空 遊 人

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英会話にチャレンジ

さて英会話と言うと某有名スクールに通うとか学校で勉強するとかって考えたりしますよね。
私は、「習うより慣れろ」
だと考えアメリカを目指しました。

正直恥ずかしながら学生時代の英語の成績は惨憺たるものだった
にも関わらずいきなり行く
なんて日本の恥???
しかもしゃべったことがほとんど無いのに馬鹿じゃん。
そんなことは、だれがどう思おうが関係ありません。
狭い日本にいるからそんな発想しかできないと私は考えました。

第一アメリカは移民の国多くの民族で
形成されています。
しかも国土が広い。
と言うことは、この狭い日本ですら方言があったり
表現しかたが違ったりと意味解らんことが多い
じゃーないですか。
同じ人間通じるはずと考えました。

せめて中学程度の英語力は
いるんじゃないの???
全く必要ないとはいいませんが、
自分の興味のある事それについてだけほんの少し
単語を調べておく程度で十分だと思います。
何かを伝えるということと恥ずかしいと考えない
ほんの少しの勇気さえあれば伝わるということを
中年になって初めて知りました。



私が目指したのはサンフランシスコ郊外のデリーシティー。
サンフランシスコ中心部から地下鉄で20分。国際空港から15分乗り換えて駅からバスで20分約10km離れたド田舎の住宅地にホームスティーさせていただくことにしました。
一見便利なベッドタウンのようですがバスは一時間に一本。しかも休日・土曜日・日曜日になると17時をラストにタクシーしかない場所。
しかも18時過ぎると日没は早く真っ暗。
昼間バスで走る20分の景色は、同じような住宅の風景しか無く何を目印にするのかわからないというそんなところを手配してくれたのは、大手留学斡旋会社。

初日に渡されたのはバスの路線図と地下鉄の路線図その二つだけ。地下鉄バス
この時は、バスの最終時刻さえしらされていなかった。
というよりだれも知らなかったようだ。
手厚い心配りのある斡旋は、最初から全く期待していなかったのが幸い。
この大手斡旋会社を初め海外留学については別記することにします。

「もう逃げ出すことは出来ない。」
と普通なら不安になるだろうが、
「しゃーないやん」
「なんとかなるさぁー」
と開き直ると裏腹にワクワクする自分がいた。
有難い事に現地スタッフの一言は
パンフレット渡すと同時に言われたのは
「ここから日本語通じなくなるんだけど大丈夫だよね」
むしろ願ったり適ったりという心境だった。
今回持参したテキストとは、出発3日前に買った100均のこの一冊のみ
英会話テキスト


直前準備としては本当になんにもしていなくって
数年前にテレビでスマスティーションや
英語でしゃべらナイトをよく見ていたが
この数年は本当に
忙しく全く見ていなかった。



出発一ヶ月前からテレビニュースと映画は、
英語で聞いたり音楽は
英語のみにしたりで本当にただ耳で聞いていたと言う感じでした。



現地で心掛けた事は、
自分から話しかける事と解らないことはそのままに
しないで聞く事
そして前日しっかりと行く場所の計画を立て場所によっては
事前に調べることにした。

アメリカ人は、本当に陽気で気軽に声を掛けてくる。
サンフランシスコの日中気温は16℃日差しも強くこの天候の良さが気質であることは日本も同じと感じた。
ろくに英語もしゃべれない私に老若男女問わず 道を聞いてきたりバス待ちの間やコーヒーショップで世間話をしてくる。(今年2007年流行の「欧米か?」ではないがちょっとイタリアンとアメリカンとブラジリアンそして日本人を混ぜた風貌だったからかも???)
後に夜乗ったタクシーの兄ちゃんに聞かれた時も舐められないようにと
「私はクォーターと言い切った。」
この兄ちゃんについては後ほど紹介しましょう。

会話の絶好のチャンス。
そして決してバカにされることは無い。
日本人のような腹黒さも無く変に詮索してくることもない。
いきなりぶつかって来るが本音勝負というところですね。
人生の中でこれほど英語に触れた時間は無かった。

到着して現地日本人スタッフと別れて数時間後自分でも不思議だったのは
相手の言わんとすることを理解していて
回答している自分に本当に驚いた。
(きっとむちゃくちゃな文法だと思うが・・・)
それでも通じていて会話は数時間にも及ぶ事続いた。
趣味の話や家族の話日本での仕事や考え方ナドナド・・・
そんな会話の予習すらしていなかったのに・・・

リスニングの効果だと感じた。
もうひとつあるとすればDNA。

実は、私が生まれる以前に父は、青森の三沢基地で米軍と働き母は米軍将校の
家でヘルパーの仕事をしていたらしい。
もの思いついたころの記憶で映画のラストに流れるスーパーを読んでいた父を
思い出した。
しかし全く英語に触れることは無かった。

以前から日本でも地方に行くとたいていの人は、方言に戸惑う。
しかし私は、翌日にはその方言を使って会話している自分がいた。
ひょっとしたら特技かもしれない。

到着二日目の朝ホームスティー先で言われたのは、大きな声で
寝言を言っていたらしい。
しかも英語で・・・。
これには、ファミリーもびっくりして電話で
だれかと話しているのかと思ったらしい。
部屋の電気は消えているのでのぞいたら
布団の中でしゃべっている私がいたそうだ。


ハローウィンも近づいているシーズンでちょっと怖いやら
可笑しいやらということだった。

この時、完全に日本人では無くなっていたのかも知れない。

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