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外に出て映画館に行くでもなく、朝のマルシェもパスして、台所の棚のストックの餅なし田舎しるこの粒餡入りレトルトパックを温めながら、横で餅を準備して、待っている間に土曜日の午後に買った粒アンパンにぱくつき、カメルーンに講習に出かけているマタネラのことを想いながらデレーズのスーパーで買ったアフリカンのコーヒーを濃くして飲んだ。コーヒーも汁粉もよく似た色だ。。昨日買ったコートもそんな色。。
ふと居間のテレビの前の机の上に、開けたままのマカロンの袋があったのに気がついた。そして、またパソコンにむかう。。。
以下はちょっと肩が凝る文章です。読みたくなければパスしてください。。
本題である。言葉には話し言葉と書き言葉がある。言語の中には書き言葉がないものもある。話し言葉がなく、書き言葉だけのものもある。ここでは、両方ある一般の言語のことである。日本語には最初は書き言葉が無かった。ラテン語は現在、誰も話さなくなったので死語として書き言葉だけの言語になっている。コンピューター言語には話し言葉はない。話が難しくなってきたと思うから簡単に続けるが、本当にぺらぺらしゃべるからといって、その人がよく書けるかというと疑問である。また、書けて読めるからといって、ぺらぺらであるとは言えない。普通の日本人が中国語を見て半分は理解できるが、あとはわからない。「何これ?変なの、記号みたい。いくら見てても見当もつかないよ」となる。まして話し言葉はチンプンカンプンである。ありがとうの謝謝はシェシェである。つまり日本語のシャの発音に近いのだが、その他のものを近づけて比べてみようとはしない。中国から来た音でも今は立派に日本語の発音となりきってしまっているからだ。だが、それをばらしてひとつひとつ虫眼鏡で見てみると以外と似ていることがわかるのである。
だから、このブログを読んでいる日本人なら、少しでも中国語を習えば半分くらいしかわからないものでも相当わかるようになるのである。
オニオンはフランスでポルトガル語をほんの少しだけはるか過去に習ったことがある。当時はフランス語もあまり出来なかった。周りの連中は殆んどがラテン語系(フランス語やイタリア語などラテン系)だった。なんと彼らは自国の言葉の語彙をポルトガル語の語彙にすりかえるだけであった。それでも通じるのである。それこそ文法的にはひどいものであったが、彼ら、つまりポルトガル人と他のラテン語系人とのコミュニケートは成り立っていた。
コミュニケートする、意志伝達するというのはこれである。文法的な正確さが無くても、構わないのである。ただ、細かい事を伝えたい場合には具合が悪いので、文法が必要になる。しかし、主体はあくまでも「伝えたい」「わかりたい」という意志である。
言葉だけではない、「何かしたい」「何かして欲しい」には相互の意志のコミュニケーションが要るのである。
見る、見たい、見れば、見ろ。。 2026年05月26日
またね。。か。。 2026年03月08日
言い訳しない。。 2026年03月03日