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大宮の事、正直に告白してしまえば余り良く思っていなかったのです。呑みを目的に据えて訪れた事も何度があったはずだし、無論そうでない理由でやってきた事だって少なからずあります。でも、以前やって来たときには視界に映り込まなかったような呑み屋となりそうな店が幾らでもありそうなのです。それには一つの理由として大衆食堂や中華飯店―この呼び方も違和感を感じるので先般鶯谷で見掛けた大衆中華に落ち着けたいと思うに至ったのです―なんかを好んで呑み屋利用するようになったという事情もありますが、実際にはそうした店々も訪問宿題店としてメモしてあったのだから、理由はそれだけではなさそうです。こうした私的な嗜好の変化、いや変化もあるけれど、それ以上により酒を呑ませる事を主たる生業とする店舗が減少したと捉えるのが実態に近いかもしれません。酒場らしい酒場が減った事によって己の趣向が拡大するというジレンマには、未だにそれが歓迎すべき事態である事を素直に認められない気持ちがわだかまっているのです。 この「多万里(多萬里)食堂」だって以前から良い雰囲気だと思っていたけれど、後回しにしてしまっていたようです。トイレを借りに立ち寄った高島屋の活気のない様子にこんなものなのだろうなあという感慨と愛惜の念が湧き出すのを眺めながら、店に入ると食券売場があります。かつてはこの売り場で捌かねばならぬ程に買い物途中やその帰りに小腹満たしで立ち寄る客が溢れたのだろうと思えるのです。ここの特に際立ったところはないけれど、しみじみと滋味深いなんとなく懐かしい味に惹かれてお越しになるのでしょうか。高島屋の買い物とこちらの食事のどちらが本来の目的なのかと思わせる程に旺盛な食欲を発揮するご婦人もおられます。そんなに食べて夕食はどうするのだろう。生餃子4人前のテイクアウトを求めて来られたお客さんがいる。ホント、われわれは餃子とチャーハンでビールを頂いたのですが、ここの餃子はなんてことはないのです。それでも普段は取扱をしていないらしい持ち帰りを求めるとは、外出もままならなくなったご老体のたっての願いなのかもしれません。われわれなどはそれこそバーゲンセールに付き合わされた夫が愛想を尽かして、時間潰しにやって来ているような有様なのかもしれません。なにやら幼少時に似たような情景を経験したような気がします。しかし、当時は両親が取皿をもらって取り分けて食べさせたであろう子供の姿などどこにもなく、オヤジ二人が炒飯を取り分けてそれを肴にビールを啜るのだから、時代も無慈悲なものです。 例の目当ての酒場を眺めるとまだ開店する様子すらありません。しばし町を散策するとかつての大宮の繁華振りを記録したモノクロ写真が大きく引き伸ばされ飾られています。今更ではありますが、どうもぼくの感性は昭和のこの当時に取り残されたままのようです。新しい町並みがいけないとは言えないけれど、どうも最近の町を歩いていてもぼくのいる場所はここではないという気分に晒されるのです。 その目当ての酒場から古い町並み写真のある線路沿いを行くとやがて「炭火・やきとり 大野屋」がありました。店名とその雰囲気から勝手に東松山式の焼鳥店と思い込んだのですが、ぼくの手持ちのメモに同じ店名の焼鳥店はなさそうです。「大松屋」と勘違いしたのでしょうか。店内はユニークな形状のカウンターが設置されていてなかなか味わい深い。辛味噌が東松山風なので、木製スプーンですくった味噌を直接擦り付けるのかと伺うとそうだという答えだったので、肉にペタペタと縫ってみると慌てて、皿に置いてほしいだって。だから聞いたのにね。常連の女性はお医者さんらしいけれど、夕暮れ前に独りで呑むとはなかなか頼もしい。味も値段も普通だけれど、どうも店主が新規の客には冷ややかな印象でいささか居心地がよろしくないのであります。背中でピリピリとした注意を払っているらしいのを感じます。しかし、また独り常連が来られると気持ちはそちらへと移ったらしく、ひりひりした空気は失せてのんびりした様子になられました。こちらものんびりしたいところだけれど、この日一番の狙いがあるから適当に切り上げることにしたのでした。
2018/11/13
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「喫茶 ウエスト」を出ると向かったのは大宮では良く知られているという―というのも足繁く通う酒場の常連さんに大宮に行ったことを喋ったらいの一番でその店名が上がったのだ―餃子のお店に向かうことにしました。若かりし頃に大宮を闊歩したと豪語するA氏はというとぼくの誘導に従うだけでまったく覚えがないという素振りで付いてくるのでありました。どうやらそんな店のあることを少しも知りはしないらしいのです。まあねえ、金持ちの学生なんてのは虫が好かぬから、それはそれで好感を覚えなくもないけれど少しはぼくのリサーチを越えた情報を提供してくれても良さそうなものではある。まあ、夜まではまだまだ時間が有り余るほどなので、のんびりと町歩きを楽しむことにしよう。 なかなかに味わい深い店構えの「餃子舗 漫々亭 2丁目店」にやってきました。奥に長いカウンター席と窮屈なテーブルが2つあります。店の表を一度通り過ぎた際に入口付近の冷蔵庫にビールがあるのは確認済みです。じゃあ腰を据えて呑もうかなと席に着いてビールを注文するとセルフでお願いしますとのこと、ハイハイそういう合理化は嫌いじゃないからいくらでもお手伝いしますよ。餃子舗ということだからやっぱり餃子はいっておかないと。品切れでーす。マーボー豆腐が食べたいな。夜だけのメニューでーす。なんたること。腹いっぱいになるとまずいからできれば炭水化物抜きにしたいところだがやむを得ない。ということで、スタカレーと焼きそばを頂くことにしました。スタカレーを頼んだのは、カレーと名の付くものならとにかく間違いなく旨く頂けるという自負があるからでありました。ところが、スタカレーとして出された品はおよそカレーからはかけ離れているシロモノだったのです。いやまあルックスは見様によってはカレーっぽくなくはないのかもしれぬけれど、味としてはマーボー豆腐の豆腐抜きであったのでした。まあマーボー豆腐が食べたかったから問題はないのだけれど、これなら豆腐が入っていた方がより旨いんではないかい。豆腐をさいの目に切って大鍋で温められているドロドロの中に投入すれば済むだけだと思うんですけどね。続いて用意された焼きそばはソフト麺を使用しているようでどこか懐かしいルックスであります。これは少し独特の臭みがあって好みが分かれるところだろうと思います。まあ、どこまでも徹底したジャンクさは楽しいもので、旨いかどうかと言われると微妙な気もするけれど十分満足しました。この味は癖になるのか、お客さんの途切れることはありませんでした。 東口に移動、西口側では浦島太郎常態となってしまいましたが、さすがに東口側はある程度勝手が分かっています。でもまあ余りのんびりじっくり散策する機会もないので、気になる路地はことごとく通ってみることにしました。「珈琲館 伯爵邸」のそばにある「中華 柳華」なんかも呑めますオーラを店先まで振り撒いていて、実際に店内にいるおっちゃんたちはよい具合に呑まれているのでありまして大いに気になるところですが、立て続けに中華飯店ていうのもどうかと思ったので、メモしてあった「ことぶき食堂」に向かうことにしたのでした。しかし実はここも中華飯店だったわけで、しかし外観の渋さに中華料理だからと敬遠するには惜しいと立ち寄ることにしたのでした。こういう古くて小さいお店はやってるうちが入り時ですから。それをいうなら「柳華」にも入っておけということになるのだけれど、こちらは活気があるからまだまだ大丈夫だと思ってしまうのですよね。さて、店内もいいなあ。カウンターの下の板張りがカッコいいですねえ。カッコいいのは自らそこに身を置いては楽しめないものです。テーブル席からじっくり眺めることにします。いくらカッコ良くても自分の顔は見れないのと同じ理屈であります。さて、ウーロンハイをいただきます。お通しに酢の物が添えられるのは素敵なサービスです。それにしてもこのウーロンハイ、どえらく濃い目だなあ。念のため箸でかき混ぜてみることにします。こうした純粋な居酒屋以外のお店では混ざっていないことがままあるからであります。しかしステアしたところでその濃さは一向に変わらぬのでありました。八宝菜風のうま煮と餃子を注文、値段は失念しましたがかなりの安価さでありました。味はまあそこそこでありますが、当然文句などありはしないのでした。しばらくしてぽつぽつと客が来ます。常連たちはメニューを眺めるまでもなく大盛チャーハンを注文。ここではそれが間違いのない品なのかもしれません。昼下がりで客の引いた静かな店内は独りだと少し寂しい気がするのでこの時ばかりはA氏と一緒で良かったと思うのでした。
2018/11/12
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このブログのタイトルを何となく「夜が待ち遠しい」としてしまったのだけれど、今となっては過ちだったのではないかと思うのです。なのに大宮でもなどという地名を冠してみせると、やけにしつこくて、執筆者の変質性を嗅ぎ取らずにはおられぬけれど、それにまあ資料的価値は全くないけれど―とかつて糾弾されて、少しばかりヘコんだものです―、それでも何となく今日も眺めておこうかと思って頂けるひと握りの方がたは、いよいよこのサーバの容量食らいの日記も終焉を迎えるのかとホッと胸をなでおろされたかもしれぬけれどそうはならぬのでした。メインタイトルとサブタイトルが重なり合うというささやかな事件に遭遇すると人は一体どのように反応するのか知りたいと思ったなんていう野心は少しもないので誤解なきようお願いします。このタイトルは実際にこの日のぼくの心象をありのままに表現していたのです。ぼくは自分がブログを書いていることは秘密裏にしているのだけれど、ごくごく稀にそれが露呈してしまうことがあります。観念してブログの名前を口にするときの気恥ずかしさたるや、半端な厚顔ぶりでは堪え得ないのであります。が、この日はまさしくそんな気分だったのだから仕方がない。という訳で例の如くにいつまで経っても話が始まらぬので、今回の目当ての場所とそこに赴く理由をぶちまけることにします。答えの前者はタイトルにありますが大宮であります。そしてわざわざ足を向ける理由は時々コメントくださるハードコア丸山さんご推奨の酒場にどうしても行きたかったからなのであります。 でもまあせっかく交通費を払ってまで大宮に行くのだからそれなりにもとを取らねば損であるといういつもの貧乏性が首をもたげます。そうそう大宮では行きそびれていた喫茶店もあったからまずはそこらを訪ね歩くことにしようとなるわけです。まずお邪魔したのは、「カフェテラス ひまつぶし」であります。もともと大宮はそんなに地縁のある町ではないから久しぶりに来ると浦島太郎のような気分になり、特に西口側は随分久しいのでまるで初めての町のように思われてなかなか散策し甲斐があります。さて、一軒目はなんてことのないごく普通のお店であります。でも特徴的なのが奥のエリアで、飾り窓の向こうがなぜか黄緑色の不可思議な色彩を放っていて、それがさわやかとか清々しさと結びつかずにどこかまがまがしく感じられるのです。こういう不気味なセンスがひとつあるだけでその店にぐっと親近感が湧くのです。ナポリタンをはじめとしたスパゲッティが名物のようで、その盛り付けを見るとギョッとするほどのボリュームなのでした。 ここでA氏と待合せ。A氏は学生時分にこの界隈を徘徊していたらしく地の利もあるから頼りにしたのだけれど、まあ思い出は語るけれど案内人としてはさほど役に立たぬのでありました。まあ、学生の頃にそうあちこちの喫茶店や呑み屋を巡るような小遣いもないから仕方ないか。待合せたのは、かつてはダイエーだったらしきDOMとかいうショッピングモールに昭和51年にオープンしたという「喫茶 ウエスト」です。というのが開店当初の写真が飾られていたから知ったことでありますが、まあいたって平凡なお店です。カウンターの中の吊り棚がいかにも珈琲専門店という感じではあります。注文後のコーヒーが出てくるまでが恐ろしく早くて、これはサービスのつもりなのかもしれないけれど、ちょっと手抜きだなという気にもさせられます。 さて、喫茶店に興味を抱く以前にお邪魔していた「カフェ&デリ 伯爵亭」に立ち寄りました。とんでもなく混雑していて、入口付近では席の空くのを待つお客さんがたくさんおりました。わざわざ列をなして待つ位だからきっとそれぞれに目的があるのだろうけれど、どうも店の雰囲気を味わうというよりは、名物のナポリタンが目当ての方が多いようです。大宮はナポリタンやスタミナラーメンなどB級グルメに分類されるであろう品が押しのようです。言っちゃなんだけど大宮らしくていいなあ。でもまあ喫茶店で席が空くのを待つのもどうかと思うので、すぐに見切りをつけて店を後にしました。 高島屋の裏手の雑居ビルの奥に喫茶店があったことを思い出しました。この時点ですでにお酒も入っているので、夜に備えての一憩を取りたかったのです。ビルの奥という立地がまず楽しい。店の前にはでっかいサイフォンの飾りがありますが、瞬時にはこれが何か判別が難しい程度にちゃちな感じです。店内は長方形ののっぺりした造りで、端正かつ正統派ではありますが、いかにも生硬過ぎるのがやや残念です。窓際の席に着くもののそこからの眺めは人通りのない廊下なのでぼんやりと眺めて楽しいというものではありません。それでも壁のアート風なタイルがモダンで見てくれが良くなかなかのセンスの持ち主らしい。そう思ってみるとケバケバしく飾り立てぬのも美徳に思われてくるのです。しばらくしておばさま方の団体が来店。けたたましい喋りに辟易しつつ、その傍若無人な振る舞いに呆れつつも苦笑を浮かべることになります。独りのおばさまが大宮の名物らしきどこぞやの大福をそこにいた全員に配りだして、しかしそれが褒められた振る舞いでないことは弁えてはいるようで、小包装された袋からうまく大福を取り出せないからと袋ごと口に入れて歯でこそぎ取るように猛然たる勢いで食べてむせ返るのでした。餅を嚥下できず掃除機を突っ込まれる老人を目撃することに危うく成り損ねてしまいました。さて、そろそろ目的の店は開店したかな。
2018/11/11
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川口という町は思い出したように訪れてはいるのだけれど、どうも記憶に留まらぬのです。ぼくの残り少なさそうな脳容量には、収めるべき隙間がないのかもしれません。人の脳の働きが電気信号に基づくのだとすれば、PCのHDDのようにデフラグしてやって整理さえつけられるのなら、テトリスのようにスコンと収まる場所を生み出せるのかもしれない。けれどまあ、それこそテトリス同様に収まるや消え去る定めなのかもしれません。記憶なんてものは断片は断片のままに脳の各所に散り散りと収蔵されていけば、むしろその方が振り返ってみた際には、手掛かりが多くて良いのかもしれません。人の記憶のメカニズムに興味がないとは言わぬけれど、どうやらぼくの手掛けられる仕事ではなさそうだ。ピースにしろブロックにせよ、いずれにしろ川口という町の記憶の断片がハマる隙間は、ぼくの脳内にはどうも残されていないようなのです。しかし、しかし町の記憶が浮上せずとも忘れ難い酒場に今回遭遇できました。そこを再び訪れる機会に恵まれるかはともかくとして、この2軒を川口と紐付け切り離すことのないよう繰り返し思い返す事にしたいものです。 一軒目は、「もつ政」です。川口で古くから定評のあるもつ焼屋であるらしいのですが、今回の川口呑みに備えて調査した成果なのであります。外観はこれといった面白くもつまらなくもない、然程に個性とは無縁なお店なのでした。戸を引くとカウンター席のみの店内は、目一杯に埋まっていてこれはイカンかと諦めの感情をつい表情に浮かべてしまうのです。世間ではポーカーフェイスを美徳と見做す傾向が少なからず優勢であるように思い、ぼくもそう有りたいと思うけれど、時にはその殻を破ることも処世として弁えておくべきに思うのです。落胆したその表情を認めた客や店の方がもう出るからと引き止めてくれました。それもその声は同時に2方向から上がり、店の方には誠に申し訳ないと思うのです。さて、ホッピーにまずはカシラの刺身だったろうか、コリコリとした強い食感に濃厚な旨味が抜群に気に入りました。というか、これだけあればホントのところ他には何もいらぬところであり、むしろこれだけを肴に呑み続けたいと思う程です。無論、なかなかそういう事もできずもつ焼も焼いて頂き、それまた絶品だったけれど、先に頂いたカシラの誘惑には敵わぬだろうと思うのです。そして、この絶妙に処理された肴を店内に貼られた往時のモノクローム写真に見て取れる店舗、そしてオヤジの手により頂けたらさぞや素晴らしかっただろうなあ。無論、ここを女手ひとつ―という表現が差別的で時代遅れだと分かっているけれど、適当な言葉が見当たらなく勘弁頂きたい―で引き継いだ女将さんんも感服しました。 さて、次なるお店探しは難儀しました。正直、地図なしにもう一度行けと指示されても容易には辿り着けぬだろうと思うのです。それ位まあ彷徨った末に出逢ったお店ということです。「酒処 ツル」の黄色いテント看板を見て、ものすごく惹かれたかというとそれ程でもありませんでした。他に候補がないなという程度の軽い気持ちでそろそろと戸を開けたのでした。そこは古びてはいるけれど、まさに夢に描いたかのような素晴らしい内装が施されていたのでした。女将さんは客のいない小上りで独りテレビを眺めており、寿司―後日ここが「ツル鮨」と呼ばれ、旦那さんの跡目を継いで女将さんが寿司を握ってこられたらしいことを知りました―も伝統的な日本家屋に関しては―正確には建築全般についてであるけれど―全くの門外漢であるし、造詣も薄いけれどそれが素晴らしい造りであることは素人目にも明らかなのであります。思わず感嘆の溜息を漏らすと、玄関を入ってすぐの見事な岩石による盆景が富士山から運んだもので、かつては橋の下を蟹などが這っていたことや一枚岩のカウンターなど細部に亘って丹念にご解説頂いたのでした。肴がお新香と乾き物だって一向に構うことはあるまい。この空間で呑み、語っていさえすれば時の経つのも忘れてしまいます。川口の酒場二軒はいずれも、ご主人亡き後、女将さんが守り抜いてきた酒場でありました。女丈夫という言葉も差別的に解釈されかねぬけれど、それでもついその言葉で評させていただきたいのです。
2018/10/09
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武蔵浦和駅は、武蔵野線と埼京線の交錯する公共交通の要衝となっています。武蔵野線のお隣りの南浦和駅は京浜東北線と乗り換えできる、どちらも多くの乗降客が利用する駅であります。さも知っているように書いているけれど、何らかの資料に基づいて語っているわけではないけれど、これはもうまず間違いのない事実なのであります。しかし、この両駅には雲泥の違いが認められます。一方が古くから栄えた町であるのに対して、他方はタナボタ的―これは嘘、鉄道事業にタナボタなど起こり得ないはずで、裏では公に語られることのない生臭工作が頻繁に交わされていたものと想像されます―に急造された町なのです。実のところはこれもまた、何の根拠にも基づかぬ憶測なのでありますが、恐らくはそう外れた推測ではないと思うのです。南浦和駅の周辺が無秩序とも言って良いような出鱈目な町並みを体しているのに対して、武蔵浦和駅の周辺は計画的な区画整理が施されているらしく、こと住むという一点に着眼すれば多分暮らしやすいのだと思うのです。住む町と遊びに行く町、その使い分けは都市生活者のセンスが問われます。 ならばどうしてそんないけ好かぬ武蔵浦和駅にやって来たのか。語らずともよかろうかと思うけれど、もしかするとお察しの悪い方がおられるかもしれぬので,念のため申し上げておくことにします。そう、端的にこの町で呑んだ経験がなかったからである。手抜きして下調べせぬのも一興ではあるけれど、武蔵浦和駅はお前のように呑めればどこでもいいと語ってみせながら、チェーンは嫌だとかもっと古い方がいいとか注文の煩い奴には、手ごわい町であると常々聞かされていたから、事前のリサーチを敢行したのでありました。実は、駅のホームからやけに悪目立ちする中華飯店があるのを知っていたからいざとなればそこで構わぬとも思わぬでもなかったのだけれど、初めての町ではできれば普通の居酒屋を振り出しにしたいと思ったのであります。そのリサーチで引っ掛かったのが、「道奥料理 酒処 美田」です。見た目にはいかにもな住宅街の居酒屋という感じで、目につく黄色いテント看板が目印となるようです。ここで武蔵野線沿線の呑み歩き同士である獣医さんと改札前で合流。駅舎を出た途端に顔を見合わせ深く嘆息を吐いたのでした。 駅の西口でいいのだろうか、駅から伸びる立派でパッと見は綺麗なだけが取り柄のペデストリアンデッキを渡り地上に立ったところで、町が身近に感じられることはありませんでした。それでもがんばって愛嬌の欠片もない住宅街をひた歩くのでした。10分近く歩いたでしょうか、やがて想定していたよりずっと鮮やかな黄色のテントが視界に飛び込んできました。ようやく目的地に到着したようです。店の中はカウンター席が6つ位と7、8人が座れる少し大きなテーブルがあるだけの狭いお店でした。カウンター席は御常連のために空けておいてもらいたいのかテーブルに案内されました。女将さんの読みが当たって、ポツリポツリとカウンター席が埋まっていきます。道奥料理とあるので東北の料理がいただけるかと思いきや、品書きを見ても芋煮位のものでそれまた今の季節は出していないらしい。でも写真を見ても思い出せぬけれどお通しだけでもここは何を食べても間違いなさそうです。アスパラとしめじのマヨネーズ炒めなど安直料理の極みなのに間違いなく旨いし、豆腐ステーキは鉄板で豆腐を一丁焼いて、鰹節と薬味を大量に散らしただけなのに滅法旨いのです。何故、こんなシンプルな料理が美味しいのか全く持っての謎なのであります。そして、こうした家庭料理に少し手を加えた程度の品は自宅で真似してみたくなるものです。早速やってみたかというとまだできていないのですが、近いうちにやってみたいと思います。でも例えば白菜漬のステーキ―鉄板で焼いた白菜漬に玉子を溶いてかけ回しただけのもの―は、店ではあれほど美味に感じられたのに、自宅でやると持て余すのも居酒屋料理の不思議なところなので、自宅で試す場合は控えめな量で試みることが肝要です。 さて、続いては駅前の中華飯店でも行ってみようかと駅に向かって引き返していくと「居酒屋 しょうちゃん」というまあ至って普通のでもチェーンでないことだけは明らかな居酒屋があったので入ってみることにしました。真新しいからさほどの期待もしません。店に入ると10人ほどが一度に並べるカウンター席があり、その奥にはテーブルが4卓ほど並ぶ広いスペースが確保されていました。カウンター席の連中が一斉にこちらに視線を寄越します。そういうの慣れているけれど、ここの視線は余所とは違って、もっと凶暴さを感じるもので思わず失敗したと思ってしまうのでした。奥の女性はどうやら店の方らしいのですが、もっぱら動くのは厨房にいた店主です。この方がまた大層腰の低い、感じのいい方でありまして、注文取りから調理、運搬まで一手に引き受けておられる。同情といっては語弊があるかもしれぬし、勘違いかもしれぬけれどともかく好感のもてる方でありました。えびとマヨネーズの春巻きはスティック状のパリパリ食感が軽くて美味しかったなあ。ホッピーも中の量がなかなかにサービス精神旺盛で、なんだ武蔵浦和にも気の利いた酒場があるんだなあと驚くとともに安堵も覚えたのでありました。
2018/09/29
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東浦和駅は、JR武蔵野線の駅で都心からは多少アクセスが良くなかったりもするけれど、今では宅地化が進み、都心に通う勤め人のベッドタウンとして定着しています。ぼくなんか、いくら住居費や地価などが都心に比べて圧倒的に安くても住みたいとまでは思っていなかったけれど、今となれば少しばかり職場が遠くともアフター5になれば毎夜とまでは言わぬまでもたびたび都心の周縁にいそいそと出向くわけだから、転勤などを命じられるたびに各地を転居して回るのも悪くはなかったと後悔しつつあります。それを言い出したら元々がほくの仕事というのは転勤がそう多くもないし、さらにはそれを理由に今の勤め先に決めたのだから全ては身から出た錆に過ぎぬのです。しかし、行き先が武蔵野線の沿線となるとわざわざ安くもない運賃を支払ってまで手掛けるのは馬鹿らしく思えもするのは、けしてこの沿線が冴えないからなどという暴言を吐くつもりはサラサラないのであって、それこそ通勤で利用していた頃があったからに過ぎぬのでした。 さて、それでも東浦和にはほとんど縁なく過ごしてきました。数ヶ月前にキムタクの出演した連ドラでロケ地となったらしい喫茶店を訪れた際に見掛けた一軒の酒場が気になったから再訪する気にもなったのでした。普通の感性であれば見過ごすのが当たり前なのかもしれぬけれど、その点ぼくは只者ではないらしいのだ。駅からトボトボと退屈な住宅街を進んで行くとやがて「やきとり みちのく家庭料理 あづまや」という看板が見えてきました。置き看板は真新しく眩く灯っているけれど、以前目にした日中にはこんな目立つ、さして現役であることをあからさまにする様な根拠になるものは皆無であったから、さてここがやっていないとなると万が一の時には押さえの酒場など想定していない。なのにそれでも人を誘ってしまったのだから何という大胆というか無謀さだろう。お誘いした方は既にリタイアした久しく時間は持て余すほどあるなどと、ぼくをして猛烈な嫉妬心を煽り立てるのでありました。しかしそれでもいくらでも時間があるとはいえ、ぼくなんぞに付き合ってくれるとはありがたい事です。しかもわざわざ自宅から遥かに離れた東浦和まで足を伸ばしてくれる、そんな稀有な人物はそうはいはしまい。それはともかくとして、おお、やってるじゃないの。お隣りは「あづまや酒店」なので、酒屋さんが副業として呑み屋さんを併設したのでしょうか。そう思うとこの呑み屋店舗の方は酒屋の備蓄用倉庫だったのではなかろうかなんて風にも思えてくるのです。看板には山形の料理が記されているから、こちらの女将さんは山形のご出身か。店内に早速入ってみるとカウンター席のみで十席足らずです。席は半分程埋まっています。壁の品書にも山形の味覚がいくつも記されています。大定番のいも煮に始まり、玉こんにゃくやもってのほか―これは菊花の酢の物だったか―、山菜も色々ありますが、この日はまだ入荷前だったようです。残念だけれど季節物だから仕方ないねえ。他にも数は少ないけれど酒に合いそうな肴が取り揃えられているからまず支障はなかろう。でもやはり玉こんにゃくは外せないですね。ここのは串に指したものではなくて、丸いのが皿の上で落ち着きなくコロコロするのを串で捕まえて頂くスタイルです。本場では出汁をスルメで取るようですが、ここのもそうなのだろうか。よく味が染みていて大変美味しい。なんでこんな質素なものにシミジミと旨味を感じられるのかいつも不思議に思うのです。初めは常連ばかりに構っておられた女将さんですが、リタイアさんとぼくの山形旅行の話を聞き付けたらしく、色々とお話させたいただきましたが、結局ここまで書いた疑問を投げかける機会は逸してしまったのでした。次回こそ伺いたいところだけれど、ちょっと遠いしその機会はあるのかなあ。 さて、もう一軒。まだまだ面白い酒場が住宅街の片隅にでも潜んでいそうですが、手近な「居酒屋 河水」にしました。見掛けは郊外型のゆったりした造りの食事処といった雰囲気で先におられた2グループが帰られるとパッタリと客足は途絶えてしまい、我々だけのためにこの広いお店を開けて頂いているようで凝縮してしまうのですが、ここ、見掛けはどうということもないけれど、料理がなかなかの物なのであります。なかなかの物って何だかよく分からぬ出鱈目な物言いですが、里芋のコロッケはトロトロでクリームコロッケのような優しさ。しかも芋本来のトロトロだからヘルシーで大変結構です。もとより里芋はカロリーが低いから尚更です。芋づくしですがジャガイモのピザという品は想像通りの見栄えですがこれが家庭ではこうはいかぬのが摩訶不思議。こんなありきたりの料理なのにどういう技を用いて成し遂げたのかしれぬけれど、どうもぼくの調理技術ではこうはならぬと白旗を上げることになったのでした。その技を知るためにもまた出向きたいところですが、いささか遠いのであると繰り返すしかないのでした。
2018/05/14
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近頃めっきり酒が弱くなりました。いやまあ元々がさほど強くなかったのだけれどとにかく量だけはそれなりにいけました。翌日、想像を絶するばかりの呻き苦しみをぐっと呑み込んで死力を尽くして振り絞ったのは、カッコつけの意志で乗り切っていただけでしかないのだ。いくら呑んでも酔わぬ奴はかっこいいと思ったこともあったけれど、酔えぬ奴はやはり不憫だし、面白くない。ぼくにとっての理想の酔っ払いはウィリアム・ワイラーの『西武の男』の酔っ払いたちです。別に彼らのように殴り合う必要などサラサラないけれど、スカッと酔っ払ってスカッと冷めてしまう、それこそが理想の酔い方なのであります。まあ、彼らのようにウイスキーをラッパで一気呑みしあうまで強くなくたって一向に構わぬのであって、それほど呑まぬ限り酔えぬとすれば小遣いがいくらあっても足りはしないのです。さて、ここまで酒の弱さを白状しましたが、この先その流れで何事かを語ろうと思って書き出したらしいのだけれど、昨日の今日で執筆―と書くのは気恥ずかしいが他に適当な言い回しが出て来ないのです―の意図を見失ってしまいました。しかし、消すのも抵抗があるのでこれはそのままに唐突に書き継ぐことにします。 この夜は西川口駅に降り立ちました。目指すべき店があるのです。かつてストリートビューだったかはたまた自身が目視したものかは今となっては確認のしようもないけれど、永らく記憶の片隅で一軒の素晴らしく枯れた外観のお店が燻っていたのです。持って生まれた偏質的な性癖により気に掛かる事はメモしてあるのだけれど、これまた持ち前のいい加減さですぐに膨大な情報の無機質な文字の中に埋没させてしまうのです。だから「御食事 あおき」な事を思い出せたのは奇跡とまでは言わなくても相当に運の良い事でした。西川口駅の東口を出ると駅を背にしてズンズン進む。ひたすら進むと地図上には不可思議な三角地があるはずです。しかしそんな風景は一向姿を見せず不安になって眼前のこれもちょっと良さそうな食堂を目印に調べてみると随分北を歩いていたようです。 そんなこんなで随分と無駄な歩きをしてしまい時間をロスしてしまいました。いや、迷子になるのは町歩きの醍醐味とすら思っているから、とにかくそれだけ焦っていたという事なのです。なぜなら「御食事 あおき」な閉店時間は8時と目前に迫っているからです。しかし目指した食堂は不意に暗い町に出没し安心するのも束の間、独りのおぢさんに先を越されてしましました。それにしてもトタンの見事な看板が最高にカッコイイなあ、これは明るい日差しのもとでも見てみたいものです。店内は独り客と夫婦もんで小上がりの一卓のみ空きがあり、贅沢ですがそこを独占させてもらいました。もう一つの小上がりもやがて子連れ夫婦が収まり満席の盛況ぶり。それをご主人独りで捌かねばならぬのだから大変だ。なので常連さんは、注文や酒の受取りは自ら足を運ぶことになります。ぼくも当然のようにそれに倣います。そんなちょっとした手間でこの素敵な店が少しでも長く続くなら惜しむほどのものではありません。120円(税抜)の〆さばも気になりますが、手っ取り早いマカロニサラダ150円(税抜)とこちらはちょっと待つことを覚悟したマーボー豆腐300円(税抜)を注文します。素早く届いたマカサラを肴にチューハイをやります。するとほどなくしてマーボーも到着。いくつもの調理を並行して進めているのだろうけれど、すごい処理能力であります。ぼくも料理に関しては段取りがいいダンドリくんと自負していますが、とてもじゃないけどこなせないとシャッポを脱ぎます。このマーボー、ちょっとしょっぱいけど、程よい絡みで実に旨い、白飯にぶっかけて食べたいところですが、これが丼いっぱいあるのでとても飯までは食えそうもありません。渋いばかりでなく料理も優良です。なるほど子連れでも来たくなるわけだ。 店を出ると来がけには通れなかった三角地帯を見ることができました。そこは往来の激しい通りに囲まれてなお平然と営業を続けるラーメン店が残っていました。非常に気になったけれど、とてもラーメンは食べれないと思い通過しました。調べてみたら「コシ屋」というのですね。なかなかの有名店のようです。今度行ってみよう。で、素直に歩けば10分ちょっとで駅に到着しました。随分遠回りしたものだなあ。 西口のラブホテル街をぶらつくと古い酒場はあるけれどその多くからカラオケが鳴り響くのでどうも気持ちが萎えてしまう。そうこうするうちに駅前に来てしまいました。駅を出てすぐの路地に3、4軒の酒場が軒を連ねますが、「にしくら」というお店には入っていないはず。客の気配はないけれど思い切って足を踏み入れると、手作り感のある西川口らしい酒場でした。店のママさんは唯一のお客さんとしっぽりとしたムードを隠そうともせず一緒に呑んでいました。自分がいてもいいものやら、多少の気まずさもありますが、酒を呑んでテレビでも眺めてれば、そんな気配は吹き飛びます。特にどうということもないけれど、どこがどうと語るのは困難ですが、やはり西川口らしい酒場だなあと納得するのでした。
2017/11/30
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浦和って地名を含む駅が多いのは、そこがかつては埼玉県の中枢であったことを考えればまあ不思議ではないのだけれど、今ではさいたま市に取り込まれてしまい、実質的な中心地が大宮に移っていることを考えれば過ぎたる扱いに思われます。大宮など二駅しか無いはずだもんなあ。それともやはり浦和の住民は浦和に対する埼玉を代表する町であるというプライドが駅名を決定する際な大きく作用したのだろうか。ぼくにとって浦和といえば浦和駅を中心としたエリアが瞬時にイメージされるし、多少は馴染みのある京浜東北線の他の2駅は、文教都市として住民たちが自負するのであろう浦和ブランドは感じられないけれど、それぞれ個性的で猥雑さすら放つ魅力的な町という印象があります。それに引き換え武蔵野線の京浜東北線と交錯する南浦和駅以外の3駅、具体的には東浦和駅、武蔵浦和駅、西浦和駅は、ほとんど道の町であり、先日ようやく東浦和駅を訪れることができたのですが、喫茶店一軒に立ち寄っただけで諸般の事情から撤退を余儀なくされたので、そこは近日中に必ず再訪を果たし、酒場巡りすすつもりなのでその時に併せて報告させていただくことにします。ともかくこんばんは西浦和に行くことに決めていたのです。それは食べログで西浦和の情報を収集していた際に食べログならぬ個人のサイトでたまたま目にしてしまったのでした。これを見ていなければ気持ちは間違いなく武蔵浦和駅に傾きかけていたのです。だって武蔵浦和駅からだと埼京線が使えるので帰宅に便利なのでした。あまりにも長くなったのでそろそろ本題に。 西浦和駅の改札は高価な真下にあってそこから正面に向かって30m程が飲食店などが立ち並んでいて密閉されたかのような洞穴のようになっていて―実際は真っ直ぐ進むと大通りに出るトンネル状なのですが、目の錯覚が作用しているのかずんどまっているように感じられるのです―、武蔵野線の沿線どころか都内近郊では見ない造りです。むしろ大阪とかにあって不思議じゃない光景です。これは良い、目当てがないのなら手前の焼鳥屋に飛び込んだんだけどなあ。でも今晩は場末酒場が好きなら見逃せぬ、その佇まいだけで心揺さぶられずにはおられぬ店に行くのが至上の目的であるから脇目など振ってはいられないのだ。なんて言いながら待合せの獣医のKさんが遅れているのか姿を見せぬので焼鳥屋のお隣りの喫茶店「パディントン」にはちゃっかり寄り道したのですが、まあ、コーヒーショップのような使い勝手な良い店ですが、ホンモノのコーヒーショップの手軽さと手頃さには叶わぬようで苦戦していました。 十数分遅れでK氏が到着。目指す酒場は駅から十分弱もあれば着くはずですが、もうすぐ7時と最も混み合う時間帯のはずだから気が気でないのです。挨拶もそこそこに歩き出しますが、多き通りの行き交う道沿いに居酒屋などありそうな気配はありません。しばらく歩いて逆方向に向かっていることに気付きます。駅から反対に向かう通路などあっただろうか、もう迷っている暇などないので、その確認はともかくとして今来た道を引き返します。秋を通過すると今度は柵で覆われた更地が続くというなんとも味気のない風景です。日頃、多少歩いても愚痴を述べぬ同伴者もまだかねえ、とボヤき出す始末。もうすぐだと励ましつつ道を曲がるとそこには田島団地がありました。いくつかの様式の建物があってここを通り抜けてくれば楽しかったのに。何軒かの呑み屋さんを横目になおも歩いているとようやく目指すべき酒場が見えてきました。しかし、道路側な開放された窓の内にはみっしりとお客が埋まっていたのであります。一瞬、一人でも入ってやろうかとそんな無体な考えが脳裏を過るのですがその余地すらなさそうです。 諦めて一旦他所で時間を調整してから引き返してくることにします。途中、バラックというか町工場なようなでも少しばかりカラフルでポップな感じの構えでレトロ風を装う店だなと察せられますが、本命が控えているので選り好みするまでもない。「とんこ家」というお店は、表からもお客のいないことははっきり分かりましたが、まあ雨も降り出したことだし、清潔で居心地は良さそうです。席に着くとひとまず酒を注文です。壁にワンカップのキンミヤとホッピーのセットで800円という手頃なのがあったので、注文すると品切れですと。酒の品切れってのはどんなもんかねえ、早速出鼻をくじかれました。とんこつ風味の煮込みとは珍しいなあ。あとはもつ焼の盛合せで。店は女性二人でやっているようです。フロアー担当の方がどことなく表情が暗いし声にも明るさがないのが気になります。加えてまだ呑んでるのにお代わりを聞きに来るのもどうかと思う。調理を担当されてる方は、しっかりしているのにもったいない。あまり期待していなかった肴はいずれもそれなりの味で、煮込みはこれあまり食べたことないけど、とんこつ味っていいですねえ。一味も良かったけれど、コショーで食べても旨いかもしれません。小一時間経過したのでボチボチかな。 まだ先はないだろうなあと悲観的な気持ちでまた同じ道を歩きます。これでやってなければ近場でもう一軒ハシゴしておいて、それでも駄目ならK氏を見送ってからでも引き返すしかないなと悲壮な覚悟を胸に秘めつつやって来たのは、「やきとり 源」でした。空き地にぽつんと建てられた掘っ立て小屋で、営業しています。窓から中を覗くと、うお、さっきとは違って随分と空席が目立ちます。ご隠居した団地住民が客の大半なのか引き際も見事な位に潔いようです。店内に入ると狭さは際立ち、建物全体でも六畳一間位でしょうか。カウンター席が8席ほどです。でも実際には案外窮屈さはなく、これは常連がたむろしたくなる気持ちが良くわかります。女将さんは一瞬怪訝な表情を浮かべますがそれもすぐに引っ込みます。地元客相手の店ですが、案外開かれたお店です。お通しは、大きな冷奴。肴は十数品しかないけれどカレーのルーとかハムエッグが気になりますが、マグロの山かけをいただくことにします。このトロロを豆腐にまぶしたりして、やはりいいものだなあ。いつも予算の都合で敬遠してしまいますが、これからは大人の嗜みとしてたまには頼むことにしよう。常連さんたちは、しばらくはわれわれを無視するというか静観する構えで様子を窺っていましたが、ぼくが便所―これが必見、屋外独立式の汲取り式であります―に行ってる隙にK氏とすっかり馴染んでいました。武蔵野線呑み屋巡りをしているといった他愛ない会話をしたためか、帰りにはいつかここに戻って来てちょうだいね、きっと来ることになるよと、暖かく見送られたのでした。
2017/09/23
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とある土曜の昼下がり、東川口駅を目指しました。JRの武蔵野線には結構乗りこんでいるとは思うのですが、定期券があるわけじゃないし、家からもかなり遠いので下車していない駅も少なくないのです。頻繁に足を運びもする南浦和駅からはわずかに二駅だというのになかなか足を伸ばすきっかけがなかったのです。隣の東浦和駅にしてもしかり。行きたいけど電車賃をケチってしまって行かずに投げうってしまっている町がどれほどあるだろうか。いや、キッカケがないなどというのは、てんで嘘っぱちなのであって、随分前から機会を伺っていたのです。それこそ東川口には宿題となっている喫茶店が何軒かあって、要領良くまとめて回ってしまいたい、そのタイミングを図っていたのでした。ようやくの事で機会を掴んだのはつい先だっての事です。駅前に降り立ってまず目に止まったのは喫茶店ならぬ立ち呑み屋なのでありますが土曜の昼下がりではまたやっていなくても仕方のない事です。日が暮れた頃にまた立ち寄ってみることにしよう。 まずは目当ての喫茶店の一軒である「コーヒーショップ 桂」を目指します。駅をせに歩きだして間もなく看板が見えてきました。コーヒーショップと呼ぶのに違和感がある位に古臭いお店に見えます。それは今や喫茶店というと「ドトール」なんかのコーヒーショップを想起しがちで、だからコーヒーショップというのがついチェーンのセルフスタイルのお店を思い浮かべてしまうからなのでしょう。でもそれでもこちらのお店の風貌は、端的に喫茶とでも称するのがより相応しく思われます。店内に入るとイメージよりずっと明るくてこざっぱりとキレイなお店です。花もたくさん飾られています。しかしチェアの質感や照明のセンスに往年の喫茶らしさを見て取ることができます。駅前という立地なのにも関わらずお客さんはいなくてのんびりとできてそれはいいのですが、前途を心配してしまいます。 ここで、突如呼び出しの電話が掛かってきます。せっかくの東川口なのにこれで引き上げてしまうのはあまりにももったいない。ということで、何れも遠距離の他の喫茶店は諦めて、駅そばの居酒屋に入ることにしました。さすが川口というだけあって、駅前の酒場数軒はすでに営業を始めていたのでした。どこも似たりよったりのキレイなお店でしたが、いずれも盛況なのです。選択肢はあるけれどどこも代わり映えせぬので、駅に近い「串焼・もつ焼 げん 東川口店」を選びました。東川口店とあるのがちょっと気に入りませんが、まあ東川口にはいずれ本腰を入れて訪れることになりそうです。店内もまた小奇麗で、それより何よりほぼ満席という繁盛ぶりに驚かされるのです。たまたま団体さんがいたのが原因なのですが、他にも数組が入っていたので人気店なのでしょう。お通しにキャベツが出てくるのですが、この近頃は右も左もざく切りにしたキャベツなのにはほとほとウンザリさせられます。東松山風のやきとりが売りのようで、例のニンニクの効いた辛味噌を付けて齧るとまあ悪くないな。しかし東松山風ならハケが正当なんじゃないのかね。全般に値段は安くはないのですか、やきとりは大振りで亜流の店と高をくくっていたけれど、肉の味は本家の有名店なんかよりはずっと美味いんじゃないかな。この系列のお店って浦和を拠点にしてるんだろうか。あまり欲張らずに手堅くやっていけば有望なお店に思いました。
2017/05/02
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南浦和という町はどうも思っていた以上のポテンシャルを秘めているらしいのです。前回自転車をこぎこぎ南浦和を訪れたときにたまたま目にした古い食堂、今振り返るとどうしてあの時に立ち寄っていなかったんだろう、これまでだって何度となく同じ後悔を味わっているではないか。しかしぼくという人間は、どうも同じ過ちを繰り返さずにはおられぬ性分らしいから質が悪いのです。性分なる曖昧模糊としたのが相手とあっては、ぼくの脆弱な意志の力などハナから勝負にすらならぬのであります。ともかくも何度行ってもどうも町の造りが身につかない南浦和にやって来ました。ぼくはどうも鉄道で分断されている町が苦手らしいのです。JRの京浜東北線と武蔵野線が交錯するこの町は未だに全容が掴めず、というかまともに地図すら眺めぬのだからいつまで経っても覚えられるはずもないのですが、とにかく秋葉原なんかと同じで歩きにくくて仕方がないのです。だけど不思議なことにその店には一度も迷うことなくすんなりと着けてしまったのだから、ぼくとしてはあっぱれな出来事で自分のことを褒めてやりたくすらなるのでした。 そのお店は「味のみこしや」というかなりくたびれた様子を隠そうともせぬ、いやもはや隠しようもないお店があります。始めた見た時、その佇まいにすっかり痺れてしまったわけですが、これを見過ごすことができたとは、改めて現物を目の前にして驚くとともにすっかり呆れ返るのです。そういえばこれまてのぼくの半生は常に好機を逸することの繰り返しだったような気がするのです。あの時もう一踏ん張りしていれば、あの時もう一度見直しておけば、そんな後悔と無念さで出来上がっています。そんな反省はどうでもいい、己の行動に向けた反省などものの役にも立たぬ。反省はあくまでも自己満足に過ぎず、絶望的なまでの過ちのみが人を変化させる原動力となると思ってみたい。さて、とこうあっさりと開き直るのが良くないことは重々承知でありますが、そんな個人的な事情などこれをご覧の方にとっては迷惑に過ぎぬでしょう。店内は半分物置に化していて、正直消して清潔感のある店ではありません。皿などは洗っているはずですが積年の汚れが拭っても落とし切れぬようです。しかし驚かなかれラーメン300円、鳥唐揚げ定食は写真をそのまま信じれば驚くべき量ですがなんと500円とのこと。まあもっと安い店もあるけれどやはりこれは驚くべきではなかろうか。チャーシューと餃子を頼んでみる。見た目はかなりビミョーである、がしかしチャーシューはともかく餃子は旨いではないか。少しも餃子好きでないくせに餃子には滅法うるさいぼくがそういうのだからきっと旨いのであります。保証などするつもりはないけれど、この店の親子の調理における密やかな会話には一切の妥協もありません。チャーシューはちょっとチンしたほうがいいぞとかささやかにアドバイスする父をぼくは愛します。帰途の車中、果たして目頭を熱くし、そっと溢れるものを拭ったかどうかはさておき、そんな愛すべきお店にはやはり見たら即入るべきなのです。
2017/04/15
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北浦和にかねてから入ってみたい酒場があります。それって前回来たときも同じことを書いたような気がしますが、まあ実際そんな気持ちを抱かさせてくれるような味のあるつまりはボロな酒場がいくつもあるのが北浦和の楽しみです。思ってるばかりでは結局チャンスを逸するしかないことはものの道理であります。そういう時に有効なのが、気合を入れて足を運んでみることです。一度行ってしまうと、大抵仕事帰りに立ち寄れるような町ならば、それまでの怠惰な心持ちが一体何だったのだと思う位に身近なものと思えるようになるから不思議なものです。何度行っても億劫だったり憂鬱だったりする町は、それはもうどれほど良い酒場があったとしても親しい町とはなり得ぬようです。北浦和はぼくにとって幸いにもあまり通うのに苦にならぬ町であるらしいのです。なのに頻繁に訪れようとせぬのは、単に交通費を捻出するのが困難だからという一点があるだけです。だけと書いたけれどこれが実際には大きな問題になるわけですが、それはさておきなんとかやり繰りして訪れました。 まずお邪魔したのが、西口の商店街、ハッピーロードを抜けた場所にある二毛作のお店です。どんな店の二毛作かというとまあさほど希少ということもないようでありますが、日中は魚屋さんをやってるお店です。亀戸だったかにもあったと思いますし、大崎でも見掛けました。食品を扱う店であればそう珍しくはないのかもしれません。この間など町の電気屋さんが夜はおでん屋さんをやってる酒場にお邪魔していて、それはなかなかに稀有な店に思われ、すぐにも報告させていただきたいところですが、まずはこちらを終えてからにします。「小さな小さな築地 かね吉」というのがそのお店の名前らしく、鮮魚コーナーと呑みのスペースが併設されているので、さほど魚屋さんで呑んでいるという気分を味わえるというものではないのですが、それでも振り返ればガラス張りの冷蔵ケースがそれらしいムードを見て取れます。さすがに魚介の肴メニューは豊富で、目移りしますが、さほど食欲もないものだからアサリのスモークだかそういったものをアテにしてちびりちびりやります。店はカウンター席は常連ばかりで、でもこの辺の方たちの性癖なのかこちらの事にまるっきり関心がなさそうです。それはそれで気が楽ではありますが、店の方たちまでがつっけんどんな印象だったのはあまり喜ばしくない。いくらセコい客だろうと笑顔で接するのが客商売の基本じゃなかろうか。いや、笑顔などと贅沢は言わぬからせめて、店を出る際にはひと言礼くらい述べても損はないんじゃないかなあ。どうもぼくには冷ややかな対応というネガティブな感想のみが今でもわだかまっています。 ここでO氏と合流します。彼は自宅が北浦和から遠くなく何度も来ていてかなり歩いているというからこれから向かう呑み屋街のことも当然知っているものと思っていました。ところが、西口を出てすぐのハッピーロードの脇道にある呑み屋街を抜けてしばらくの暗い通りを抜けた先にまた別の呑み屋街のある事は知らなかったらしい。彼もまたぼくがそうだったようにその一見すると廃墟と化していても不自然ではないその佇まいをしばし眺めて感嘆のため息を漏らすのでした。そうだろうそうだろうと己の探索能力を誇りたくもなりますが、ここら辺の住民なら誰もが知っていることでしょう。でも見ただけで済ますことのない所は彼らと違っています。たまに通り過ぎる多くの住民は、ここを迂回するようにその存在を意識から締め出そうとしているように思われました。こうした町外れの呑み屋街というか長屋のご多分に漏れずスナック系の酒場が主流です。その中から突き当りの酒場に最初目を付けました。明かりは灯っていますが暖簾がしまわれています。どうしたのかと戸を開けようとしたところにちょうど女将さんらしき方が出てこられて今晩は貸し切りといったことを告げられた気がします。むむ残念であることよ。しからばと向かったのが「おばちゃん」なるお店。店に入ると思ったほどはボロくはないけれどかなりの年季ある店内でした。お喋り上手な女将さんによるとこの小さな呑み屋街で独りだけでずっと続けてこられたようです。最近までは二軒隣の今は使われなくなった店舗で営業していたけれど、老朽化でこちらに移ってきたとのこと。ここは地下に貨物路線が通っていて、とても眠れないような喧しい環境だったので、大家が呑み屋街として利用したのが起源ということ。なかなか興味深いお話です。特にこれといった肴があるわけでなく、でもそんなことはどうでもいいではないかとついつい杯を重ねてしまうのでした。いつものことであるけれど、いつしかせっかく交通費を払ってきているから、もう一見寄っておこうなんて邪な気持ちは吹き飛んですっかり酩酊しての帰宅となったのでした。
2017/03/31
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北浦和駅の西口を出ると目抜き通りから逸れるように斜めに伸びる商店街があります。こういう出鱈目な町並みが好きです。碁盤の目のように整然とした町はそれはまあ便利なんだろうし、機能的だとも思います。でも見通しが良すぎて丹念に散策したいという気力が湧いて来ぬのです。階段を登るようにジグザグ歩きすれば視力さえ衰え知らずであればひと通りの町並みチェックがそれで済んでしまうのです。不安ならば対角線上もフォローしておけばまず間違いない。でもそんなの楽しくない。やはり蛇行する道を歩いて先の風景が見通せぬようなのが面白いのです。この先何かが有るにせよ無いにせよ少なくとも歩いているうちは期待と興奮を携えていられるからです。北浦和のハッピーロードはデタラメに思われる区画整理によって結果として入り組んだ路地ができ上がり情緒ある呑み屋街となったのは余所者としては歓迎すべきものです。そんな町並みだからウロウロと彷徨ってみるとよもやと思われる場所に思いがけぬ拾い物と遭遇することもあるのでした。 北浦和には何度か来ていて、それは随分前にこのブログでも報告させてもらっていますが「大衆酒場 千忠」には、その度に立ち寄るのにいつも閉まっているのです。ネット上に何軒かここの描き込みを見掛けましたが、その情報はあまり新しくないのでアテにはしない方が良さそうです。ハッピーロードを曲がるとそんなに軒数があるわけじゃないのですが、ちょっと良い雰囲気の呑み屋通りがあります。この通りの酒場にも何軒かお邪魔しています。目移りしますがそこは目指す酒場の安否を確認してからです。麺屋の看板のある暗い路地を折れると、すぐに人ひとり通るのがやっとのような細い路地の先にそこはあります。昔少し法律の民法などをかじった際に決まって出てくる囲繞地の典型です。なんとも喜ばしいことに白の看板が煌々と夜道を照らしています。いや、煌々とというのは違うなあ、ボンヤリと点っています。スッと戸を開けると思いがけずに広い店内です。ぼくの想像力だとカウンター5席ばかりの老婆がほそぼそとやっているお店をイメージしていました。カウンターは10席以上、テーブルが3卓と実体は想像の約5倍の広さでした。想像力というのは人間としての器の大小に左右されるものなのでしょうか。広い店なのにカウンターの一番奥の席に座る辺りにも小心さが滲み出ています。まあ、ここがもっとも眺めがいいと思ったからなんですけど。色々ご意見もあろうことかと思いますが、その酒場なり喫茶店の最高のポジションを確保する才能にだけは恵まれている自負がある。その割には写真がいつもお粗末ではないかと言われると返す言葉もないのですが、それは腕前と混んでて好みのポジションが取れなかったからだと言い訳するに留めます。お通しはなます、なら酒は清酒を軽くお燗してもらいます。なますって自分で作ってもちっとも旨くないけど、こうしてチビッと摘むと美味しいんだよねえと語り掛けると何でも多過ぎると美味しくないねえと平凡なやり取りから会話を始めます。開店して37年、休みは日曜だけとのことだけれど、昨年少し体を壊していたそうです。たまとまここに来たのかもしれぬけれど、あとは日曜じゃなかったと思うんだけどなあ。そのうちO氏がぼくの送ったヒントを頼りに無事到着しました。ぼく以上にこの町に来ているというのにここを知らないとは迂闊すぎるぞ。ともあれ、抜群の雰囲気でちょっと気の利いた肴があって酒は売るほどあるのだから文句などあろうはずもない。(ここで呑みに突入、だかここでお終い)。
2017/03/10
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飯能には同年代の従兄弟が暮らしていました。その彼が今どこで何をしているかなんてことは知らないし、正直どうだっていいことです。ただ小学生の頃、飯能のその従兄弟の家に1週間程滞在したことはボンヤリと記憶しています。多分飯能の駅前も何度か歩いたのだと思います。十数年前に訪れた時に久しぶりに訪れた町にどのような感想を抱いたかすらほとんど覚えていない有様です。でも不思議と田舎育ちのぼくにも居心地の良い印象を受けたように思います。今度もまた似たような心地良さを感じます。今でこそ都心で暮らすようになりましたが、子供の頃から地方都市を巡ってきて、その感受性を含む大部分を瓦解しつつある地方の小さな町で過ごしたり通ったりしながら見続けてきた身にとっては、まさにそんな現状にある飯能が懐かしくも己の心性にフィットするのは当然かもしれません。 しかし、古いばかりでなく途切れることなく現役のままで大幅な改修すら回避してきたらしい木造建築の食堂「住田屋食堂」は、ぼくの卑小なだけの懐かしさなどという感傷的な物言いでは表現してはならぬと思わせるだけの風格があります。その素晴らしさは外観に留まらぬのごすごい。店内までがそれこそ100年も前から何一つ変わっていないかのような風情を留めている。しかし、当然ながらそれは間違いで長年を掛けて身に纏ってきたものであり、まさに凄いとしか言いようがない。それを配膳を担当する何代目だかの女将さんに語ってみたところで謙遜されるばかりでしょう。本当に凄い店ではその感想は美しいとか素晴らしいとか凄いなんていう、つまりはほぼ絶句したのと何ら違わぬ発言へと追い込まれるしかないのです。こんな歴史すら語ってみたくなるようなお店なのに、何よりすごいのが町の住民たちがさも当たり前のように普段着使いしている事です。このようなお店が残されているのは異常な事態であるのだぞと耳元で囁いてみたい欲求に見舞われるのですが、そんなこと余所者に言われずとも百も承知に違いないのです。せかせかと食事してはさっと勘定を済ませて立ち去れる幸福に激しく嫉妬しながらもこの我感を少しでも引き伸ばすためにだけビールを呑んでみるのです。文句の付けようのない完璧なバランスのラーメンがこれ程に似合う食堂は他に思いつきません。でもこの店で夜、コップ酒をチビリチビリすることが出来たならどんなに素敵だろうと空想は膨らむのでした。 さてこの後数か所の駅を下車して、とりわけ東村山では忘れがたい食堂とも出会えたのですが、それは次回の楽しみとして後回しにしておきます。夕方、本川越から近くない喫茶店に何度目かのお預けを食らってしまったから、もう気持ちは酒に傾いたのです。東松山のやきとり屋の発祥とも言われる「若松屋」の支店が駅のそばにあります。ここも10年近く前に武蔵嵐山に住む知人の案内で訪れています。早く直帰できた夕方過ぎに到着するともうほとんどの席が埋まっていたのですが、今はどうなのでしょう。遠目にはモツを焼く煙が激怒する波平というよりは、黒澤明の『天国と地獄』の禍々しいけれど貧弱な煙のように噴き上がっているのでした。この煙を見るだけでどうも違うなという気がしてしまう。映画好き以外には伝わりにくい例えになりますが、ラオール*ウォルシュの映画に見る事ができるような少なくとも視界に収まる全面を覆い尽くすような波及する煙こそがぼくを魅了します。それでもまあ夕方になったばかりだというのにかなりのお客さんが入っていることがわかります。実際コの字カウンターのほぼすべての席が埋まり、奥の客席からも賑やかな声が響いてきます。窮屈な位に賑わう酒場を賞賛する方もいるようですが、ぼくはあまり好きではありません。加えて己の領域を確保して譲ろうとせぬ隣人と鉢合わせたときには、そこにいる間中、肘や膝をさり気なく使っての陣地争いとなるのだから気の休まる暇もない。相手だって同じような気分なのだろうに、どうしてほんの少しの気配りをすら回避しようとするのだ。それにしても、これ程に混雑していなかったとして数あるやきとり店であえて、「若松屋」を選ぶ理由はぼくにはなさそうです。ここのカシラは肉の処理の仕方がもたらすのでしょうが、独特の肉の臭みと生っぽい食感があってどうも苦手なのです。
2017/02/06
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前橋では不調なままに終始してしまいましたが、その後、高崎から東京に近づくに連れていくらか手応えも出始めました。次に下車したのは深谷でした。深谷は駅舎の立派さと町並みの一見した退屈さでどうも以前来たままで、打ち捨ててしまっていたのでした。その後、素晴らしい大衆食堂を知って、そこは実際素晴らしかったわけですが、併せて深谷にも昔日の街道的な町並みもいくらか残されていることも知ることができました。それで性懲りもせずまたもや足を運ぶことにしたのです。 駅からそう歩かずに古い商店街の成れの果てのような一角があってそこに「レストパーラー 高原」というのがあるはずですが、しばらく右往左往してみたのですがそれらしき痕跡がありません。先日新潟を訪れた際にも高原という喫茶店がありましたが、そこもそうでしたがここ深谷もどこにも高原らしき地形は混じられません。なのに敢えてそういう店名とするにはそれなりの覚悟を持ってなされたことでしょうから、やはりそれは気になります。加茂の店舗は那須とか軽井沢の高原にあっても不思議はない別荘のようななかなか素敵な洋館で、内装も外観以上にシックで落ち着いていました。今回はそれは確認できませんでしたが、深谷の高原はどんなところなのでしょうか。それ以外にも良さそうな店がありますが、今は喫茶営業はしていないのでしょうか。 そこからは結構な距離を歩かされますが、それは真夏の酷暑のせいだったからでしょう。今この時点は寒さの底にあるので、今なら楽々歩けてしまう距離であったはずです。細い自動車道路の脇道に逸れた路地に「ホーリィ」はありました。ひっそりと静まり返っており、店内も薄暗い。80年代のアメリカンのテイストを幾分散りばめながらも、それなりに日本的な喫茶の定番的な造りも併せ持っています。でもその定番というのは何かもたらしているのか、多少散らかったところや、あれこれと貼り紙されているところかもしれない、昼寝して涼む常連からも感じられる店と客の距離感がもたらすものかもしれない、そういうすべてが交わっているのでしょうが、特別どうという店ではなくともここは他に変わることのないお店であることがお客さんたちの振る舞いが示しています。 前の店と比較すると「軽食・喫茶 プチ」は、グッと場末らしい趣のある忘れ去られ地元でも利用する数少ない方以外の視界には収まらないような印象のお店でした。いくらかスナック風の風情があるのもそれはそれらしくてそそられるのです。店内はスナックというにはこざっぱりと、余計なものはほとんどない。もちろんそれは洗練されているとか、店主の美的感性の発露とかいうものとは縁のない話であるようです。るしろ初老のママさんは自分にとって居心地よく清潔感の保たれた店造りに専心されてきたところに、経年の劣化を無理なく受け入れてきたことがもたらしたシミジミと心地よいお店なのでした。内装や家具などもこだわりなどという過剰さよりも機能性とか耐久性とかを重視されたようです。でもそうしたものを大切に扱う精神がこの店の基調となっていて毎日通いたくなるのでしょう。幾人かの常連さんの幸福そうな姿を見るとそう思わないわけにはいかぬのてす。
2017/01/29
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正直、今度の東武電鉄の喫茶巡り、2回に分けず一度に報告してしまうつもりだったのですが、下今市の次に向かった幸手駅が埼玉にある駅というただそれだけ、カテゴリー違いは面白くないなあというのだけが理由で分割することにしました。悪しからずご了解いただければと思うのです。さて、ところで幸手の喫茶店については、今更ぼくなどが語らずとも多くのブログで紹介されているようですし、ぼくも何度か見た事があるのでした。なのでそうした先達のあと追いでしかないので、これを書き残すことの意味はぼく自身の備忘録というか日記そのものに過ぎません。 言い訳はここまでにして、初めての幸手に気分は高揚します。ネットに流布されるその店の写真からきっと町並みも古い商店がたくさん残っているのだろうなと、期待は嫌がおうにも高まるのですが、駅の東側に降り立ったぼくを待ち受けていたのは、期待に反する味気のないこれと言って特徴のないものでした。特に一軒目の喫茶店を目指して南下するにつれ、その退屈さは加速するようです。かつてしゆくばのあつた町というのにこれではいかにも寂しい。と思ううちにも最初のお店が見えてきました。 表から見ると山小屋風の「コーヒー&ケーキ シャモニー」は、店内に入ってみるとその印象は一転して正統派のシックさに覆われている事が確認できます。照明を抑えた薄暗いお店に日中訪れた時には、極力窓よりの席を選ぶことにしています。外から差し込む日差しのニュアンスが内観の良さを際立てることが多いからです。時には眩しすぎて実際の印象とはかけ離れた、見当外れの見立てとなることもあるので注意が必要です。落ち着きのある茶と黒を基調とした内装はぼくの好みです。比較的平板になりがちなこのタイプの喫茶ですが、要所要所に装飾を加えることで飽きさせない工夫も凝らされていて、なかなかに手が込んでいる。こんした郊外型の喫茶の常で地元のオヤジたちが他の客がいる事などお構い無しで、赤裸々に仕事のことやらを大声で語りだしたりするのですが、それを無視する術はすでには身に着けたのでぼくは大丈夫です。 目指すもう一軒はお馴染みの「モンテ・ヤマザキ 幸手中央店」です。大通りをひたすら北上しても構わないのですが、お楽しみは帰りの道中に取っておくこととし、裏通りのくねった細い道をひたすら歩きました。途中いくつかの立派な寺社を見受けましたが、それほど愉快なものでもない。やがてその先に浅間神社があるらしく、浅間通りという通りにぶつかりました。ここから目抜き通りに出ると憧れのお店があるはずです。おっ、明かりも付いています。ホッとしたのも束の間、入り口の自動ドアが固く閉ざされているのです。これは一体全体どういうことか。店内には確かにお客さんらしき姿も見えるというのに。常連さんのみ許された特権なのだろうか。すると店主が急いで近付いてくるのです。どうやら手動にしていたようです。ひとまず安心です。手前の雑然とした販売スペースを過ぎると、ネットで何度も目にした光景が現れます。ユニークな形状と柄のソファには前々からぜひとも腰掛けてみたかったのです。まあ実際にはそれほどの座り心地でもないのですが、満足感に存分に浸らせてもらいました。酒と肴も充実していて呑み屋としても利用されるようですが、ぼくでさえここでは酒を呑む気分にならないなあ。ここに相応しいのはクリームソーダとかのパーラーメニューでしょうが、カロリーを気にしてせいぜいココア止まりにしてしまう冒険心の欠如した己が歯痒い。店を出るときも親切な店主は慌ててカウンターを飛び出てドアを開けてくださいました。さて、通りに出るという揃って暗い視線を投げ掛けるマネキンで満たされた洋装店以外これといった見物もなく、十分目的も達したと足早に帰路を急ぐのでした。
2017/01/15
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埼玉県民ですら恐らくはすべての市町村を諳んじる事のできる者は少ないのではないのでしょうか。近頃オリンピック問題でやけに報道番組に顔を覗かせていますが、そんな基本的な知識すら身に着けずにいるんじゃないだろうか。もしかしたら埼玉県民は小学生の頃、市町村名を暗唱させられるという無意味で不幸な体験を強いられたのではなかろうかと想像すると、不憫さとともに滑稽を伴う哀れみを感じられて、そういうどうでもいいことを考えるのが孤独な酒呑みなんですね。ところで話を戻して吉川のことですが、JRの武蔵野線に吉川駅がありまして、初めてここで下車して呑み歩いてみようというのが今回の趣向であります。一応、食べログなど眺めて見はしましたが、どうもはかばかしくない。面倒なので、こういう時はいきあたりばったりを決め込むしかない。ただし今回は、武蔵野線沿線呑みの定番同伴者、お馴染みの獣医さんが一緒なので、あまりむやみに歩かせて迷ってはいられないのです。何と言っても彼は酒場探訪の同伴者であり、スポンサーでもあるからです。 なので、不満はあるにはあるのだけれど、ひとまずガード下にある「居酒屋 いこい」に入ることにしました。以前は初めての町に降り立ち、第一歩を記す縁とするのが賑やかな看板のある方向を目印とするという安直な手法でありましたが、近頃はとりあえずはガード沿いを一巡りすることにしています。ただしこの手法は都市圏の駅にのみ有効で、この吉川駅のような郊外のベッドタウンの町ではあまりアテにならないことは、鈍いぼくでもなんとか分かって来てはいますが、賑やかな看板すらないのだから早々と万策は尽きた以上致し方ないことなのです。さて、外観はきれいで面白みに欠ける嫌いがあり、店内もまたカウンター席だけのようですが、これまた淡白すぎるほどにシンプルなのでした。いやまあそれはそれでいいのだけれど、近頃の居酒屋店主に総じて言いたいのが、酒や肴に力を入れるのもいいけれど、もう少し内装で客を楽しませることに情熱の一滴でも注いでいただきたいということであります。案外酒呑みは雰囲気だけでも酒を呑んでるはずである、きっと多分。酒はまあこんなものかというものでありますが、肴は少しもゴージャスとか言うことはないけれど、ちょっとだけ変わった品もあって、たまに天麩羅屋で見かけるー実食経験なし、テレビで見ただけー卵の天ぷらなどはチビチビ摘むに最適だなあ。とある酒場のお姉さんの受け売りでありますが、お裾分けしてくれたゆで卵をぼくに差し出すと、醤油かけてご覧なさい、これが良い肴になるのよの言葉に半信半疑ながら試してみると確かにこれが思いがけず摘みになるのです。この天ぷらも同じようにいただくのが正解のようです。お客さんは少ないけれどここの繁盛するのはもう少し後のことなのでしょうか。 一軒目を出てしばらく町をほっつき歩きますがここぞという店どころか、ほとんど飲食店が見つからぬ始末。駅の南側に移ると「居酒屋 やっちゃば 吉川店」がありました。先日も三郷だったかで行ったばかりですが、この系列なら間違いなかろうとあっさりお邪魔することに決めたのでした。越谷にも店舗があったはずです。さっきの店と違ってこちらはファミレス並みに広い店が大盛況です。たまたまうまく滑り込めたからいいようなものの、下手をすると表で待つ羽目になりかねませんでした。こちらも客たちに負けず劣らずの混雑を呈する無数の品書きが貼りめぐはされていて壮観です。本日のオススメメニューだけでも50品ほどはあるのではなかろうか。多過ぎるのも迷ってしまって困るものです。しかしこちらは品数の多さが人件費の増大に繋がらず、安価をキープしているのが立派です。とまあ、さして面白みはないのですがーファミレスだからねー、近くにあれば月一位は通ってしまいそうです。しかし、食べログの評価を見て系列の他2店については評価するが、この店舗には憤りを隠せなという書き込みあり。とにかく店長とチーフのフロア係さんを許せぬらしいのだ。この夜はぼくには相方がいたので、大して気ににならなかったのですが、もし独りならもしかするとそういう気分になったのかもなあ。
2017/01/04
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JRの武蔵野線の新三郷駅で呑むのは初めてのことです。かつては郊外の公営団地だけしかない寂しいベッドタウンだったんだろうと思われますが、今では駅前に幾つかの巨大な商業施設ができて、住民の高齢化が進みそのままスラム化しかねなかった町が元気になったのは喜ぶべきことなのでしょう。だけれどもあえてこの町を訪れようという酔狂なわれわれーいつもの獣医さんーにとっては、この町を訪れようという積極的な理由など何一つなさそうに思われるのでした。 ともかく町を歩いてみることにしましょう。目指すはみさと団地です。愛好家とまではいきませんが団地に郷愁を感じる世代のぼくには歩いていけるところならやはり行っておきたいという程度には興味があります。駅前にはなぜかラウンジカー、従業員の方に新三郷との由縁を訪ねてみたものの単なる客寄せでしかないとのこと。なんだかずっこけちゃうなあ。続いてみさと団地の商店街、センターモールに行ってみました。いやはやなんとも荒んでいていいなあ、などという無責任な発言をすると叱られそうですが、大部分の店舗がシャッターを下ろしっぱなしにしている中で、そば居酒屋や何軒かのスーパーや八百屋などは、この団地の高齢者にとってなくてはならぬもののはずです。そこに「喫茶&レストラン トウールモンドフォルツア」という難しい店名の喫茶レストランがありました。正直お店の雰囲気は洋食屋のそれですが、それでも今後も団地の皆さんのために踏ん張っていただきたいと願うのでした。 さて、いよいよ本題のお店にお邪魔します。団地に向かう際にすでに通り過ぎていたので実はいかに鑑賞しがいのある団地といってもついつい気はそぞろになるだけの酒場物件があるのでした。そのお店は「うめね」です。それはまあ置いておくとして、興味の中心はホッピーハウスを名乗っていることです。しかも第7号店とも記されているのだから興奮せぬわけにはいかぬのであります。まずホッピーハウスとはいかなるものなのであろうか。いやいや、生ホッピーと看板にもあるのでズバリ生ホッピー提供店であることは嫌が上にも知れるというもの。もしや清酒の醸造所がかつてそこかしこに出店していたいわゆる看板酒場なんだろうか。店の前で考え込んだところで答えが導き出されるはずもない。ガシャガシャとした外観も都心の繁華街にあっては余り目立たぬのでしょうが、視界に収まるのが闇の割合が多いこの新三郷では宣伝効果抜群です。店内に橋を踏み入れてすぐに敷かれている泥拭きもホッピーマーク入り。ざっと眺めただけでもそこかしこにホッピーマークがある。これはホッピービバレッジとの繋がりは間違いのないところであろう。カウンター席だけの店内はここが酒場でなければ丼飯屋やラーメン屋のようでもありますが、酒場となると俄然イイ雰囲気と思うのはどういうことだろう。もつ焼の盛合せー塩セットとタレセットといったかーと糠漬けを注文、酒は当然生ホッピーです。白、ハーフ&ハーフ、黒と呑み進みますーハーフ&ハーフは2種を混合する際、泡が多くなってしまうらしくあまりお勧めできません―。やはり旨いなあ。生ホッピー3種を試した後は、ハイ辛というのを貰ってみました。ぼんやり薄っすらと辛いだけで今一つだったかな。でもまあ珍しいものをいただけました。もつ焼もなかなか良いし満足満足。おっとっとホッピーハウスのことを伺うのを忘れていました。女将さんに7号店とあるけど他の店舗はどうなっているのか伺いましたがもう他はないと答えられて、もはやそれ以上は聞いてくれるなという頑なな表情を浮かべられたので、謎解きはまた今度にするといってもここまで来るのはちょいしんどいなぁ。 もう歩くのが面倒になったのでお隣の「らーめん 珍來」に入りました。ここら辺ではこの千葉の東葛地域や足立区なんかにチラホラと見掛けるチェーン系の中華料理店です。ここはチェーンと言っても店舗ごとの個性がかなりあって、地元の方は自分ちの近くの店舗の味が中華料理の原点となっている方も多いのではないか。ぼくなど地縁がないのであちこちで食べましたが、不便極まりない場所にあるとある店舗を偏愛しているのだけれどもう随分行けていないなあ。この店舗は天井から吊り下げられた妙ちきりんな飾り物がちょっと楽しいけれどやや個性に寂しいのです。でもホントの寂しさはお客さんが少ないこと。このままでは将来が危ぶまれるよ、通ってあげてください。ここの餃子はでかくて旨いなあ、でも店舗ごとにちょっとづつ違って感じられるのは気のせいか。時折珍来トラックが走っているのを見かけるので、食材センターとかから共通のものを運んで調理しているんだろうけど、これだけ違いが出るというのは不思議なことだなあ。
2016/11/30
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埼玉県に三郷という町があることはもちろん知っているし、これまでに何度も通過はしています。なのにどうしてもこの町の名前がうまく覚えられず、それはJR武蔵野線の船橋方面、南浦和方面にそれぞれしばらく行くと南流山と南越谷という町があって、「み」の音が印象的なのと、とにかく武蔵野線というのが主要な町に方位を冠した外れの町のような駅前が連発するのだからどうにも印象に残らぬのでした。ぼくも今回こうして改めて調べぬ限りそこはとっくに開拓済みの町として見過ごされる余地があったんですけど、あゝ良かった、実は未踏の町であると気づけたのだから。確かに車窓からの町並みを見てあえて踏みこまずとも良いのではないかという雰囲気です。まあ、、そうした思い込みが概して誤りであることは心しているのだけれど、それでもねえ、東西南北―西はないかな―と新ばかりの駅名が続く路線の駅界隈に気の利いた町広がっているとは思われぬのです。でもまあせっかくやってきたのだからしばし歩いてみることにします。 まずは多少なりとも賑やかそうな南口を散策することにします。駅前に出るとすぐに「居酒屋 やっちゃば 三郷店」の大きな看板が見えてきます。看板からもかなりのオオバコらしいということは容易に推測できます。実際和風のファミレス程度の広さがあるお店でした。武蔵野線沿線に住む獣医のKさんと久々に呑むということで、あまりウロウロして時間を浪費するわけにはいきません。なので迷わずここに決めましたが、見かけによらず大変元気な勢いを感じるお店でした。まず何と言っても値段が安いのは大きな魅力です。ファミレスのようなオオバコ商売は今やその代表格にまで成り上がった―ホントかな?―「サイゼリヤ」を見るまでもなく、原材料の調達の面で個人経営の小さな店に一日の長があるということでしょうか。といってもここを含め吉川店など三店舗しかないらしいから大手ファミレスチェーンにおよぶべくもない。そして何よりすごいのが品数の多さです。手書き文字で埋め尽くされた本日のお勧めも圧倒されますが、店内中に貼り巡らされた短冊メニューは手元のメニューにはない品物まであるらしく一体どれほどのレパートリーがあるのやら。それで味も悪くなくて利用も多いのだから、それは人気が出るのも当然です。でも大人の客が多くて、馬鹿騒ぎする若い連中がいないのだから地元で働くおぢさんたちがこぞって通うのも納得です。 満足したので、次はちょっと歩いてでも渋い店にしておきたいものです。せっかくなので今度は駅の北側を歩いてみることにしました。しかし、そこは商店街でもなく、住宅街でもオフィス街でもないなんとも形容しがたい寒々とした風景が続くばかりです。そんな退屈な道のりにウンザリして次の角まで来たら引き返そうと話していたところにちょっと高級そうだけど年季はありそうな「和与し」という小料理屋風の構えのお店がありました。入ってみることにします。入るなり焼物は終わりだよと告げられますが、もうそんなに食べられぬので、適当に摘めるものがあれば構いません。真っ直ぐな長いカウンターには常連ばかり―どうして分かるのかと言われても困るけれど間違いなく常連ばかり―、背後には障子で仕切られた座敷があるようですがそこは宴会でもない限りは使われないようです。ツルリとキレイな頭をしたいかにも居酒屋のオヤジという風貌の主人は警戒心からかもしれませんが、大変に愛想がよくてこの地で店を初めて30数年になるのだよ、早くから客が来てあっという間につまみも品切れになるので9時には店を閉めてしまうのだなどという話をされます。そんな話を聞きながら店内を見渡していると驚愕の短冊を見かけます。焼鳥は90円からとまあ驚くほどではないのですが、サワーがなんと200円からと個人経営の酒場としては破格な価格を設定しています。オオバコでなくてもこんな値段でやれるのだなあとびっくりです。目の前の水槽では小振りのドジョウが食べてくださいとばかりにヒラヒラと泳いでいる。溜まらず柳川を注文します。これをK氏が絶賛、氏が語るには丸のままでこれ程小さくて骨が当たらないのは初めてとのこと。ぼくも初めてかどうかはともかく、大変美味しゅういただきました。やがて潮時と客が帰り始め、親父が暖簾を下げると満面の笑みを浮かべるのです。そして持ち出したのが将棋盤、カウンターの一席に安置させると常連の一人と指し始めるのでした。そんな緩い雰囲気で肴はもうできぬけれど追い出されることもなく、のんびりさせてくれるのも良い。カウンターの一番奥の席には美しい人がいて一人飲んでいるのがやけに気になりますが、険しい視線を正面に向けて逸らすことがなく、とても声をかけられるムードだったのだけが残念でした。
2016/10/22
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南浦和を降り出しに喫茶編では与野まで辿り着いていますが、すでに北浦和で一軒呑んでいたのです。昨日の報告にも書きましたが浦和というのはホントにアップダウンが多くてもう少し整地して平坦にしても良かったんじゃないかと思うほどです。しかしまあ高級住宅地というのは概して高低差のあるもののようで、それによってとりわけ資産面でのヒエラルキーをなしているのではなかろうか。ぼくのような貧乏人は多少の上り下りは町の景観を間違いなく起伏に富んだ表情の豊かなものにしてくれると思うのですが、ここまで凸凹した土地だと酷くくたびれてしまうのです。 北浦和には芳しいまでの場末感を誇る呑み屋街があってかねてよりここで呑みたいと思っていたのがすっかり記憶の埒外に追いやられていました。路地の奥の奥にわざと目立たぬようにしているような「大衆酒場 千忠」と併せていずれ訪れることにします。 でもこの日は駅を離れ、っていうか相当な距離を東に向かってやはり坂の上の方にある「仙龍」を訪れたのでありました。どうです、相当そそられる外観ではないですか。いそいそと店内に入ると見るからに近所に住んでいるジイサンたちが、酒を呑んでいます。剽軽な女将さんがキャモンと言って出迎えてくれます。相当なご高齢のばあさんがニコリともせずヘンなことを言うのが愉快です。何を聞き誤ったのか「お客さん炒めって何よ」と問い返したり。1階はまさに町場の食堂といった風情で非常に楽しい。お通しとして出されたの枝豆と茹でとうもろこしというのがうれしいです。手間の掛からぬ品ではありますが、夏らしい味覚です。2階ではかなり規模の大きな宴会が予約されているようで、食事の注文するなら早めにお願いしますねと仰るので茄子味噌炒めをオーダー。これがすごい量でしかもうまいのだからビールだけでは物足りなくなります。チューハイをもらってさらに呑みます。そうこうしているうちに団体さんが一人、また一人と来店しだしました。ところで本稿をブログの管理ページからアップロードしながら、まずはテキスト、続いて写真をマウスをコチコチと選んでいると、店を出た際に撮影したこのお店の看板にはコーヒーと中華とあるじゃないか。しかもその2階からは、そこらの喫茶店に劣らぬさまざまな表情の照明が写り込んでいるではないですか。2階のムードは1階とはがらりと表情を変えた純喫茶風なのではなかろうかと思うとまた行かざるを得ないではないか。勘定を済ませると女将さんにグバイと声に見送られて店を出たのでした。 続いて、与野の食堂に行くことにします。駅の東とは違って西側は再開発が進んでいるようで、退屈な風景が続きます。「三ツ木食堂」もそんな退屈な風景に抗うようにして大きな自動車道路に面してポツンと取り残されたように営業していました。こういう孤立した店の風情というのは堪らないものがあります。店に入ると外観どおりの枯れた感じのお店でよいではないですか。カウンター席に座ると早速酒を注文します。何を食べるかぐずぐずと悩んでしまうのですが、お通しにありがたいことに煮込みを出してもらえました。あっさり味でぼくの好みの味です。ご高齢の女将さんがお一人でやっておられて、笑顔を絶やすことのない素敵な方です。本当の母親以上に母親らしい風貌と物腰に隠れたファンも多いのではなかろうかと推測します。無論ぼくはすっかりファンになってしまいました。迷った末にカレーライスを軽めの盛り付けでお願いします。期待に違わぬ思わず懐かしさを感じる味です。日頃南インド料理がどうこうと言っているけれど、死ぬ直前の最後の晩餐に食べたいのはこういうカレーなんだろうな。3、4名いたお客さんたちはぼくが勘定を済ませてもまったく立ち上がる気配すらありません。彼らもきっと実家に来ているような気分で過ごされているんでしょう。近くに来たらまたお邪魔してみたいお店です。
2016/10/17
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この夏の旅の記録は、まだまだ前半戦さえ報告を終えていませんが、焦らずともすでにその記憶は曖昧なものとなっているので、のんびりと書き進めることにします。薄れ行く記憶を引き出すのは、なかなか難儀な年頃になりましたし、それであれば、せめてもの記憶の縁として写真を見ればよさそうなもののそんなマメなことはやってられない。軽くボケてきて、なのに横着だなんて、ぼくの今後の人生は本当に大丈夫なのだろうか。 唐突に本編に突入しますが、暑さは残るものの空模様は沈鬱な梅雨の頃のような天候が続くとある土曜の昼下がり、南浦和駅に降り立ちました。ちょっとした用事を頼まれて独りブラブラ訪れたのでした。用事をぼくに押し付けた方は、用事とともに自転車を貸出してくれました。これが目当てでホイホイとここまで来るのだから物好きなことです。自転車でないとなかなか足を伸ばせぬ駅からは遠隔の地に何軒かの気になっている喫茶店などなどがあるので、いずれ回ってみたいと思っていたのでした。ここらではレンタサイクルもなさそうで、好機が到来したとすぐさまこの話に飛びついたのでした。 駅を出ると「マック」という喫茶店の看板が見えました。駅前ビルの2階にあるらしいので、いそいそビルに入り込み散策しますがどうやら今では店を畳んてしまったようです。今では看板のみとなっています。「レストラン 幸」というちょっといい感じの洋食店がありました。 続いては「珈琲の店 モンシェリー」を目指します。ここが歩くにはちょっと躊躇われる程度の距離があり、周囲も住宅街となっているので散歩を兼ねたとしてもあまり気乗りはしないという立地にありますが、この日は自転車があるのでスイスイと到着します。外観は看板とかの明らかな目印に目をつぶると全くもっての民家でしかない。なので通過してしまおうかという弱気な自分が立ち上がってきますが、それよりもわざわざここまで来たのだからという打算めいた心が勝ったようです。そして今回は運良くも打算が妥協に打ち勝ったようです。どこがどう凄いってわけじゃない。入り口を入ってすぐは古びた垢抜けぬカフェのかうんたーみたいで今ひとつですがその先には純然たる喫茶空間が残されています。自宅を兼ねたお店だからそんなにお客さんが多くなくてもそれなりにやっていけたというところでしょうか。少なくともぼくのような闖入者はここ何年もなかったかもしれません。 「COFFEE SNACK 郷」は、まだ現役なようです。生憎やってません。でもスナック風の店だからまあいいかな。次に向かう途中には「キリン食堂」を見掛けたのですがやってないから素通り、自動車道には全く不案内なので適当なことを書いてしまいかねぬので、やはり適当に大きな拘束道路を越した辺りに「珈琲専門店 道しるべ」は、ありますか。というかあったというのが正確でしょうか、なんだかとても良さそうな外観のお店に行き会いますがこれも休み。 浦和という町は何だかとてつもなくアップダウンの激しい町で、足腰ははやくもグロッキーなのであります。南浦和のそばには「味のみこしや」があって散策はここらへんで終えて一杯やっていこうかと思わせるには十分な枯れ具合の食堂ですが、いくらなんでもこれで引き上げるのは甲斐性なしに過ぎるというものです。駅前の約束の場所に自転車を返して、とりあえずはお隣の駅、浦和駅ぐらいまでは足を伸ばしてみます。 浦和にはここぞという喫茶はそう多くないのですが、と書いているそばから訪れた何軒かが思い浮かんできて、それは記憶に不安を感じるぼくには稀有なことだと思ってみると案外いい店が充実しているんじゃないかと思い直してみたくもなるのですが、やはりもうひと工夫あればなあと惜しんだけどという曖昧さに留まっているというのが近いでしょうか。それでも軒数だけは結構な数があり、行きそびれているお店もいくつかあって「茶房 コマ」もその一軒でした。表から店内が見通せるのでまあそれで十分行った気にさせられていたのですが、実際に入ってみると表からもそれと分かる正調クラシック路線が想定していた以上にちゃんとしていたことに驚きを禁じ得ぬのでありました。親子のような女性お二人でやっておられて、ご高齢の方はミス*マープルのように特等席に腰を下ろして店の様子を眺めています。時折カウンター席の初老男性と言葉を交わされていて、こんなやり取りが何百回となく繰り返されてきたのだろうなと感慨を待って眺めました。奥行きが思った以上にあり、今度来るときはそちらでじっくりと過ごしてみたいものです。 その後、フラフラになった与野駅に至るのですがその道中は都合により酒場篇に送らせていただきます。与野駅の東側、先日渋いろばた焼きのおみせに伺った多少なりとも古い町並みを留めるこちら側にも以前から気掛かりだった喫茶店があります。「レストラン喫茶 ヒロ」というお店は、入ってみると食事が中心のお店でした。喫茶店と洋食店というのは店の造りというか内装のセンスに類縁関係が認めれますが、そこに仮に微妙な差異があるとすれば、ここはやや洋食店に近い雰囲気です。なのでいっそのこと食事をしようかとも思うのですが、すてにちょっと呑んでるしもう一軒寄りたいお店があるので喫茶巡りはここまでとしたのでした。
2016/10/16
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与野の町には、ほとんど思い出がありません。京編東北線は地元民でも職場があるわけでもない割にはよく足を運ぶ方だと思っていますが、せいぜい北浦和駅止まりで、そこから先は大宮駅までの数駅はどうにも足を伸ばすまでの意欲が湧いてこないのです。電車に乗り込んでしまえば10分程度の距離や所要時間などほぼ気になくなるというのは分かっているけれど、いざ遠回りするとなるとどうにも心理的な負担感が渦巻いてきて、まあ今晩は南浦和にしておくかという残念な結果に陥ることが多いのです。こういう勝手の分からぬ町を訪ねるにはそれなりのリサーチはしておき、職場を出る時点で強い決心を持って臨まねばならぬのであります。少なくともぼくのような意志の強さと誘惑への拒絶力という成功する人間に携わるとかいう適正に惜しむらくも欠ける者にとっては、大事な儀式のようなものです。まあ、酒場に赴く意志の強さなどなければいかほど己の人生を豊かにできていたか計り知れぬし、誘惑を拒絶し続ける人の老成の早さは見習いたくなど少しもないのですが。 ともかく十年以上振りに訪れた与野の町は、特に西口は様変わりしているように思われましたが、東口側は思ったほど変化は感じられず拍子抜けするのでした。車窓からの印象など全く持ってアテにならぬのです。だからこそ今では乗り鉄と呼ばれたりもする鉄道乗り潰しの野望など惜しげもなく投げ捨てたのだす―実際に乗車区間をマーカーでなぞった日本の鉄道地図をなんの感慨もなく放り捨てたのでした、今ではしまったという気持ちが湧いてきたりもするのですが―。駅の改札を抜けるだけでそして駅の周辺を歩いてみないと見えてこない世界がどれだけ広がったことか。 駅前にはすぐに見た記憶もないのになぜだか堪らなく懐かしい気持ちにさせてくれる「ろばた焼 馬上盃」という酒場がありました。何でもない店で、どこにでもありそうな酒場かもしれませんが、いっそのこと探してみたところで容易に探し当てることは出来ぬはずです。店内はコの字カウンターの席のみで、ろばた焼きのお店ですが、それ程ガチガチのろばた焼き仕様のこだわりはなさそうです。ゴリゴリのこだわりは時として店の個性を削いでしまうことになります。女将さんによると40年を越える歴史があるそうです。もっとも古いのが駅正面の寿司屋ということです。呑み屋街の2軒も30数年経っているとのことなので、後程お邪魔することにします。今年初めての新サンマを焼いていただき秋の訪れはまだしばらく先のことだろうなんてことを思っていると、常連さんが駆け込んで来ます。この先の予定が立っていないようで、大根おろしとビールだけを注文しました。こうした使い方が許される店は素敵だなあ。その後にはタクシーのドライバーらしき方が小用を足すために立ち寄ります。用を済ませても一向に変える様子もなくしばらくお喋りしてから、仕事を終えてからまた来ると出て行かれました。酒器などが並ぶ棚にはそっとご主人らしき方の遺影が飾られていて店を見守っているのでした。 古い呑み屋街にあると「馬上盃」に女将さんに伺った、古い酒場は駅前の路地にありました。通りには3軒ほどしか店はありませんでした。「信濃屋」は、その中でいかにも古そうな酒場の一軒。こうした店の常でありますが、かなり末期的な状況に陥っているらしいのです。まともにやればまだまだやれるはずなのに、少なくともぼくのいる時に意気込みは少しも感じられません。こんな雰囲気、本音では嫌いじゃののですが、それはせいぜい一見で訪れるから言えることであって、毎日通い詰めるのは難がありそうです。広い店内に常連が二人だけ。物静かな隠居さんとそれより若干年少らしい初老の人。堅物なままに齢を重ねたと悔やんで見せる年長者に遊び人を気取ったもう一人が指南してみせるという落語のようなやり取りが交わされます。悲しくも滑稽な老いの語りに不意に切なくなるのは、彼らの姿たに自分を重ねていたからでしょうか。
2016/10/13
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この夏は東日本、北日本にやけに台風が到来したもので、それこそこれを書いている今日も台風が間もなく関東に到来するらしいのでありますが、都内にいる限りはそんなことなど気にもしないのであります。でも普段乗りつけぬ路線の沿線上にて呑んでいる場合は、幾分はちゃんと帰宅できるかどうかってことに留意してしまうものです。その夜は本庄にて呑みだしたはいいけれど、ハシゴする最中にあまりの雨脚に帰るべきか悩みながらもついついハシゴしてしまうという相変わらずの顛末に至ってしまったのですが、そういうときだからこその打ち解けた感じが楽しめた一夜となったのでした。 まずお邪魔したのが「酒処 小料理 じろう」です。本庄には何度も来ていますが、こちら側でーこちら側といい加減な書き方をしたのは、どちら側か忘れてしまったからに過ぎません。調べればすぐに分かるので検索してみてくださいー呑むのは初めてだと思います。だって風景にあまり見覚えがなかったから。こんな天候なのに店は混み合っていました。といってもカウンター8席位と小上がりが2卓しかなかったはずなのでそんなには収容力はないのですが、それでも良い入りです。酒場では収容定員に関わらず、そのキャパシティーに応じての混雑程度で人気のほどが測れるように思われます。小上がりは家族連れが多く、カウンターはすべて独り客だったのですが、皆さん顔見知りで親しげにされています。どうやら陽気な主人や常連客との語らいを求めて集まっているようです。そう考えると一見孤独なぼく以上に皆さんは寂しがり屋の孤独な人たちのようにも思われるのです。肴は居酒屋らしい品が一通り揃っててなるほどこれから家族連れも喜ぶはず。お値段は居酒屋としては若干お高めですが、目くじらを立てるほどではありません。つまりは健全な良い居酒屋であるのですが、居酒屋の場合は健全さが万人にとって歓迎されるわけではないのが難しいところです。現にぼくにとってもやや物足りぬのでした。 実のところ駅により近い「大衆酒蔵 おはこ(十八番)」がぼくにとっては魅力的に思われました。大きな赤提灯に紺暖簾のある程よい波止場の間口のある木造の一軒家。民家風の造りでありますが、いくらか客に媚びるような郷愁を呼び起こさせるような構えは、年季を経ることで本当の郷愁を訴えるようになったようです。奥行きのない狭いお店かと思われたのですが、実のところは奥行きがかなり深くて、長いカウンター席の奥には、さらに細長い座敷があります。でもお客さんは他になく、女将さんとお手伝いの女性がおられます。人恋しくなったわけではないのですが、酒を頼むと自然と会話が始まり、そうは長居できぬのについつい終電近くまで話し込んでしまいます。新潟出身の女将さんは、一見したところとっつき悪そうな印象ですが、特に昔の話になるとホンワカとした語り口でいやされます。お手伝いの方は表情が少ない方のようですが、女将さんとぼくの会話をよく聞いてくれていて的確に合いの手をうってくれて、まるで自分がお喋り上手になったかのような気分にさせてくれました。そうか本庄という町にどうも馴染み深い物を感じると思っていましたが、北国の田舎町に同じ地名がありました。この離れた土地が不意にどこかで通じているような錯覚に捕らわれました。懐かしいという感情に触れたくなったらまた来てみたいお店です。
2016/09/23
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鴻巣駅は埼玉県にあるJRの高崎線の駅です。さもこの辺りのことが詳しいかのように書いていますが、うっかりすると高崎線と東北本線の駅がゴッチャになってしまう程度の地の利しかなく、そこに湘南新宿ラインや上野東京ラインなんかを走らせるともう何がなんだか分からなくなるのであります。なので、しょっちゅう都内近郊の鉄道路線図を開いては眺めてみたりするのだけど、覚えようという意志が欠如しているためかさっぱり記憶に残ってくれないのです。ところでご記憶の方もおられるかもしれませんが、昨年だか、一昨年だったか高崎線沿線の酒場を教えてくださった方がおりまして、その方のお勧めというかズバリ、沿線酒場のベスト3を太っ腹にも教えてくださいました。その3軒を巡る呑みあるきを早速決行したのですが、お話通りにいずれのお店も思わず興奮を抑えられないほどでした。とりわけ公共交通の足が悪い吉見町ー鴻巣駅と東武東上線の東松山駅のちょうど中間位にあり、まずはあまり歩きたいとは思えぬところにありますーにあった酒場には、鴻巣駅から路線バスに揺られて向かうことになりました。その駅前に気になる酒場があったことはずっと心の隅でくすぶっていて、しかし時は流れ、記憶に残るのはその店の佇まいの印象だけとなってしまいました。いや調べようと思えばすぐにでも自分のブログを見さえすればその酒場の写真位は乗せたはずですから。でもそうしないところがぼくの横着さ。ふと思い出すけれど調べずに放置、それを繰り返すうちにふと思い出すこともめっきりなくなっていたのでした。それがなぜ突如として訪れることになったのか。それは単にたまたま鴻巣駅で下車したら、見覚えのある店舗を見てしまったというただそれだけの理由なのでした。だから一目惚れしやすいぼくであれば、以前来たことがなかったとしても間違いなく伺うことにしたはずです。経験を少しも活かさぬ愚か者です。 というわけで、駅前酒場「鳥富」にやって来ました。いや、正確にはこのお店のような店を駅前酒場と呼ぶのは変かもしれない。これはあくまでぼくの印象でしかないのですが、駅前酒場というのは、駅前と付くだけあって駅の賑やかな方面を指すはずで、寂しい住宅街なんかがあったりする方面は駅裏とか呼ばれたりするものです。だから駅裏酒場と呼べばそれで事が納まるかといえばそう簡単にはいかぬようです。駅裏酒場という呼び方では駅からの距離感が曖昧になってしまう。駅前酒場ならあゝ駅前だから駅から至近距離なのだなと察せられますが、駅裏だと街灯のない暗い空間がどこまでも広がっていき距離感などウヤムヤとなってしまうという印象があります。だったら何と呼べば良いかはここでもいつも通りに宙吊りしたままに放置するのです。ともあれ町明かりの見られぬ西口を出ると、階段を降りきった目の前にその酒場はありました。瞬時にかつての目撃の記憶が蘇るのだから、満更記憶力が欠落してしまったわけではないようです。単に記憶の引き出しの引手のフックが弱まっているだけなのでしょう。店内はカウンターだけの理想的な駅前酒場です。ただしこうした酒場の最盛期にあっては、カウンター席というのは、帰宅までの勤め人が得られる短い心を緩める時間を過ごし、2、3杯呑むとすっと席を立つというのが、効用であったのでしょうが、今では店の方との距離感の近さこそがカウンター席の妙味となっているようです。少ないメニューでも看板商品の焼鳥をたぐりつつ彼らの会話を聞くともなしに聞きます。彼らとは、ぼくの脇で呑むいかついお兄さんたちではなくー実際彼らはぼくが呑み出すとすぐに席を立たれましたー、常連の夫婦二組で顔見知りの彼らのことであって、彼らは談笑しつつも時折口数は少ないけれど常連を愛し愛されている女将さんとの会話を希求していることが手に取るようにわかるのです。駅裏の酒場には、手近でいつでも行ける故郷があるようです。ってちょっと気取り過ぎかな。
2016/09/17
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さて、今回の旅の最後の途中下車駅は白岡駅です。白岡には学生の頃、ふらりと下車して歩き回った記憶があり、なんだか古ぼけた町並みが楽しかったという朧気な記憶があります。だからという事ではないのですが、以前から気には留めていたのですが、いざ来るとなるとどこかと組み合わせることになり、結果、スケジュールの後の方に回してしまい、行きそびれとなってしまうというのを繰り返しました。だから今回は終電まではまだ時間に余裕はあるけれど優先的に下車することにしたのです。それにしても日曜の夜にやってる店などあるのかしら。 ありました。しかも駅前ロータリーの隅っこにこっそりと、しかし赤く灯る提灯等が、暗く静まり返った侘しい駅前に圧倒的な存在感を示していたのです。それにしても何もないとは言わないまでも東鷲宮にも劣らぬ地味な町だなあ。記憶ではもう少し商店が林立した町並みだったんだけど。反対側の出口が賑やかなのか。ともあれ「みのわ」というその酒場に入ることにします。好んで探して訪ね歩いてはいますが、これほどの好物件に出会えることは、なかなかある事ではありません。今回の旅では、郊外の巨大ショッピングセンターに客を取られて衰退しているらしい寂れた駅前に愛すべき喫茶や酒場を見つけることができてホント嬉しいなあ。店内も正直枯れきった雰囲気でまさにぼくの理想とする酒場の一典型であります。カウンターに2人掛けの卓席がいくつかあって、丸イスには店の雰囲気にそぐわぬウレタンぽいクッションが敷かれています。女将さんが一人だけでやっていて、先客もたった一人だけです。いや一人いた事に驚くのが正しいリアクションかもしれません。ところで、こちらのお店、ちっちゃいし、一人でやってるのに驚かんばかりの品揃えの良さです。これだけの品数に対応できるおばちゃんは大したものであります。口数の少ない方と思っていたのてすが、もう一人のお邪魔虫さんがスマホの用件が済むと馴染客の噂話となるのですが思いの外よくお喋りになる。最寄り駅のそばにこんな酒場があるならこんな片田舎の町のようなところでも住んでみたいものです。 店を出ると駐車場越しにもう一つ赤提灯が視界に飛び込んできました。これまた良さそうと駐車場を抜けようとするのですが、行き止まりになっているではないか。暗くて足元の数メートル先さえよく見えないのだからせめて貼紙出通行不可とでも書いておいてもらいたい。やむなく駅の方からぐるりと回り込むことになりました。店の前に辿り着いてみるとまあなんだか小奇麗な食事処みたいな感じで気分はガクンと下がったのですが、ここまで来て引き返すのはもっと気分が良くないはず。暖簾の角っ子にチンマリと「吉喜」という店の名が記されていました。店に入ると居酒屋風の意匠を纏ってはいますが、ぼくの経験はここがスナックであると瞬時に判断したのでした。実際カラオケもあるし、ボトルキープの銘柄もいかにもスナックだ。そしてお値段もやはりなのであります。肴も妙に凝ったものがある一方で、品数が少ないところもそれっぽい。とにかくまあ下さい好きな人は大好きだろうけど、今のぼくにはちっとも楽しくないタイプのお店で店の方には悪いけど残念な旅の〆となってしまったのでした。
2016/09/05
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9月を過ぎて朝晩はようやく秋めいてきましたが、日中は愛も変わらずの暑さが続いています。夏はその真っ盛りのうちは早く過ぎ去ってほしいと願わずにおられぬ辛い季節となって久しいのですが、いざ過ぎ去るという段になると名残惜しく感じるものだし、はるか先のGWの時期となると待ち遠しくて仕方のなくなるのは、児童レベルの精神構造を未だ引き摺っているということなのでしょうか。そんなアンビバレントな困った季節の最盛期に、そんな夏の主役に躍り出たこともあるーしかしあっという間にその地位は地に落ちたのでありますがー、熊谷の町で呑むことになったのでした。熊谷という町は何度か来ていて、それこそ先頃も、そして昨年の夏も訪れたように記憶していますが、印象の薄いまちというのが正直なところです。呑み屋や風俗店はけして少なくはないのですが、それぞれが分散して固まっていないので、風情というか味わいに欠けるのです。なのになぜまたもや来ているかというと、先般来た際に出会い頭に遭遇したような酒場がまだいくらでもあるんじゃないかという期待があったからです。でもこの夜はこれまで見てみぬふりをしたこの町の人気店を狙い撃ちにするつもりです。 最初にお邪魔したのは「水よし 本店」です。この店に限った話ではありませんが、ひとつの町にいくつかの店舗がある店の場合は基本的に長い歴史を有しているに違いない本店を訪ねることにしています。実際には本店よりも支店のほうが味のある店だったりすることも少なからずあったりするのですが、そうした場合は先に本店に行った後に支店にハシゴすればいいだけのこと。今回訪ねた「水よし」にも駅から本店に向かう途中に支店があって、本店など無視してしまおうという位にいい感じのカウンターのみのホルモンの店です。そう、ここがホルモン焼きの店なのがぼくを悩ませます。若い頃ならホルモン焼きのハシゴくらいどうってこともなかったはずですが、今ではそれは無謀な行為となってしまっています。泣く泣く支店はまたのお楽しみにすることにし、本店を目指します。そしてその本店は支店とはがらっと雰囲気の違う全面がガラス戸が開かれた開放的な大衆食堂のような構えのお店です。長テーブルに小上がりが配置されておりま、小上がりには家族連れが目立ちます。テーブル席は夫婦とか独りのお客もいますが総じて家庭的な雰囲気が感じられるのは、仲間同士や職場関係の客が少ないからみたいです。それは土曜だったこともあるのでしょうが、ファミリーで和気藹々と呑んで食べてしているのを汗をかきつつ眺めつつ呑むのも悪くないものです。そうそう、こちらはガラス戸を開け放って、夏真っ盛りの熊谷の熱気を感じつつ、もうもうたる煙の中で肉を食らうというのは案外爽快なものです。近頃忘れかけていたガツガツと肉に挑む野生が呼びさまされたのか、単に冷たいものが恋しくなってバンバン呑んだ勢いに乗っかっただけなのか、いやいやそんなことはどうでもいい。とにかく夏は夏らしく暑いのもいいものだと身をもって感じさせてくれるお店です。支店はむしろ冬に似合うような気がするので、そちらにはまた季節を変えて訪問したいと思います。 さて、続いては「十一屋」に移動します。「十一屋」という屋号、よく耳にします。行ったことがあるだけでも千石、江古田の角打ち、鐘ヶ淵の老舗居酒屋、変わったところでは池袋の「バー・イレブン」(酒屋として「十一屋」の店名で創業)などなどがあります。これらのお店は忘れっぽいぼくですが、なぜかとてもよく覚えています。ウィキペディアで調べると「尾張藩の御用達の七家衆に位置付けられた名古屋の豪商小出庄兵衛の屋号」というあまり面白味のない検索結果が出てきましたが、由来は忘れてもこれらの店のことは当分忘れることはなさそうです。記憶している理由を考えてみるといずこも店の歴史が長いというところに答えがありそうです。なので、熊谷の居酒屋を調べた際にこの屋号を目にした途端に行くことを決心していたのでした。だけどこれだけ前フリが長かったことからもお察しいただけるでしょうが思っていたような酒場ではなかったなあ。広くてやけに余裕のある席の配置になっていて、隣のオヤジのペちょっとした腕に触れたりして呑むよりはずっといいのだけど、なんだか味気がない。肴も値段の割には量があって値段も手頃です。だけど、ぼくがこの輝かしい屋号を冠する店に求めるのはこれではないと断じながらもけっこうダラダラと呑んでしまったのでした。
2016/09/03
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あゝ、どうしてまた東鷲宮駅で下車などしてしまったのか。これは厳しい、この夜の過ごし方を問う選択問題があったとすれば、地元の人であればまず選択するはずもない大ハズレであったに違いない。それでもぼくは愚かにも東口を歩くことにしました。西口は再開発の痕跡がありありとしてしかも地下通路を通り抜けるのがいかにも面倒そうです。東側を散策しますが、とんかつ屋があったり、随分先にデイリーヤマザキがあるくらいで、あとはさり気なく喫茶&スナックの看板を掲げたお店はありますが、とても立ち寄る気にはなれぬし、第一営業していないんじゃ選択の余地すらない、あっ、そうそう駅前の喫茶店にお邪魔したことは喫茶篇で報告することになるでしょう。 駅のロータリーの線路沿いのしけた路地を歩くと「テラス」という見ようによってはカフェっぽく見ることもできなくはないお店がありました。いやいやそれは単にテラス席があるからでしょうと、素通りしかけたらのですが、その先にも何があるわけでもない。テラス席で呑む、この店のヘビーユーザーはすでに結構なご機嫌さんですが、それを無視して店内へ。店内は味はないけどくたびれた感じのまあはっきり言えば冴えないお店があるのでした。でもその時にはほくはこの店の真価に気づいていなかったのであります。って、あえてもったいぶるまでもないのですが、まあとにかく肴がお手頃でしかもそれ以上に種類の豊富さとヴァリエーションの充実は、その質はともかくとしてもたいしたものです。ぼくは元がお得でも最高にお得なものを求めるという求道者的な性癖があるので1000円のお得なセットなんかを頼んじゃったのですがそれがひどい! こんなにあれこれ出ちゃったら2杯では収まらないじゃん。とまあお値頃感は大したものなのですが、独りで呑んでいて間が持たないことこの上なし。会話までは求めはしない、せめて周囲のざわめきから恰好な酒の肴を探すくらいは許されるべきでしょうが、それが全くない。この夜はたまたまそうだったのかもしれませんが、とにかく魔が持たぬほど辛い仕打ちはないのです。呑み足りてはいませんが潮時のようです。ちなみにこのお店、以前はその名もズバリ「大衆酒場」という店名でやっていたらしいのです。 続いては久喜にて下車します。何処という目当てがあったわけではないのですが、駅の東口を出てすぐのところに暗〜い路地があって、そこにいかにも焼鳥店らしい深紅の看板が灯っているのはいかにも呑兵衛を激しく誘惑するものです。この赤地に黒文字の看板は何が起源となっているのでしょう。この形態の定番といえば、謎のー調べてみりゃどうってことのないフランチャイズ店だったりするのでしょうがー「大吉」ではないでしょうか。それこそ日本中をそれなりに旅して回っていますがこれほど昔からどこにだってある焼鳥店、いや居酒屋はそうはないのではないか。しかも面白いことにその多くが駅というか市街地から外れた住宅街とかにあったりするのが不思議ですが、これがこの系列の経営戦略なのかもね。さて話が脱線してしまいましたが、向かったのは「焼とり かごや 久喜店」でした。こう書くと判然としていますがこちらもチェーン店なのでありまして、それはカウンター席に収まって品書きを眺めさっと注文を済ませ、さらにMENUを精査しているとその裏面に十数軒の系列店が記載されているのでした。東武線沿線の埼玉を中心としたお店らしく、それだけで何となくシラケてしまうのです。焼き場のお兄さんも奥の厨房で姿どころか声すら見えねど存在感だけはすごい店主もとにかく勤勉なバイト君も眺めていてなかなか役者揃いで楽しいのです。だからこそ常連が入り浸るのでしょう。日替わりの品も豊富で悪くないけどやはりどこか退屈な気がするのです。それは品書きの裏に系列店の記載を見なくともきっと感じ取れたと思います。
2016/08/29
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かねてから悲願としていた深谷の大衆食堂にようやく伺うことができました。先般本庄の洋食店を訪れるチャンスを逸してからというもの、いつまでもあると思うなの精神が今更ながら心に突き刺さっているのであります。これまでの精神は、小骨が喉に引っ掛かっているとか、ズボンの裾を子供に引かれる程度の痛みというか引っ掛かりがある程度でしかなかったのかもしれません。だけどそんなことではこれからも取りこぼしによる心の傷口がどんどん広がって、スカスカの心になってしまいそうです。なのてこの夏は心底から気になるお店のおさらいをして、できることならその何軒かで呑んでみたい、憩ってみたいと思っていたのに目先の欲望を捨て置けぬというか端的に欲深くて出鱈目な性格がそのまま反映した結果となるのでした。でもこの一軒だけは辛うじて訪ねることができたのでひとまずは良しとすることにします。 その外観が最高に格好いいお店は「伊勢屋食堂」です。よく知られた食堂なのでテレビなどでご覧になられた方も多いはずです。ぼくもそのクチで随分前に小さなテレビ画面であったけれどその風情にすっかり魅せられこれだけでも有形文化遺産級であると悟らせられるのに十分だったのですが、不覚にも夜のテレビは酒場で呑みながらとなることが多いため、そこがどこだったのかずっと思いだせぬままになってしまったのです。だから1年だか2年だか前に深谷を訪れても退屈な店だと思い込んで素通りしたままという不本意なことになってしまったのです。駅を後にしてしばらく歩くとパラパラとではありますが古そうな店舗が現れ出します。そんな通りに全く不意打ちのように見覚えのある素晴らしい光景が立ち上がるのはどうかと思う。もっと風情のある店が立ち並んでいたり、奥まった路地にあったりしていることを思い描いていたものだから、線路通りの住宅街みたいな場所に唐突に姿を見せるというのは心の準備すらできないではないか。周囲の景色は期待とは違っていたけれど他を圧する存在感があるので、すぐに気にならなくなります。辺りの景色など消え去ってしまい視界には紺地の暖簾を中心とした風格すら漂わすボロ店舗であります。無様な修飾語やパクリの修辞を弄さずとも肝心なことは、写真を見ていただければ一目であります。その素晴らしさは実地にぜひとも触れていただきたい。店内は外観のテンションを維持してはおらぬもののしっかり水準を凌駕する程度の味がある。品数はそれほどではないがここにはこの年季の集積した茶の空間に最高に映える鮮やかな黄色の品があるからそれで十分ではないか。世の中には黄色ければ黄色いほどに興奮の度を高める変態系カレーマニアがいるらしく、彼らの生態を見ていると間違いなく己の分身を見出してしまうのでありますが、とにもかくにもこの黄色さは美し過ぎる。あまりにも眩くてピンボケしてしまっています。かつて自作でターメリック主体のカレーを作ってみたことがありますが、とても食えたものではない。それを絶品とは程遠いほのぼのと懐かしい味に仕上げる手腕はただ事ではない。これもまた文化遺産であります。一味で彩りを添えるという誘惑に駆られますがここはオリジナル路線を堪能することにします。いつか一味でこの感動を綴り店の方にお伝えしたい。その時まで壮健であられることを祈念しつつ食い進む匙は止まぬのでありました。 その後、ここでなければ間違いなく入っていたお向かいの食堂「岩野屋」や「小林屋」は、雑味にしかならぬと素通りしたのでした。
2016/08/26
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またもや西川口にやって来ました。前回は駅から随分歩いて、もはや最寄り駅はどこなのか判然としないような住宅街の2店で呑んだように記憶します。西川口の本領はきっとそういうところにこそ見出されるべきなのでしょうがぼくだっていつもいつも暇なわけではないのです。って、わざわざ平日の夜に自宅から遠ざかって、電車乗継で呑みに行くだけで充分ヒマなんだと指摘されると返す言葉もありません。でもまあ時間もそれなりになっていて、駅から延々歩こうなんてことは思わないのが良識があるのです。駅の西口には近寄らず東口にまっすぐ向かうのも意思の強さの現れです。駅を出て歩くこと2分ほどでちょっと良さそうなお店に行き着きました。 でも入った瞬間に「大黒店 本店」には、以前もお邪魔していたことにすぐに気付くのでした。前回来たときにはかなりの客の入りで、広い割にちんまりと片隅に追いやられたカウンターに、なぜかすごく強い印象が残っています。いや、別に窮屈でもなく独りで七輪で肉を焼くような店としてはゆったりとしていると言ってもいいくらいで、好印象を受けたのでした。なのにわれわれー相方は記す程でもないー以外、不気味なカップルがいるだけなのはいかにも寂しい。このカップルが夜の町に彷徨い出て以降は、入れ替わりで若夫婦風のが入ってきただけでした。今から自ら七輪で肉を焼くのも面倒なので、適当に肴を見繕いましたが特に安からずで、味もまあ不味からずという程度でした。以前はもうちょっと良かったはずなのにどうしたのだろうか。前回隣の席で独り呑み喰いしていたガテン系の兄さんは、次々に生焼けの肉を口に放り込んでは生ビールを呷り、皿の様子を眺めて底が見えたら次をオーダーする猛烈な勢いに気圧されたものですが、これがホルモン焼屋の食いっぷり、呑みっぷりとしては見ていて気分がいい。そういう客が減ったのにはそれなりの理由があるはずです。やはり客の目の前で、賄いとして従業員が飯を食らうというのはいかがか。陰でこっそり食べさせればいいのに、こういう辺りの機微が感じられないのでした。 この夜は時間の遅さだけが理由でなく店選びに少しも拘りなく、淡白な態度に終始しました。疲労が溜まっていたのか、酒場巡りへの情熱の衰えなのか、幾分早過ぎる更年期障害か、まあそれ以降は意欲も取り戻せたみたいだからほんの一時的な退潮に過ぎなかったのでしょう。とにかく2軒目は普段であればまず選ばぬであろういかにもチェーン店でございという見栄えのお店でした。それでもここを選んだのはひとえに駅に近いという一点が理由となっていたはずです。後で調べて知った店の名は「大衆酒場 串げん 西川口店」であり、店名もいかにもであるし、某店と併記されるような店は事前に調べておいたとすれば、まず最初に払いのける要素であるはずです。ところが一歩点内に足を踏み入れると、おやまあなんかちょっと雰囲気がいいじゃないですか。老舗の大衆酒場のようにうねうねと広いカウンターが主のお店で、だったら大手の牛丼チェーンだって似たようなもんじゃないかということにもなるのてすが、だから何、ぼくは吉飲みとか何とかで宣伝されるずっと以前から牛皿ー無論紅生姜と七味たっぷり、これにお新香なんてあればちょっとリッチな気分だったーに日本酒3本ていう呑み方してたもんね、って何を誇らしげに語っているのか。ここは串揚げのお店ですが、油ものはもう結構、無愛想なのがまた味わい深いバイト従業員のお姉さんの蔑みの視線などどこ吹く風と受け流せればここは案外使い勝手がいいかも。他の店舗も調べておこうかな。
2016/08/24
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以前、本庄で見掛けた一軒の洋食店があります。喫茶巡りのついでの町歩きの際にたまたま見掛けたお店で、その時に立ち寄った数軒の喫茶店よりもずっと衝撃的にぼくの記憶に突き刺さってきたのでした。当然のことですが、すぐさまお邪魔してこのオンボロ外観の中にいかなる空間が広がっている、いや見た目では広がりようもないほどに窮屈なはずです。でも昼時を過ぎていたのですでに昼の営業は終えているようでした。近くにはやはりこれまた雰囲気のあるトタン看板を掲げる食堂が見えますがここもやっていないようです。その後、他の町を時間潰しのように彷徨いた後に改めて店を訪ねましたがやはり明かりが灯ってはいませんてした。その後あれほどまでに鮮烈な印象をもたらした店だというのに、何たる物覚えの悪さか、すっかりこの店の存在などなかったかのように、本庄を再び訪れもせずに過ごしてしまったのです。 そのとんでもなく味な店というのは、「レストラン はじめや」(その在りし日の姿はここから)のことで本庄のある高崎線沿線を久し振りにブラブラしてみようと、少しばかり手持ちのメモを見ながら予習してようやく思い出すのだから情けない。でもこれで今回の高崎線散歩にも心躍るイベントができたと、勇んで高崎線の乗客になったのでした。何度かの途中下車を繰り返し、正午少し前の絶好のタイミングを演出し、いざ記憶にも明瞭な迷路めいた町をスイスイと歩いたのもほんの一時のこと、かの店は一向に見つかる気配がない。いざと言う時に頼りになるスマホのナビの指し示す場所もやはり先程通り過ぎた地点なのです。全く痕跡すら見当たりませんでした。何たることかまた出遅れてしまったのだろうか。ぼくの記憶はともあれスマホのナビも結構いい加減なところがあるのでそうである事を祈りたいところですが、やはり潰れたんだろうなあ。 なので何度か通り過ぎていた「モンキー食堂」で自らの不徳を嘆き、宥めることにしました。こちらのお店、店の雰囲気は悪くないのだけど店名がどうにも頂けない。この店名で随分損をしているような気がします。いや、このお店は観光客がフラリと立ち寄るような風貌ではないな、ぼくのような物好きはむしろまれな存在に過ぎぬのだから、今更店名がどうのこんので客足にいかほども営業など与えないに違いありません。さて、店内はカウンター8席位にとテーブル3卓ばかりと程よい広さです。店内の雰囲気は食堂のそれではなくまさに煤けた居酒屋そのものです。良い塩梅に5、6名いる客はみな腰を据えての呑みを決め込んでいます。こちらはこの先に行きたいところがあるので、呑み過ぎは禁物ですが、此の状況では呑まぬ訳にはいかないでしょう。イモ天がジャガイモとあるので、これは本庄もほとんど北関東なのだなと思い頼むことにします。閃くところがあってピザなども所望。まあ閃きなんて気の利いた考えではなく、たんに一味とタバスコを大量に振り掛けてしまおうというだけの愚かな味覚を慰めるだけのことなのです。いずれも味がいいし、量も多い、値段がやや高いと思ったのは浅はかだったようです。調理に専念するオヤジさんはおっかなそうでしたが、息子らしき方が厨房に入ると途端に好々爺に化けて非常に気のいい表情を見せてくれて、満面の笑みで何やら語り掛けてくれたのですがその内容は忘れてしまったなあ。なかなかの良店でした。
2016/08/23
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ほらほらやっぱりまた西川口来ちゃったじゃない。誤解があるといけないので予め断っておきますが、このブログはあくまでも健全極まりない呑兵衛日記に過ぎぬので、アダルトな情報は一切提供されぬのでご期待なきよう。ということで一度通い出すとそれなりに気が済むまでその町を訪ねずにはいられないぼくの特殊性格をやっぱりと言っているのであって、他意は少しもありません、多分。ともあれ、今回もまた東口に降り立った辺りから健全さがお示しできていると自負しておりますが、まだまだこの一帯には多くの知られざる酒場が潜んでいるような予感がありますが果たしてどうなることやら。でも駅から歩き出すと程なくして適当な居酒屋を見つけたので、特に吟味することもなくあっさりと店を決めてしまったのでした。 そのお店は「金時」というお店だったのですが、まあごくありふれていて、もっと猥雑なもしくはいかがわしげな怪しさの漂う店が個人的にも話題としても面白くはあるのですがそれはまた今後の課題とさせてください。そこそこにお客も入っており、まずまずの人気店らしく、全般に値段も手頃なのは大変そう結構な事です。ホッピーでひとまず乾杯です。そうそうこの日はO氏も一緒です。このO氏というのが以前も書きましたが、金遣いは結構荒いところもありますが、概して小さい金額に関してはシビアな視線を持ち合わせています。そんな辛口の彼さえもニヤリとさせる、いやむしろギョッとさせてくれたのが、中身の量であったのです。ジョッキにはそれなりに氷も入っているので正確な分量は推測するしかないのですが、少なくとも氷込みで観察した限りにおいてはジョッキの八割近くまで焼酎で埋められていて、外身を投入する余地がほとんどないのでした。これはうれしくもありますが、原則としてハシゴ呑みをモットーとする我々にとっては有り難いようでいて、若干の迷惑にもなってしまうのですが、最初の一杯を呑んだところでこれは素直に歓迎しておくべきだと考え直したのでした。3度目の中身になっても外身のホッピーはまだたっぷりと残っていて、贅沢にも最後には埋めては呑みを繰り返す羽目になるのでした。さすがにホッピーばかりでは飽きちゃいますから、バイスなどの量の少ない割物をもらうのが正解だったかもしれません。酒でお腹がガボガボになるとどうしても食の方が落ちてしまい、つい食わずに呑むことに徹してしまうのが悪酔いにつながるというジレンマは、歳を重ねると誰しも否応なしに受け入れざるを得ないとはいえ切ないものです。いや、今時の老人たちはそれには当てはまらぬか、旺盛な食欲と盛大な呑みっぷりは見ていて気持ちが悪くなるくらいで実に羨ましい限りなのです。
2016/08/12
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またもやってしまいました。昨晩の酒場放浪記をご覧になった方は、すぐにお気づきになられた事でしょうが、そこで放映されたであろう一軒に番組HPの横綱を頼りに行ってみることにしたのでした。そこには長年に亘り有名料理店で腕を磨いたという店主が出したお店ということで、店名もまだ念願叶わず店の前を素通りするしかない銀座の老舗「はち巻岡田」を思わせる高級店ではなかろうかとの懸念を抱きつつも京浜東北線の客となってまたもや通い慣れたる蕨を一人目指すのでした。 まだぼくは録画しておいた放映を見てはいませんが、うなぎの文字も格調高い蕨では瀟洒な和風建築の一軒家で正直財布の中身が心配になるのでした。まあここまで来ておいて素通りできるほどには、悲しいかな人間が枯れていないので果敢に足を踏み入れるのであります。「はち巻」という店名はどこから来たものか、ご主人は鉢巻を締めていることもなく、店のこざっぱりとした雰囲気からするとそれなりのお年を召しているようにお見受けしました。取り急ぎ値段の予想が付く瓶ビールを注文します。枝豆豆腐に味付けクラゲは夏の暑い陽射しを浴びまくりくたびれた身体にはさっぱりして美味しく感じられます。早々にビールに飽きたのでお酒をつけてもらうことにします。冷酒にしますかとの問いにお燗を付けてもらうのは、気取ったからではなく単に懐具合を勘案したまでのこと。ここで銘酒に流されてはこの夏の予算がすっ飛んでしまいそうです。松竹梅を黄桜の銚子と猪口で戴きますがこれで十分。店内はぼくの趣味からは幾分上品に過ぎますが、一枚板の立派なカウンターや囲炉裏席など造作には並々ならぬ力の入れようです。主人もそうですがじきに姿を見せた女将さんも寡黙そうな雰囲気ですがお喋りしてみると、色んなことを語ってくれて少しも飽きさせないのです。蕨あるという相撲部屋のこと、たった今自転車を漕いで力士が通り抜けたこと、この店の歴史、そしてつい先日テレビの取材が来たことなどなどを飄々とお喋りくださいました。放映当日は店が休みとのことなので、翌日からは予約の電話が鳴り止まないのではというこちらの少し意地悪な言葉にも気にする風もなくにこやかに受け流すのでした。 二、三軒の店を挟んで「大衆酒蔵 那珂川」がありました。見たところはそれほどには年季を積んでいるわけではなさそうに見えますが、それでもちょいと気軽に入れそうな気安い雰囲気が感じられるので入ってみることにしました。店内はシンプル過ぎるくらいに典型的なコの字のカウンターでテーブル席が一切ないのも潔い。品書も充実していて定番に加えて日替わりの品も多いのは店の実力が察せられるというもの。でも初めてなので定番をいっておくことにします。ベーコンポテトのチーズ焼きですがこれがまた当たり前のどこで食べても似たようなもののはずなのにタバスコをバンバン振りかけて食べると、ホッピーの進むこと。そうそうここのホッピーは、調合されて出されるので中身のお代わりで安く上げるという常套手段は通用しないのですが、その分ジョッキがでっかいのでご安心を。ひとつだけ一見客にとっての難点を上げるとすれば、客層がかなりやさぐれた感じがあるのでそれが苦手な方は最初は一人は避けたほうが印象が良くなりそう。まあ実際静かに呑んでいると彼らもそう乱暴ではないことがお分かりになるはずです。なんてことを言ってますがあまりアテにはならぬので嗜みさえわきまえていれば何ら問題なく楽しめるはずです。やはり蕨、恐るべしをまたもや再認識させられるのです。
2016/08/09
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蕨にズブズブにハマッたのも今となってはもう大分前のことのように感じられるのは、記憶力の劣化によってちかいきおくさえもが遠い過去のことのように靄が掛かっているからなのかもしれません。それでも何でもかんでもがモヤっているのではないことがひとまず救いで、ここぞという肝心なことはピンポイントで覚えていられるようなのでまだ何とか凌げると思い込むことにしておくことにします。さて、今回僅かにクリアな映像として脳内出再現できるのが、最寄り駅をわらび駅だという思っていたら実はかなり西川口駅に近いことが判明した、とある哀愁漂う中華食堂2軒のことなのでした。 西川口駅は、住民の方には失礼に当たるかもしれませんが風俗店とギャンブルの町という印象が強く、それは満更嘘というわけでもなさそうですが、東口側は庶民的な商店街が伸びて散策していてもなかなかに面白いのです。駅前に伸びる街路樹の植えられた目抜き通りをぶらぶら歩いていくと、そこがあの西川口かと思わせられる程度には情緒のある町並みに思えてくるのですが、やがて産業道路という割には車通りもそう多くない通りを渡ることになります。そこは5三叉路になっていてその第五の道ー斜めにまっすぐ伸びているー道をなおも進むと古びた野球場がありまして、それが結構味わいがあるので覗いてみたくなりますが、それよりも呑みたいという欲望が勝ってしまったようです。さらに進んで脇道を覗き込みながら歩いていくと、ようやくあったあった、10数分歩いたでしょうか、ようやく念願の店に辿り着きました。 ホントはもう一軒を先に訪ねるつもりでしたが、楽しみは後に取っておくことにしました。まずは「四川一番」です。汗をカキカキ店の前に立つと戸が閉まっているのでこれは冷房が効いているなとすっと汗が引く心地だったのですが、それは無念なことに勘違いで店内はムッとした熱気に満たされていたのでした。それならそれでやむを得まい、日頃扇風機だけの酒場など通い慣れています。メニューには記載がないもののビールはあるようです。大瓶はちょっと多いけどまあ喉が渇いているから最初の二杯はうまかった。ワンタンの値段が350円と見ると一過性の流行病だったワンタンへの思いがムラムラと蘇り、ついつい注文しちゃうのですが出てきたのがワンタン麺なのには、正直愕然としました。むろんワンタン麺も大好きですが、ここでお腹を膨らますのは憚られるのてす。まあ実際にはペロリと平らげるのですが、この後のことを考えると厳しいことになることは目に見えている。全然すごいうまいとかはないけれど心底優しい味わいでした。店の雰囲気は外観からするとやや物足りぬのですがまあ致し方ない。 ということで、お目当ての「中華・定食 一善」に移りました。こちらは店内の景色も抜群に良し。ただし、ほぼ満席で危ういほどだったので、写真は控えめに。カウンターの窮屈な一席に何とか体を押し込んで品書きを物色。腹に溜まらぬ品をオーダーしましょう。野菜不足のぼくはサラダで呑むのがお気に入り。家呑みではサラダを愛用しています。ここのハムサラダは250円とお手頃なのが嬉しいけれどマヨネーズ風味のドレッシングが果たしてヘルシーかは疑問の残るところ。でもまあ酒の進むことは間違いなし。コップ酒かお銚子かとの懇切丁寧な問いにはコップ酒を所望。サラダと丸干しなんていう無茶苦茶な注文は、サワーと日本酒という出鱈目なオーダーでなんとでもなります。周りの客は近所の人らしいのですが飲食店の少ないこの界隈では非常に重宝されてるみたい。いやいやこれならぼくてもここが駅から近いならちょくちょく通ってみたくなることでしょう。駅から離れた店はどこもかしこも酒場となりうるのですね。ぼく自身は横着な人間なのでとても毎朝ここから仕事に向かいたくは無いのですが、定年後はこれもありかななんて思ったりもするのです。 この二軒、お察しの方も多いことでしょうが、お隣同士なのでした。
2016/08/03
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川越にはとんとご無沙汰してしまいました。東武東上線が副都心線を経由して東急東横線と相互乗り入れしたりして横浜からの客足も増えたということで、もとより混み合って歩きにくい川越の町並みが以前にも増したと考えるとそれだけでゲンナリとしてしまいつい足を向けにくくなってしまうのです。それでも古い酒場の少ないこの町にもそれなりに歴史のある酒場が残っていて酒場放浪記でも放映されたと聞くと、つい気になるのがミーハーな酒呑み人情というもの。川越というのが浦和やら船橋なんかもそうですが、複数の路線が入り組んでいてしかも似たような名称の駅が多いのですが、ここ川越はそのいずれもが分散してトライアングルを成していて、どうも町の印象が散漫になってしまいます。最初に向かうつもりの酒場は恐らくはJRの川越駅が便利だったと思うのですが、詳しくは調べられてから行かれることをお勧めします。 遠目には薄べったい古びた味のある一軒家の酒場に見えましたが、店内は改装されて狭いことと窮屈なくらいに無理矢理席を押し込んだことが特徴といえば特徴の「中村屋」に伺いました。お客さんもそこそこ入っていたため、われわれーそうそうA氏も一緒でしたーはカウンターのヘリのような窮屈な上にも肩身の狭い末席に腰を下ろしたのでした。品数は焼鳥屋としては豊富で、老舗としては若々しいアレンジ料理なども用意があり、食い気旺盛な客の需要も満たせそうです。実際に鳥のハムやレバーのパテはやや淡白な味わいながら自家製であるのは好ましく、オヤジさんの新メニューへの意欲はアッパレだと感心します。常連はそれこそ数十年通い詰めておられるようで、数年ぶりに尋ねてきたという女性の一人客もすぐに昔の足繁く通っていた頃に回帰して寛がれていました。店の造りは新しくなっても人の繋がりは生きてさえいればそうそう安やすとは途切れぬものではないなと、微笑ましい一幕も目にしました。そう言えばそれこそ毎晩でも来てそうなおぢさんなどは、店の若女将に買い忘れした豆腐の買い出しも頼まれてましたね。こういうのも嫌いな人は許せないんでしょうけど、この店の雰囲気なら許せてしまえそうでした。 続いてはしばらく歩いて東武東上線の川越市駅ーアレッ、本川越駅だったかしらーの駅の向こう側、オフィス街風のビルの谷間にある「居酒屋 やじろ兵衛」にハシゴしました。先ほどの店が主人と客が一体となった家族的雰囲気だとすれば、こちらは逆に一人客も団体もてんでんばらばらに勝手気ままな酒を楽しむ大衆居酒屋そのものといった風情です。ぼくはどちらかと言えば前者が好みですが、旅先では後者も捨てたものではない。地方の独特な単語やイントネーションを推理しながら盗み聞くのは愉快なことだし、その土地の呑みの流儀なんかを垣間見れるのも興味深いものです。これが前者だと話の半分も理解できぬままにうっかりとした答えで相手をしらけさせるなんて経験もあったりします。店の中は大盛況です。あわや入れぬものと諦め気分になるのですがここが偉いところで、上手く席を詰めるなどしてちゃんと入れてくれるのでした。カウンターには一人か二人をとにかく隙間なく埋めていくという流儀がきっちり守られているから客も席をずらすことになっても素直に従うのです。酒も肴もごく普通、値段もまあまあなので格別どうこう言うような居酒屋ではないものの、こうした普通の店が日本中のどこにでもあって欲しいのてす。それにしてもすごい客の入りだ、ここに来て万が一入れなかった人たちは果たしてどこに向かうのか気になるところです。
2016/07/28
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蕨の酒場はもうお腹いっぱいという方も多いかと思いますが、これでひとまずは蕨特集も終わりなのでお向き合い願います。ぼくという人間はどうも好き嫌いが明瞭すぎて深みにかける嫌いがあるようで、篠崎やら蕨なんかに行ってみては大いに一人で喜んでみせたり、逆に原宿とか渋谷に行くと足取りがぐんと重くなってしまって、グズグズと文句を垂れてみせたりと極めて凡庸な嗜好であるにも関わらず単純極まりない反応を隠そうともせぬのが大した恥じらいのなさであります。六本木とか青山なんていう一見スカした町からも魅力的な側面を見つけ出す才能こそが本当は優れているといえるのではないか。ともあれ俗物根性まる出しのぼくは蕨でももっとも分かりやすく場末感を堪能できる西口の酒場ビルを目指すのでした。 まずはそのど真ん中にある「悠凛」に入ることにします。立ち呑みとの触れ込みではありますが、ご安心あれー?ー、ちゃんと椅子が用意されているので、立ち呑みなんて落ち着かない店は嫌いと決めて掛かる頭の硬い人でも大丈夫です。ママさんと先客一人がおりました。ちょっとばかしいかがわしい雰囲気は感じますが、他のスナックなどと比べるとグンと敷居は低くてこのビルの初心者であるぼく向きのお店に思われます。値段もお手軽で料理は旨いとかどうとか感想を述べるようなものではありませんが、のんびりと妙な緊張感など感じずに呑めるのは気分のいいものです。これでビルの谷間の通路を行き交う人々なんかを眺められると楽しいのですが、残念なことに人影はまるで見られず、時折他店からカラオケを堪能するオヤジたちのがなり声が漏れ聞こえる程度です。このビルの全容を探索してみたい誘惑に駆られますが、まあそれは次の楽しみにとっておこうと思います。 店を出てビルの周囲を彷徨いていると、よい雰囲気の「酒と肴 居酒屋 きらく」がありました。O氏と合流したらここに入ろうと決めて、店の前で待つとの連絡を入れました。ところが現れたO氏の表情は今ひとつで、曇り気味に見えるのです。何が一体良くないのかと尋ねると、値段がそれなりであるとの答え、なるほどそれは良くないかも。でもまあ面倒なので結局は入ることにしたのですが、いやいや、全然高くないし、何よりなかなかに風情もあってよろしいではないてすか。こんなによい雰囲気の店なのになぜかしら店内写真がないのが残念です。実際に直に現物をご覧になってください。親父さんと女将さんはとにかく寡黙で、実直さが人の皮を身にまとっているような感じです。そんなムードではつい会話の音量も低めとなってしまいます。こういう店は独りがいいななんてありきたりの感想を述べ合いつつ、周囲はみな一人で静かに酒を嗜んでおられるのでした。
2016/07/21
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それにしても蕨なんていうしけた町に魅せられてしまう己は、一体どれだけしけているんだろうか。綺羅びやかな町は都内に幾らもあるというのに、そしてきっとそういう町で過ごす方が精神面も大人の落着きをもたらす効果がありそうだし、情緒の点でも洗練された違いの分かる男になれるんじゃないかとも思うのですが、一方で銀座だって一本裏通りを歩いてみると、厚化粧の層の下に絶句を余儀なくされるとんでもない秘部が潜んでいるものであります。そういう意味では上辺ばかりキレイな町を歩いてみたくもなりますが、こういう良く言えば聖俗入り混じる、普通に言えば綺羅びやかであることに徹底できない曖昧な態度は多くの日本人の心性にそぐわないのでしょうか。日本の成り上がり女性社長の一部にはそうした心性を無理くり矯正して、どこかねじ曲がった人間性に見える方なども見受けますが、根本では日本人は貧乏性なのだと思います。と少しも論理的でないことを書いていても少しも蕨に近寄れぬので、とっとと本題に入ります。 近頃の蕨の立ち呑み界を牽引するのが「もりすけ」であると言い切っても異論のある方はそう多くはないのではないでしょうか。なんてったって赤羽の有名立ち呑み店「いこい」の姉妹店的な立ち位置の店なのだから安さは折り紙付きです。品書からも「いこい」との縁故を見て取ることができます。このお店、戦後の廃墟ビルを不法占拠して持ち主に断りもなく始めたようなスラム街めいた趣があって何よりの見どころはそこにあると断言しきってしまいます。そんな危う気なビルの入口、比較的無難な場所にこの立ち呑みはあるので、初めての店には躊躇してしまうような方でもご安心してお入りいただけることでしょう。店はお兄さん一人でやっていて、これでよく切り盛りできるものだと感心しますが、ここまで人件費を削減しているからこそのやすさに違いない。客に変に媚びたりしない態度は本家譲りか。こぢんまりした店なのだから空いてる時には多少は愛想を振り向いても良さそうに思いますが、まあそうはならないかな。近頃爆発的に増殖している例の立ち呑み店はあからさまに応接の感じの悪さを露悪的にやっているように思われるのですが、ぼくは今の快進撃はそう長くは続かない予感があります。そこよりはずっとこちらのお店が好印象なのです。セコい話をいつもどおり言っておくと何せ酒の安さはずば抜けて立派。ぼくのような肴控えめの呑み中心の者にとっては酒の値段が一番大事なのです。 同じビルにもう一軒立ち呑みを称した店がありますがそこは椅子ありのお店です。蕨の立ち呑みと書いたから、ここをスルーするわけではなくてそのお店のことは次回に送ることにして、恐らくはあまり知られていないであろうーと言うのも蕨通のO氏も知らなかったのだから町は歩いてみるものだー立ち呑み店を報告しておきます。喫茶巡りの延長で西口から延々と伸びる、ただし相当寂れている商店街をどこで引き返したものか決心のつかぬままに歩き続けていくと焼鳥を焼く煙が漂いその軒先でオヤジが焼く姿が見えています。数名のテイクアウトの客も並んでいます。これだけなら商店街の外れによくある持帰りの専門店でしかないのですが、ここは鰻の寝床状の細長いカウンター席がある立ち呑みコーナーが併設されているのです。「とり蔵 焼とり立飲みコーナー」とアルミ戸のガラス面に渋く記されているから間違いなく呑めるはずです。店に入ると表から見たまんまの殺風景なお店です。酒場にとってあってもなくても構わぬものを徹底的に削ぎ落としていくとここに行き着くのではないかという気分がささくれ立つくらいの実用一辺倒な姿勢は大いに好むところです。ここには無口なオヤジと勝ち気そうな女将、酔っ払い、そして焼鳥と酒しかない。でも酒場なんてこれだけあればもう十分ではないだろうか。けして安いとは言えぬがでもこの雰囲気が味わえるならいいじゃないか。あゝもう一つ忘れていた、椅子もありますがこれは必ずしもなくてもいいかもね。
2016/07/16
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月曜に登場しなかったので安心なされた方がおられたらゴメンなさい。蕨の呑み歩きはまだまだ終わりを告げたりはしないのでした。今回訪れた2軒はいつも位置情報の希薄なーって、情報的価値にはこのブログは少しも寄与していないと自覚していますーこのブログであっても容易にお分かり頂けるはずです。駅を出てーどちらの手口から出てもちっとも構わないー、とにかく北方向、駅で言えば南浦和に向けて線路沿いを歩いていくとそう歩くまでもなく京浜東北線などの行き交う東西を結ぶ車両も渡れるまずまず大きな跨線橋に行き着きます。この跨線橋をむりやりにでもやじろべえと見立てていただきたい。そうすると蕨に向きを変えて右手がの先っちょにこの先向かう2軒目、左手に1軒目が見つかるはずです。 一軒目は「天秀」です。枯れた構えながら看板に何だか余計な記述が多過ぎて面倒そうな酒場に見えてしまうというのはぼくも感じたことだから、そこん所は敢えて目をつぶっていただいたほうがいいかもしれぬ。でもここで引き返してしまってはつまらないです。なんせ生半可な渋い店では納得どころか揶揄ばかりを述べるO氏でさえもが、振り返ってあすこはいい店だねえというほどだから騙されてみる価値はあるかもしれません。いや、酒場の趣味なんて人それぞれだから是非にとは申しませぬが、店内に入るとその内装の造作の品の良さは一見する価値があります。などと書いていても実のところ日本家屋の良さを十分に理解しているとはとても言えぬぼくなどがこんなことを言ってみても仕方がないので具体的な描写は控えさせていただきます。ただ夕暮れ時を迎えて西日が射し込む店内に鶴らしき鳥の細工が設えられた欄間越しに幾条にも柔らかく枝分かれした光の帯が注ぎ込み、埃の粒子が美しい陰影を与えています。こういう光と影の綾なす効果にこそ日本家屋の美意識が最大限に発揮されるはずです。人工的な光には日本の建築は質素さばかりが露呈してしまう気がします。ともかくさり気ないお店なのにお通しからして気が利いています。カウンターの先にはどじょうが泳いでいるのが見えついつい気を惹かれます。それにしてもここで酒を呑んでいると、蕨という町自体が地方っぽいのに、さらにこの店はそれを更に助長してくれて何だか旅情すら湧き上がるのでした。案外こうした店で職場の同僚と呑むといい感じかも。 続いてはやじろべえの右手の方、こちらは呑み屋街になっていますが、すぐそばに「蒼屋」があります。この店名には見覚えがあります。南浦和の線路沿いに古い店舗を居抜きで使っており、2階席まで目いっぱいの入りでした。おねえさんの無愛想さと肴の秀逸だった事が印象に残っています。蕨の店舗はどうなのでしょう。鰻の寝床のような細い店内はやはりカウンターだけ。2階にも席があるのかは不明です。基本的に南浦和と特に変わらないのでありますが、こちらは若い店長が無愛想です。わざと愛想の悪いオヤジを演じることで酒場らしさを演出しているかのようです。とにかく肴がうまくて安い。これはこれだけですごいことだし通う理由になります。酒はお高めでありますが、酒呑みの味方、梅割があるから大丈夫。3杯打ち止めの梅割で2、3品食べてサッと出るのが粋な使い方でしょう。でもコチラは南浦和と違ってあまり入りは良くなかったですね。
2016/07/07
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ぼくにとっては極めて稀な出来事なのですがここ数日の体調が絶不調でとてもだらだらと他愛のない文章を書き連ねる余裕などないといった状況なのです。と言い訳してしまうと気が楽なので早速蕨の東口にある喫茶店のお話に入ることにします。 ここまで来るのにも10分近くは掛かったでしょうか、町外れの住宅街だというのに商店や飲食店がしつこく途切れずにあるというのが、都内からわずか10数分という立地の良さと言えるのでしょうか。いやいや神奈川や千葉において同程度の距離で鉄道の駅からこれ程隔絶した土地がありましょうか。さて、「喫茶 真樹」は、完全にスナック化しているので、さらりと流しておくこととして、「COFFEE ナラ」、これとてもいい雰囲気なんですが店はもう閉めてしまっているようです。元マスターらしき方が玄関でゴソゴソとなにやら作業していましたが、どうしても声を掛けることが憚られたのでした。 ここから先はもう何年も前に訪れた時のことなので記憶は随分曖昧になっています。「十字路」はもうその当時でも閉店していたようです。喫茶店と何も関係ないことですが十字路って乱歩の探偵小説や衣笠貞之助のアヴァンギャルド映画を挙げるまでもなく、その字面には独特な暗さが漂うのですが、実際の十字路は少しも暗さがなくてそのギャップが興味を引きます。登戸にも同名のちょっといい雰囲気のお店がありますね。 朧気な記憶しか持ち合わせていないのですが、こうして改めて写真で回想してみるとこの「珈琲屋 ふぁみりい」、案外悪くなさそうです。次に出てくる喫茶店が凄すぎたせいで冷静さを失していたのかもしれません。 常套と奇想、洗練と野暮ったさ、豪奢と貧相が同居する「喫茶 クラウン」は、そういう意味でまさしく蕨という都会とも地方とも言えぬ曖昧さからしか生まれ得ぬ稀有な喫茶店としていつまでも残して貰いたいお店です。
2016/07/03
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例のごとく蕨であります。散々巡ってみてもそう容易には周り切れないのが蕨の奥深いところと言ってしまってもそれほど大袈裟な物言いではないはずです。基本的には西口に味のある呑み屋街と酒場が目立つ訳で、かのもつ焼の有名酒場を除くと東口側のことはほとんど知らぬのであって、こんな事では蕨を知った気になって知ったかぶりしてはいられない。そんな焦燥感ーこれはやや大袈裟な物言いですーに駆られて東口を飛び出たのであります。というのは、実際の時系列とは異なっていて、そんなことは敢えて断るまでもないのですが、これから書こうとしている酒場の登場に若干の差支えが生じることになるので一応お断りしておきます。と言うのは先日の東口側の喫茶店巡りの後で、蕨初訪問というA氏と落ち合うことになっていて、「マドンナ」でくつろいでいたぼくの元に到着した旨のメールが飛び込んできたのだから、慌てざるを得ないのです。でなければ「中華・定食 一善」のような優良物件をみすみす見逃すわけがないのであります。すごいいいんだけど、駅からは遠いなあ、でも必ずや近いうちに訪れる事を誓いつつ合流先に向かうのです。 落ち合ったのは、「ぎょうざ屋さん」というお店の前。初めて蕨を訪れるA氏の気持ちはさておいて、餃子のお店に来たのは訳があります。まだ酒場が開き出すには時間が早かったことと、朝昼抜きで喫茶巡りをしていたぼくの空腹感が絶頂に達していたからであります。食堂と言っても中小企業の町外れの工場にあるような殺風景で安普請な構えは嫌いじゃあないのだけと、店のオヤジの応対の横柄さまで場末酒場に似ていなくて良いではないか。ここはホワイト餃子の流れをくむもちもち生地の食いでのある餃子なので二人で一皿をシェアするなんて許されそうもない雰囲気であります。10個で380円というリーズナブルそは立派でありますが、めっきり食の落ちたわれわれに10個は厳しい。コッソリとテイクアウトすることに思いが及ばぬのが今となっては愚かでありました。シナモン香る独特の風味の餃子は久しぶりにいただくとなかなか悪くなかったものの、流山や柏といった本拠地以外でもそこここで食べられるようになったのでさほどの有り難みはなくなってきました。それでもセルフサービスの瓶ビールとともに味わうとそれなりに食べれてしまうものです。ゆず味のほうが好みだなどと店を出た時には、余裕をかましていたのですが、その後パッタリと食欲が戻らず、今後の呑み歩きに当たり課題が浮上したのでした。 その後数軒呑み歩いたのですが、東口の酒場巡りという事なのでこの夜最後に入った「大衆酒蔵 花岡やすべえ」のことを報告しておきます。いやはやしかしコチラ側にこんな味のある酒場があったとはついぞ知らずにいたのが恥ずかしい。路地と路地に挟まれた細長い酒場は消して目立たぬ訳ではないにも関わらずこれまでぼくの視界から逃れ続けていたようです。再開発の進む地方都市からは失われつつありますが、こういう駅近で、カウンターだけの帰宅途中のサラリーマンがサッと呑んでいくようなお店は、昔はどこにでもあったような気がしますが、今となってはノスタルジーを喚起されるというのは寂しい限りです。サラリーマンよりも近所の住民に愛されているらしいことは、客に家族連れや隠居したらしいオヤジたちが多いことでも分かります。少数派のサラリーマンは入口付近ーって入口はいくつかありますけどー、駅寄りの人通りの多い目抜き通り沿いの入口付近に追いやられています。特に旨いものもなく、値段も安くはなく、でも最初の一杯は店の方のお酌付きというような店に人が集まるのは、間違いなくこの店の情緒を求めてのことなのでしょう。なんだか懐かしさに一時触れて感傷的な気分になり、日本酒を燗して呑みたくなるぼくの俗物だなあ。
2016/06/27
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さて、続いては蕨駅の東口側を歩いてみることにします。先般も書きましたが、蕨駅の東口は50mも歩けばその先は川口市となり、タイトルでは蕨の喫茶店報告を謳っておきながら、実のところ川口の話を書くのはいかがなものかー近頃ニュースショーのアホなコメンテーターや就任して間もなくして地が露呈する議員たちがこの「いかがなものか」を乱発するのに不快感を表明しますー。駅前こそ西口に見られた地方都市のような情緒はありませんが、それでもコチラ側には蕨という町を代表する酒場と喫茶店がありますから見逃すわけにはいきません。西口にも数多くの廃業喫茶店を見ることができましたが、東口側にはそれを遥かに凌駕する廃屋があって寂しいのは間違いないのですが、そんな廃墟を眺めて想像を膨らますのも悪くないものです。一度に紹介するには数が多すぎるので、今回は敢えて実際の時系列を逆転して遠隔地から遡及してみることにします。というのは、過去の写真が見当たらぬのでその捜索が間に合わぬという事情がありまして、ご了承ください。 駅からは健脚な人でも20分くらいは歩くでしょうか。川口市の科学館だか何だかの施設があったはずですが日頃メモというものを取らぬ横着者なので失念しました。かなり立派な施設なので地図をご覧いただけば簡単にわかるはずです。とにかく駅を背にしてひたすら東に向かって歩いていけばやがて辿り着けるはずです。ただしこの「珈琲館 マドンナ」に出会えるかどうかは怪しいので、心配であれば事前にお調べください。容易に見つけることができるはずです。外観が期待させる通りの正統派のソツのないお店で、思いの外に年季も積んでいるようです。なのに少しも草臥れた様子がないのは店主の店への愛情の注ぎ方に並々ならぬものがあるからだと思われます。加えて、そのままでは単調となりかねぬオーソドックスな佇まいではありますが、季節の花を添えることで格段に鮮烈な印象を店内にもたらすことに成功しています。本来ぼくには花を愛でるような風雅な心境は持ち合わせていないはずですが、この贅沢な花にはしてやられました。季節ごとに新たな側面を見させて貰えそうな素敵な予感を懐かせてくれます。こんな喫茶の楽しみ方もあったのかと目を見開かされた思いです。 そのそばに「クッキー」を見つけました。が、看板はありますが、一体全体どこが店舗だったのか定かでありません。こんな町外れの住宅街にもかつては喫茶店があったのですね。かつて夥しいまでに喫茶店が増殖した時代があったということは知識として知ってはいますが、昔の人はそれこそ喫茶店でのひと時を現代のわれわれなどが思いもよらぬ程に大切にしていたのでしょう。 「喫茶 軽食 和」これは明らかに店を畳んでいます。でも雰囲気があっていいなあ。入ってみたかったなあ。 「ジュンブライド」は、まだ現役のようですが、すっかりスナック化してしまっているようです。表向きはかつては正統派の喫茶店だった当時の面影をとどめているだけに残念です。 喫茶店としての役割を未だ留めているのは、そのお向かいにある「喫茶 レストルーム 雅」でした。残念ながらそれなりにお客さんがいて狭かったので写真はありませんが、表の見かけはけっこう怪しいですが、案外質素でオーソドックスな内装でありました。 「コーヒーハウス リセ」は、窓越しにそっと覗いたところ、かなり散らかっているように見えました。現役か閉めてしまったのか判別が困難ですが、少なくとも夜だけの営業のスナック菓化して久しいように思われました。
2016/06/26
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連日蕨の話題ばかりなので今日でひとまずは休止しますので、蕨は余りにも遠すぎるとお思いの方はご安心下さい。ぼくも同じ町の事ばかり書いていると、ただでさえ面倒なのにますます書く気力が萎えてしまいます。それでも蕨の酒場報告が溜まってもいることですし、しかも記録に留めておきたい酒場も数多くあったので怠惰に陥ることなく踏ん張って書く事にします。 この夜の最初の酒場は「大衆酒蔵 (好)」であります。ここはネットでもかなりの情報が流布されている蕨の人気酒場の一軒のようです。例によって蕨を呑みの主戦場とまではいかぬにせよ、ぼくなんかよりずっと足繁く通っていることは間違いのないT氏も以前訪れたことがあるようです。店内は至って小奇麗な大衆割烹のような雰囲気で、それだけ取り出してみてはこの酒場の真価は少しも見て取れぬのであります。いや、注意力が散漫とさえしていなければ周りのお客さんの卓上を眺めさえすればその異常なる事態にすぐさま気付いていたはずです。でも黒板にびっしりと記された品書とそこに付されてはいるもののどうも明瞭ではない値段の表記を解読することについ躍起になってしまい、ほぼ直線のカウンターの周囲に意識を行き渡らすことができなかったのです。さすがに注文を終えてひと安心すると辺りを見渡す余裕もできてくるわけですが、その皿の様子に思わずギョッとする事になります。そして判明するのは、この酒場に満席であることのリスクも辞さずにいそいそと客が押し寄せるのは、この恐ろしいほどの盛りの良さにこそ原因があるようです。しかも不可解なことにお隣の食べている巨大な器に盛られた煮込みなどどう探しても黒板にない品があるのです。恐らく常連のみぞ知る定番の品があるということなのでしょう。それにしてもここの客たちー50代位の人たちが多いーは旺盛な食欲を隠そうともせず、われわれの2倍、いやそれ以上の肴を次々平らげていくのが羨ましく思われるのです。どうしたものか恐らくは家族経営の女将さんのみがやけに威勢よく声を張り上げられているのもユニークなまだまだ奥の知れぬ、人気のあるのが納得の酒場でした。今度来る機会があれば何とか4人程度のチームを編成せねばならなさそうです。 満腹でもう肴はホドホドで十分だったので、日中見掛けていた「居酒屋 奏」に入ることにしました。喫茶店の「ひとりっ子」に軒を連ねる枯れた感じのお店です。店内は簡素で飾り気もなく、お客さんがいないと殺風景に思えるようなお店ですが、カウンターは10名くらいのおっちゃんで埋まっています。やけに立派な座椅子の置かれた小上がりに通され、不思議と落ち着いてしまうのです。両手に余る程度の品書から厚揚げを選んだのは全般に相場よりお高めなのも理由ではあります。こうした繁華街から爪弾きにされたようなお店は得てしてこういうことが往々にしてあるものです。地元のおっちゃんたちは自宅で夕食を食べた後に寝るまでのひと時を特段肴など食べるつもりもなく、酒すらもゆるりゆるりと舐めるようにしてただボンヤリと時には顔見知りや女将さんと会話を交わす、そんなゆるい時間こそを求めて幾ばくかのお金を落としていくのでしょう。われわれも長居こそせぬまでもこのある意味では優雅なひとときをたまには焦らずに過ごすことにするのでした。
2016/06/20
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喫茶篇でも蕨には記録しておきたい忘れたくない店に数多く出会うことができました。蕨で喫茶といえば決まって取り上げられるー実際記憶と記録に留めておくべきユニークさなのですがー有名店を避けて通るわけにはゆかぬのでありますが、ひとまずは蕨の実体がある西口を巡ってみることにします。実のところ随分以前に喫茶巡りをしたことがあるのですが、その際には蕨の喫茶事情は大変お寒いことであるなあと愚かな思い込みをしてしまったのですが、この所の夜の呑み屋巡りでこれまで店の前を通り過ぎても気付きさえしなかった喫茶店が数多くあることに遅ればせながらも気付かされたのでした。 ピザを看板商品に据えた「とも」は、際立った特徴はありませんがそれなりにお客さんも入っています。店内は至ってシンプルで、インテリアはピザハウスには似つかわしい木製チェアで喫茶らしさを追い求めるぼくにはやや物足りないのであります。それでも年季を積んだ店には新しいカフェにはない独特なムードがあってこれを上手く言い表す表現にはいまだ出会えていません。 ともあれ、まだまだ数多くの喫茶があるので先に進みます。この駅から半径300m程の円周上が蕨の喫茶店が密集しているようです。 初めて見た時の「ひとりっ子」はあんまりのボロ屋振りによもや営業していることはなかろうと決めつけていましたが、なんのことはない、さも当然のように女性店主が店先の掃除をしていたのでした。どこかそれ程違っているのか見分け難いのですが、店と人が同じフレームに収まっただけでたちまちに店に生気が宿るのですね。常々思っているのですが、喫茶店に限った話ではないのですが、多くのお客で賑わっているのが相応しい店がある一方で他に客などいて欲しくない店というものがあります。居酒屋の三種の神器は、酒、肴、人とかいったようなもっともらしいけれどさほど気が利いてるとは思えぬ発言を繰り返す太田和彦氏の監修した本に都内の名店が人物不在の姿を無防備にも晒しているスナップを収めたものがあるのですが、そこに見覚えのある酒場の店内が魂を抜き取られたような、異様に物寂しく魅惑的な姿を見ていると、いつもの酒場が人物を伴わぬことでこれほどまでに印象を変えるのかと驚かされるのです。話を元に戻すと店内は外観のうらぶれた印象とは異なり、散らかってはいますが、趣味の品ー鉄道グッズなどーが飾られていて、古いタイプのカフェみたいでした。 蕨のメインの商店街は、かなり荒んでいて、シャッターを下ろしっぱなしにしているようなお店も多いのですが、ここ「コーヒー ベル」は普通に営業しています。外観だけを見るとわざわざ入るまでもないかと躊躇わざるを得ないのですがここは無論入ることにします。あり、店内も喫茶らしい趣があるにはあるのですが真新しさが味わいを損なっています。それでもまあ団体も入れるそれなりに大きな店なので女性のグループ客などでそれなりに繁盛していました。 さて、実際にお邪魔したお店はちょっぴり物足りなくはありましたが、すでに店を畳んだらしい廃屋に魅力的な物件が散見されました。「珈琲 ビーンズ」、「COFFEE HOUSE GUEST」、「Cafeteria もりのかげ」(ここはなんと銭湯に併設しているのです、並んだ自転車の前に銭湯の入口があります)、いずれも入ったどこよりも魅力があります。現役当時の店のことを思うとそれだけで楽しいと同時にもっと早く喫茶巡りに目覚めていたらと後悔せずにはおられません。今のうちに言っておきますが、実は東口方面は実情は似たりよったりで、やってる店より潰れた店に強く惹かれるのでありますが、それでも興味深いかつての蕨の喫茶事情の記録として報告したいと思ってます。
2016/06/19
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蕨にはかつて何度か訪れて酒場を呑み歩いたり、喫茶で飲み歩いたりもしたものですが、まだ充分にはその真価を味わい尽くしてはいなかったようです。実のところこの季節があるかなしかの春から初夏とか梅雨を通り越して真夏へと移り変わる頃に、蕨には何度か通ってますますその魅力にハマってしまったのでした。蕨っていう町と縁もなく暮らしてきた方にとっては、そこが埼玉で最も小さな市であることや、山手線沿線の例えば田端駅からであればわずかに17 分も京浜東北線の電車に揺られれば着けてしまうー浦和やそれこそ大宮よりずっと近いーという事もご存知ないのかもしれません。でもこんな都心からも近いちっぽけな町がどれほど楽しいのか知らずに過ごすのはもったいなさすぎるのです。その楽しさとはひとえに活気があった頃の地方都市の雰囲気を未だに留めているところにあるととりあえずは断言してみることにします。それが事実であるかはこれから不定期に報告させていただくので、ぼくの思い込みが少しでも伝えられればいいなと思うのです。 蕨と先程から一言で述べてきましたが、実際にはほぼ駅を境にして、東口側が川口市、西口側が蕨市として分断されています。なので駅前の風景は東口側は現代の埼玉の駅前風景に近い退屈さー実体は退屈さとは無縁でありますーであるのに対して、西口側は駅舎の階段を下りながら飾りガラス越しに見える窮屈な駅前ロータリーや古風な装飾を施されたアーケード商店街を眺めるとここは地方都市ーこの日は賑やかだった頃の新潟の新津や燕なんかを想起しましたーだと錯覚するのでした。やはり蕨レポートの初回には西口から始めるべきでしょう。 西口にはいくつかの呑み屋街が点在しているのですが、メインの呑み屋街は東西を結ぶ架線橋のある西口側でも北の一帯ということになるでしょう。数多くの個性的な酒場があって、そのスタイルも多種多様、まさにありとあらゆるタイプの酒場が凝縮しているのですから目移りもしようものです。典型的な赤提灯にちょっと物騒そうな立ち呑み店、オオバコの大衆居酒屋に魚介居酒屋などの多様性に加えて新旧の同タイプのお店も競い合ったりしてもうどこにしていいのやら。でも一軒目に選んだのは古株のもつ焼き店だったのでした。「焼鳥 大幸」は、ぼくのような枯れ酒場好きなら当然入っていて然るべき酒場なのですが、じつはこれが初めての訪問であります。どうしてこれまで避けてきたのか。それはこの界隈を夜な夜な闊歩しながらも熟知と言うには程遠いT氏が、この酒場を敬遠したがるからついそれに従ったまでで、改めて眺めてみるまでもなくとても良いのです。思ったよりコンパクトなコの字カウンターにはせいぜい15人程しか入れないように思われます。ここの名物は時折無性に食べたくなる東松山のやきとりで断るまでもなく豚のカシラ肉の串焼に辛味噌を塗りたくって食べるという極めてシンプルな品で、他には数品の品書きがあるばかりであくまでもやきとりにこだわるのが本場風で好ましい。座ったら黙っててもお通しとして出されるのです。しかも食べ終えると間髪おかずに次の串と次々供されるので、止め時が難しいのも東松山流です。壁には品書きならぬ大食い自慢が自らの記録を半紙に記したものでびっしりと埋まっていて、その中で見つけた最高記録が45本。かなり大振りの串なので3kgは召し上がったと思われます。ぼくなど恥ずかしくて串の数を記すのは控えたくなります。 そんなわけでT氏の意見などお構いなしに楽しめてしまいました。感性は近いものがあるーホントか?映画の趣味など真逆だぞ?ーけれど、やはり自分の目と舌で確かめないとイカンということですね。そんなことでこれから不定期に蕨が登場するので、ごくわずかに違いない皆様の参考になれば幸甚なのです。
2016/06/18
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武里ってすごい町だなあと感嘆を上げたことはすでに報告済みですが、それが武里のごくごく一面しか見ていなかったことを今回改めて知らされることになったのです。前回は東武伊勢崎線で30分余り、春日部駅まであと2駅という都心から幾分か遠いものの、しかしまあベッドタウンといってもおかしくはない程度の距離感にあるにも関わらず、この駅は驚くばかりに年老いているのです。恐らくかつてはモダンなニュータウンとして繁栄を我がものとしたものと想像されますが、今は衰退を止めようもない現状であり、それが何とも痛々しいのです。とさもその衰弱ぶりを悼む風を装ってはみせていますが、ご存知の通りこういう哀愁と憐憫の情を換気する町が大好物なのだから、これはもう確信的な質の悪さであります。きっと和歌山や四日市といった同様の疲弊を身にまとって隠しようもない町で幼少期を過ごしたことがきらびやかな町を忌避する性向を育んだに違いないのです。なので侘びしく廃れた町はぼくの感覚や思考の根幹をなすものであって、つまりは育ちが悪いのだから致し方ないのですと開き直ってしまうことにします。 さて、西口側は駅前の大きなオンボロビルが特異な風景を演出していましたが、東口側はそれとは一転して小民家が雑然と陣取りあって混沌とした町並みをなしています。そして何より興奮させられるのがこちらの方がずっと酒場が充実していることです。それも酒場、民家、酒場、民家……と多くが軒を連ねずに雑然と町を形成しているのです。そんな中にも一応は酒場が密集する一角もあって、ここは車窓から眺めるだけでは見つけ出すことはできないはずです。その点は同じ伊勢崎線の新田駅と似ています。そんな酒場密集地帯で一軒立ち寄ってみることにしました。それにしても店内に人影は見えますか路地には人っ子ひとり歩いている姿を見かけぬのが不気味でますます好きにならずにはいられません。選んだのが「家庭の味 居酒屋 あしたば」だったのは、最も枯れて感じられたからでした。店に入ってみると存外平凡ではありましたが、この町で呑んでいるというだけでもう十分満足なのです。カウンターには先客が一人だけ、女将さんと会話するでもなくぼんやりと呑んでおられます。無論、何も考えずにいられるわけもないのだからーそれができたら一端の大僧侶にでもなっているはずー、われわれーA氏と一緒ーの様子を窺ってみたり、女将さんを口説く文句でも考えてるんでしょう。特にどうってこともないお得なセットをいただきながら、段々とこの町の住人でかのような気分になれるのが楽しいのです。これがあるから酒場巡りはやめられぬ。店の暖簾を潜って数分は旅情を買い、その後は地元の人間であるかのように振る舞う、これが醍醐味。 呑み屋街から離れてもちらほらと酒場が続くのがこの町の愉快なところ。やがて「ミニろばた焼 いっちゃん」なんて、これはもう入らないわけにはいかんよな、ってな見てくれだけで大興奮の酒場があります。店内はカウンターだけのように一見は見えますが脇には座敷もあります。でもあまり使われていないようです。しかしここ、雰囲気抜群だなあ。ここで突然酒場趣味と喫茶趣味の差異と類似を語るには準備が不足しているのでうまく言えぬかもしれませんが、その差となるのは端的にその主力商品である酒とコーヒーの効果の隔たりにこそ答えがあるのではないかととりあえず言ってみる。覚醒効果が知られるカフェイン効果で視覚が先鋭化する喫茶店には過剰な装飾が相応しいのに対して、酩酊をこそ伴侶とする酒にはいわく言い難いもやっとした空気感こそが貴重であるというのがたった今思いついた答えであります。だったらお前の信頼を寄せる方が老舗バーに純喫茶を見出したという事実に目を閉ざすのかと追求されてもやむなしですが、そこはそれ単なる思いつきということでとりあえずはご容赦いただきたい。と、無駄口を叩いているうちに長くなってしまいました。こちらの酒場、見掛けに背かぬ良店です。オヤジはいろいろ愚痴を語ってくれるはず。でもそれはわれわれのような一見にもすぐさま心を開いてくれることと喜んでお話を聞かせてもらえば良いまでのこと。 とにかく焼鳥店だけても五軒は見掛けました。また行かずにはいられぬ町がここ武里であります。
2016/06/17
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東武東上線の霞が関駅でうっかりだろうとやむを得ずであろうと下車してしまったなら電車賃を支払うことをケチらずに、ぜひ改札を抜けて駅前を散策される事をお勧めします。5分ほども歩けばかすみ北通りという昨日報告した2軒の喫茶店などふと立ち寄りたくなるような物件に事欠かぬはずです。東京国際大学というあまり聞き慣れぬ大学の学生やら教職員がこの商店街の主なお客さんなのでしょうか。ともかく見所はここだけではありません。駅からの順路次第では、これから向かうことになるとても霞が関とは思えぬ場末めいたエリアに直結したはずです。ところが駅からの出方次第ではこの狭いけれど魅力溢れたエリアは見落とすことになりかねぬので注意が必要です。ぼくなども先のかすみ北通りからの引き返しで焼鳥店の看板を見なければうっかり見過がしてしまうところでした。その看板の先にこれだけの怪し気でありながら奇妙なくらい健全そうな呑み屋が寄り添っていたのです。霞ヶ関ビルの一階には居酒屋がギュッと詰め込まれているし、その二階には恐らくは外国人の経営による何だか何を扱っているのかよく分からぬ店舗が飾り気なく並んでいます。チューリピアロドというビルから直結したアーケード街には東松山のやきとり店「ひびき」があります。そして霞駅前名店街は駅から身を隠すようにマッチ箱を隙間を開けて並べた内側に店舗がずらりと並んでいて、それぞれの店舗はさほど古くはなさそうですが何とも言えぬ情緒があります。 その外れにも、こちらはそれなりに年季を積んだお店が並ぶ一角があって、ここの存在を知らせてくれたことへの感謝も兼ねて「やきとり一番」に入る事にしました。Lの字のカウンターに小上がり、2階にも座敷があるようです。かなりの年季があるお店のようですが、不思議と健全な印象が付きまとうのがありがたくもあり、物足りなくもあります。厨房を行ってに賄うのはこの店の主人でしょう。店内はアルバイトの女性でどうやらこの仕事を始めたばかりのようで、今ひとつ手際が悪いのは愛嬌というもの。でも熊本への募金をして頂いたらお値引きする肴がありますと告げるのがすでに数品を頼んだあとだったのは、ムッとしてしまいます。絶品だとか言うつもりはありませんが肴はいずれもリーズナブルなのにボリュームもあって味も悪くない。近くに住んでいたら時折顔を出したくなりそうです。そんな店なのでお客さんはポツリポツリとやって来て、女性一人のお客さんも居られます。埼玉の霞が関には、都心の霞が関には望みようもないゆったりと寛げる酒場が残っていてこれから先も当分はこうした緩い情緒を残してくれそうです。他にも気になる酒場がありました。また訪れたいものです。
2016/06/13
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東武東上線の霞が関駅でうっかりだろうとやむを得ずであろうと下車してしまったなら電車賃を支払うことをケチらずに、ぜひ改札を抜けて駅前を散策される事をお勧めします。5分ほども歩けばかすみ北通りという昨日報告した2軒の喫茶店などふと立ち寄りたくなるような物件に事欠かぬはずです。東京国際大学というあまり聞き慣れぬ大学の学生やら教職員がこの商店街の主なお客さんなのでしょうか。ともかく見所はここだけではありません。駅からの順路次第では、これから向かうことになるとても霞が関とは思えぬ場末めいたエリアに直結したはずです。ところが駅からの出方次第ではこの狭いけれど魅力溢れたエリアは見落とすことになりかねぬので注意が必要です。ぼくなども先のかすみ北通りからの引き返しで焼鳥店の看板を見なければうっかり見過がしてしまうところでした。その看板の先にこれだけの怪し気でありながら奇妙なくらい健全そうな呑み屋が寄り添っていたのです。霞ヶ関ビルの一階には居酒屋がギュッと詰め込まれているし、その二階には恐らくは外国人の経営による何だか何を扱っているのかよく分からぬ店舗が飾り気なく並んでいます。チューリピアロドというビルから直結したアーケード街には東松山のやきとり店「ひびき」があります。そして霞駅前名店街は駅から身を隠すようにマッチ箱を隙間を開けて並べた内側に店舗がずらりと並んでいて、それぞれの店舗はさほど古くはなさそうですが何とも言えぬ情緒があります。 その外れにも、こちらはそれなりに年季を積んだお店が並ぶ一角があって、ここの存在を知らせてくれたことへの感謝も兼ねて「やきとり一番」に入る事にしました。Lの字のカウンターに小上がり、2階にも座敷があるようです。かなりの年季があるお店のようですが、不思議と健全な印象が付きまとうのがありがたくもあり、物足りなくもあります。厨房を行ってに賄うのはこの店の主人でしょう。店内はアルバイトの女性でどうやらこの仕事を始めたばかりのようで、今ひとつ手際が悪いのは愛嬌というもの。でも熊本への募金をして頂いたらお値引きする肴がありますと告げるのがすでに数品を頼んだあとだったのは、ムッとしてしまいます。絶品だとか言うつもりはありませんが肴はいずれもリーズナブルなのにボリュームもあって味も悪くない。近くに住んでいたら時折顔を出したくなりそうです。そんな店なのでお客さんはポツリポツリとやって来て、女性一人のお客さんも居られます。埼玉の霞が関には、都心の霞が関には望みようもないゆったりと寛げる酒場が残っていてこれから先も当分はこうした緩い情緒を残してくれそうです。他にも気になる酒場がありました。また訪れたいものです。
2016/06/13
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東武東上線は馴染みがあるようでいながら、思い起こしてみるとこの1、2年は数える程度しか利用していません。いや、大山とか中板橋位までなら案外行ってるかもしれないなとすぐさま前言を翻すようなことを語ってしまいますが、それでも和光市から先には、まだ下車したことのない駅がいくらも残されているのに行かずにいたのは怠慢との謗りを免れぬことは自覚していました。でも好機はいつでも唐突に到来するものです。職場の同僚というより友人のような間柄の男がいるのですがーわざわざこう書くとさもこの後登場しそうな前振りに思えるでしょうがこの先活躍する機会はありませんー、その彼が城ケ島ジャンクションそばのとある店に行くと聞き、そこを東上線から遠くないとすぐさま察したぼくはついてました。彼の運転するJeepに乗っかり1時間程で到着、悩んだ挙句に行ったことのない北坂戸駅前に運んで貰うことができたのでした。初めて見る北坂戸駅前はURの団地に取り囲まれた懐かしいようでありながらどことも違った町並みを呈しています。一見ニュータウンのようでありながら、枯れたニュータウンであり、そばの公園にはそれなりに子供の姿も見られましたが、団地商店街にはわずかに住民らしき人たちが行き交うだけです。まったくの無人でないところがまたわびしさを際立てます。 ところが、町を歩いているだけでは人の気配を感じ取ることが困難ですが、店の扉を開いてみるとこの町がゴーストタウンなどではなかったことが確認できます。「チキタ」というワッフルを看板に掲げた綺麗で上品そうなお店にも多くのお客さんが集っていて、例外なくおばちゃまだったのです。これが示し合わして集まっているのか、団地の暗い一室からわらわらと這い出してきて、入れ代わり立ち代わりの集会所となっているのかそんなことはどうでもいいことてすが、まあけたたましいこと。うらびれた町の喫茶店はそこがいい店であれ、どうでもいい店であれ、やけに入りのいい店と悪い店があるのはひとえにこうしたおばちゃまたちのコミュニティがあるかなしかに掛かっているようです。なので正直やかましくて適わんのですが、それでもこの人たちのような方たちが多くの喫茶店を支えていてくれるのだと思ってみれば許してしまえます。特段変わったところなどなくむしろ平凡ですが町のおばちゃまに愛されるのがもっともな落ち着いたお店でした。ところでこちらワッフルがオススメなのに単品がないんですね。セットメニューの記載だけがありました。 近くには「松盛」といういい感じの居酒屋さんがあります。が残念ですが開店まではかなり時間があるので次なる駅を目指すことにしました。下車したのは霞が関駅です。東上線から東京メトロに乗り換えたわけではありません。埼玉にも霞が関があるだけのことです。駅の両側ともに楽しめますが、とりわけ小規模ながら酒場ビルや一筋の呑み屋通りなどが楽しめるので北側ーだったと思いますーが魅力的です。南側にも「とん源」という場末めいた酒場がありました。ここから少し駅を背にして進むと「ファミリー・レストラン エトワール」なんていうちょっと良い古い木のレストランがありますが、この後夜の部もあるので余計な食事は取りたくない。目当てにしていた「喫茶 祇園」う~ん、残念。お休みでした。怪しくて面白そうだったのに。 なのでそのちょい先を行ったところにある「珈琲&ギャラリー 珈香里」に入ってみることにしました。店の壁に描かれた絵がちょっとだけ可愛かったのですが、ギャラリーというのがちょっと引っ掛かります。ギャラリーを兼ねた喫茶店で期待していたムードを目の当たりにできたことは極めて稀であり、というより今思い返してもこれという店など一軒も思い付かないのです。この杞憂は現実のものになりました。ロダンだかのレプリカの胸像が飾られていたりするのは不気味で悪くないのですし、椅子も貴族の館のダイニングにありそうな格調あるものだったりしますが、それ以外は少しも純喫茶的な遊び心が感じられません。店は上品にまとめておいて、それよりもギャラリーらしく各種の手作りのアクセサリーなんかが主役なのです。いやいや、こちらのお店のコンセプトがそちらに向いていたことはハナから分かっていたことだし、文句などあろうはずもないのですが、店内の景色を楽しむ喫茶好きがいるということを知っていて頂けたら嬉しいのですけど、まだまだ少数派なのでしょうか。
2016/06/12
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志木は埼玉にあるベッドタウンてす。東武東上線に揺られて急行であれば20数分で着けてしまうはずだから、けして地方とは言えぬ土地です。起点が違っていては一概に比較できませんが新宿から中央線に乗車して国分寺に行くのと変わらぬ位ではないでしょうかー余りにデタラメを言ってしまって迷惑を掛けると申し訳ないので今調べてみたら、前者は準急、後者は通勤快速で共に23分でありましたー。それなのに町の様子がまるっきり異なっているのはそこがまあ東京と埼玉の差というものでしょうか。駅を出てみたところで巨大な団地が広がるばかりの退屈さです。そんな憎まれ口をききながら実はこの町にもちょくちょく来ていたことがあるのですが、その話はここでは控えておくことにします。とは言いながらも志木に来るのは2年ぶりになるでしょうか。その時は昼間に訪れたのですが夜の景色は幾分か異なって見えます。今回は目的がはっきりしています。今更町歩きという気分でもないので一目散に目的の酒場放浪記で放映された酒場を目指すことにします。 駅から5分も歩かぬうちに「三福」は見えてきました。周辺にもちらほらと酒場がありますが、いずれもチェーン店もしくはそれに類するようなチェーン店紛いの店ばかりです。いずれ夜の志木も丹念に探索してみたいとは思いますが、時間も遅かったので今晩は素直に店に吸い込まれることにします。外貨は大衆的なごくありきたりのお店という感じで格別な感慨もありません。感慨はないですし、ざっと眺めたところでは値段もそうはお手頃ではないようです。でも小上がりに通されたら腰が座ってしまうものです。だからというわけではないのですが、小上がりでも座敷でもいいのですがどうも苦手なんですよね。靴を脱いで上がり込むとどうにも立ち上がるのが億劫になって、トイレを我慢しながらぎりぎりになって立ち上がると血圧の急上昇が原因なのか目眩とともに良いも急速に回るようでこれが自宅ならまだしも、自宅までは遥かに遠いことを思うと、やはりカウンターが良かったなあと思うのです。値段こそそれなりではありますが、呑兵衛好みの酒の肴には事欠かず迷いに迷ってしまうのが貧乏人の性です。そんなときは頼むのは決まってその店で一番安い品となるのですが、どうやらこちらは食堂から始めたようで、納豆110円が最安値であります。納豆で呑むのは嫌いじゃありません。恥ずかしくて頼めぬというのではありません。納豆は健康のための万能選手と思われる大豆製品の納豆はどうやら尿酸値に悪い影響を与えるらしいのが理由というとなんだかみっともない。いやいや長生きしたいなんてことはとっくに諦めています。単にただでさえ夜中のこむら返りに苦しめられているのにこれ以上痛い思いはしたくないだけです。堀切菖蒲園の酢納豆好きなんだけどなあ。などとこちらの店を目当てで来ているのによそのことを思ってしまうのはいくら頭で思うだけとはいえ失礼か。近隣の方たちはここで呑むのをこよなく楽しんでいるのだからその楽しむ姿を観察してみようと心がけるうちいつの間にやら愉快になってきてテレビに出て有名になったなんてことどうでも良くなるのです。
2016/06/04
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本来なら先日報告したおまけにするつもりでしたが、忘れ難い酒場に出会ったのであえて、切り離して報告することにします。しかも2回に分けて報告とはそんなことしていいのか。乱筆のくせに遅筆という言い訳にならぬ理由で時間が思ったより経ってしまいましたが、遅ればせながら改めて報告させていただきます。まあ、標題だけでどこに行ったんだかは一目瞭然であるのですが、お察しの通り喫茶篇と同じタイミングで訪れたのです。もとより時系列など無視しているんですけど、出鱈目な報告ぶりには平にご容赦いただくしかありません。 さて、不調に終わった喫茶巡りのついでに立ち寄った、駅北口からすぐのお食事処「山田食堂」のことを書いておきます。駅から出てぶらぶら歩き出して目に入ってきた瞬間には、いかにも見せをたたんでいる雰囲気が濃厚だったのですが、案に反してしっかりと営業中、迷う間もなく入店します。先客がお一人おりましたが、照明など灯さずに薄暗くてさすがに大丈夫だろうかと不安こそ感じぬものの、不吉な予感は去来します。でも常連と一緒にテレビの競馬中継を眺めていたご夫婦は慌てて立ち上がり、照明を付けてにこやかに迎えてくれました。思ったより数多い定食メニューなどに混じって各種サワーや酒の肴もあります。他のサワーとトマトサワーが同じ350円だとつい頼んでしまいます。日頃のビタミン不足の解消にサワーとはもう少し体を気遣わねばならぬ。しかもこれがべらぼうに濃いのです。さすがに昼間からグイグイ呑むというわけにはいきません。ウインナーの玉子巻きなる容易に推測できる品をいただきます。案の定の品ですがこういうのがなぜだかしみじみおいしく感じられるのです。自宅だとこうはいかないのに不思議なものです。とにかく清潔感のあるオシャレな店とは対極にあるお店です。お好きな方にだけお勧めしておきます。ただし、これが重要ですが、呑み歩くつもりならここでうっかり呑み過ぎないようにしてください。実際かなり濃いですから。 写真は撮りませんでしたが、ここの駅前にはちょっとよさそうな居酒屋もちょこちょこ見受けられます。中華料理店も数店入ってみたいと思いました。また来る機会はあるのでしょうか。
2016/05/31
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またまた南浦和にやって来ました。本当は北浦和に行くつもりだったのですが、面倒くさくなったので電車を飛び降りてしまったのです。と書くとまるでぼくが横着みたいですが、この夜一緒に呑んだのが南浦和に住んでいて急に呑んでから再び電車に揺られるのが嫌だったみたいです。ぼくなんか北か南かいずれにせよ最寄り駅まで30分は暗い車窓を眺めねばならぬのだと思うと気分は良くありませんが、最初のラーメンを奢ると言われてはひとたまりもないかと言うと、ぼくはその位の誘惑では乗せられるはずもないのでした。 どうやら同行した男は面倒さと同じかそれ以上の空腹の衝動を抑えきれなかったらしいのです。でも面倒とか空腹という理由と奢りを秤にかけても乗るわけにもいかないと言ったにもかかわらず、まんまと南浦和駅で下車したのにはぼくに抑えがたい弱点があるからなのでした。連れてこられたお店は「利兵衛」という見てくれも全く興味をかき立てられることのない退屈極まりない店構えなのでした。でもこのラーメンはちょっと変わっていてカレーラーメンだというのです。カレーと言われて意思を通せるほどにぼくは食欲から解放されてはいません。飽きっぽいぼくですが、ことカレーとラーメンであれば毎日だって大丈夫なのてす。てもカレーならどこの国風のものであっても大概は喜んで食べますが、ラーメンは極々シンプルな醤油味であればという条件があります。でもカレーとラーメンが一緒に食べられるんだったらもう文句の付けようはありません。そんなわけでわくわくしながら待って出された品はまあ悪くはないのですが、思っていたのと全然違っています。こちらはつけ麺だったのですが、具材で一杯、残りのスープでラーメンという流れはありえなくて、飯を食いなが酒、しかもビールを呑むという残念なことになってしまったのでした。 そんなこんなで「やきとり まるさだ」という、飲食店の何軒か入った雑居ビルの1軒で、トンネル状の抜けられます的な通路は場末の呑み屋を好む者を激しく誘惑する店に入ってもお腹いっぱいで、今ひとつ呑みに気持ちが移行しません。呑んでからだとおかしいくらいにラーメンなど食べ干してしまうのに、呑む前の一杯がこれほどまでに呑む気を削いでしまうのはどうしたものでしょうか。このいかにも王道の呑み屋という雰囲気がムンムンのこの店で、呑み気が湧かないとなるとこの先自分は果たして大丈夫なのだろうかと不安にもなるのですが、たった今普通に呑んでることを思えばきっと問題なさそうです。って、今もお腹一杯で、延々とバスの到着を待ってるんですけどね。
2016/01/14
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取り敢えず存じ上げない方のために申し上げておくと、宮原駅はJRの東北本線で大宮駅の次の駅という事になります。このブログでは喫茶巡りでも酒場巡りでも訪れてはいますが、はっきり申し上げると、電車賃を費やしてまで遥々と出向くような町でないことは断言してしまってもさほど暴言とは捉えられることはないはずです。きっとこの町にお住まいの方も怒りを覚えることなくすんなりと首肯して頂けるはずです。では、何でそのように語るお前がわざわざ訪れたのだと追求されそうなものですが、喫茶巡りをした際に行きたいと思った酒場に酒場巡りの際に失念してしまったことを不意に思い出したからです。年末迫って小さな旅をするので記事をストックしなければなりませんのでそこは深入りせずにどんどん書き進めることにします。 前回は駅の東側、アレッ南側だっけ?のいい雰囲気のもつ焼店にお邪魔しましたが、今回は西口側ーという事にしておきますーを目指します。喫茶巡りの電車待ちのほんのわずかな時間を惜しんで歩いた西口で見かけたお店です。歩いたと言ってもその店は駅前ロータリーの隅っこにあって、大変便利なのです。階段を降りてからのアプローチの人ひとり通るのがやっとの細い道を進むと枯れた居酒屋があるのでした。夜の雰囲気はまた何ともいいものです。「三太」と言いますが、これがネットなんかでもほとんど情報がない。店内は古民家風でまだそんなに前のことではないのに記憶が曖昧で恐縮ですが靴を脱いだような記憶があります。案外客席は広いのですがお客さんは少なく、近所のスナックあたりにご同伴前といったムードのアベックだけがおります。カウンターの中も昔ながらに広い造りとなっていて実にいいのです。でも女将さん、いかにもとっつきが良くないのです。肴も少なくやけに時間も掛かるのでそこそこ店の雰囲気を楽しんだら立ち去るのが良さそう、いや2軒目にして、空腹が収まっていたら案外のんびり呑めたかも。 駅前通りをすぐに右手に逸れると「酒処 ながた屋」がありました。いかにも地元のオヤジたちが屯ーたむろと詠みます、一応ーしそうな、飾り気ないぼく好みの酒場です。店内はありきたりで、テーブル2卓にカウンターというもの。食堂もやっていそうな充実の品揃えで、それもあってか客の入りが大変良いのです。テーブルには型位の大きな30代のお兄さんと80歳にはなろうというジイサンとその顔馴染みのジイサン、カウンターにはきっぷの良さそうなチャキチャキした女性がおります。店の夫婦も気さくで愛想が良くて、初めてのぼくもジイサンたちの会話にいつの間にやら巻き込まれ、まるで馴染みのように付き合ってもらえるのが嬉しくなります。先の店では黙りこくってしまったので、ちょうど良い塩梅です。遅くなると帰りが面倒なので席を立とうとすると狙いすましたように差し入れが入る。そんなことを繰り返しながら、結局お銚子が列をなしてしまうのでした。
2015/12/28
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