にっくの日記

にっくの日記

2006/08/27
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ひと月前くらいから肋骨の下部中央あたりに痛みと違和感が出始め、これは何か悪い病気なのではないだろうかと気になり始めたのだった。悪い病気なのであればもちろん早く医者にかかって治療してもらうべきなのだが、どうも億劫で、「どうせ人間一度は死ぬんだから、30才前後で死のうと80くらいで死のうと同じではないか」などとぐずぐず考えながら、病院に行くのを先延ばしにしていたのだった。

その後病院に行き、どうやら何もないらしいことが分かったのだが、この間に色々と死について考えたのだった。

宮沢賢治の童話に「フランドン農学校の豚」という作品がある。農学校の校長は豚を殺して食べようと思っているのだが、家畜を殺すためにはその家畜から判子付きの死亡承諾書をもらわないといけないという法律がある。

校長は豚に判子を押してもらおうとして次のように話しかける。

「また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣のごときはあしたに生れ、夕に死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのにきまってる。」

「つまりお前はどうせ死ななけぁいかないからその死ぬときはもう潔く、いつでも死にますと斯う云うことで、一向何でもないことさ。死ななくてもいいうちは、一向死ぬことも要らないよ。ここの処へただちょっとお前の前肢の爪印を、一つ押しておいて貰いたい。それだけのことだ。」

仮に余命3ヶ月と言われたとしたら自分はどうするだろうと想像したのだが、あまり意味のある三ヶ月の過ごし方は思い浮かばなかった。3ヶ月が50年だとしたらどうだろうという連想も働いたわけだが、これもまた同様だった。人生なんてそんなものだと言ってしまえないこともないのだが、やはり別の考え方が出来るのならそれに如くはないとも思える。これはやはり今の自分の生き方を変えるべきなのではないかと最近よく考えている。

人生は短いのだから生きている間に楽しめるだけ楽しんでおこうなどと考えるのは、健康的なことなのだろう。しかし、楽しむことに価値を見出さない人はそういう生き方は出来ない。「ああ楽しかった」で済ませばよいのだが、楽しかったけど一体何になったのだろうと頭で考えてしまうといけない。

別に私は自らをニヒリストをもって任じているわけではないが、何に価値を置いているのかと問われれば、答えに詰まってしまう。







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Last updated  2006/08/27 07:46:03 AM
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