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* 1988年~(継続) - ナゴルノ・カラバフ紛争 * 1989年~2001年 - アフガニスタン内戦 * 1989年~1992年 - 第一次南オセチア紛争 * 1989年 - パナマ侵攻 * 1989年~1990年 - エチオピア内戦 * 1989年~1996年 - リベリア内戦 * 1990年~1994年 - ルワンダ紛争 * 1990年~1991年 - 湾岸戦争・Category:湾岸戦争 * 1991年~2001年 - シエラレオネ紛争 * 1991年~2000年 - ユーゴスラビア紛争 * 1991年 - 十日間戦争(スロベニア独立戦争) * 1991年~1995年 - クロアチア戦争 * 1992年~1995年 - ボスニア紛争 * 1999年~2000年 - コソボ紛争 * 2001年 - マケドニア紛争 * 1991年~2001年 - ジブチ内戦 * 1991年~(継続) - ソマリア内戦 * 1991年~(継続) - カザマンス紛争 * 1992年~(継続) - オセチア・イングーシ紛争 * 1992年~1994年 - アブハジア紛争 * 1992年~(継続) - アルジェリア紛争 * 1994年 - イエメン内戦 * 1994年~1996年 - 第一次チェチェン紛争 * 1995年~1998年 - ハニーシュ群島紛争 * 1996年〜1998年 - 第一次コンゴ戦争 * 1998年~2000年 - エチオピア・エリトリア国境紛争 * 1998年~2002年 - 第二次コンゴ戦争 * 1998年~2001年 - ポソ宗教戦争 * 1999年~2009年 - 第二次チェチェン紛争 * 1999年 - 東ティモール紛争 * 1999年 - カルギル紛争 * 2000年~(継続) - インドネシア紛争 * 2001年~2014年 - アメリカのアフガニスタン侵攻(対テロ戦争) * 2001年~(継続) - パキスタン紛争 * 2002年~2003年 - コートジボワール内戦 * 2003年 - リベリア内戦 * 2003年~2011年 - イラク戦争・Category:イラク戦争 * 2003年~(継続) - ダルフール紛争 * 2004年~(継続) - サリン紛争 * 2004年~(継続) - タイ紛争 * 2004年~(継続) - ワジリスタン紛争 * 2006年 - 東ティモール内乱 * 2006年 - イスラエルのガザ侵攻・レバノン侵攻 * 2006年 - エチオピアのソマリア侵攻 * 2006年~2009年 - スリランカ内戦 * 2008年 - 第二次南オセチア紛争(グルジア紛争) * 2008年~2009年 - イスラエルのガザ紛争 * 2011年 - リビア内戦 * 2011年~(継続) - シリア内戦 * 2012年~(継続) - マリ北部紛争 * 2014年 ISISによるイラク内戦 * 2014年 - イスラエルのガザ侵攻 * 2014年〜(継続) - 2014年ウクライナ内戦 * 2015年 - 2015年イエメン内戦 * 2017年 - マラウィの戦い
December 24, 2018
毎年この時期になると「戦争」について考えたり考えなかったりするのであるが。最近の僕の意見はシンプルである。やるべき戦争はやるべきだし、やるべきでない戦争はやるべきではない。すなわちそのためには日本は戦争のできる国になるべきである。他国の例を挙げてもしょうがないのかもしれないが。ドイツは1955年に再軍備を開始。同時に徴兵制も再開した。イタリアはそもそも武装解除されてなかったようで湾岸戦争に普通に参加した。もはや日本の反戦は宗教の域に達しているんで何を言ってもわからんかもしれないが、一体今の御時世で日本がまた焼け野原にでもなると思ってるのか。そんな「戦争」はもはやない。核兵器があるからである。アメリカの戦争に巻き込まれるなどという意見があるが、そこが僕の最も言いたいことである。断ればいいのである。すなわち。やるべき戦争はやるべきだし、やるべきでない戦争はやるべきではない。のであるから。今までは。支持はするが参加はしない。などというへんちくりんな立場であったのであるが。それはすなわち。9条があるからいいや。ということで、余裕かましてたわけで。しかし、9条という言い訳がなくなるとなると。やらにゃいかん。となるわけで。となれば国民だって。ちゃんと投票せにゃいかん。と、なるわけである。つまり。妙に語調がくだけてきましたが。9条が無くたって戦争しなければいいわけで。むしろ9条の存在が日本の政治から緊張感を奪ってる。と、思う。しかしながら。今、この瞬間にも。砲弾におびえながら生活している人たちがたくさんいる。という現実を忘れてはならない。僕はそういう人たちのために軍隊を派遣することは少しも悪いことだとは思わない。世の中には暴力でしか解決できない問題がまだまだある。
August 15, 2014
哺乳類の心臓はその種を問わず約20億回鼓動して停止するらしい。しかし60回/1分でこれを逆算すると63.4になる。(20億÷60÷60÷24÷365)すなわち63.4歳までしか心臓は動かないということになる。私の場合頻脈気味(90回/1分)なので(20億÷90÷60÷24÷365)42.3となる。すなわち現年齢(47歳)はすでに哺乳類としてはロスタイムに入っていると言っても過言ではないということである。(長寿とは生物学的ロスタイムをどう過ごすかで決まってくるのか、などと非科学的に溜飲が下がったりして・・・)また、人間が一生のうち発する熱量は204253mJ(メガジュール)らしい。それを原油換算すると5269.7リットルほどになる。重量にすると約4.7トンである。日本人のエネルギー消費は原油換算すると1人あたり年間4トンらしいので、日本人は自らが一生のうちに発するエネルギーを1年で消費していることになる。(アメリカ人は半年)また、排出するCO2の量は1日480リットル、年間168000リットル、70年で11760000リットル。重さでいうと23トン。まとめると人間は一生のうちに原油換算値で4.7トンのエネルギーを使い、心臓を20億回動かし、23トンのCO2を排出する、ということである。ところが、浜松において、それには飽き足らず「一生において100のストーリーをつむぎ出す」というユニットが立ち上がった。↓以下詳細010年6月、ムナポケ発の新ユニット『K2100』始動ッ。アストロノーツグラフティ・バッファロークライング・普通の人々、作・演出の加藤和大が、二年半の沈黙を破りムナポケ内ユニットとしてK2100を結成。美しく切ない物語世界を描きます。 今回も強力なゲストを迎え、ムナポケッツたちが、新しい表情をみせてくれるハズ。お見逃し無く!!公演情報・チケット等 → コチラ稽古状況等BLOG → コチラタイトル MUNA-POCKET COFFEEHOUSE K2100 第1回演劇公演「つづく、デルタ」作・演出:加藤和大 Story2000年代初頭…もうひとつの日本。 東京湾内で顔と指が切り取られた変死体が発見された。 警視庁捜査一課の雪村警部補は部下の小仏と共に、死体遺棄事件として捜査を進めていく。 一方、ルポライターの仁科はヨーロッパで多発している日本人誘拐事件を追っていた。 次第に、ふたつの事件から人材派遣会社『デルタサービス』の闇が浮かび上がる。雪村と仁科。そして、デルタサービスの美しい女社長、木下。 事件に隠された真相は、忘れられない痛みをえぐり出しながら、三人を近づけていく…。日時2010年6月20日(日【A ver.】12:00~【B ver.】15:00~(一部ダブルキャスト) ※開場は開演の30分前 会場 浜松市地域情報センター1階ホールチケット料金前売券一般 1,500円 学生 1,000円 当日券一般 1,800円 学生 1,200円※12歳以上向け作品チケット入手方法店 頭アクトシティB1Fチケットセンター、遠鉄百貨店5Fプレイガイド前売WEB予約チケット公演時間指定券(12時~/15時~) 一般:1,500円 学生:1,000円【ご予約方法】i@679.jpまで下記メールを送信してください。【メール宛先】i@679.jp【メールタイトル】ムナポケ公演チケット予約【メール本文】お名前、お電話番号、チケット区分(一般・学生)、ご希望の時間(12時~・15時~)、ご希望枚数 をご記入ください。メール到着後、ムナポケ制作部よりご確認のメールを送信いたします。【お支払い】公演当日・会場受付にて、チケット受け取りの際、お支払いください。【受付期間】6月13日・23時までの期間限定受付とさせていただきます。各公演時間の座席数に達した場合、WEB受付を終了させていただく場合もございます。※前売券WEB予約とは※WEBで事前にご予約いただいたお客様に、公演当日・会場にて前売券をお渡しするシステムです。 注意事項 ※当公演では、劇中に性的な表現を用いたシーンが一部含まれています。 安心して観劇していただくために、勝手ながら「PG12」の指定をさせていただきます。12歳未満のお子様は、親又は保護者の方が了承の上、ご一緒にお楽しみください。 また本作中において、差別用語と考えられる言葉が一部用いられております。あらかじめご了承ください。※当日券は各回の上演20分前より会場受付にて販売いたします。 客席は各回100席前後ご用意してありますが、前売券の販売状況により当日券を販売しない場合もございます。あらかじめご了承ください。ユニットK2100始動アストロノーツグラフティ(2004年)・バッファロークライング(2006年)・普通の人々(2007年)作・演出の加藤和大が、二年半の沈黙を破りムナポケ内ユニットとしてK2100を結成し、美しく切ない物語世界を表現する。 第1回演劇公演としてお届けする『つづく、デルタ』は、サスペンス要素とポップさを兼ねそろえた、エンターテイメント作品。加速度的に迫るストーリーと 心の内側まで届くセツナサを、ぜひライブで体感してみてください。後援浜松市・中日新聞東海本社・K-MIX・Fm Haro!企画MUNA-POCKET COFFEEHOUSE〒430-0852 浜松市領家1-7-30 カレー処ヤサカ敷地内TEL : 053-466-3536
June 7, 2010
あるといえば全てにあるし、ないといえば全てにない。
November 26, 2008
石は投げるなとは言わないが投げるのであれば投げ返される覚悟が必要である。投げ返されないような立場の人間はむやみに投げないほうが良い。嫌われるだけである。
November 25, 2008
「万死に値する。は、間接的表現でした」と、マスコミは訂正をいれるべきである。
November 20, 2008
暴力はエロスであり、その間接的表現が昇華されたものがスポーツである。ならば、「連続殺傷」も「カタール戦快勝」も同じコインの裏と表なのではないか。
November 19, 2008
休日が有意義であったというのは何を基準にしてそういうのだろう。思うに、たとえばそれは普段できないことを思い切りやれたかどうかなどはその基準になりうるのではないだろうか。例えば1.漫画喫茶に20時間居る。2.5本連続DVDを鑑賞する。3.二足歩行をしない。等々である。
November 16, 2008
それは覚悟ではなく、むしろ諦めに近い。
November 15, 2008
その証明はそうでない場合のそれほど簡単ではない。
November 14, 2008
前者は唯物論的であり後者は観念論的なものである。と、すれば、事実は1つだが真実は人の数だけあるということになる。
November 13, 2008
善意は伝わり難く、悪意は伝わり易い。
November 12, 2008
つべこべ言うまえにまあ読んでみたら。http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
November 4, 2008
休日が有意義であったというのは何を基準にしてそういうのだろう。思うに、たとえばそれは普段できないことを思い切りやれたかどうかなどはその基準になりうるのではないだろうか。例えば1.風呂に入らない。2.歯を磨かない。3.二足歩行をしない。等々である。
November 3, 2008
権力の本質は贈与である、らしい。
October 30, 2008
「本当の優しさ」と同じく逆説的詭弁を使用したいときには便利な言葉である。時には何が「本当」か言い争いになることがあるが、たいていのそれは神学論争の様相を呈する。
October 27, 2008
軍事行動で最も難しいのは撤退を組織することである。
October 11, 2008
気の合う仲間とわあわあやって時間を消費する。
October 10, 2008
そのとうりです。
October 9, 2008
当然、今日は今日で吹いてます。
October 8, 2008
そこから始まる場合もある。
October 7, 2008
風邪をひいて会社を休むということは整合性がとれている。
October 6, 2008
それをその言葉以下の意味しか付与できない場合はもったいない。
October 5, 2008
プロレスをまことしやかに放映してきた民放がそんなことを言うな。と、国営放送は思ってるかもしれない。
October 4, 2008
ゴキブリが妙に威風堂々としているように見えるのは戦わずして負けているこちらの心理が投射されているのか。
October 3, 2008
戦争をしない国の首相など誰がやっても・・・。
October 2, 2008
産まれて産んで死ぬ。
October 1, 2008
蒸し暑いのでちょっとだけエアコンをかけようとしたらいつの間にか寝てしまった。雪国でストーブをつける夢を見た。
May 27, 2008
私は裏庭をほじくり返している。が、それは夢というものの常で私の家には裏庭というものがない。次の瞬間、これも夢というものの常で、その作業を布団のなかでしていた。やってらるかこんなもん、と手にしたかっさらいを投げ捨てると、天井から何やら白いカタマリが私の手をひっぱろうとしているではないか。こいつはきっと死んだばあちゃんだと感じ、叫ぶものの「ば」が「ふぁ」にしか発音できない。これも夢の常である。しかしそれはそれで、たとえ「ふぁ」であろうと叫んだかいあって、そのカタマリは天井に消えたのである。ほっとした私は手を擦り合わしたりしていたのだが、今度はその手が異常に大きくなっていった。さすがに夢だと察知した私は「せーの」で目を開けた次第である。
May 26, 2008
言語に変換できる心の動きなどほんのささいなものであると痛感した一年であった。
December 31, 2007
転んだ場合の対処は以下の3点である。1.ただで起きる。2.ただでは起きない。3.起きない。
September 22, 2007
幸福とは苦痛が排除された状態である。で、あるならば存在するのは苦痛だけである。
September 21, 2007
憧れてはいたが道のりは遠いようである。せめてブログなど書かないでいられるほどの器量が欲しいものである。
September 17, 2007
「名作」の復刻ということで読んでみた。ミステリなので内容は書かないが、やはり日本の「本格」は疲れる。京極ワールドの遺伝子的端緒の趣きであるが、そのスケールは内容においても表現においてもこじんまりして今読むと魅力に欠ける。(というか苛々する)結局、見せたいのはトリックなのに小手先の表現で「文学」にしようとしている小賢しさが癪にさわる作品である。ちなみにホラーみたいなふれこみだがホラーでもなんでもない。
September 16, 2007
ロシアの「伝統の健康食品」だそうである。ちなみにロシアの平均寿命は59歳である。
September 15, 2007
センスが無いのを自白しているのである。
September 14, 2007
首相が体現したということか。
September 12, 2007
私は職人が嫌いである。新鮮味のないゴタクをならべたあげく尊敬を強制するからである。特にゴタクを並べ終わったあとに何かを待っているような確信に満ちた視線が嫌いである。誘導されるがままについこう言ってしまう。「へえー、そうなんだ」そう言っている自分が一番嫌いである。
September 11, 2007
格闘技と武道との違いは、前者が「敵を打ち負かす」事を主眼においているのに対し後者は「敵を敵として機能させない」事を目的としている点であるそうである。
September 7, 2007
正々堂々と土地ころがしをした田中角栄は日中国交正常化という偉業をなしとげたのである。
September 5, 2007
こうでもしなきゃ観客を追い詰められないのか、と、以前なら感じていたところだが、それでもこうしたいんだろうなという了解の仕方をした自分の成長を感じたのである。予定調和で終わらなければ「傑作」になる可能性を秘めた作品ではあった。(作品のカタルシスが観客のカタルシスとイコールになる必要はないのである)
September 3, 2007
いっそ天皇家に仕切らせたらどうだろうか。そうすれば「国技としての権威」は不滅である。
August 31, 2007
同時に資本主義の帰結でもある。
August 29, 2007
日本人は流血の時代は第2次世界大戦をもって終了したと誤解しているのである。
August 15, 2007
日本人はほっておくと暴力以外の規律は持たなくなる。これは、由々しき事態である。
February 10, 2007
たしか4年に1回ぐらいはやってると思うけど。
January 31, 2007
問題になっている発言ではあるが、単なるたとえであってそれ以上でもそれ以下でもない。むしろこれはようするに皆誰かをいじめたくてしょうがないという下衆な国民性が露になったという事以外のなにものでもない。
January 30, 2007
会議をして有意義な結論がでるという事態はまれである。
January 29, 2007
ソダーバーグ節は冴えわたっている。がしかし、それが効果的なのはストーリーが面白い場合なのだと実感した。テレンススタンプ ピーターフォンダの起用はタランティーノ的感性からすると○。
January 28, 2007
普通の日本映画にイーストウッドブランドを貼付けた代物。
January 25, 2007
全520件 (520件中 1-50件目)