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明日卒業式ですいままでいろんなことがありましたが、それら全てから今の自分は出来上がったので忘れるなんてとんでもない。アルバムを開いて昔の自分を見つけるとちょっと哀愁を感じますね。先日前期試験があって、とにかく答案を作ってきましたがたいした出来ではなく、合格確率はゴブゴブってところかな。もしツルッといったら後期試験を受けねばなりませんが、試験は面接だけで、対策をやろうとは・・・思わない。残念。そういえば、このブログは絶対に友達にバレてはいけないこのことは厳守せねばならないあえて過去の日記の一部をとっておく理由は、それが今の自分にとっての、まぁエッセンスとでも言うべきか・・・。もしも大学に受かったとして、その貴重なモラトリアムを一日たりとも無駄にしたくない。これは、例えていうならハチドリの羽ばたきのような発想である。
2011.03.01
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普通列車40分遅れしかも発射20分おくれっておまい・・・駅ついてからもう一時間たつのにさらにもう一時間普通列車一本のためにまつんでつかwwww帰りたいんですけどwwwwwもう特急券ただでくださいwwww今からこのペースだと家つくの12時すぎるわ午前中に学校で調査書もろて終了切符かって改札通ったから出られないしまさに軟禁乙都会の駅だったら多少は時間つぶしスポットあるでしょうけどそんなのないよwww地方ド田舎だからwww普通列車はたまにしか来ない。ひどいときには一時間に一本未満の小数点付き。それなのに新幹線誘致しようっつって嬉しそうに線路途中までひいてるJR寝てないではやく目を覚ましてね(笑)
2011.01.26
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(去る11月23日私は家のガレージでモシャモシャ・・・)(サン、ハイッ)なんてね(笑)吊る訳ないってマジで。NEKODORAの一年ドッキリプロイェクト。いかがだったかにゃ??夏休み頃からストパン見始めてすっかりズボンとベルトの虜に。一期二期ともに6話のエイラーニャ回がお気に入りでウォークマンにいれていつも持ち歩いてますでもね俺オタクっぽい趣味やめようと思う。そっちの方が趣味あうひと多くてだいがくで友達できそうだし、高校の今の友達に相談したら、絶対そっちがいいって。だから俺アニメとかグッズとかに執着するのやめます。でも日記つけるのはやっぱり好き。毎日大事に過ごしてるみたいで、特に大学行ってからはそんな風にしたいから、来年からはまた書くからね。そのときはというかこれからも、みなさんヨロシク!あ、あと最近のマイブームは学校の体育でテニスをすること。週三回の体育のうち二回テニス、一回バレー。バレーのサーブ入んないからパンチして入れてます。クラスでウケてるみたいで、なんか流行ってます。思い出せば大変だった昔。でも今はがんばってる。そんな俺。ニックネームをakahitoに変える予定ですじゃねー☆ミ
2010.11.21
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俺は勉強していないから勉強がうまくいってないのか、勉強できなくなったからうまくいっていないのか。かつてシャアの言葉を借りて私が言っていたように、戦士は生きている限り戦わねばならんのか。ブログで簡単に明記することもできないような、決して人には言えない非行を重ねた高校二年間。その実態は、飲酒、喫煙、自殺未遂。働きたい、就職したいと、そう言っていながら、その行く末を内心では恐れ、単純に勉強したくないだけだったのか人は変わってゆく。良いほうにも悪いほうにも、過去の意志にとらわれることなく。その信念をついぞ忘れてしまう限りは、ありとあらゆるものは全て無に帰す。ただ、たった俺だけが昔のまま時間が止まっている。何も変化を遂げていないのは自分自身。他の奴らはそれぞれでやってるみたいだし、皆はそれぞれがそれぞれの所に飛んでいって世界を見ている。毎日自分に磨きをかけることがうれしく、多くの友人をもち、試練も苦難しつつ乗り越え、笑って笑って、たまに泣いて、あれほど輝いていたのにもかかわらず、俺の世界は打ち砕かれてしまった。今の俺には昔のような強さは無い。他人と会う度に腹の底をさぐる。誰と誰の差し金で、何をしようと考えているのか。そればっかりが俺の心を支配したので、俺は道連れにしようとしたが、失敗した。ああ、生きているから、俺はまたチャンスを得たのだ、とは思わず、むしろ、ああ、死に損なった、くそ、と思った。もう限界なんだから、どうか今晩にでも死にますようにと、つぶやきながら真夜中の道をさまよった。居酒屋の近くでついうっかり声を出してしまいそうになり、足早に逃げたのを覚えている。身支度をしていたので、寒くはなかった。帰ると二時過ぎで、上着を脱いで寝て、翌日学校に行った。何か、誰かに依頼して小説にでもしてくれたらきっと面白いだろう。当事者は俺だ。拳銃が欲しくなった日は多い。だがそのたびに諦めた。寝るのが嫌で一晩中目を開けて過ごす。寝付かずに夜を過ごすことができるようになった。目元に隈は見当たらなくても、翌日は眠い。嗚呼、あれほど毎日が、物事が明るかったのに、何故だ。と、死ぬほど自問しまくった。答えはいくつもでてきたので、どれとどれが真相か、不明になった。俺の人生は俺しか知らない。人には聞けなかった。やはり、戦士は生きている限り戦わねばならんのだろうか?単純に言い換えると、学生は生きている限り学ばねばならんのだろうか?煙を肺に入れることがまだできないので、苦しくて考えることまでできなかった。灰は始末した。雨雪で湿らせた後、二重の紙で包んでマックの袋に入れて捨てた。灰皿もティッシュで拭いてきれいにした後、同じ袋に入れておいた。銘柄は言わないが、1mgのメンソール。火をつけないでメンソールだけ吸うのがしばしば。クソだ俺の人生。オワットル。酒はやめてる。これは頭が悪くなる。ただし大昔、果実酒だが、飲むときは水で割らずに、ロックだった。飲むと酔った。本当に頭が悪くなる。高校に行ってからは虹画を探してネットを駆けずり回った。それも原因だろう。生物であるが所以であろう。やめときゃよかったのに。やはり、戦士は生きている限り戦わねばならんのだろうか責任をとりさえすればどのように生きてもよいのだろうか?いいえ、これは本当の俺じゃない。今の俺は本当の俺なんかじゃない。この生活もこの状況も嫌いだ。学業で失速しているのと、昔ほど自分が好きじゃないのが最も気に食わない。俺は自分が好きだった。今は嫌いだ。クソだ。くさっとる。誰彼とも無く巻き添えにして、さんざん言いたい放題行った挙句のこの醜態。もう何をやってる。ただの馬鹿だ。これでは笑われても文句は言えまい。しかも、気に入らないものの象徴ほとんどを身につけている。忌み嫌っていたもの自体の象徴を今度は自分が取り込んでしまっている。だから、道連れにしようとした。それで、まんまとミスったのである。俺はもうその辺のお兄さんじゃない。あとに待ち受けるのは?更生?破滅?それとも何だ?何かが起こる?すまない。こうなってしまった。まったくすまない。あのころの俺にだって予想できなかった。防ぐことはできなかった。必然に近かったから。あの時、俺はもっと自分自身のことに気を配れていれば、変わっていたかもしれない。悔やんでも仕方が無いなら、俺は何かになるしかないんじゃないか?その何かは俺にもわからない。ありとあらゆるものが目の前をすぎてゆくばかりで、現実から逃れようとしている本能のせいで、記憶は日々曖昧で、暮らしても暮らしても何も残らない。ただ自転車操業のように、燃やせるものはなんでも燃やして走っているのかもしれない。先行きが不安に感じる。俺は本当に生きているのか?現実にちゃんと立っているのかどうか。先のことはある程度予言はできても、人生は時間の関数じゃないんだ。全部自分で準備してからするギャンブルか、その結果に基づく漸化式だ。俺はますます自分がわからなくなってきた。
2010.01.04
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もう高校二年の冬も過ぎるかという時期に暢気にパソコンで日記など書くとはなんとお気楽な人間なことかという声が聞こえてきそうだが、自分の頭の中にたまった悪いもののせいで自分で訳がわからなくなるのをこれで防止できるのであれば、ある種先立つものであるとも言えまいか。今日は二日ということで、中学卒業ごろから今まであったことをいろいろと思い出して、今の自分を冷静に考察してみたい。文面は少し長めになるが、親が帰る前に書き終わるよう急ぐので、表現によくわからない箇所があっても短時間でぱっぱとやったのだと思って簡単に捉えてほしい。思い出深く明るい毎日を過ごした中学校卒業にさしあたり、高校の合格通知を担任から受け取ったときの私の表情はどこもうれしさが感じられないものであった。それは確かに、通えるようになりたい、合格したい、○○校生になりたいという強い願いが、いろいろと苦心した末に晴れてかなったのだから、喜ぶほかにはない。ただ、その時どうしても心から喜べないとある事情があったのである。私は以前から、○○高校の実際の様子を兄貴から聞かされていたのだが、それはどう考えても私の望む環境とは正反対のもので、勉強する間もそのことは半信半疑であった。それで、いざ入学してクラスに入ってみると、その実際に私はひどく落胆したものだ。絶句した。目の前が真っ暗になるような気がしたのを覚えている。私の中には、何も明るいものはなく、それで、あれやこれやと新しい学校とクラスのことを悪く言うことになってしまった。人間、物事を気に入らないと頭の中で何度も思っていると、遂にそれにまったくやる気がでなくなって手につかなくなる。だから私は宿題もやらなかったし、一年生のうちは授業もろくに聞かず、友達も作らず、部活も本当にてきとうに選んでてきとうにやって、自分で自分の人生に嫌気が本当にさした。心に黒い雲のような霧のようなモヤモヤを生み出して後々まで引きずることになるとは、夢にも思わなかったがなんとなく暗い未来が待ち受けているような予感はしていた。二年に進級した私は、昨年の反省を実行に移すために精力的に授業や宿題に取り組もうと誓った。授業もノートをとるようになったし、ワークもこなした。宿題も出せる限りは出したが、一年時にダラダラしていたので体が楽を覚えてまったく頑張れなくなっていた。限界ぎりぎりまで頑張ることができなくなったのが原因でそれでも成績はのびず、ついに赤点をとった。塾に通っていながらも成果を出すことができなかった私は今、どう転んでも二月いっぱいで契約解除の予定となっている。私はもう努力家ではなく、うわべだけの努力家になってしまっている。自慢の冷静さも欠き、自分自身を客観的に見て改善することもできなくなり、無駄足を踏んで迷走した。そして遂に、去る十一月の二十三日深夜、自宅のガレージで自殺未遂を犯したのである。実はこのことを母親に話した。母親は聞かなかったことにすると言っているが、その意味するところに自分がこたえられるかどうか私は自身がなく、負の方を確信してしまっている。この間私の古い友達、幻竜の日記が今もまだ更新を続けているのを読んだのだが、思わず俺もこういう感じで生きるのが良かったのかもなと口をついて出た。自分の限界を信じさらに上を追い求めるのは勿論すばらしい。ただ色々な人と出会って以前よりも広い人生観を得た今の私が思うには、彼もの生き方もひとつなのである。実を言うと混乱の真っ只中にあった高校一年生の春ごろには、自分とまったく逆の考え方で進路を選んだ彼のことをほんの一瞬とはいえ妬んでいたのである(幻竜、すまんかった)。勉強がさらに難しくなることをよく考慮していなかったとはいえ、あえて火の中に飛び込み若いころの想像を絶するほどの苦難にさらされる毎日をすごす自分と、学校で学年トップを占めるほどの余裕を持ち、かつ楽しそうに生活する彼を、愚かにも比較してしまったのである。普通ならそんなことはしないし、自分が選んだことだと言って責任をもつのが当たり前。ただあのときの私はひどく混乱していて、もしも自分が不親切な態度をとったとしてもなんとも思わず、むしろ相手が悪いと言い出すほどであった。今では、関係者には申し訳なく思っている。あの時は本当に毎日辛かった。今も辛いが、昔ほどじゃない。自分の抱える悩みの半分は勉強のことだ。あとの半分は、育ててしまった心の闇をどうすべきか。勉強については、体がすっかり怠けてしまって頑張れなくなってしまったことが問題で、誠実さを失ったことと、歯車がしっかり噛み合うように、成果の出る方法を実行できなくなったこと。ずっと解決できないまま一年が過ぎようとしている。(いつものアレで分析できるか?)勉強をせねばならず、いついつまでにこなすべきものも頭にはあるが、やる気がない。やる気がおきてもその時だけで、三十分もすればなんだか満足してきてしまって、心の中だけ愉快になって勉強をやめてしまう。しかもその間妥協している。それでいつも自分はやる気がないという結論に至るのだが、果たしてそこからどうする。大学にいかないのも確かに手ではあるが、冷静に考えて、自分はどうか?(微妙←結論)はぁー・・・ダメだこりゃ。アカンわ。努力できんと何もできるようにはならん。なんか、最近はどうでもいいかとか本気で思うようになってもて、全然アカン。どうしても解決できんわ。どうしよ。お先真っ暗やで。人生オワタ日記書いたら気分晴れて何か浮かぶかと思って書いてみたけどなんも浮かばんし何の役にもたっとらん。時間つかっただけやなきごとしか言われんようになってもたんやなこれでは進学はおろか就職もままならんどうしましょ
2010.01.02
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家のガレージの支柱で首吊るの失敗した。使ったのは古い延長コード踏み台の自転車から足を離した後からは全て幻想になる。あのあとすぐに自転車の荷台に足をかけてもどろうとしたけどなかなかできなくて目は見えないし(一面黒くて虹みたいな白いモヤモヤ)、耳は聞こえないし(だんだんうるさくなってくる。発電所のタービンの近くにいるような、音じゃなくてうるささ)、それで気がつくとモヤモヤとうるささ(感想)が一気にこみ上げてきて悪夢を見た後にがばっと息を吹き返すみたいに起きた。起きてしばらくは耳はよく聞こえないが視界はハッキリせずともなんとなく分かる。そして自分が座り込んでいることを不思議に思って辺りを見回すと白いヒモのようなものがそばに落ちていて、上をみると、コードが切れていた。落ちていたヒモのきれっぱしはコードの差す方の端で、柱も首も結び方は完璧だったが重量がコードの強度を超えたらしい。あのときのコードは今も捨てずに持っている。親に見つからないように、父親のメタノールと同じところに隠しておいた。中学校の頃使ってた古い鞄の中に、ちゃんとばれないようにしまってある。少なくともあの時、俺は助かった。そして運がよかった。ただし、どうにもならない現状が俺の肩にしがみついてついてまわる。起きていても寝ていても同じ。高校に入ってから俺は変だ。人間的にはさらなる寛容さを得たが、俺にはアイデンティティーがないのかもしれない。自分が何者なのか分からないという意味らしい。正直な話、俺はこれからどうしようともどうにもならないと確信している。ただ昔、まともだったころを回想して自分の破片を探そうとしているだけだ。今の俺にはなにもできないし、俺は何ひとつも持たない。終わっても終わらない結末。ただひたすら、自分の意思に反して生き続けるだけだ。俺は運良く命を落とさずに済んだ代わりに、喉仏が死ぬほど痛くて、二日間は我慢が必要だった。今はだいぶよくなったが、しばらくは首を触りたくない。メタノールで死ぬのだけは、父親に悪いから、やめている。俺はただ生きているだけだ。何もがんばってないし、何も求めていない。「手は手でなければ洗えない」ほしいもの、やりたいこと、そのために必要な努力や忍耐、我慢。俺は今やその両方ともに手がつかない。何も欲はない。ただ、どのようにでもあれ、生きているしか今は方法がないから、仕方なく生存を続けているだけだ。俺は俺に一体何があったのか、自分で自分が分からない。俺は一ヶ月間の記憶すら曖昧で、いつ、なんのテストを受けて、結果がどうだったかを何も覚えていないし、思い出せない。ただ、自分が死ぬときの様子を妄想すると、その時だけは本当に心が落ち着いて、安らぐ。俺は首を吊ったことであの時俺にぶら下がっていた死の際の際を見たように思う。死は、少なくとも、自ら選ぶのならばいつもすぐ近くから俺を見ているし、死を呼べば、それはすぐに俺の体に飛び掛ってくる。運がいいのは幸福じゃない。幸福であるというのは、運がいいことではない。幸福であるというのは、俺が人間らしく生きて初めて訪れることのできる、桃源郷にほかならない。その桃源郷では、努力も、成功も、失敗も、立ち直りも、人間の心もあって、死もあり、ただやはり、俺の近くにいて、本当に必要なときにしか、俺の体の呼び声には応えてくれないだろう。俺はただ生きているだけだ。死は、俺が呼ぶのを、ただ待っているだけだ。俺はもう二度とこんな人生を送りたいとは思わない。願わくは、俺の人生が運良くて続くことなく、一度きりで絶えることを。俺はもう、俺なんかじゃない。果たして、今の実名は、今の俺には物が良すぎるんじゃないかと、今の俺は、そう思うこともあるし、人生や思い出は、果たして本当に連続なのだろうかと疑問で、そうするとやはり、いつの俺も、連続していて、ただあの時首を吊って記憶が途絶えたのを経験してからは、ますます死というものを身近に感じて、案外簡単に死ぬことができるとわかった。それを考えると俺は妙に、頭と身体が遊離していることに不気味なものを感じる。俺はあの時、死にたかったからそうしようとしただけだ。もしも俺の人生ならば、どうしようと勝手ではないか。俺はただ生きているだけだ。今は新しいヒモを準備する気がない。ただそれだけのことで、俺は今何のためにも何もしてない。
2009.11.29
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