なせばなる、かも。

なせばなる、かも。

メッセンジャー 3


 学校に近づくと、さっきのような人ごみはすっかりなくなっていた。午前中に行われた学校葬が終わって、生徒たちも引き上げていったのだ。校門をくぐろうとしたとき、美咲がかすかな物音を聞きとめた。

「ん~、やめて!」

 美咲は街路樹の陰にかすかに見えた黒塗りの車と2人の男に無理やり押し込められている女性の姿をみた。

「あっ、あの子さっきの喫茶店にいた子じゃない?」

 美咲の言葉に田島が振り向いたときは、すでに車は発進し、猛スピードで4人のすぐ横を走り抜けていった。

「変だったよね。絶対、変!」

 まるみは平井を見つめて同意を求めた。

「とりあえず、学校に行って先生に知らせよう」

 平井が事務局に走り出すと、3人もいっせいに後に続いた。

 休校時の校舎は恐ろしく静かだった。事務局は午前中の学校葬の後片付けで数人の職員が残っていたが、平井の姿を見つけた本村が大急ぎでやってきた。

「なんだなんだ、お前たち。まだ学校に残っていたのか?」
「先生!大変なんです。今、そこの路地で美紀って1年生の子が変な男の人たちに連れ去られて行ったんです!」

 美咲は本村に食い下がらんばかりに訴えた。本村はあまりの美咲の迫力にちょっとしり込みした状態になったが、どれどれと玄関を出てあたりを覗った。

「何もないようだが?」

 本村は事務局に引き返すといかにも信用していない様子で美咲を見返した。そして端末で生徒の名前を割り出すと、いきなり渋い顔になってしまった。

「ち、またこいつか。1年の東浦美紀だな。素行不良で有名なやつだ。とりあえず、報告は受け取っておこう。しかし、今のところ家族からなにも連絡が入っていないし、裏でなにやってるかわからんようなやつだからなぁ。うかつに学校も動けんのだよ。田島、もうすぐ試験だろ。頼むからこいつらを連れて帰ってくれ」


 もううんざりだと言わんばかりの表情で本村は美咲を無視すると、田島に声をかけた。

釈然としないまま、一行はその場をしりぞいた。静かな廊下には資格試験の告知が貼り付けられ、その隣には対策講習会の案内が乗っていた。日付はすでに過去のものとなっているが、今の事務局にそれを取り外す余裕はないのだろう。

 「ちぇっ! できの悪い生徒はすっかり邪魔者扱いじゃねーか! なーにが対策講習会だ。もう終わってるならさっさとはずしやがれ!」

 平井はいらだちを廊下の張り紙にまで向けていた。よこでまるみがなだめている。

「君だって、受けるべきだったんじゃないの?この講習会」

 田島は平井をからかうようにして言った。

「冗談だろ。この日はバイトが入ってたし…、あっ。 おい、この講習会って、坂井教授の事故の日じゃないか?!」

 平井が張り紙の前で止まってしまった。

「やっぱりそうか。じゃあ、龍二の言っていたのはあの事故の日のことだったってことだね」

 田島は満足げにうなずいた。

「しっかし、誰がこんな手の込んだことやるんだろうかねぇ。さっきの黒塗りの車も気になるし」

 平井がまだ張り紙を疎ましげに見ながらつぶやいているのを、廊下の壁一枚へだてて注意深く聞いている者がいた。


 その夜、4人はヒカルの葬儀に参列し家路に向かっていた。

「じゃ、僕は美咲を送っていくからここで」

 未だ心細そうな美咲を抱えるようにして、田島は平井とまるみにそう言うと地下鉄の階段を下っていった。平井とまるみはそれを見送ってまるみのアパートへと帰っていった。

「ヒカルのお母さん、すごく泣いてたね。仕事が忙しいからあんまり普段一緒に居ないんだってヒカルが言ってたけど、その分心配してたんだね、きっと」

 まるみは駅からアパートまでの道のりをほとんど下を向いたまま歩いていた。もうすっかりまぶたがはれ上がって、まっすぐに顔をあげられなくなっていたのだ。

「そうだな。しかしヒカルも片親だったとは知らなかったな」
「そっか。平井君もお母さんが早くに亡くなってるって言ってたね。でも、ヒカルの家はちょっと複雑なの。お母さん、結婚せずにヒカルを産んだんだって、ヒカルから聞いたことがあった。
ヒカルがお母さんから聞いた話では、スタイルがよくて頭が良くて、しぐさがとても優雅な人だったんだって、ヒカルのお父さん。でも、お父さんのご両親に結婚を反対されていて、結局ヒカルのお母さんが自分から身を引いたんだって。ヒカルがお腹にいるってわかったのはその後のことだったんだって。

ヒカル、自分のお父さんのことは恨んでないって、はっきり言ってた。いつか自分の手でお父さんを探し出したいって、そして、お父さんに胸張って会えるような自分で居たいって言ってた。だからいつだってヒカルはおしゃれだし勉強もがんばってたし……。
ねえ、もしかして、美咲が言ってたわけありのボーイフレンドって、お父さんのことだったんじゃないかなぁ」

 まるみは勤めて明るく話をした。

「そうかもしれないな」

 平井はそんなまるみの胸のうちが分かりすぎて、口数も少なくまるみのすぐ後ろを歩いていた。


「学校なんてつめたいよね。ヒカルは被害者なのよ!殺人犯じゃないのよ!それなのに殺されたから学校のイメージが悪くなると困るだなんて、葬儀にも参列しないなんて…」
「しょうがないんじゃないか。学校だって坂井教授があんなことになった直後だし、パニックになってるんだよ」

 憤然とするまるみをなだめるように平井が答えた。

「だけど、事務局長の本村さんぐらい代表で来てくれたっていいんじゃない? だいたいあの学校おかしいよ! 今日の女の子が連れ去られた事件だって、なんでもないように流しちゃってさ。もしもホントの誘拐事件だったらどうするつもりなのよ!」
「確かにそうだけど、実際には無事に家に帰ったって話なんだからいいんじゃないの。事務局の人たちもそれぞれが自分の考えで動けるわけじゃないんだし…」
「じゃああの本村さんが悪いのね!あの人、事務局長なんでしょ? だったら学校の風紀や安全を確保するのも仕事のはずじゃない! ぜ~んぶ責任とってもらいますからね!」

 まるみは頭に血が上ってどんどんエスカレートしていった。

「まるみが責任問題を追及するべきことじゃないだろ」

 平井は思わず笑いながら言った。それがまたまるみを怒らせた。

「笑い事じゃないわよ。私たち生徒はちゃんと授業料払ってあの学校に通ってるんだもん。責任を追及する権利ぐらいあるんじゃない? あー、頭に来る! ひょってしてあの本村がすべての黒幕なんじゃないの?!!」

 まるみはこぶしを振り上げて怒った。

「ほらほら、目が腫れてるぞ。いいのか?」
「良くないわよ。平井君のいじわる!」

 まるみは慌てて下を向きなおした。
 公園の脇を横切って、アパートに着いたのはすっかり辺りが暗くなってからになった。

「じゃあな。戸締りしっかりやれよ」

 平井はまるみが部屋に入るのを見届けると、さっさと駅に向かって歩き出した。ベランダからそれを見送ったまるみは、気を取り直して夕食の支度に取り掛かった。

「あら、忘れてた!」

 からっぽの冷蔵庫に顔をつっこんで、まるみはその場に座り込んでしまった。食料を買い置きしていなかったのだ。
まるみはあわてて財布をもつと、さっき平井を見送ったばかりの道路を駆け抜けた。

 コンビニの明かりが見え始めたあたりで、不自然な足音が走り去るのが聞こえてまるみは足を止めた。道路の端には大きなスニーカーがころがっているのが見つかった。まるみは公園の中を確かめた。

「誰かいるの?」

 薄暗い公園のベンチの向こう側に誰かが横たわっているようだった。

「平井君? 平井君じゃない! どうしたの?!」
「う、ん。ゲホッゲホッ」

 それはさっき別れたばかりの平井だった。平井は首を絞められたらしく、苦しそうにノドに手を当てて咳き込んでいる。まるみは平井の腕を自分の肩にまわし、なんとか平井を立ち上がらせた。

「とりあえず、一旦家においでよ」
「わりぃな。ちくしょう、こんな住宅街でマスクかぶるなんて、非常識だぜ」

 よろめきながら平井は悔しそうにうめいた。

 まるみの部屋に戻ると、平井は大の字になって大きく息をついた。

「やっぱり、ヒカルや坂井教授の事件となにか関係があるのかしら」

 台所でコーヒーをいれながら、まるみはつぶやくように言った。平井もじっと天井を見つめたまま答えた。

「たぶんな。今日の俺たちの動きをみて焦ってたのかも…」

 平井の言葉は携帯電話の呼び出し音にかき消された。田島からだった。


「なにかあったのか?」

 田島の言葉は開口一番これだった。田島の話では、見知らぬ電話番号の男から電話がかかり、くだらない調べ物をやめないと友人が減って行くぞとそれだけ言ってすぐに電話は切られたという。

「大したことじゃないね。だけど、その電話、自白してるようなもんだな。どんな声だった?」

「声は変えてあるようだった。で、いったい何があったんだよ」

 平井から事情を聞いた田島はしばらく沈黙した。

「平井、山岸さんに連絡しよう。犯人の目星は大体ついていたけれど、このまま美咲やまるみにまで危害が及んだら大変だよ」
「分かった。じゃあ、山岸さんには俺から電話しておくよ。一応被害者だしな」

 電話を切っても平井は釈然としない顔つきだった。

「あんなに夢中になって推理してたのに…」

 平井にコーヒーを勧めながら、まるみが口を挟んだ。

「そりゃ、田島君がそれだけ美咲を大切に思ってるってことなんじゃない?」
「悪かったな」

 平井がふてくされる横で、まるみは首をかしげた。

「何が?」


 連絡を受けた山岸はさっそくまるみの部屋にやってきた。田島も同席して、まるみの小さな部屋はいっぱいになってしまった。

「まるみ、コーヒーでも…」
「あっ。奥さん、気を使わないでください」

 山岸は、平井のあまりにも自然な口ぶりについうっかりそう言うと、まるみの刺すような視線にであって、口をつむんだ。

「なぁ~にがコーヒーでも、よ! フレッシュ切らしちゃったからそこのコンビニまで買いに行ってきてちょうだい!」

 台所の入り口で仁王立ちしているまるみが平井に500円玉を差し出して言い放った。

「なんだよ。まるで子供のお使いじゃねぇか」

 愚痴る平井をみて田島は思わず噴き出してしまった。

「田島君、美咲の具合はどう?」

 平井の留守を取り繕うようにまるみが話題を提供した。

「ああ、大丈夫だよ。美咲はヒカルと高校時代からの仲らしいから、ショックも大きかったんだろ。それより、あいつ一人で行かせて大丈夫なのか?」

 田島の質問に答えたのは山岸だった。

「大丈夫でしょう。さっきの電話の話では、犯人は平井君をしとめたと思っている節がある」
「なるほど」

 田島は納得顔でうなずいた。

「あ、そういえば。美咲が話してたんだけど、高校時代にヒカルがボーイフレンドができたって言うんでその頃の仲間で会わせろと迫ったら、ヒカルが簡単にOK出したからみんな驚いたそうなんだ。ところが、実際に連れてきたのはミニチュアのシープドッグで人間の男じゃなかったって事があったらしいんだ。犬に訳ありなんてないだろうけど、今度のヒカルの訳ありボーイフレンドも、ただの”彼氏”って奴じゃないかもしれないってさ」

 田島はピンと来ない風だったが、まるみは身を乗り出してうなずいた。

「私もね、今日の帰り平井君とそんな話をしていたところなの。ヒカルの訳ありボーイフレンドって、ひょっとして会ったことのない彼女のお父さんだったんじゃないかなって」


 山岸はだまって二人の会話を聞いていたが、話の流れに思わずメモ帳を取り出した。

「君たちの言うとおりかもしれないよ。事件の発生が非常に近かったので、森宮ヒカルさんのお母さんにも坂井氏の写真を見てもらったんだが、そのときの反応がとても不自然だったんだ。とても驚いて何度も坂井氏が本当にヒカルさんの通っていた学校の先生だったのかって、確認していたよ」
「こりゃ本物かもれしれないよ」

 田島は銀縁のめがねをくいっと指で上げながら、まるみににやりと笑った。

「ただいまぁ~」

 平井が帰ってきたので、まるみは平井を従えて台所に入った。少しすると、台所から大きな声が聞こえた。

「なにぃー!」
「どうやら事情を聞いたようですね。すみません。何かにつけて騒々しい奴なんです」

 田島は山岸相手に保護者を気取った。

 メンバーがそろったところで、今日の事件について、平井とまるみが説明をした。田島も自分にかかってきた不審な電話の話をした。

「だけど…。僕はそんなに自分の携帯電話の番号を人に漏らしたりしていないんだ。もちろん、自分の友人の誰かが他人に僕の電話番号を教えてしまったなら立証はできないけど、両親と友人と本屋、あとは…入学時に学校の学生データに書かされたぐらいだからね」
「で、田島的には誰が怪しいと?」

 平井が田島の推理をひきだそうと試みたが、田島はまだはっきりしていないことがあるからとうまくその場を逃れた。

「それは警察の仕事だよ。情報提供はありがたいが、あんまり危ないことに手を出してもらっちゃあ困る。君たちは勉学にはげんでくれなくちゃ」

 山岸が横から割り込んできた。

「もう一人の女の子はどうしたの?早川さんだったかな」
「ああ、美咲なら自宅にいます。ヒカルのことで随分落ち込んでたから、ゆっくり休ませた方がいいかと思って。美咲のお母さんがついてくれてるから大丈夫でしょう」

 田島はふとやさしい表情になった。

「そうか。じゃあ、平井君は犯人が捕まるまではあまり出歩かないでくれたまえ。犯人が君の生存を確認したら、また君を狙ってやってくるかもしれないしな。それから、立花まるみさんだったっけ?君も、あまり単独行動はとらないほうがいいかもしれないな。早川さんのお宅にでも身を寄せるといいよ。警察もある程度の犯人の目星はついているから、あと2,3日のことになるだろうし。じゃあ、私はこれで」

 山岸を見送ると、田島の携帯が鳴り出した。美咲の母親からで、美咲がいつの間にかいなくなっているとのことだった。3人はすぐさままるみの部屋を飛び出した。

「山岸さん、大変なんです!」

 まるみは車に乗り込もうとしている山岸を見つけると、すぐさま美咲のことを話した。

「みんな、すぐに車に乗ってくれ。早川さんの自宅まで行ってみよう」

 車が美咲の自宅の前に到着すると、田島が転がるように飛び降りて呼び鈴を鳴らした。美咲の母親はおっとりとした品のよさそうな夫人で、まだ事態を認識できていない様子だった。
美咲が居なくなったときの状況を聞きだそうとやっきになる田島に、美咲の母は笑顔で答えていた。

「どうしたのかしらねぇ。ヒカルちゃんのことがあってあんまり落ち込んでいたから、ケーキでも食べさせたら元気になるかと思って、ちょっと家を空けてる間に出かけてしまったらしいのよ。田島さんが、目を離さないでって言ってたから何かあるのかしらと気になっちゃって…。あの、こちらの皆さんは?」

 田島は手短に平井とまるみ、そして山岸を紹介した。

「まあ、あなたがまるみちゃんなのね。美咲からいつもあなたの話を聞いてますよ。それにしても、みなさんが揃ってお見えになってるのに、あの子ったらどこに行ったのかしら」

 美咲の母親はまだおっとりと話している。田島は待ちきれないようすで美咲の母親に尋ねた。

「美咲の部屋にメモかなにか置いてなかったですか?」
「さあ、見かけなかったけど…。あ、じゃあ美咲の部屋に行ってみてくださる?」

 田島はその言葉を聞くとすぐに飛び込んで行った。そして、ほどなく手に小さなメモ用紙をもって戻ってきた。


「学校の東側2すじ目、杏樹 21:00…。これじゃないか?」

 田島の読み上げる店名にまるみははっとした。学校の東側というと裏路地の辺りになる。杏樹は桜井に連れて行かれたジャズ喫茶だったのだ。

「私、その店知ってる…!」
「じゃあ、今から行ってみよう!」

 平井の言葉を山岸がさえぎった。

「もうだめだ。夜も遅くなるし、君たちは狙われているんだよ。ここからさきは、私の出番だ。おとなしく家に帰るんだ」

 おだやかだが絶対的な山岸の態度に3人はうなずくしかなかった。強引に行ったところで佐々木が出てきたら怒鳴り散らされてつまみ出されるに違いない。3人はしぶしぶ引き下がることにした。

 山岸を見送ると、3人はさっさと駅に向かって行った。もちろん、行き先は学校の近くの杏樹だ。

「悪いな」

 伏目がちに田島がつぶやいた。

「ばーか」

 平井が田島の背中をどんと叩いて励ました。

 いつもの駅で電車を降り、学校のすぐ横を通り過ぎて裏路地に入った3人は、すぐに小さな杏樹の文字を見つけた。しかし美咲の姿は見当たらない。田島はすかさず時計を見た。

「よかった。まだ9時になってない」

 3人は杏樹の入り口が見える公園のベンチに落ち着いた。明かりの少ないこの公園は、通りからは見えにくく、彼らが居座るには最適な場所だった。

「山岸さんたちもまだ着てないみたいね。警察に寄ってから来るつもりなのかしら」

 まるみの言葉に平井が返した。

「いや、そういうことは無線で連絡するだろう。こんな時間だし、渋滞に巻き込まれてるんじゃないか? ま、いざとなったら赤いランプをぐるぐる回して突っ走ってくるさ」
「来た!」

 平井が話し終わる前に、田島が小さく叫んだ。美咲が学校とは反対の表通りからゆっくりと歩いてきた。何を言われてやってきたのか、随分思いつめた表情だ。店の前で脚を止めたとき、ふっと公園に目をやってぱっと表情を明るくした。
 それと同時に、店の扉が開いて本村が顔を出した。

「美咲! 逃げろ!」

 いつの間にか公園から飛び出していた田島が、美咲と本村の間に割って入った。本村は隠し持っていたナイフで美咲の腹部を刺そうとしていたのだ。田島が美咲を突き飛ばすのと、本村がナイフを出すのが同時だった。

「いやぁーーー!」

 美咲の叫び声が響いた。田島が顔をしかめ、本村をにらみつけた。田島のわき腹から血液が滴り落ちていた。平井とまるみはあわてて田島のもとに駆けつけた。
まるみが振り向くと、いつの間にかやってきた山岸が本村を押さえ込み、携帯で救急車を呼び出していた。山岸の指示で警官たちが杏樹になだれ込む。喧騒の中、数人の学生が店から飛び出し、走り去ろうとしたが、後からやってきた警官たちに取り押さえられた。
警官たちの乗ってきたパトカーが赤色灯を回し、辺りを異空間のように浮かび上がらせた。続いてやってきた救急車が田島を乗せてすぐさま走り去った。呆然と見送るまるみは、取り押さえられた学生たちの中に桜井がいないことにほんの少しだけほっとしていた。

 泣き崩れている美咲を立たせて、山岸が車に乗せようとしていた。

「君たちも一緒に来てもらうよ。もう少し詳しい事情も聞きたいし」

 2人は山岸の車に乗り込み、警察で散々絞られることになった。


 事情聴取が終わると、山岸は3人を乗せたまま田島のいる病院へ立ち寄った。幸い田島は傷も軽く、山岸から事情聴取された後、無事に帰ることが許された。美咲は田島に謝りながらずっと涙が止まらない様子だった。

「ごめんね。皆に連絡してからにすればよかったんだけど、ヒカルは高校時代からの友達だから、どうしてもどうしても彼女の無念を晴らしてあげたかったの。本村さんからヒカルの犯人の目星がついたって電話もらって、すぐに飛びついちゃったのよ」

 山岸の車の中で、美咲はぽつりぽつり状況を説明した。本村は電話の中で、ヒカルが坂井と頻繁にウイングスで会っていたことを訳知り顔で話したのだと言った。

「ウイングスの店長だった古井と本村は同じ大学の先輩後輩の間柄だ。古井は本村の手下として情報収集していたらしい。このぐらいの怪我で落ち着いたんだから、君たちはラッキーだよ。なにせこの事件は麻薬と売春が絡んでいたんだからね。上にはそういうプロの組織も絡んでいる。佐々木さんが見覚えのある顔だって言ったわけがわかったよ」

 犯人逮捕で興奮しているのか、車を運転しながらでも山岸の口は軽かった。

「じゃあ、本村さんって昔はそういう組織にいたの?」

 まるみは驚きを隠せない様子で聞いた。山岸は軽く首を横に振った。

「そうじゃなくて、今も所属しているんだよ。経歴を隠して学生たちに近づきやすい仕事についたってわけさ」

 車は美咲の家の前に到着した。山岸は美咲の母親に事情を説明し帰って行った。美咲の母親は大変驚いてはいたが、田島をねぎらい、一人暮らししている田島のために怪我が治るまで家にいるように半ば強引に勧めた。

「そうさせてもらえよ。家に帰ったって、食べるものもないんだろ?」

 平井が遠慮する田島をなだめるように言った。田島は迷った挙句、善意に甘えることに決めたようだ。


 田島と美咲親子に見送られ、平井とまるみは電車に乗り込んだ。

「なんだかあっという間の出来事だったね」

 すっかり乗客の少なくなったシートに座って、まるみがぽつりと言った。

「そうだな。おまえ…、つかまった学生たちのなかに桜井がいないか確かめてたろ?」

 平井はなんとなくまるみと目を合わせづらくて、自分のスニーカーを見つめたまま言った。まるみはちらっとそんな平井を見て答えた。

「うん、確かめた。桜井君がいなくてほっとした。そこまで悪い人じゃなかったんだってね」
「ちぇっ」

 平井は小さな子供のようにすねたような顔になって、車内の広告に目をやった。週刊誌の広告には『吉野桜子号泣!』と書かれていた。

「ちぇっ」
 平井はもう一度舌打ちしてみせた。まるみはそんな平井を見て思わず吹きだした。

「へんな平井君。あっ、あの広告ね。クラスの子がメールで教えてくれたんだけど、坂井教授の奥さんっていろんな国に別荘持ってて、それぞれの国にボーイフレンドがいるんだって。だから、坂井教授は日本での対面を保つためのお飾りだったんだって。…そう考えてみると坂井教授もかわいそうね。ヒカルたちと一緒に暮らしていたほうがずっと幸せになれただろうのに…」
「そうだな」

 平井はまるみがじっと何かを考えているのに気が付いた。

「どうした?」
「平井君。私、やっぱりまだ納得がいかないことがいっぱいある。ねえ、明日にでも山岸さんに会いに行かない?」

 はじけたようにまるみは平井の胸倉を引っつかんで叫んだ。


 まるみをマンションに送り届けて自分の部屋に帰った平井は、電車の中で見せたまるみの考え込んだ顔を思い出してパソコンを立ち上げた。あれから何度かメールを送ってはみたが、案の定まるみからの返信はなかった。みんなの前では元気そうに振舞っていても、一人で部屋にいるときは随分落ち込んでいたんだろう。それを思うと支えてやれていない自分を平井は不甲斐なく思った。

パソコンを立ち上げると珍しくメールが届いていた。普段携帯電話でやりとりする平井にとって、パソコンに届くメールはまるみからのものぐらいのものだ。

― ねえ。大切に想っている人が友達の命を奪った悪い人たちの仲間だったら、あなたならどうする?―

 平井はまるみの一言に胸を突かれた。

「そっか。やっぱり悩んでいたんだな。師匠の俺には何の相談もなしか。水臭いぞ」

 平井はいつものように返信しようとしたが、うまく言葉が見つからない。悩んだ末に、今日は返事を送らないことにして電源を落とした。

 その頃まるみは自分のメールの返事が来るのではないかとパソコンの前に座り込んだまま、ぼんやりと考え事をしていた。
このパソコンにメッセージが届いたとき、どれほど嬉しかったことか。ヒカルのきれいな付け爪がこのキーボードの上を踊った時のことを、今でも昨日のことのように覚えている。

「ヒカル……」

 まるみの頬をするすると涙が流れていく。唇が勝手に震えだす。

「ヒカル、相談してくれればよかったのに」

 言ってみたが、もしも相談されても役に立つアドバイスなどできなかっただろうと思うと余計情けなくなった。


 翌週、平井とまるみは山岸を訪ねて警察に出向いた。事後処理にいらだっていた佐々木はここぞとばかりに平井とまるみを邪魔者扱いしたが、山岸は近くのハンバーガーショップで待つように平井に声をかけた。

「なんだか忙しそうだったね。悪かったかな」

 自分から警察に行くのだとあれだけはりきっていたのに、まるみはちょっと及び腰になっていた。

「しょうがないよ。佐々木さんって、事務仕事苦手なんじゃないか? 書類書きやってても似合わねぇもんな」

 平井がハンバーガーにかじりつきながら言ったとき、山岸が現れた。

「先日はお疲れさん」

「山岸さん。すみません、お忙しい時に。でも、どうしても事件のこと知りたくて…。単刀直入に覗います。ヒカルはどうして殺されなくちゃならなかったんですか?」

 山岸が席に座るのも待たずに、まるみはいきなり問いただしてきた。

「ひかる? 森宮ヒカルさんのことだね。彼女のお父さんのことは知っていたよね?」

 二人がうなづくと山岸はいすを引いて座りながら話を進めた。警察でもヒカルの父親が坂井教授であることは突き止めていた様子だった。しかし山岸の言葉にまるみは愕然とした。

「裏の組織とのパイプ役だった本村は坂井を使って学生に麻薬を流していたらしいが、坂井が女子学生に人気があるのをうまく利用して学生に売春までさせていたらしい。
身の上相談をしているって話は君たちも聞いていただろうが、どうやらあれで人材を物色していた節があるんだ。相談場所はもちろんウイングス。ウイングスの店長古井も当然仲間だ。
どうも坂井は本村になにか弱みをにぎられていたようだな」

「逆玉の輿に見事乗った男だったが世の中そんなにうまくばかりは行かない。いやな奴が男の過去を調べ上げて脅してきた!奥さんや学長に知られてもいいのかい?なぁ~んてね」

 ワイドショーのレポーターよろしく割って入る平井の額を、まるみがぱちんとはじいて黙らせた。

「ところがその身の上相談に森宮ヒカルが引っかかった」

 山岸は二人にかまわず淡々と続けた。


「彼女はなにかのはずみで坂井が自分の父親だと知ったんだろう。相談の振りをして坂井に近づき、娘であることを伝えたらしい。
それを聞いた坂井がショックを受けたのはいうまでもない。足を洗って学長の娘と離婚したいと思うようになった。ところが、それまで坂井の名前を出して学長の資産をうまく流用していた本村が納得しない。
吉野桜子の帰国も目前に迫っていて、焦った本村は坂井を事故に見せかけて殺害し、使途不明金は坂井が使っていたってことにする方法を考えついたんだな。

森宮さんはやっと名乗りをあげることができた自分の父親が突然亡くなってショックだったんだろう。坂井と親しそうに見えていた本村に事情を問いただした。本村は言葉巧みにウイングスに彼女をおびき寄せたんだろう。
実行犯は古井だが、本村が後ろで糸を引いていたことを認めたよ」

「ヒカルって、勘のいい子だから坂井教授の裏の顔についてもなにか気付いてたのかもしれない。それでもやっぱり自分の父親のこと、一生懸命知ろうとしてたんだ」

 まるみはハンバーガーを握り締めたまま思いつめたように口走っていた。

「うん、そうかもしれないね」

 山岸の携帯が鳴り出した。

「悪いね。呼び出しかかったよ。じゃ、気を落とさないようにね。今回は君たちの協力に感謝するよ」

 山岸は飲みかけのコーヒーカップをおいたまま飛び出していった。まるみはただそれを見送るしかなかった。

「聞きたいことは全部聞けたのか?」

 それまで黙々とハンバーガーを食べていた平井がまるみをからかうように話してきた。

「ううん。聞けなかった。ヒカルの付け爪のことも、不思議なメールのことも。。。」
「不思議なメール?」

 平井が食べるのをやめて聞き返した。

「ううん。いいの。でも、ヒカルの付け爪のことは聞きたかったな」

 まるみはカウンターに置いたままになっていたコーラのカップをとりながらつぶやいた。平井はそれを見ながら、ぽつりと言った。

「あれはきっと注射器ととり間違えたんだな。先週、もう一度あのカフェレストランに行ってあの店員にねばって聞いてみたんだ。
ウイングスで白い粉の袋と白い包みを受け取ったとき、教授は最初に背広の内ポケットから出したのとは別に、手元の書類と一緒にもう一つ白っぽい包みを持っていたらしいんだ。コーヒーが運ばれてきて場所を空けるとき入れ替わったんじゃないかなって思ったって、言ってたよ。
あの店員もどうして爪だったのか不思議に思って似たようなバイトをしている知り合いに聞いてみたらしいが、それは注射器の包みと間違えたんだろって簡単に言われたってさ。
結局警察は付け爪のことについては何も言わなかったし、すでにあのカフェレストランの店員から話を聞きだしてるんだろう」

 それだけ言うと、平井はポテトをざざっと口に流し込んだ。

「さて、帰るとするか」
「うん、そうだね」

 まるみはまだどことなくすっきりしない表情のまま席を立った。

 駅までの道をふたりとも黙ったままで歩いた。
日が暮れ始めて街はどことなくあわただしい雰囲気だ。そんな中をまるみはひとり取り残されたような気分でいた。その後ろ姿を、平井は複雑な気分で見つめていた。

「まるみ。これから携帯ショップにいくぞ」
「へっ?」

 びっくりして振り向くまるみの横をすり抜け、平井がさっさと先に進んだ。まるみはわけが分からないままそれを追いかけた。


「また機種変更するの?」
「いいや」
「じゃあ、今度は何?」
「お前の携帯を選びに行くんだよ」
「私に携帯なんて似合わないんじゃなかったの?」

 少し息を弾ませながらまるみが言うと、平井は返事もせずに店内に入っていった。そして飾ってあった携帯を1台取り出すと、まるみに握らせていすに座らせた。

「色は自分で選んでいいぞ」

 まるみにはさっぱりわけがわからない。半ば膨れながらそれでも店員にうまく勧められて契約を済ませてしまった。

「アドレスが決まったらメールで知らせろよ」

 平井はまるみを部屋まで送り届けると、自分の携帯のアドレスのメモを手渡して、さっさと帰ってしまった。

「まったく、何なのよ。携帯は似合わないって言ってみたり、急に契約を勧めたり…」

 納得できないまま手早く着替えると、さっそく夕食の支度にとりかかった。夕食を終えるとさっそく携帯の小さな紙バックを引き寄せる。機嫌よく携帯の取扱説明書を取り出したまるみだったが、その分厚さにたじろいでしまった。

「こういうことはいつだってヒカルが…。ううん、がんばらなくっちゃ!」

 まるみは取扱説明書を持ち直し、携帯を片手にあれこれやり始めた。やってみれば出来ないことではなかった。最初からなにもできないと決め付けてきた今までの自分を、まるみは恥ずかしいと思った。初めてのメールを送ったら、すぐ後に携帯が鳴り出した。

-もしもし、まるみ? 俺、平井だけど-

「うん。。。」

 まるみは驚きで返事もできなかった。いつのまに電話番号をチェックしたのかまったく気付かなかったのだ。

-今頃取扱説明書と取っ組み合いしてるだろうと思ってさ。ヒカルがいたらなぁ~なんて、考えてたんだろ。いつまでもヒカルに頼ってちゃダメだぞ。ちゃんと読めば分かるようになってるんだから、しっかり読めよ! じゃあな。-

「あっ…、うん」

 まるみはちょっと照れくさくなってしまった。今頃きっと、平井は電話を切ったすぐあとに自分からのメールを受け取っているだろう。そして、ちゃんと操作できていることに感心するかもしれない。もしかしたら、まだまだダメだなぁっといつものように悪態をついているかもしれない。そんな平井の姿を想像するだけでなんだか楽しくなってくる。

 すぐにメールが届いた。平井からだ。

― 次の日曜日、天気が良かったら特上の弁当を2人分作って出掛ける準備をすること!事件も解決したし、とっておきの場所に連れて行ってやるよ -

「二人分? 美咲たちは誘わないのかな…」

 予感めいたどきどき感とまだ拭い去れない不安とが複雑に絡み合って、まるみはどうしても素直に喜べなかった。あの休憩室の鉢へと自分を導いた人間がいる。その人物は事件の関係者ではないのか。
まさか自分が憧れていると言ったぐらいで、桜井の行動をずっと調べ上げるようなことをするとは想像できなかった。その人物はどういうつもりで今まで自分に情報を流してくれたのか。そして、その人物の正体は誰なのか。

 もやもやと考えているうちに日曜日がやってきてしまった。
迷いながらもまるみはまだ暗いうちからおきだして、お弁当作りにとりかかった。コーヒーを水筒に入れ終わると、タイミングよく平井がやってきた。

「よう! 準備はできてるか?」

 平井は肩から大きな布のバッグを引っさげてやってきた。まるみがバスケットを玄関まで運ぶと、平井はすぐさまそれを開いた方の手にとって外に出た。

「あ、待ってよ」

 まるみは慌ててカギをかけると、平井の後ろを追いかけた。


 いつもの駅に着くと、平井はまるみのきっぷを手渡し、さっさと改札を抜ける。まるみは目的地も知らないまま、平井の後を追うばかりだった。

「どこまで行くの?」
「秘密。楽しみにしてろって」

 さっきから似たような会話が何度か繰り返されたが、まるみはその行く先を知ることはなかった。ぼんやりと外の景色をながめていると、窓の外の様子が次第に住宅街から自然の多い地域へとその景色を変えていくのが分かった。

 電車に乗って2時間ばかり過ぎたころ、ようやく平井が腰を上げた。

 平井はなれた様子でさっさと改札を抜けると、タクシー乗り場へ向かった。肩の荷物とバスケットをタクシーのトランクにいれ、まるみをタクシーの乗り込むように促した。行き先を聞くのはもうすっかりあきらめていたまるみが、小さな声で平井に尋ねた。

「ねえ、もうすぐ?」
「ああ、ここからだと10分とかからないだろう」

 すっかり日が昇りきって、辺りには一瞬夏を思わせるような光が満ち溢れている。曲がりくねった道を登りきったところで、タクシーはゆっくりと速度を落とした。

「さて、行くか」

 平井とまるみが降り立つと、タクシーはさっさと坂道を下っていった。目の前にあるのは小さな一本道だけだ。それを荷物を担いだ平井が歩き始める。

「どうした? もう、疲れたのか?」

 気が付くと、平井が振り向いてこちらを見ていた。

「ううん、大丈夫」

 まるみはいそいで平井のすぐ後ろまで追いつくと、すぐ横をすり抜けて前を歩き出した。

「おい、目的地も知らずに先に行くやつがいるか」
「いいもん、目的地なんて! 聞いたって教えてくれないんだもん、自分で見つけるわ!」

 急いで追いかける平井に捕まるまいと、まるみは足を速めた。なだらかな坂道を登りきると、その先には絵画から抜け出したような草原があった。草原の向こうには早春の光をきらめかせた海が見える。

「すごい!」

 まるみは思わず目を見開いて立ち止まった。その姿を眺めながら、平井はクスッと笑うと、今度はまるみを追い越してすこし右手に進路を変えた。そこから先は細い獣道だ。なれた足取りの平井はすたすたと草原を進み、大きく茂った木の根元にどかっと荷物を下ろした。

「とうちゃーく!」

 平井が振り向くと、まるみが飛び跳ねるように駆け寄ってきた。

「ねえねえ、どこでこんな場所調べたの? すごいね!気持ちいい!」

 平井はちょっと照れくさそうに笑うと、荷物の中からキャンピングテーブルとディレクターチェアーを向かい合わせにセットして、その一方をまるみに勧めた。

「とりあえずお昼にしよう。もうぺこぺこなんだ」

 その言葉にあわててまるみが弁当箱を取り出すと、その横で平井は別の荷物からワインのハーフボトルとグラスを引っ張り出していた。

 テーブルの上にまるみの力作とワインがセットされると、平井はおもむろに改まった様子で席についてまるみに言った。

「今度の事件ではずいぶん辛い思いをしたな。おかげで俺も、すっかりタイミングを逃してしまったんだけど…。 今日はきちんと話すよ。俺は、まるみが好きだ。付き合ってほしい」

 まるみはワイングラスを持ったまま、動けなくなっていた。それはうれしさからではなかった。


険しい顔になるまるみに、さすがの平井も緊張を隠せない。

「やっぱり俺じゃだめか。。。」
「その前に聞かせてほしいことがあるの」

 平井のあきらめの言葉をかき消すようにまるみが言い出した。

「平井君は、天使の羽根さんですか?」

 まるみのまなざしはまっすぐに平井を射すくめている。平井は少しためらった後、素直にうなずいた。

「じゃあ、どうして? どうしてあんなに桜井君のこといろいろ教えてくれたの?どうして桜井君のこと、いろいろ知っていたの?」

 平井はちょっと視線を落としたが、意を決したようにまるみを見つめて言った。

「まるみは先日の逮捕劇のとき、桜井が逮捕者の中にいないか確かめただろ?一度でも大好きになった人のことは気になるし、幸せになってほしいとか悪いことにかかわっていてほしくないと思うだろ? 
俺も同じ気持ちだったんだ。まるみはあのころすっかり桜井に夢中になっていたし、すこしでも桜井のことを話したら、学校とは違う仲間になれるかもしれないと思ったんだ。今から考えたら俺ってバカだと思うけど、まるみが小躍りして喜ぶところを見たくて、それを一緒に共感したくて、あんなやつのことを必死で調べ上げたんだ。
だけどそれを学校で平井として話したなら、おまえはきっと情報を提供した俺のことなんてすっかり忘れてしまう。それならまるみの特別な存在になれるように演出してみようと思ったんだ。
だけど、まさかあんな事件にかかわることになるとは思ってみなくて…。悪かったと思ってるよ」
「悪かった? 悪かったですって? 私は、ほんとにほんとに天使の羽根さんのことを大切なお友達だと思っていたのに!
学校の友達には相談できないことでも、天使の羽根さんには素直に相談できた。いつだって、天使の羽根さんは私の味方だったもの。平井君、ありがとう」

 まるみは、自分でも気づかないうちにほろほろと涙を流していた。そんなまるみに、気の利いた言葉を見つけられない平井は、あわててグラスを握り締めて叫んだ。

「と、とにかく。。。 乾杯しよう! かんぱーい!」

 二人は穏やかな日差しの中、グラスを合わせた。そして弁当箱が空になるころには、すっかりいつもの二人に戻っていた。
テーブルをたたみながら平井はまるみに草原の下の方に見えているささやかな集落の中の小さな家を指差して言った。

「あそこにある赤い屋根の家。あれが俺の生まれた家なんだ。母さんがなくなるまで、住んでいた家だ。母さんは俺が小さいころから病気がちだったから、母さんが入院している間はいつも学校の帰りにここによって時間をつぶしていたんだ。
その時、漠然と夢見ていたんだ。いつか彼女ができたらここにつれてきてやろうって。この景色を一緒に眺めようってな」
「平井君…。私なんかでよかったのかな」

 まるみはうれしさをかみ締めながらつぶやいた。平井は荷物を全部大きなバッグに詰め込むと、さあ帰ろうかとまるみを促した。

 しばらく歩いてから思い出したように振り向いて言った。

「俺は学校を卒業するまでに資格を取ってとりあえず就職する。でも、ある程度経験をつんだら、自分で事務所を開設するつもりなんだ。それまでにまるみもしっかり勉強しておけよ」

 まるみはその言葉を淡いプロポーズのように感じてほほを赤らめた。

「あ、それから料理の腕はもうちょっと上げないとだめだぞ。冷凍チンは控えめにしろよな。」
「はぁ?!!」

 平井の言葉はあっという間にまるみを夢の世界から現実に引き戻した。その後平井がまるみの回し蹴りを食らって荷物ごとひっくり返ったのは言うまでもない。

終わり


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