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2024年10月20日(日)夕方、紫金山・アトラス彗星を撮影したので紹介します。ーーーーーーーーーー前回10月14日、15日に紫金山・アトラス彗星を撮影したのですが、その後悪い天候が続きました。やっと10月20日(日)夕方に西空が晴れたので、再びマンションの通路にキャンプ用折り畳みテーブルを置き、その上に20センチ反射望遠鏡を設置して彗星を探しました。彗星は西南西の方角で位置も高くなっています。望遠鏡を上に向けると、マンションの防犯灯の光が視野に入ってしまい、眩しくて星が全然見えません。水平線からゆっくり鏡筒を上げて彗星を探すも、なかなか見つからず、とても焦りました。彗星の代わりに、飛行機の機影が視野を横切っていきます。急に視野に紫金山・アトラス彗星が現れたのでホッとし、急いで写真を撮りました。予想していたよりも彗星の高度が高く、接眼レンズを覗こうとすると、廊下の上に設置してある防犯灯の光が入ってくるため、別の天体を観た後に再び彗星を探すも分からなくなり、困りました。じっくりと彗星を観たかったのですが、早々に諦めました。光害がひどく、西の空は金星以外肉眼では星を見ることができず、双眼鏡でも彗星は分かりませんでした。やはり暗い場所でじっくり彗星を観たいです。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 国際光器20センチ(D 直径200mm、 F 焦点距離:1200mm) WHITHY DOB ドブソニアン反射望遠鏡) 接眼レンズ PHOTON 32mm 70° 2.0”アイピース (37.5倍)カメラ: CANON Power Shot SX720 HS コリメート接写撮影ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2024年10月20日(日) 18:09 紫金山・アトラス彗星と人工衛星。彗星を撮影していると、人工衛星が視野を横切ってきた。↓ 折り畳みテーブルの上に、ドブソニアン20センチ反射望遠鏡を置いた。真上に防犯灯があり、光が接眼レンズに差し込んでくるため、視野が白く輝いてしまい最悪であった。↓ 17:27 西の空。↓ 17:28↓ 17:31 視野に飛行機が入ってきた。↓ 17:35 飛行機が視野に入ってきた。↓ 17:35 飛行機が視野に入ってきた。↓ 17:55 暗くなってきたが、真上や周辺にある防犯灯の光が接眼レンズに入ってきて困った。画面の下から上に向かって、黄色いマークを3個入れた。最近撮影した彗星の位置を表す。下から、10月14日の位置、10月15日の位置、10月20日の位置。彗星はどんどん上に上がっていくとともに、太陽から遠ざかっている。↓ 17:56↓ 17:57↓ 17:58↓ 17:59↓ 18:01↓ 18:09 紫金山・アトラス彗星と人工衛星。↓ 18:09ーーーーーーーーーー月刊星ナビ 2024年11月号/アストロアーツ P78夕方の紫金山・アトラス彗星の位置。10月20日は、へびつかい座λ(ラムダ)星付近に彗星が位置する。ーーーーーーーーー↓ 最新版 全天恒星図 昭和51年(1976年10月25日 第11版発行)誠文堂新光社図9↓ 右端から、おとめ座、へび座、へびつかい座が並ぶ。これらの星座を紫金山・アトラス彗星が進んでいる。↓ 紫金山・アトラス彗星の位置。右側から左側に、青色の丸が3個ある。右から、10月14日の位置、10月15日の位置、10月20日の位置を記している。
2024.10.25
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2024年10月15日(火)夕方西空で、紫金山・アトラス彗星を撮影したので紹介します。ーーーーーーーーーー2024年10月14日(月)スポーツの日に紫金山・アトラス彗星を撮影できたのですが、翌日15日(火)は営業日なので会社に出勤して天気予報をチェックすると、夕方に晴れマークがありました。16日からは悪い天気が続くため、15日がチャンスと考えて、会社に1時間有休を申請し、1時間早く退社して家に帰りました。前日と同様にマンションの通路に20センチ反射望遠鏡を設置し、西の方角を水平線からゆっくり上に上げ、少しずつ南にずらしていくと、18時過ぎ、視野に紫金山・アトラス彗星が見えてきました。高度が昨日より高いせいなのか分かりませんが、彗星の尾が長く見えました。ーーーーーーーー国際光器20センチ(Ⅾ 直径:200mm、 F 焦点距離:1200mm) WHITHY DOB ドブソニアン反射望遠鏡) 接眼レンズ PHOTON 32mm 70° 2.0”アイピース(37.5倍)カメラ:CANON Power Shot SX720 HS コリメート接写撮影ーーーーーーーーーーーーーー↓ 2024年10月15日(火)18:04 紫金山・アトラス彗星。↓ 17:41↓ 17:42 西の夕空。 画面右側に飛行機の光。↓ 18:04↓ 18:05↓ 18:05↓ 18:06ーーーーーーーーーーーー↓ 月刊星ナビ 2024年11月号/アストロアーツ P77 2024年10月15日 紫金山・アトラス彗星の位置。↓ 10月15日から16日にかけて、紫金山・アトラス彗星はへび座の球状星団M5の南約2度を通過する。すぐ近くには11等級まで暗くなった13P/折るバース彗星もある(18時の位置)ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 最新版 全天恒星図 昭和51年(1976年10月25日 第11版発行)/誠文堂新光社図9↓ 画面右側から2つの青丸がある。右から2024年10月14日、10月15日の紫金山・アトラス彗星の位置。1日で彗星は移動している。
2024.10.24
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2024年10月14日(月)夕方西空で、紫金山・アトラス彗星を撮影しました。ーーーーーーー私は10月2日明け方、東の低い空で紫金山・アトラス彗星を撮影しました。その後、彗星が太陽の方向を移動したので見ることができず、10月12日以降に彗星は西の空で見られる予定でした。10月上旬は悪い天候が続き、天気予報にやきもきしていました。10月13日は快晴でしたが、妻と一緒に谷川岳へ行っていたので彗星を見ることができず、翌日14日(スポーツの日)は夕方に雲が流れているも、彗星を見られる可能性があったので、急いでマンションの通路に天体望遠鏡を準備しました。双眼鏡では全然彗星が見えず、20センチ反射望遠鏡(国際光器 WHITHY DOB 20センチ反射望遠鏡)で西空を地平線からゆっくりと上に向けていきました。西から南側に少しずつずらしていくと、17時50分頃、望遠鏡の視野に淡い紫金山・アトラス彗星が入ってきました。白い尾もはっきり見えました。街のライトアップがひどく、西空は金星しか見えず、肉眼で彗星を見ることは残念ながらできませんでした。約20分、彗星の写真を撮ったので、一部を紹介します。国際光器20センチ(D 直径:200mm、F 焦点距離:1200mm) WHITHY DOB ドブソニアン反射望遠鏡)接眼レンズ PHOTON 32mm 70° 2.0”アイピース (37.5倍)カメラ:CANON Power Shot SX720 HS コリメート接写撮影ーーーーーーーーーーー↓ 2024年10月13日(月)17:51 紫金山・アトラス彗星画面左下は、おとめ座108番星。↓ 17時38時頃の西空。 マンションの通路に折り畳みピクニックテーブルをセットし、その上にドブソニアン望遠鏡を置いた。↓ 17:38 西空。 双眼鏡で彗星を探すが、よく分からなかった。↓ 2024年10月13日(月)17:52 紫金山・アトラス彗星↓ 2024年10月13日(月)17:52 紫金山・アトラス彗星↓ 2024年10月13日(月)17:53 紫金山・アトラス彗星↓ 17:57 西空が暗くなった。マンションのライトが煌々と明るく、接眼レンズに光が入り、彗星が良く見えない。↓ 2024年10月13日(月)17:58 紫金山・アトラス彗星画面の左側に、人工衛星の軌道が写っている。↓ 2024年10月13日(月)17:59 紫金山・アトラス彗星左下はおとめ座108番星。↓ 2024年10月13日(月)18:09 紫金山・アトラス彗星↓ 月刊天文ガイド 2024年8月号別冊付録。日没後18時の位置東京での値・星の位置は10月12日。↓ 月刊星ナビ 2024年11月号 P77夕方の紫金山・アトラス彗星の位置(10月12日18時、10月22日17時20分の星空)↓ 月刊星ナビ 2024年11月号ーーーーーーーーーーーーーー↓ 最新版 全天恒星図 (昭和51年:1976年10月25日 第11版発行)/誠文堂新光社P46~47 図8↓ おとめ座。↓ 2024年10月13日、紫金山・アトラス彗星の位置。おとめ座108番星の近くに彗星がいた。
2024.10.23
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米国航空宇宙局(NASA)と欧州宇宙機関(ESA)が共同運航する太陽観測衛星(SOHO:SOlar and Heliospheric Observatory)は地球を周回して太陽のコロナを観察しています。このSOHOには広角分光コロナグラフ(LASCO/C3:Large Angle and Spectrometric COronagraph experiment)が搭載され、太陽のコロナを観測しています。太陽を円盤で遮断し、円盤の周りに見えるコロナを観測しています。2024年10月7日から太陽のフレアなどが観察されるとともに、太陽の周りを横切る「紫金山アトラス彗星」が移動する姿が映っています。同彗星は太陽に近づき、2024年9月28日に太陽に最も接近する近日点を通過しました。その後、彗星は太陽から遠ざかりますが、太陽観測衛星SOHOや地球からよく見える位置に来ます。2024年9月下旬から10月最初の週あたりは、同彗星は明け方の低い位置で見ることができました。2024年10月7日から数日間は、SOHOのコロナグラフの中を同彗星が移動する姿が記録されました。この時期は地球から見て彗星が太陽に近い方向にいるため、姿を見ることができません。2024年10月13日頃からは、夕方の空に同彗星を見ることができ、日を追うごとに彗星の位置が高くなっていきますが、光度が徐々に暗くなっていきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーastropics (YouTube)↓ 画面中央は太陽の位置。画面左の明るい星は水星。↓ 太陽のフレアが広がる。 画面右に紫金山・アトラス彗星。↓ SPACE WEATHER PREDICTION CENTER(宇宙天気予報センター)NOAA : NATIONAL OCEANIC AND ATMOSPHERIC ADMINISTRATION(アメリカ海洋大気庁)COMET TSUCHINSHAN-ATLAS COMES INTO VIEW OF CORONAGRAPH IMAGERY.(コロナグラフに写った紫金山・アトラス彗星の写真)Flares, CME's (Coronal Mass Ejections), and a Comet Captured in SOHO.(太陽観測衛星SOHOによって撮影された太陽フレア、コロナ質量放出、彗星の写真)ーーーーーーーーーーーーー↓ 月刊天文ガイド 2024年8月号別冊付録C/2023 A3 Tsuchinshan・ATLAS紫金山・アトラス彗星が肉眼大彗星に!紫金山・アトラス彗星は、中国の紫金山天文台で2023年1月9日に発見され、同年2月22日に南アフリカのATLAS望遠鏡が独立発見しました。そのためこの2つの観測所の名前から、C/2023 A3 (Tsuchinshan-ATLAS)と登録されました。紫金山・アトラス彗星は、9月下旬~10月上旬は明け方東の空ごく低空に見えています。10月初旬~中旬にかけては、地球から見て彗星が太陽に近い方向にいるため、その姿を見ることは困難です。10月中旬以降は日没後西の空で姿が見えるようになります。晴れた夜空であれば、肉眼でもはっきりと長くて見事な尾が見える大彗星となることが期待されています。なお、この彗星は太陽系の外側に位置するはるか彼方のオールトの雲から今回初めて太陽に接近する彗星で、今後再び戻ってくることはありません。
2024.10.22
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紫金山・アトラス彗星(C/2023 A3 Tsuchinshan-ATLAS)が明け方の空に見えるという事で楽しみにしていたのですが、毎日天気が悪く、曇りや雨の日が続きました。天気予報を毎日チェックしていると、2024年10月2日早朝に晴れマークが出たので、この機会を逃すともう見られない気がして、準備をすることにしました。2024年10月2日3時に起きて空を見ると、冬の大三角が見えました。早速マンションのベランダの端にキャンピング用の組み立て台を設置し、その上に国際光器20センチ(D 直径:200mm, F 焦点距離:1200mm) WHITY DOB ドブソニアン反射望遠鏡に、接眼レンズ PHOTON 32mm 70° 2.0”アイピースを付けました。倍率ですが、焦点距離1200mm/アイピース32mm=倍率37.5倍です。紫金山・アトラス彗星の予想位置は、東ー東南東の中間ということで、最初は方位磁石を使って望遠鏡を東に向けていたのですが、磁石の偏向のせいか、東からずれているようでした。そのため、しし座のレグルスを確認し、その真下が東とし、それから少し南にずらしながら、地平線の少し上を捜索しました。すると4時48分頃、視野にオレンジ色の美しい光が飛び込んできました。尾の光が伸びているので、紫金山・アトラス彗星だと分かりました。夜が明けてきており、少しずつ水平線がオレンジ色に変わってきていたので、彗星もオレンジ色に見えたのだと思います。オレンジ色の彗星の美しい姿に見とれてしまいました。それから手持ちのポケットカメラ Power Shot SX720 HSを反射望遠鏡のアイピースに近づけて、接写(コリメート方式)で撮影しました。日の出が近づくと、彗星の核が、オレンジ色から白色に変わりました。そして徐々に光が薄くなりました。5時40分頃、太陽が昇ってきました。すぐに望遠鏡などを片付けて、会社に行きました。天気予報では当分の間、曇りか雨が続きます。紫金山・アトラス彗星は、早朝の東の空から見えなくなり、10月の中旬に夕方の西空で見ることができます。10月の中旬は、会社から早く帰って彗星の撮影をしたいです。ーーーーーーーーーーー↓ 紫金山・アトラス彗星 2024年10月2日4時48分。↓ ベランダから紫金山・アトラス彗星を見る。↓ 4時50分。↓ 4時52分。↓ 4時54分。↓ 4時55分。↓ 4時55分。↓ 4時56分。↓ 4時57分。↓ 5時8分。↓ 5時30分。水平線に雲がかかっている。↓ 5時41分。太陽が昇ってきた。↓ 5時41分。↓ 5時42分。↓ 5時42分。↓ 5時43分。↓ 月刊星なび 2024年10月号P54 紫金山・アトラス彗星の位置図。しし座のレグルスが東ということで、レグルスから下に望遠鏡を降ろし、南に少しずつ動かして彗星を探した。↓ 月刊星なび 2024年10月号↓ 天文ガイド2024年8月号別冊付録。紫金山・アトラス彗星が肉眼大彗星に!(C/2023 A3 Tsuchinshan-ATLAS)2024年10月中旬~下旬に見ごろ 世紀の大彗星となるか!↓ 紫金山・アトラス彗星は、中国の紫金山天文台で2023年1月9日に発見され、同年2月22日に南アフリカのATLAS望望遠鏡が独立発見しました。↓ 2024年9月下旬~10月上旬の紫金山・アトラス彗星の見え方(明け方東の空)彗星は9月下旬~10月上旬にかけてもっとも明るくなり、壮大な出現が期待されます。ただし彗星が太陽に近く、かつ地平線付近に見えていますので、日本での観測はとても困難です。↓ 2024年10月中旬~10月下旬の紫金山・アトラス彗星の見え方(宵の西の空)10月12日ごろから、宵の西空で彗星が見えるようになります。日に日に高度が高くなり観測しやすい位置になりますが、明るさは減少、尾も短くなってきます。月明かりの影響を受けなくなる19日以降が見ごろでしょう。
2024.10.02
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2024年4月10日夕方、天気が良かったので、会社を定時退社し急いで家に帰りました。マンションの通路そばにキャンプ用テーブルを置き、国際光器20cmドブソニアン反射望遠鏡をその上に載せて準備しました。蛍光灯の真下なので、接眼レンズに光が当たり、星がとても見にくかったです。月齢1.7の月と木星(-2.0)の間にポン・プルックス彗星が位置しています。薄い雲がかかっているし、肉眼、双眼鏡では全然彗星が見えません。そのため、20cm望遠鏡で月からゆっくり木星まで鏡筒を動かし始めると、視界にうっすらとポン・ブルックス彗星の核(コマ)が見えてきました。手持ちのポケットカメラ「Canon Powe Shot XS720 HS」を望遠鏡の接眼レンズに近づけて、コリメート方式で接写しました。彗星の尾は、なんとなくわかる程度ですが、一応写真に残すことが出来たので良かったです。ーーーーーーーーー↓ 2024年4月10日。月齢1.7の月。↓ 2024年4月10日。木星(-2.0)。木星のそばに4大衛星が見える。↓ 2024年4月10日 18時49分。月と木星。薄い雲が見える。↓ 木星、ポン・ブルックス彗星、月の位置。 薄い雲が流れている。↓ ポン・ブルックス彗星とおひつじ座π(パイ)星。↓ ポン・ブルックス彗星の核(コマ)と、うっすらと尾が伸びているのが見える。↓ 、国際光器20cmドブソニアン反射望遠鏡。↓ マンション廊下の蛍光灯の光で、接眼レンズに光が入り、彗星がとても見づらかった。↓月刊星ナビ 2024年4月号/アストロアーツ。↓P54。↓P54。 2024年4月10日 ポン・ブルックス彗星の位置。
2024.04.21
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ポン・ブルックス彗星(12P/Pons-Brooks) が宵の空に見えるのではないかと言う事で、2024年3月16日(土)夕方、望遠鏡と双眼鏡を準備して、月刊星ナビ2024年4月号p53の彗星位置予想図を見ながら、探しました。アンドロメダ座δ(デルタ星)の近くに彗星が位置していることを理解し、木星から順番に星をたどることにしました。18時半を過ぎても肉眼では木星しか見えないので、双眼鏡で探します。木星から右下にいくと、おひつじ座α(アルファ星)が見えました。その右に進むと、双眼鏡ではさんかく座α(アルファ星)が見え、その右下に進むと、アンドロメダ座β(ベータ星)がありました。そこから下に下りるとアンドロメダ座δ(デルタ星)があり、その近くには彗星が見つかると思っていましたが、双眼鏡で一生懸命探しても、アンドロメダ座δ(デルタ星)が見えません。早くしないと星が西の空にどんどん沈んでいくので、焦りました。19時10分頃までアンドロメダ座δ(デルタ星)を探しましたが、水平線近くには星がまったく見えず、ポン・ブルックス彗星も分かりませんでした。東京の街明かりがすごく、暗い星は全然見えません。空の暗い所で探さないと難しいと感じました。会社がある日は家に帰るのが遅いので、週末に見たいと思うのですが、4月に入ってから機会があれば再度トライしたいと思います。ーーーーーーーーーーー↓ 月刊星ナビ 2024年4月号/アストロアーツ p3春の宵のポン・ブルックス彗星(12P/Pons-Brooks)↓ 月刊星ナビ 2024年4月号/アストロアーツ 表紙。↓ 月刊星ナビ 2024年4月号/アストロアーツ p53ポン・ブルックス彗星の位置予想図。↓ 2024年3月16日(土)17時34分。↓ 20cm反射望遠鏡と双眼鏡を用意した。↓ 2024年3月16日(土)18時10分。↓ 月刊星ナビ 2024年4月号/アストロアーツ p53ポン・ブルックス彗星の位置予想図。↓ 2024年3月16日(土)19時10分。双眼鏡で探したが、ポン・ブルックス彗星は分からなかった。
2024.03.16
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私が小学5年生の時、星に興味を持ちました。天文ガイドや藤井旭さんの本を読むと、福島県で毎夏開かれ、天文ファンが集まって楽しむ「星空への招待」の事が書いてありました。1975年から10年間行われた「星空への招待」ですが、藤井旭さんの本「白河天体観測所 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台/藤井旭/誠文堂新光社」P186~187に次の記載があるので紹介します。手に取って読み返してみると、それは第1回目の「星空への招待」の開催のおり、あちこちの星仲間たちに口コミ的に書き送った案内状でした。「星好き同士が、星空の美しい福島県の会津磐梯山の山奥に集まって、立ち話でもしながら星三昧のひと晩を過ごしませんか」こんな内容で、差出人の代表世話役はチロになっています。おそらく数十通コピーしたうちの1枚が保存されていたのでしょう。白河天体観測所は、ごくごく小さな天文台です。ですから大勢の人たちを招待しての天体観望会なんてとても開けるものではありません。さらに、ふだんは無人の状態ですし、星の仲間たちもそれぞれに忙しい仕事を持っています。ですから公共の公開天文台のように一般公開なんてとても無理なお話です。そこで、思いついたのが、星空の輝きの美しい山奥に「星空への招待」席を設け、天文ファン同士が集まって一夜を語り明かそうじゃないかというものでした。名づけて「チロの星まつりー星空への招待」です。こんなグッドアイデアに、チロはちろちろと尾をふって大賛成です。チロが賛成なら誰にも異論はありません。こうして、1975年8月30日、その第1回が開かれたのでした。小学生だった私は「星空への招待」の記事に興味津々で、いつか会場にいってみたいと思っていました。中学一年生の時、夏休みの地理の宿題は、「自分の行きたい場所の地理、歴史を調べて、架空の旅行記を書け」という内容でした。私は迷うことなく、福島県の各地を回り、最後は磐梯吾妻スカイラインの吾妻山山頂の浄土平で「星空への招待」に参加したという架空の旅行記を書きました。機会があれば浄土平の「星空への招待」に行きたいと思っていましたが、1981年にはチロが亡くなったり、1984年で「星空への招待」が終了したことを雑誌で知りました。結局私が浄土平に行ったのは、1988年の夏でした。分解型自転車で東北を巡りました。福島県で浄土平に行き、吾妻小富士に登りました。広場には星好きの方々が集まり、大きな望遠鏡で星の観望会が行われていました。「星空への招待」はこのような感じだったのかもと思うと、感無量でした。手持ちのフィルムカメラで空の写真を撮りました。天の川が結構よく写っていました。ーーーーーーーーーーー↓ 1988年の夏、福島県浄土平で私がフィルムカメラで撮影した写真。天の川(いて座、さそり座など)↓ 1988年、東北地方を自転車で走った時に撮った写真のノート2冊。↓ 浄土平で撮った夜空の写真。↓ 浄土平で撮影した星夜写真。↓ ノートに貼っている写真。↓ さそり座。右下は車のライトで明るくなった。↓ 浄土平で天体観望会が開かれた。↓ 星の観望会と説明会が始まった。↓ チロのシールが望遠鏡の鏡筒に貼ってある。↓ 夜空を見上げる皆さん。ーーーーーーーー1988年夏、自転車で東北を走った。土湯峠にて。↓ 浄土平に続く道と、私の分解型自転車。↓ 自転車で「磐梯朝日国立公園 浄土平」に来た。↓ 吾妻小富士の記念写真。↓ 吾妻小富士を登って行く。浄土平の駐車場が見える。↓ 吾妻小富士の上で記念写真。↓ 浄土平で拝見した大型天体望遠鏡。(奥に私の自転車が置いてある)ーーーーーーーーーー↓ ふじい旭の新星座絵図/藤井旭/誠文堂新光↓ P58~59で、藤井旭さんの「星空への招待」のエッセイがある。↓「白河天体観測所 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台/藤井旭/誠文堂新光社」↓ 藤井旭さんのサイン付。ーーーーーーー↓ 1976年の「星空への招待」記事/月刊天文ガイド/誠文堂新光社ーーーーーーーーーーー↓ 1977年11月の「星空への招待」記事/月刊天文ガイド/誠文堂新光社ーーーーーーーー↓ 1978年11月の「星空への招待」記事/月刊天文ガイド/誠文堂新光社
2023.02.13
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手元にある「月刊天文ガイド 2013年11月号」の切り抜きですが、「藤井旭が見に行く白河天体観測所物語」の記事があります。記事の見出しには「すっきり店じまい宣言 白河天体観測所の『ああ楽しかった』の50年」とあります。白河天体観測所を閉めることになり、50年の歴史を振り返り、藤井旭さんが記事を書かれています。冒頭は次のように始まります。われらが敬愛する村山定男先生が亡くなりました。89歳でした。長年天文界で公私にわたって大活躍されてきたことはよくご存じの通りですが、私的な面では、白河天体観測所の創立のメンバーのお一人として心から天文ライフをエンジョイされていたことも、またよくご存じのことでしょう。白河天体観測所の所長犬はチロで、これは”永久欠番”扱いとしてずっと変わることはありませんでしたから、村山先生が代表というわけのものでもありませんでしたが、創立メンバー5人の間では初めにある”決めごと”がありました。5人のうちで天界と下界の比率が3:2になったとき、観測所は店じまいにしよう」というものでした。村山先生が天界に昇られた今、創立メンバーの比率は村山先生と小山ヒサ子先生、そして横浜の長井保さんお天界組が3人、下界組は埼玉の髙橋實さんと私めの2人で、その3:2になってしまったのでした。それにチロを加えれば4:2となって、下界組にもはや勢いはありません。で、髙橋さんと相談、創立時の”決めごと”どおり「あっさり、すっきり店じまい」すべきとの結論になりました。もちろんそれには東日本大震災と福島原発からの放射線被爆という、思ってもみない大事件に引き込まれ後押しされてという特殊事情もあってのことですが、人の活躍できる一生分に近い50年もの歳月を思いっきり楽しませてくれた白河天体観測所の幕引きを突然ながらここで宣言できるとは、なんたる幸せ、「めでたし、めでたし」といったところではありませんか。そこで、今回は白河天体観測所でのなんともにぎやかなメンバーたちの大活躍の足跡を振り返って「想い出のアルバム」風にまとめ、紹介して見る事にしました。ーーーーー記事の中には、「東日本大震災の激震と原発の放射線被爆」として、状況が次のように紹介されていました。これは(村山定男先生が)亡くなる半年前の事、慈恵医大に入院中の村山先生を見舞った時の会話です。「・・・あの大震災(2011年3月11日)から2年、やっぱり白河天体観測所の復旧はムリなんだろうか・・・」「はっきりいってダメだと思います。望遠鏡類は烈震による機械部分の損傷が大きく、建物は震度7の激震とその後も続く強い余震に耐えられず、旧暗室などは崩壊、さらに地盤が那須の火災灰地で弱く、一種の液状化現象で全体が上下左右に傾いてしまいましたから・・・。解体もやむをえんでしょう・・・」「コンクリート打ちなど、我われ素人の手でやったしろものだからねえ・・・」「それにもっと致命的だったのは、福島原発からの放射線をたっぷり浴びてしまったことです。放射線測定の専門家の品川征志さんによれば、線量は周辺の町よりずっと高く、除染の研究家の川上勇さんによれば、山の中なので除染作業は困難。ざっと30年は待たなくちゃダメでしょうとのことでした・・・」「30年もねえ・・・。観測所のメンバーたちが歳をとって、いずれは”店じまい”というのは想定内のことだけど、大震災と放射能のダブルパンチを喰らうとは、さすが想定外のことで参ったなあ・・・」「観測所の周辺は放射性物質がふりかけのように降りそそいたといわれてますから・・・。でも、まあ50年近くイタズラ者やコソ泥、野生生物の進入など小さなできごとがときおりあったとはいえ、人身事故のようなものはまったくなく楽しめたのは、実によかったと思っています・・・」「うん、うん、実にそうだねえ・・・。まもなく天界と下界のメンバーの比率が3:2、チロを含めると4:2になるだろうから、キミに余力のあるうちに設立時の”決めごと”どおりにしてもらうのがいいかな・・・。なんか妙な遺言みたいだけど・・・。アッハハハハ・・・」ーーーーーーーーーーーーー「月刊天文ガイド 2013年11月号」P82「すっきり店じまい宣言 白河天体観測所の『ああ楽しかった』の50年」(藤井旭さんの記事)↓ 那須連峰と白河天体観測所↓ 白河天体観測所とチロ天文台のステッカー。白河天体観測所と、オーストラリアのチロ天文台のシンボルマーク。↓ 村山定男先生(1924~2013)火星の超大接近で話題になった2003年、オーストラリアのチロ天文台で生涯最後の火星スケッチを終えて大満足の笑顔です。↓ 東日本大震災の惨状2011年3月11日午後2時46分に起こった大地震で、白河天体観測所は復旧が困難なほどの大きなダメージを受けてしまいました。↓解体された60cmチロ望遠鏡大地震による損傷と福島原発の爆発からの大量の放射線を浴び、解体のやむなきに至りました。ーーーーーーふくらむ夢1968年の夏から、いよいよ白河天体観測所の工事が始まり、創立メンバーたちもみんな若く、夢の実現の始まりに元気いっぱいでした。↓初期の観測所の姿森の中にたたずむ小さな天文台でしたが、当時の天文ファンたちの憧れをつのらせました。↓ 白河天体観測所雪景色深い雪にとざされた観測所周辺をパトロール中のチロです。↓ 白河天体観測所の全景右側の増築部分屋上にもさまざまな機材が設置され、コンパクトながらより充実した観測所となりました。↓ チロの星まつり「星空への招待」会場で毎年夏休み、全国の天文ファンたちが集まって手作り星まつりを楽しみ、代表チロの歓迎のごあいさつが大好評でした。その後会場だった福島県磐梯吾妻スカイライン山頂には浄土平天文台がオープンしました。↓84cmチロ望遠鏡完成星空への招待会場で、参加天文ファンたち総がかりで組み立て上げられました。↓富士山麓を行くチロ望遠鏡最近世界遺産に登録されて話題の富士山麓でのハレー彗星観望会にも出かけました。移動台車は運輸省からの特別許可をもらったものです。↓ ハレー彗星観望会のステッカーチロ望遠鏡でハレー彗星を見た人たちに、その証明用として手渡され大喜びされました。↓60cmチロ望遠鏡84cmのチロ大口径樹の移動はちょっとたいへん。そこで、ひとまわりコンパクトな60cm移動用チロ望遠鏡がのちに手作りされました。観測所のメンバーたちにも体力の問題がでてきたせいもありますが・・・《熊本城の観望会場で)↓オーストラリアにチロ天文台設立(1995年)オーストラリアの星仲間たちと意気投合、白河天体観測所とは赤道をはさんだ南天観測所の夢が実現しました。これは月夜の番に写したチロ天文台の2つのドーム上をめぐる星の南極の日周運動の様子です。ーーーーーーーーーー「月刊天文ガイド 2013年11月号」の切り抜き。P82~83↓P84~85↓P86~87↓P88~89ーーーーーーーーーー白河天体観測所の事が記載されてある本↓「白河天体観測所 日本中に星の美しさとを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台/藤井旭/誠文堂新光社」↓「ふじい旭の新星座絵図/藤井旭/誠文堂新光社」↓「すばらしき星空の饗宴/藤井旭X三田誠広/誠文堂新光社」↓「星になったチロ 犬の天文台長/藤井旭/ポプラ社」
2023.02.12
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私が小学5年生の時ですが、「月刊天文ガイド1977年2月号/誠文堂新光社」の表紙を見て、本当に衝撃を受けました。白河天体観測所と、チロチロスⅡ世号(20cmフォーク式赤道儀反射望遠鏡)のカラー写真が表紙を飾っています。20cmの黄色の鏡筒はとても美しく、小学生だった私の心をわしづかみにしました。雑誌のp44~47は、『新鋭機ぞくぞく登場 白河天体観測所」というタイトルで、観測所の中が詳しく紹介されています。写真や記事を見ると、観測所の楽しさがどんどん伝わってきます。夢の城のような感じでした。この記事は切り抜いて、手元に大事に残しています。当時、私は広島天文教会に加入させていただき、広島市子ども文化科学館に入りびたりでした。知り合った方が造られた天文ドームや、スライディングフールの建物など、色々と拝見してきましたが、皆さん、自分の天体観測基地を持って楽しそうでした。社会人になり、長い期間、星から離れていたのですが、20cmの「チロチロスⅡ世号」の憧れは忘れることができませんでした。子供が小学生のとき、PTAの集まりで星の観望会をすることになり、自分の望遠鏡を買うことにしました。お小遣いで購入できる望遠鏡を探し、国際光器の20cmドブソニアン反射望遠鏡に決めました。小学生の時に衝撃を受けた20cm「チロチロスⅡ世号」と同じ、20cm反射望遠鏡がどうしても欲しかったのです。大事に保存している、「月刊天文ガイド1977年2月号/誠文堂新光社」のチロチロスⅡ世号と白河天体観測所の記事を紹介します。ーーーーーーーーーー↓「月刊天文ガイド1977年2月号/誠文堂新光社」表紙白河天体観測所 チロチロスⅡ世号 20cmフォーク式赤道儀↓P44 新鋭機ぞくぞく登場 白河天体観測所昨年の春以来増築工事が進められていた白河天体観測所は、このほどその工事も完成、同時に制作が進められていた新型望遠鏡の据付も終わって、以前のほぼ二倍の規模となって再び姿をあらわしました。新登場した望遠鏡とともに旧望遠鏡などもすべて一新されましたので、その全容をここにご紹介しましょう。↓① 主砲の30㎝反射望遠鏡はニュートンとカセグレン焦点が即時に変換できる機構になっているものですが、これにさらに鏡筒回転装置は8cmガイド望遠鏡にオフアキシスガイド装置などが取り付けられ全面改装されました。架台も新設計の全自動装置のものに取り換えられ、旧架台は日立市の富岡天文台に移されました。↓② 増築部分の屋上に新設された(右)が全自動30cmフォーク型反射望遠鏡”チロチロスⅡ世号”。今月号の表紙のものです。(左)が25cm多目的赤道儀。↓③ 口径14cmマクストフ望遠鏡。これは以前あった同型機を全面的に改良したもので、今回新登場した機種のひとつです。↓④ 12cm屈折大型双眼鏡は、北限にちかいカノープスをのぞめるドーム南端の最屋上に設置されまいた。ただし、30㎝の南天観測のときに支障のないように脚柱は二段に折れ曲がるようになっています。↓⑤ 屋上に寝そべってのんびり休んでいるチロの後方に見えるのが”チロチロスⅡ世号”の前身として制作された”チロⅡ世号”です。これはフォーク型のⅡ世号へと変身しました。手前はマクストフをとりはずして8cm屈折を取りつけたところです。↓⑥ 標高500mの那須高原の一角に完成した白河天体観測所全景。屋上からは那須火山脈の主峰那須茶臼岳の噴煙ものぞまれ、星空におとらず地上の風景もすばらしいながめの地にあります。屋上に設置された望遠鏡類は、右から25cm多目的赤道儀、20cmフォーク型反射望遠鏡、14cmマクストフ望遠鏡、最屋上は12㎝大型双眼鏡、3.2mドームの中は30㎝反射望遠鏡です。↓⑦ 25cm多目的赤道儀は、いろいろな機種の望遠鏡やカメラが取り付けられるように設計されたもので、バランスウェイトが移動できるようになっています(蛇腹部分)。大野裕明さんが操作中のものは通称”ジェット機”とよばれる架台です。↓⑧ 富岡啓行さんが操作しているものは通称”[お星さま”とよばれる星型五連カメラの架台を取り付けたところです。ーーーーー新設された望遠鏡類は、操作性に重点がおかれてすべて屋上の床に直接据付けられているため、格納はテント内にされるよう工夫されました。↓⑨ まず観測が終わったり天候が思わしくなくなってくると、望遠鏡の姿勢を格納態勢にととのえます。↓⑩ つづいて、”鳥カゴ”とよばれる格納カゴを両端からしめつけ、その上からテントをかぶせます。このテントはステンレス製の特殊布を内張りしたもので、いわば”宇宙服”のようなものです。↓⑪ これで格納終わり、風雨の心配もまったくありません。テントが宙に浮かしてあるのは積雪時のためです。なおいちばん手前の台には、現在設計が進められている最新式の架台が取り付けられることになっています。↓ ”チロチロスⅡ世号”の鏡筒に取り付けられているチロのイラスト入り小パネル。接眼部には前向きのところが、反対側には後ろ姿がユーモラスに描かれています。↓⑫ ”チロチロスⅡ世号”の鏡面(20cmF5.5)は、星野次郎さんが高校の後輩にあたる藤井旭さんにプレゼントされたもので、藤井さん自身がカラフルなデザインにして三鷹光器で制作されました。望遠鏡の操作はすべて手もとのコントロールボックスで自動的にでき、軽快な使いここちを楽しむことができます。↓⑬ 鏡筒を真北に向けたところで、鏡筒はそのほか全周回転することもできます。ガイド望遠鏡は6.5cm屈折で、ガイド望遠鏡自身が5”前後首振りをするほか、接眼部には直角プリズムで折りまげたオフアキシス装置、つまり、十字線をXY軸に移動できるようになっており、ガイド星が極めて簡単につかまえられるようになっています。接眼部の高さは天頂を向いたときでほぼ人の眼の高さになっているため経緯台なみの手軽さで観測は撮影ができます。ーーーー白河天体観測所は”星の別荘”という発想から建てられたものだけに、観測機器はもちろん居住性の方にも十分な配慮がはらわれていて、長期間の滞在でも快適にすごすことができるようになっています。その生活ぶりの一端をのぞいてみました。↓⑭ なんといっても楽しいのは食事の時間。”コック長”の大野さんの指揮で手わけしてとりかかります。名物は”アストロ鍋”。どんな料理かは召しあがってからのお楽しみ。↓⑮ 観測計画や機械類の設計、観測結果や写真の整理など、アイデアを交換しながらの話し合いも楽しみのひとつです。いま話しあいが進められているのは、今夏から実施予定の三点観測用の全自動流星カメラの設計と観測計画の立案です。↓⑯ 昼間は沢山ある付属品や機械類の保守点検をしなければなりませんので、のんびり日なたぼっこというわけにもいきません。↓⑰ 撮影を終わったフィルムや乾板類はただちに暗室にまわされ現像にとりかかります。日が昇るころにはたいていの現像類はできあがってきていて、そのスピードぶりに驚かされます。↓⑱ ここは小原庄助さんの里近く、観測が終わってからの入浴は文字通り”朝寝、朝酒、朝湯が大好きで~”の小原庄助さんの心境。でも、いい気分で富岡さんがいっぱいやっているのは冷たいジュースなのであります。念のため。↓⑲ 床につくのはたいてい日が昇ってからのこと。観測がうまくいったときのうれしさは格別です。↓⑳ 職業も住むところもまるで無関係の星好きが集まって星を楽しむのがこの観測所の本来の目的。でも星ばかりでなく、昼間は岡田好之さんのお手前で風流を楽しむ心も忘れません。ーーーーーーーーーーーー↓ 私が持っている20cmドブソニアン反射望遠鏡(国際光器WHITEY DOB 20cm)ーーーーーーーー白河天体観測所の事が記載されてある本「白河天体観測所 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台/藤井旭/誠文堂新光社」↓ 「ふじい旭の新星座絵図/藤井旭/誠文堂新光社」↓ 「すばらしき星空の饗宴/藤井旭X三田誠広/誠文堂新光社」↓ 「星になったチロ 犬の天文台長/藤井旭/ポプラ社」
2023.02.11
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2023年2月9日、晴れていたのでZTF彗星の写真を撮りました。前回(2023年2月5日)に撮影した時は、ぎょしゃ座・カペラの近くで5等級くらいでした。今回(2023年2月9日)は、火星に近づいた位置で、少し暗く、6等級くらいでした。↓ 2023年2月9日 21時29分 ZTF彗星↓ 2023年2月9日 21時31分 ZTF彗星↓ 2023年2月9日 21時33分 ZTF彗星↓ 2023年2月9日 21時40分 ZTF彗星↓ 2023年2月9日 21時52分 ZTF彗星↓ 国際光器 20cm反射ドブソニアン望遠鏡。近所の公園。
2023.02.10
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藤井旭(ふじいあきら)さんは、天文写真家、イラストレーター、文筆家として活躍され、星に関する多くの本を出されました。残念ながら、2022年12月28日に81歳で逝去されましたが、多くの天文ファンが藤井旭さんに影響を受けたと思います。私は小学3年~4年頃に、藤井旭さんの雑誌記事や本を読み、星に興味を持ちました。小学5年生(11歳)の時、ビクセンの8センチ屈折赤道儀望遠鏡(ポラリス8L)を購入し、天気が良い日は毎日のように、望遠鏡で惑星や星雲・星団を覗いていました。社会人になり海外赴任を含めて10回引っ越しをしており、学生時代の本はかなり処分したのですが、藤井旭さんの本で、手元にあるものを紹介します。ーーーーーーー1)ふじい旭の新星座絵図/藤井旭/誠文堂新光社/1976年12月25日第1版発行↓ 私にとって本当に大切な本。カバーが破れ、何度もセロテープで補修した。↓ 藤井旭さんの星座絵図と、その星座にまつわる楽しいエッセイが書かれている。中もめくりすぎて傷んでおり、セロテープで貼りなおしている。↓ P167 白河天体観測所の紹介。ーーーーーーーーー2)天体写真の写し方/藤井旭/誠文堂新光社/1970年8月15日第1版発行 1975年9月15日第6版発行。↓ この本もページをめくりすぎて傷んでいる。学生時代に星の写真を撮影するとき、繰り返し読んで参考にした。ーーーーーー3)透視版 星座アルバム/藤井旭/誠文堂新光社/1972年10月5日第1版発行 1975年4月25日第4版発行。↓ ファイリングの部分が壊れてしまい、母親がゴム紐で修復してくれた。↓ 星座写真と透視版がセットになっており、重ねると星座の形が分かる。画期的で素晴らしい本だと思う。↓ 星座写真に透視版を重ねると、星座がよく分かる。↓ オリオン座の星座写真。↓ 透視版を重ねると、オリオン座の形が分かる。ーーーーーー4)カラーアルバム 星空の四季/藤井旭/誠文堂新光社/1973年9月25日第1版発行 1981年3月20日第7版発行ーーーーーー5)星雲 星団ガイドブック/藤井旭/誠文堂新光社/1971年8月20日第1版発行 1974年3月29日第4版発行*天体観測するときに、いつも持参した本。小学生の時、夜露対策として本にセロテープを貼った。↓ 星雲・星団を望遠鏡で見るのが楽しく、ページが外れるまで使った。ーーーーー6)星座ガイドブック 春夏編/藤井旭/誠文堂新光社/1974年7月25日第1版発行ーーーーー7)星座ガイドブック 秋冬編/藤井旭/誠文堂新光社/1975年7月15日第1版発行 1977年8月20日第2版発行ーーーーーー8)藤井旭の天体写真教室/藤井旭/誠文堂新光社/1976年11月1日第1版発行↓ この本も、繰り返し読んだり、星の写真を撮影するため持参し、カバーが破れた。ーーーーーー9)藤井旭の天体写真教室/藤井旭/誠文堂新光社/1978年7月20日第1版発行ーーーーーー10)藤井旭の天体写真教室/藤井旭/誠文堂新光社/1982年6月20日第1版発行*星雲・星団観測はとても楽しい。学生の頃は、星雲・星団の写真やスケッチをしていた。ーーーーーー11)星の旅/藤井旭/河出書房新社/1976年9月14日第1版発行藤井さんが世界中を旅しながら、星とかかわりのある事をエッセイとして書かれている。(目次)ーーーーーーーーーーーーー12) 星日記 1981/星の手帳編集部編/河出書房新社/1980年11月20日第1刷当時、星日記を何年も購入して日記をつけていたが、今手元にあるのは1981年だけ。星日記1981年を手元に残していた理由だが、私が高校1年生の頃の出来事がいっぱい書いてあり、その内容が、星ではなく当時好きだった女の子の事だった。結局駄目だったが、高校時代の青春の思い出だった。(日記部分は消しています)ーーーーーーー13)すばらしき星空の饗宴/藤井旭X三田誠広/大和書房/私はこの本をきっかけに、三田誠広さんの小説「僕って何」などを読んだ。ーーーーーーー14)星になったチロ 犬の天文台長/藤井旭/ポプラ社/2006年7月第1刷 2006年12月第2刷「星がすきだったチロは、満月の夜、星になった。天文台長やいん石捜索員となり大活躍した名犬チロと、星仲間たちとの12年間の友情物語」ーーーーーーー15)白河天体観測所 日本中に星の美しさを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台/藤井旭/誠文堂新光社/2015年10月15日発行↓ 2014年、半世紀の間私設天文台でありながら、星好きには憧れの天文台だった白河天体観測所が閉鎖された。本書は、その中心メンバーであった藤井旭がこの白河天体観測所のこと、メンバーの星仲間のこと、所長犬だったチロのこと、星まつり星空への招待のこと、ハレーすい星のこと等々を綴ったエッセイ集です。↓ 藤井旭さんに私の氏名を書いていただいた。(本の見返しの部分)ーーーーーーーーー16)月をみよう 科学のアルバム1/藤井旭/あかね書房/1973年4月5日第6刷ーーーーーーーーー17)星の一生 科学のアルバム4/藤井旭/あかね書房/1972年12月5日第8刷ーーーーーーーーー18)太陽のふしぎ 科学のアルバム12/藤井旭/あかね書房/1973年4月5日第5刷ーーーーーーーーー19)星座をさがそう 科学のアルバム22/藤井旭/あかね書房/1973年3月25日発行ーーーーーーーーー20)惑星をみよう 科学のアルバム28/藤井旭/あかね書房/1974年3月10日第1刷↓ 本の箱は、傷んでしまった。ーーーーーーーーー21)星雲・星団をみよう 科学のアルバム40/藤井旭/あかね書房/1975年3月10日第1刷この本も写真が美しく、繰り返し見た。ーーーーーーーーー22)彗星 ほうき星のひみつ 科学のアルバム50/藤井旭/あかね書房/1976年3月31日第1刷ーーーーーー23) 星の手帳 VOL.49 (1990年8月号)/星の手帖社/河出書房新社藤井旭さんの記事が中にある。雑誌「星の手帳」のスタートにも藤井旭さんが関係されている。私は「星の手帳」をVOL.1から購入していたが、1990年9月からシンガポールに行くため、1冊を残して全て処分した。今思えば、残しておけばよかったと後悔している。ーーーーーーーーー24)藤井旭さんの星座絵図による、「四季の星座クリアファイル」/星の手帖社↓ 春の星座 (藤井旭さんの星座絵図)/星の手帖社↓ 夏の星座 (藤井旭さんの星座絵図)/星の手帖社↓ 秋の星座 (藤井旭さんの星座絵図)/星の手帖社↓ 冬の星座 (藤井旭さんの星座絵図)/星の手帖社↓ 星座動物園 スーパー夜光シール イラスト:藤井旭/星の手帖社ーーーーーーーーー25)月刊天文ガイド編 ジュニア 夏の天体ガイド/誠文堂新光社/昭和47(1972年)9月15日第1版発行 昭和51年(1976年)7月15日第4版発行↓ P93~95で、「望遠鏡ひろばにあつまれ!」という題で、天体観測にまつわる藤井旭さんの楽しいイラストが描かれている。ーーーーーーーーー26)藤井旭の天文年間 スターウォッチング完全ガイド2023年版/2022年12月16日発行ーーーーーーーーー27)私の部屋の一角に置いている、2016年以降の「月刊天文ガイド/誠文堂新光社」、「月刊星ナビ/アストロアーツ」。2015年までの天文雑誌は、置く場所が無いので全て処分してしまった。ーーーーーーーーー28)私が小学6年~中学1年だった頃、「月刊天文ガイド」を一部切り抜いていたもの。↓ 月刊天文ガイド 1977年1月号 表紙(1976年10月23日の日食 撮影/石橋力(データは目次ページ)↓ 月刊天文ガイド 1977年2月号 表紙(白河天体観測所 「チロチロスⅡ世号 20㎝フォーク式赤道儀」20センチ反射望遠鏡フォーク式赤道儀。私はこの表紙に憧れて、20センチ反射望遠鏡が欲しくなった。その影響で、今私の手元に、20センチ反射ドブソニアン望遠鏡がある。↓ 月刊天文ガイド 1977年6月号 表紙(夏の星座 ふじい旭の新星座絵図より)*この表紙は、見るだけで楽しい。↓ ビクセンの天体望遠鏡広告。↓ 私は小学5年生の時、ビクセンの「ポラリス8L」8センチ屈折赤道儀望遠鏡を購入した。↓ 月刊天文ガイド 1978年2月号 表紙大野裕明さんとかまくら。(藤井旭さん撮影)↓ ビクセンからモータードライブが発売された広告を見たので、購入して「ポラリス8L」に設置した。↓ 月刊天文ガイド 1978年6月号 表紙大野裕明さんと白河天体観測所の20cm反射赤道儀天体望遠鏡「チロチロスⅡ世号」、皆既月食↓ 月刊天文ガイド 1978年11月号 表紙福島県・磐梯吾妻スカイラインの吾妻山山頂浄土平で行われた「星空への招待」。1978年8月28日実施。ーーーーーーーーー29)月刊天文ガイド 2023年3月号/誠文堂新光社星の楽しみを教えてくれた藤井旭さん ーその活動を振り返る【前編】↓ 藤井旭さん。ーーーーーーーーーー30)月刊星ナビ 2023年3月号/アストロアーツ輝き続ける巨星 星になった藤井旭先生↓ 藤井旭さん。
2023.02.09
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2023年2月4日夜、最寄りの駅近くの本屋に寄ると、雑誌棚に「月刊天文ガイド2023年3月号」、「月刊星ナビ2023年3月号」が置いてありました。いつもは5日に店頭に置かれるのに、今月は1日早いなと思いながら雑誌の表紙を見ると、「藤井旭(ふじいあきら)さん」が亡くなられた見出しがあり、本当にびっくりしました。すぐに2冊を購入して中身を読むと、藤井旭さんが2022年12月28日に81歳で逝去されたことが書いてありました。藤井旭さんは1941年生まれ、山口県山口市出身で、天文写真家、イラストレーター、文筆家として活躍され、多くの本を出されました。星好きの方で藤井旭さんを知らない人はいないと思います。私は小学生の時、子供の科学、天文ガイドの雑誌記事で藤井旭さんの記事を読み、本屋で藤井旭さんの本を見つけては購入して読んでいました。私がこの歳になっても星に興味があるのは、藤井旭さんのお陰です。藤井さんは那須高原の「白河天体観測所」開設(1969年)にかかわられました。天文ガイドに白河天体観測所の記事が何度も掲載され、食い入るように記事を読みました。同天体観測所に設置された20センチ反射望遠鏡「チロチロスⅡ世号」に魅了され、私もいつか20センチ反射望遠鏡が欲しいと思い続けました。現在私が持っている天体望遠鏡は20センチ反射望遠鏡ですが、チロチロス望遠鏡に憧れた結果です。インターネットで検索すると、朝日新聞デジタルニュースで、2022年12月31日付記事(東山正宜記者)が次のようにありました。ーーーーー天体写真家の藤井旭さん死去、81歳 著書「星になったチロ」アマチュア天体写真家の草分けとして国際的に活躍した藤井旭(あきら)さんが2022年12月28日、がんによる多臓器不全で亡くなった。81歳だった。葬儀は近親者のみで執り行い、しのぶ会を検討する。1941年山口市生まれ。福島県郡山市に移り住み、那須高原に私設天文台「白河天体観測所」をつくった。この観測所の天文台長を務めた愛犬のエピソード集「星になったチロ」や「天体写真の写し方」はベストセラーになった。天文雑誌での連載を続け、2019年には日本天文学会から天文教育普及賞を受けた。ーーーーー私は年末年始に山口県の田舎に帰っており、新聞店に連絡して新聞の配達をその間止めてもらっていたので、年末年始の新聞は読んでいませんでした。もしかして止めていなければ、藤井旭さんの訃報に気が付いていたかもしれません。ーーーーーーーーーーーー↓ 月刊天文ガイド 2023年3月号(2023年2月5日発行)/誠文堂新光社。↓ 星野楽しみを教えてくれた藤井旭さん。-その活動を振り返る【前編】↓ 藤井旭(あきら)さん。追悼。ーーーーーーーーー↓ 月刊星ナビ 2023年3月号(2023年2月3日発行)/アストロアーツ。↓ 輝き続ける巨星 星になった藤井旭先生。ーーーーーーーーーーーー朝日新聞デジタルニュースで、2022年12月31日付記事(東山正宜記者)。「天体写真家の藤井旭さん死去、81歳 著書「星になったチロ」
2023.02.08
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ZTF彗星(ズイーティーエフ彗星:C/2022 E3)が明るくなり、1月後半から2月に、北の空を越えて移動しています。外は風が冷たく億劫になり、1月は全然彗星を観ていなかったのですが、2023年2月5日(日)夜、風が無かったので、国際光器のWHITEY DOB 20センチ反射望遠鏡を近所の公園に運びました。満月に近い月の光と、公園の街灯で、空はとても明るく、肉眼では星がよく見えません。星ナビ2023年2月号のZTF彗星位置図を見て、ビクセン双眼鏡(7X5)で、ぎょしゃ座のカペラを基準に、彗星のおおまかな位置を確認し、国際光器のWHITEY DOB 20センチ反射望遠鏡で彗星を探しました。すぐに接眼レンズの視界に、ボーとした白いZTF彗星が入ってきました。思っていたよりも明るい感じで、5等級くらいです。ポケットカメラのCANON POWER SHOT SX 720 HSで、彗星をコリメート方式で撮影しました。カメラはマニュアルで、ASA3200、1秒に設定しました。ーーーーーーーーー2023年2月5日21時2分。中央にZTF彗星(COMET C/2022 E3)。2023年2月5日21時5分。中央にZTF彗星(COMET C/2022 E3)。2023年2月5日21時6分。中央にZTF彗星(COMET C/2022 E3)。↓ ぎょしゃ座付近にあるZTF彗星を、国際光器のWHITEY DOB 20センチ反射望遠鏡で見た。↓ 国際光器のWHITEY DOB 20センチ反射望遠鏡。 近所の公園に運んで置いた。↓ 公園の街灯の光と、ほぼ満月の光で、空は明るすぎてよく見えない。↓ 肉眼では、星がほとんど見えない状態だった。↓ 公園から見た、冬の大三角。(オリオン座、おおいぬ座、こいぬ座)↓ オリオン座のM42(オリオン座大星雲)↓ おおいぬ座のシリウス。↓ おうし座のすばる(プレアデス星団)↓ 満月に近い月が空を照らしていた。↓ ビクセンの星座早見盤。昔から使っており、破れた部分はセロテープで補修している。これで星座のおおまかな位置を確認した。↓ 私が小学生の時に購入した、ビクセンの双眼鏡(7Ⅹ50)。この双眼鏡で、彗星の位置を把握し、天体望遠鏡をそのエリアに向ける。↓ 月刊星ナビ 2023年2月号/アストロアーツ。↓ P74~75に、ZTF彗星(COMET C/2022 E3)の動きを表した表があり、参考にした。↓ 2023年2月5日夜、ZTF彗星彗星はぎょしゃ座に位置している。↓ スマホに図を写して、公園で彗星の位置を確認した。ポケットカメラのCANON POWER SHOT SX 720 HSで、彗星を撮影↓ カメラはマニュアルで、ASA3200、1秒に設定。中央に彗星が写っている。
2023.02.06
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2022年11月22日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、超小型探査機「オモテナシ」の月着陸を断念したと発表しました。2022年11月22日の日本経済新聞夕刊に、「JAXA探査機『オモテナシ』月着陸断念 詳細位置不明 復旧できず」とあり、2022年11月23日の朝日新聞朝刊では、「『オモテナシ』月着陸を断念 通信不安定 放射線の測定は続行」との記事がありました。11月22日付日経夕刊記事によると、「オモテナシ」は、米国主導の有人月面探査「アルテミス計画」の第1弾として米国が2022年11月16日に打ち上げたロケット「スペース・ローンチ・システム(SLS)」に搭載され、同16日夜にSLSから分離されたものの、継続した通信が分からない状態になったとの事です。「オモテナシ」は縦、横、高さがそれぞれ11㎝、24㎝、37㎝と一般的な探査機に比べて小さく、成功すれば、日本発となるのに加えて月面着陸した世界最小の探査機になると見られていました。11月23日付朝日新聞朝刊記事では、「オモテナシ」は月着陸時の衝撃などデータを地球に送信し、今後の着陸技術の確立につなげることが目的であったが、SLSから分離した後、太陽電池パネルが太陽とは反対側を向いて充電できないことが判明し、機体が想定の8倍の速さで回転してしまい、消費電力が大きくなっていることも分かったそうです。SLSに載るスペースには限りがあり、小型化が求められていたので、「オモテナシ」の装置も必要最低限にせざるをえず、太陽電池パネルも直方体の探査機の1面にしか付けることができなかったとのことです。ーーーーーーーーーーー↓ 2022年11月22日の日本経済新聞夕刊「JAXA探査機『オモテナシ』月着陸断念 詳細位置不明 復旧できず」ーーーーーーーーーーーーー↓ 2022年11月23日の朝日新聞朝刊「『オモテナシ』月着陸を断念 通信不安定 放射線の測定は続行」
2022.11.22
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2022年11月8日は皆既月食がありました。夕方、東の地平線から月が出てきたので、天体望遠鏡を月に向けました。視界には、ムクドリの群れが月の前を飛び回る姿が見えたので、写真を撮りました。16時40分~16時45分頃の写真です。(まだ月食は始まっていません)↑ 月が昇ってきた。地平線の森には、ムクドリの群れが飛び回っていた。↑ ムクドリ。↑ 月とムクドリ。
2022.11.11
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2022年11月8日、皆既月食と天王星食がありました。天体望遠鏡は国際光器 WHITEY DOB 20 (口径20cm、焦点距離120cm)ドブソニアン型反射望遠鏡で、接続レンズはPHOTON 32㎜です。カメラはCANON Power Shot SX720でコリメート接写撮影しましたが、スマホを持っていたので、試しに数枚撮影しました。スマホは「iPHONE 12 mini」で、接続レンズに近づけて、コリメート接写撮影をしました。隙間から光が入ってしまい、背景が青色ではなく、緑色に写り込んだ部分もありますが、思った以上によく撮れており、驚きました。ーーーーーーーーーーーー【「iPHONE 12 mini」で、接続レンズに近づけて、コリメート接写撮影した写真】↓ 19:21 皆既月食中の月。 月の左側に天王星がある。↓ 19:59 皆既月食の最大。 月の左側の星が天王星。スマホ撮影時、月の上と下の部分は光が漏れたため、色が変わっている。↓ 20:27 皆既月食。 月の左側の星が天王星。 月の下はスマホで撮影中、光が漏れて写り込んだ。
2022.11.10
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2022年11月8日に、皆既月食、天王星食、星食を見る事が出来ました。満月の光は強いので、暗い星はよく見えないのですが、皆既月食中は月が暗くなるので、暗い天王星や恒星を見る事が出来ます。【皆既月食】① 17:02 半影食の開始② 18:09 部分食の開始③ 19:07 皆既食の開始④ 20:42 皆既食の終了⑤ 21:49 部分食の終了⑥ 22:59 半影食の終了【月食中の天王星食】① 20:41 天王星の月潜入時刻(東京)② 21:22 天王星の月出現時刻(東京)【おひつじ座 HD18144(7.4等星)】① 19:29 月潜入時刻② 20:34 月出現時刻【おひつじ座 HD17996(7.6等星)】① 19:34 月出現時刻ーーーーーーーーーーーーーー・国際光器 WHITEY DOB 20 (口径20㎝、焦点距離120cm)ドブソニアン型反射望遠鏡。・接続レンズ PHOTON 32㎜、70° 2.00’’アイピース・カメラ CANON Power Shot SX720 HS ーーーーーーーーーーーーーー【月刊天文ガイド 2022年11月号/誠文堂新光社】P10~11に「月食中の天王星食」の記事があり、天王星が月食中、20:41(東京)に月に隠され、21:22(東京)に月から出現することが紹介されています。またP12には、皆既月食中に7等級の星が2つ(HD18144 : 7.4等星)、(HD17996:7.6等星)隠される情報があり、参考にさせていただきました。「今回は天王星の食が注目されているが、ほかにも7等級の星が2つ皆既月食中の月に隠される。望遠鏡で見た時の赤い月とその周りの星はとても幻想的な長めなので、ぜひ挑戦してもらいたい」ーーーーーーーーーー【天王星と、おひつじ座HD18144】↓ 19:08 天王星と、おひつじ座HD18144。 部分月食中の写真。↓ 19:17 天王星と、おひつじ座HD18144。 皆既食の開始。↓ 19:28 天王星と、月に隠れそうになるおひつじ座HD18144。↓ 19:30 おひつじ座HD18144が、皆既月食中の月に隠れた。隠れる直前を写真に撮ろうとしたが、妻が望遠鏡で隠れる瞬間を観望していたので諦めた。妻は、良く見えたと言っていた。ーーーーーーーーーーーーーーーー【天王星と、おひつじ座HD17996】↓ 19:33 皆既月食中の天王星の位置。↓ 19:34 皆既月食中の月から、おひつじ座HD17996が4出現した。↓ 19:36 天王星と、おひつじ座HD17996。皆既月食中。↓ 19:40 天王星と、おひつじ座HD17996。皆既月食中。ーーーーーーーーーーーーーーー【天王星食開始、HD18144出現】↓ 19:54 天王星と皆既月食中の月の位置。↓ 20:27 天王星と皆既月食中の月が近づく。↓ 20:29 天王星と皆既月食中の月。↓ 20:31 天王星と月。↓ 20:34 天王星と、皆既月食中の月から出現したHD18144。↓ 20:36 天王星と、おひつじ座HD18144。↓ 20:37 天王星と、おひつじ座HD18144。↓ 20:39 天王星が月に隠されそうになる。↓ 20:40 天王星と皆既月食中の月が重なって見える。(ピントが甘くなってしまった)↓ 20:40 月に潜入する天王星。↓ 20:41 月に隠されていく天王星。↓ 20:43 天王星は皆既月食中の月に完全に隠れた。ーーーーーーーーーーーーーー【天王星の出現】↓ 21:21 部分食中の月。↓ 21:22 月から天王星が出現した。↓ 21:23 天王星が月から離れていく。↓ 21:28 天王星と部分月食中の月。↓ 21:28 部分月食中の月。月の光が強くなり、天王星が見えにくくなってきた。ーーーーーーーーーーーーー↓【月刊天文ガイド 2022年11月号/誠文堂新光社】↓p12 今回は天王星の食が注目されているが、ほかにも7等級の星が2つ皆既月食中の月に隠される。(おひつじ座HD18144:7.4等星、おひつじ座HD17996:7.6等星)ーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 【月刊星ナビ 2022年11月号/アストロアーツ】↓p23 11月の注目:横倒しの青緑色の惑星、天王星が見やすい。ーーーーーーーーーーーーー↓ 「最新版 全天恒星図<1950年分点>/廣瀬秀雄、中野繁共著/昭和51年(1976年)10月25日 第11版発行/誠文堂新光社」私が小学生の時に購入して、今も使っている全星恒星図。↓ p38~39 図6 赤経21h~3h 赤緯+30°~-30°左上におひつじ座(アリエス)がある。↓ おひつじ座。今回はおひつじ座で、皆既月食中の月に天王星、おひつじ座HD18144、おひつじ座HD17996が隠れたり、出現したりした。
2022.11.09
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2022年11月8日に皆既月食と天王星食があるので、午後に有給休暇を取得し、マンションのベランダで天体望遠鏡を準備しました。今回の皆既月食は、次のように進行しました。① 17:02 半影食の開始② 18:09 部分食の開始③ 19:17 皆既食の開始④ 19:59 食の最大⑤ 20:42 皆既食の終了⑥ 21:49 部分食の終了⑦ 22:59 半影食の終了私の機材は、次の通りです。① 国際光器 WHITEY DOB 20 (口径20㎝、焦点距離120cm)ドブソニアン型反射望遠鏡、2007年7月に購入。② 接続レンズ PHOTON 32㎜、70° 2.00’’ アイピース。③ カメラ:CANON Power Shot SX720 HS (ポケットカメラ)快晴で、皆既月食、天王星食を楽しむことができました。妻も時々ベランダに来ては、望遠鏡を覗いていました。写真の一部を紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーー【2022年11月8日】↓ 16:39 ベランダでドブソニアン反射望遠鏡を準備した。手すりが影になるので、手すりより鏡筒が上になるように、望遠鏡を乗せる台を用意した。↓ 16:39 月が地平線から出てきた。↓ 17:01↓ 17:02 WHITEY DOB 20反射望遠鏡の接眼部分に、接眼レンズ:PHOTON 32㎜を付けた。接眼部分とレンズの幅が違うので、レンズに黄色のテープを何重にも巻いて、接眼部分の幅に合わせている。↓ 17:59↓ 18:11 部分食が始まった。↓ 18:24↓ 18:30↓ 18:46↓ 木星(右上)と月。↓ 18:59↓ 19:05↓ 19:10↓ 19:15↓ 19:36 皆既食に入っている。↓ 19:55↓ 20:18↓ 20:29↓ 20:36↓ 20:43 皆既食が終了した。↓ 20:47↓ 21:01↓ 21:05↓ 21:14↓ 21:18↓ 21:45↓ 21:56 部分食が終了した。
2022.11.08
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2021年11月19日、皆既月食にきわめて近い部分月食を見ました。17時頃、満月が東の水平線から欠けながら上り始め、18時過ぎに最大食分0.98という、ほぼ皆既月食のような部分月食になります。20時に部分月食が終わり、21時には半影食が終わります。残念ながら、東の空に雲が覆っており、雲を通して月食を見る状態でした。雲が厚ければほとんど月が見えませんし、薄い時にやっと見る事が出来ました。望遠鏡は国際光器の「WHITEY DOB 20センチドブソニアン反射望遠鏡」で、カメラは「POWER SHOT SX720 HS」です。何枚か写真を撮りましたので、記録として残しておきます。↑ 2021年11月19日 16:50 東の空の満月。↑ 16:54↑ 16:55 東の空に厚い雲が流れる。↑ 16:58 満月が雲に隠れる。↑ 16:58↑ 17:02 時々、雲の隙間から月が見える。↑ 17:05 雲が流れる。↑ 17:12↑ 17:26 雲のため、月がほとんど見えない。↑ 東の低い月を見るため、キャンプ用の折り畳み台の上に、反射望遠鏡を置いた。↑ 17:34 雲から少し月が見える。↑ 17:36 部分月食が進み、月が赤銅色になってきた。↑ 17:45↑ 17:46↑ 17:47↑ 17:50↑ 17:51↑ 17:55↑ 17:56↑ 18:02 (食の最大あたり)↑ 18:04↑ 18:18 雲の中の月食。↑ 18:44 薄い雲が覆っている。↑ 19:02↑ 19:17 東の空の雲の状態。↑ 19:26↑ 19:53ーーーーーーーーーーーーー↑ 天文ガイド 2021年12月号/誠文堂新光社。↑ P6~7。 11月19日 皆既月食にきわめて近い部分月食をとらえよう!↑ 月刊星ナビ 2021年11月号/アストロアーツ
2021.11.22
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家にある20cmドブソニアン反射天体望遠鏡(WHITY DOB 20cm/F6ドブソニアン/国際光器)ですが、2007年7月に購入しました。望遠鏡の金額は39,800円でした。光軸を合わせるレーザー機器も12,800円で購入しており、約5万円です。購入してから14年経ちますが、今まで一度も主鏡を掃除しておらず、目で見ても汚れがひどくなったため、今回掃除をすることにしました。中学生の時に購入して読んでいた「藤井旭の天体望遠鏡ABC教室/藤井旭(ふじいあきら)/誠文堂新光社/1978年7月20日発行」を取り出し、P81の「反射鏡の手入れ」を見て参考にしました。薬局で精製水を買い、中性洗剤は台所にあったものを使用しました。反射望遠鏡を分解しましたが、分解前と同じように元通りにするため、目印を付けたり、ネジも場所ごとに置きました。主鏡はほこりやカビで汚れていましたが、傷をつけないように優しく洗い、見た目にはとても綺麗になりました。↑「藤井旭の天体望遠鏡ABC教室/藤井旭(ふじいあきら)/誠文堂新光社/1978年7月20日発行」。↑ P80~81。望遠鏡の手入れ。↑ P81。反射鏡の手入れ。↑ P75。 反射望遠鏡の主鏡セル。↑ 20cm反射天体望遠鏡(WHITY DOB 20cm/F6ドブソニアン/国際光器)。↑ 反射望遠鏡のふた。↑ ふたを取る。手前が斜鏡で、奥が主鏡。↑ 主鏡にほこりが見える。↑ カビも見える。↑ 反射望遠鏡を横に置く。↑ 主鏡セルの部分。↑ 主鏡セルのネジを回す。↑ ネジを位置ごとに置く。↑ 主鏡セルを外す。↑ 14年間のほこりやカビが付いている。↑ エアブラシでほこりを吹き飛ばすも、あまり効果がなかった。↑ 主鏡と主鏡セルに目印を鉛筆で書いた。元に戻すときのため。↑ 主鏡(凹面鏡)の取り付け枠のネジを回す。↑ 取り付け枠を取る。↑ 3か所の取り付け枠を外す。↑ 取り付け枠を場所ごとに置く。↑ 全て枠を外した。↑ 主鏡を枠から取り出す。↑ 主鏡枠。↑ 薬局で購入した精製水。↑ 主鏡を水道水で洗い流す。↑ あまり汚れは取れていない。↑ 台所の中性洗剤。↑ 液性:中性と書いてある。↑ 主鏡に中性洗剤と精製水をかける。↑ ゆっくり優しく、指の先で鏡面をちょっと触れる程度にし、泡で洗浄していく。↑ 泡で触れる程度でゆっくりと。↑ 精製水で泡を洗い流す。↑ 精製水で泡を流し終えた主鏡。↑ 主鏡の裏側。↑ 主鏡の横。↑ レンズティッシュ。↑ レンズティッシュを主鏡に軽く置き、水を吸い込む。↑ 水を取った。↑ 主鏡を乾かし、残ったゴミを吹き飛ばす。↑ 綺麗になった主鏡。↑ 鉛筆で書いた目印を使い、元と同じ位置に主鏡を主鏡セルに入れる。↑ 主鏡枠を元通り取り付ける。↑ 主鏡枠をセットした。↑ 反射望遠鏡の主鏡に、主鏡セルを元通り入れる。位置は目印に従い、同じようにセットする。↑ ネジで主鏡セルを留める。↑ 元通りになった。↑ 反射望遠鏡の筒。手前は斜鏡、奥は主鏡。↑ 綺麗な主鏡。↑ 接眼筒。↑ 光軸を確認するため、国際光器のレーザー機器を使用。↑ 光軸が少しずれていた。↑ L字器具で斜鏡の向きを調整した。↑ 主鏡の中央の丸に、レーザが当たった。レーザー機器の中央にも光が反射して戻ってきており、作業終了。
2021.06.06
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2021年5月26日(木)夜に皆既月食が起こるため、定時で仕事を終了し、すぐに会社から自宅まで電車で帰りました。予定では、18時44分から部分食が始まり、月が欠けて行きます。20時11分から20時25分まで皆既月食があり、赤銅色の月食を期待していました。そして21時52分には、元の月に戻ります。ところが、部分食が始まっても、空は厚い雲に覆われて、月は全く見えません。念のため、ベランダに20cm反射ドブソニアン望遠鏡を用意しましたが、天気予報を見る限り、駄目な感じがしました。20時を過ぎでも、空は相変わらず厚い雲に覆われています。諦めて、部屋で食事をしていました。皆既月食が終わり、部分食になった頃、月の光が雲を通じてうっすら見えるようになりました。ポケットカメラのCanon Power Shot SX720 HSで、少し写真を撮りましたが、すぐに撤収しました。天候に阻まれ、今回も残念ながら、皆既月食は見ることができませんでした。 ↑ 天文ガイド、月刊星ナビ:2021年6月号。(5月26日の皆既月食)↑ 天文ガイド 2021年6月号/2021年5月5日発行/誠文堂新光社/「5/26 スーパームーンの皆既月食」。↑ 月刊星ナビ 2021年6月号/2021年5月6日発行/アストロアーツ/「赤いスーパームーン 5月26日は皆既月食」。ーーーーーーーーーーーーー↑ 2021年5月26日(木)朝日新聞朝刊。↑ きょう皆既月食。ーーーーーーーーーーーーーーー↑ 念のために国際光器のWHITY DOB 20センチ反射ドブソニアン望遠鏡を用意した。↑ 2021年5月26日 20時24分。皆既月食は20時11分~20時25分だったが、月が雲に隠れて、何も見えなかった。↑ 2021年5月26日 20時40分。雲の間から、何となく月の光が見えてきた。20時25分~21時10分は部分食。↑ 2021年5月26日 20時47分。部分食中の月がうっすらと見えてきた。↑ 2021年5月26日 20時48分。部分食中の月。薄い雲が月を覆っている。↑ 2021年5月26日 21時01分。半分まで戻ってきている。↑ 2021年5月26日 22時09分。完全に月食は終了している。薄い雲に覆われた月。今回も残念ながら、皆既月食は見られなかった。
2021.05.26
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2020年12月に木星と土星が近づき、2020年12月21日~22日に大接近します。日が沈むと、西の空の低い所に木星と土星が見えました。2020年12月20日(日)18時~18時15分、木星と土星が接近した様子を写真に撮りました。西空の水平線に近い所に木星、土星があるため、ベランダにキャンプ用テーブルを組み立て、その上に20センチドブソニアン反射望遠鏡を置いて、高さを確保しました。18時に西空を見ると、遠くのビルの上に木星と土星が接近して見えました。私の20センチ反射望遠鏡(国際光器WHITEY DOB 焦点距離1200㎜)に25㎜の接眼レンズを付けると、倍率は1200㎜/25㎜=48倍になります。48倍の視野に入っていた木星、土星を、CANON Power Shot SX720 HS で撮影しました。目で接眼レンズを覗くと、木星と4大衛星、土星の輪がきれいに見えるのですが、カメラで撮影しようとすると、手がぶれたり、惑星も西空でゆらゆらと見えており、全然ダメでした。翌日の2020年12月21日(月)は、会社終了後に急いで帰ったのですが、家について望遠鏡を覗くと、すでに木星と土星は遠くのビルの下に沈んでいました。12月22日は残業があったので、あきらめました。次に今回と同じレベルで接近するのは60年後の2080年だそうで、私は生きていないでしょう。ーーーーーーーーーーーー2020年12月20日(日)16時。ベランダにキャンプテーブルを設置し、その上にドブソニアン反射望遠鏡を乗せた。木星と土星は水平線近くにあるので、鏡筒はほぼ水平になっている。↑ 国際光器WHITEY DOB 20センチ・ドブソニアン反射望遠鏡 焦点距離1200㎜。西空の木星、土星に鏡筒を向ける。接眼部分が上を向いているので、下に台を用意して、その上に上って写真を撮った。 ↑ 2020年12月20日(日)16時14分。 木星と土星。土星は何となく輪の部分が膨らんでいる。↑ 木星と土星。↑ 西空の遠くのマンションの上に、木星と土星が並んで写っている。すぐに木星、土星はビルの陰に沈んでしまった。↑ 娘が板の上に乗って、望遠鏡を覗こうとしている。↑ 娘が望遠鏡で火星を見ている。ーーーーーーーーーーーー↑ 2020年12月22日 朝日新聞朝刊。↑ 木星と土星が2020年12月21日、日の入り後すぐの南西の空で大接近した。1623年以来397年ぶりの近さで、月の直径の4分の1ほどの近さは22日夕方まで続く。次にここまで近づくのは60年後の2080年という。東京からは21日午後5時半ごろ、木星と土星が望遠鏡の視野に入って見えた。木星と土星は最も近づくのは22日午前3時ごろで、22日の日没後にも同じくらの近さで見える。↑ 木星と土星、397年ぶり大接近。ーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 月刊星ナビ 2021年1月号/アストロアーツ。↑ p30~31。↑ 木星と土星はほぼ20年に一度ニアミスする。惑星どうしが接近する間隔を会合周期というが、会合周期は簡単に計算することができる。それぞれの公転周囲をPj、Ps、会合周期をSとすると、(1/Pj)-(1/Ps)=1/Sとなる。木星の公転周期12年、土星の公転周期30年とすると、(1/12)-(1/30)=3/60=1/20。つまり、木星と土星は、約20年ごとにニアミスすることになる。↑ 2020年12月21日18時の木星と土星。
2020.12.21
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2005年11月に「はやぶさ」が小惑星イトカワでタッチダウンを行い、サンプルを回収することができました。また「はやぶさ2」は2019年2月、小惑星リュウグウの表面に弾丸を発射して砂を回収しました。アメリカでは米国航空宇宙局(NASA)が2016年9月に小惑星探査機「オシリス・レックス:OSIRIS-REx」を打ち上げ、2020年10月20日に小惑星ベンヌ:BENNUのサンプル採取に成功しました。2023年に地球に戻る予定です。2020年12月4日朝日新聞朝刊の「宇宙新時代 清明の痕跡 太陽系で探せ」には下記記載があります。「宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、リュウグウの次の目的地として、火星の衛星フォボスに狙いをさだめている。MMX計画といい、探査機は2024年に打ち上げられ、3年ほどかけてフォボスの砂を採取して2029年に地球に帰還する。フォボスには火星から飛来した砂が多くあるとみられ、火星の砂を持ち帰れる可能性も高い。JAXA宇宙科学研究所の国中均所長は『ゆくゆくは火星そのものからのサンプルリターンも実現させたい』と話す」。2020年11月14日、東京都葛飾区白鳥にある「葛飾区郷土と天文の博物館」の天文展示室で、米国航空宇宙局(NASA)が打ち上げた小惑星探査機「オシリス・レックス:OSIRIS-REx」が、2020年10月20日に小惑星ベンヌ:BENNUでタッチダウンを行い、サンプルを採取した様子の映像を見ました。【東京都葛飾区白鳥にある「葛飾区郷土と天文の博物館」の天文展示室】↑ 米国航空宇宙局(NASA)が打ち上げた小惑星探査機「オシリス・レックス:OSIRIS-REx」が、2020年10月20日に小惑星ベンヌ:BENNUでタッチダウンを行い、サンプルを採取した様子の映像↑ 地面から砂が吹きあがった。ーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 天文展示室。「葛飾区郷土と天文の博物館」ーーーーーーーーーーーーーーーーーthe Japan times alpha. Nov 6, 2020. p3。↑ NASA probe on asteroid collects too much material; door gets stuck open.米国航空宇宙局(NASA)の小惑星探査機は大量の物質を採取した。量が多すぎて、ふたが開いたまま閉じなくなるほどだった。the Japan times alpha. Nov 6, 2020.の表紙。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 2020年12月4日 朝日新聞朝刊。 小惑星「ベンヌ」。米探査機「オシリス・レックス」が着陸して砂を採取。2023年に地球帰還。
2020.12.20
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小惑星探査機「はやぶさ2」は、2020年12月6日、小惑星「リュウグウ」の砂が入っているカプセルを地球に送り届け、再び別の小惑星へ向けて飛行を開始しました。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は12月6日、オーストラリア・ウーメラ砂漠に着地しているカプセルとパラシュートを発見し、回収しました。新聞、雑誌の記事を一部紹介します。↑ the Japan taimes alpha / DEC 18, 2020.A member of the Japan Aerospace Exploration Agency retrieves a capsule dropped by Hayabusa2 in Woomera, southern Australia. The small capsule from Japan's Hayabusa2 spacecraft successfully landed in a sparsely populated desert in the Australian Outback on Dec.6.(ジャパンタイムス・アルファ:2020年12月18日発行)日本の宇宙航空研究開発機構のメンバーが、オーストラリア南部のウーメラ砂漠にて、はやぶさ2から投入されたカプセルを回収した。はやぶさ2からの小さいカプセルは、12月6日にオーストラリアの奥地にある、人がほとんどいない砂漠へ到着した。ーーーーーーーーーーーーーー【2020年12月7日 朝日新聞朝刊】↑ はやぶさ2 カプセル帰還。小惑星探査機「はやぶさ2」が地球の重力圏に帰還し、小惑星「リュウグウ」の砂がはいっているとみられるカプセルを送り届けた。宇宙航空研究開発機構(JAXA)は6日、豪南部の砂漠でカプセルを発見し、回収したと発表した。↑ 現地で初期分析し、日本に空輸する。6年50億キロにわたる探査計画は、小惑星への2度の着陸や史上初の人工クレーター作製など、成功裏に終わった。はやぶさ2本体はカプセルを切り離した後、地球に衝突する軌道から離れ、新たな探査の旅に出た。次に目指すのは地球と火星の間を回る直径30メートルほどの小さな小惑星で、さらに100億キロを飛んで2031年に到着する見通しだ。↑ 2020年12月6日未明、豪南部で観察されたカプセルの光跡。↑ 2020年12月7日 朝日新聞。カプセルが着地した豪南部の村グレンダンボ近郊。予定通りの午前2時28分、カプセルの光が現れた。光はまず、オリオン座の下の地平線の近くに現れ、下弦前の月の方向へ斜めに駆け上がるように見えた。色は赤っぽく、尾が伸びている。次第に速度がゆっくりになり、明るさを失って、30秒ほどで夜空の中に消えていった。ーーーーーーーーーーーーーーーー【2020年12月3日 朝日新聞朝刊】↑ 2020年12月3日 朝日新聞。「はやぶさ2」50億キロの旅大詰め。発表では、カプセルは6日午前2時28分ごろ、秒速12キロの速さで大気圏に再突入する。空気を押しつぶして高温になり、光を放つ。その後、高度10キロでパラシュートを開き、ゆっくり落下しながら位置を知らせる電波も出す予定だ。回収班は今回、船舶用のレーダーを準備。カプセルに反射させ、カプセルが電波を出せなくても方向や距離を割り出す計画だ。さらに、地上に落ちたカプセルを上空から人工知能(AI)で探せる無人航空機も初めて投入した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2020年12月6日 朝日新聞朝刊】↑ 日本の宇宙探査 結晶帰還。 50億キロの旅 生きた初代の教訓。チームは、地表の岩一つひとつを10センチ単位で再現した三次元地図を作り、はやぶさ2の機体を制御する12基の化学エンジンの癖も調べた。着陸の誤差は50メートルから1メートルに。2019年2月22日、はやぶさ2は上空20キロから降下し、7時間半で高速回転するリュウグウの、直径6メートルの「平原」に着陸した。初代が失敗した、砂を巻き上げる弾丸の発射も確認された。4月5日には、史上初となる小惑星への人工クレーター作製にも成功。地下で40億年ほど眠っていた、太陽系が誕生した時のままの砂が露出した。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー【月刊天文ガイド 2021年1月号/誠文堂新光社】↑ 「はやぶさ2」地球に帰還。↑ P6。リュウグウは直径約900mの小惑星。東京湾に浮かべるとこのような感じになる。(画像:『HAYABUSA2 ~ REBORN』制作委員会)ーーーーーーーーーーーーーーーーー【月刊星ナビ 2021年1月号/アストロアーツ】↑ カプセル大気圏突入へのラストスパート。おかえり「はやぶさ2」。P6。地球帰還のための最終誘導。TCM-2までの軌道修正で地球から高度約200㎞を通過する軌道に乗せ、TCM-3、TCM-4でオーストラリア上空で大気圏再突入する軌道に入れる。カプセル分離後のTCM-5で地球から離脱する。TCM:Trajectory Correction Maneuver : 軌道修正操作)
2020.12.19
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2020年10月18日から10月25日まで撮影した、火星、木星、土星です。国際光器のWHITEY DOB 20センチドブソニアン反射望遠鏡に、PHOTON 5㎜アイピースを付けています。カメラはポケットカメラのCANON POWER SHOT SX720 HSです。カメラのレンズとアイピースを近づけて、コリメート方式で接写しています。私の部屋に置いている望遠鏡を、ベランダに持ち出して撮影します。外は寒いので、少し撮影したらすぐに片付けます。晴れていても、寒いので撮影しない日もあります。火星は最接近時期を過ぎて、少しずつ遠く小さくなっていますが、まだ表面の模様が分かります。ドブソニアンは経緯台なので、星が追尾できず、火星を視界に入れてカメラを接写しようとすると、すでに火星は画面から外れます。ピントを合わすのが大変だったり、すぐにブレてしまうなど、いつも撮影に苦労します。木星と土星は日没後、西空の低い位置に見えます。大気のゆらぎがひどく、ゆらゆらと画面が揺れる中で撮影しました。あまりうまく撮れていませんが、載せておきます。ーーーーーーーーーーーーーー火星 2020年10月18日20時57分ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー木星 2020年10月20日20時04分 大気のゆらぎがひどく、うまく撮れなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー土星 2020年10月20日20時09分ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー火星 2020年10月20日20時19分ーーーーーーーーーーーーーーーー火星 2020年10月20日22時11分ーーーーーーーーーーーーーーー火星 2020年10月20日23時50分ーーーーーーーーーーーーーーーー木星 2020年10月21日19時15分ーーーーーーーーーーーーーーーーーー土星 2020年10月21日19時18分ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー火星 2020年10月21日19時26分ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー火星 2020年10月25日22時11分
2020.11.09
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火星が2年2ヵ月ぶりに地球に近づき、2020年10月6日(火)に最接近します。前回の接近時は火星で大嵐が発生し、望遠鏡で火星を見ても、表面の模様が良く見えませんでした。今回は、望遠鏡で覗くと模様が見えました。今年は天候が不順で、快晴の日はほとんどなく、雲の合間に火星の写真を撮りました。2020年10月2日(金)、3日(土)の撮影写真を掲示します。国際光器の20cm WHITY DOB ドブソニアン反射望遠鏡に、PHOTON 32㎜アイピースを付け、Canon PowerShot SX720 HSのレンズをアイピースに近づけ、コリメート方式で撮影しました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2020年10月2日(金)】↑ 火星。2020年10月2日(金)0時00分。 上部に南極冠の白い丸と、シレーンの海の模様が見える。↑ 月と火星。↑ 国際光器の20cm WHITY DOB ドブソニアン反射望遠鏡。↑ 火星。2020年10月2日(金)1時6分。ーーーーーーーーーーーーー【2020年10月3日(土)】↑ 月と火星。↑ 月。↑ 月と火星。↑ 火星。2020年10月3日(土)1時2分。 表面にゴミが写っている。ーーーーーーーーーーーーーー↑ 月刊天文ガイド 2020年10月号。誠文堂新光社発行。火星の表面模様観測の好期。特集 10月6日 火星最接近。↑ 月刊星ナビ 2020年10月号 アストロアーツ発行。大きく明るい火星。見て撮って火星を毎日楽しむ探査ラッシュと有人計画。
2020.10.04
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2020年7月29日から31日まで、反射望遠鏡の鏡面研磨の研修に参加しました。2枚のガラス(鏡材、盤ガラス)を研磨剤を挟んでこすりあわせながら、凹面鏡を作っていきます。研磨剤は粒の大きさに種類があり、目の粗い砂で荒ズリをし、徐々に砂粒を小さくして中ズリ、仕上げズリに移行します。規則的な動きで研磨をすると、鏡材の中央が凹むと同時に、盤ガラスは周辺が凹んできます。定期的に向きを変えて、鏡材と盤ガラスを360度均等に削っていきます。この段階では、ガラスは擦りガラスのような状態で、透明ではありません。盤ガラスに松脂とアスファルトを溶かした物を乗せて「ピッチ盤」を作ります。ピッチ盤にはグリッドパッドを乗せて格子状の模様を付けます。「鏡材」にはタールで取っ手を付け、酸化セリウムの研磨剤の粉を水に溶いてピッチ盤に付けて、鏡材で研磨します。長く研磨すると、擦りガラスのように曇っていた鏡材が透き通ってきます。最終的にフーコーテストで鏡材の表面が美しいパターンを出していたら完成です。完成した「鏡材」はメッキ会社に表面メッキをしていただくことになるのですが、まだしていません。↑ 15センチの鏡材。↑ 荒ズリ用の研磨剤を水に混ぜて盤ガラスに付ける。↑ 左が鏡材、右が盤ガラスに研磨剤を塗ったもの。↑ 時々研磨剤を追加する。↑ 鏡材を動かして研磨していく。↑ 荒ズリから中ズリに移行するため、ガラスを洗って新しい研磨剤を準備する。↑ ずらしながら研磨をする。↑ 研磨をしている所。↑ 研磨剤を追加していく。↑ 仕上げズリをする。↑ 松脂とアスファルトを混ぜて溶かしたピッチを、盤ガラスに乗せる。↑ 格子状のグリットパットと鏡材。↑ 盤ガラスのピッチにグリットパットを付けて、格子状のパターンを付けた。この上に水を付けた酸化セリウムを付けて、鏡材を磨いていく。擦りガラスのように曇っていた鏡材は、この研磨で透明になる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー家の中で保存していた物を出してみた。↑ 鏡材。↑ 盤ガラスのピッチは形が崩れていた。
2020.07.29
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2010年7月29日、天体望遠鏡の反射鏡を研磨して作る講習会に参加しました。池谷・関彗星の発見で大変有名な池谷薫(いけやかおる)さんに、反射鏡の研磨を教えていただきました。二枚の丸い板ガラス(上:鏡材と下:盤ガラス)の間に研磨剤を入れて、規則的に鏡材を持って手を動かしながら下の板ガラスを削っていき、凹面鏡の形にしていきます。研磨剤の粒の大きさを順番に細かくして、荒ズリ、中ズリ、仕上げズリと進みます。途中では凹面鏡の焦点距離を確認したり、フーコーテストで凹面鏡の凹凸の状態を確認します。松脂とアスファルトを似て溶かし、盤ガラスの上に付けてピッチ盤を作ります。その後ナイフでピッチに格子状の溝を作ります。鏡材にはタールで取っ手を付け、高価で細かい酸化セリウムを水に溶かしたものを中に挟んで研磨します。最後はフーコーテストをして、きれいな凹面鏡のパターンになっておれば研磨終了です。メッキ業者に鏡材をメッキしてもらうと、反射望遠鏡の主鏡ができます。1668年にニュートンが反射望遠鏡を作りましたが、研磨して鏡を作る方法は現代でも基本的に変わっていません。↑ 二枚の丸い板ガラス(鏡材と盤ガラス)↑ 池谷薫さんの説明が始まる。↑ 盤ガラスの上に研磨剤を付ける。↑ 研磨剤が盤ガラスに付く。↑ 鏡材を上に乗せて、回転させて荒ズリを始める。↑ 規則的な手の動きをする。ストローク。↑ 横ズラシ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー家にある参考文献。↑ 藤井旭の天体望遠鏡ABC教室/藤井旭/誠文堂新光社/1978年7月20日発売P13 反射望遠鏡の構造。 「主鏡」の凹面鏡を作成した。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 天体望遠鏡の作り方/天文ガイド編集部/誠文堂新光社/1998年3月30日発行。P12 反射鏡の研磨の手順紹介。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ えびなみつるの完全図解 天体望遠鏡を作ろう/えびなみつる著/監修:池谷薫/誠文堂新光社。(Since 1912 子供の科学の誠文堂新光社)P20~21。
2020.07.28
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池谷・関彗星 C1965 S1は、1965年9月19日早朝、静岡県浜名郡の池谷薫(いけやかおる)さんと、高知県高知市の関勉(せきつとむ)さんが発見した彗星です。台風24号が通過したばかりの明け方の空で、池谷さんと関さんが、15分の時間差でこの彗星を見つけました。お二人とも、この彗星がそれぞれ3個目の発見で、それ以降も多くの彗星を発見されています。池谷・関彗星 C1965 S1は、細長い楕円軌道上を1,000年単位で回る「クロイツ群」と呼ばれる彗星の仲間で、太陽に大接近する特徴があります。そのため、池谷・関彗星は明るくて尾の長い大彗星となり、多くの人たちが彗星探索に興味を持つきっかけとなったと言われています。私は池谷・関彗星 C1965 S1が発見された1965年に生まれました。小学校3年生の時に顕微鏡を買ってもらい、プレパラートで虫や花の標本を作ったり、池や川の水をすくっては顕微鏡で見ていました。材料を薄く切るのが難しいので何度も繰り返したり、色々な染色液を試してみたり、トンボの眼などにボンドを塗り、乾いた膜を顕微鏡で見るスンプ法も行いました。広島そごうの中にあった田中のメガネで顕微鏡の材料を買っていましたが、そこに飾ってある天体望遠鏡を見て、だんだん星に興味がでてきました。小学5年生の時にビクセンのポラリス8L(8センチ屈折赤道儀)を親に買ってもらい、惑星や星雲星団を眺めるのが楽しくて仕方がありませんでした。天文ガイドや星の本を買っては読んでいたのですが、彗星となると必ず「池谷・関彗星」が紹介されていました。彗星発見に関する記事を読むと、彗星捜索の考え方やドラマが分かり、とても面白かったです。大学に入ると、色々と忙しくなり星から離れました。屈折望遠鏡も引っ越しの時に処分し、星と関わりの無い生活が長く続いていたのですが、15年くらい前、子供の小学校で天体観測のお世話をする機会があり、それがきっかけで20センチの反射ドブソニアン望遠鏡を購入し、少しづつ星の観望をするようになりました。彗星に関する本ですが、「新彗星発見に挑む/えびなみつる著/誠文堂新光社/2011年4月30日発行」のP28~30にあった関勉さんの記載部分は、とても心に残りました。一部を下記紹介します。捜索を始めた関さんだが、当初の10年間は新彗星発見にたどり着くことはなかった。「発見したい、発見したい!とあがくような気持の10年間だった」という。しかし、成果はあがらず、気が付けば関さんは20歳代のほとんどを彗星捜索に費やしていた。「やめました。挫折ですね。敗北です」と関さん。「再び捜索を始められたのは何かきっかけがあったのでしょうか?」と聞くと、「”何もしていない自分”のほうが辛くなってきました。10年間は確かに辛くもあったが夢があった。今、星から離れてしまった自分の、夢のない人生は、なんてつまらんものだろう、そう思えてきたんですね」と関さんは当時の心境を振り返った。~ 1961年、再び望遠鏡を手にした関さんは、わずか二か月後に最初の彗星発見を成し遂げる。ーーーーーーーーー本棚に入れている本より。↑ 科学のアルバム50 彗星 ほうき星のひみつ/藤井旭(あきら)/あかね書房/1976年3月31日↑ 藤井旭さんの紹介。写真は白河天体観測所。藤井旭さんの本や天文ガイドの記事は、今まで沢山読んだ。↑ P6 彗星の通り道は”楕円軌道”。↑ P6 1965年秋、明け方の東の空に美しい姿をみせた池谷・関彗星。↑ P6 池谷・関彗星の星座の中の動き。↑ P8 小さな核と、そのまわりをぼんやりとりまくコマ、長くのびる尾、これが彗星の標準型。↑ P12 彗星、太陽に接近。彗星が太陽に一番近づくところを近日点(きんじつてん)という。1965年10月21日、太陽の表面からわずか50万㎞のところを、秒速500㎞のすごいスピードでまわる池谷・関彗星。彗星の動きは、近日点を通過するときに、もっとも速くなる。↑ 1965年、池谷・関彗星。尾の長さは、なんと1億㎞以上にも達している。↑ 1965年秋に現れた池谷・関彗星の軌道の様子。この彗星は、1965年9月19日の明け方、静岡県の池谷薫(いけやかおる)さんと高知県の関勉(せきつとむ)さんによって、ほとんど同時に発見された。発見されたときは8等級くらいだったが、太陽に接近するにつれて明るくなり、10月21日には太陽の表面からわずか50万㎞の所に来て、昼間の空に見えるほど明るくなった。ーーーーーーーーーーーーー↑ 彗星の観測ガイド 天文と気象別冊/地人書館/昭和51(1976年2月10日発行)関勉さんの記事が3本掲載されていた。「発見こそアマチュアの彗星観測」、「銘記すべき彗星発見7つの心得」、「内外の彗星情報提供者のプロフィール」。ーーーーーーーーーーーー↑ 私の新彗星発見記/「天文ガイド」編集部/誠文堂新光社/1979年12月20日発行。↑ 目次紹介。「P189 イケヤ・セキ彗星の発見事情 池谷薫」「P195 セキ彗星発見までの長い夜 関勉」↑ P189 イケヤ・セキ彗星の発見事情 池谷薫ーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 新彗星発見に挑む/えびなみつる著/誠文堂新光社/↑ 目次 P24 関勉さん 多くの天文ファンを生んだ池谷・関彗星。↑ 目次 P264 池谷薫さん 鏡の研磨と捜索は車の両輪。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 月刊天文ガイド 2011年1月号/誠文堂新光社。↑ 池谷・村上彗星 C/2010 V1 発見!池谷薫さん、村上茂さん、眼脂で新彗星発見の快挙。↑ 池谷薫さんと村上茂樹さんの紹介記事。ーーーーーーーーーーーーーー↑ 月刊天文ガイド 2013年3月号/誠文堂新光社。↑ 藤井旭が見に行く 大彗星たちの記憶。ハレーすい星の写真。↑ 池谷・関彗星 C/1965 S1の紹介記事と写真。関勉さんと手作り望遠鏡。↑ 1965年6月5日に天文ガイド1965年7月号が創刊されたが、その年の秋に池谷・関彗星が到来があったので、5月臨時増刊が出た。これが火付け役となって、コメット・ハンターを目指す天文ファンが激増した。↑ 池谷・関彗星 C/1965 S1。↑ 1965年当時は、小型カメラによる天体写真の黎明期。岡田好之さんがとらえたこの池谷・関彗星の写真も煙突から立ち昇る煙とみられ、彗星とは信じてもらえなかった。ーーーーーーーーーーーー↑ 月刊天文ガイド 2015年8月号/誠文堂新光社。↑ 天文ガイド 創刊50周年。↑ 「月刊天文ガイド 創刊50年を迎えて」はじめての人にもわかる天文の雑誌、読んで知識を身につけるだけでなく、誰もが観測を楽しんだり、天体の写真をうつすことができるようになる雑誌を出したい...との想いから小誌「月刊天文ガイドは、1965年7月号(6月5日発売)に創刊されました。↑ 1965年6月5日発売の1965年7月号(創刊号)。天体望遠鏡があたる創刊記念大懸賞つき。↑ 創刊50周年 私が選ぶ「天文ガイド」この記事。1966年1月号。”今世紀最大”とまでいわれた長い尾を持つ池谷・関彗星 C/1965 S1 (旧仮符号 1965f)を1965年11月4日にとらえた写真が表紙を飾った。↑ 月刊天文ガイド 1966年1月号 池谷・関彗星が表紙。↑ 1966年1月号に掲載された関勉氏による「私の彗星探索法」。関氏が実践している彗星探索法を紹介。探索を行う人への具体的なアドバイスも綴られている。↑ 1966年3月号に掲載された池谷薫氏による「私の望遠鏡」。池谷氏が反射鏡研磨を始めたころから、池谷・関彗星C/1965 S1を発見した口径21cmの反射経緯台を作るまでが紹介されている。↑ 藤井旭が見に行く 実に個人的なかかわり合いの中での天文ガイド創刊50周年。↑ 天文ガイド創刊の経緯、100円で販売し始めた事、発売後すぐに池谷・関彗星が登場して、倍々ゲームのように発行部数が増えていったことなど色々と書いてあり、読むと面白い。↑ 池谷・関彗星の雄姿(1965年)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 天体写真の写し方/藤井旭/誠文堂新光社/1970年8月15日発行。天体写真を撮るときに、何度も読み返した本。ボロボロになった。↑ P158~159。左:コホーテク彗星(1973f)、右:池谷・関彗星(1965f)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 藤井旭の天体写真教室/藤井旭/誠文堂新光社/1976年11月1日発行。P65 彗星を写そう 1965年秋にあらわれた池谷・関彗星。
2020.07.27
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2013年11月29日、アイソン彗星 C/2012 S1が太陽の周りを回るときに消滅しました。彗星には氷や塵の塊である核があり、太陽の光で核が輝くとともに、太陽の高熱で核が少しずつ溶けて彗星の尾になります。アイソン彗星の場合、太陽に接近する段階で、核が溶けて空っぽになってしまい、消えてしまったようです。もし消滅しなかったら、2013年12月の空にアイソン彗星が再び現れ、ラブジョイ彗星 C/2013 R1 と一緒に見ることができると期待されていました。ラブジョイ彗星 C/2013 R1 ですが、2013年11月30日、12月1日の明け方の空で写真を撮りました。明るさは5等級くらいで、当然ながらアイソン彗星 C/2012 S1よりも暗かったです。↑ ベランダに設置した国際光器20センチ・ドブソニアン反射望遠鏡。【2013年11月30日】↑ ラブジョイ彗星 C/2013 R1 2013年11月30日4時34分 CANON IXI 3 コリメート撮影。↑ ラブジョイ彗星 C/2013 R1 2013年11月30日4時42分ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2013年12月1日】↑ ラブジョイ彗星 C/2013 R1 2013年12月1日4時41分 CANON IXI 3 コリメート撮影。ーーーーーーーーーーー【月刊天文ガイド 2014年1月号 誠文堂新光社】雄姿を見せたラブジョイ彗星 C/2013 R1↓ 2013年12月 ラブジョイ彗星 C/2013 R1の経路。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2013年11月29日に消滅したアイソン彗星 C/2012 S1
2020.07.26
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2013年11月、アイソン彗星 C/2012 S1が太陽に近づき、今世紀最大の明るい彗星になるのではないかと期待されました。光度を増加させながら太陽に近づき、11月29日に太陽に最接近した後、太陽の反対側から明るい彗星が出てくる予定でしたが、太陽の熱で彗星の核が溶けてしまったようで、アイソン彗星は消滅してしまいました。11月21日、22日、23日の早朝、ベランダから撮影したアイソン彗星の写真を載せます。彗星の尾が写っています。また、アイソン彗星の記事が掲載されていた[月刊天文ガイド」、「月刊星ナビ」、「SKY & TELESCOPE」、「ASTORONOMY」も紹介します。↑ マンションのベランダに設置した、国際光器20センチドブソニアン反射望遠鏡。明け方の東の空を観測するのに、床に望遠鏡を置くとベランダの壁が遮るため、キャンプ用の折り畳み台をセッティングし、すのこ板を重ね、その上に望遠鏡を置いた。↑ 明け方の空でアイソン彗星を見る。台の上に望遠鏡を乗せたので、水平線近くまで見ることができた。↑ 持っている接眼レンズで、記載のある㎜数は接眼レンズの焦点距離。10㎜と25㎜接眼レンズは望遠鏡購入時に付いていた。PHOTONの5㎜、32㎜は自分で購入した。私の反射望遠鏡の焦点距離は1,200㎜で、接眼レンズを変えると倍率を変えることができる。望遠鏡の倍率=望遠鏡の焦点距離/接眼レンズの焦点距離。1)32㎜接眼レンズの倍率=1,200㎜/32㎜= 37.5倍。2)25㎜接眼レンズの倍率=1,200㎜/25㎜= 48倍3)10㎜接眼レンズの倍率=1,200㎜/10㎜=120倍4) 5㎜接眼レンズの倍率=1,200㎜/ 5㎜=240倍彗星や星雲星団などを見るときは、1や2の低倍率レンズを使い、惑星の模様などを見るときには3,4の高倍率レンズを使用している。PHOTON32㎜接眼レンズは、望遠鏡の接眼部分の規格と合わなかったので、黄色いガムテープを巻いて合うようにした。↑ 彗星を見るときに私がよく使う接眼レンズ。1)32㎜接眼レンズの倍率=1,200㎜/32㎜= 37.5倍。2)25㎜接眼レンズの倍率=1,200㎜/25㎜= 48倍ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2013年5月21日明け方のアイソン彗星】↑ 2013年11月21日5時33分 アイソン彗星。国際光器20センチドブソニアン反射望遠鏡//32㎜接眼レンズ/CANON IXY 3 コリメート撮影。↑ 2013年11月21日5時34分 アイソン彗星。尾が見える。↑ 2013年11月21日5時42分 空が明るくなり、彗星が見えなくなってきた。ーーーーーーーーーーーーーー【2013年5月22日明け方のアイソン彗星】↑ 2013年11月22日5時24分 アイソン彗星。尾が見える。↑ 2013年11月22日5時26分 アイソン彗星。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2013年5月23日明け方のアイソン彗星】↑ 2013年11月23日5時26分 アイソン彗星。↑ 2013年11月23日5時28分 アイソン彗星。ーーーーーーーーーーーーーーーー【月刊天文ガイド/誠文堂新光社/アイソン彗星特集】↑ 月刊天文ガイド 2013年11月号 アイソン彗星 C/2012 S1 世紀の大彗星となるか!?↑ 月刊天文ガイド 2013年12月号 肉眼大彗星登場へ向けて いよいよ到来!アイソン彗星。↑ 「C/2012 S1 アイソン彗星 富士山麓の絶景ポイント」↑ ①田貫湖湖畔、②朝霧アリーナ、③道の駅朝霧高原が富士周辺の絶景ポイントとして紹介された。↑ アイソン彗星C/2012 S1の日の出時の動き。アイソン彗星は11月下旬まで太陽に近づき、11月29日に太陽を回り、12月には再び姿を見ることができたはずだった。しかしアイソン彗星は11月29日頃、太陽に最接近して消滅してしまった。↑ ついに到来! アイソン彗星C/2012 S1↑ 月刊天文ガイド 2014 年1月号 急増光!アイソン彗星↑ アイソン彗星C/2012 S1 急増光した彗星の今後はどうなる? (11月22日のアイソン彗星C/2012 S1 撮影:天文ガイド編集部)↑ 月刊天文ガイド 2014 年2月号 アイソン彗星消滅までの軌跡↑ 11月29日、アイソン彗星C/2012 S1は近日点を通過することができず、その一部のみをのこしてほぼ消滅した。。近日点通過時、世界の注目を集めたSOHO衛星画像からその経過をたどろう。(月刊天文ガイド 2014 年2月号記事 文:中野圭一 (IAU天文電報中央局アソシエイツ)【SOHO衛星LASCO C3によるアイソン彗星の変化】SOHOは「SOLAR AND HELIOSPHERIC OBSERVATORY :太陽・太陽圏観測機」の略で、欧州宇宙機関(ESA)とアメリカ航空宇宙局(NASA)が共同開発し、1995年12月に打ち上げられた。LASCO C3は「LARGE ANGLE AND SPECTROMETRIC CORONAGRAPH:広角分光コロナグラフ」の略で、SOHO衛星に付いている。遮蔽板で太陽を隠し、太陽のコロナなどを観測しているが、太陽に近づいた彗星の写真も沢山撮影されている。↑ アイソン彗星が画面右に少し見える。ーーーーーーーーーーーーーーーー【月刊星ナビ/アストロアーツ/アイソン彗星特集】↑ 月刊星ナビ 2013年11月号 明るくなってきたアイソン彗星↑ 月刊星ナビ 2013年12月号 いよいよ近日点通過 アイソン彗星↑ アイソン彗星とエンケ彗星 2013年11月位置(明け方・東南東)。↑ 月刊星ナビ 2014年1月号 アイソン彗星が11月29日近日点通過↑ 月刊星ナビ 2014年2月号 どうなったアイソン彗星 近日点通過時に崩壊消滅?↑ アイソン彗星の消滅。ーーーーーーーーーーー【Astronomy】↑ Astronomy 2014年3月号↓ アイソン彗星は太陽に遭遇し、生き残ることができなかった。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【SKY & TELESCOPE】↑ SKY & TELESCOPE 2014年3月号↓ アイソン彗星の早すぎた消滅。
2020.07.25
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2013年3月16日に、近所の河川敷でパンスターズ彗星C/2011 L4の写真を撮りました。望遠鏡は国際光器のWHITY DOB 20センチドブソニアン反射望遠鏡で、カメラは「CANON IXY 3」です。コリメート方式でカメラのレンズと望遠鏡の接眼レンズを近づけての撮影です。カメラの設定を変更していなかったので彗星が暗く写っていますが、本当は明るく見えました。2013年3月10日には知り合いの方と一緒に東京・池袋サンシャイン60に行き、展望フロアから彗星を見ようとしました。5センチ7倍のビクセン双眼鏡と、3センチの屈折望遠鏡(ファインダー)を持参しましたが、残念ながら彗星はよくわかりませんでした。フロアにはカップルが沢山いました。↑ 2013年3月16日17時16分。太陽が沈むのを河川敷で待つ。望遠鏡は国際光器のWHITY DOB 20センチドブソニアン反射望遠鏡。カメラは「CANON IXY 3」。↑ 2013年3月16日17時43分。↑ 2013年3月16日17時47分。日没。↑ 望遠鏡で東京スカイツリーを見た。↑ パンスターズ彗星C/2011 L4 2013年3月16日18時46分。国際光器WHITY DOB 20センチドブソニアン反射望遠鏡/カメラ「CANON IXY 3」。↑ パンスターズ彗星C/2011 L4 2013年3月16日18時47分。国際光器WHITY DOB 20センチドブソニアン反射望遠鏡/カメラ「CANON IXY 3」。接眼レンズを変えて、倍率を上げた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【月刊天文ガイドとパンスターズ彗星の記録】↑ 月刊天文ガイド 2013年2月号/誠文堂新光社。「パンスターズ彗星迫る!最新予測」↑ 月刊天文ガイド 2013年3月号/誠文堂新光社。「パンスターズ彗星最新情報! 3月10日に近日点を通過!肉眼彗星となるか!?」↑ パンスターズ彗星(C/2011 L4)の近日点通過(3月10日)まで約1か月をきった。↑ 月刊天文ガイド 2013年4月号/誠文堂新光社。「いよいよ到来!パンスターズ彗星」↑ 2020年3月のパンスターズ彗星位置図。3月16日に撮影をした。↑ 月刊天文ガイド 2013年5月号/誠文堂新光社。「まだ楽しめる! 4~5月のパンスターズ彗星藤井旭が見に行く2つの肉眼彗星 パンスターズ彗星&レモン彗星見聞録」↑ 月刊天文ガイド 2013年6月号/誠文堂新光社。「パンスターズ彗星の経過&アイソン彗星最新予報」↑ 月刊天文ガイド 2013年7月号/誠文堂新光社。「読者がとらえたパンスターズ彗星最新画像」 表紙:NGC7822に接近したパンスターズ彗星。↑ 4月4日 アンドロメダ星雲とパンスターズ彗星。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2013年3月10日、東京池袋・サンシャイン60の展望フロアの様子。↑ 2013年3月10日17時3分。サンシャイン60で、3センチの屈折望遠鏡をセッティング。↑ 2013年3月10日17時37分。日没を待つ。↑ 2013年3月10日17時40分。日没。↑ 2013年3月10日17時52分。富士山のシルエット。↑ パンスターズ彗星は分からなかった。
2020.07.24
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ネオワイズ彗星が光度を上げて2等級くらいになり、肉眼でも見えるらしいと聞き、毎日夕方に空をチェックするのですが、ずっと雨か曇りが続いていました。天気予報を見ると2020年7月19日夕方は晴れマークだったので、双眼鏡で彗星を探しました。大熊座の北斗七星をたどって彗星の予定位置を双眼鏡で見るも、西空は薄い雲に覆われており、残念ながら彗星は見えませんでした。翌日からは再び梅雨に入りました。「月刊星ナビ 2020年9月号/アストロアーツ」では、フランス・モンサンミッシェルの塔とネオワイズ彗星の美しい写真が表紙を飾ってあり、思わず見入りました。「今月の表紙」の説明欄には「モンサンミシェルを巡るネオワイズ彗星 撮影/Thierry Legault ソニーα7RⅢ シグマ135㎜ F1.8 DG HSM 2020年7月12日23時28分 フランス マンシュ県サン・マロ湾にて」とあります。↑ 方位磁針で方角の確認をする。↑ 2020年7月19日 20時53分、ネオワイズ彗星の予定位置を双眼鏡で見る。↑ 薄い雲が西の空を覆っており、彗星は分からなかった。↑ 月刊天文ガイド 2020年8月号/誠文堂新光社。NEOWISE(ネオワイズ)彗星C/ 2020 F3↑ P8 NEOWISE彗星C/2020 F3の経路図(夕方の空)。↑ 私が小学生の時に購入したビクセン製7X50双眼鏡。↑ 40年以上使っている双眼鏡。目的の星を探すとき、とても便利。↑ 残念ながら、内側のレンズにカビが生えている。2020年9月号の天文ガイド、星ナビ。↑ 「月刊星ナビ 2020年9月号/アストロアーツ」では、フランス・モンサンミッシェルの塔とネオワイズ彗星の美しい写真が表紙を飾っていた。
2020.07.23
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2020年6月21日(日)、東京では16時11分から18時3分まで部分日食が見られる予定だったので、朝から撮影の準備をしていました。しかし、天気予報通り、朝から空は厚い雲に覆われ、太陽を見ることができません。夕方になると雨が降ってきたので、部分日食はあきらめました。次に全国で見ることができる日食は、2030年になります。(朝)↑ 2020年6月21日 4時8分の空。 雲に覆われている。↑ 2020年6月21日 5時5分の空。 ↑ 2020年6月21日 5時5分の空。 ーーーーーーーーーーーー(午後)↑ 2020年6月21日 15時7分の空。↑ 2020年6月21日 15時37分の空。小雨。↑ 2020年6月21日 16時8分の空。強い雨が降っている。↑ 月刊天文ガイド 2020 JUL / 誠文堂新光社↑ 6月21日の部分日食を見よう!↑ 月刊星ナビ 2020 JUL / アストロアーツ↑ 6月21日 全国で部分日食。
2020.06.21
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2020年5月24日早朝、ドブソニアン20センチ反射望遠鏡をベランダに置き、北東の水平線近くにいるはずのスワン彗星を探しましたが、薄い雲が空を覆っており、再び彗星の姿を見ることができませんでした。最近はずっと雲の多い日が続き、晴天の日がありません。とても残念でした。↑ 2020年5月24日3時24分。国際光器ドブソニアン20センチ反射望遠鏡「WHITEY DOB 20」。キャンプ用折り畳みテーブルの上に置いて、水平線近くが見られるようにしている。接眼レンズは PHOTON 32mm 70° 2.0” Eyepieceで、望遠鏡の接眼部口径に合わせるため、黄色いガムテープを巻いて調整している。昔、ベランダで家庭菜園をしていた時、ウッドパネルを沢山敷き詰めていた。家庭菜園を止めたのでほどんどパネルを処分したが、少し残しているパネルを積み重ねて踏み台にし、望遠鏡の接眼レンズを覗くようにしている。↑ 接眼レンズは PHOTON 32mm 70° 2.0” Eyepieceで、望遠鏡の接眼部口径に合わせるため、黄色いガムテープを巻いて調整している。↑ テープを巻いている。↑ スワン彗星の位置図。↑ スワン彗星位置図。 北東の北寄りが5月24日の位置。↑ 2020年3月24日3時25分 北東の空。雲がかかっている。↑ 3時26分。スワン彗星の予想位置付近をゆっくり望遠鏡で動かしてみるも、薄い雲が覆われており、スワン彗星は分からなかった。↑ 3時46分。空が白んできた。↑ 4時12分。夜明け前の空。↑ 4時33分。日の出。↑ 4時34分。↑ 4時34分。太陽。カメラはCANON POWER SHOT SX720 HS ズーム望遠にして撮影。↑ 薄い雲に覆われた太陽。↑ ズーム撮影。
2020.05.25
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2020年5月15日朝、ベランダにキャンプ用テーブルを置き、その上に国際光器の20センチドブソニアン反射望遠鏡を設置しました。ベランダに手すりがあるため、テーブルを置かないと水平線近くに望遠鏡を向けることができないからです。北東方向の水平線近くに雲が残っており、薄明の中にスワン彗星を探すも、よく分かりませんでした。1週間以上天気が悪くなる予報があり、今回スワン彗星を見るのは難しいかもしれません。↑ 月間天文ガイド 2020年6月号/誠文堂新光社。↑ P11。 スワン彗星とアトラス彗星の位置図。↑ 月間星ナビ 2020年6月号/アストロアーツ。↑ P37。 スワン彗星の位置図。↑ 2020年5月15日2時1分。 左から、月、土星、木星が並ぶ。↑ 2020年5月15日3時29分。 北東付近の空。↑ 国際光器の20センチドブソニアン反射望遠鏡。 キャンプ用の折り畳みテーブルの上に望遠鏡を置いた。↑ 2020年5月15日3時47分。 北東付近の空。 水平線近くを雲が覆っている。↑ 2020年5月15日3時52分。 月の周りにも薄い雲が覆っている。↑ 2020年5月15日3時52分。↑ 2020年5月15日4時38分。 日の出。↑ 2020年5月15日4時38分。 薄い雲が覆っている。↑ 2020年5月15日4時39分。 月が雲に覆われている。
2020.05.15
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2020年5月13日早朝、月、木星、土星、火星の位置写真を撮りました。その後、東北東の低い位置に見えるとされる「スワン彗星」を探しましたが、雲があり、彗星は分かりませんでした。↑ 2020年5月13日3時14分。 月(中央)、土星(月の上)、木星(土星の右側)。薄雲がかかる。↑ 2020年5月13日3時15分。 火星(中央)、月(右上)、土星(月の上)、木星(土星の右)。↑ 2020年5月13日3時16分。 北東方向。地上からかなり上まで、雲がかかっている。↑ 2020年5月13日3時41分。 国際光器20センチドブソニアン(WHITEY DOB )でスワン彗星を探す。↑ 2020年5月13日3時42分。 スワン彗星が分からなかった。水平線上に雲がかかっており、もしかしたら、雲の後ろにスワン彗星がいるのかもしれない。↑ 2020年5月13日3時45分。 月(中央)、土星(月の上)、木星(土星の右側)。↑ 2020年5月13日3時46分。 火星(左)、月(右)、土星(月の上)、木星(土星の右)。↑ 2020年5月13日3時52分。 もう一度東北の空を望遠鏡で見たが、スワン彗星が分からなった。↑ 2020年5月13日4時54分。 雲から出てきた太陽。↑ 2020年5月13日4時54分。 半月。周りの惑星はもう見えない。↑ 2020年5月13日4時55分。 半月。
2020.05.13
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2019年3月2日、上野公園の国立技術博物館で「日本を変えた千の技術博」を見ましたが、一番興味をもったのが、小惑星探査機「はやぶさ:MUSEC-C」のコーナーでした。「やはぶさ」は2003年5月9日に鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、2010年6月13日にオーストラリアのウーメラ砂漠に帰還しました。小惑星「イトカワ」の砂を採取し、世界初の地球・小惑星間の往復飛行を達成しました。7年35日(2592日)の旅でした。小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジン運用記録が特別公開されていました。イオンエンジンの開発・運用担当者の國中均氏直筆ノートです。私が持っている本で「小惑星探査機『はやぶさ』の超技術 プロジェクト立ち上げから帰還までの全記録/川口淳一郎監修 「はやぶさ」プロジェクトチーム編/講談社ブルーバックス」のP170~195に、往復の宇宙飛行を可能にしたイオンエンジンとして國中均氏の説明文があります。P194の「コラム1-2 イオンエンジンの海外展開」として、「我々はイオンエンジンを「はやぶさ」のためだけに開発したのではなく、当初から産業化・量産化も視野にいれていました。NECはμ10をベースとしたマイクロ波放電式イオンエンジンの海外展開を狙って、米エアロジェット社と協業。人工衛星や探査機向けに、すでに受注活動を開始しています」と書いてあり、今後の幅広い分野での発展が期待され、感心しました。↑ 小惑星探査機「はやぶさ」MUSES-C。「はやぶさ」は小惑星「イトカワ」探査のため、2003(平成15)年5月9日に内之浦宇宙空間観測所から旅立って、7年間、60億キロメートルを旅して、小惑星からのサンプルリターンを果たした探査機である。主要な目的のひとつが、イオンエンジンを主推進機関として惑星間を航行することであった。ミッションの途中で交信が途絶え、重大なトラブルを抱えながら地球にサンプルを届けた様子は、人々に感動を与えた。↑ 「はやぶさ」に搭載されたイオンエンジン μ10(ミューテン)。イオンエンジンは、衛星に搭載されている電気推進機だ。「はやぶさ」ではイオンエンジンの耐久性を高めるため、プラズマをつくる電極を無くし、イオンを引き出すグリッドとよばれる電極に炭素複合繊維を使用した。↑ イオンエンジン μ10(ミューテン)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 初公開! あの小惑星探査機「はやぶさ」のドラマが克明に記されたノート。↑ 小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジン運用記録。2003(平成15)年。イオンエンジンの開発・運用担当者の國中均氏直筆ノート。解説も國中氏による。打ち上げ後、温度設定から記録が始まり、1台目点火、2台目、3台目、4台目、2台同時運転、3台同時運転、24時間連続運転・・・と失敗しながらも進む様子が読み取れる。地球へ帰還させるための苦闘の記録でもある。↑ イオンエンジンの開発・運用担当者の國中均氏直筆ノート。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2003年】5月9日~5月29日。↑ 5月9日 :2003年5月9日MUSES-C打ち上げ、改名して「はやぶさへ」。↑ 5月27日 :真空暴露して付着ガスを放出して、5月27日にスラスタCの点火試験を実施。スムーズにプラズマ着火に成功。そのまま非加速で維持。すると18分後にモード変化して、ケーブル温度が急上昇したので、慌てて停止。↑ 5月28日 :スラスタCにプラズマ点火し30分維持、引き続き1KVでプラズマ加速に成功。30分後1.5KVに上昇させ30分加速に成功。同時に地上からの温度計測を行い、推力発生を確認!。↑ 5月29日 :スラスタBの運転に取り掛かる。まずプラズマ点火のみ。10分後にモード変化が発生したので急停止。スラスタCと同様の挙動のため、再点火して30分維持。次に1.5KV加速を40分実施。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2003年】6月8日~6月11日。↑ 6月8日 : スラスタAとCの2台連続運転を実行。それぞれ可動を確認した。2台同時運転を10分ほど継続すると大きな放電が発生し、制御系に異常を発生。緊急停止。↑ 6月9日、10日 :放電抑制するために、付着ガスの放出を目指して、探査機のX面パネルのベーキングを実施。姿勢を傾けて太陽光を入射させ、さらにヒーター加熱により50℃環境で2日間保持。↑ 6月11日 : スラスタAとCにて約1時間の同時運転を達成。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2003年】6月12日~7月6日。↑ 6月12日 : スラスタBとDで約時間半の同時運転。↑ 6月13日 : BCD3台運転、約2時間を実施。↑ 7月6日 : 前日よりBCDの3台で連続運転に挑戦するも、不可視中約6時間運転されたが、7月6日に自動停止した状態で入感。引き続き連続運転に挑戦。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【2003年】7月7日~7月10日。↑ 7月7日 : 7月7日も約4時間運転されたが、やはり自動停止状態で入感。↑ 7月8日 : Cのみ停止した状態で入感。BD2台による自動運転に成功。この日は、引き続きBD2台を続行。↑ 7月9日 : BD2台運転のまま入感。3台運転に移行。↑ 7月10日 : BCD3台運転を維持したまま入感。初めて3台自動運転を達成!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↑ 私が持っている本で「小惑星探査機『はやぶさ』の超技術 プロジェクト立ち上げから帰還までの全記録/川口淳一郎監修 「はやぶさ」プロジェクトチーム編/講談社ブルーバックス」↑ P170~195に、往復の宇宙飛行を可能にしたイオンエンジンとして國中均氏の説明文がある。↑ P188。μ10(ミューテン)の動作原理図。
2020.04.13
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初代小惑星探査機「はやぶさ」は、2003年5月9日に鹿児島県内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、地球から約3億キロはなれた小惑星「イトカワ」まで飛行し、表面の砂を持ち帰ることを目指しました。姿勢をコントロールする装置(リアクションホイール)を3基搭載していましたが、イトカワ着陸前に2基が故障したため、残りの1基とエンジン噴射を利用して姿勢をコントロールし、2005年11月にイトカワに着陸しました。着陸時にはやぶさから金属弾を地表に打ち出し、跳ね返った石や砂を採取する予定でしたが、うまく発射できませんでした。しかし、着陸の時に舞い上がった砂がカプセルに入りました。地球への帰還時にもトラブルが多く発生し、化学エンジンが燃料漏れを起こし、姿勢の制御が難しくなったり、2006年1月にはやぶさとの通信ができなくなり、当初予定であった2007年6月帰還ができなくなりました。2009年11月にはエンジンに故障が発生しました。たまたま別々のエンジンがつながるような回路を組み込んでいたため、故障していないエンジン部分を組み合わせました。2010年6月13日、はやぶさは奇跡的に地球に帰還し、大気圏に突入して燃え尽きました。イトカワの砂が入ったサンプルははやぶさから分離され、オーストラリアのアボリジニの聖地であるウーメラ砂漠に落下し、回収されました。当時の新聞記事をノートに貼っていたので見返すと、2010年6月2日に野口聡一さんが宇宙ステーションから帰還されたり、2010年4月20日に山崎直子さんが宇宙ステ―ションから帰還し、出身地である千葉県松戸市で5月22日にパレードが行われた記事が残っています。山崎さんのパレードは見に行き、写真を撮りました。↑ 2014年9月13日、宇宙博にて。 小惑星探査機はやぶさの実物大模型と記念撮影。↑ 小惑星探査機「はやぶさ」。↑ マイクロウェーブ イオンエンジン。↑ イオンエンジン A,B,C,D。↑ 小惑星「イトカワ」の模型。 ラッコのような形。↑ サンプルを入れたカプセルの模型。↑ カプセルの内部。サンプルは真空の中で保存されていた。↑ 「はやぶさ2」の模型。↑ ノートに貼りつけていた、はやぶさに関する当時の切り抜き記事。 ジャパンタイムス。↑ 2010年6月14日 朝日新聞切り抜き。↑ ジャパンタイムスの切り抜き。2010年6月15日。”Hayabusa capsule recovered intact" はやぶさのカプセルが無事に戻った。↑ オーストラリアのウーメラ砂漠で、はやぶさから分離したカプセルを回収している所。カプセルはパラシュートで落下した。パラシュートを開くために使った火薬が残っている可能性があるため、防護服を着てカプセルの回収が行われた。【手元にある、はやぶさに関する本】↑ カラー版 小惑星探査機はやぶさ 「玉手箱」は開かれた/川口淳一郎/中公新書↑ はやぶさ 不死身の探査機と宇宙研の物語/吉田武/幻冬舎新書↑ ブルーバックス 小惑星探査機「はやぶさ」の超技術 プロジェクト立ち上げから帰還までの全記録/川口淳一郎監修 「はやぶさ」プロジェクトチーム編/講談社↑ 2010年6月2日に野口聡一さんが宇宙ステーションから帰還。 (ジャパンタイムス 2010年6月3日付)千葉県松戸市で2010年5月22日に、山﨑直子さんの帰還パレートが開催。写真を撮った。↑ パレード車に乗った山﨑直子さん。
2019.07.23
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今から50年前の1969年7月20日(日本時間7月21日)、アポロ11号が月に着陸し、アームストロング船長の「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」という有名な発言が、世界中に放送されました。宇宙開発競争は旧ソ連が先行し、1957年にソ連が人類初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げ、1959年にはソ連の探査機が月の裏側を初撮影し、1961年4月12日にはソ連のガガーリンが初めて宇宙飛行をして「地球は青かった」と言いました。アメリカはその後キューバ危機を迎え、窮地に陥ったアメリカのケネディ大統領は、ソ連に勝つため「10年以内に人を月に着陸させる」と宣言しました。そしてその8年後にアメリカのアポロ11号が月に到着します。私は小学生の時、東京に月の石が展示されるという事で、東京の叔父の家に遊びに行き、石を見ました。どこにでもあるような石に見えましたが、本物を見たというだけで嬉しかったことを覚えています。その後は渋谷の五島プラネタリウムを見て、星座のメダルを買いました。アポロ計画の中で一番興味があったのは、アポロ13号の奇跡の生還です。シンガポールに住んでいたとき、アポロ13の映画が封切られたので、妻と一緒に映画館に行きました。無事に帰還できるかどうか、手に汗握る感じでした。立花隆さんが書かれた本の中で、宇宙飛行士とのインタビュー記事があり、宇宙飛行士が宇宙にいる時、そして帰還した後にどのような事を考えているか詳しく書いてあり、考えさせられました。↑ 2014年9月13日、宇宙博にて。↑ 2019年7月21日 朝日新聞。 ケネディ、対抗のアポロ計画。↑ 有人宇宙開発の歴史。↑ 月刊星ナビ/2019年7月号/アストロアーツ/アポロ11号月面着陸から50年。↑ 星ナビ2019年7月号特別付録。 アポロ計画全記録「偉大な一歩」から半世紀。↑ 月刊星ナビ/2019年8月号/アストロアーツ/ 月探査から月利用へ。アポロが拓いた月の科学。【手元にある、宇宙飛行士関係で読んだ本】↑ アポロ13/J・ラベル、J・クルーガー/新潮文庫。↑ 宇宙からの帰還/立花隆/中公文庫。↑ アポロ13号奇跡の生還/ヘンリー・クーパーJr/新潮文庫。↑ 宇宙を語るⅠー宇宙飛行士との対話 /立花隆/中央公論新社。↑ 宇宙を語るⅡー人類と宇宙の未来/立花隆/中央公論新社。↑ 宇宙よ 上/立花隆 秋山豊寛/文藝春秋 ↑ 宇宙よ 下/立花隆 秋山豊寛/文藝春秋 ↑ 毛利衛、ふわっと宇宙へ/毛利衛/朝日新聞社。↑ ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験/大鐘良一、小原健右/光文社。
2019.07.21
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2019年7月11日、JAXAのはやぶさ2が小惑星リュウグウに再着陸し、地下の砂や石を採取することに成功しました。小惑星の表面は太陽風、放射線にさらされて風化していますが、人工クレーターを作って地下を出し、そこに弾丸を打ち込んで舞い上がった砂をカプセルに収めました。約46億年前に太陽系が誕生したころのままの物質を手に入れることで、太陽系や生命の謎を深く研究することが期待されます。↑ the Japan times JULY 12,2019. / ジャパンタイムス 2019年7月12日【記事の一部の紹介】Subsurface samples may hint at solar system origin.In world first, JAXA collects asteroid debris.地下のサンプルが太陽系の起源のヒントになるかもしれない。 世界で初めてJAXAが小惑星の破片を採取。はやぶさ2探査機は、金曜日(2019年7月21日)に遠方の小惑星で完全なタッチダウンを行い、表面下のサンプルを収取した。これは太陽系の起源に光を与えることができる前例のないミッションである。着地成功の確認が取れた1時間後、神奈川県相模原市のJAXA (Japan Aerospace Exploration Agency : 宇宙航空研究開発機構)の歓喜に満ちた記者会見場で、プロジェクトマネージャーである津田雄一氏が「太陽系の歴史の一部を採取したのです」と言った。「今まで月よりも遠方の天体から、地下の物質を採取した事は無く、私たちが世界で一番先に行い、成功したのです」と付け加えた。探査機は午前10時30分頃に2回目の小惑星に着陸し、送られてきた初期データがタッチダウンの成功を示していたので、相模原の管制室では拍手や歓声が上がった。着陸確認連絡は、はやぶさ2が小惑星から上昇し、管制室と通信を再開した時に届いた。研究総主幹の久保田孝氏は「大成功だ」と言い、津田氏は「100点満点中1,000点です」と笑った。そして「探査は完全に行われ、チームの準備作業も完全であった」と言った。サンプルを採取したことにより、探査ミッションはほぼ終了し、今年末の地球への帰還が始まる。土屋氏は「まだサンプル採取をした段階であり、私たちはサンプルを持ち帰るために、探査機を注意深く操作しなければならない」と言った。はやぶさ2は、人工的に作ったクレータの中央から20メートル離れた場所から、幅7メートルのターゲット場所にタッチダウンした。探査機はチューブを地上に伸ばして小さな金属弾を発射し、舞い上がった地下の砂を採取するのに成功した」と関係者は語った。小惑星は地球から3億km離れており、はやぶさ2にとって、木曜日の短時間の着陸は2回目である。複数年に渡る複合ミッションだが、ローバーやロボットを地表に送る計画も含まれている。JAXAによると、リュウグウの表面は太陽風の影響にさらされているが、地下のサンプルには、46億年前に誕生した太陽系の姿をたどることができる物質があると信じられている。その黒色の物質には、有機物質や水が含まれているかもしれないとの事である。↑ 2019年7月12日 朝日新聞。 はやぶさ2 地下の砂採取か。 ↑はやぶさ2が小惑星に着陸した瞬間。砂や石が舞い上がっている。 ↑ 2019年6月27日 朝日新聞。 はやぶさ2 最大の挑戦。この記事の中には、下記のように面白い事が書いてある。リュウグウは現在(2019年6月現在)太陽に近づいていて、着陸が遅くなるほど地上は熱くなり、100度前後になることもある。そのためJAXAは当初、6月末の着陸も想定していた。しかし、その後の調べて、7月半ばでも80度ほどに収まることが判明。それならばと時間をかけて準備することにした。↑ 月刊天文ガイド 2019年8月号/誠文堂新光社。↑ 「2019・7・11 はやぶさ2 2回目のタッチダウン!」↑ 月刊星ナビ 2019年8月号/アストロアーツ。↑ はやぶさ2 ミッションレポート。 リュウグウの”黒い砂”を採れ! いよいよ第2回着陸へ。
2019.07.20
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2019年5月5日、M87星雲を探した後、おとめ座のM104(ソンブレロ星雲)を見ました。ソンブレロ星雲は、メキシコ人が被る帽子ソンブレロに似ているので付けられました。小学生の時は広島市内に住んでいましたが、持っていたビクセン・ポラリス8L屈折赤道儀望遠鏡でM104を見ると、ソンブレロ星雲の形がきれいに見えて、感動しました。今回少し期待をしていたのですが、光害がひどく、なんとなくという感じでした。いつか山の方へ望遠鏡を持って行き、星雲を見たいと思います。↑ 最新版 全天恒星図/昭和51年10月25日第11版/広瀬秀雄、中野繁/誠文堂新光社。↑ 上記本P46~47。 M104は青色で囲んでいる。おとめ座とからす座の境目。↑ 春の星座。 Canon Power Shot SX720 HS 1秒/ASA3200。↑ スピカ。 おとめ座の一等星。↑ M104 ソンブレロ星雲。 ↑ 星雲・星団ガイドブック/藤井旭/誠文堂新光社。↑ 星雲・星団ガイドブック/藤井旭/誠文堂新光社 P203。
2019.05.08
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2019年4月10日、国際研究チームが巨大ブラックホールの撮影に成功したとの発表がありました。撮影したのは、地球から約5500万光年離れた「Ⅿ87」銀河にあるブラックホールです。ブラックホールに吸い込まれる際に周囲のガスが発するミリ波を観測し、画像に変換することができました。2017年4月に世界6か所の電波望遠鏡でおとめ座のⅯ87銀河、いて座Aスターのブラックホールを5日間観測し、約2年間分析した結果、M87でガスの光に包まれた黒いブラックホールの姿が確認できました。2019年のゴールデンウィークは天気が悪かったのですが、2019年5月5日夜は晴れたので、20センチの反射ドブソニアン望遠鏡を出して、おとめ座のM87銀河の撮影をしました。光害がひどく、空は一等星が見える程度で、双眼鏡やファインダーで場所を確認していきました。ポケットカメラの「Canon Power Shot SX720 HS」を望遠鏡の接眼レンズに近づけて、コリメート方式で撮影しました。1秒:ASA3200です。M87は、なんとなく存在が分かる程度ですが、写っていました。↑ ブラックホール初撮影。 5500万光年先を直接観測。 日本など国際チーム。2019年4月11日 朝日新聞。↑ ブラックホール 続く謎解き。 今回判明 半径200億キロ・ほぼ「真円」。2019年4月18日 朝日新聞。↑ 国際光器 WHITEY DOB 20、 20センチ反射ドブソニアン望遠鏡。↑ うしかい座の一等星「アークトウルス」。 この星を基準に、双眼鏡、ファインダー、星図でM87を探す。↑ おとめ座とかみのけ座のエリアは、銀河がいっぱい存在している。この中にM87がある。↑ M87銀河。うっすらと写っていた。↑ 最新版 全天恒星図/昭和51(1976年10月25日 第11版/誠文堂新光社。↑ 全天恒星図。P46~47。↑ M87銀河は、青色の線を引いている。↑ M87の位置。(青い線)。↑ 星雲・星団ガイドブック/1974年3月29日第4版/藤井旭/誠文堂新光社。↑ M87の位置。 星雲・星団ガイドブックP201。↑ 巨大ブラックホールの謎 宇宙最大の「時空の穴」に迫る/本間希樹/ブルーバックス/講談社。↑ 月刊天文ガイド2019年6月号/誠文堂新光社/「ブラックホール 影の撮影に成功!」↑ 月刊星ナビ2019年6月号/アストロアーツ/「ついに捉えたブラックホールの影」
2019.05.06
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2019年2月22日7時29分、JAXAの探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」へのタッチダウンに成功しました。事前に地面に投下しておいたターゲットマーカを目印にして、500m上空から自動運転で降下し、約1時間後に着陸するとともに、弾丸を地面に発射して砂や石を回収後、すぐに上昇しました。サンプルを回収する部分はサンプラーホーンという筒ですが、筒の先が内側に折り返されており、発射トラブルがあっても、巻き上がった砂が折り返しに乗っかる設計で、必ず何かを持ち帰られるようになっていたそうです。小惑星「リュウグウ」の地形には、「子供たち向けの物語に出てくる名称」を付けることになりました。地名については、JAXAのホームページや、月刊星ナビ2019年3月号/アストロアーツ発行に紹介されています。JAXAの方はかなり詳しく紹介されており、2019年2月1日付で、地名の「トリニトス」を「トリトニス」に変更したことなども書かれていました。↑ the japan times FEBRUARY 23, 2019.「ハヤブサ2が小惑星に着陸」生命の起源と太陽系の手がかりを得る事を目的として、地球から3億キロも離れた小惑星「リュウグウ」を調査するためJAXAにより打ち上げられた探査機が、金曜日にその岩の天体に無事に着陸した。ハヤブサ2から送られてきたデータからは、探査機のスピードと方向の変化が分かり、探査機が小惑星に着陸し、地面を発破して軌道上に戻ったことが示されていた。金曜日の朝、神奈川県相模原にあるJAXAのコントロールルームで約50人の作業管理チームとその他約20人が進行状況を見守っていたが、ハヤブサ2が着陸し、弾丸を発射した事を裏付けるシグナルが届くと、歓声が沸き起こった。ガッツポーズをしたり、拍手をしたり、抱き合ったりする人もいた。↑ 2019年2月28日 はやぶさ2 精密着陸。 朝日新聞。↑ 月刊星ナビ2019年3月号/アストロアーツ発行↑ 小惑星「リュウグウ」の地名。「モモタロウ クレーター」、「キビダンゴ クレーター」「ウラシマ クレーター」、「キンタロウ クレーター」、「ブラボー クレーター」、「コロボック クレーター」「サンドリヨン(フランス語でシンデレラ)クレーター」、「オトヒメ岩塊」など、昔話にちなんだ名前が付いている。「トリニトス」は2月1日付で「トリトニス」に変更されたとのこと。(JAXAホームページより)注)地名にある「トリトニス」と「アリスの不思議の国」は、移動探査機MINERVA-II1(ミネルバ)と小型着陸機MASCOT(マスコット)の着陸地点のニックネームで、IAU(国際天文学連合)が認めたものではない。↑ 元になった物語が、リストの右側に書いてある。日本以外に、フランスの「シンデレラ」、ロシアの「コロボック」、オランダの「ブラボーと巨人」、アメリカの「ケイジャン民話」とある。オランダとアメリカの話は知らないので、今度調べてみようと思った。
2019.02.23
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2019年2月1日明け方の様子です。夜に少し雪が降っていたのですが、明け方は快晴で、月、金星、木星が良く見えました。道端には雪が残っていました。↑ 2019年2月1日明け方。 左から月、金星、木星。↑ 月、金星、木星。↑ 明るくなり、星が見えにくくなってきた。↑ 雲に光が当たっている。↑ 日が昇ってきた。↑ 道端に残る雪。↑ 水たまりが凍っていた。
2019.02.02
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2019年1月6日午前、部分日食を見ることができたので、写真を撮影しました。東京では食の始めが8時46分、食分最大(42%)10時6分、食の終りが11時36分です。10時半すぎ頃から雲が太陽を覆い、写真を撮ることができなくなり、残念でした。直径3センチのファインダ―望遠鏡に、太陽観望用の日食メガネフィルムを付けたところ、太陽の熱ですぐにフィルムに穴が空いてしまいました。そのため、カメラの 「Canon Power Shot SX720 HS」のレンズに日食メガネフィルムを付け、直接ズームで日食の撮影をしました。フィルムに穴が空くことは無く、問題なく撮影できました。カメラはズーム機能で望遠にし、液晶スクリーンを見ながら太陽のサイズを大きくしました。三脚は無いので、マンションの手すりにカメラを置いて、簡単撮影をしています。(オートに設定し、感度もシャッター速度も自動です)↑ 2019年1月6日 7時5分。 太陽が出てきた。↑ 雲が流れる。↑ 9時4分。 太陽が欠けはじめる。↑ 9時15分。↑ 9時29分。↑ 9時44分。↑ 9時55分。↑ 10時9分。 食分最大あたり。(42%)↑ 薄い雲が太陽を覆う。↑ 10時15分。↑ 10時29分。↑10時51分。 厚い雲が太陽を覆ってきた。↑ 日食終了。雲で太陽が良く見えない。↑ 月刊星ナビ 2019年1月号/アストロアーツ↑ 月刊星ナビ 2019年1月号/アストロアーツ/30ページの部分日食図。 ↑ 太陽観望用日食めがねを切る。↑ 日食メガネの減光フィルム。↑カメラ「Canon Power Shot SX720 HS」のレンズに、減光フィルムを付ける。↑ カメラを望遠にして、日食を直接撮影した。【下記はキャンセルした方法】↑ 直径3センチのファインダー屈折望遠鏡に、太陽観望用に日食めがねの減光フィルムを貼りつける。↑ ドブソニアン望遠鏡の接眼部に、ファインダー望遠鏡をガムテープで固定してみた。↑ 太陽にレンズを向けると、すぐに太陽の熱でフィルムにピンホールができた。↑ 小学生の時、太陽の光を虫メガネで黒い紙に当て、紙を焦がしたが、それと同じ状況になったので、この方法は止めた。
2019.01.06
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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。2019年1月1日の夜明けです。 (カメラはCanon Power Shot SX720 HS)↑ 2019年1月1日 5時36分。うしかい座のアークトウルス、おとめ座のスピカ、月、金星、木星、さそり座のアンタレスが見える。↑ 5時45分。 春の星座、月、金星が写る。↑ 6時1分。 月、金星、木星、アンタレスが見える。↑ 月。↑ 金星。 半月になっている。↑ 6時3分。木星とさそり座のアンタレス。↑ 6時8分。東の空が赤くなってきた。↑ 6時18分。 月と金星。↑ 6時54分。↑ 6時56分。↑ 6時59分。 初日の出。↑ 家から見える富士山。
2019.01.02
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2018年12月28日夜、快晴だったので、ウィルタネン彗星を撮影しました。彗星はぎょしゃ座とやまねこ座の境界近くにいました。12月18日に見た時より、暗くなっています。おうし座のゼータ星近くにあるM1「カニ星雲」も写真に撮りました。暗い所ならば双眼鏡でも見つけることができますが、街路燈、防犯灯に囲まれている街中では、本当にかすかな姿しかわかりませんでした。私が小学5年生の時、ビクセンのポラリス8L(8センチ屈折赤道儀望遠鏡)を購入し、晴れた時には望遠鏡を庭に出して、星雲星団を探していました。北極星が見えない場所なので、「最新版 全天恒星図 1950年分点/誠文堂新光社」の恒星図を見ながら、ファインダーで星をたどっていきます。ファインダーが逆像なので、上下左右を反対に考えて望遠鏡を動かしました。恒星図に線を引いたり、色を塗ったりし、自分で使いやすいようにしており、この歳になってもこの恒星図を使っています。「カニ星雲」は小学5年生の冬に、望遠鏡で見ました。よほど嬉しかったのか、恒星図に「カニ星雲」と手書きをしています。↑ ウィルタネン彗星。2018年12月29日の位置。12月15日、18日はおうし座にいたが、今はぎょしゃ座を通過し、やまねこ座との境界近くにいた。↑「最新版 全天恒星図 1950年分点/誠文堂新光社」。ぎょしゃ座とやまねこ座付近。小学5年生の時に恒星図を購入し、星座の線を引いたり、色を付けたりした。ボロボロになったが、とても愛着があり、いまだに使っている。↑ ウィルタネン彗星。2018年12月28日。 前回よりもかなり暗くなっている。↑「最新版 全天恒星図 1950年分点/廣瀬秀雄 中野繁共著/誠文堂新光社」。↑ おうし座のM1「カニ星雲」の位置。↑ 恒星図のおうし座。中央はヒアデス星団。右上はすばる(プレアデス星団)、左側にゼータ星( ζ )があり、その近くに「カニ星雲」がある。↑ おうし座ゼータ( ζ )星近くの「M1カニ星雲」。小学5年生の時に8センチ屈折望遠鏡で見つけ、嬉しくて星図に記入した。↑ M1.かに星雲。 矢印の横に、本当にうっすらと写っている。街中で街灯が光っている状態では、かすかにしか見えない。画面右上の明るい星が、おうし座のゼータ星。それを基準にして「かに星雲」を探す。星雲はぼやけた菱形をしており、暗い空ではカニの手のような模様が見えるので「かに星雲」と名付けられた。約900年前に爆発した超新星の残骸で、藤原定家が書いた「明月記」に、2年間輝いた後に消えていった事が記述されている。↑ 星雲・星団ガイドブック/藤井旭/誠文堂新光社/1974年3月29日第4版発行。星に興味が出てきた小学4年生の時に購入した。夜露で本が濡れてごわごわになるため、当時対策としてセロテープで本の表紙、裏表紙を張り、補強した。↑ M1 カニ星雲の記載。P98~99。 掲載されている星夜写真は、ファインダーで星雲・星団を探すときに参考になる。↑ 「「藤井旭の星雲星団観測教室/藤井旭/誠文堂新光社/1982年6月20日発行。↑ P55。 藤井旭さんの解説。↑ M1カニ星雲の写真あり。↑ 20センチ反射ドブソニアン望遠鏡。 公園の防犯灯の光の影に望遠鏡を置いている。↑ 中央のぎょしゃ座は、天の川が流れており、星団がその中にある。↑ M38 ぎょしゃ座の星団。↑ M37 ぎょしゃ座の星団。↑ 中央のオリオン座を中心にした、冬の星座。↑ M42 オリオン座大星雲。↑ ふたご座。↑ M35 ふたご座の星団。↑ おおいぬ座ととも座。小学5年生の時に望遠鏡で見て嬉しかったので、丸をしたのだと思う。↑ M41 おおいぬ座の星団。↑ M46 とも座の星団。
2018.12.29
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2018年11月25日の岡部隕石落下60年記念イベントですが、本物の岡部隕石を見る事が出来ました。記念講演会でも面白い話をいっぱい聞くことができ、勉強になりました。・「落下が目撃された貴重な隕石ー岡部隕石の価値」:米田成一氏(国立科学博物館物理化学グループ長)・「60年ぶりの新証言ー岡部隕石落下経路の再検討」:佐藤幹哉氏(日本流星研究会)・「隕石はどこからやってくる?-岡部隕石の成分」:三河内岳氏(東京大学総合研究博物館教授)・「岡部隕石が導く宇宙ー岡部隕石と太陽系」:渡部潤一氏(国立天文台副台長)・ 前田知恵さん(古天文愛好家)挨拶。↑ 岡部隕石の紹介。↑ 東京科学博物館の本物の岡部隕石を見ることができた。 酸化するので手で直接触ってはいけない。↑ ギベオン隕石。これは触っても良い。「落下が目撃された貴重な隕石ー岡部隕石の価値」:米田成一氏(国立科学博物館物理化学グループ長)↑ 東京科学博物館から持参された本物の岡部隕石。↑ つくば隕石落下の様子。つくば隕石は分散して落下した。↑ 小牧隕石。屋根に落ちた。↑ 日本に落ちた隕石の紹介があった。↑ 861年に落下した直方隕石。↑ 南野隕石。↑ 隕石の落下に驚く人々。尾張名所絵図付録。↑ 気仙隕石。↑ 三保関隕石。 民家の屋根を突き破った。↑ 田原隕石。↑ 船の甲板に落ちた。↑ 根上隕石。 車に落ちている。↑ 白萩隕石。↑ 隕石で刀が作られた。「60年ぶりの新証言ー岡部隕石落下経路の再検討」:佐藤幹哉氏(日本流星研究会)↑ 寄せられた2つの証言では、放射点が合わなかった。↑ 向きを変えて検討すると、放射点があった。↑ 新証言がでたので推定経路を再検討。「隕石はどこからやってくる?-岡部隕石の成分」:三河内岳氏(東京大学総合研究博物館教授)火星にもたくさん隕石が落ちている。南極の氷の上に、沢山隕石が落ちている。「岡部隕石が導く宇宙ー岡部隕石と太陽系」:渡部潤一氏(国立天文台副台長)小惑星の接近は予定されており、背広で事前にビデオ撮影されていた。隕石落下は予定されておらず、急遽インタビューを受けており、背広ではなかった。前田知恵さん(古天文愛好家)挨拶。
2018.12.21
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