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ねこままん

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2005年08月05日
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カテゴリ: 広島

(5)爆 心 地


今年6月27日、
ねこままん、広島にダンナ様「ねこぱぱん」と2泊3日で行ってきました。
二日目の28日は丸一日、普通はあまり観光客に知られていない
「原爆遺跡」を中心に自分の足でまわってきました。

今日は (5)爆 心 地 になります。

爆心地付近地図
広島原子爆弾
投下の爆心地
といえば、
皆さんどこか
ご存知?

原爆ドーム?
―違います。

相生橋?
―かなり
 お詳しい!
 違うんです。


では、どこか?上の地図をじっくり見てください。
地図右下に「爆心地」とありますね。
そう、ここが爆心地なんです。
爆心直下、ここには「島病院」という病院がありました。
島病院の玄関上空580mで原子爆弾が炸裂しました。

ここではねこままんの所蔵本『原爆投下・10秒の衝撃(NHK出版)』
の本文抜粋をお届けします。とてもあの瞬間がよくわかる文章です。

爆 心 地
相生橋から原爆ドームを望む


 広島原爆投下の照準点となったT字形の橋、相生橋の東隣、原爆ドーム周辺の広島市中区大手町一丁目には今、雑居ビルやタワーパーキングが立ち並ぶ。その谷間の路地にかつて「猿楽町(さるがくちょう)」という街並みがあった。江戸時代、広島城に仕える能楽師が住んでいたためにこの名がついたといわれている。
 猿楽町には、260世帯1055人が暮らしていた。町にはいろんな店が軒を連ねていた。亀の子だわしや軍手まで置いてあった八百屋、初荷には大在の人で賑わった自転車屋、甲子園で活躍した町のヒーローがいたカメラ屋……。それぞれの店は皆くっついていて、その屋根づたいに子供たちはよく鬼ごっこをした。陽棚とよばれる物干し台が格好の遊び場だった。町は子供たちの楽園だった。(猿楽町 元住民たちの証言より)


爆撃機エノラ・ゲイ
相生橋


 フィヤビーは、まだメガネをかけたまま、じっと目標から目を離さずにいた。空中偵察写真の白黒の像が色彩のある像に変わって展開していた。緑とやわらかいパステル色と、建物のくすんだ色とが、大きな人の指のような形の陸地の上にぎっしりと並び、広島湾の濃青の海の際まで連なっていた。大田川の六本の分流は茶色であった。市内の主要な街路はにぶい金属的な灰色に見えた。細い紗のような霞が市の上空にかすかに光っていたが、フィアビーの視野を曇らせはしなかった。照準点のT字型の相生橋がまさに彼の照準器の中心の十字線のところに来かかっていた。
「やったぞ」。フィヤビーは最後の調整を行い、信号音のスイッチを入れた。それはピッ、ピッ、という低い連続音で、フィアビーが爆撃航程最後の15秒間の自動時限装置を作動させたことを示す。……
「爆弾が落ちようとしている」
 午前八時十五分十七秒。エノラ・ゲイの爆弾倉の扉がパッと開いた。そしてこの時には誰も何もしなくてもよかった。世界最初の原子爆弾は自動的にいままでかかっていた掛け金を離れて落下した。
(ゴートン・トマス、マックス・ホーガン著『ドキュメント エノラ・ゲイ』TBSブリタニカ刊より)


 エノラ・ゲイから投下された原爆は43秒後に爆発するように設計されていた。エノラ・ゲイが安全な区域まで逃げきれる時間、爆発の威力が最も効果的に地上に伝わる高度などを綿密に計算して設計されたといわれている。
 原爆の炸裂点は、壁に残された熱戦の影の分析から当時の細工町十九番地、島病院の上空だということがわかっているが、原爆炸裂点の高度が何メートルだったかについては諸説ある。例えば、広島平和記念資料館では580メートルとしている。これは、広島のいたることろにできた熱戦による影の角度から計算したといわれている…(以後省略)


被爆前の島病院
この写真は被爆前の
「島病院前」の写真です。
コンクリート製の立派な建物で、
中庭は緑にあふれていました。






被爆後の島病院
この写真は被爆直後、
1945年11月頃撮影されたものです。

島病院は入り口だけが残りました。

右手に護国神社の鳥居が見えます。



爆心地(現在:島外科)
ねこままんは
今年6月28日、この旅での最後の訪問地としてこの場所を選びました。左がその時の写真です。

今も同じ場所に「島外科」と言う名前で病院があります。周囲は冒頭にあった通り、繁華街でこの場所が惨劇の中心であったことを思い起こさせるものはこの病院前の小さな説明版だけです。

「ほんまに?
 まさにこの場所で、60年前に今日見てきたことが起こったいうの?」


不謹慎ですが、昔とのあまりのギャップにショックで安らかにお眠りくださいという言葉よりも、この言葉しか浮かんできませんでした。

誰がおいたのでしょうか、千羽鶴が説明版の上に置かれていました。





ねこままんがここを訪れたのは夕方の17時過ぎ。
辺りに林立するビルの谷間のこの場所は、ぽつんと忘れ去られたかのように繁華街の中ほどにありました。

ねこままんは吹き出す汗を拭くのも忘れ、しばらくこの碑をぼーっと眺めていました。この日1日、自分が直接目にし、触れた数々の場所を思い浮かべながら…

ふと気づくと、さきほどまでビルの隙間からのぞいていた青空は、
いつしかオレンジ色の夕焼け空に変わっていました。

右手に見える元安川からは一服の爽やかな風が吹き抜けていきます。
炎天下広島の町をリュック一つで歩き回り、体に熱気のまとわりついている ねこままんをまるで労(ねぎら)ってくれているようでした…

「お疲れさんじゃったねぇ…」

そんな優しい広島弁が聞こえたように思えました。

 このまま、ホテルに戻る気にもなれず、
もう少しこの場所を感じていたい ねこままんは 島病院裏手の
小さなジャズ喫茶に入りました。
豆の香りの芳しい冷たいブラックコーヒーをいただきながら、
夕闇に包まれていく元安川を見ながら、いつもの自分にリセット。

一日に体験した出来事は能天気なねこままんですら、
感じ入ることが多すぎて、こうやって気持ちをリセットしないと
普通の生活に戻れないような気がしたのでした。
同時に来てよかった、また来なくてはならない…
そんな思いを強くしたひと時でした。





広島にお越しの際はぜひこちらにも足をお運びくださいね。
原爆ドームのすぐ裏手にあります。

さて、今日は7/30にもお伝えしましたが、
広島・戦争関連の番組が放送されます。
お時間がございましたら、ぜひご家族でご覧になってみてください。
そして戦後60年、平和の大切さをご家族で語り合ってみてはいかがでしょうか?

★ ★ ★ 本日放送の番組は以下の通りです ★ ★ ★


●8/5(金)
TBS系列
18:55 戦後60年特別企画
    「“ヒロシマ”…あの時、原爆投下は止められた…
     いま、明らかになる悲劇の真実」
    英BBC制作ドキュメンタリードラマもとに
    原爆開発から投下までの歴史事実をひもとく
    ▽原爆投下…その瞬間広島の町と人々は…?
    ▽検証・原爆の破壊力そしてキノコ雲の実態
    ▽吉永小百合が被爆者の手記を朗読…
    極限状態における心理、惨劇の全ぼうほか

日本テレビ系列
21:03 金曜ロードショー「火垂るの墓」(1988年新潮社)
    野坂昭如原作 高畑勲監督




※お花のバナーは 「ALOHA OHANA」さん でいただきまし
た!きれいでしょ♪
心が晴れ晴れするようなお花の素材がいっぱいです!





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最終更新日  2012年03月31日 23時19分52秒
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