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2025.06.26
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カテゴリ: 坂本龍馬

坂本龍馬(1836年1月3日生まれ)は土佐藩の下級武士の家に生まれました。幼い頃は泣き虫で体も弱かったと言われますが、姉・乙女の厳しい教育を受け、やがて剣術の道に進みます。江戸に出て千葉道場で剣を学び、土佐の郷士としての自信を深めながら、次第に幕府の腐敗や攘夷運動に関心を抱くようになりました。

長崎での経験と視野の拡大

幕末の開港地・長崎は、西洋文化の窓口でした。龍馬はここでオランダ人やイギリス人から西洋の航海術・貿易知識を学びます。実業の重要性に目覚めた彼は、単なる武士ではなく、経済と外交を駆使して日本の未来を切り開こうと決意します。この長崎での経験が、後の「海援隊」結成にもつながっていきます。

勝海舟との出会いと師弟関係

龍馬の思想形成に大きな影響を与えたのが幕臣・勝海舟です。勝は西洋式海軍の導入に尽力していた進歩的な人物で、龍馬はその弟子となり、政治・外交・軍事の要諦を学びました。勝は「この男だけはものになる」と龍馬の将来性を高く評価し、彼を脱藩の罪から救うなど、生涯にわたり深い信頼関係で結ばれていました。

薩長同盟の成立過程

当時、薩摩藩と長州藩は長年対立しており、両者の接触すら困難でした。龍馬は中立の立場から両藩を説得し、京都や長崎で幾度となく密談を重ねます。西郷隆盛と桂小五郎の間で、倒幕という共通目的を強調し、互いの利害調整を行いました。1866年1月、龍馬の仲介により「薩長同盟」は正式に成立。これは江戸幕府崩壊への決定打となる歴史的転換点でした。

海援隊の結成とその役割

薩長同盟成立後、龍馬は自身の理想を実現する組織として「海援隊(かいえんたい)」を結成します。これは武士・町人・脱藩者など身分を問わず集めた、日本初の民間貿易・政治支援組織とも言える集団でした。主なメンバーには、陸奥宗光(後の外務大臣)、沢村惣之丞、菅野覚兵衛、長岡謙吉らがいました。海援隊の目的は、貿易による経済活動の振興と、倒幕派への資金・物資支援でした。彼らは長崎を拠点に活動し、軍艦「いろは丸」の運航や、武器の輸送、情報収集などを行い、明治維新を支える陰の立役者となりました。

近江屋での暗殺

慶応3年(1867年)11月15日、京都・近江屋で坂本龍馬は刺客に襲撃されます。この日、彼は中岡慎太郎と共に討幕後の政体構想を練っていました。突如現れた数人の刺客により、龍馬は背中と頭部を刀で斬られ、即死ではなかったものの、出血多量で絶命しました。中岡も重傷を負い、数日後に命を落とします。

暗殺の背景とその影響

龍馬暗殺の犯人については、京都見廻組説(幕府側の警備部隊)が有力ですが、真相は今も謎です。彼の死は新政府樹立を目前にした日本に大きな衝撃を与えましたが、龍馬の果たした役割はその後の明治維新に大きな影響を与えます。彼の理念——「身分を超えた協力」「開国と富国」「武力ではなく理による改革」——は、現代日本の原点の一つとして今も語り継がれています。






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最終更新日  2025.06.26 22:29:23
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