にっくの日記

にっくの日記

2006/01/19
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メルヴィルの『白鯨』は、思弁的な文章が多いのだが、それに必ず映像的なイメージが伴っている。語り手のイシミアルは思弁的な思考や説明をするのに、必ず映像的なイメージを以てする。そして、思弁の質、イメージの質ともに素晴らしい。こうしたわけで、『白鯨』は思弁の連続、集積であるとともに、映像的なイメージの連続、集積でもある。

物語の舞台といっては、基本的にはピークォド号の上であり、鯨を捕獲する際にその周囲に多少広がる程度のことである。船はアメリカ東海岸から太平洋の真ん中まで移動するわけであるが、陸地に立ち寄るわけでもなく陸地の描写があるわけでもない。このように登場人物たちのいる場所は非常に限られたものであるが、もちろん人間の思考力と想像力は時間と空間の限界を超越するものであるからして、語り手のイシミアルは時空を越えて時折我々を遠い昔へと、遠い彼方の地へと連れて行ってくれる。またストーリーといっては、エイハブ船長が、彼の片足を食いちぎった白鯨に復讐をするという、この一点のみと言ってよい。この一点に向かって、ピークォド号とその乗組員達は時折鯨を捕りながらゆっくりと進んでいくわけである。

『白鯨』という作品は、断片的な思弁とイメージの集積であり、この点に生命がある。思弁は抜きにして、イメージをつなげるだけでも、かなり素晴らしい映像なり画集なりができるのではないかと思う。

『白鯨』出版の頃、海の中を生きて泳いでいる鯨の全貌を見ることはできなかった。死体の全貌を見ることはできても、彼の通常の生きた有り様の全貌を見ることはできなかった。鯨はそんな神秘的な存在であった。あれほど巨大で、魚類のような風貌でありながら実は鰓(えら)を持っていない。時折海面に上がってきて潮吹きなる奇妙な行動をする。そしていっぺん潮吹きを何度か繰り返すと、相当な時間海中に潜ったままでも大丈夫だという。おまけに、いっぺんに行う潮吹きの回数は決まっていて、海中に潜ってから上がってくるまでの間隔も一定だという(『白鯨』中の記述より。裏づけはとっていませんのでご注意ください)。実に奇妙な動物であり、興味深い動物だと思う。

『白鯨』を読んでいると、鯨がどのような形をしているのか、生きている様がどのようなものなのか、目にしたくなる。今の世の中は便利なもので、インターネットで簡単に確認することができる。もちろん、泳いでいる姿を丸々見ることもできる。

http://images.search.yahoo.co.jp/bin/query?p=whale&fr=sfp  (ヤフー検索結果、画像)

http://video.search.yahoo.co.jp/bin/query?ei=UTF-8&fr=sfp&p=whale  (ヤフー検索結果、映像)

結構興奮した。恥ずかしながら、胸がどきどきしさえした。

時々思うのだが、世の中にはへんてこな動物がいっぱいいるものだなと思う。例えば、キリンやゾウなどという動物が実在することを信じがたいことのように思うことがある。ユニコーンが架空の動物で、どうしてキリンとゾウが実在の動物なんだろう? それを言ってしまえば、カブトムシもかなり奇妙な生き物であるし、ミミズだってオケラだって奇妙だ。もちろん、それを人間にまで敷衍することすらできる。




最近水族館に行ったとき、私は嬉々として写真を撮りまくった。この時も私は、インターネットを探せばいくらでもこんな写真はあるのに、今写真を撮るなんてばかばかしいことなのではないか、などと考えながら写真を撮っていた。

写真を撮るという行為は、後で撮った写真を見ることに意義があるのではなく、むしろ、写真を撮るという行為そのものに何らかの強い意味があるのだろう。つまり、その点に撮影者の何らかの深い内的欲求が作用しているのだろう。





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Last updated  2006/01/20 01:32:20 AM
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