おだんごダイアリー

おだんごダイアリー

PR

プロフィール

おだんご300

おだんご300

キーワードサーチ

▼キーワード検索

フリーページ

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

コメントに書き込みはありません。
2014年11月21日
XML
カテゴリ: 読書
先日(11/11)有吉佐和子さん原作の「和宮様御留」のドラマから皇女和宮に興味を持ち、その生涯の詳細が知りたくて、いろいろな本を読みました~と日記に書きました。

和宮を有名にしたのは、公武合体という歴史的事実の当事者だったからなんですが・・・。
降嫁したのは身代りだった?説が、より一層知名度を上げたのではないでしょうか。

和宮替え玉説の主な理由は
・和宮のではない髪が、夫家茂の棺に納められていた。
・生まれつき足が悪かった(関節炎?)はずなのに、ご遺体の足には悪いところがなかった。
・ご遺体の左手は、手首から先がなかった。(生前のそういった記録はどこにもない)
・降嫁を境に、詠む歌がガラリと変わっている。
と、いった感じでしょうか・・・どう思いますか?


今日はその理由について、いささか私見を(*^_^*)

和宮のご遺体の髪(赤毛)は、家茂の2番目の棺に納められていたようです。
1番目の棺には別の女性の黒髪が。(髪の色は逆の説もあり)
勝手な推測ですけど、朝廷に対する配慮なのか、公式には側室はいなくても、たぶん存在はしていたと思うんです。
きっと黒髪はその女性のものではないかと・・・だって将軍である以上、お世継ぎを作らなくちゃいけないし、和宮ほどの高貴な女性なら、その必要性も充分理解していたはずです。
実際、側室を選ぶ「お庭お目見え」を夫婦そろってやっていました。
本来は1番目の棺に和宮の髪が納められているべきだとは思いますが、家茂が亡くなり棺に納められたのは大阪。長州征伐の折、きっと幕府内は大混乱だったことでしょう。

足が悪かったのは、もしかしたら関節炎などではなく、単なるひどい巻爪だったのかもしれないし(笑)

左手首から先がなかったといっても、「発見できなかった」に留まっています。
「和宮の銅像や肖像画は左手が不自然に隠されている」とよく言われますが、そもそも高貴な人は人前であまり手を出さないのでは!?利き手である右手はともかく。

ご遺体の一部分の推測よりも、重要なのは、そのご遺体が一般の人々とは明らかに違う様子だったことだと思うんです。

それこそお箸より重いものなんて持ったこともなく、太陽の下にはでず、運動なんて全くしないような人でしょう。
和宮のご遺体は、そんな貴族特有の骨の形成になっていたそうです。
身長は143.4センチ、体重は34キロ。極端な反っ歯と極度の内股。
きっと固いものもあまり食べていなかったのでは!?
骨の形成なんて数年ではできませんから、生まれた時からそういった生活を送ってきた人物なのだと思います。


朝廷への手紙も直筆でなければ効果がないでしょうし、徳川家から送る手紙に関しても、和宮がチェックを入れて何度も書き直しをさせています。
替え玉だったら、もっと目立たないように大人しくしていたのでは?と思います。

明治になると、徳川家とも付き合いを続け、天皇家とも頻繁に行き来をしています。
徳川家はともかく、天皇や皇后に対して、平気な顔して偽物が会いにはいけませんよね(^_^;)

詠む歌の変化は、環境や立場の変化もあるのではないしょうか。
別人の歌だという説もありますし。
「和宮~物語と史跡をたずねて~」を書かれた遠藤幸威さんは、そのあとがきで、「宗家徳川恒孝さんのお邸でいろいろ書を拝見したが、幼時も結婚後も書き手は一つで変わった点はなかった」と和宮の筆跡について触れています。


あと私が和宮について最も繰り返し読んだ本がこちら。
武部敏夫さんの「和宮」



和宮に限らず、明治天皇やロシアのアナスタシア、清朝の川島芳子・・・。
替え玉なのか本物なのか、いずれにしても謎は残ったままですが、それがまた歴史のおもしろさでもあります(*^_^*)
いつか、科学的に解決するときが来るのでしょうか!?


















お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年11月21日 13時12分23秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: