なせばなる、かも。

なせばなる、かも。

Shaggy 6


 休日だけあって、電話に出たのはシュージだった。

「やあ、ミック。慰安旅行なんですって?いいですねぇ」
「それが…。実は、この高原の奥にラグーン人らしき少女が取り残されているらしいんだ。記憶がないらしくてどうもはっきりしないが、背中に羽根が生えているんだそうだ。なんとかできないだろうか」
「背中に羽根? 分かりました。レイナと一緒にそちらに向かいます。2時間ほどで到着するでしょう。では」

電話を切ったところにジロが宿から戻ってきた。女将に頼んで握り飯を数個、作ってもらっているそうだ。俺はシュージのことを簡単に説明して、彼らの到着を待つようにジロに話した。

シュージ達が到着すると、俺たちはすぐさまジロの案内で洞穴に向かった。険しい道を進んでいくと、普通に歩いては到底見つからないような洞穴が、大きな木の陰に隠れるように口をあけていた。

「おーい。ご飯を持ってきたよ。出ておいで」

 ジロが洞穴の入り口にしゃがみこんで叫んだ。すると、頭上からはらはらと数枚の枯葉が落ちて、白い翼の少女が穏かに降りてきた。

「ほう、これは美しい。しかし、確かに彼女はラグーン人ですね」

 シュージは穏かな視線を送りながら言った。しかし少女は怯えたようにジロにしがみついた。

「まあ!よほど怖い目にあったのね。でも大丈夫よ。私も貴方と同じラグーン人なの。心配しないで。このままここにいたのでは衰弱して動けなくなってしまうわ。一度、私たちの家に来てゆっくり体を休めてちょうだい。家には他にもラグーン人の兄弟も居候しているわ。両親をなくして困っていたの。みんなで協力して生活しているのよ。元気になるまでゆっくりしていってね」

 少女はレイナがラグーン人であることを直感で感じ取って、やっと緊張を解いた様子だった。

「しかしこのままでは目立ちすぎる。ミックからだいたいのことを聞いていたので、外観コントローラーを持ってきたんだ。これを装着すればいい」

 レイナはシュージからコントローラーを受け取ると、手際よく少女に装着した。数秒のうちに彼女は普通の女の子の姿に変化した。ジロは、一人落ち着きなくおろおろしていた。

「ミック、大丈夫なのか?」

 ジロは心配そうに俺を見ていた。

「ああ、実はシュージは俺の家の大家さんなんだ。心配ならいつでも覗きに来ればいい」

 ジロはちょっと安心したのか、何度もうなずいていた。

 シュージに少女のことを頼んで、俺とジロは宿に戻った。すると、ちょうどリュウジたちも帰ってきたところだった。

「あ~あ、あんなに歩いたのに、湖どころか池すらみつからなかったぜ」

 シオンがふくれっつらで帰ってくるなり、テラスの長いすに寝転がった。

「リュウジさん、本当にあの道で間違いなかったんですか?」

 ケンジも疲れ果てて宿の玄関に座り込んだ。

「るせえ! うわさであの道だって言ってたんだ。しかし疲れたなぁ。一風呂浴びて、昼寝でもするか」

 リュウジもさすがに疲れたのか、すごすごと部屋に帰っていった。シオンもケンジもそれに続いた。

 彼らが去ったのを確認して、ジロが俺に声をかけてきた。

「ミック。相談なんだが、やっぱりあの子のことが気になるんだ。俺が怪我をするから、付き合って帰ってくれないか?」

 俺は一瞬面食らったが、ジロの目は真剣だった。そして俺の返事も待たずに裏の森に向かう道へと飛び込んでいくと、折れてとがった木の枝に腕を差し込んだ。

「バカ!そこまでしなくても…」

 俺は唖然とした。しかしジロは思いつめたように言った。

「いいんだ。バカだと思うだろ? でも、あの子を放っておくのはイヤなんだ」
「だからって、本当に怪我をする奴があるか! 早く手当てを」

 俺はジロを引っ張って宿に戻った。女将に無理を言って応急処置だけしてもらうと、他の連中にはちょっと大げさに言ってくれと頼み込んだ。部屋に戻って荷物をまとめると、まだいびきをかいて眠っているリュウジに「すまん」とだけ言って簡単なメモを残した。

タクシーから電車に乗り継ぐ頃には、ジロも随分元気になっていた。

「ミック。すまん。せっかくの旅行がこんなことになって」
「気にするなって。レイナは若く見えるがシュージの奥さんなんだ。おまけにレイナはラグーン人でシュージは医者だから、一番いい環境に彼女を連れて行けたってわけだ。だが、もっと心配な奴がいるだろ」

 俺の真意が分からないのかジロはきょとんとしていた。

「相当重症な病気だからなぁ。治らないかもしれん」
「なんだよ。何の話だ」

 ジロがあまりにじれったそうに言ったので、俺は噴出しそうになっていた。

「おまえだよ。恋の病ってやつか?」

 その言葉でジロは真っ赤になってしまった。

「そ、そ、そんなつもりじゃないんだ。ただ、心配で…」

 見苦しい言い訳だった。
駅についてすぐ、俺はミュウに連絡を入れた。

「ミック、もう帰れるの? やったー!」

 でかい声に鼓膜が破れるかと思った。

「頼む、2人分の食事を用意しておいてくれ。ジロも一緒なんだ」
「ジロ?」
「ああ、シュージたちが女の子を連れて帰っただろ? その子の保護者なんだ」
「そう。よかったわ。あの子、なかなかリラックスできなくて、心配してたの。じゃあ、待ってるね」

 はじけるような声と共に電話は切れた。

「悪いな、急に押しかけて」

 ジロが申し訳なさそうに言った。

「いいさ。それより、あの子はあんまり落ち着いていないらしい。やっぱりジロが来てくれて正解だったのかもな」

 俺がそういうと、ジロも面目が立ったようにほっとしていた。

「うわあ、ここって、披露パーティーの会場じゃなかったのか? すげぇ豪邸だなぁ」
「俺は間借りしているだけだ。本当のオーナーはシュージとレイナだよ」

 俺たちの給料じゃ、到底手の届かない代物だ。

「ミック! お帰りなさい。ジロさん、いらっしゃいませ」

 ミュウが飛び出してきた。ジロはにやっと笑って俺をつついてきた。俺はちょっと咳払いをして、ミュウにジロを紹介した。

「いつも主人がお世話になっております」
「披露パーティーでは遠くでしか見られなかったんですけど、噂どおりのかわいい奥さんですね」

 ジロはまたしても俺をつついてきた。

「とにかく、家に入ろう」

 俺はさっさと荷物を運びこんだ。

 広間では、夕食の準備がしっかり整っていた。

「やあ、お帰り。ジロ君、怪我ですか?」

 ソファに腰掛けて新聞を読んでいたシュージは、驚いたように言った。

「すぐに診てあげましょう。それから、あの女の子の名前が分からなくて困っているんです。どうしましょう」

 新聞を横に置いて、シュージは不安そうに辺りの動向を眺めている少女に目をやった。
 ジロはそっと少女に近づいた。

「俺のこと、覚えてる?」

少女はこっくりとうなずいた。

「やっぱり名前は思い出せないんだ」

 少女はまたこっくりとうなずいた。その様子を優しい眼差しでみていたシュージは、ジロを連れて自室に向かった。シュージに任せておけばジロの傷なんてすぐに治るだろう。
 シュージとジロが戻ってくると、少女のとりあえずの名前を考えてくれとレイナがジロに頼んだ。ジロは少女の背中を見つめながらつぶやいた。

「エンジェル、アンジー、…アン。アンにしようか」

 少女はみるみる明るい表情になり、うんとうなずいた。

「そうですか。アン。うん、可愛い名前じゃないですか。じゃあ、食事にしましょう。そこでみんなに発表しましょう。ミュウ、あの子達を呼んでおいで」

 シュージの指示で、ミュウはすぐに階段を駆け上がり、ラグーン人の兄妹を連れてきた。ジェフの店から助け出したクッキーと兄のビットだ。
 皆が席に着くと、シュージは立ち上げって言い放った。

「今日は皆さんに発表することがあります。ここに座っている女の子がアンという名前にきまりました。これからも仲良くしてあげてください。それから、こちらがジロ君、ミックの同僚でアンの保護者でもあります。彼女同様、仲良くしてくださいね」

 一斉に拍手が起こり、アンは恥ずかしそうに下を向き、ジロはぺこりと頭を下げた。

「ミック、お前がうらやましいよ。こんなにぎやかなところで暮らしているとは思わなかった」

 ジロがミックとひじうちしながら言うと、横からレイナが割り込んできた。

「あら、いつでも遊びに来てくださいね。うちは大歓迎よ」

 食事が終わると、俺も自分の部屋に戻って旅の荷物を解くことにした。

「うわあ!」

 いきなり後ろから首を絞めるものがいた。すばやく振り向くと、ミュウが笑っていた。

「へへへ。おっかえりぃ」
「ただいま。いい子にしてたか?」
「うん!」

 ミュウは小さな鼻を上に向けて得意げに言った。
 そうだ。俺はポケットの中の小さな袋をミュウに差し出した。

「開けてみて」

 俺が言うと、ミュウは手のひらに乗った小さな包みをそっと開いた。

「かわいい!あのときのお花と同じだね」
「ああ、俺もそう思って買ったんだ」

 ミュウは小さなイヤリングを光りに翳してしばらく眺めたあと、自分の耳につけて急いで手鏡で確かめた。華奢で愛らしい花がミュウの雰囲気とよく似合っていた。

「似合うよ」

 俺が言うと、ミュウはわっと飛びついて、そして腰に腕を回してきた。

「さびしかったんだよ。でも、レイナが文句ばっかり言ってもミックに負担をかけるだけだって、たまには黙って我慢することも大事だって、言われたの」

 そうか。そういうことだったのか。俺はなんとなくほっとした気分になった。

「本当は…。焦ってたんだ。ミュウがやきもち妬いてくれなくなったから。もう、俺に興味がなくなったんじゃないかと」

 ミュウは腕に力を込めて首を振った。

 ドアがノックされて、シュージが声をかけてきた。

「ミック、あとで私の部屋に来てください。相談したいことがあります」
「わかった。すぐに行くよ」

 ミュウの額にキスをすると、俺は急いでシュージの部屋に向かった。

「ああ、ミック。ちょっと気になることがあるんです。アンの見つかった場所なんですが…。さっきジロ君に詳しく教えてもらいました」

 シュージは、そう言いながら例の高原の拡大地図を開いた。

 山々に囲まれた湖のすぐそばに、小さな印があった。

「ここが、アンの見つかった場所です。それと、この近辺で奇形の魚が多く発見されています。君たちが宿泊した宿と、湖を挟んで反対側の村では、モグラのような爪を持った人間に良く似た生き物が、クマと間違えられて射殺されています。どう思います?」

 シュージの目をみれば、もう答えが出ている事は明らかだった。

「サイモン氏は亡くなりましたが、グレゴリー長官は今でも軍の残党の長として残っています。残党と言っても普通の軍人たちは自衛官として活動していますが。どうも、グレゴリー長官とその取り巻き陣は、別行動しているようです。サイモン氏と組んでいた可能性も消えていませんし。そうなれば、サイモン氏自身が言っていた、人工知能を移植して労働力にするプロジェクトも消滅せずに残っている可能性が出てきます。
 それと、レイナから聞いたのですが、ミュウの父親の研究チームに対抗していた他国の研究チームの連中も、どさくさに紛れて地球に紛れ込んでいるようです。もし、その連中とグレゴリー長官が手を組んでいたとすれば…」
「アンのような人間が他に存在してもおかしくないというわけか」

 俺がシュージに続いた。

「そういえば、あの湖は瑠璃色をしていると聞いてるが、それも連中と関係があるんだろうか」
「そうですね。遺伝子操作の研究の際、細胞をより良い状態で留める薬が最近開発されました。それが、瑠璃色と言えば瑠璃色ですね」
「この辺りで一番怪しい建物はどれだろう」

 俺が地図を睨んでいると、ドアがノックされた。

「シュージさん。すみません。アンの様子がおかしいんです。ちょっと診てやってください」

 ジロだった。俺たちは急いでアンの部屋に向かった。


 アンは、怯えたように部屋の隅にうずくまっていた。

「どうしました、アン?」

 シュージが優しくたずねると、アンは恐る恐るテーブルの上を指差した。そこにはガラスで出来た球体のオブジェがあった。美しい瑠璃色のベースに小さな魚をあしらったそれは、ジロの土産だったようだ。

「俺、アンを見つけたあの瑠璃色の湖のイメージでその置物を買ったんだ。アンが喜ぶかと思ったんだが、これを見たとたん怖がって、もうワケがわからないんだ」

 ジロは困ったように頭をかいた。

「ジロ君。アンはどうやら遺伝子操作をしている研究所から逃げ出してきたんだと思われます。この瑠璃色は、その時使う薬品の色に良く似ているのです」

 ジロはそれを聞くと、急いで土産を袋にしまった。

「ごめんな、アン。怖い思いをしてたんだな」

 ジロがアンの頭を撫でてなだめていると、シュージが決意したように言い出した。

「ジロ君、アン。申し訳ないが、君たちも協力してくれませんか。どうやら、一仕事しなければならないようなんです」

 シュージはジロとアンにミュウのことや人工知能の事、それから、人工皮膚の移植に遺伝子を組み替えて、よからぬことをたくらむ連中のことなどをかいつまんで話した。

 ビットとクッキーが眠ってから、みんなは広間に集まった。2年前の先進7カ国会議以降、シュージが徹底的に家の中を調査し、隠しカメラ、盗聴器などは全部取り払ってしまっていた。テーブルに地図を広げて、6人は頭を付き合わせた。

「ここがアンの発見された場所。ここが、モグラのような生き物が射殺された場所。そして、この地域が奇形の魚が多く見られるところです」

 シュージがそれぞれに印をつけ、大きな丸をかいた。

「この辺りがどうしても怪しいですね」

 そう言って大きな写真を取り出した。

「これは衛星から撮った写真を引き伸ばしたものです。これを見てください」

 シュージが指差した先には、木々に隠れるように小さな小屋が建っていた。

「この辺りは国の所有地になっていますが、こんな小屋は登録されていませんでした。それと、グレゴリー長官の別荘が、この山を隔てた反対側にあるのも気になります」

 なるほど、言われてみれば話がうますぎる。それに、あの高原の住民に聞いたのだが、あの湖が瑠璃色に変わったのはここ2,3年のことだそうだ。

「明日、早々に行ってようか」

 俺が言うと、みんなが同行すると言い出した。

「じゃあ、みんなで行きますか。ちょうど明日は日曜日だし、たまにはいいでしょう」

 シュージは周りが騒いでいる間に高原のホテルを手配して、満足そうに言った。もうみんなはすっかりリゾート気分だ。何を考えているんだか…。呆れ顔の俺のところにシュージが寄ってきた。

「ミック。みんなを連れて行った方がきっとやりやすいですよ。それに、行った先ですぐ一仕事することになるかもしれません。車の中にバズーカと催涙弾を準備しておきましょう」

 シュージは俺の心の中を見透かしたようににやっと笑って言った。


 次の朝早く、俺たちはレンタルの大型バンに荷物を積み込むと、寝ぼけ眼のビットとクッキーを載せて高原のホテルに向かった。シュージの見かけによらない運転のおかげで、昼にはホテルに到着した。アンはあまり嬉しそうではなかったが、ビットとクッキーは大喜びだった。部屋に荷物を下ろすのも待てず、ビット達は外に飛び出して行った。

「ビット!前のハーブ園にいてね。外に行ってはダメですよ」

 レイナが2人の後姿に叫んだが、聞こえたかどうかは定かではない。

「レイナ、ミュウ、アン。君たちはここに残って僕たちの連絡係になってください」

 シュージの言葉にミュウが心配そうに言った。

「近くを散歩するのもだめ?」
「大丈夫。携帯の届くところにいればいいのよ」

 レイナが笑いながら言った。

「アンも街の中は歩いてないでしょ?気分転換に一緒に歩きましょう」

 アンは心配そうにジロを見たが、ジロが頷いているので承諾した。

「じゃあ、行きましょうか」

 シュージはそう言うと、車から釣りの道具を出してきて、ジロと俺に手渡した。

「でかいのを釣りに行きましょう」

 手渡されたジロは、あまりの重さに落としそうになっていた。

「どうしてこんなに重いんだ」
「まあ、釣り竿以外にもいろいろとね」

 俺がしたり顔で言うと、シュージも嬉しそうに頷いていた。
 とりあえず、ジロの案内でアンが発見された湖まで来ると、そこからは、湖の周りを回るように歩き出した。秋は深まりを見せ、辺りは琥珀色に包まれていた。時折、爽やかな風が吹く、気持ちいい季節だ。
 しかし、30分も歩くと俺たちは汗でべたべたになり、ついにはジロが座り込んでしまった。

「もうだめだ。ちょっと休憩しようよ」
「そうですね。お昼にしましょうか」

 シュージは背中のデイバッグから3人分のお弁当を取り出し、枯葉の上にどかっと座り込んだ。そして、上着のあちらこちらのポケットから、小型の水筒をひっぱりだしてみんなに暖かいお茶を振舞った。

「シュージ。それ、ホテルからずっと持ってきてたのか」

 俺は思わず呆れてしまった。ただ荷物を持って運ぶだけでも汗が滝のように溢れてくるのに、受け取ったお茶はしっかりと熱かったのだ。

「シュージさんって、不思議な人ですね」

 ジロもボソッとつぶやいていた。
 弁当を食べ終わる頃には、汗も引き体力もよみがえっていた。先に食べ終わったジロが、近くの小川を覗きに行って、慌てて戻ってきた。

「ここの小川から瑠璃色の水が出ているみたいですよ」

 見に行ってみると、湖の色より若干濃い色の水が流れ込んでいた。

「この小川をたどっていこうか」

 俺の言葉に2人も賛同した。荷物をまとめると、俺たちは湖のすぐ脇にそびえ立つ山に向かって歩き出した。誰も歩いた形跡がない岩場を無理やりよじ登ると、5分も行かないうちに、例の小屋が表れた。

「ここからは、あまり音を立てないで行きましょう」

 俺たちは足音を忍ばせてついに小屋の前までやってきた。耳をすませなくても、エアコンか何かの機械が動いているようなかすかな音が聞こえている。周りを見渡しても、機械のようなものは見当たらなかった。確かに誰かがいるようだ。
 俺は、小屋の周りを注意深く観察した。木造に見えるこの小屋は、よく見ると内側にきちんとした壁が作られており、後からログハウス風の細工がされているようだった。ガラス窓にも2重ガラスが入っている。カーテンも2重にかかっており、中の様子は完全に遮断されていた。ただの山小屋ではないだろう。
 ジロが疲れたのか、すぐ近くの大きな木の幹に寄りかかっていた。辺りを偵察に行ったシュージが帰ってきた時、ジロが「うわっ」っと声を上げて木の幹から飛びのいた。

「この木、機械仕掛けだ」

 ジロが声を殺して叫んだ。

「隠れましょう」

 シュージの掛け声で、俺たちは急いで森の中に逃げ込んだ。確かにクレーンのような音が聞こえている。それが一段落すると、さっきジロがもたれていた木の幹の辺りが扉のように開き、中から男が2人現れた。

「まだまだ不完全だな。もう少し知能レベルを上げられないのか」
「申し訳ありません。努力してみます」

 先に話していたのはグレゴリー長官だった。俺にとっては元上司だ、俺は全身に寒気が走るのをじっと耐えた。一緒にいるのはたぶん研究チームの人間だろう。申し訳なさそうにぺこぺこ頭を下げている。

「ところで、脱走した兄妹はどうなった」
「兄の方は、クマと間違えたことにして射殺しました。ですが、妹の方はまだ見つかっていません。対岸の高原リゾートの方で羽根の生えた女神が出るとうわさが出ているので、近いうちに始末しておきます」
「明後日の軍事演習の時、また寄る。それまでにやっておけ」

 グレゴリー長官は、それだけ言うと森の奥に入っていった。そして、しばらくすると、小屋の向こうから小型のヘリが飛び立っていった。 
 そうか、アンはこの研究所からだっそうしてきたんだ。兄と言うのは、たぶんモグラに似た生き物といわれている者だろう。グレゴリーを見送った男は、木の根の浮き出たところをぐっと踏み込んで例の木の幹の扉を開けると、中に入って消えていった。
 俺たちはとりあえず、ミューたちに連絡を入れた。

「ミック。大変なの。ビットが迷子になったみたいなの。クッキーとハーブ園に行ったきり帰ってこないから迎えに行ったら、ちょうどクッキーがビットを探しているところだったの」
「クッキーにテレパシーで応答がないか聞いてくれ」
「それはもう試したんだけど、応答がないんだって。眠っているか、意識がない状態だと思うって言うんだけど」
「そうか…。俺たちは例の場所についた。これから潜入するところだ。ひょっとしたら、ビットもここに連れて来られているかもしれない。また連絡するから部屋でおとなしくしてろよ」
「うん。わかった」

 電話を切ると、俺たちは木の幹のエレベーターに乗り込んだ。


 エレベーターの作りは普通のものと変わりなかった。ただ、地上意外には、ボタンは2つあるだけだった。その1つを押すと、静かにドアが閉まり、下がっていくのが分かった。俺たちはそれぞれ、武器を身構えてドアが開くのを待ったが、開いたところは薄暗い廊下が続く場所だった。注意深く降り立つと、人間ではないなにか生き物の気配が感じられた。
 しばらく見回していると、目が慣れてきて辺りが見えてきた。薄暗いまっすぐの廊下の両側には柵で閉ざされた個室が並んでいた。その中に、さっき気配を感じていた生き物がうずくまっていた。やっと目がはっきり見えるようになると、俺たちは思わず声を上げそうになった。手前にはモグラのようなつめを持つ薄いグレイの髪をした男が座っていた。その奥には、全身がうろこだらけの子ども。そのもっと奥の女性は、背中に小さな茶色の翼がついていて、唇がかすかに堅く尖っているようだった。どれもみんな人間と何かの動物を掛け合わせたような状態で、うつろな瞳で部屋の1点を見つめていた。

 信じられない光景だった。奴らは人を人とも思っていないのか。俺は恐ろしさと腹立たしさの両方で体がわなわな震えた。

「奥に扉がある」

 ジロは比較的冷静に言った。俺は気持ちを落ち着かせ、ジロに続いた。

「そっと、静かに開けてください」

 シュージが声を殺して囁いた。ぎぎっとかするような音がして、次の部屋が現れた。間接照明で比較的明るい部屋だったが、置いているものは恐らく気味の悪いものばかりだ。いわゆるホルマリン液に漬かったマムシや胎児のように、人と獣の間の状態で、恐らく人口知能の手術に耐えられなかった者をサンプリングしたのだろう、ガラスの容器に入れられてそのままの姿をさらしていた。その部屋にはひときわ大きな檻があった。その床に、白い羽根が数枚散らばっていた。

「これは…アンの羽根だ」

 ジロが檻に駆け寄って、その1枚をそっと手にとって言った。その位置から辺りを見渡すと、円柱形のガラスの容器に納まっているさっきの生き物たちの死骸が凸レンズを通してみるように広がって、一層恐ろしさを際立たせていた。浸かっている液は瑠璃色だった。

「こんなもの目の前に置かれたら、誰だって逃げ出すに決まっている」

 俺は思わず口走った。奥には薬品の棚もあり、ここではアン達はちょっと特別扱いされていたようだ。おそらく、見た目も美しく、精神状態も他のものたちよりおちついていたので、人工知能を埋め込む手術を受ける予定だったのだろう。
 遠くからバタバタと派手な音がしてきた。俺たちはとりあえず薬品の棚に裏に身を潜めた。

「もう! 離せよ! 僕をどうしようっていうんだ」

 あの元気な声はビットだ。

「おい、鎮静剤を打ってくれ! 早く! こら!暴れるな」

 俺たちのすぐ後ろの棚で、薬品を取る音が聞こえた。

「痛い!」

 辛そうにそう言ったまま、ビットの声は聞こえなくなった。

「まったく、手こづらせやがって。そこの檻に入れておこう。ボスは明後日ここに見えるそうだ。今日はもう帰ろう。明日の午後から手術しても間に合うさ」
「そうだな。あ~あ、たまには街に出てゆっくり酒でも飲みたいぜ」
「いいなぁ。これから行くか? どうせボスも来ないんだし、朝から来ることないじゃないか」

 俺たちの存在などまったく気づかない様子でのんきに相談しながら、男たちは出て行った。忠誠心は薄いようだ。

 男たちが帰ってしまったのを確認して、俺たちはそろそろと棚の裏側から出てきた。さっきのアンの羽根が落ちていた檻に、ビットが眠っていた。俺たちはビットを救出して、一旦ホテルに戻ることにした。
 外に出ると、もう日が傾きかけていた。俺はすぐさまビットが無事であることをミュウに報告した。後ろでは、シュージが落ち葉をがさがさとどけて、穴を掘り始めている。一体何をやっているんだか。時々シュージの行動は読めなくなる。

「どうするんですか?これ」

 ジロが不思議そうにそんなシュージを見ていた。

「この荷物。もう一度持ったままホテルとここを往復する気になれますか?」

 シュージの言葉にジロも俺も首を振った。

「でしょ?」

 シュージはうれしそうにそう言って、穴の銃の類を埋め始めた。最後に枯葉を撒き散らしてしまうと、すぐにはどこだったのか分からなくなった。その代わり、ぐっすり眠っているビットを抱えて、俺たちは来た道を急いで引き返した。


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