スビルー。突然彼女の前に現れた聖母マリアは、その後17回にわたって同じ場所に出現し、ある日「泉へ行って水を飲み、顔を洗いなさい」と命じた。洞窟近くの地面を掘ると泉が湧き始め、その湧き水によって病気が治癒する奇跡が何度も起きたといわれる。この小さな町は全世界から年間600万人が集まるカトリック最大の巡礼地のひとつ。特に病をもつ人々にとって重要な聖地となった。広大な聖域には、無原罪の御宿り聖堂が建ち、聖母が出現されたとされるマザビエルの洞窟では、奇跡の水が今も湧いており、好きなだけ水を汲むことができる。③ グアダルーペ(メキシコ)メキシコ・シティ郊外にあるグアダルーベは、1531年に聖母マリアが出現し、その姿がマントに浮かびあがったという奇跡の地。グアダルーペ寺院の裏側にある小さな丘が奇跡のあったテベヤックの丘で、麓から飾り階段が続き、頂上には礼拝堂が建っている。グアダルーペ寺院には、メキシコ国民の精神的な支えであるグアダルーペの聖母が祀られている。この聖母は黒い髪と褐色の肌を持ち、カトリックの聖母のなかでは異色の存在だ。」ーーーーーーーーーー↓ リスボンから北へ向かう鉄道ルート。ファティマ市内と鉄道ルートは20キロ以上離れている。↓ ファティマ市内と鉄道駅は、20キロ以上離れている。スマホの青丸は「Chao de Macas - Fatima: シャオン・デ・マサス・ファティマ駅」付近の記録。ファティマの名前が付いている2つの駅を紹介します。① 「Chao de Macas - Fatima: シャオン・デ・マサス・ファティマ駅」ーーーーーーー↓ 次の駅まで移動。ーーーーーーーーーーーー②「Caxarias - Fatima : カシャリアス・ファティマ駅」ーーーーーーーーーーーーー↓「地球の歩き方2022~ ムー異世界の歩き方/Gakken」「地球の歩き方2022~ ムー異世界の歩き方/Gakken」p200~201聖母顕現の3大聖地(ファティマ、ルルド、グアダルーペ)の紹介。↓ ファティマの記事。
2026.05.20
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【旅行13日目】ポルトガル・リスボン→コインブラ2025年5月29日(木)朝、リスボン・オリエンテ駅、5番ホームで7時39分発、コインブラーB駅行き インターシティー IC511号に乗り、コインブラを目指しました。列車はテージョ川そばの街を通り、北に進んでいきます。まずは、オリエンテ駅からテージョ川に沿ってコインブラの中間あたりまでの写真を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ リスボン・オリエンテ駅5番ホーム。手前の男性に、列車を間違えたら心配だと話すと、同じ列車に乗るので来たら教えてあげると言っていただいた。↓ IC511が進入してきた。↓ この男性に、この列車で間違いないと言われた。↓ この男性は1等車両に乗る。↓ 私と妻は2等車両。↓ 2等車両に乗った。↓ 車内風景。↓ カバンを置いた。↓ 指定座席。↓ 列車は出発した。↓ テージョ川が見えてきた。↓ テージョ川。↓ Vila Franca de Xira (ビラ・フランカ・デ・シーラ)駅。↓ マレシャル・カルモナ橋。↓ 切符のチェック。↓ レジリア橋。↓ セチル(SETIL)駅からテージョ川に向かって進む貨物列車。↓ Santarem (サンタレン)駅と給水塔。↓ 鉄道模型展の案内(国立鉄道博物館)。↓ Entroncamento(エントロンカメント駅)。↓ 列車のトイレ。すでに誰かが汚していた。↓ 鉄道のルート。テージョ川の近くを北に進んでいる。
2026.05.19
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【旅行13日目】ポルトガル・リスボン2025年5月29日(木)朝6時45分にリスボン・オリエンテ駅に着きました。7時39分発コインブラB行きの列車に乗るためです。オリエンテ駅の構内を歩くのですが、どこがプラットフォームの入口か分からず、間違えて反対側のエリアを回って時間をロスしました。7時39分の列車に乗れなかったらどうしようという不安が頭をよぎりました。駅の切符売り場を見つけたのでスマホのチケット画面を見せて相談すると、プラットフォームの番号(5番線)と行き方を教えてもらえました。駅構内をバタバタ歩き回ったので、5番線プラットフォームに着いても、どんどん発着する車両を見ていると、列車を間違えて乗車しないかどうか心配になりました。近くにいたポルトガル人に話しかけると「同じ電車に乗るから安心すること。電車が来たら教えてあげる」と言われホッとしました。7時39分の電車を待つ間、色々なポルトガル鉄道(Comboios de Portugal : CP)の車両を写真に撮りました。一部を紹介します。↓ オリエンテ駅の5番線プラットフォームに着いた。最初は駅構内の反対側を歩き回り、プラットフォーム入口が分からず焦った。切符販売所を見つけて聞いたところ、プラットフォームの番号(5番線)と行き方を教えてくれた。↓ CP2462、CP2381。↓ CP2245。↓ CP2414。↓ CP2381。↓ CP2363。↓ CP2381。↓ CP2381。↓ 「LINHA 5 7:39 COIMBRA-B IC511」(5番線 7:39発 コインブラーB駅行き インターシティー511号) ベンチに座る妻。↓ CP3527↓ CP2319。↓ CP2372
2026.05.18
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【旅行13日目】ポルトガル・リスボン2025年5月29日(木)、朝5時からトゥリム・アラメダホテルの部屋で朝食をとり、チェックアウトしました。ホテル近くの地下鉄アラメダ駅に6時10分に行ったのですが、入口のゲートが開かず、6時25分過ぎにやっと係員が来てゲートを開けました。リスボン・オリエンテ駅7:39発、コインブラB駅9:38着の電車に乗るため、急いでアラメダ駅で車両に乗り、6時45分頃、オリエンテ駅に着きました。地下鉄オリエンテ駅では、日本の有名な画家である「草間弥生」さんの壁絵を見ることができて驚きました。それ以外でも、エローさん、アブドゥライ・コナーテさんの作品を撮りました。ポルトガル鉄道オリエンテ駅は、1998年のリスボン万博の会場の一角に造られました。とても近代的なデザインです。↓ 朝5時に、部屋の中で朝食をとる。前日にスーパーマーケットで購入していた食材。↓ トゥリム・アラメーダホテルを6時にチェックアウト。↓ アラメダ駅に進む。↓ フォンテ・ルミノーザの噴水。↓ 地下鉄アラメダ駅の入口。6時10分だが閉まっている。↓ アラメダ駅からレッドラインでオリエンテ駅に行く。レッドラインの終点はリスボン空港。↓ 6時25分にやっと地下鉄の入口が開いた。↓ アラメダ駅。↓ 車両に乗った。↓ 途中で外の景色を見ることが出来た。↓ 途中のシェラス駅。↓ 途中のオリヴァイス駅。↓ オリエンテ駅に到着。↓ オリエンテ駅の草間弥生さんの絵。プラットフォームの両側にある。↓ オリエンテ駅の草間弥生さんの絵。リスボン万博に合わせ1994年に制作。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ エロー(Erro)さんの壁画ーーーーーーーーーーーーーーー↓ アブドゥライ・コナーテ(Abdoulaye Konate)さんの壁画。ーーーーーーーーーーーーー↓ 6時45分、オリエンテ駅に到着。↓ ポルトガル鉄道オリエンテ駅。
2026.05.17
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、地下鉄アロイオス駅を出た後、夜食の食材を買うため、数件の店を回りました。スーパーマーケットで買い物をしたとき、妻がポルトガルでは鴨ライスが有名らしいと言って、鴨ライスのパックを買いました。ホテルに帰り、電子レンジが無いので冷たいまま鴨ライスを食べましたが、どうも口に合わず、かといって捨てるわけにもいかないので、30分くらい時間をかけて少しずつ口に入れて完食しました。リスボン最後の夜は、鴨ライスの思い出が残りました。↓ 1件目の店。↓ 2件目の店。↓ 3件目の店。↓ 4件目の店。↓ 5件目の店。↓ 6件目の店。↓ トゥリム・アラメダホテルに着いた。↓ 妻が鴨ライスを食べるが、冷たいままだったので、口に合わなかった。↓ 私が時間をかけて鴨ライスを完食した。↓ リスボン最後の夜。ホテルの窓からの景色。
2026.05.16
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、見納めという事で再び市電に乗りました。ポスタス・ド・ソル広場に行く坂道で、市電が急停止しました。細い道で車が線路に飛び出しています。市電の運転手が車の運転手に大声でもっと車を端に動かすように言います。1分以上も市電が停車していましたが、市電運転手は見切りをつけて電車を動かしました。市電と車の側面が接触し、ガリガリと大きな音が聞こえます。市電の左側に座っていた人たちは、その接触の様子を見て思わず大爆笑していました。私と妻は右側に座っていたので、残念ながら接触するところの写真を撮れず、とても残念でした。車の運転手はでかい声で悪態をついて怒りの叫び声を上げていました。それ以外ですが、聖ヴィンセント像、タミ・ホプフの壁絵を紹介します。↓ 市電の軌道は車だらけ。↓ 市電と車が接触しそうになり、市電が1分以上停止した。市電の運転手が車の運転手にもっと端に寄るように大声で怒る。↓ これ以上止まれないので、市電は動き始めた。↓ 市電と車の側面が接触し、ガリガリと大きな音が聞こえた。↓ ガリガリガリガリ!↓ 車の運転手の叫び声が聞こえた。↓ その様子を見ていた人たちは、思わず大爆笑。↓ 市電は何もなかったかのように坂を進んでいった。↓ ポスタス・ド・ソル広場で下車した。↓ Saint Vicente像。(聖ヴィンセント)聖ヴィンセントはスペインの殉教者で、西暦303年にローマ皇帝ディオクレディアヌスによるキリスト教徒迫害の時、ヴィンセントは拷問を受けて殉教した。西暦1173年、ポルトガル王アルフォンソ1世は、ポルトガル南部の海域から聖ヴィンセントの遺骨をリスボンに運んだ。伝説では、航海中、2羽のワタリガラスが船を護衛したとされている。このヴィンセント像の左手には、2羽のワタリガラスを乗せた帆船を抱えており、このモチーフがリスボン市の紋章の由来となっている。↓ ヴィンセント像の左手には、2羽のワタリガラスを乗せた帆船を抱えており、このモチーフがリスボン市の紋章の由来となっている。↓ リスボン市の紋章。2羽のワタリガラスを乗せた帆船。↓ サン・ビセンテの丘。↓ サント・エステヴァン教会。↓ テージョ川。↓ サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院。↓ 暑いので、売店で妻がジュースを買った。↓ テージョ川。↓ 画家・TAMI HOPF(タミ・ホプフ)の作品。1987年にブラジル・ポウソ・アレグレで生まれたタミレス・ホプカルトナー(別名タミ・ホプフ)は、サンパウロのカスパー・リベロ大学で視覚コミュニケーションを学び、その後、ブラジル、チリ、オーストラリア、アルゼンチンのデザインエージェンシーでアートディレクターとして勤務した。2013年に、彼女はスイスへ移住し、ヴェヴェイにスタジオを設立し、2015年から個人の作品に取り組んだ。↓ タミ・ホプフは、花と金色の太陽円盤で飾られた、波から姿を現す、飛翔する鳥に囲まれてたエレガントな女性を描いた。神話と女性性を呼び起こす、上品でエレガントな線画。↓ 再び市電に乗って、街に戻ることにした。↓ 市電を下車した。↓ 阿夫利リスボン ラーメン店。↓ 地下鉄バイシャ=シアード駅。↓ バイシャ=シアード駅。↓ アロイオス駅。↓ アロイオス駅を出た所。
2026.05.15
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン市電でグラッサ駅から坂道を下り続け、フィゲイラ広場に戻りました。フィゲイラ広場の中央には、「ジョアン一世騎馬像」があります。ジョアン1世はポルトガル王(1385ー1433)で、エンリケ航海王子の父です。↓ グラッサ駅の坂道。↓ 市電に乗車する。↓ 坂を下っていく。↓ サンタ・ルシア展望台。↓ フィゲイラ広場が見えてきた。↓ ジョアン1世騎馬像。(エンリケ航海王子の父)↓ フィゲイラ駅。
2026.05.14
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、リベイラ市場で食事をした後、コンセイサン駅で市電に乗り、行くところまで行こうという話になりました。市電車両はアルファマの坂を登り、グラッサの停留所で止まりました。車掌が全員降りるように促したので下車しました。あまりに暑いので、妻が近くのスーパーマーケット「My Auchan」でコーラを購入して飲みました。戻りの市電がなかなか来ず、20分以上待っていました。↓ コンセイサン駅で市電に乗る。↓ 乗車した。↓ サンタ・ルシア展望台。↓ テージョ川。↓ グラッサ駅で全員降ろされた。↓ スーパーマーケット「My Auchan」に入る妻。↓ 暑いのでコーラを飲んだ。↓ グラッサ駅周辺。↓ グラッサ駅から下る坂道とテージョ川。↓ 暑いので休憩する妻。↓ やっと戻る市電がやってきた。
2026.05.13
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、昼にリベイラ市場(MERCAD DA RIBEIRA)に行きました。市場の壁側には店が並び、中央には客が食事をする長テーブルが設置されていますが、昼の時間で空きスペースが無く、人でごった返していました。人が立って空いたと思ったら、他の人が駆け込む感じで、席取りで20分以上かかりました。全部の店を見て回りましたが、妻と私の意見が一致した店がありました。それは「SUSANA FELICIDADE : スザーナ・フェリシダーデ」という店です。看板には「COZINHA PORTUGUESA DE AUTOR E TRADITIONAL ALGARVIA:シェフの創作ポルトガル料理と、伝統的な(ポルトガル南部の)アルガルヴェ地方料理」と書いてあります。この店のカウンターに紹介された煮込み料理を見た時、二人ともこれが食べたいと言いました。その料理は「FEIJOADA DE GAMBAS フェイジョアーダ・デ・ガンバス」で、豆とエビの煮込み料理です。インゲン豆をエビ、タマネギ、トマト、ニンニク、オリーブオイルなどと一緒に煮込んだ食べ物です。このフェイジョアーダ・デ・ガンバスを食べながら周りを見ると、同じ料理を食べている人たちが多いことに気が付きました。皆、この料理に惹かれたのでしょう。↓ リベイラ市場。↓ リベイラ市場(MERCAD DA RIBEIRA)入口。↓ 市場の中の様子。↓ 昼なので、人でごった返していた。↓ 両側に店が並び、中央部分は長机と椅子がある。↓ 空いている場所が全然ない。↓ 妻と一緒に店を見て回る。↓ 全部の店を見て回ったが、手前に置いてあった料理皿を見て、これが食べたいと妻と私の意見が一致した。「SUSANA FELICIDADE : スザーナ・フェリシダーデ」という店。料理は「FEIJOADA DE GAMBAS フェイジョアーダ・デ・ガンバス」で、豆とエビの煮込み料理。↓ 「SUSANA FELICIDADE : スザーナ・フェリシダーデ」という店。↓ 料理ができたらペジャーが鳴るシステム。↓ ペジャーが鳴って光ったので、料理を取りに行く。↓ 料理は「FEIJOADA DE GAMBAS フェイジョアーダ・デ・ガンバス」で、豆とエビの煮込み料理。↓パンが付いている。↓ コーラ。↓ 食事をしたので、リベイラ市場を出た。↓ テルセイラ侯爵の像。スペインとポルトガルの戦争時、ポルトガルの軍元帥だった。↓ リスボン市役所。↓ リスボンのさらし台。↓ ムニシーピオ広場。↓ 貨幣博物館。
2026.05.12
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【旅行12日目】ポルトガル・リスボン2025年5月28日(水)、ベレンの「発見のモニュメント」の屋上から景色を写真に撮った後、再びポルトガル国鉄車両でカイス・ド・ソドレ駅に戻りました。途中で4月25日橋、アルカンタラ・マール駅、サントス駅を通りました。↓ 発見のモニュメント。↓ 地下通路で鉄道・道路をくぐる。↓ インペリオ広場にでた。↓ インペリオ広場の馬の像。↓ 路面電車でリスボンに戻ることを考えたが、人が多すぎるので、ポルトガル国鉄で帰ることにした。↓ ベレン駅。↓ ポルトガル国鉄車両。↓ ベレン駅プラットフォーム。↓電車が来た。↓ 乗車した。↓ 4月25日橋が見えてきた。↓ 4月25日橋。上は車が走り、下は鉄道が進む。↓ 1991年10月にリスボンに来た時、この4月25日橋を車で対岸のリスナベまで行ったことがある。とても懐かしい。(当時の写真)↓ リスボン港。↓ アルカンタラ・マール駅。↓ リスボン港。↓ サントス駅。↓ カイス・ド・ソトレ駅着。↓ 改札。↓ カイス・ド・ソドレ駅。↓ 路面電車。↓ リベイラ市場。
2026.05.11
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、リスボン・ベレンにある発見のモニュメントの頂上に上がり、景色を写真に撮りました。一部を紹介します。↓ 発見のモニュメント。↓ 入口。↓ AO INFANTE D.HENRIQUE E AOS PORTUGUESES QUE DESCOBRIRAM OS CAMINHOS DO MAR「エンリケ航海王子と、大海への航路を開拓したポルトガル人たちに捧ぐ」↓ NO V CENTENARIODO INFANTE D.HENRIQUE1460-1960「エンリケ航海王子没後500年を記念して(1460-1960)」↓ 塔の屋上。↓ テージョ川。4月25日橋。↓ 4月25日橋とクリスト=レイ像。↓ 4月25日橋とカシーリャス(Cacilhas)。↓ 4月25日橋とリスボン港。↓ ベレンの塔。↓(手前)民衆美術館。(中央)ジャパン庭園(Jardim do Japão)、(奥)アルティス・ベレン・ホテル。↓ (手前)レストラン。↓ テージョ川対岸。↓ ターミナル・デ・リコス(Terminal de Liquidos)。↓ ポート・ブランダン。↓ トラファリア(Trafaria)。↓ トラファリア・ターミナル。↓ ポルトガル国鉄車両。↓ 現代美術館。↓ ジェロニモス修道院とプラサ・ド・インペーリオ庭園。↓ ジェロニモス修道院。↓ プラサ・ド・インペーリオ庭園。↓ レステロ競技場。↓ ジェローニモス通りの坂道。↓ メモリア教会。↓ アジュダ宮殿。↓ 階段で降りる。↓ 塔を出た所。
2026.05.10
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、リスボン・ベレンにある「発見のモニュメント」を見に行きました。エンリケ航海王子の500回忌を記念して、1960年に造られたモニュメントで、帆船をモチーフにしています。モニュメントの西側、東側にそれぞれ大航海時代に活躍した人々の像が並んでいます。【モニュメント西側】1.エンリケ航海王子2. フェルナンド王子(ジョアン1世の王子)3.ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ(マディラ諸島の発見者)4. ベロ・デ・アレンケル(航海士。アフリカ・インド航路探検に参加)4.ジル・エアネス(航海士。ボハドル岬を突破した)6. ペドロ・ヌネシュ(天文学者・数学者・航海術研究者)7.ペロ・デ・エスコパル(航海者。ギニア湾沿岸を探検)8. ジャコモ・デ・マイオルカ(地図製作者)9. ペロ・ダ・コヴィリャン(探検家。陸路でインド・エチオピアを調査)10. ゴメス・エアネス・デ・ズララ(航海事業を記録した年代記作家)11. ヌーノ・ゴンサルヴェス(15世紀の画家)12. ルイス・デ・カモンイス(ポルトガル最大の詩人。叙事詩「ウズ・ルジアダス』作者。「ここに地果て、海始まる」)13. フレイ・エンリケ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)15. フェルナン・メンデス・ピント(東アジアを旅した冒険家)16. フィリッパ・オヴ・ランカスター(エンリケ航海王子の母でポルトガル王妃)17. ペドロ王子(エンリケ航海王子の兄)【モニュメント東側】1.エンリケ航海王子2.アフォンソ5世(ポルトガル国王。アフリカ王と呼ばれた)3.ヴァスコ・ダ・ガマ(探検家。インド航路を初めて開拓した)4.アルフォンソ・ゴンザルヴェス・バルダイア(航海士。アフリカ西海岸を南下し西サハラまで探検)5.ペドロ・アルヴァレス・カプラル(探検家。ブラジル到達でポルトガル領とした)6.フェルディナンド・マゼラン(探検家。史上初の世界一周をした船団の指揮官)7.ニコラウ・コエーリョ(航海士。ガマの航海、カブラルのブラジル到達に同行)8.ガスパール・コルテ=レアル(探検家。グリーンランド、カナダのラブラドル半島を探検)9.マルディン・アフォンソ・デ・ソウザ(初代ブラジル総督)10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。11. エステヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。インド総督)12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)14. アントニオ・デ・アブレウ(航海士。モルッカ諸島、ティモール島に初めて到達)15. アフォンソ・デ・アルブケルケ(第2代インド総督。ゴア、マラッカを占領)16. フランシスコ・ザビエル(イエズス会宣教師。日本で布教)17. クリストヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。エチオピア軍事指揮官)↓ 発見のモニュメント。↓ 発見のモニュメント、テージョ川、4月25日橋。↓【モニュメント西側】1.エンリケ航海王子2. フェルナンド王子(ジョアン1世の王子)3.ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ(マディラ諸島の発見者)4. ベロ・デ・アレンケル(航海士。アフリカ・インド航路探検に参加)4.ジル・エアネス(航海士。ボハドル岬を突破した)6. ペドロ・ヌネシュ(天文学者・数学者・航海術研究者)7.ペロ・デ・エスコパル(航海者。ギニア湾沿岸を探検)8. ジャコモ・デ・マイオルカ(地図製作者)9. ペロ・ダ・コヴィリャン(探検家。陸路でインド・エチオピアを調査)10. ゴメス・エアネス・デ・ズララ(航海事業を記録した年代記作家)11. ヌーノ・ゴンサルヴェス(15世紀の画家)↓9. ペロ・ダ・コヴィリャン(探検家。陸路でインド・エチオピアを調査)10. ゴメス・エアネス・デ・ズララ(航海事業を記録した年代記作家)11. ヌーノ・ゴンサルヴェス(15世紀の画家)12. ルイス・デ・カモンイス(ポルトガル最大の詩人。叙事詩「ウズ・ルジアダス』作者。「ここに地果て、海始まる」)13. フレイ・エンリケ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)↓ 12. ルイス・デ・カモンイス(ポルトガル最大の詩人。叙事詩「ウズ・ルジアダス』作者。「ここに地果て、海始まる」)13. フレイ・エンリケ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)15. フェルナン・メンデス・ピント(東アジアを旅した冒険家)16. フィリッパ・オヴ・ランカスター(エンリケ航海王子の母でポルトガル王妃)↓14. フレイ・ゴンサロ・デ・カルヴァーリョ(宣教師。海外布教)15. フェルナン・メンデス・ピント(東アジアを旅した冒険家)16. フィリッパ・オヴ・ランカスター(エンリケ航海王子の母でポルトガル王妃)17. ペドロ王子(エンリケ航海王子の兄)ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ モニュメントの東側。↓【モニュメント東側】1.エンリケ航海王子2.アフォンソ5世(ポルトガル国王。アフリカ王と呼ばれた)3.ヴァスコ・ダ・ガマ(探検家。インド航路を初めて開拓した)4.アルフォンソ・ゴンザルヴェス・バルダイア(航海士。アフリカ西海岸を南下し西サハラまで探検)5.ペドロ・アルヴァレス・カプラル(探検家。ブラジル到達でポルトガル領とした)6.フェルディナンド・マゼラン(探検家。史上初の世界一周をした船団の指揮官)7.ニコラウ・コエーリョ(航海士。ガマの航海、カブラルのブラジル到達に同行)8.ガスパール・コルテ=レアル(探検家。グリーンランド、カナダのラブラドル半島を探検)9.マルディン・アフォンソ・デ・ソウザ(初代ブラジル総督)10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。↓6.フェルディナンド・マゼラン(探検家。史上初の世界一周をした船団の指揮官)7.ニコラウ・コエーリョ(航海士。ガマの航海、カブラルのブラジル到達に同行)8.ガスパール・コルテ=レアル(探検家。グリーンランド、カナダのラブラドル半島を探検)9.マルディン・アフォンソ・デ・ソウザ(初代ブラジル総督)10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。11. エステヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。インド総督)12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)↓10.ジョアン・デ・バロス(歴史家。東インドのポルトガルの歴史「アジア年代記」を執筆。11. エステヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。インド総督)12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)14. アントニオ・デ・アブレウ(航海士。モルッカ諸島、ティモール島に初めて到達)15. アフォンソ・デ・アルブケルケ(第2代インド総督。ゴア、マラッカを占領)↓12. バルトロメウ・ディアス(探検家。喜望峰に欧州人として初めて到達)13. ディオゴ・カオン(探検家。コンゴ川河口を発見し、ポルトガルの石碑を建てた)14. アントニオ・デ・アブレウ(航海士。モルッカ諸島、ティモール島に初めて到達)15. アフォンソ・デ・アルブケルケ(第2代インド総督。ゴア、マラッカを占領)16. フランシスコ・ザビエル(イエズス会宣教師。日本で布教)17. クリストヴァン・ダ・ガマ(ヴァスコ・ダ・ガマの息子。エチオピア軍事指揮官)
2026.05.09
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、ポルトガルのベレンにある、世界遺産のベレンの塔に行きましたが、修理中で中に入る事ができませんでした。ベレンの塔はマヌエル1世の命により1515年に着工し、1520年に完成しました。テージョ川を行きかう船を監視し、河口を守る要塞として造られました。近くにはフェアリーⅢ複葉機のモニュメントがありました。ポルトガル飛行士ガゴ・コウチーニョとサカドゥラ・カブラルが1922年にリスボンからリオデジャネイロまで南大西洋横断に成功したことを記念するものです。↓ ベレンの塔。↓ ベレンの塔近くで、枝を切る人。↓ ベレンの塔。↓ 改修中で中に入れなかった。↓ 記念写真。↓ トラファリア・ポートターミナル。↓ トラファリアはテージョ川を挟んで対岸にある。↓ 4月25日橋。↓ クリスト・レイ像。↓ 石油備蓄タンク。↓ 近くにはフェアリーⅢ複葉機のモニュメント。ポルトガル飛行士ガゴ・コウチーニョとサカドゥラ・カブラルが1922年にリスボンからリオデジャネイロまで南大西洋横断に成功したことを記念して作られた。↓ テージョ川と4月25日橋。↓ ポルトガル国鉄車両。↓ ベレン灯台。↓ 奥は発見のモニュメント。
2026.05.08
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、リスボン・ベレンにあるジェロニモス修道院を見た後、トイレを探しました。屋外有料トイレを見つけたのですが、修理中で使えませんでした。結局マクドナルドに行き、私はアイスを注文し、妻はトイレに行きました。路面電車に乗車し西に進み、ベレンの塔近くで下車しました。↓ 屋外有料トイレのドアを開けようとしたが、開かなかった。↓ トイレの裏を見ると、修理をしていた。↓ マクドナルドに行く。↓ マクドナルド。↓ 暑いので、アイスを注文した。↓ カウンター。↓ マクドナルドのトイレ。商品購入のレシートの番号を入力するとドアが開いた。↓ 暑いので、妻は水、私はアイスを注文した。↓ ジェロニモス修道院。↓ 路面電車の駅。↓ 路面電車に乗車することにした。↓ 乗車した。↓ ジェロニモス修道院が見える。↓ 発見のモニュメントが見えた。↓ 現代美術館。↓ 路面電車を下車した。↓ 歩道橋。↓ 歩道橋から西を見る。↓ 歩道橋から東を見る。奥は4月25日橋。↓ 4月25日橋とマリーナ。↓ テージョ川とマリーナ。↓ クリスト・レイ像。
2026.05.07
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、ベレンのジェロニモス修道院を見学しました。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓と圓里香航海王子の偉業を称え、1502年にポルトガル幸運王マヌエル1世が修道院を着工しました。建設資金はバスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料による利益をつぎ込み、結局建設に300年もかかった大航海時代を象徴する建物です。建物の中には、ポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンイスと、インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの石棺がありました。ユーラシア大陸最南端のロカ岬には、ルイス・デ・カモンイスの有名な言葉「ここに地果て、海始まる」を刻んた石碑があります。↓ ジェロニモス修道院と南門。↓ 南門にある聖ジェロニモスの像。↓ 南門にあるエンリケ航海王子の像。↓ 西門入口。↓ 西門。↓ ポルトガル詩人ルイス・デ・カモンイスの石碑。有名な言葉「ここに地果て、海始まる」が刻まれている。↓ ルイス・デ・カモンイスの石碑。中央に竪琴が彫られている。↓ サンタマリア像。↓ ポルトガル王マヌエル1世、王妃マリア、息子のジョアン3世、王妃カタリナの棺が安置されている。↓ インド航路発見者のヴァスコ・ダ・ガマの石棺。↓ ヴァスコ・ダ・ガマの石棺。中央にカラベル船が彫られている。
2026.05.06
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【旅行12日目】ポルトガル・ベレン2025年5月28日(水)、ベレン駅から徒歩でジェロニモス修道院へ行きました。途中には国立馬車博物館、アフンソ・デ・アルブケルケ庭園、ベレン宮殿があります。ベレン宮殿はポルトガル大統領の公邸です。ちなみにベレンとはポルトガル語でベツレヘムのことです。↓ ベレン駅から歩道橋でポルトガル鉄道、車道を越える。奥の橋は「4月25日橋」。↓ ベレン宮殿が見える。↓ アフンソ・デ・アルブケルケ庭園の中央にある「アフンソ・デ・アルブケルケ像」。この人は、1453年にリスボン郊外で生まれ、ポルトガル領インド植民地の総督だった。↓ 歩道橋を歩く妻。↓ 国立馬車博物館(Museu Nacional dos Coches)。↓ ジュンケイラ通り。↓ この区画がベレン宮殿。↓ アフンソ・デ・アルブケルケ庭園の中央にある「アフンソ・デ・アルブケルケ像」。↓ アフンソ・デ・アルブケルケ庭園。↓ ベレン宮殿(大統領公邸)の正門。↓ 美しいジャカランタの花。↓ ベレン通りを歩くと、ジェロニモス修道院が見えてきた。↓ 記念撮影。↓ 長蛇の列。↓ テージョ川の対岸にある石油備蓄タンク。↓ 路面電車。↓ ジェロニモス修道院のチケット売り場案内。
2026.05.05
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