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悲しいアルジェリアでのテロ事件大昔になりますが・・・夫は北海道の某石油プラントの建設工事の現場に赴任していました。同じ年代の家族が何組も居て今でもその頃の仲間と付き合いが有ります。今では北海道・東京・名古屋・九州とそれぞれ終の住処になってしまいましたが・・・私たち夫婦が住んでいたアパートのお隣さんは日揮の独身さんでした。海外で働くメリット・デメイット いろいろ有りますが・・・夫の友達も 若い時から海外に飛び出して行った人会社をリタイヤしてから海外での仕事に従事している人勿論後輩たちも海外での仕事に従事している人も居ます。我が家の夫は海外に関心が有っても幸か不幸か言葉の壁をクリアできません~悲しい出来事に犠牲になられた方達 ご家族の無念にやるせない気持ちです。そんな人間さんの世界には無頓着僕たちは毎日ご飯と散歩と暖かいお家が有れば満足です。散歩に出かける用意は出来ました~お母さんは未だなの~?
2013.01.24
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昨日今日と穏やかな陽光で 気持ちの良い散歩日和でした~本当に久しぶりに公園で ココちゃん達に遭遇しました。心臓がずいぶん悪くなっている良君 もう少しで16歳になるのだったかな?左からココちゃん たっくん さーちゃん 良君みんな老犬の域に達しています~我が家の孫犬ココちゃんが一番Big ママのさーちゃんより2k近く重たいようです~良君は三日連続で病院通いしているみたいで ちょっと心配・・・!
2013.01.09
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聖ヨハネ教会堂 明治6年(1873)、鎖国以来二百数十年続いたキリスト教の禁止令が解かれ、各地に教会堂が建てられるようになった。 この聖ヨハネ教会堂は、明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会で、二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていた。中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観で、正面左右に高い尖塔が建てられ、奥に十字形大屋根がかかる会堂が配された教会である。正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が開けられ、室内が大変明るい。構造は、一階がレンガ造、二階が木造で造られ、屋根には軽い金属板が葺かれておりこれは日本に多い地震への配慮とも考えられる。また構造自体がそのまま優れたデザインとして外観・内観にあらわれている。 開国後多くの宣教師が来日するが、その中には宣教だけでなく実業面、教育面でも業績を遺した人もいた。この教会堂を設計したアメリカ人ガーディナーもその一人である。ハーバード大学で建築を学んだガーディナーは明治13年(1880)来日、立教学校の校長として教育宣教にあたる一方、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館、日光真光教会等の作品を遺している。説明文は明治村のサイトより東京在住の息子夫婦毎年年末に帰省し お正月は名古屋で迎えます。大みそかは恒例の家族の忘年会某ホテル中華料理ディナーでした~二日に我が家から高速道路15分 一般道15分ほどで明治村に着きます。私は20年ぶりでした~誰かさんと誰かさんの背中が~^^^
2013.01.03
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寒いけれど陽光に恵まれた元旦でした。元旦と言えば さーちゃんの11歳の誕生日人間でいえば 還暦に当たります。ボチボチのupとなりますが今年も宜しくお願いします~
2013.01.01
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