にっくの日記

にっくの日記

2006/01/27
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ブログをつけるようになってから、普段生活している中で、ああこのことについて書きたいなと、その日に書きたいことを思いつくことが毎日のようにある。しかし、実際にそれを書くことは非常にまれだ。いざ書こうと思ってパソコンを起動しエディタかワープロソフトを起動した後に実際に書くことは、全然違うことになることがほとんどだ。あるいは、その日には何も書かなかったりする。そして、その次の日にまた、今日はこのことを書こうかなと、同じ事を思ったりする。そのようにして、書きたいなと何度も思いながらずっと先延ばしにしてきている話題がたくさんある。このままでは、同じ事の繰り返しになるから、いい加減に一つ、そのような話題を減らしたいと思う。そうしないと、私の頭の中はいつまでも同じ状態のまま前進しないだろう。

といっても、なにも勿体ぶるに値するような話題ばかりではない。

例えば、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』に出てくるある一節のことだ。

第一章でデイジーがこんなことを言う。
「あと二週間で、一年で一番日の長い日が来るわね。一年で一番日の長い日が来るのをずっと待ち構えているのに、いざその日が来ても、いつもそれに気づかずにやり過ごしてしまうなんてことない? 私はそうなの。一年で一番日の長い日が来るのをずっと待ち構えているのに、毎年、気づいた時にはもう過ぎてしまっているんだから」

デイジーの何気ない発言なのだが、なぜか最近気になって何度も思い出してしまう。

意味のない連想のような気がするのだけれども、例えば、紅茶を作る時に、まだ薄いからあと30秒待ってからカップに注ごうと思っていると、気づいたらもうそれから30分も経ってしまっていて濃くてまずい紅茶になっている、というようなことがよくある。よくあるというよりも、大抵の場合そうなると言ってよい。たったの30秒のことなのに、どうして肝心の時を逃してしまうのだろう? また、昼間に、今晩誰それにメールをしようと思っていても、いざ晩になりメーラーを起動したときには、もうメールをしたくなくなっているということもよくある。そして、翌日になるとまたメールをしたくなる。

私の生活は、こんなことの繰り返しであり、こんなことの集積であるような気がする。肝心なところが抜けてばかりの生活とでも言おうか。


もう一つ気になっている一節は、最近読んだ、ナボコフの『セバスチャンナイトの真実の生涯』の中の一節だ。ある登場人物が、「私は過去のことを振り返るほど自尊心に欠けてはいませんわ」というようなことを言う。曖昧な記憶なので、多少違ったかもしれない。この一節を読んだ頃の私は、過去のことを振り返って思い出してばかりいたので、おおこういう考え方もあるのかと、はっとした。過去のことを思い出すということが自尊心に反することだという発想は、私にはまったくなかった。しかしそう言われてみれば、一理あるように思える。



私は、典型的な、前と後ろしか見ない人間だ。もっと足下を見なければとよく思う。もちろん前を見ることも大事だし、後ろあってこその前であってみれば、時には後ろを振り返ることも大事だろう。これもバランスが大事だという、いつもの結論に至ることになる。





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Last updated  2006/01/28 01:16:19 AM
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