2025年11月15日
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ツーことで、今日も朝から青空が広がり、陽射しが降り注いでいる?(^^ゞ 都心のアメダスを見ると、明け方の気温は13度で、北寄りの風が吹き、日照もまずまずだけど、午前10時の気温は15度と昨日よりも2度ほど低くなっている?(T_T) 朝の冷え込みも緩み、陽射しもあるのになぜか気温の上りが悪い?(T_T) けど、陽射しがあるからそんなに寒いって感じじゃない?(^^ゞ だけど、身体が重くて仕方がない?(T_T) 季節の変わり目でおかしくなっているのか、眠くて仕方がないんで、昼間などは気が付くと意識が飛んで寝落ちしちゃっている(-_-)zzz けど、夜になって眠くて仕方ないから寝ようとして電気を消して横になるとなぜか寝付けないのだ(T_T) もともと寝つきはいい方じゃないけど、眠くて堪らないのに眠れないって何なの?(T_T) つれて疲れがたまってしんどい?(T_T) 困ったもんだ(T_T)  こよみのページ によると、今日は「七五三…七五三は、数え年で男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳のとき、成長を祝い神社に参詣する行事。11月15日に行うようになったのは江戸時代、三代将軍家光の子、徳松(後の五代将軍綱吉)が病弱であることを心配し、無事成長を祈るために慶安三(1650)年十一月十五日に袴着の儀式を行ったのが切っ掛けといわれている」、「かまぼこの日…平安時代の古文書に1115年の祝宴の膳にかまぼこが出されたという記述があることからかまぼこ業者が制定。1115年なので11月15日を記念日とした」、「きものの日…全日本きもの振興会が、きものの良さを知ってもらおうと制定した日。11月15日としたのは七五三で和服を着る機会が増えることから」、「昆布の日…日本昆布協会が子供達が昆布を食べて丈夫に育つようにと、七五三の日を昆布の日としたもの」だとか。

ところで、上でも愚痴っているように体調が芳しくなくて頭がぼんやりしているから、禄でもない話になると思うので、どうかご容赦をm(__)m で、動物愛護についてあれこれ考えたら、人間同士のコミュニケーションの準備運動みたいなものかなって思えてきたのだ。そもそも、言葉も何も通じない相手で、どうすればいいのかって試行錯誤を繰り返すような感じだから、巧く行くこともあれば全然だめなこともある。これは人間同士でもよくあることで、言葉は通じるはずだけど、理解しあうことができないなんてこともあるよね?そもそも、言語が違うこともあるけど、根本的な価値観が違えば理解しあうのはかなり難しい。それと比べれば動物相手ならそもそも言葉が通じないから他のことで通じ合うしかない。だから、より詳しく相手を見てどうなんだって判断することでどうにかなるって感じでしょ?言葉を抜きにした観察というものは人間相手でも重要なファクターなわけで、これを学ぶのは大きいのではないかな?

ただ、人間相手と違うのは体格などがあまりにも違うことがある。つまり、大型動物であればこちらの命が危うくなりかねないけど、小型動物相手ではこちら側が動物の生殺与奪を握ることになってしまう。ある意味、弱い相手に対してどう接するかのシミュレーションで、優しく接することができる人もいれば「弱い者いじめ」に耽溺しちゃう人もいるのだろう。実際、自分よりも弱い生き物を傷つけたり殺したりすることを繰り返していた人が自分よりも弱い子供などを殺傷するような事件を起こしたりしたことがあったよね?つまり、自分よりも弱い相手にどう接するか、を学ぶ機会であり、同時に強い相手からどう思われているのかって考える機会でもあると思うのだ。ツーか、優しく接することができる人は優しく接してもらえるようになるし、優しく接することができない人は周りから優しく接してもらえないことになりそうでしょ?こういうことを動物相手で学び、これを人間相手でもそうなんだって気づくまでが動物と接する意味なんじゃないかなって思うのだ。

けど、この優しさってのが曲者で、動物に優しい自分に酔っていることがあるのだ。動物に優しい私っていいでしょ?って褒められたいって思いがあり、本音としては動物なんて優しくしたいと思っていないという裏表があるケースだろう。正直、本音と建て前ってのはいくらでもあるし、外面が良いだけの人もケッコウいるでしょ?それ故にストレスを抱え、身内だけの時に爆発してしまうってこともママあるんじゃないかな?そういう意味からすると、動物と接することが修行であり、如何に周りに優しい人になるかってのが大事なのかもしれない。つまり、表面的に動物に優しいってのは意味ないことで、動物のために何をすべきなのかを考えた上での行動ができることが必要なのだろう。

先日触れた「野生動物にはエサをあげてはいけない」ってのもこの一環で、動物園などのように飼育されている場所でのエサやりはキチンとコントロールされているエサやりだってのを弁えるべきだと思うのだ。だから、飼育している人に無断で勝手にエサやりするのは厳禁なのだ。そして、飼育している人がいない野生動物などはエサやりはすべきじゃないし、できるだけ接しないのが肝心なのだ。野生動物は未知のウィルスなどを持っている危険性もあるから、人と接する習慣をつけちゃだめなのだ。エサやりをすればそこにいろいろな野生動物が集まってくるし、排せつ物や死体などの処理の問題だって出てくるのだ。

そして、ペットなどを捨てる人もケッコウいるでしょ?飼うだけの覚悟も何もなく、単に「優しい自分」を演じるためにペットを飼い、世話ができなくて放り出す、なんてことをやらかすのだ。世話ができなくなっても「最後まで面倒を見る」のが飼い主の義務で、捨てるくらいなら保健所などに連れて行って「処分」してもらう方がまだマシだろう。ツーか、最後まで世話ができないなら絶対にペットを飼っちゃだめで、ペットを飼うなら死ぬまで面倒を見ないといけないのだ。で、面倒見れないのに「可哀想だから」と捨てるのは無責任で、むしろ残酷なのだ。まぁ、飼えなくなったら最後まで面倒を見てくれる人に預かってもらうのが良いわけで、それができないなら、端から飼っちゃだめなのだ。こういうことも含めて学ぶ機会が「動物愛護」だと思うけど、単に「優しい」だけでいいという人が多いように感じるんだが…(T_T)





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最終更新日  2025年11月15日 12時21分43秒
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