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後書きにかえて 退職してからすぐに横浜に引っ越したわけではなく、一ヶ月ほどまだ富士吉田にいることにした。なるべく家賃が安いほうに長くいるほうがいいということで。つかの間の自由人ということになるが、こういう状況の時っていうのは極力身体を動かすほうがいい、と思っていたので、ジョギングをはじめた。いろんなことを考えるにしても、走ったり歩いたり、とにかく動きながら考えるようにつとめていた。それに富士吉田の風景の細かいところまで、目と身体に記憶させたかったというのもある。ジョギングしていると、おびただしい数のたんぽぽが、そこら中に咲きまくっていた。気付いたらいろんなところにあるんもんなんだぁ、きっと今までもずっと、俺が気付かなかっただけで、毎年毎年、たんぽぽは勝手に咲いていたんだろうし、これからも勝手に咲くんだろうなぁ、あたりまえだけど、誰に見られるなんてこととか本当に全く考えてなくて、今までもこれからもコイツらは勝手にただ咲くんだなぁ、って思った。自分をたんぽぽに重ねあわせて、なんてのはおこがましい限りである。今は単に強烈な憧れ、畏敬の念、現在の目標スタンス(!?)である。アップテンポで爆音系のこの曲を思いっっっきり大声で歌うと実にスッキリする。だから「後書き」はもうこれで、「たんぽぽ」でいきます。 ご愛読ありがとうございました。たんぽぽ~実録・サラリーマン時代主題歌(嘘)~風吹いたから飛び 風やんだから降りた花にはありえない コンクリートに咲いたいかなるところでもやっていける とかじゃなくてそうこう言う前に 勝手に咲いていたんだ駐輪場 工場の空き地や 水飲み場にも咲き線路脇 砂利道 もしくは普通の花畑咲く場所を見つけたんじゃなくとにかく舞い降りたオレ たんぽぽ飛んでみようか 飛ぼうかななんて思う前に飛んでいたオレたんぽぽここで一花咲かせようなんて思う前に まず咲いていたんだ綺麗とか 苦しそうとか 道行く人は言ってる賞賛も憐れみも 関係なく ただ咲いたのに強い意志も 勇気も あるわけでもなく まずは飛んだあれこれ考えず 勝手にただ咲いたんだマンホールの隙間 中央分離帯 庭先排水溝 ドブ川 もしくは菜の花と並んで咲く場所を選ぶこともなく 気付けばそこにいたオレ たんぽぽ飛んでみようか 飛ぼうかななんて思う前に飛んでいたオレ たんぽぽここで一花咲かせようなんて思う前に まず咲いていたんだオレ たんぽぽ前ぶれなく踏まれたり また何処かで種を蒔き散らしオレ たんぽぽ木枯らしじゃあるまいし春の心地よい風にのせられてオレ たんぽぽ飛ばされた 飛んでいた飛んできた また風が吹けば飛ぶオレ たんぽぽここで一花咲かせろよ言われなくても 勝手に咲いてやるオレ たんぽぽ・・・作詞・曲 おじゃ丸 編曲 コブラツイスト&シャウト
November 15, 2006
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Vol.50(最終号)「講師たちに宛てた手紙」 このブログもとうとう終了である。まだまだここには書ききれないこともたくさん残っている。特に現大月教室長や甲府エリアマネージャー(現課長)のことなどは、俺のサラリーマン時代を語るには、やはり必須の2名であるが、話が広がりすぎる気もして、やむなく割愛した次第である。 はじめに述べたことと繰り返しになるけど、「仕事」っていうものは、本当に「壮大なドラマ」である。 今、このタイミングでこれを書き、そして終えることが出来てよかった。身辺整理完了。大変に清々しい気分である。 さて、最終回の今回は、これまでは保護者や生徒向けに発信してたコラム調のものを、我が教室の講師のみんなに対して、号外版として、書き記したものをそのまま貼り付けて(笑)締めくくろうと思うが、やたらとガチガチにビジネスの観点で書いてあって、もうちょっと人間味溢れるお礼の仕方があるだろう(笑)、って思うが、「サラリーマン時代」というテーマを総括、収束させるにはちょうどいいかな、と思ったりしたもんで。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 講師の皆さんへ今までどうもありがとう。私にとって富士吉田教室がこんなにも居心地が良かったのは、一重に講師に恵まれていたからなんだと本気で思う。ここの講師がいかに優れものかということを、「仕事(ビジネス)」という観点から述べてみたいと思う。いつもの「コラム調タッチ」で・・・。 ここの講師のいいところを一言で表すなら、「インチキをしない」、「人として誠実」である、というところだろうと、自分の中では結論が出ている。 山梨の人がそうなのかなぁ、と思いきや実はここの講師たちは基本的に「多国籍軍」だし、よくもまぁ揃ってくれたなぁとつくづく思う。 さて、教室運営をしていく上で自分自身のポリシーとしていることは、結構ビジネスライクにものを考えていて、「運営するからには存続・継続しなければならず、つまりは利益をあげていなければならない」という、まぁ会社であればごくあたりまえのことだとは思うが、私はこのことをより強く意識しているほうだと思う。そうでないと、そこで働くスタッフ(特に生活のかかった人など)にとってもロクなことはないし、更に生徒にとっても保護者にとっても、チョロチョロと中途半端にだけ勉強をして、成績も上がらず、結局塾をやめていき、よからぬ噂が広まる、みたいな負のスパイラル状態が続けば、そこの場所はやがて無くなってしまうしかないわけで、利益を上げるということは、教室長としての必須使命であるという考えは今も変わらない。利益を上げるということに関してはどこの世界でもそうだが、客数を上げるか、客単価を上げるかの2種類しかなく、塾も同じである。つまり、生徒数を上げることと、生徒の週回数や講習などの授業コマ数を増やす、ということ。私の場合、考えとしては断然後者のほう、つまり単価を上げる主義である。週一回の生徒が100人いるよりも、週二回の生徒が50人いるほうが、目も行き届くし、講師にとってもやりやすいだろうし、生徒にとっても塾に帰属意識が芽生えるし、いいに決まってる。 入会面談での週回数を決める時や、保護者会で講習のコマを決める時は、いわば「戦い」の場である。各家庭での家計の中にしめる教育費を最大限に出してもらえるよう、保護者とは相対する。「戦い」と今言ったが、実際に一番大切なことは「熱意と愛情と執念」の三つ。この三つをもって接した上でなら、どういう結果になろうとこちらも悔いはない。しっかり伝えた上で、それでもどうしても家庭の事情や経済的な面で,どうしても絶対無理、という場合、もちろん無理なわけで、こちらもそれ以上踏み込むつもりもない。でも他の何か(旅行や娯楽など)を削って、教育費に充当してもらうよう努力するのがこちらの務めだし、少しでも多くのコマをとってもらうべく、常に真剣勝負をしてきたつもりである。 私は入会面談や保護者会にかける時間は他の教室長の倍はかける。そしておそらくエネルギーも倍は使っているという自負がある。 でもその代わり、授業中の生徒への関心、講師の授業内容への意識は三分の一以下であるとも思う。これはいけないことで、それはわかっているんだが、言い訳っぽく言うならば、生徒にとって室長っていうのはそんなに大そうな存在ではない、っていうことと、授業がいいものになるかどうかというのは講師が自然体で明るく楽しく伸び伸びとやっているかどうかにかかっている、というのが、講師時代から(自分がいるからこの塾はやっていけてるんだ、という位のかなり傲慢な気持ちをもった講師でした)思っていたことだったし、自分が生徒の立場だったら、っていうことを考えてもやはり、大事なのは担当の先生なのであって、そこの塾の室長ではないのは確かだと思うので、授業中は基本的にはナリを潜めていよう、っていうのがあった。ガチガチに管理するトルシエジャパンよりも、「試合が始まってしまえば監督が出来ることなんて何もないんだよ」というジーコのほうが正しい気がする。いや、正しいっていうより、楽しい空気が充満することは子供には重要なことだと思う。 しかし、こんな感じで全部講師任せにしてしまうことにはもちろん危険も伴う。よっぽど信頼がおけないと無理な話なのである。 ここの講師には十二分に信頼をおいている。先に述べた「インチキをしない」気風みたいなものが流れているし、全ての講師に面接または初回授業の時に必ず言ってきたこと、つまり「主導権は講師が握ること」、「明るく楽しく自然体でやること」を実践した授業にするためには、室長は裏方にまわり、とことん任せたほうが得策なのである、と私は考える。 室長は、入会面談や保護者会、そして講師には初回の研修(トレーニーワークショップ)には全身全霊を込めて、その後は基本的には講師に委ねる。という分業体制が一番いいような気がする。 さて、ようやく話が戻ってきた。そんなわけで、ここの講師には信頼をおいてはいるのだが、更にこちらの期待(たくさんの授業数の確保に成功はしたものの、それを今度は実りある、充実した内容のものをやってくれるかどうか)にしっかり応えてくれているところが素晴らしく、また感謝するところである。 何やら、感謝状にしては随分と堅苦しい文面になりつつあるが(笑)、このような「ビジネスパートナー」としても、しっかりとこの教室を支えてくれた(「あの」富士吉田教室が山梨はおろか北関東で一番の売上げを上げるようになったというのは、講師のみんなこそが誇りに思っていいことですよ。)ことへの感謝をどこかで言っておきたかったが、こんな話、定例講師会議でなんか出来ないし、最後でここでさせていただきました。 本当にありがとう。引き続き、この教室をヨロシク!(完)
November 13, 2006
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Vol.49「感無量」 退職の日が刻々と迫ってきた。保護者からもいろんな贈り物をもらい、生徒は授業中に、いらなくなったコピー用紙の裏に手紙を書いてくれたり(授業サボんなよ!)、だんだんとお別れの時が近づいているんだなぁ、という感覚が生まれてきた。 最後の会議では、山梨の室長達みんなが色紙にメッセージを書いてくれて、やはり花をたくさんもらった。甲府のエリアマネージャーはわざわざ東京の本部にいったとき、全グループリーダーからやはり色紙にメッセージをもらってきてくれて、俺にくれた。 そして退職の二日前の金曜日(講師数が最も多い曜日)だったと思う。高梨先生(以前このブログの講師編でも紹介した、いろんな場所で写真を撮り、ポエムにもしてる人)をはじめとした、その日の講師達が集まってきて、「これ、よかったらどうぞ」と言って、あるモノを俺にくれた。 それは赤い装丁の冊子だった。色紙ではない、それは紛れも無い「本」だった。それは高梨先生の手作りによるものだった。中を開けてみると、講師全員のメッセージのみならず、今は沼津にいる元副室長の茂木さんからのメッセージや、もう辞めて今はいない講師からのメッセージもあった。 これまた秘密裏のうちに回覧版のように講師達の間でまわり、着々と作成されていたものらしい。一行や二行ではない、一人につき一ページニページと割かれ、こってりたっぷりとしたメッセージがそこには敷き詰められていた。 ごくごく自然に涙が出た。やべ!っと思ってすかさず裏口に避難した。こうして塾人生最大の喜びが、先日の宴から数週間後に早くも塗り替えられてしまった。俺はなんて幸せ者なんだろうって思った。五年前、悔しくて情けなくて惨めで俺は自然に涙を流したことがある。方向を見失った俺は何よりまず働くか!と思い、職について4年とちょっと。辞めぎわに今度は嬉しくて、ありがたくて、自然に涙を流した。この違いが全てであろう。いろんなことがあったが、俺のサラリーマン生活は最高にハッピーだった!(つづく)次号、ついに最終回です。
November 3, 2006
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Vol.48「宴~学習塾人生二番目の喜び~」 冬期講習の目標達成率に応じて、今年度より会社が費用を持ってくれて、スタッフを交えた謝恩会、打ち上げをやっていいということになった。だいたいの教室は講師一人に対して、1000円~2000円の枠なのだが、富士吉田教室の場合、目標数値をかなり大幅に上回ったということで、一人につきナント3000円の支給!やったね!! こういうスタッフへの還元の仕方は本当に素晴らしい。我が会社に大感謝である。 さて、どこでどんな風に使うべきかっていうことを考た。富士吉田にも飲み屋はいくつかある。しかしやっぱりお店を使うならば3000円はすぐにいってしまう。そこで、もうひとつ考えたのは休塾日の日曜日に教室内で、宅配ものをとったり、買出ししまくったりして豪遊する(笑)っていう案。 講師達にミーティングで希望を訊くと、断然後者(教室で豪遊)であったので、この方向で決定した。いろんな宅配業者をあたり、確かに相当な量を注文できた。寿司・ピザ・中華バイキング盛り合わせ・パーティーセットなどなど・・・そして、当日。ビールやら飲み物やら更なるつまみを求めてみんなで買出しに。教室のパーテーションを全てとっぱらい、蛍光灯を消して間接照明にしてJAZZのBGMを流して・・・、絶対に生徒が入って来ないようにシャッターを閉めて(笑)裏口から出入りした。 我がスタッフは男手が少ないので、俺は男性講師の寺尾先生と二人で重たいもの、つまり酒類の買出しに出た。 寺尾先生が何やらマニアックな酒屋に連れていってくれて、九州出身の寺尾先生はそこにある薩摩焼酎の幻の逸品とかを俺にいろいろと説明してくれたり、でも基本的にはあまりビールも安くなく、「やっぱりもっと量販店にいきましょう」と寺尾先生が自己完結型意見(!?)により、他の店に行くことにした。俺は「別にそんな極端に値段は違わないし、ここでもいいんじゃない?」というと、「いやソフトドリンクが特に安い店があるんで」みたいなことで、「はぁ」と俺は承諾して、寺尾先生の車に乗った。 量販店に到着すると、もっと店の近くに駐車すればいいのに、微妙に遠いところに駐車した。「もっと出口のそばに停めたほうがいいんじゃない?」と俺が言うと、「そうなんですけどねぇ・・・」と寺尾先生。「え?けど、けどなんなんだよ」と内心思いながらも、俺は「ふ~ん」と言った。 ドリンク類をしこたま買い込み、そろそろ他の買出し隊のみんなも教室に戻ってるはずだなぁ、と思っていると、寺尾先生は「ホントすみません」とか言って誰かとメールしてたりする。いまいち今日の寺尾先生は挙動不審だ(笑)と思いつつ、教室に戻った。 俺が教室の裏口のドアを開けたその時だった。講師達が横一列に並んで一斉にクラッカーを鳴らして、「ありがとうございました!お疲れ様です!」と言ってくれた。その後、かかえきれない大きな花籠をもらったりして、一瞬何が起きているのかわからなかった。 今回のパーティーは講師に対する謝恩会で、俺が(会社が?)講師を労う会のはずだったんだが、いつのまにか4月に退職する俺のお別れサプライズパーティーとなっていた。 ビールを飲みながら種明かしとして、寺尾先生は無駄に遠回りして、とにかく他の講師全員が戻りクラッカーのスタンバイが完了するのを他の講師とメールでやりとりして時間調整をしてたんだとのこと。そういうことか、と俺は微妙に挙動不審だった寺尾先生の言動やら行動をみんなに言うと場内爆笑。巨大な花籠は講師達の大学がある都留のお店で購入し、大きすぎて目立つので教室の大家さんに一時的に預かってもらったことなども知る。 あんなにおいしいビールは久しぶりだった・・・。予測不能、想像を絶することを「してやられる」と人間ってのは間違いなく感動する。いかに「クレド」を、「ホスピタリティー精神」を、と講師達に植え付けようと考えていた俺は、なんだよ、うちの講師はこれらがとっくに身についてんだなぁ、って思った。宴が終わったあとも俺はしばらく喜びが消えなかった。 時は野球のWBCで日本が韓国に敗れた日(でも最終的には見事世界一になった)のことで、イチローはインタビューで「僕のこれまでの野球人生の中で最も屈辱的な日でした」と言った日だった。このフレーズを借りていうと、「俺の16年間(講師時代も含め)の塾人生の中で最も嬉しい日」になった。 ところが、この記録(?!)は数日後、あっという間に塗り替えられることになり、つまりこの日は俺にとって二番目に嬉しいことになった。(つづく)
October 28, 2006
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(つづきです。この前から先に読んでください。)最悪行動・・・無視する、または自分の仕事はこのディスプレー装飾なんだから、時間とられるわけにはいかない、という考えが働き、(本当は知ってるのに)「すみません、わかりません」という。悪行動・・・上のフロアにございますから上のフロアのスタッフにもう一度尋ねてみてください。やはり一番いい行動は、・・・「今の自分の持ち場を離れようが、お客様をその場所までお連れする」ということだということになる。なぜならデパート全体のクレドとして、「お客様主義に徹する」とある以上、お客様に関することが、全てにおいて優先されなければならないからだ。この行動に関して異を唱える人ももちろんいるだろうけど、クレドがそうなってる以上、このデパート内でのあるべき正しい行動は絶対にこうなる。こうじゃないんであれば、そこの会社のクレドは形骸化してるので、いますぐ廃止すべきなのだ。 あ、今最悪の行動を述べたけど、もうひとつの最悪パターンをここに挙げておく。最良の行動、つまり子供服売り場までお客様を案内するという行動をとったスタッフに対して、そこのディスプレー係の上司が、わけも一切訊かず、持ち場を離れたことに対してどなる、いや懇々と叱るでもいいんだが、これが最悪のもうひとつ。クレドというものはそれほどまでに全ての上にあるものであり、部長だろうが専務だろうが、社長だろうが、全てこの下にくるものなのだ。 俺の室長生活末期、最後に入ってきた講師、つまり最も新人の講師に、成瀬先生という大学生の女性講師がいた。この先生には新人講師研修(トレーニーワークショップ)よりも前に、いきなり授業をしてもらうことになった。必要に迫られ、猫の手も借りたいほどの講師不足の事態という背景もあった。そんな右も左も何もわからない成瀬先生の初回授業がやってきた。こういう状況であれば当然、授業前にたっぷり時間をとっていろんな説明もしなければならないんだが、この時俺も保護者会最終決戦真っ最中ということもあり、あまりにも限られた短時間で説明しなくてはいけない事態になった。 生徒それぞれには学習プログラム表(以下プロ表)というものがあって、何月何日はどのテキストの何ページまでやって、宿題はここで、みたいなものを書き記しておく、言ってみれば生徒のカルテなのだが、だいたい講師たちはこのプロ表に従って授業を進めることになる。 特に新人講師たちにとってはありがたいというか、こういうものがあるからこれをベースにしてとりかかれるというメリットもある。 俺は成瀬先生にこのプロ表の見方などをまず簡単に伝え、俺が一件の保護者会をしている間、本日これから授業してもらう生徒のプロ表を渡して見ておいてもらい、よくわからないところはツーットップの講師に訊くように言っておいた。 そして、次の保護者会までの空き時間は5分くらいだった。初めて授業する不安にさいなまれている講師への説明が5分・・・、トレーニーワークショップでは4時間くらいかけているところを5分・・・、まったくもって成瀬先生に失礼な話なんだが・・・。 俺はこの5分で次のような話だけをした。「プロ表の見方はだいたいわかりましたか?基本的にはまずそれをベースにしていいんですが、こんなプロ表なんかよりももっと優先するものは生徒の成績が上がるかどうかということなので、プロ表に書いてあることを鵜呑みにせず、授業を進めるうちに、この子のレベルならもっと出来る、とか、こんなに進んではダメだ、とかを判断し、自己修正するほうが大事です。例えば、宿題にしてもこれまで出してきた分量を考慮して、とかではなく、今日の内容を本当に定着させるにはこれぐらいがいい、という分量を出してほしいです。いろんなマニュアルやツールがこの教室には数多くありますが、あまり細かいことを考えず、自分が担当したこの生徒が成績を上げるには何をすればいいか、ってことを念頭に頑張って考えて行動してください。プロ表は場合によっちゃ無視したって全然いいんですよ。」というようなことだけを伝え、俺は次の保護者会に入り、成瀬先生は初授業に臨んだ。 ほどなく保護者会の合間に、授業現場に目をやると、成瀬先生が担当してる生徒から「そんなに宿題多く出来ないよぉ!」とかのブーイングが聞こえてきた。俺は「よしよし、成瀬先生その調子!」と思った。 そして、俺が保護者会を終え、授業も終わろうとしてる時、成瀬先生が「○○くんは明日、数学のテストがあるっていうんで、本当は英語の時間ですけど、数学をやっちゃったんですけどよかったでしょうか」と言ってきて、もう授業が終わる寸前だったので、ダメって言っても遅いんだが(笑)、当然許可した。 このケース、新人講師にはなかなか難しいシチュエーションである。まず生徒が「数学をやりたい」と言ってきて、室長は面談中のため相談が出来ない。ここで自己判断に迫られるわけだが、おそらく「でも今は英語の授業だから英語をやるよ。これからは普段からしっかりやってないとダメだよ、間際に慌てないようにね」なんて言ってる先生も絶対いるはずだ。あるいは、「室長が今、面談中だから、面談終わって許可が出るまでは英語をやるよ」っていう先生。これは多いはずだ。 しかし、俺が成瀬先生に最初に言ったことは「自分が担当した生徒が成績を上げるためには何をすればいいかってことを念頭に」と言うこと。当然、成瀬先生のとった行動が正解。俺の面談が終わるまで「とりあえず英語」をやるんではなく、「とりあえず数学」をやること。俺には事後承諾で全然かまわない。これでクレームがきたら俺の責任である。プロ表は英語で準備していて、科目チェンジなんかした日にゃもう新人講師にしてみりゃ大パニックのはずである。準備もしてないだけに当然上手い授業にはならなかったはずである。しかし、それでもここは数学をやることが正解。 まさにマニュアルやツールなんかよりも遥かに重要な根本命題、クレド。「生徒の成績をあげる」ということをクレドとした場合、成瀬先生は新人ながらちゃんとクレドを実践してくれたことになる。 教室内にていよいよクレドを浸透させようという時がきた。 結局俺が考えた末に、自分のところの講師達に伝えたことは・・・「誰がどう見ても、どう考えても正しいと思うこと、これを王道、と呼びたいんだが、この王道は他人の目や許可など全く関係なく、どんどんやっていくようにしよう。例えば15日になったら、タイムカードを裏返すのはみんなもう知ってると思うけど、いつもあれを生徒も含めた全員分裏返してるのは俺じゃなくて、綿貫先生なんだよ。俺は一度もそれを頼んだことはないし、綿貫先生の仕事だとも思ってない。でもこれをやることは誰がどう見ても間違ってるわけはなく、これをした綿貫先生を俺が怒るわけがない。だからみんなにタイムカードを率先して引っくり返せっていうんじゃなくて(笑)、だれがどう見ても正しいことは堂々と、誰の許可もなくやっていいっていうこと、教室という場が、職場っていう考えじゃなく「自分の部屋」っていうイメージまでしてくれたなら、隅っこのほうにゴミが落ちてることに気付いて、でもこのまま放っておいても誰も気付かないようなゴミだとしても、やっぱりここは拾っとくっていうのが王道だと思う。この王道をみんなが実践したあとで、万一それがクレームの対象になったり、深刻な問題へと発展した場合、その全責任は俺がとる。ただ、「王道」の解釈を履き違えている恐れもあるかもしれないので、その時はゆっくり話し合おう。」こんな感じで、他の教室はクレドカードなるもの本部から配られ、それに対して話しあうみたいなことが行われている中、うちの教室はクレドの中身に行く前に「王道」という指針を打ち立てるところからスタートした。かくして、クレドを掲げ、講師たちにはホスピタリティーを追求してもらうべく、俺自身も最後が近い今、取り組んでいきたいと思っていたわけだが、思うに俺は自分の教室の講師達っていうものをちょっと過小評価しすぎてたのかもしれない。 俺のほうこそ見習わないといけないホスピタリティー精神が講師たちには既に備わっていることを、退職の日が近づくにつれ、まざまざと見せ付けられていくことになるのである。(つづく)
October 26, 2006
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Vol.47 「クレド」 俺が会社にいる末期に、クレドミーティングというものを各教室でやっていこう、ということになった。クレドとは、訳すと「信条」ということになるのだろうか、古くはジョンソン&ジョンソン(バンドエイドの会社)が掲げ、ただこの言葉が大ブレイクしたのはなんと言ってもリッツカールトンホテルによるところが大きい。 現在のサービス業は単なるサービスの域では他社との差別化は出来なくなっていて、ホスピタリティーの精神というところまで昇華させる必要がある。そしてこのホスピタリティー精神がスタッフ全員に浸透しているのが、リッツカールトンホテルであり、ディズニーランドである。リッツカールトンホテルのホスピタリティー精神というのは、突き詰めていくとその根底にはこの「クレド」というものがある。 とまぁこんなことは昨今のサービス業の指南書やらビジネス本で全国大席巻中であるため、そっちに譲るとして、我が社でもこれを取り入れ、毎日ホスピタリティー精神を高めていこう、という動きになった。 俺自身、このクレドという概念は素晴らしい!と思っていて、これを日々突き詰めていこうとスタッフ全体が考え、行動すると、そりゃすごいことになるなぁ、と心底思った。 ただし、この「クレド」という概念を本当の意味で根本的に理解できて初めて生きてくることだと思う。教室長たちの中ではある程度浸透した感はあった。しかし、教室にいる講師達に本当の意味でこれが伝わっているかというのは実に疑問であった。リッツカールトン本家のクレドとうちの会社のクレドが酷似している、という点はまぁいいとして、そっくりこれを落とし込むとなると、ちょっと違うんじゃないかなぁというのが俺の考えだった。 根本の部分で理解してもらえなければ、それは単に形だけのもので、話し合ったり深め合ったりしてるフリで終わってしまっていることになる。 しかし繰り返しになるが、俺自身この「クレド」という考えに大いに賛同している。だから、なんとかして根本的に講師のみんなには理解してほしかったし、どうすれば伝わるのか、真剣に悩んだ。本日からクレドミーティングを各教室で実施してください、という本部からの通達があって、俺はここだけの話、今だから言うが、それから一週間位はまだ自分の教室では実施してなかった。自分の中でシックリきてないものをやるわけにはいかない、いや自分の中ではシックリきてるんだが、講師達にシックリこさせるための意思伝達方法にまだ自信がなかったということで、どうしてもまだ始動出来ずにいた。 先に述べたリッツカールトンホテルが何故うまく機能しているのか、他のいろんな企業でも多く取り入れられているにも関わらず、末端のスタッフに至るまでホスピタリティー精神が行き届いてるのは何故なのか、更に自分なりにリッツカールトンホテルのことをいろいろ調べてみた。 マイアミのリッツカールトンホテルで起きた有名なエピソードがある。夕方になり、ビーチにあるイスを片付けていたスタッフのところに、一人の男性が近づいてきて言った。「今夜私はここのビーチで愛する人にプロポーズをしようと思うので、もしもよろしかったらイスを1脚だけ残しておいてくれないだろうか」スタッフは喜んで「はいかしこまりました」と言った。 そしてプロポーズの時間がやってきた。男性は愛する人をビーチまで連れてくると、そこにはなんともまぁ驚きビックリのアイテムが勢揃いしていた。 さっきのスタッフは作業着からタキシードに変わっていて、チェア1脚どころか、クロスがかけられたテーブルの上にはシャンパンが冷えていて、男性がひざまずいてプロポーズする際に膝が濡れないように布が敷かれていて・・・。とまぁ、そこまでやるかの徹底的なサービス。でも勿論その男性は大感動することになる。 ここで忘れずに踏まえなきゃいけないことは、当然タキシード代、シャンパン代など、費用がかかっていることである。リッツカールトンホテル内ではこのような事態(!?)に備えて、上の承諾も受けずに自己采配によって、費用の決裁権まである、という信じられない権利まで与えられている。ということも当然踏まえなくてはいけないことだとは思う。 「だからリッツカールトンは出来るんだよ、うちの会社ではそんな権限ないからね、」と言ってしまうことは簡単である。しかし、俺が着目すべきはなんてったってこの時のこのスタッフの心理状態である。こんなことは本人に訊いてみないとわかんないことだが、絶対にウキウキ、ワクワク楽しみながらやっていたんだろうと思う。「ここは領収書さえ切っておけば費用も出るし、お客様のためにいいなって思ったことを実践するわけだから、文句は言われないばかりか、俺の評価も上がるだろうから、時間外でめんどくさいけど、いっちょやったるか」なんてことは絶対に思っていなかったはずである。何よりも自分自身が「こんな仕掛けをしたら、あのお客さん、ビックリするぜぇ!」と一人ほくそ笑み、ウキウキ、ワクワク状態で仕込み(?)に入っていたはずなのだ。この「相手が喜ぶことを自分自身がワクワクしながら、楽しみながらやる」という精神、これがホスピタリティーを実践する際に重要なことだと思う。 それから他のほとんどの会社がそうであるように、うちの会社も一社員に費用の決裁権なんかあるわけはないんだが、少なくともお客様が喜ぶために何かのアクションを、喜びワクワクしながら起こせるようにする空気を作り上げることが重要なんだと思う。 これらいろいろ踏まえて整理すると、こんな感じになる・・・舞台はとあるデパートとしよう。そのデパートのクレドの中に「お客様主義に徹する」とあったとする。そのデパートのウィンドウディスプレーの飾り付けのスタッフがいるとする。そのスタッフに、ある人が「子供服売り場は何処ですか?」と尋ねられたとする。その子供服売り場っていうのは上のフロアにあるんだけど、なんとも説明が難しい場所にあるとする。 さて、この場合どういう行動をとるのが正解なのか、(またも一万字超えそうなので、ここでカットしてすぐに続きます)
October 26, 2006
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Vol.46「引継ぎ」 だんだんと退職公約の3月も迫ってきた2月に役員面接なるものがあった。うちの会社は2月と8月になると半期の総括的な意味を込めて役員、つまり社長、専務との三者面談をすることになっている。専務とは結構頻繁に接触はあるものの、社長と実際にしっかり話し合うみたいな時間は、半年に一度のこのときだけである。 専務から「赤澤さんに関しては一点だけです。来期もやってくれるのかどうかということだけです。」という、いきなり単刀直入で直球で来たので、俺も「今期をもって退職する気持ちに変わりはありません。ただ、引継ぎが今難航しているのもわかってますので、3月いっぱいでというよりはもう少し柔軟性をもって退職日等は部長とも相談の上決めさせていただきたいと思います。」と言った。間で板ばさみとなっている部長や甲府のエリアマネージャーは、これで引きとめる労はなくなったというか、とにかく経営陣トップの二名に直接言うことによってダラダラ引き延びることもなく何にせよ退職は認められた。 富士吉田の次期室長は完全な新人ではなく、大月教室も統括する山梨郡内のエリアマネージャーである必要があるらしいので、比較的すぐに決定した。甲府里吉教室というところの室長で、俺もこの人なら安心っていう人だった。しかし問題はその甲府里吉教室の空いた穴を埋める室長がいないということで、とにかくバンバン求人をかけ、面接もしていた。俺自身も甲府に行ってよく社員面接をした。こうなると困ると思って一年前から辞意表明してんのに・・・という気持ちはグッと押し込み、なんとか甲府里吉の室長が決定したことにより、俺は退職日のすり合わせを部長とした。富士吉田の新教室長は海藤さんという女性で、それまで不振にあえいでいた甲府里吉教室を昨年比150%超の生徒数増加を成し遂げた優秀な女性社員である。 海藤さんには、俺は個人的な恩も感じていて、この夏初めて行った本格的な富士吉田教室のレクリェーションイベント(バーベキュー大会!?)の時に、完全に友情参加してくれて、何十個ものおにぎりを作って来てくれたり、景品争奪のイントロ当てクイズの際にCDラジカセの具合が悪くなり、どうしようもなくなり、苦肉の策として、海藤さんの車の周りに生徒達を集めて、カーステレオから爆音でかける、ということで難を逃れたわけだが、あの時車の中からCDを流しつづけた海藤さん、うるさくてしょうがなかったはずである(笑)。 こういった個人的な恩もそうだが、海藤さんはとにかくひたすら真面目な人なので、後を濁す形で去ることだけはしたくなかった。室長が変わるということで少なからず不協和音も生じることは必至だったとは思うが、講師の綿貫先生じゃないけど、生徒から目をそむけず、ひたすら誠意と愛情を持って接すれば時間の問題で不協和音は消えるはずだということはわかっていたから、海藤さんには安心して後を託すことが出来た。 以前この場で、俺個人の考えとして、仕事の出来る人の二大原則は「真面目であること」と「自分のためにやっていること」と述べたことがあったかと思うが、海藤さんの場合、「真面目である」のは完璧として、「自分のために・・・」というのは少し気になるところで、いや、おそらく既に自分の生きがいとしてやっている域には入っていると思うのだが、これも以前ここで述べたように、真面目・熱血・素直ゆえに会社からの教えを一点の曇りもなく励行するタイプであった。 でもまぁ本人が既に心底これでいいと思っているはずなので、こっちが異を唱える筋合いもないし、とにかくまぁわけのわかんない不誠実な人間が来なかったことがまず嬉しいし、実際これは本音だが、山梨の全教室長の中では一番海藤さんに来てもらいたかった。残された生徒や講師のために。 引継ぎをやってるといろいろな弊害も出てきたが、甲府里吉の引継ぎほどではないのは確かである。甲府里吉の新人室長は本当に新卒のピカピカの新人ということもあり、わからないことだらけである。頻繁に富士吉田に電話がかかってきて、海藤さんに質問やアドバイスを仰いでいた。 一方俺が海藤さんにしたアドバイスといえば、以前俺が内藤さんに言われた最高の一言、「富士吉田教室をよくするためなら何をやってもいいんだ」ということを、本気で本心から伝えた。そして3月は(意外にも)比較的暇であり、例えばこういうときに頑張って何か仕事を見つけて常に全力投球するのもいいけど、抜くときは抜いてどうしたって五月あたりから死ぬほど忙しくなるんだから、自分自身の力を蓄えることや、生徒や講師とどうでもいい話をたくさんしてコミュニケーションを深めたりしたほうがいいよ、みたいな、なんだか手を抜くことばっかりアドバイスしてたような気がする(笑)が、あくまでもこれは相手が超真面目人の海藤さんだったからである。 海藤さんも今までの自分のやり方との違いに面食らったことも多かったはずである。もちろん海藤さんのやり方のほうが会社で推奨している理想的なやり方なのであるのは言うまでもない(笑)。 例えば授業前後に行う講師とのミーティング、これが海藤さんからしてみれば恐ろしく短い時間、いやほとんど「それやってるうちに入んないんじゃん?」っていうレベルだったし、授業中に室長が教室内を巡回する「机間巡視」というものがあるのだが、これに関しては俺のポリシーとして、実はあまりやらないようにしていた。「机間巡視」という意味の中には講師の授業が正しく行われているか、っていうこともあり、それもわかるんだが、実際俺自身が講師だった時代に当時の室長がやはり巡視しにきて、ただ巡視するだけならまだしも、会話に参加してきたりして正直ウザイ(笑)って思ったものだし、巡視されることで講師がのびのびと個性を発揮できなくなったらその教室は暗くなる。それが一番良くないことだと思った。教室内で一番明るく輝いているのは講師であるべきだと思っているし、もちろんカッチリ管理するメリットだってあるとは思うが、いろいろ差し引きしたら、結局は伸び伸びとやってもらったほうがいい、というのが俺なりの結論だった。 でもこの俺の考えを海藤さんに植え付けたら、その時点で海藤さんに「好き勝手やっていい」といったことと矛盾するわけだし、自分のやり方はこうだ、とは言わなかった。 ただし、講師はおそらく面食らうことが今後出てくるだろうから、予め講師達には海藤さんがまだ来る前から、海藤さん就任後はだいたいこんな感じになるっていうことを伝え、いろいろと細かいことも言われるかもしれないけど、真面目で誠実な人なことは俺が保証するから、最初はいろいろと違和感あるかもしれないけど、みんなで協力しあってほしい、ということだけは伝えた。 結局退職の日付は4月15日付となった。4年4ヶ月、無遅刻無欠勤で有休消化ゼロだったので、4月いっぱい扱いでも全然ありだったとは思うが、まぁいろいろなこと含めて良しとしたい。会社には感謝しているのは事実だ。いよいよ富士吉田を離れ、横浜に引っ越したのが5月末だったので、離れる直前に最後にもう一度教室に遊びに行った。退職後一ヶ月が経過した教室に、生徒一人一人の顔がポラロイドカメラで写したものが貼ってあり、その写真の下にはそれぞれの誕生日が書いてあった。そして生徒の誕生日には簡単なプレゼントをあげるのだという。これ凄いね!って俺が誉めると、「実はこうすることで生徒の顔を早く覚えられるっていう狙いがあるんです」と海藤さんは小声で俺に言った。この企画は会社のマニュアルや方針には一切なく、完全に海藤さん独自のアイディアである。俺は「よしよし、この教室はこれで安泰だ」と確信した。 退社以降もお盆の連休に差し掛かった頃ということで、軽井沢から「祝バケーション!」っていう軽~いタッチのメールを海藤さんにしたら、物凄い丁寧な、生徒の近況だとか問題点とか、嬉しかったこととかが克明に書かれてあり、「まだまだいっぱいお話したいことがたくさんあります」とあった。確かにこの仕事っていうのは同僚というものがいないというか、室長以外は現場にいるのは講師なわけで、やはり立場的に孤独であり、他教室長とたまに電話や会議の帰りなどで話す共通の話題で、気分を発散することも少なくなく、しかし同じ教室で、生徒や講師の状況に加え保護者のキャラまで委細承知してるっていうのは今の俺と海藤さんみたいなシチュエーションしかありえないので、海藤さんがいろいろ話したいという気持ちはよーくわかる。 店の開店の前に、しかも教室が殺人的に忙しくなる11月になる前に、ぜひ一度、フラッと遊びにいきたいとは思っている。(つづく)
October 19, 2006
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Vol.45~コラム(最終号)「この教室にものび太はいる!」~ コラムが最終回なのであって、本編はもうちょっとだけ(あとチョットだけど)続きます。引き続きご愛読のほど宜しくお願いします。(最終号)・・・「この教室にも、のび太はいる」 毎月お送りしてきましたこの文章ですが、このようなコラム調(!?)の形式では、今回が最終回となります。 次号より、形態も書式もリニューアルしたものになりますので、お楽しみに。 さて、今回は「最終回」ということにあやかって(?)、ドラえもんの最終回の話で締めくくりたいと思います。 まずは読んでみてください。私はこれを読んだとき、鳥肌が立ちました。しばらく動けませんでした。 熱い思いと信念を貫き、その果てにとんでもないことをやってのける、そんな「のび太」が、この教室にもいるはずです、きっと・・・。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ドラえもんの最終回・・・。のび太とドラえもんに別れの時がおとずれます。その日ものび太は、宿題をせずに学校で叱られたり、はたまたガキ大将のジャイアンにいじめられたり、スネ夫の自慢話を聴かされたり、といった、いつもと同じような一日が始まるはずでした。青い空には白い雲が浮かんでいました。 ところが、そんないつもの風景の中で事件は起こりました。 なんと突然ドラえもんが動かなくなってしまったのです! のび太には何がなんだかわかりません。喋りかけたり、叩いたり蹴ったり、しっぽを引っ張ってみたりもしました。何の反応も示さないドラえもんを見て、のび太はだんだん不安になってしまいます。付き合いも長く、そして固い友情で結ばれている彼ら。しばらくしてのび太は、動かなくなったドラえもんがどういう状態にあるのか、小学生ながらに理解するのでした。 無駄とわかりつつ、のび太はいろんなことをしました。思いつく限りの、出来うることを全てやってみました。それでも何の反応も示さないドラえもん・・・。その晩、のび太は眠りにつくことが出来ませんでした。 やがて、のび太は彼の机の引き出し、そう、「タイムマシン」の存在に気がつくのでした。「なんで今まで気がつかなかったんだろう。」のび太はパジャマのまま、二十二世紀へとタイムマシンに乗り込みました。 「これで全てが解決するはずだ!」のび太は、なんとかドラミちゃん(ドラえもんの妹)に連絡を取り付けました。のび太は嬉しくてたまりません。「ドラえもんが治る!」 のび太は、ドラミちゃんと一緒に、とにもかくにも二十世紀へ戻りました。 しかし、のび太はドラミちゃんでもどうにもならない事が起こっていることに、この時は気付いていませんでした。いえ、ドラミちゃんでさえも思いもしなかったことでしょう。 動かないお兄ちゃんを見て、ドラミちゃんにはすぐに故障の原因がわかりました。 正確には、故障ではなく電池切れでした。そして電池を交換しようとしたその瞬間、ドラミちゃんは大変なことに気がつきました。 「予備電源がない・・・。」のび太には何の事かわかりません。早く早くとせがむのび太に、ドラミちゃんは静かに告げました。 「のび太さん、お兄ちゃんとの思い出が消えちゃってもいい?」 のび太にはまだ理解できません。実は旧式ネコ型ロボットには、その耳に予備電源が内蔵されていたのです。電池交換時には、それまでのデータを保持しておく役割があったのです。 ところが、ドラえもんには耳がない! ドラミちゃんは色々説明をしました。難しく、のび太は理解に苦しみましたが、大筋の理解は出来ました。 電池を交換することで、ドラえもんの中に記憶されているのび太との思い出が消えてしまうこと、今のままで置いておけばデータは消えないこと、そして何故か、ドラえもんの設計者は、設計者の意向で明かされていない(超重要極秘事項とのこと)ので、連絡して助けてもらうことは出来ないようだということ。ただ、修理や改造は自由にしてよいとのこと。 のび太の心に、ドラえもんとの思い出が次々と蘇ってきました。初めてドラえもんに会った日のこと。数々の未来道具、過去へ行ったり、未来へ行ったり、恐竜を育てたり、海底で遊んだり、宇宙で戦争したこと。鏡の世界へも行きました。どれも映画になりそうなくらいの思い出ばかりです。 混乱と失意の中で、のび太は決断を迫られました。のび太はドラミちゃんにお礼を言い、そして「ドラえもんはこのままでいい」、と一言告げるのでした。ドラミちゃんは後ろ髪をひかれる思いでしたが、何も言わずにタイムマシンに乗り、去っていきました。のび太、小学6年生の秋でした。 あれから数年後・・・。小学生の頃、成績が悪かったのび太ですが、彼なりに必死に勉強しました。そして中学、高校、大学と進学し、確実に力をつけていきました。外国留学から帰国したのび太は、最先端の技術を持つ企業に就職し、ある程度の成功もしました。しずかちゃんはそんなのび太と自然に恋に落ち、めでたく結婚しました。そしてとても暖かな家庭を築いていました。 のび太はドラミちゃんが去ってから、「ドラえもんは未来に帰ったんだ」とみんなに告げていました。いつしか誰もドラえもんのことは口にしなくなっていました。 しかし、のび太の家の押入れには、ドラえもんが眠っていたのです。あの時のまま・・・。 そして今、のび太は技術者として「ドラえもん」の前にいるのです!そうです、「ドラえもんを治したい!」、その一心でした。人間には、その人の一生を変える出来事があるといいます。のび太にとっては「ドラえもんの電池切れ」がまさにそれでした。「修理が可能であるならば、僕の手で・・・。」それが小学6年生の、のび太の原動力となったようです。しずかちゃんが自宅の研究室に呼ばれました。誰も絶対に入ることを禁じていた研究室でした。中に入ると夫であるのび太は微笑んでいました。「ドラちゃんなの・・・?」「しずか、こっちに来てごらん。今、ドラえもんのスイッチを入れるから。」 頬をつたう一筋の涙。しずかちゃんは黙ってのび太の顔を見ています。この瞬間のため、まさにこの為にのび太は技術者になったのでした。何故だか失敗の不安はありませんでした。こんなに落ち着いているのが変だと思うくらい、のび太は静かに静かに、そして丁寧に、何かを確認するようにスイッチを入れました。 ほんの少しの静寂の後、長い永い時がつながりました。「のび太くん、宿題はすんだのかい?」 ドラえもんの設計者が謎であった理由が、明らかになった瞬間でもありました。(つづく)
October 8, 2006
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Vol.44~コラム・・・「ファイト!」~下記の詩は俺の教室にいる受験生向けに用意したわけだが、これを詠むと単に俺自身が元気になるってだけのものばかり集めたのかも・・・世の「頑張れソング」の大半は好きじゃないんだけど、例えば中島みゅきの「ファイト!」なんてのは、世界一の頑張れソングだとつくづく思う。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 受験直前の生徒、終了した生徒、合格した生徒、残念ながら第一志望に入ることが出来なかった生徒、またこれから新しい環境に挑戦していくであろう全ての学年の生徒に、いくつかの詩を贈ります。ファイト!「一歩を」花を咲かせるにも種をまかねば駄目なのだ土がどうの 場所がどうのと考えてばかりいてもその時期は過ぎていくばかりだから小さくてもいい思い切って一歩を踏み出すことだスタートがなければゴールだってないのだから「生きがい」どの道を選んだかによってよりもそこでどれほど精魂を傾けるかに人生の生きがいがある左に行くのが得なのか右に行くのが楽なのかそんなことだけに生きている喜びがほんとうにあるのだろうか「七転び八起き」倒れたとて弱いのではない倒れないから強いのでもない倒れるまではみな同じ真の強さは倒れた時に見えるもの真の力は倒れた時に湧き出ずるもの「飛翔」たとえ不満足な結果しか得られずとも力を尽くせたことに満足したいたとえ小さな結果しか得られずともそれは素晴らしい一つの収穫でありステップへ、ジャンプへとつづく確実なホップであることを自覚したい「ファイト!」戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう冷たい水の中を震えながらのぼって行けファイト!(つづく)
October 4, 2006
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ああびっくりした。一万文字超えてたんだ!(笑)。初の二回分け!?、続編じゃなく、仕方なく分けざるをえなかったというブログ。 くれぐれもこの新しいほうから読まないようにしてください。さあ、まずは一個前の文章から、張り切って読んでもらい(笑)、その後、以下に行ってください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(前回からのつづき) 例えば、俺が今後突然とある世界でそこは「腹筋を500回やらされる」場所で生きていかなきゃいけなくなったとしょう。なんだそりゃ(笑)。そして、ここの世界(どんな世界よ)には俺のほかにも人がいる場合、腹筋500回という数値は物理的・人間生理学的に不可能なことではないんだというのが、わかり安心する。そこにいる人がどんなに死にそうに苦しい!とか絶望的な顔をしていても、死にそうであって死んでいないならば、とりあえず安心する。 ここの世界というのが仮に運動部のシゴキとか刑務所の刑罰の一貫とかだとしたら、それは当然、厳しくてナンボなわけだから、一筋縄ではいかないレベルなんだろうけど、そのような行為の回数を決定する側が、いわゆるこの世界のスタンダード、いや「どうしようもなく辛い!」というレベルの中で結構ギリギリのラインの「スタンダード」というものを踏まえている、はずなのだ。そうじゃないと、この目的である「シゴキ」や「刑罰」は達成されず、死んでしまうからだ。だからもしこんな場面に遭遇した場合、「そんなの絶対無理!」とか「絶望だ」などという不安になることはないっていうこと。ちなみに腹筋500回っていうのは、俺は高校時代の部活で実際にやらされていた、やれていた、ことなので、当然、人間生理学的に可能であることは実証済みなのだが、今の俺にとってはもちろん「絶対無理!」って思いそうになるし(笑)、本当にどこかおかしくしそうだと思うんだけど、それでもやはり「絶対無理」とか「絶対的な不安」にはならない。そうだなぁ、結果的に「無理」かもしれないが、最初からどうしようもないほどの不安にさいなまれることはないってこと。そこに他の人がいて、達成している人もいる、または過去にはいた、という限り。この理論を踏まえる限り、未だ体験してない世界に入ろうが、不安や恐怖はない。あ、でも世界とはいえ外国ははずして考えてみたい。やはりこれらのスタンダードというのはそこの人間の文化とかが重要なバックボーンになるから。恐怖もない、といったが、例えば暴力団にしても、普通の「怖くないレベル」みたいなものがまず無意識にあって、それを踏まえていかに怖くするか、ということを追求した末の完成形だということを、まずこっちが自覚しているかいないか、ということで恐怖の質は全然変わってくると思う。 こう考えると、絶対的な不安や恐怖というものは、雪山の遭難等の自然相手や、熊に会うなどの動物系、またはどこか外国の人食い人種とか、はたまた怪獣とか・・・。つまり同じ文化にいる「人」が介在する世界においては煎じ詰めれば、必ずやそこにスタンダードが存在し、それを知りさえすれば、絶対的な不安や恐怖というものからは解放されるはずなのだ。 究極のプラス志向、思考、の斎藤一人さんが、「困ったことは起こんない」というのも、きっとこういうことなんだろうと勝手に思う。 だいたいにおいて人が悩んだりすることっていうのは、スタンダードが存在し、人が存在する中で起こることに関する悩みであり、さらに自分の身近に起こっていることであるはずだろうから。 例えば俺が「総理大臣にどうしてもなりたい、どうしたものか」っていうことになると、かなり今までのスタンダードから外れ、チグハグになり、不安、諦めへと続いていくのかもしれない。でも、だいたいにおいて、人が悩むことはもっと身近なことだ(笑)。だいたいが自分自身が学校に通っていた頃のクラスメートみんなが織り成すレベル内での話、とでも言おうか。だからこそ悩むんだよ、という意見があるのもわかる。 人は女優やアイドルに恋の悩みを持ったことはないけど、クラスなり職場なり、何らかの人間関係の中で人を好きになり、恋をして悩むことのほうが多い。それももちろんわかる。ではこう考えるのはどうだろう、それは確かに「悩む」のだろうけど、何の手の施しようも無い「絶望的」なことではないはずだ。「絶望」っていうものは、もっとどうにもならないこと、悩みようもない次元のもの、それが突然自分の身に課された場合、やらざるをえなくなった場合、その時「不安」や「絶望」が顔を出す。そう、女優やアイドルに恋をしたほうこそがこれに近い(これにしても完全な「絶望」ではないのだが)。だから矛盾するようだが、「悩める」ような世界の場では「不安」「絶望」は無い、というのがここで俺が言いたい発想。これらのことを踏まえて言える。「困ったことは起こんない」と。 このたび俺は脱サラし、起業しようとしている。 今の時代、世の中の飲食店の7割が廃業に追い込まれ(賃貸料がなく自己所有物件というだけで、なんとか損益分岐点は超えているという店を含めると、実に9割の店は赤字)ている中、「だからやめといたほうがいい」という考えに現在なっていないのも、これらの大発見によるものである。 飲食業界でのスタンダード、黄金律、なるもの(例えばクオリティー・サービス・クレンリネスなど)を踏襲することで、くどいようだが本当に実践することで、廃業になることはないだろう、という自信、確信が持てるようになった、というだけでも大きいことだと思う。世の中の喫茶店の7割以上はこれらQ・S・Cのどれかは欠けている。これは実際に俺がカフェや喫茶店を何件も何件も行って、この目で直接確かめたことである。まさに確率どおりなのだ。 「廃業にならない」なんて、人によっては妙に後ろ向きだと思う人もいるかもしれないが、規模の大小は違えど、「廃業にならない」、「ビジネスを継続させる」ということが、起業を志す人全員の最初のテーマでであると思う故、俺にとってこの自分なりの「相対性理論」の発見は本当に驚異であった。多くの人は、そんなことは知ってるんだと思う。そして、特にそれが自信につながったりはしないのだろう。きっと、俺は元来ものすごい「不安がり」だっただけなのかもしれない。でも、とにかくこの発見によって自分自身の精神が強靭になったのは確かなのだ。ほらね、やっぱりピンとこないでしょ? 実はもっともっと言葉を必要とするほど深い話だと俺は思っているんだが、あんまりこのことを頑張って表現することに労力を割かなくてもいいと思うし、でも、今回こうして半端なりにここに書き留めておく機会があっただけでもよかったと思う。(つづく)
September 28, 2006
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Vol.43 「大発見!我が相対性理論」 前回「大発見をした!」といったことを書きたい。おそらく大半の人は「そんなことはあたりまえのことだ」とか、「それがどうしたの?」みたいな感想になると思うのだが、まぁいい、少なくとも自分自身にとっては凄い発見なんだから。 アインシュタインの「相対性理論」っていうのがいったいなんなのか、全くわからない自分の無知を嘆いてしまうが、これとは全く違う自分の中での「相対性理論」っていうのが、自分の中での大発見である。今回は完全に自分だけの大暴走の文になることをここに宣言しておきます。 世の中の様様な事柄は「相対的」なことにより、その世界での「スタンダード」が生まれる、ということ。例えば学生時代の勉強内容、テスト問題。ここで言いたいことは「相対評価」などという成績のことじゃない。 先生がテスト問題を作成するとき、平均点が60点~70点の間になるのが良い問題とされる。じゃあそのためにはどんな問題にすべきなのか、それは先生たちの長年の経験なり、現場の感覚なり、で決めているかのように見えるが、市販の問題集や参考書にしても標準的なレベルというものが暗黙のうちに出来上がっている。別に不思議ではないのかもしれないが、よくよく考えるとやっぱりこれは非常に不思議なことだと思う。標準的なレベルって何よ。どうしてこのへんから先のことになると「発展」とか「応用」って呼ばれるのよ、いつ決まったのよ。どうして子供たち側もうまい具合に(大量の集計、統計をとると)平均点60点~70点になるのよ。っていうこと。 これはその時代・学年の子供がおくる生活リズムや文化に起因すると考える。だいたい何時に起きて、寝て・・・そんな単純なことではなくて、だいたいはこういう息抜きをして、こういうテレビ番組を見て、こういう話題をし、こういう人が好きで、こういう人が嫌いで、こういう悩みになり、こういうトラブルになり、こういう解決をし、こういう病気になり、怪我をし、感動し、爆笑し、興奮も快感もあり、ありとあらゆる無数の出来事が相対的に機能し、ある平均的、標準的、とよばれるものがその時のその世代の人の間でひとつのベースとなり、それをもとに簡単、困難、苦楽、優劣、正常、異常、といったものもいつしか決まっている、という考え。今挙げた中で「善悪」は入れなかった。善悪も特に時代などに左右されるという考えもあろう、でもこれら善悪に関しては、ぜひとも絶対的であってほしいなぁと思う。「戦争=悪」「犯罪=悪」など(悪ばっかりだが)は時代も相対も超えて「悪」であってほしい。話がそれた。こういったことがベースとなり、テスト問題のレベルなどはだいたい全国区でいつのまにか標準化が起こる。いやいや地域や人それぞれでたくさん差は生まれてるよ、という人もいると思うが、でもそういった差はこれらの何とも言えぬ多くの要素が結集された結果生まれた標準化がベースとなって、それを踏まえての「差」にすぎない。さて、今述べている話を敢えて思いっきり簡略化、単純化してみる。このようにして決まったその学年のスタンダードレベルを上回るには、何かでどこかで平均部分を上回ることをすればいい。これまた単純な例を出すと、睡眠時間の平均が仮に8時間の学年の生徒が6時間の睡眠で、この短縮された2時間をそっくり勉強オンリー(他の要素は絶対含まない)に組み込んだ場合、この生徒は間違いなく得点が上がる。敢えて言い切る。絶対に上がる。でも上がらない生徒がいる。これは短縮した睡眠時間以外のどこかで(実はその分テレビを二時間見てた、睡眠を削ることで身体を壊したなど)平均以下のことをしていたに過ぎない。 「なんだよ、結局、普通よりも頑張ればいいってことじゃん!」って言われれば本当にそれまでなんだけど(笑)、この「普通」とか「標準」っていう概念を、あらゆるシーンで意識することの重要性を俺は痛感するようになった。 仕事においても、数値的な結果が問題となる場合、標準的にやるべきことを標準ジャストのレベルでやれば、結果もほぼジャスト標準になる。う~ん、こうやって書くとやっぱり「標準的」でつまんないことになってるなぁ・・・。やっぱり伝わんないかもなぁ・・・。伝わんなくても全然いいや(笑)。 じゃあ休日出勤をして人一倍、労働時間を延ばせばその人の仕事成績は上がるか?その他の要素が他の人と一切において同じである場合、成績は上がる。と断言しよう。でも、休みをとらないがために何かで支障をきたし、ストレスや人間関係、「付き合い悪いなぁ」「仕事と私どっちが大事なの」「今ごろ日本代表の試合テレビでやってんだよなぁ」などのことがマイナスとなり、労働時間のわりに結果がイマイチだったりする。そもそも週に一回なり二回なりの休日っていうのも、いつのまにか出来上がった何ともいえない国家的スタンダードなわけで、この標準的感覚でおよそ人というものは動いている。 いつのまにか生まれたこれらの標準的感覚のひとつひとつが出来るまでのプロセスに思いを馳せる(?)と、本当にいろんな要素が複雑に絡み合って生まれたことなんだなぁ、と思ってしまう。需要と供給のバランスで、適正価格っていうものがいつのまにか生まれている資本主義経済界のあまりにも劇的な構造に近いものがある。 学校なら学校で、職場なら職場で、ある世界に身を置けば、その世界の「スタンダード」というものが見えてくる。職場でよくいわれる「あたりまえのことをあたりまえにやる」ことや「基本を大事にする」ことは、俺の経験上、決してスタンダード、平均値には実はなっていない。それを本当に実践しているならば、確実にそこの世界では平均以上の結果になる。人間というものはそれほどにやはり怠惰であり弱いものだと思う。実際俺は自分がいた会社、あるいは業界のスタンダードとよばれることを確実にやりきろうということを自分に課した。それだけで簡単に平均はクリア出来た。ただ実践するのが簡単ではなかった。おそらく同じ会社にいたほかの多くの社員もわかっちゃいるはずのごくごくスタンダードなこと。でもこれを実践することのなんと多くの障壁があることか。 この「そこの世界におけるスタンダード以上のことをやれば、平均以上の結果に必ずなる」という、あまりに素朴な考えは、俺の中でいろんな不安を払拭してくれて、かつ強烈な自信となりえたものである。そしてこれらのスタンダードの多くはセンスや才能といった曖昧なものじゃなく、「それを本当にやるかどうか」という一点で成し得てしまうことなのだ。言うは易し行うは難し。だが、このことに一抹の不安もなく、意識していることだけでも、今後の人生相当違うと思う。 自分の中で、これらのことの具現化としては、過去にさかのぼると、1500メートル走の記録、大学受験などがあげられ、これらのことは「やる前」は明らかに並以下、平均タイムや偏差値にすると50以下だった自分が「やる(走りこむ、勉強する)」ことで、クリア出来た。 しかし、ビジネスの世界で、特に長いことフリーター(ニート!?)だった俺はやはり劣等感満載だったわけで、自信となる根拠すらない状態だった。 でも、実際に社会人を体験してみて、その世界のスタンダードをまずは目指し、その後そのスタンダード以上のことをやればある程度は「優秀」という判は押されることもわかった。じゃあ、この会社を辞めた今、新たな職場に行った場合、今度はどうなるかわからないじゃないか、とはもう思わなくなったのだ。これら「相対性理論」を意識することで。職場のみならず、世の中のほぼあらゆることに対し、不安がなくなるという、まさに俺にとっては信じられない大発見なのだ。 ------------------------------------------------ とここまで書いたらなんと字数オーバー! そんなわけで、つづきます。すぐに次にいきます。
September 28, 2006
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Vol.42「最終決戦」 前回、11月から「最終決戦」が開始する、と言った。何故11月か?冬期講習のコマ数を決める定例保護者会というものが、11月に始まるからである。 10月末あたりに、講師たちに「11月からは面談席に缶詰になり、なかなか教室全体に目が届かないことも多くなると思う。でもなるべく多くの授業数を確保することも相当重要なことなので、このことに関しては俺に任せてほしい。そのかわり、当分の間、教室内のことを全面的に任せるので、よろしく。保護者会が進むにつれ、生徒の口からも「コマ数多いよ。金高いよ。」っていう言葉が出るかもしれない。俺も講師時代にそうだよね高いよね、っていう言葉で何度も同意しそうになったものだけど、それはやはり保護者との間で了承がとれているならば、こっち側が言うことではないと思う。同意してもいいけど、「そうだよ、高いんだからしっかり無駄にしないように頑張ろうね」っていうようにして、更に講師のみんなには同じような考えのもと、一回の授業を無駄にしないように頑張ってほしい。協力よろしく!」というような、非公式ミーティングのようなものを行い、講師たちの協力を仰いだ。 そして保護者会を迎えるにあたっての「定例保護者会のお知らせ」というものを配るのだが、古くからいる生徒の家などは、「保護者会に出席する=講習をたくさん取らされる」という考えに結びつく保護者もいて、欠席にマルをしてくる家もあり、そうでなくともそのような気持ちで保護者会にのぞまれる時点で、良いことではないので、何か打開策が必要だった。どうしても保護者会に出席したくなるような案内にするべく、自分が親の立場で心底これは出席しなければ、と思うような案内・・・考えた挙句、以下のようなガイドラインを案内に同封することにした。―――――――――――――――――――――――――― ~受験相談会(三者面談)のガイドライン~来る11月より高校受験生を対象にした「受験相談会」を行います。つきましてはその内容のガイドラインを一部ご紹介しておきます。学校での三者面談とは一味違う、より具体的に受験への戦略的なことも踏まえて、深い部分をお話します。必ず(生徒本人も)参加されるよう宜しくお願いします。・ 県立高校入試過去5年間の傾向とポイント(科目別)・ 倍率は最終的にどうなる?・ 調査書の中身はどうなってる?・ 学校の先生に志望校のレベルを下げるように言われた生徒はどうすればいいの?・ 私立との併願について・ 教達検、通知表、入学試験の重要性比率はどうなっているの?・ 結局のところこれから何をどうするのが最もいい方法なの?この他にも「学区について」「専門教育学科及びコースについて」「推薦について」「再募集について」など、必要に応じていろいろとおこたえしていきたいと思います。―――――――――――――――――――――――――――――――― かくして、受験生の保護者は一人の欠席もなく、本当に都合がつかない保護者が「土曜日の夜遅くしか行けなくて、でもどうしても参加したいのでなんとかなりませんか?」など、ありがたい言葉ももらえたりした。 そして始まった受験生の保護者会。今回は生徒も同席するので、「家に帰って本人と相談します」などの講習コマの保留といったことがなく、全てその場で決着をつけていった。この講習申込書にサインをしてもらう時に、授業を無駄にしそうな生徒に対しては、「いい?今こうやってお母さんが申込書にサインしてるこの場面をよく見ておくんだよ。学校と違って塾はお金がかかってるわけだし、そんな中お母さんが申し込んでくれたこの瞬間をいつまでも忘れないようにね。そう、本当にいつまでも。高校に合格したあとも、自分が大人になって稼ぎが生まれたあとこそ忘れずに思い出してほしい。」 明らかに今までの保護者会とは違う、生々しい話などを交え、本音でエモーショナルに行うことで、生徒自身の顔も引き締まっていくのを感じた。 一年前の冬期講習も我が教室は目標達成が出来て、山梨の中では一番の成績をあげることが出来たが、東京の教室に比べればやはりまだまだ、全然であった。東京の達成教室っていうのは受験生の保護者会だけで、既に目標達成を完了してしまって、受験生以外の生徒は逆にあんまり講習を受けていない、というところも多かった。 今回の富士吉田も受験生だけではまだ目標に届かなかったので、鍵を握っているのは受験準備性と呼ばれる中二、高ニ生への対応だということは感じていた。 授業を無駄にしそうな生徒には受験生と同じように保護者会に同席させて三者面談の形にした。そして、やはり受験生じゃないところの保護者となると、危機感がない家が多く、コマ数提示も合計金額からの逆算が必要だと思った。本部的にはこういうやり方はよくないことで、生徒のことをまず考えて、納得いくコマ数をまず提示しなきゃ!っていう教えであるわけだが、それで何十万もの金額になり、とても払えませんとなって、だんだん回数を落として、両者が落としどころを探る、みたいなやり方のほうがよっぽど感じが悪い気がしてた。 だんだん落としていけるなら、最初からそんな提示するなよ!って俺が親ならやっぱり思うし。 俺は中二、高ニ生の講習時の授業料引き落としを何とかして10万円未満にすることを出発点にした。講習費の他に通常の授業料(富士吉田の場合、週に3回の生徒が一番多かった)や維持費やテキスト代もあるわけで、それを考えると講習コマ数は24回(6万円)にすることで、総計9万8千円となった。 使用するテキストの目次の中から本当に必要だと思われる項目を24回の授業でまかなえるようなカリキュラムを予め作成して提示した。金額的に渋る家で、例えば「20回でなんとかお願いします」という家も少なくなかったが、そこでそれを受け入れてしまったら、何が何やらわからない、24回とった家は何だったのかっていうことになるわけで、俺は「こことここの単元を切ってその代わり絶対に自分でやることを信じたならば16回になりますので、それでいきましょう。そのかわり、このカットした8項目は本当に重要なことに違いはないので、自分でやるように、っていう言葉で終わらせたくはありません。つきましては半強制的自習として、塾に8コマ分の自習に来てもらいます。」というような削るなら削るでその根拠を明示し、値下げ合戦みたいなことにはしたくなかった。 一方、俺の中で受験情報の収集には、なりふりかまっていられなかった。この教室からは今まで受けた人がいない珍しい私立を受けようとする生徒がいて、俺はそこの高校に電話をかけて、「今度受験することになる娘を持つ親なんですがね・・・」という感じで、かなり年輩風の声色を装い(笑)、自分の生徒のためになることならウソだっていくらでもつくぜ!っていう気持ちで、微に入り細に入り、情報収集した。 保護者会が終わり、冬期講習が始まった。史上最大の合計コマ数になったので、生徒の時間割予定表の作成や毎日の座席表作成に大苦戦し、講師の絶対数の不足にも悩まされ、シフト調整には本当に苦しんだ。授業中は全体を見るためにも俺自身は原則として授業をしないように心がけていたが、そうも言ってられない事態も頻発し、結構授業もするようになってたが、それはそれで昔の講師時代を思い出す感じで懐かしかった。 そんなこんなで、毎日が必ず午前様となり、かつての大月で感じた、仕事が忙しくて死ぬかと思った、みたいなレベルに追い込まれることとなった。 大月のときは要領も悪く、わざわざ苦行の方に向かっていた感じだが、今回は全体の流れも熟知して、要領も得て、抜きどころも知ってる中で、敢えてマックスに仕事に専念したらいったいどんなことになるのか、という、仕事人としての自分の限界を見てみたいっていうのがあったとも思う。 最終決戦の結果として・・・~2005年9月~2006年2月末までの半年間で~・一ヶ月あたりの平均売上¥4048000・一ヶ月の生徒一人当たりの単価¥42543・ 平均生徒数95・2人(前年比141.4%)・ 冬期講習目標達成率112.2%冬期講習結果に関しては、山梨の他に群馬、栃木、茨城の計4県の北関東での総合売上第一位。東京も含む我が会社のグループ(50教室)全体で第五位。ということになった。本気の本気になった人間がイマイチな結果になったら悲しかったけど、自分でも納得の結果とそれに対する評価が与えられた。 それにしてもこれだけやっても我が会社内では5位っていうのは、東京の教室ってのははいったい・・・。まぁ我が会社で5位っていうのは全国でも5位とも言えて、いや百歩譲っても10位には入るだろうから、1550教室の中のベスト10入りは良しとしよう。 かくして、俺のサラリーマン人生最終決戦は幕を閉じた。そして、仕事をしてきた中で、とんでもない大発見をした。このことに気付いただけでも、サラリーマン時代に意味があったと言えるし、それは俺の中で、今後の人生にも大きく影響を与える大発見だった。(つづく)
September 21, 2006
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Vol.41「史上最大の作戦」 来年の3月で退職する俺は、11月より突入する「最終決戦」に向けて、史上最大の作戦を練っていた。 って、何のことやらって感じだと思うので、詳しく述べよう。我が会社のいわゆるボーナス査定というやつは、なんてことない結局は夏期講習と冬期講習という、年に二回の数値達成率による算定が全てといっても過言ではないものであった。過去の実績とか、努力賞とか、リーダーだから(リーダー手当てはスズメの涙)とか、一切関係なく、数値達成により、それこそタクシーのメーター的に変わっていくものである。 この目標数値のハードルがどれだけ高いものかを言い表してみると、全国に1500以上ある我が塾の室長達全てにこの数値を当てはめると、8割、いや9割近い室長達はボーナスはゼロになる(笑)、という(全国的に見ると)果てしない数値である。ちなみに目標達成出来なくてもボーナス発生開始にはなるが、そのボーナス発生開始の数値までに我が会社以外のオーナー教室のほとんどは届かないということである。 まぁでもこれはトップメガフランチャイジーに属してしまった運命として、受け入れるしかない。実際、我が会社内では最終的に多くの教室がズバズバ目標は達成していたわけだし。ただ、目標達成教室のほとんどはやはり東京の教室が占め、山梨や静岡は苦戦を強いられていた。 いいわけはしたくないが、こういう時やはり地方はいろいろと不利なのは確かである。これを如実に表してるいい例として、去年の夏期講習達成率第一位だった高島平駅前教室の室長が、今年静岡の第一号として伊東駅前教室に異動になり、いきなりビリになった、というわかりやすい実例がある。 山梨もしかりで、不利なのは否めないが、まぁその分例えば生活するにあたって、家賃が安いなどのメリットはあるわけで、考え方次第かなとも思ってみたりもした。 今、こうして「ボーナスは完全成果主義」みたいなことを述べているが、そういえばボーナスだけじゃなく、毎月の給与も基本給に加え、かなりの部分が「成績考課」や「情意考課」といった査定があった。俺は「成果主義」そのものには特に異は唱えないつもりだが、ものすごい謎なのがこの中の「情意考課」というやつである。「成績考課」というものは「生徒数」や「単価」や去年との伸び率など、数字で出るからそれなりに客観性があり、俺も納得できたのだが、「情意考課」というやつの中には、例えば「会社の経営理念をよく理解し、その上で仕事に取り組んでいる」という欄があり、10点満点での採点になっているのだが、どう考えても毎月(ワンシーズンなどの期間でならまだわかるが)室長何十人分のそれを正確にジャッジ出来る術はないだろうと思うし、極めつけは「教室の清掃、整理整頓、掲示物など環境整備に気を配っている」という項目があって、富士吉田教室に丸一ヶ月間本部の人から他の室長から何から誰一人来なかったという月は何度もあったのに、毎月これに対して評価が変わるのはお笑いである。 幸いに俺への査定は結構評価してもらっているようだったので、文句言うのも変かもしれないが、教室内清掃に特に燃えて、大きな模様替えをはかった月に誰も教室に来なくて評価が変わらない月があるっていうのは、モチベーションが下がる室長も多いはずだし、明らかに査定内容が形骸化している。 話がそれた。そんなわけでボーナスを手にするには毎回の講習を頑張らなければ冗談でもなんでもなく、収入はなくなるから、それはそれはみんな真剣である。俺の貯金にしても結局年間にするときっちりボーナス分がそっくり貯金出来てる計算になってて、なんだかんだで月給は消えてなくなっているという結果になっていた。特に最終年のこの時はなんだか出費が多かったのか、相当ボーナスで稼がなければ年間目標額に届かないという状況でもあったので、ますます燃えた。 ところで、こんなことばっかり書いてると、生徒の学力のこととかが置き去りになってる、と思われるかもしれないが、ここで以前に述べた「矛盾」との戦いが始まるのだ。 もちろん、完全なる矛盾ではなく、基本的には「講習コマ数が多い(勉強する時間が多い)=学力が上がる」というのが大前提としてあるわけだから、講習コマ数を獲得するという経営努力は生徒の学力アップ及び家庭の希望と合致する。 しかし前にも述べたとおり、この理屈だけでその他の一切の要素を考慮しないというのは健全ではないと思う。いろんな矛盾点とせめぎ合いあいながら、最良の結果にしたい、そんな理想に向け自分自身が納得するための最終決戦にしたかった。 例えば、めでたくコマ数を多く獲得したとしても生徒本人がイマイチやる気がなければ、どうにもならないし、お金をドブに捨てることに等しい。 そして、実際に授業をする講師側全員に「なんとかして学力をあげてやろう!」という気持ちが浸透しなくてはいけない。 ごくごく当たり前のことばかり言ってるようだが、これらに対しての解決策はこれまた当たり前すぎることだが、熱意を持って「生徒・保護者・講師」に話をするほかない、というのが、史上最大の作戦である。それだけかい!(笑)。いやいや、詳細は次号で。(つづく)
September 18, 2006
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Vol.40 「辞意表明とその後」 宮路部長という人がいて、思えば常に俺の上司だった人であり、大月の時から、随分俺のことを高く評価してくれていた。目立たぬ部分にもスポットを当てて、大月や富士吉田の教室のことを東京の教室にも紹介してくれ、モデル教室のように取り扱ってくれた。多くの子供達がそうであるように、俺も誉められて伸びるタイプである(笑)。34になってから就職し、社会に通用するのかどうか不安とともに、自分なりに全速力で全力で、取り組んできたことを、しっかりと評価してくれたことがどれほど自分の自信につながったことか。 2005年の3月、宮路部長に「現在の中2生というのは私が富士吉田に来た時の中1生で、この子たちが受験生となり入試が終わる来年の3月に、私はこの会社を退職しようと考えています。30過ぎまで実務経験ゼロで音楽ばっかりやってきた人間を迎え入れてくれたこの会社には本当に感謝してます。せめて今後の教室に起こる混乱や弊害を最小限にするために、一年前の今の時期から部長の耳には入れとこうと思いました。」と言った。 かなり切実に引き止められた。部長は、「赤澤さんは絶対にいなければならない存在。山梨全体を大きくするためにも会社にとっても絶対必要です。」というありがたい言葉だった。「生徒のために」とか、っていう引き止めフレーズじゃなく、結構直球で「いなくちゃまずい!」と言ってくれたことは、ありがたいことであり、心苦しいことだった。 部長自身のこともいろいろと、さらけ出して話してくれた。そんなこと言っちゃっていいの?っていうくらいのことまで、話は多岐にわたり、話し合いは3時間以上に及んだ。 それから半年が過ぎたある日、専務から食事に誘われた。そして、かなりの驚愕話が専務の口から出た。「来シーズンから、赤澤さんには、H町教室で室長をやってもらおうと思ってます。」という話が出た。 H町教室・・・、言わずと知れた全国No1のキング教室。入社したての右も左もわからない俺が最初に机を拭いた教室。政治結社団体が来るほどの教室。居場所がなく、ひたすら雑用に励んでいた教室。社長がどん底から起業し、最初に作った教室。この教室の意味することはどれだけ深いことなのか、もちろん俺は知っている。インパクトありすぎの人事異動話だった。 話そのものはひたすらありがたく、すごく高い評価をしてくれているんだということには感謝しきりで、それこそ人生が二度あったら、間違いなく受けてたち、でも一生の仕事ではないけど、その後数年間は自分の力量を試してみたかった。 でもあまりにも少し会社側も俺を買いかぶりすぎというか、いやそれよりも辞意表明がトップに知れ渡り、それゆえの措置だったんじゃないかと思う。辞意表明は部長にだけして、全然正式なものではなかったが、トップまで話がいったことだけは確かである。それを専務はまだ知らないという設定で、お互いに話が進んでいくという、実に大人の(?)探りあいみたいなランチとなった。 経営陣の方々は、おそらく俺が「今いる場所(山梨)が不満で物足りない」、「給料が不服」といった理由が根底にあるんじゃないか、と思っていたような気がする。確かにH町教室長に就任したならば、これら二つのことは大きく改善されるのは事実だ。でも、俺の考えは全然違うんだよなぁ、と思いながらも、まぁ火が出るほどの忙しさの中で仕事人としての自分の可能性を試してみたい、ていう気持ちは多少あり、自分の先に具体的な夢や目標がその時になければ、気持ちは大いに揺れていたのかもしれない。 なんだかんだと、いろんな引止めにあい、何より板ばさみとなっている宮路部長に申し訳なかった。この話は他の教室長に対してはずっとシークレットで、その後、他の教室長が辞めたい、という場合の引き止め役を俺がしたりもしていたほどだ(笑)。 でも俺の決意もこういったことによって意志が覆るほど軽くはない。来年の3月まで。これを変える気はなかった。そして9月になり、最終クール(うちの会社は3月と9月が半期)にさしかかった。 辞めることを決めた人間がグダグダになり、無責任になるっていうのはカッコ悪いし、何より自分の中での仕事上の限界点を見て、そこに到達して辞めたいというのがあった。 最後の半年間を俺は「最終決戦」と呼んでいて、ただならぬ決意で仕事に埋没した。(つづく)
September 15, 2006
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Vol.39 「一生の仕事」 ここ2,3回は「仕事上の矛盾」的なことを述べてきた。あらかじめ強調しておきたいのは、これらのことが原因で、「こんなんならCAFÉでもやろう!」って思ったわけではないということ。 CAFÉのことは3年以上前、完全に仕事が軌道にのった頃に決めてたことだし、もともとこの仕事が「一生の仕事」とは思ってなかった、ということも既に述べた通りである。 ここでは、じゃあ何故「一生の仕事」とは思えないのか?ということを述べることにしよう。教室長の仕事は自分にとっては実にピッタリだったなぁ、と今でも思う。いわば雇われ店長みたいなもの、いやまさしく雇われ室長というわけで、本部の管理下に置かれるのは確かなのだが、実際のほとんどの一日は、上からの目を気にすることなく、自分が采配を振るい、教室をプロデュースし、運営していく、というこの仕事形態はかなりの自己責任は伴うが、こういう仕事のほうが断然俺はおもしろいと思った。 人生がもし二度あれば、いや二度でもダメかもなぁ、もし三度あるならば、俺はこの仕事をずっと続けていたのかもしれない。「たられば」話をしてもしょうがない。人生は一度。だからもっと自分が思いきって、直接的に物事に関与し、己の意志を貫き通して人生を終えたいなという思い。単純な話だが、これが俺が考える「一生の仕事」のすべてである。 年末に行われる塾の全国総会というもので、生徒数や売上による表彰というものがあって、千人以上収容のホテルの「飛天の間」だかなんだかという広間の大画面に、表彰される教室名と、オーナーと教室長の写真が映し出される。毎年これらの写真を見てるとまた矛盾というか違和感というかを感じてしまう。オーナーに対して各教室長のみんな若いこと若いこと。 教室長はあたかも自分が表彰されているかのような気になってるかもしれないが、ここで表彰されているのは教室長じゃなく、オーナーなんだってことを若者達(?)はわかっているのだろうか、これらの教室長たちは果たしてどのように自分の人生を考えているのだろう、とぼんやり考えていたものだ。なんて、俺も随分年寄り風な物言いだ。 まぁ、全国表彰の上位30位(1550教室中)があるとするならば、そのうちの20以上は我が会社のグループが独占という、本当に驚異的なグループが我が会社であり、だから最後の上位ランキングになると、オーナーの写真はずーっとうちの社長っていう現象が毎年起きており、全国の他のオーナーさん達は半ば諦めていたようだが。 話がそれた。自分の仕事を「一生の仕事」へとシフトするべく、退職する日が来る。でもその前に「辞意表明」というものを、その後の会社に迷惑のかからないように、なるべく早めにする必要があった。就業規則には「退職の意向は一ヶ月前までに」(法的には10日前だっけ?)となっていたが、俺は一年前に部長に退職の表明をした。(つづく)
September 12, 2006
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Vol.38 矛盾と向き合い、もがく 大学卒業後すぐには就職しなかった俺は、引いた立場で新卒で就職していった友人を見ることができた。もうかなり昔のことだが、男にして呉服屋に就職し、営業担当になった知人がいた。彼と呑んでる時、俺は「着物って、一回売れたら同じ人が次に買うことが当分ないっていうのが辛いとこでしょ」っていう素朴な疑問を投げかけたことがあって、その時の彼のセリフは、「着物っていうのはさ、必要なものなんだよ。季節にあわせてもそうだし、多くの種類を持ってないといけないものなんだよ。そういう人はちゃんといるし、それが俺のお客だし、本来一般の人もみんなそうならなきゃいけないと思うよ。」というものだった。 彼は非常に素直で、真面目なタイプであるだけに、このような考えになったのだと思う。彼を非難するつもりは全く無いし、それにこれは全くの正論にも聞こえる。 しかし、俺は敢えて言いたい、あくまでも予想にすぎないことではあるが、そして彼に失礼なことだが、彼は本当の本当、根源的にはここで言ってるほどの着物の必要性は感じていない、いや感じていなかったはずだ、といっておこう。 確かに彼が営業の場や顧客相手に話しているわけでなく、男の俺に対して(あたりまえだけど)着物を売ろうなどという考えは全くなかったろうし、これは何の利害も絡まない呑みの席での彼の意見である。彼のこの言葉に偽りはないのだろう。そして、彼はこのとき本当にそういう人になっていたのも確かだと思う。 でも、だからこそ俺にとって、それは違和感となって残った。 彼が昔から呉服業界一筋を目指していたわけじゃないことはわかりきっている。つまり、この呉服屋に就職することによって、後天的にこのような考えになったということだ。 これももちろん悪いことでもなんでもない。会社にとっては初回研修大成功といったところだろう。彼にとってもある種の使命感、生きがいをもって着物の営業をしてるわけだから、彼自身の精神的にももちろんいいと思う。 ただ、もともと根源的にはそういうことは思っていなかったわけだから、やはり会社や上司が研修でいろいろと言うことに対して、どこかで自分がこれを心底受け入れることでアイデンティティークライシスから無意識的にも逃れたんだと、俺はどうしても考えてしまう。 彼のようなタイプを他にもたくさん目にしてきた。本屋に勤めることになってから、「本というものは・・・」というような自分なりの哲学を持ち始める人や、「保険というものの素晴らしさというのはね」っていう言葉が本当に本音の場で出てくるのである。何度も強調するが、これは全然悪いことではない。が、根源的な自分の思いにそむくことなく、疑問を投げかけ、矛盾を胸にしまったまま、仕事をし続ける、ということも深い意味での自分の幸福への使命感や生きがいにつながるのではないかと思う。 矛盾をもちながらも自分のやってる仕事に自信と誇りをもってやることは出来るはずだ。前述の呉服屋の彼のような境地(?!)に入るほうがきっと、本人もラクだし、仕事成績も上がるし、会社側もそういう人たちで埋め尽くしたいと思っているにちがいない。 しかしそういう人たちで埋め尽くされた場所というものは「会社」ではなく「宗教組織」だと思う。 かなり粗暴な意見なので、多くの反論や批判ありそうだが、俺にとっても今回のこの文章の内容にある考えは相当重要なことなので、考えを変えるつもりはない。 夏期講習のコマ数は講習案内(リーフレット)に「100回」とか「140回」などのコースが書かれてあり、そういうコースを室長は保護者や生徒に対して提示する。中三生の授業単価は2750円だから、100回であれば27万5千円ということになる。これが高いか安いか、という考えはここではしないでおくが、会社側は「生徒のためを思って、回数提示はするように。そこの家計が苦しいとか、所得とかを考えて回数提示するなんていうのは、逆に失礼。あくまでも生徒のために、自信をもって提示すること」という教えだった。 確かに一理あるのだが、そもそもこの100回や140回の回数そのものにどれほどの根拠があるものなのか、俺の中ではまずこの点が大いなる矛盾点であった。俺の中で大前提としてあるのは、とにかく「最大限に塾に来て少しでも多く勉強するように仕向け、学力を上げる」ということ、だからこそ俺も最大限のコマ数提示をし、結果的には山梨の他のどの教室よりも100回以上のコマ数の生徒が多いということにはなった。でもこの「最大限」というのは「生徒のやる気」だけを問題にすることではない。当然ながらボランティアではなく、費用がかかる話なのだ。こっちとしても仕事であるし、生徒の成績も少しでも上げたいとなると最大限勉強してほしいと思うし、家計における教育費の割合も最大限に上げたいと思うので、当然家庭の負担は相当なものとなることを承知で、保護者とはお話をするのだが、そこの家の状況とか、家計とかも無視してはいけないとやはり思う。山梨の他のとある教室で、給料が9万円の家庭が10万円以上の授業料を未納してる、という例もあった。 俺みたいにいろいろ汚れている(笑)教室長ではなく、純粋かつ熱血な新卒の教室長が、会社の研修を受けたりして、先の「とにかく生徒のために」ということで、キラキラした瞳で一点のやましさもなく、保護者に講習のコマ数提示をしてたりして、そしてこの手の室長がよい成績を上げ、本人も生き生きとしてたりしがちなんだが、俺はやっぱりある種の違和感を感じる。呉服屋の彼(何度も登場させて恐縮だ)に対して感じた違和感と同じものを・・・。 俺の親友にやはり塾業界にいて、しかも俺の塾と業態が同じ個別指導塾にいて、まぁ言わば超競合会社なんだが(笑)、先日久しぶりに彼と飲んだ。彼の塾は完全一対一の授業形態の塾なので、更に単価が高い。そしてやはり極限まで教育費を捻出してもらうべく、彼の会社では「車を売ってでもやらしてください」というような話をする場合もあるらしい。 そんな中、先日彼の教室に、「もう老後の蓄えから何から全て使い果たしました」という保護者がいたらしく、彼としてももう何も言えなかったし、とっても複雑な気持ちになったという。 俺よりもはるかに業界が長いベテランの彼が、今でもこのように複雑な気持ちになり悩み、もがいてることは、「子供のためを思って、車売ってください」と涼しい顔で言える人よりもずっと健全であると俺は思う。 仕事上の矛盾を矛盾のままに受け入れ、目をそむけず、もがきながら、それでも懸命に取り組む、これが「仕事」だろうし、こういう人こそが健全なビジネスマンといえるのではないだろうかと強く思う。(つづく)
September 9, 2006
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Vol.37「ビジネスにおける二大悪」 仕事をするにあたって、俺の中でどうにもしっくりこないことが二つある。「会議」というものと「報告書・企画書」というものである。ぜひとも断っておきたいのだが、「会議」も「報告書」も組織ではとても重要で必須であるということは俺も大いに認める。 ただ、その中に意義深いものと、どうでもいいものが絶対にある。「会議」というのは、会社側の意志伝達や話し合い等で効率よく決めるためにはぜひとも必要だと思う。例えば、吉越浩一郎氏率いるトリンプ・インターナショナル・ジャパンの早朝会議などは、まさに即断即決で、社運をかけた一大プロジェクトや超重要事項にしても、必ず2分以内で決断が下される、といった気持ちいいほどのトップダウン方式で、これはこれで十分会議としての意義はあると思う。トップダウン方式ならむしろ会議は不要でメールで決定事項として流せば、っていう人もいるかもしれないが、俺は逆でこの場合、会議だからこそ生きると思う。 俺がとても虚しいと思う会議は、いわゆる「会議のための会議」というもの。毎週必ず会議をしてると、時にはネタにつまる時もあり、そういう時に「~プロジェクト」みたいな話が持ち上がり、それぞれの室長が何らかのプロジェクトを担当して実践していこう、ということになったりする。「プロジェクト」といえば聞こえはいいが、それは「チェックテストプロジェクト」とか「ニュースレタープロジェクト」とかで、各室長にとって新たな仕事が増えるのだが、ネタにつまる時期であるほどだから、そういう時期は出来るのかもしれないが、繁忙期の室長業務はそういうことをやるほど甘いものじゃなく、結局だんだんとその企画が消えていったりした。例えば、ニュースレターにしても途中で止めてしまったならば、以前もこのブログで述べたことだが、それは顧客に対して途端にマイナスになることなので、それくらいなら最初からやらないほうがいい。 俺も「それは結局やれなくなることは目に見えているので、やめといたほうがいいと思います」という消極案は結局言う勇気がなかった。 過去に各室長が手がけたもので、教達検対策(山梨の中学生にとって非常に重要なテスト)の冊子というものがあって、それは本当に素晴らしい出来ばえだったと今でも思うが、翌年はまた更にそれぞれがゼロから作りだしたりした。多少の改訂は当然としても、使えるところは使って、改良していけばいいのに、ご丁寧にゼロからまた作ろうとする。 俺と櫛形教室の杉浦さんで作成した渾身の「新人講師マニュアル」にしても、作ったその年だけそれを使用し、翌年は東京のマニュアルと統一になったりした。作成当初は概要やルール説明よりももっとOJTというか実践形式を重視して、山梨の地域性も考慮しようということで、作ったものだが、翌年やっぱり概要とかが大事で東京だろうが山梨だろうが、ルール説明のようなものはやはり時間をかけるべきで、とそれならそれでいいんだけど、こういうときにだいたい「全面改訂」になる。物事もっと複雑というか中庸的というか、そんな極端に振り幅が激しいと混乱もひとしおである。 結果的にいい方向に進んでいればもちろんいいんだが、いろいろとやってはみるが、すぐに変化させ、その変化が、ちょうどこれまでの真逆の方向になる、というか・・・。 やはりこれは会議=改善(勘違いの)、改良の場 ということだけでやってる、とだいたいこのような結果になるんだと思う。 それと、翌日が山梨エリア会議という時に俺は甲府エリアマネージャーと二人で電話で、明日の会議の議題とか進行表などを電話で話し、作成し、それを本部の部長にFAXする、という段階を踏んでいたが、このワンクッションがあるおかげで、ずいぶんと「ミテクレ重視」の企画書になってしまっていたし、いろんなやりとりをするうちに、だんだんわけがわからなくもなっていった。山梨は二人のリーダーに任せるとなったならば、企画書の検閲も無し、というところまで任せてほしかったし、そもそも翌日の会議にはこの部長も来るわけで、まずい点があったら、会議中に割って入ってでも訂正してくれたほうがよっぽど合理的だと思った。会議のための会議、というより、会議の準備のための会議みたいになってた。そして忘れてはならないのが、この一連のやりとりは自分の教室の授業中にしてたわけで、その間、完璧に現場に背を向けていたことになる。 もうひとつ、「報告書」とよばれるもの。例えば入会や休会の数や経理上の動きなど、数字的な報告書は絶対に重要で、これを怠ると会社全体も大変なことになるのはもちろんわかる。 俺がなんとも疑問だったのは「夏期講習総括シート」とか「今期の目標」とかを文書化して書くという報告書である。過去を反省し振り返り、未来の目標を設定する、っていうことはもちろん大事なんだが、そんなことは常に心がけているし、目標とかも俺の場合、相当戦略的で細かいことを考えてはいるんだが、それを書き表すのが面倒ということと、目標や反省にしても、会社に対して書く報告書はやはり本音ではない。ちなみに本音のほうが会社の利益に貢献する考えを俺はしていたと思う。が、それを書いてもやはり少しそれは良くない報告書となるのがわかりきっていたし。 うーん、まぁこれらの会議や報告書の意味はやっぱりあるのかもしれないが、少なくとも現場で起きてる、教室のことや生徒や講師のことに背を向けながらやることではないと思う。(つづく)
September 4, 2006
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Vol.36 「コスト削減とケチの違い」 今のところ、このブログ全体に流れるトーンは、「大変働きやすい環境で、かつ社長は凄い人だし、会社も素晴らしいところだ!」といったところだろうか。全面的にこれを認めるつもりはないが、このブログを自分のいた会社批判や内部告発的な文章にするつもりもない。 しかし、もちろん納得のいかない出来事もあったことは事実であり、そこから目をそむけるというのも違うので、今回は毒を吐くことにします。 イチ労働者としての不平不満となると、だいたいが仕事量や仕事内容のことに集約されると思うのだが、これを今度はオーナー側、会社側からみた場合は「ごもっとも」となることが多い。 最初から俺はこの仕事を一生の仕事と考えておらず、(規模はあまりに小さいながら)「オーナー」と呼ばれる人になろうとしていたこともあり、経営側から仕事というものを俯瞰して見ることも出来たので、不満は感じながらも、納得が出来ることも多かった。 コスト削減関係のことなんかはその良い例だろう。たとえば、本部に発注した教材や備品は配送されてくるのではなく、原則的には会議等で室長達が本部に行った時に直接持って帰ってくることになっていた。山梨の場合、会議会場となった教室に他の教室の分も全て一括で届き、それぞれの室長が手で持って帰る、といった具合で、配送コストを抑えていた。山梨の室長はみんな車で来てるもんだと思い込んでるのか、月一回の本部全社会議では相当量の備品を持って帰ることになった。俺はポスターやら教材やらファイルやらスタンプやらをチンドン屋みたいになって電車で持って帰ったりしたもんだが、この配送コスト削減の体制はさすがだなぁとむしろ感服してた。 他にも会議で配られる文書が暗黙のうちにA4で統一されて使用されていた時、社長が「なんで無理してA4にしないといけないの?2枚をA3にひとつにすれば、枚数は半分ですむんだから、内部連絡だけのものはもう少し頭使って考えてコピーするように」と言った。大概の会社もそうだと思うが、コピーはリースで、用紙のサイズではなくカウンターによって請求が変わる仕組みなので、これまたなるほどなぁと思った。 他にも、コスト削減に関する様様なことが励行されており、労働者サイドからすると面倒くさいことも多いのだが、そうやって会社は大きくなってきたわけで、そこで働く従業員はそこに文句を言ったらおしまいだと思う。 あれ?なんだかちっとも毒吐いてないな。そう、コスト削減っていうことは本当にこの会社は徹底しており、こういうことは企業の規模が大きくなればるほど、累乗的に結果も変わっていくことなので、大企業とかがこれを見習えば凄いことになるのになぁ、と思うが、プライド高い大企業の労働者の不平不満の大爆発も目に浮かぶのも確かだ。しかし、「コスト削減」と「ケチ」はやっぱり違う。断じて違う。こんなことがあった。会社全体でボランティア活動をしよう!ということになり、各教室がそれぞれ自由に企画し、講師たちにも協力を仰ぎ、盛り上げていこう、みたいなことになり、富士吉田教室はせっかく富士山の近く(というか一部というか)にいるので、富士山にからめたことにしたかった。そして調べると幸いに「エコツアー」というものがあり、富士山の5合目から6合目にかけて一人ガイド役の人が付いてくれながらゴミ拾いをする、といううってつけのボランティアがあった。 講師たちもほとんどが参加してくれて、大月の主力講師も参加したり、非常に意義深いものとなった。「ゴミが多いから」という本当に愚かな理由だけで未だ世界遺産になり得ていない日本最高峰の山。最高峰というだけではなく、あのなんともいえない形、あの強烈なインパクト、「日本一の山」は言うまでも無いどころか、2位とか3位とかの山は無くて、次にくるのは5位くらいになるんじゃないかという、やはり近くで見るほどに富士山っていう山はそれぐらいの山だと思う。いつの日にか、遅ればせながらこの山が世界遺産になった時に、「俺も(私も)、ゴミ拾いでちょっとは貢献したんだよ」って言えることが嬉しかったし、また、このようなことが出来る場所の教室にいるという自分が幸せだと思った。 さて、このエコツアー、ガイドさんもボランティアなので、一銭の出費もないのだが、5合目までは車やバスの交通手段が絶対に必要であった。河口湖駅前から出てる5合目までのバスは一人往復¥2000である。とてもじゃないが10人ちょいで行った場合の2万円以上の交通費は本部にも請求出来ないということで、大月教室長の車と講師の車の計3台を出すことにして、それにみんなで乗っていくことにした。通常、車で来る講師の交通費は1キロ10円という、(この算出もどうかと思うが)ガソリン代で、でもまぁそれはいいとしよう。月末になり、車を出してくれた寺尾先生がこのときのガソリン代を申請してないのを知った俺は、「寺尾先生、エコツアーの時の交通費も書いときなよ」と言い、寺尾先生は「あ、いやあれはボランティアなわけですし、いいですよ」と言ってくれたが、「いいから書いときな」と俺は言った。そして、この月の講師給を本部に計上したところ、総務からご丁寧に電話がきた。「ボランティアの交通費は不支給となるので、すみませんがよろしくお願いします」ときた。 会社全体、全教室を上げて、ボランテイアをする、という思惑の中には、もちろん偽善ではなくいいことに違いないのだが、会社側にはそれで企業イメージを良くするという、ちょっとした「計算(打算とはいいたくないが)」もあってのことだと思う。そして、それもそれでいい。 この時に参加した講師達に給料が発生しないというのも勿論当然である。しかし、バスでいった場合の何万という交通費を、寺尾先生が車を出してくれることによって、数百円(確か800円位だった気がする)のガソリン代ですむという、素晴らしい貢献度のはずなのに、寺尾先生への交通費は不支給なのは理不尽であろう。少なくとも寺尾先生が損をするっていう結果は、誰がどう考えてもおかしいので、俺はあとから個人的に現金で、直接寺尾先生に千円渡した。 エコツアーそのものは本当に気持ちよく、青木ヶ原樹海や富士五湖を見下ろす景色は絶景だったし、その年の夏、俺は富士山頂に登る予定もあり、それへの格好のリハーサルともなった。一人の講師への数百円の交通費不支給という「経費削減」が、この大変素晴らしく、清々しい思い出に水を差す出来事になってしまった。 こういうのは「経費削減」とは言わず、「ケチ」というのだと思う。ちなみに、このボランティアの時の不平不満話は実はその年の暮れに、会社に対し、いう機会もあり、しっかりと直訴させてもらった。故に、ここに述べたことは会社への陰口ではなく、大声で(!?)ぶちまけた会社公認の(?!)俺の不満である。(つづく)
September 1, 2006
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Vol.35 コラム~Never Never Never Give Up !!~去年の丁度今頃の時期、つまりは受験直前の今頃のこのコラムで、「往生際悪く行こう!」ということを書きました。今年もやはり同じようなことを言いたいと思います。勉強量を減らし、体調管理の面から必要以上に睡眠時間を多くとったり、いわゆる「守り」に入って調整するよりも、しっかりたっぷり勉強をし続けて、「攻め」の姿勢で元気よく「勉強を継続」することのほうが、根源的な精神面の安定は得られると思います。今回、ここでは受験生に対して、言葉を尽くしてエールをおくり、激励するということではなく、少しでも「即戦力」となり、今すぐ得点UPに結びつくようなことを一つだけ述べておこうと思います。推薦入試、一般入試、就職、専門学校、など全方向的に関連している「作文・論文」にテーマは絞ります。これにより今回のテーマ「Never Never Never(3回あるのがポイント) Give up 」に換えさせていただきます。次の各文を読んで、漢字や文法、語法の誤り、表現を工夫すべき箇所などに線を引き、例のように訂正しなさい。(例)そうゆう美しい光景が見れて、幸わせだった。→そういう、見られて、幸せ1. 私の好きな言葉は「未来」という言葉が好きです。2. なぜなら、僕はずっと勉強してきた。3. 美しい夕映えに、いつまでもそこに立ちすくんでいました。4. プランターに植えた朝顔の種が、芽が出た。5, まだ着れる服を拾てるのはよくない。6. 君がしなければならないのは、身体を鍛えなければならない。7. 僕はその自己中の態度にメッチャむかついた。解答例1. 私の好きな言葉は「未来」という言葉が好きです。⇒不要。二重表現。2, なぜなら、僕はずっと勉強してきた。⇒してきたからです。呼応関係。3. 美しい夕映えに、いつまでもそこに立ちすくんでいました。⇒ここでは「そこに」と言わなくても通じるので不要。「立ちすくむ」というのは「美しい夕映え」という事柄に対応させるにはかなり否定的な言い方なので、「立ち尽くす」などにしたほうがよい。(難問。出来た人は素晴らしい!)4. プランターに植えた朝顔の種が、芽が出た。⇒「蒔いた」。種に対応する動詞は「蒔く」。種に、助詞の誤り。5. まだ着れる服を拾てるのはよくない。⇒「着られる」。いわゆる「ら」抜き言葉には注意。「捨てる」。漢字の間違い。6. 君がしなければならないのは、身体を鍛えなければならない。⇒鍛えることである。1と同様に二重表現。7. 僕はその自己中の態度にメッチャむかついた。⇒「僕」という主語は論文では避け、男女問わず「私」に統一するのが望ましい。「僕」ということばは元来「下僕」や「僕(しもべ)」という意味であり、文章向けではない。以下、全編改良して、「自己中心型の態度に大変憤りを感じた」などにする。これは極端な例で、ここまでの表現で書く人もいないと思いますが(笑)、口語表現になっていないかどうかということは常に意識するようにしてください。
August 28, 2006
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Vol.34 「結婚生活」 富士吉田に異動という話になった時、俺の中ではかなりの絶望感があった。以前述べたような大月との惜別やジャングルが憂鬱(笑)で、っていうこともそうだが、なんと言っても俺の中での計画が大きくズレることになる!って思ったからである。 もう少し突っ込んで言うと「カフェ資金計画」が大きくズレるっていうこと。それまでは実家から通う、いわゆるパラサイトシングルってやつで、貯金のためには最強であると信じて疑わなかった。事実、お金も貯まってってる感覚があった。家に5万円は入れてたものの、本当にそれだけだったし、このサイクルであれば年間100万は必達だった。 そんな時の富士吉田異動。さすがに八王子から通うのは物理的に無理(授業終了時刻よりも富士急行線の終電が早い)だし、自活が決定的になり、当初の予定よりも大幅に開業も結婚も先になるなぁって思い、暗~くなってしまった。 そう、今述べたように、俺の中では貯金→開業→結婚っていう順番で考えていたので、これら全てが延期になると観念しながら、ドンヨリしながら、異動の話を彼女に打ち明けた。 俺の絶望的な声色とは逆に、彼女からは明るいトーンが返ってきた。空気も綺麗だし、水も綺麗だし、と言って喜び、確かに河口湖はハーブのイメージがあるなぁとは思ったが、一緒にこっちに来ることは厭わない、といった大変心強い一言もあり、救われた気がした。 今までは唯一の休日の日曜日とかにここぞとばかり会って楽しんできたが、結婚するっていうことは、言ってみれば毎日が日曜日状態になるわけで、そうなると休日は友人と会ったり、好みの違うアーティストのライブにそれぞれが勝手に行ったり、コーヒー研究に燃えたり、自由な時間はむしろ増えたと思う。お互いに「結婚」っていうのはまだもう少し先のこととしてとらえていたし、結婚するっていうのはどんなことなのかとかピンときてなかったんだが、不意に訪れた有無を言わさない外的要因による劇的なタイミング。彼女が言った名言「モラトリアムの強制終了」。まともに引越しの余裕もなかったので、実家に相当な私物を残し、とにかく新しいステージをスタートさせた。 まぁ、何とかなっちゃうもんで、というよりありとあらゆる面で、結婚は大正解だった。家賃は2DKでなんと¥45000だったし、外食じゃないとなると食費も安い。そういえば、俺が富士吉田に来たのが8月下旬で、彼女は9月下旬、時間差があったわけだが、その間の一ヶ月の一人暮らし期間、俺はラーメンと牛丼ばっかり食ってた気がする。というのも、塾が終わっていよいよ帰るのが12時くらいなので、まわりにある飲食店で開いてるところといえば、「ガキ大将ラーメン」っていうところと、少し歩くが「すき屋」くらいで、選択の余地はなかった。コンビニも遠かったし、さすがに車の必要性を感じたものだ。あの生活が続いてたら、体重大幅増量&生活習慣病確定だったろう。そんなわけで、健康的にも文化的にも貯金的にも、何もかもがいい方向にいった。彼女は彼女で、確かに山梨っていう土地がジャストフィットだったようで、山を眺めてるだけで、嬉しくて涙が出てくる、とまで言い出す始末(笑)だった。アロマやヒーリング系の仕事を彼女はこの地で、それこそ知り合いもコネも何もないところから始めた。家のそばにある北稜高校という学校の校門前でビラを一人で配ったり、イトーヨーカドーの貸しスペースを使って講座を開くなど、無から有を生み出すパワーには感動した。そこで、ガッチリと人脈も作り上げ、随分と親しい友人も出来たり、最終的にこの地を離れる時、俺以上にずっと名残惜しかっただろうし、多くの人からも残念がられた。 ところで、俺は彼女の仕事の細部とかを実は驚くほど知らない。友人知人みんなにビックリされる。随分と生き生きと楽しそうにやってることは確かなので、それで十分だし、家にいるときや休日のときはもっと純粋に遊んだり、息抜きしたいっていうのがあったし、いろいろと細部にわたるまで話を聴いたりすると、反論したりということもあるかもしれないし、これはどう考えても彼女の領域、っていうところは侵したくなかった。 俺自身、仕事の話はあんまりしなかった気がする。いやしたかな?いややっぱりしないほうだろうと思う。俺は仕事と音楽の二つ以外にはほとんどこだわりっていうものがなく、恐ろしいくらい他のことは結構どうでもいいと思って生きている。でも逆に言えば、これら二つのことに関してだけは相当に頑固である。この二つの領域さえ侵されなければ俺は非常におとなしい(笑)。お互いの聖域、領域をしっかりと守る。これが夫婦円満の第一のコツである、と思う。(つづく)
August 24, 2006
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Vol.33「サラリーマン時代のプライベート」 とにかく休日というものが基本的には日曜しかなかったので、休日の意味は重かった。コブシャウの練習はほぼ全て土曜の深夜に行われるので、場合によっては日曜の明け方は、八王子の実家にいったん寝に帰ったりもした。その時点で半日潰れる・・・。 富士吉田というところは人口5万人の町なので、休日にほっつき歩いてたりするとすぐに保護者とか生徒とかに会う。俺は休日に保護者や生徒に会うのはなんだかたまらなく嫌だった。こういうと軽薄な感じがするけど、スーパーとかで買い物をしてるときにいち早くこっちが先に、生徒なり保護者なりを見つけた場合、俺はまず逃げた(笑)。 仕事以外の時間で、俺の中でどうしても割かないといけなかったのは、楽曲制作の時間と、開業準備全般の勉強の二つだったが、休日の全てを使って、これらに勤しんでいたかっていうと、そういう感じでもない。 作曲などはどうしてもギターがある場所でないと出来ないので、家で作ってたが、作詞や読書、そして音楽鑑賞(!?)などは、移動中の時間をかなり使っていたと思う。 職場までは徒歩5分なので、移動中は何も出来ないが、会議やらコブシャウ練やらで甲府に出たり、上京したりする場合はラクに一時間、二時間たつので、まずは寝て、それでもさらに作詞や読書も出来た。 あと、風呂に入る時は必ず、開業準備全般の本を読む癖がついてしまったので、やたらと長風呂の人間になってしまい、多くの本がなんだかベシャベシャしたのちパリパリした感じ(?!)になってしまった。 こうやって移動中に作詞とか読書とかって書くと、すごい多忙な人間のようだが、これらのことは移動中とかのほうが、頭に入るっていうのと、休日っていうのは本当に重視していただけに、俺にとっての至福のひとときであるボケ~っと、まったりと、グタグタとする時間が侵されるのだけはゴメンだったので、休日はなるべくそういう時間に少しでも多く費やすようにしていた。 特に大きな病気や事故や事件もなく、平和に暮らしてたなぁ、って思う。あ、とても大きな出来事あったよ!結婚!(つづく)
August 15, 2006
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Vol.32「ビジネス編 宇宙の法則」 仕事をしていると、ある種、宇宙の法則的な、かなり絶対的(俺の中で)といっていいほどの法則がある。とりあえず二つあるんだが、これは二つとも結構有名な話でもあるんで、知ってる人も多いと思う。 まず一つめ。80対20の法則(またはパレートの法則)と呼ばれるもの。全体の2割の人(モノ)が利益全体の8割を占めている。という考え。利益に限らず、いろいろと当てはめて考えると、実にいろんなことに当てはまることに驚く。 二つめ。「急いでやらなきゃならない、しかも重要な業務は、最も忙しい人に頼め!」という法則(?!)。「即時処理」ということにつながることだが、物事はなんでもすぐにその場で処理したほうがいいことが圧倒的に多く、そんなことはみんなわかってるんだが、どうしても「やらない理由を探したり」「洗い場に逃げたり」してしまう(笑)。しかし、忙しい人はその場でその瞬間にやってしまわないと永久にやれない環境下にある故、すぐにその場で物事を処理することを必要に迫られている。 日産のゴーン社長の机の上はなんにものっていないそうだ。普通なら許可や承認待ちの書類やらアポのメモなどは最低でもあるはずなんだが、何一つのってないらしい。つまり全て即時処理ということだ。 もっと身近な例を出そう。俺のミクシーグループ(「マイミク」っていえばいいのか)の中に、プロのフリーカメラマンとセクシーエロカワ系タレントっていう二名がいるんだが、まぁこういう職業を聞いただけで多忙な人だってことはわかると思うんだが、例えば俺がこの二名になんかのメールなりなんなりした時のレスの早いこと早いこと(笑)。まさに即時処理が徹底されているといえる。クチだけで忙しい忙しいと言ってる人と、本当に忙しい人の違いもこういうところで見極められると思う。見極めたからどうだってことでもないんだが(笑)・・・。(つづく)
August 9, 2006
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Vol.31「社長」 うちの社長は、現時点でもまだ40代の若さである。先に述べたワタミの社長と俺の中ではかなりカブる。背が高く、ルックスもよく、っていう以外に、何かこう全て「見透かしてる」感じが。モスバーガーの店長をやったり、必死で貯めた資金で飲食店を経営するも全く上手くいかず、その店をやむなくたたんだという過去もあり、その店をたたもうとしてるときに運良く(!?)地上げ的な感じで、ここの場所を譲ってくれませんか?という人が現れ、渡りに船で再起をはかり、それで得た資金で、何故かこれまでとは無関係な学習塾のフランチャイジーになり、H町教室を開き、そこの室長で非凡な才を発揮しここの教室が大当たり。その後、幡ヶ谷、新中野、と着々と教室を増やし・・・、とかいつまんで言うとこんな感じである。 俺がとにかく凄いなと思うところは、社長は店をたたんだりして一度「どん底を見てる」というところである。店のことだけじゃなく、ここでは割愛するが、プライベートな面でも相当どん底を味わっている人である。 それこそ、何をすればいいかってこと以上に、何をしてはいけないか、ということを熟知している。そして、従業員にとって一番怖いのは、やはり現場を知りつくしてる人だということじゃないだろうか。H町教室で教室長をやってたわけだし、室長っていうのが、どのへんで差がつくか、どのへんで手を抜くか、だいたいどういう言い訳をするか、など完全に見透かしてる気がするのだ。 こんなことがあった。会議中、休会届け(塾をやめた生徒が本部に送ってくるアンケートのようなもの。この紙面には「この用紙は室長の目には触れませんので遠慮なくお書きください」っていう但し書きもあったりして、室長達にとってはそれはそれは怖い怖い紙)にクレームがかかれたある教室の室長がそれに対するコメントをしてるときに、少し論点がズレた、というか違う話にもっていく風な感じに俺も感じたその瞬間、完全に途中でその話を遮って、「訊いてない、訊いてない、そんなこと訊いてない!」と怒鳴り、さらにその発言の矛盾点を洗いざらい指摘した。 まぁ現在では会社もかなり大きくなり、あ!今気付いたけど、もはや社長じゃなく、会長なんだった・・・。会議ではこういう役目は他に任せてるみたいなところがあり、随分丸くなった気はするが、あの眼力、「厳力(?!)」は今でも衰えていないはずだ。 会社では月に一度全社会議という、東京、埼玉はもちろん、山梨、静岡、愛知のすべての教室長及び他事業部(現時点ではエステ事業部)の社員から何から全員が出席する会議があり、その時にする社長の話というコーナーは、かなりタメになり、俺の中では会議そのものは退屈このうえないものだったが、この社長の話だけは月に一度の楽しみといえた。 社長の話で、中でも衝撃をおぼえ忘れないのが、「言霊」とか「波動」の話である。「ありがとう」とか「幸せです」とかの言葉を実際に発することで、結果もいい方向にいく、っていうこの手の話は別段めずらしい話ではなく、特に新鮮ではなかったが、その後、社長が一冊の本をみんなに見せた。 その本にあったのは、「水の結晶」の実験結果だった。二つの容器それぞれに水を入れ、その容器それぞれに「天使」と「悪魔」、「嬉しい」と「悲惨」など、ちょっとこれらの言葉の詳細は忘れてしまったが、とにかくポジティブ&オプティミスティックな言葉とネガティブ&ペシミスティックな相反する言葉を紙に書いて、その紙を貼って何日か置いたあとにその水の結晶を顕微鏡で見ると、「ポジティブな容器」の結晶は実に綺麗な形状であり、一方「ネガティブ容器」のほうは、グロテスクな形状というのが素人目にもはっきりわかる写真があった。 俺の中で、「言霊」というものが科学的に証明された瞬間だった。かなりの衝撃だった俺は家に帰ってきて、妻に、水の結晶がさ、天使だと綺麗でさ・・・みたいなまとまりの悪い説明をしてたら、「水からの伝言」でしょ?と余裕の即答(笑)。さすがである。あの本はそのうち買おうと思っている。 ともあれその後は、いいことがあったから「幸せだな」って笑顔になるよりも、ニコニコしながら「幸せだな」って言ってたら、いいことが起こるんだと思うようにした。(つづく)
August 5, 2006
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Vol.30 「洗い場に逃げ込むな」 今回は自分のコラムというより、他人のコラムを題材にする。最近はテレビにも出たり、結構有名になっているが、あの「ワタミ」の渡邉美樹(男性)社長のコラムである。 居酒屋やコンビニの店長にせよ、会社員にせよ、教室長にせよ、この文章は強烈に共感するはず。 常に現場で矢面に立ち、戦う姿勢、これからカフェをやるにしても、ずっと大切にしていきたいと思っている。 明日がテストだっていうのに、読書(マンガじゃなく、真面目な小説とか)してみたり、部屋の掃除をしてみたり、何故か他の勉強を始めたり、っていうことをする心境になったことがある人であればきっとわかると思う(笑)。 前置きはこのへんにして、いってみよう!-----------------------------------------「洗い場に逃げ込むな」 渡邉美樹「担当店舗の営業状況があまりよくなく、その原因を改善しなければならないとき、あえて担当店舗以外の店舗にヘルプに入ることが多い自分に気付きました。何故そんな行動をとったのか、考えてみました。 担当店舗の問題が解決できないときに、他の店舗に入る余裕があったわけではなく、余裕のない自分が逃げていただけでした。他店舗ヘルプに入ることで、自分をいじめることで、逃げていたのでした。自分を肉体的にいじめることで、《自分はこんなに頑張ってるのだから、少々問題解決が遅れてもいいじゃないか》と、問題を直面することを避けていたのでした。」 これはワタミの、あるスーパーバイザーの告白です。彼は逃げていた自分に気付き、今は問題と真正面から取り組み、頑張っています。 あなたも経験があるでしょう。店が本当に忙しい時、次から次へとオーダーが入る時、次から次へとお客様に呼ばれてしまう時、何とかこの状況から逃げ出したいと思ったことがあるでしょう。 要領を知っているメンバーならば、このような時、店の中でどこが一番ラクな場所かを知っていることと思います。 そこは誰かがやらねば困る場所ですが、中心のメンバーが入るところではありません。そこは頭を使わなくてもよい場所です。そこはお客様の矢面に立たぬ場所です。そこはまわりから見ていると「頑張っているように見える」場所です。そして最も安全な場所です。 そうです。ピーク時の洗い場です。このスーパーバイザーが「他店舗ヘルプ」に入っていた状況は、ピーク時に洗い場に逃げ込んでいる状況に非常によく似ています。 戦うリーダーの条件を、ここでいくつか挙げてみます。一、 頭をフルに使い、戦う一、 敵の矢面に立ち、戦う一、 周りから見て、頑張っているように見えるか見えないかなどは気にせず戦う一、 最も危険な場所で戦う一、 勝っても負けても責任をとる勇気を持ち、結末が見られる場所で戦う。 この条件と洗い場の条件を比べるとわかると思いますが、戦うリーダーが最も入ってはいけないポジションがピーク時の洗い場です。ピーク時の洗い場は、身体が忙しいだけ、肉体的にいじめることができる分だけ、始末が悪いと思います。 今、自分が会社の中でどんな役割をもっている人間なのか、常に考えて行動してください。敵の矢面に立つ、リーダーとしてのあなたの頑張りに期待します。------------------------------------- と、こんなところだが、ここにある内容に強烈に共感すると同時に俺が思ったことは、この感覚をわかってる人がトップの経営者にいる会社っていうのは強いなぁっていうこと。 この渡邉美樹っていう人は青年社長という小説(すっごいおもしろかった!)のモデルにもなった人で、佐川急便のセールスドライバーをやって資金を貯めて、起業した人である。 二代目、三代目の坊ちゃん経営者には絶対に出来ないことや多くの感覚があると思う。末端にいる社員の考えまでも見透かしている、というか・・・。社員からしてみたら大変恐ろしいタイプであり、経営者としては大変優秀なタイプであると思う。 これとまさに同じタイプの経営者が、俺がいた会社の社長だった。次回、その社長に登場してもらおう。(つづく)
August 2, 2006
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Vol.29「副室長の茂木さん」 富士吉田教室に一年間ほど副室長がいた。正確にいうと、この人以外にも副室長というポジションの人は過去にもいたが、基本的にはどこかの教室長になるための研修的な目的(かつて東京で俺がそうだったように)で、短期間来る人はほかにもいた。 でも最初から室長になる気は全くなく、契約社員として入ってきた人はこの人ぐらいだった。今は結婚のため浜松の実家に戻ってしまったが、この茂木さんという女性が果たした功績はとても大きかった。 大学を卒業して、有名消費者金融に就職をして、職場の女性社員の上司による陰湿なイジメにより、精神的にまいってしまい、転職を決意したという人だった。 ホーレンソー(報告・連絡・相談)は完璧だったし、入会面談や保護者会以外の全ての業務をこなすことが出来るまでになっていたし、俺も例えばリーダー会議や新人講師研修などで、教室を空けないといけないときなどは、安心して任せることができた。 浜田・綿貫のツートップとも大の仲良しで、未だに付き合いがあるようだし、他の学生講師達からの信頼も絶大だった。特に富士吉田の講師達は何故か90%が女性講師で占められていたので、同性の茂木さんには、室長と講師の間をつなぐパイプ役でもあったし、女子生徒にとっても、茂木さんの存在価値は大きかった。 茂木さんのお別れ会の時に最後の挨拶で彼女が言った言葉が忘れられない。「私が以前いた会社では、勤務しているそのときもそうでしたが、でもそれ以上に仕事が終わって家にいるときや、休日の時など、実際に仕事している時以外の時間が常に恐怖と不安でいっぱいで、そしてその時こそが耐えがたい苦痛でした。私はここで働かせていただき、毎日毎日が本当に楽しく、次の日が来るのが待ち遠しいという感覚になることができました。私自身、ここで常に心がけていたことは、新しく入ってきた生徒や講師の方々に共通の「不安」をとにかく取り除いてあげたい、ということでした。」 こういう考えを根底にもつ人が、生徒や後輩の講師たちに信頼されないわけがない。苦杯を舐めた人間は違うなぁ、ともいえるが、逆に、この世の中には、同じような目に過去にあいながら、同じように今度は下の人間を陥れ、尊厳を傷つけるようなタイプだってすごいたくさんいるだろう。 この教室でも、もし茂木さんやツートップの二人がそのようなタイプだったりした場合、間違いなく講師陣は崩壊していたと思う。 結局はやっぱりその人の「ひととなり」ってことになってしまうのかなぁ。 願わくばこの世の会社にいる、人の上に立つ全ての人が茂木さんのような考えでいてくれたなら、会社、ひいては世の中の平和につながるのになぁ、と本気で思う。(つづく)
July 31, 2006
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Vol.28「講師混同」 主任講師というのがいて、これはいわゆる講師の選手会長というかチームリーダー、キャプテンである。前回述べたツートップのいずれでもなく、俺は大学生の男性講師をこの主任講師に任命していた。 ツートップの仕事ぶりを見て、大学生講師たちが、自分とはレベルや次元が違いすぎる、みたいなマイナス発想になられるのは危険だと思ったし、とにかく主任は彼にいろいろと任せてみようと思った。 講師会議でいろいろと発表してもらったり、後輩へのアドバイスや指導等、積極的に取り組んでもらえたと思う。 なんとかして目立っている講師たち以外にも、とにかく全員、一人一人のキャラを立たせたい、と思っていて、そこで考えたのが、「公私混同」ならぬ「講師混同」というコーナーの設置である。 俺がランダムに毎月一人ずつ講師を指名、クローズアップして、その講師は自分の趣味でも何でもいいから(でもあまり真面目にならないようにという指示は出していたが)発信し、教室内に掲示する、ということをやった。 一応俺が、その回の先生のコメントを書いて紹介するという形をとった。例えば、すごくおとなしい、真面目でおっとり型の女性講師には「この教室の癒し系!○○先生」みたいな感じで。その先生は自分の田舎の青森弁を解説したり、おすすめの小説を紹介してて、それを実際に生徒も読んだり。 他にも、普段は厳しく、生徒からは怖いと思われてる先生が、大の犬好きで、飼い犬の写真をやたらと貼りまくってたり、とにかく一人一人のキャラを生かしたコーナーを作ることにより、生徒のほうも、例えば初めて当たった先生でも、「先生プロレス好きなんでしょ?」とか「私もあの漫画好き!」とか、授業への導入がスムーズにいくようにもなった。 さらにこれは生徒のため、というよりも講師同士や、俺にとってもメチャクチャ新鮮な情報源であったりもした。高梨先生という女性講師がいて、この先生に「講師混同コーナー」の順がまわったとき、高梨先生の作品は、全国(海外含む)のいろいろな所に旅をしながら撮った写真と、そのとなりには自作のポエムがあり、それが全て手作りの製本で冊子になってるというものであった。そのあまりの完成度の高さにとにかくビックリしてしまった。 この先生のこんな凄い一面を知らぬままでいなくて、本当によかったとつくづく思う。(つづく)
July 30, 2006
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Vol.27 「記憶に残る講師たち」 この前の生徒編もそうだが、講師編もまた話すと止まらなくなる。どこから話そう。大月、富士吉田の共通点としては、都留文科大学(以下文大)というのがキーワードになる。 逆に言えば、近隣にこれ以外の大学がない。講師のほとんどが、現役の文大生か文大の卒業生だった。この大学は全国に多数の教員を輩出してることでも有名だが、塾にとってもそれは大変ありがたかった。 これは俺の強い持論で、仕事というものは、自分のためにやってる人が最強だと確信してるわけだが、我が教室の講師達は、だいたいが教員志望である時点で、これはもう自分の将来のためにも、自分にメリットがあるためにやってるわけで、最強のモチベーションなのである。 さらにもう一つ、あまりに古臭い表現かもしれないが、仕事をする上でやはり最強なのが、「真面目」であることだと俺は思っているので、これら二点を兼ね備えている人は最強の労働力となる。 そしてこれらを満たしてる講師が我が教室の講師である。親バカならぬ室長バカと言われようが構わない。 俺の中で「ツートップ」と呼んでいた、浜田先生と綿貫先生という二人の講師がいる。二人とも女性講師で、大学は卒業してるフリーターだった。両者それぞれ違うタイプで、それぞれの持ち味があった。 浜田先生は、俺が富士吉田に入るどころか、この会社に入社する前から富士吉田教室をずっと支えてくれてるベテラン。ベテランとはいえ、バリバリシャキシャキしてるわけではなく、まったりと自分のペースとワールドを持ってる人だった。教育者っていうのはこういう人のことをいうんだなぁ、というくらい善良な人で、ここまでしっかり善良だと、「先生というものをまずは敵対しよう」、みたいなツッパリタイプや、無気力・無反応タイプの子供も、みんな浜田先生には聴く耳を持つ、というかこの先生のことを嫌いになる人間なんて、地球上にいないんじゃないかっていう、俺の中ではもう絶対的正義(笑)。ちなみに俺は悪の巣窟のような(笑)高校にいたが、その中で不良達が絶対歯向かわなかった教師というのは、いわゆる筋肉モリモリ系の体育教師もそうなんだが、もうひとつ、歳はかなりとってはいるが、恐ろしく善良かつ誠実な人、こういうタイプはさすがに子供だって、いや子供こそ、どんなに時代が変わろうが、しっかりと支持する。 浜田先生はまだ二十代で若いが、そういう域(!?)に入ってた気がする。 綿貫先生は、とにかく明るく楽しく、小さい身体でパワフル&アクティブ、講習で朝一番から夜最後までの7コマを全て高いテンションでやりぬくバイタリティーがあり、そして何より男女問わず生徒からは圧倒的な人気を誇っていた。 綿貫先生は、やはり俺よりも少しだけ先に富士吉田教室にいて、前室長の内藤さんから綿貫先生に関する「伝説」を俺は聞いていた。 どうにも手におえない「スーパー我がまま女子中学生」がいて、多くの講師が泣かされ(?)、お手上げ状態となってた生徒を、当時新人の綿貫先生が担当した時、その子は予想通りいつものように「ねぇ、あの先生クビにして!」とか平気で内藤さんに言ってきたことがあったらしく、その子が授業中、席を立ち、完全ボイコット状態になったその時、綿貫先生はどうしたか、とてもシンプルだが、その子から絶対に目をそむけず、何度でも注意し、席に連れ戻し、ひたすらそれを繰り返した。 この子は高校合格とともに塾をやめたが、今でも「綿貫ちゃんいる?」とか言いながら、綿貫先生に会うためだけで、たまに塾に来る。 この子がどれほどのトラブルメーカーだったか実際を知らない人には、これがどれほどすごいことなのか伝わりづらいと思うが、この話は俺の中でまさに「伝説」として、その後も、月に一度ある山梨中の新人講師を集める研修で、必ずこの伝説を話すようにしてきた。 「あなたがその子を好きになれば、その子もあなたを好きになる。あなたがその子を嫌いになれば、その子もあなたを嫌いになる」というくだりの時に、実例として、毎回この「伝説」を語らせてもらっていた。 これらツートップは、ベテランでありながら、他の講師たちよりも早く(授業開始時刻の一時間以上前)入室して、その日担当する生徒の小テストを作ったりして入念に授業準備をしていた。 率先垂範とはこのことで、たとえば新人講師たちは、俺が何もうるさく言う必要もなく、ましてやこの2名が高圧的に言うでもなく、そんなこの2名を尊敬し、見習っていた。俺自身この2名の先生を尊敬してた。(つづく)
July 29, 2006
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※この文章は、かつて富士吉田教室に通う生徒と保護者宛に配布してたコラム調のものです。特に思い入れの深かった号を抜粋して、どさくさに紛れてたまに挿入しますが、別にネタに詰まった、というわけではありません(笑)。「得意分野と信念」 アメリカミシガン州にある、とある小学校での出来事です。ある日、クラスで飼育していたネズミが逃げてしまい、生徒全員で学校中を探しまわるも、一向にそのネズミは見つけられないでいました。 そんな時そのクラスの担任の先生が言いました。「モーリス君に任せて見ましょう!」クラスのみんなが言いました。「それは無理だよ」「何言ってんの先生」「冗談でしょう?」 クラスのみんなが言うのももっともなのです。このモーリス君は生まれた時から全盲なので、ネズミの形すらわかってないのです。それなのに先生は敢えてモーリス君に託しました。先生は言いました。「モーリス君には、神様からもらった特別な耳があるから大丈夫!」 かくして、何と、モーリス君は先生の期待にこたえ、見事そのネズミを見つけてしまったのです! 以降、自分の聴覚が他人よりも発達していることを自覚し自信を持ったモーリス君は、音楽に目覚め、教会の聖歌隊で歌っているところをあるプロミュージシャンに見出されました。 このモーリス君のフルネームは「スティーヴランド・モーリス」13歳でレコードデビューを果たし、全米で大ヒット。彼のステージネームは「スティーヴィー・ワンダー」。 私も知っている位ですから、保護者の方をはじめ、生徒の中にもこのミュージシャンを知っている人も多いことでしょう。彼は今55歳ですから、40年以上に渡って全米の音楽シーンの第一線で活躍し続けています。つい最近もしっかりニューアルバムを出して、バリバリの現役です。 歌はもちろん、作詞も作曲もピアノもシンセサイザーもドラムもハーモニカも全部自分で録音しているアルバムを聴いていると、まさに天才としかいえないと思うのですが、先に述べたエピソードを踏まえると、それは単に「天才」で片付けられない深い意味があると思うのです。 モーリス君の周りにいる人達みんなが「あの子は目が見えないから・・・」という理由で、保護し、いろんなことをさせないでいることが親切心なのである、という考えだったなら・・・、ネズミ探しを彼に託したあの先生がいなかったら・・・、この50年に一度のスーパースターは世に出ていなかったのかもしれません。 子供たちを教育、指導する際に、悪い部分、弱い部分を直すという考えも勿論重要なことですが、同時に、良い部分、強い部分を伸ばす、という考えは本人の自信にもつながりますし、大人たちがこれらの子供たちの良い部分を見極め、伸ばしてあげることは不可欠なことだと思います。 また、子供の側も、自分の得意分野をとことん伸ばし、徹底的にそれで勝負する!という信念があれば多くの道が拓けることでしょう。 勉強にしても今ひとつ伸び悩んでいる生徒は、逆に得意科目をどんどんやることによって煮詰まった状態を打破出来たりもするものです。 今回この文章をここで終えるつもりはありません。もうひとつどうしても述べておきたいことがあります。先ほど「徹底的にそれで勝負する!という信念」と言いましたが、この「信念」が生半可なものだと、実は取り返しのつかない事態になる危険性もはらんでいます。あくまで慎重に、客観的に自己をとらえ、決意に至ってほしいと思います。 スティーヴィー・ワンダーの話に戻しますが、彼は全盲であるということは有名ですが、1973年に彼は交通事故に遭い、なんと味覚と嗅覚も失ってしまいました。ヘレンケラーじゃありませんが、いわゆる三重苦というものです。このレベルになるともはや想像を絶する苦難だと思うのですが、彼はその後もヒットを飛ばし、80年代には「心の愛」という曲で全米NO1もとっています。 揺るぎない信念と自信があればこその偉業だと思います。彼が作った「Superstition(迷信)」という曲で、彼は巷の不吉な迷信と呼ばれている行為を敢えて全てやってやろう!と歌いました。なんという反骨精神、プラス発想なのでしょう。 どん底に陥った時にも自分を見失わず、信念を持ち、努力を継続出来るかどうか、常に自問自答していくことが大切であると思います。 これらを踏まえた上で、得意分野はどんどん伸ばし、どんどん追求していってもらいたいと思います。
July 28, 2006
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Vol.25「記憶に残る生徒 その2」 生徒のことを述べるとやっぱり、止まらなくなる。いろんな出来事が毎日毎日起こるので、到底語り尽くせるものでもない。 生徒は基本的には、「やんちゃキャラ」が多かった。 拾ってきた子猫を塾に連れてきて、授業中、その猫が泣きわめいて騒然となったり、およそ想定外のことがいくつも起こった。 いつもは騒がしい、とある中三の女子生徒がテスト前に自習をしていたことがあって、その時は社会だったと思うが、いろいろ俺に質問をしてきて、俺もそれにこたえ、ここは絶対に出るから、とか言ってた時、「先生がお父さんだったら、すごいいい点とれるし、いいのになぁ」と言われたことがあり、その生徒が母子家庭である事実とかを鑑みるに、切なく、また愛しいと思った。 「古き良き悪ガキ」という言葉がこれほど似合う奴もいないっていう中三男子Rは、近隣の中学のいわゆる「番長格」。歳の離れた兄ちゃんは元暴走族のヘッドという漫画みたいな設定の奴。 Rは中2の時に入ってきて、テスト直前、ていうか前夜に突然勉強(いや明日のテスト)に目覚めたらしく、居残りで勉強してたことがあって、とりあえず俺は、今回の英語の範囲のひとつ「過去進行形」ただ一つに的を絞り、I was reading a book then.(その時私は本を読んでいるところでした)っていう文を暗記させ、主語がYouになった時だけwereになる(複数主語のケースとか一切シカト)っていうことだけ教え、「テスト問題が配られたら、わき目もふらず、まず問題も見る前に何よりも最初にI was reading a book then.っていうのを、隅っこに書くことから始めろ」って言って翌日を迎えた。 Rの前回のテストは9点(もちろん100点満点中)だったが、この時のRは63点とり、さすがに俺もビックリしたし、本人から親から不良仲間から、みんなでビックリな結果だった。この学校のテスト問題の作り方(「過去進行形」の嵐)もどうかと思うが(笑)。 Rのいじらしいところは、「俺が残ってたから塾長(Rは俺を塾長と呼んでた)は帰りが遅くなった、」と思ってか、トイレの電気の電源を切ってくれたり(一箇所だけコンセント抜けば全部消えるところがあるのに、幾つかの部分照明のコンセントをそれぞれ全部抜くもんだから後々めんどくさくてしょうがないんだが、笑)、それとな~く感謝の意を表してたりするところだった。 以降、Rの口コミ(!?)により仲間達も何人か入会してきたのはいいが、あまりの存在感のため、1,2年の後輩達は恐れをなし、この塾に入ってこなくなったりもした。 一度、中1の生徒がお母さんと共に塾の説明を聴きに来てる時、突然Rが面談席に入ってきて、その一年生に握手をしてきたことがあってビックリした。たぶん一番ビックリしたのは、俺じゃなくその子のお母さんだったろう(笑)。 Rとしては悪気はなく、「我が塾にようこそ」みたいな気持ちを込めての行為だったんだろうけど、それが原因だったかは別として、その中1生徒は入会することはなかった。その面談のあと、俺はRに「いいんだよオマエは入ってこなくて!」って怒りながら少し笑いそうになった。 どうにも憎めないタイプではあるが、俺は一度、Rが後輩のしかも他中学の生徒に「100円くんねぇ?」って言ってたのを耳にした時に「あんまダセエことしてんじゃねぇぞテメエ!」と、もはや教育者とは微塵も思えぬ表現方法(?!)により罵倒したことがあって、さすがにその時はRも一日沈んでいた。 俺が富士吉田を去り、横浜教室に行く(ということに生徒には言ってある)っていうことを聞いたRは、「ふざけんなよ!」といい、「俺も横浜行く」とか言ってくれたうちはよかったんだが、富士吉田の新しい室長の名前が既に書いてあるカードを放り投げたりし始めたので、俺はRに「たぶん、俺がこれから行く横浜教室にもオマエのような奴がいて、俺はそいつから物凄く冷たくされることになるんだよ。」と言うと、Rは少し沈黙し、俺に言ってきた。「そういう奴いたらさ、そいつに俺の話して。俺もそうだったけど、そんなマネはやめたぜ、って。」 おいおい、カッコよすぎだって。ジーンとして、切なくて、愛しかった。(つづく)
July 26, 2006
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Vol.24「記憶に残る生徒たち」 大月、富士吉田の両方をあわせると、自分が直接面談をして入会した生徒は200人位だが、富士吉田には俺よりも先に既に在塾生だった生徒もいたので、更に100人弱が加わり、 地味なところでは、東京でもH町と池尻大橋でそれぞれ一人ずつ面談して入れてたり、極めつけは、韮崎教室で室長不在期間があり、それでいて入会面談のアポが入ってるという状況があって、その時、緊急事態ということで俺が面談したこともあった。高2の女子で韮崎高校だったのだが、「ニラ高の場合ですと、部活に専念する生徒と勉強に力を入れる生徒の差が激しくてですね・・・」とか、「ニラ高」って略すことも含め(笑)直前に仕入れた情報を全ての頼りに、面談をした。その子は当然俺がそこの教室長だと信じ込んでおり、可愛そうなことをしたと思っているが、今でも韮崎教室でしっかり通って頑張ってるとのことで何よりである。 さて、よく「活発な子供や、悪いことして目立ってた子供のほうが可愛い」などと言う先生たちがいるが、そういう考えは絶対にしたくなかったし、またそういう気もない。 しかし、記憶に残る、という点では確かに客観的に「目立つ」生徒がやはり多くなるのは否めない。 俺が富士吉田に異動してきたときの教室状況としては、男子は古き良き悪ガキ、っていう感じでよかったが、女子が厄介だった。あからさまに対立してる生徒がお互いのグループを作ってグチグチ言ってたり、他の中学校同士で険悪にもなってみたり、女子の扱いというのは本当に難しかった。 そんな中の一人で、授業中にいつも騒ぎ、最も他人からのクレームも多かった生徒のお父さんが、逆に大クレームをつけてきたことがあった。学校の先生から成績不振のことを言われ、お父さん自ら塾に乗り込んできた。「高い金出してんのに、全く成績が上がんないのはどういうことなの?おたくはプロなんでしょ?どんなにやる気のない子も結果を出すのが仕事でしょ!」と、怒号がまだ授業中の生徒や講師のところまで、響き渡った。 他に、「内藤先生の場合は欠席したときにはすぐに電話をくれて、とにかくまず来い、って言ってくれて、グイグイ引っ張ってくれたんですけどねぇ」と言うお母さんがいて、内藤さんに電話で相談したら、「俺もいっつも文句ばっかり言われてたよ」と教えてもらったことがあり、クレーマーというのはどこにでも存在するもんなんだなぁというのがつくづくわかった。 あまり喋らない、静かではあるが、思い出深い生徒ももちろんいる。 入会面談の時に、メッチャクチャ不機嫌で、どう考えても親に無理矢理連れてこられた、っていう子がいて、何をどう訊いても完璧無反応な生徒がいた。中2の女子だったこの子は、お父さんに連れられて来て、その子に対して発した俺の質問には全てお父さんが応える、といったやりとりが続き、俺は、「お父様、この子と二人だけで話をしたいので、大変申し訳ありませんが、少し席を外していただけませんでしょうか」といい、お父さんには前代未聞の(!?)退席をしてもらった。そして、その子と二人だけになり、「いい?今から少し直接話をしたいんだけど、予め言っておくと今日は塾に入る必要はないし、この後俺のほうからお父さんには言っておくから。それは約束するから安心して。」と先に言ってから、話を進めていくうちに、その子もある程度口は開くようになってきた。将来はマンガ家になりたい、という話から、どういう漫画が好きなの?という問いに、「言ってもわかんないから」と言われ、「一応言ってみてよ」と訊いてこたえてくれたその漫画はやっぱりわからず(笑)、「ゴメン、少女漫画はやっぱりわかんないや」と言い、いろいろと二人共通の知ってる漫画をと思い、知ってそうなものを羅列していったら、「スラムダンク」は好きだったということになった。そこからはひたすらスラムダンク話。そして、「スラムダンクの最終回覚えてる?山王工業戦で、ほとんどセリフがなく、白熱した試合の様子を絵だけで表現してて、花道が勝負を決めるシュートをする時、(「左手は添えるだけ」)っていうたった一言だけ、っていうあの最終回は、漫画家たちの間でもすごい評判がよくて有名なんだよ。俺もそれがすごい新鮮だったし、そもそも当時はバスケは全く流行ってない中でバスケを題材にしてあれだけおもしろい作品にするっていうのは、バスケに詳しいだけじゃダメで、いろんな発想、手法や他の知識をたくさん身に付けたんだと思うよ。あの作者、今はバガボンドっていうバスケとはこれっぽっちも関係ない宮元武蔵の話を書いて、大ヒットしてるわけで、やっぱりいろんなものへのアンテナの張り方が半端じゃないんだよ。勉強は全然全てじゃないけど、いろんな知識を入れるのは大事なことだと思うよ。それと勉強も大事だけど、本気でマンガ家になりたいんなら漫画に対しては遊びじゃないからね。いろんな漫画を読んで、今から真剣に描いていくべきだから、その時間もしっかり確保するんだよ。」 というようなことを、一気に言ってると、その子の目も明らかに変わって、笑顔も生まれた。「それじゃお父さん呼んでくるからね」と言い、「お父様、今二人でいろいろ話をして、本人も全くやる気がないわけじゃないのもわかってきました。でも、こういうのは本人が自らの意志でスタートしないと続かないと思いますし、今の時点ではまだタイミングではないと思いますので、今日のところはいったん帰って、じっくり考えたほうがいいと思いますので、今日のところはこれで。」と言い、俺のほうから席を立ったときはさすがにお父さんも唖然としてた(笑)。 それから数日後、再びその親子が教室に来て、正式に入会することになった。「大丈夫?頑張れる?」と俺。「もう腹はくくったんで。」と彼女。「別にそんなたいそうなもんじゃなくて、明るく楽しくのびのびのんびりやりゃいいんだよ」と言った。 この子のその後を見届けずに、塾をあとにしたのは心苦しいが、行く末は本当に気になる。塾に入ってからは、やはりおとなしいキャラ(全然不機嫌じゃないけど)ではあったが、この子のこともやっぱり一生忘れないんだろうな。(つづく)
July 24, 2006
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Vol.23 コラム~やらない理由を探さないで!~※この文章は、かつて富士吉田教室に通う生徒と保護者宛に配布してたコラム調のものです。特に思い入れの深かった号を抜粋して、どさくさに紛れてたまに挿入しますが、別にネタに詰まった、というわけではありません(笑)。「やらない理由を探さないで!」 今シーズンのプロ野球セリーグの覇者は阪神タイガースでした。この阪神の不動の4番バッターとして君臨する通称「アニキ」こと金本知憲という選手がいます。金本選手は今年、40本塁打を記録するなどの大活躍で優勝に大変貢献しました。 これだけでも十分凄い選手なのですが、私がとにかく凄いことだなと思うのは、この選手現在「連続試合出場の記録を更新中」ということです。つまり、かなりの長期間、何年間にもわたって「一度も試合を休んでいない」ということです。 身体を酷使するスポーツ選手ですから、もちろん怪我や故障はあります。この金本選手も例外ではなく、頭にデッドボールを受けたり、満身創痍の状態で出場しているところを私も見てきました。特にびっくりしたのは左腕を怪我しているとき、ほとんど右腕一本だけでヒットを打ったシーンがあり、この時私は思わず、こういうとなんだか変ですが、カッコよすぎて笑ってしまいました。 怪我をしている時に、伊達にただ試合に出てるというだけでなく、ちゃんと結果も出しているところが本当にプロだなぁと感心します。 以前、何かのインタビューで金本選手は、「例えば何かの怪我をして、それが今までで一番重い怪我だった場合、それでもなお試合に出たならば、その後になって、あの時あんな状態で出られたわけだから、今出来ないわけがないと思えるし、そうすることによって自分へのハードルをより高くしている」と答えていました。 生徒のみんなは、例えば宿題を忘れた時とか、勉強をしなかった時に、「部活の試合だったから」とか「合唱祭の練習で・・・」とかいろいろと言葉を添えてきます。でもここはひとつ金本流でいきませんか?「部活の大会前日にしっかり勉強した」、「合唱祭で優勝したその日の夜でも2時間は勉強した」、「熱があったけど布団の中で歴史の年号を覚えた」など、いわゆる普通の日とはいえない何らかのハンディーがある日にこそ逆に気合を入れて必ず勉強してみるのです。 そうすれば、その後なんということもなく、ごく日常でたわいもない理由で勉強しないということはなくなるのではないでしょうか。 もう一人、かつて広島カープに「鉄人」と呼ばれる衣笠という選手がいました。この選手もやはり連続試合出場記録を持っており、未だその記録は破られていません。(※ちなみに衣笠選手は「連続試合出場記録(代打なども含む)」であり、金本選手は「連続試合フルイニング出場記録」ということです) この「鉄人」の言葉も印象的でした。「体調が悪いからとか、身体のここが痛いからとか、そういうことをいいわけにしたところで、絶対に物事は好転しないことはわかっているから、そういう弱音、いいわけは絶対に口にしないようにしてきた。」 新聞の記事に載ってたインタビューのこの彼のセリフを私は今でも覚えています。 試験当日に仮に熱があったり、何らかの不可抗力があり、それをいいわけにしたとしても、確かに身内や友人からは同情もされるでしょうし、自分も少しは気持ちがラクになるかもしれません。しかし、それによって(「努力賞」かなにかがあって)合否が覆ったりすることがないのであれば、やはりそれは言ってもしょうがないただの「いいわけ」になってしまうのです。 誰かに言いたい「いいわけ」もグッと堪えて強い気持ちで立ち向かうほうが、おそらく良い結果にもつながるのだと思います。 受験も迫ってきている現在、勉強しなければならないことはみんなよくわかっていることと思いますが、「わかっちゃいるんだけど、でも今日は○○があるから・・・」とかいろんな「やらない理由」を自分に言いながら日々を過ごしている人がいます。 どうか「やらない理由」をいちいち探さないでください。 誰のためでもない「自分のため」に強い気持ちをもって受験までの残された日々を過ごしてほしいと思います。
July 23, 2006
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Vol.22 「未納金の回収」 他の世界でもそうだが、「料金未納」、ここでは「授業料が未払い」になる家庭というのはもちろんいる。未納連絡というものも室長の仕事であり、これは俺だけじゃなく、おそらく全ての室長たちが一様に憂鬱になってた業務だと思う。 一度、統括下にある大月教室で3ヶ月未納の家があって、エリアマネージャーということで大月の室長と一緒に、そこの家まで実際に行ったこともあった。日頃の室長業務の流れに対して、唯一、「逆流した行為」というか、これは室長以外の第三者が事務的に連絡を入れたほうが絶対に良い結果に結びつくのに、と今でも思う。 俺の場合、「先ほどですね、経理のほうから○月分の授業料の引き落としが確認出来なかったとの連絡を受けてしまったんですが・・・」といった口調で、仕方なく第三者であるかのように(笑)、連絡をしていた。 さて、このとっても憂鬱な行為であるが、会社側としては大変重要な問題である。社長、専務共々かなり口うるさく言ってたのも頷ける。とりわけFCの場合、本部へのロイヤリティーに未納分は考えられていないわけだから、財務上、摩訶不思議なマイナスが生まれる。 未納連絡をする行為は、確かに嫌なものだが、その必要性、重要性は俺もすごく感じている。 松下幸之助が述べたことで、この未納に関することに触れている文章があって、会社存続のための未納回収の意義について、これ以上の的を得た教えはないと思うので、ここに掲載しておく。 「松下幸之助の人づかいの真髄」より 商売というのは、その代金をもらってはじめて売れたということになる。ところが、相手から集金を待ってくれと、色々と理由をつけたり、泣き言を並べ立てたりして、延期を頼まれることがある。 そんなとき、相手の言うとおり集金を待ってあげるのが、相手にとって親切な行為に見えたり、商売を長続きしたり、売上も増えたりすると思いがちだが、実は違うのだ。 たとえば君が、なじみの飲み屋に借金が残っていたとする、一杯飲みに行きたいと思ったが、懐には今日飲む分だけしかない。なじみの店に行けば前の借金の催促をされる。 そんなとき、なじみの店に行きにくく、なじみのない店で現金で飲もうとするのは人情として当然だ。 商売もそれと同じで、代理店は借金が溜まってくると、他の新しいメーカーから仕入れようとするものだ。二つの会社から品物を入れていても、一つのほうが支払いをやかましく言い、もう一つがあまり集金をやかましく言わなければ、その代理店はどうしても厳しく言ってくるほうに先に支払うことになる。金を早く払わなければならないと思うと、その商品を早く売ってしまおうという気になり、逆に、いつ金を払ってもよいという商品については、売り方に真剣さが無くなってしまうものだ。 だから集金方法に甘さがあったり、泣き言に負けて延期したりするのは、結果的にその代理店を堕落させ、他社につけこむスキを与えることになる。相手の言いなりになることが本当の親切ではない。正しい商売のやり方ではないんだ。(つづく)
July 23, 2006
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Vol.21コラム~「人は人によってのみ感動する」~※この文章は、かつて富士吉田教室に通う生徒と保護者宛に配布してたコラム調のものです。特に思い入れの深かった号を抜粋して、どさくさに紛れてたまに挿入しますが、別にネタに詰まった、というわけではありません(笑)。------------------------------------------------「人は人によってのみ感動する」 とある小学校5年生と中学校2年生の生徒に対して行なわれたアンケートで、1「いってきます」 「いただきます」と必ず言っている子供→85%2「おはよう」 「こんにちは」と必ず言っている子供→50%3「ありがとう」 「ごめんね」と言える子供→20%というデータがあります。 この調査結果を見て、いろいろな感想を持たれたことと思います。意外にみんな「いってきます」「いただきます」は言っているんだな、とか感じた人も多いのではないでしょうか。 でも、ここで注目したいことは1と3の言葉の種類の違いです。1より2が、また2より3が、より「相手の顔を見ながらでなければ言えない言葉」であり、または1や2は「実際にそこに人がいなくても時に発せられる言葉」、もしくは「複数の人を対象にも発せられる言葉」であることに気付きますでしょうか。それに比べ3は何らかの原因・理由があり、それに対して相手(2人称、つまり目の前の相手であることが多い)が必ず存在するという状況で発せられる言葉です。 「ありがとう」「ごめんね」のこの二つの言葉は確かに言い易くはない言葉だと思います。子供が親に対しても、また仲のいい友達同士に対して言うのでも、少し照れくさい気もあったりして、なかなか言えない言葉です。 さて、今度は逆に親から子へ、または大人から子供へ、この言葉はしっかりと使われていますでしょうか。これがまた昔も今もなかなか行なわれていないというのが現状だと思います。 私自身、子供の頃に大人から真剣な態度で感謝されたり、謝罪されたりした時、一人の人間としてしっかりと認められていることが感じられ嬉しかったですし、身が引き締まったものです。そして自分が大人になったら、子供に対しても誠意を持って感謝・謝罪はしていこうと思いました。 現在、教室内で生徒がもしとても良いことをしてくれた時は心を込めて感謝を、また例えば全くの誤解により子供を叱ってしまった場合などこちら側に誤りがあった場合は謝罪を、しっかりと言葉で表していこうと決めています。 ところでこの「相手の顔を見ながらでなければ言えない言葉」は他にもあると思いますが、これらの言葉のやりとりこそが人間同士のコミュニケーションには不可欠であると思いますし、また感動も生まれると思うのです。 ディズニーランドには自動販売機がありません。ジュース一杯であっても必ず「人から人へ」手渡しで売られます。「人は人によってのみ感動する」ということを実践している例であると思います。ディズニーランドに行ったことのある人がもう一度行く率は92%を超えるというリピーターの驚くべき多さが、「感動」、つまり心が動いたことを物語っているのだと思います。 秋も深まり、受験生もだんだんとピリピリしてくる時期です。でもこんな時だからこそ、教室では「相手の顔を見ながら」多くの言葉を交わしたいと思います。幸いにここの塾は個別指導という形をとっているだけに常に「相手の顔」を見ながら接することが出来るのが嬉しい限りです。保護者の皆様もぜひ子供にたくさん話しかけてください。生徒のみんなもピリピリし始めたらたくさん家で会話をしましょう。精神的にも安定しますし、それがテストの結果などにも良い方向にいくはずです。(つづく)
July 22, 2006
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Vol.20「教室長の仕事」 はたから見てると何をやってるのかいまいちピンとこないのが、「他人の仕事の具体的内容」なのではないかと思う。 実際に俺もバンドメンバーの職種はわかるけど、具体的に何をどんなふうにしてるのかはわかってない。 ましてや子供になると、大人の仕事の詳細は意味不明である。バンダーナ宮坂が昔、「子供の頃、会社員になったらビルの屋上でバレーボールをやんなきゃいけないんだと思ってた」と言ってておかしかった。やるにしてもそれは昼休みとかで仕事内容じゃないだろ(笑)。 このブログで執着したいことは「仕事のディティール」及び「その時々の気持ちの動き」の二点なので、今回はこの「仕事のディティール」、つまり自分の仕事内容を書いておこうと思う。 一般的に、大きな企業になると、会社の中で業務は組織化され、専門部署に分かれる。経理、人事、営業、広報、総務、そして各部署に事務。そして細かくなると、受け付けや電話対応など。だいたい、こんな感じだと思う。 教室長の仕事っていうのはこれに当てはめると、結局全部ということになる。もちろんひとつひとつのスケールは、これら大企業より小さいものなのだが、全部の要素があるので、これらに基づいて述べていくとわかりやすいと思う。経理・毎月の月謝計算。教材費やイレギュラーで増えた授業料の請求、・自動引き落とし一覧作成後→FD入力し郵便局に提出・口座から引き落とししない家庭には振込用紙を作成→郵送・ 授業料が未払いになった家への「督促連絡」・ 講師の給与計算&明細書発行・ 小口計算人事(原則としてエリアマネージャー以上のみが行う)・ 講師及び社員募集を求人媒体に連絡・ 面接の日時決定及び面接の実施・ 新人講師への研修・ 講師のシフト決定営業(原則は相手からの電話問い合わせによる反響営業)・ 問い合わせの電話から入会面談に結びつけるアポ取り。・ とび込みの問い合わせから面談に結びつける・ 既に在塾している生徒の家との保護者会。ここで期別講習のコマも決定する。広報(テレビCMや折込チラシは本社や本部が実施)・ 近隣の学校に販促グッズ(チラシの他に消しゴムやシャーペンなどが入ってる)を配布・ 上記グッズを作成。チラシを折ったり、消しゴムなどと合わせて透明袋に入れたりという作業。・ 入会案内パンフレットをスタンドに入れ、外に設置。また季節ごとに変わる幟(のぼり)の設置。・ 教室の外からよく見えるようなディスプレイの工夫。総務(総務というよりも雑務や事務作業やその他もろもろ)・ 入会した生徒の登録作業・ 本部への各種報告書作成・ 教室内外の掃除・ クレーム対応・ 押し売り、セールスの撃退・ 電球が切れた、などはもちろん、様様な備品の買い物・ 教室内掲示物の作成と掲示・ コピー機関連(トナーや用紙の取り替え及び発注)・ 教材会社、テスト業者への発注、受注、その仕分け・ 月例テスト、模擬テスト、漢字検定等のテスト監督・ 配布物、郵送物の時の宛名書きこれらの定期的業務に加え、「不測の事態への対応」というものがある。これまでに実際に起こったことに限っていうと、・ 水道管が凍結した・雨漏りがした・異臭がした・看板が割られた・トイレが詰まった・ 「樹海はどこですか?」と悲壮な表情で人が入ってきた・大雪による雪かき・ 停電・カメムシの大量発生・講師が当日欠勤した・ 教室内で突然生徒同士が喧嘩をはじめた。などなど、挙げればキリがないのであるが、これら「不測の事態」というのは、あたりまえのことだが、上記日々の通常業務の真っ最中に容赦なく入り込んでくる。 そして、いま記載しなかったことで、「毎日の生徒の座席表を作成する(生徒と講師のマッチング)」というのがあり、一日の業務で最も多くの時間を費やすのがこれであった。 言ってみれば自営業的な発想で、基本的にはその店の主が全てやるっていうことである。無数にある作業と、いくつかあったはずの対処法の後悔と結果など、全工程を把握し、判断し、処理していく。煩雑極まりないことではあるが、これを考えると、まさに仕事というものは壮大なドラマだなぁ、と思う。 そして、今後CAFEを運営していく中で、こういった全工程に関わるという自営業的仕事の経験は、自分の中で大きな財産となったはずである。(つづく)
July 20, 2006
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※この文章は、かつて富士吉田教室に通う生徒と保護者宛に配布してたコラム調のものです。特に思い入れの深かった号を抜粋して、どさくさに紛れてたまに挿入しますが、別にネタに詰まった、というわけではありません(笑)。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「読解力不足」 定例保護者会が終了しました。 今回の保護者会で、受験生以外のご家庭に関して、おそらく私が最も多く申しあげたことは「冬休みは特に国語や英語の(教科書に載ってない文章)読解を強化すべきです。」ということだったかと思います。 この教室の生徒は中学・高校問わず、中間テストや期末テストといった学校の定期テスト前はとても良く頑張り、点数も高得点を取る生徒が多いのですが、月例テストや学校での到達度テストや模擬テストなどの実力テストになると、途端に得点出来なくなってしまう人が多いという傾向にあります。中でも文章読解問題を制限時間内で的確に読み取るということが苦手な生徒が多いです。 おそらく教育評論家の方々は「メールやネットなどの影響」や、「受け身の授業」あるいは「読書不足」などにその根拠を求めようとすることでしょう。 しかし別にこれは何も今に始まったことではないと思うのです。ひと昔前はメールやパソコンはないまでも、みんな読書をしていたかというと疑問です。とりわけ、国語のテストに出るような「評論文・論説文」などの堅苦しい文章をみんな好き好んで自発的に読んでましたでしょうか。私に関しましても中学・高校時代にこういったジャンルの本を自ら買って読んだことは一度もありませんでした。やはり物語や小説ばかり読んでいた気がします。おそらく今の大人の方々の多くも同じなのではないでしょうか。 では何故、近年になって読解力不足の人が増えてきたのでしょうか。 答はいたってシンプルです。やはり「評論・論説文」を目にする回数が少ないということだけだと思います。 少子化になる前の、受験戦争の時代には仮にそれが自主的なことではなく、むしろ苦痛なことであったにせよ、国語の受験勉強として「評論文」や「論説文」といった堅苦しい文章を読まざるを得なかったという機会が、ゆとり教育が叫ばれてる現在よりも多かったのは事実だと思うのです。これは「受験戦争」や「ゆとり教育」の是非の問題ではなく、たとえそれが義務的、強制的であれ、昔は「論理的な文章」を今よりも多く目にしてきたということです。そしてその中でいつのまにか論理的な思考も身につけ、物事を論理的に説明することも出来るように鍛えられていたのかもしれません。 個人的な話をしてしまいますと私自身、高校生の時、現代文の受験勉強をしている中で、「しかたなく」読んだいくつかの論説文の中で、少し大袈裟な表現かもしれませんが、その後の自分の考えや価値観、生き方までも変えるほどの内容の文章に出会ったり、自らの意識の深淵に潜む、なかなか言葉には表せない感情や感覚が的確に客体化されているのを読んで、なんともいえない爽快な気分を味わったりしたことも一度や二度ではありませんでした。 子供達に自由やゆとりを与え、伸び伸びと学ばせることも大切ですが、時に人は、義務や戒律、強制によって初めて得られる新たな価値観というものもあり、それがその子の人生の行動指針となってくれることもあると思います。 学校の授業がストップしている冬休みはぜひ、「堅苦しい文章」を多く読んでおきましょう。文章読解力は国語のためだけではありません。全ての勉強の基盤となるものです。その実力は受験だけではなく、「一生モノ」です。ぜひ頑張って取り組んでいただきたいと思います。(つづく)
July 19, 2006
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Vol.18「初めての海外」 前回に続き、役得の話になる。この会社に入っての最大の役得は「海外旅行」だった。 俺は35歳になるまで、日本を出たことがなかった。だいたいみんな大学時代とか大学の卒業旅行とかで行くというのがタイミングだと思うが、俺の場合、大学を出ても就職はしないっていう考えで、好きな音楽をやることをとった手前、ある意味、罪悪感への変な罪滅ぼし的な気持ちから、海外は10年早い!っていう、わけのわからない自己戒律があった。(大学のとき同じような変な自己戒律の中に車を持たないっていうのもあった) そしてその「10年早い」から10年以上たち、「社員旅行」という形で初の海外が実現した。一年目と四年目がハワイ、二年目と三年目がグアムの計4回。 修学旅行でもなんでもそうだけど、楽しいかどうかなんてことはとにかく人間関係にすべてかかっている。誰と行動を共にするか、誰と同じ部屋になるか、ってこと。 初年度のハワイでは内藤さんと同部屋。楽しいに決まっている。家賃2万円の柳荘(内藤さん宅)ではなく、ハワイのホテル! 当時は貯金を心がけてたので出費を避けたいという俺と、当時金欠だった(笑)内藤さんとの利害関係も見事に一致し、超低コストにて楽しむことに決定。 せっかく海外にいったんだから、その時ばかりは金を使う、っていう考えじゃなく、「場所がいいんだから、金を使わなくても楽しいはずだ」をスローガンに(笑)、海で泳ぎ、昼寝して、ABCマートでバドワイザーを大量に買ってきて部屋で飲んで、夜な夜な町を徘徊し、明け方部屋に戻ってきて、昼過ぎまで寝て、起きたらすぐにモーニングバドワイザー(笑)みたいな、他の社員からは、我々のことが暇でつまんなそうに見えたのか、いろいろな遊びに誘ってくれたり、俺が、「冗談みたいにでっかいハンバーガー食いたいんですよね」っていうと、そういう店あったよ、と教えてくれる人もいたり、気をつかってくれる人も多く、心苦しかったが、 お願いだからほっといて!このまったり感が幸福の絶頂なんだから、って心の中では思ってた。 二年目のグアムは、同部屋には再び内藤さんと、更にもう一人、杉浦さんがいた。(杉浦さんは山梨の櫛形教室の室長で、退社した今も未だに交流がある人の一人。本当に仕事とか関係なく一緒にいて楽しい友人であり、俺が退職後のこの間も温泉に行った。)このように職場を離れてのプライベートでも普段バンバン遊んでたこの3人が同じ部屋で、楽しくないわけがない。祭りである。 そもそも出発前夜、杉浦さん宅集合で成田に一緒に向かったのだが、その時点で祭りである(笑)。「家に帰るまでが遠足」の名のとおり、最後の最後まで「祭りっぱなし」だった。 先日、杉浦さんの家に泊まりにいった時に、あまり余計なものが置いていないシンプルなその部屋の中に、この時のグアムの写真がおいてあった。聞けば、これまでの人生の中でもすごい楽しい思い出だった、と言っていた。全く同感だった。三年目、四年目の旅行は、メンバーも変わり、各エリアごとでまとまって行動することが多く、いかにもっていうコースを回り、自分の中では、やはり少し盛り上がりに欠けたものだった。二日酔いのまま船に乗ってイルカを見に行って、吐きたくても吐けない実に不快なひと時(絶対に自分が悪い!笑)を過ごしたり、マリンスポーツやら、アミューズメントセンターやら、いろいろ行ったが、その中で一番楽しかったのは、もはや違うグループにいた内藤さんを駆りだして、ハワイ大学までレンタル自転車で行き、本当のごくごく普通のハワイの民家や空気を堪能出来たことである。 そういえばこういう旅行とは別に、年末にこの塾全体の全国総会というものが、新高輪プリンスホテルで行われるのだが、うちの会社では山梨組に限り、この日の夜はこのホテルでの宿泊が認められた。またも内藤さんと杉浦さんと俺の三人が同部屋。もちろん祭りである。 会社に対して、本当にありがとう、というか、「ホントどうもすみません!」っていう気持ちだった。(つづく)
July 18, 2006
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Vol.17「役得の研修」 山梨のエリアマネージャー(山梨では甲府エリア統括の人と二人でやってた)というものになったことにより、いわゆるリーダー業務というものが増えた。 エリアマネージャーとはいえ、富士吉田教室長も兼任し、これまでの日々の業務にそっくりリーダー業務が加わることになるので、一気に労働量が増えた。 週一であるエリアミーティングに加え、毎週月曜の午前中にリーダーズミーティングなるものが、新宿の本部であるため、毎週月曜の朝は6:52発の高速バス新宿行きに乗った。月曜ってところがポイントで、唯一の定休日である日曜の夜になると既に少し守りに入る(サザエさん症候群!?)自分が嫌だった。たとえばコブシャウのライブも俺が原因で、必ず日曜日に設定してもらっていたが、四谷でライブをやって富士吉田に帰って、翌朝すぐにまた新宿っていう時はなんか虚しかった。 他にも、土曜日の午前中に本部の召集があり、午後は富士吉田に戻り、その後コブシャウの深夜練でまた新宿に出る、なんてこともあり、そういう日はとんでもない長時間バスや電車に乗ってたことになる。 しかし苦痛なことばかりではなく、新鮮で有意義な経験もたくさん出来たと思う。 そのひとつがトレーニーーワークショップ〔以下TW〕と呼ばれる、新人講師向けの研修である。山梨にある八つの教室の新人講師達を一堂に集め、月に一回、土曜日に4~5時間かけて研修するのだが、この研修に使うマニュアルの作成段階から自分が直接手がけたこともあって、内容は完全に頭に入っていて、しかも毎回同じことを喋るので、例え話などをその都度微妙に変えたりして、自分自身への新鮮味を勝手に保ったりしていた。 このTWでいいのは、内容は同じにせよ、毎回確実に受講する人が違うということ。単に大学生のアルバイトという講師もいれば、実に様様な経緯を経て講師になってる人もいて、そういう人たちを前に話を一方的にするだけではなく、向こうの話も聴いたり、マンネリ感はなく、おもしろかった。 以前この紙面で、生徒や保護者に対して最重要なのは「入会面談である」と述べたが、講師に対してもやはり最重要なのはスタート時、つまり初回研修である、と俺は考えていたので、この重要なポイントに自分の意思が伝達出来るのは嬉しかった。当然、自分の教室の講師もいるわけで、その講師としっかりとまとまった時間を共有出来ることは本当によかったと思う。この研修を経て、実際に現場に来た講師に対して俺は基本的には、あまり細かいことを言わず、伸び伸びやってもらいたかったということもあり、だからこそこのTWには重きをおいていた。 他に今度はこっちが研修をしにいかされたこともあった。産業能率大学が主宰するマネージメントスクールとかで、「リーダーの作法」的なことを教え込まれるもので、いろんな業種の課長クラスの人がいて、凄くいい刺激になった。 この研修の費用を知ってビックリしたが、会社のお金で体験できたのは役得だった。~つづく~
July 17, 2006
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Vol.16 コラム~好きなことは出会うもの~※この文章は、かつて富士吉田教室に通う生徒と保護者宛に配布してたコラム調のものです。特に思い入れの深かった号を抜粋して、どさくさに紛れてたまに挿入しますが、別にネタに詰まった、というわけではありません(笑)。-------------------------------------------------「好きなことは出会うもの」 自分は将来何になりたいのか、どんな仕事に就きたいのか、特に決まっていない生徒がとても多いと思います。これは別に珍しいことでも何でもなく、このような生徒のほうが圧倒的に多いというのが現状だと思います。逆に言えば、現在既に自分の中でなりたいものが「有る」人はその時点で大変幸せなことだと思います。かといって、「自分は何になりたいんだろう?」と一生懸命に考えてみても、現時点でそれが「無い」人はいくら人から「何かあるだろう、誰でも好きなことや得意なことは必ずあるもんだ」などと言われたところで、「無いものは無いんだ!」と頭をかかえてしまう生徒が多いのではないでしょうか。今回はこんな人たちに向けて書いてみようと思います。 最近とても売れてる本で「13歳のハローワーク」というものがあります。これは本当に色々な職業のことが具体的に述べられていて、しかもとても易しい言葉で書かれているという点で実に画期的な本だと思います。その中で作者(村上 龍)が述べている部分で、今まで私がずっと思ってきたことで、しかし上手く表現出来なくて、もどかしい思いをしていたことが、実に的確に書かれているくだりがありました。まさに「我が意を得たり」と膝を打って共感した箇所です。以下の通りです。------------------------------------------------------------ 好きという言葉はとても曖昧だ。「好き」は、「嫌いじゃない」に始まって、「それがないと死んでしまうかも」にいたるまで、幅広く対応している。好きなことを見つけなさい、と親や教師がアドバイスするかもしれない。だが、将来的に人生を支えてくれるような「好きなこと」を見つけるのは簡単ではない。「好きなこと」というのは、レストランのメニューのようにどこかにズラっと並んでいてその中から選ぶ、というものではないからだ。 「好きなこと」は、見つけるというより、「出会う」ものかもしれない。「好きなこと」は、テレビの映像の中や、本の中の言葉や、誰かの言ったことの中に潜んでいて、突然その人を魅了するものかもしれない。この本を読んできて、「自分には好きなことが何も無い」と、がっかりする必要はない。好きなことがこの世の中に何も無い、ということではなく、まだ出会っていないだけなのだ。好きなことを探すのを諦めてはいけない。探していないと、出会ったときにそれが自分の好きなものだと気付かないからだ。ただし、飢えた人が食べ物を探すように、常に目をギラギラさせて、これでもない、あれでもない、と焦って探す必要はない。自分は何が好きなんだろうという気持ちを、心のどこかに忘れずに持っていれば、それで十分だ。そして好奇心を失わずにいれば、いつか必ず「好きなこと」に出会うだろう。-----------------------------------------------------このように、好きなことというのは必ずいつか「出会う」ものだと思うのです。そして今回私がもうひとつ言っておきたいことがあります。それは本人の中で、「ついに出会った!」ということになったとしても、[世の中も、そして自分自身も日々変わっている]ということは忘れてはいけないということです。あまり良い例が浮かばないのですが、例えばある人は昔、蒸気機関車の運転手になりたくて、一筋に努力したが、今は蒸気機関車そのものが姿を消したという世の中の変化は如何ともしがたいものだし、仮にこの人が電車の運転手にはなれたとしても、本人の中では蒸気機関車でなければ意味がないのかもしれませんし、そもそもこの人はこれまでの日常の中でこれとは全く別の「好きなこと」に実は出会っていたのかもしれません。しかし「いや、自分は昔から運転手になることに決めていたわけだし」という頑なな考えがそれを打ち消してしまっていたとしたら悲しいことです。これとは逆に、食糧難の時代では存在し得ないようなダイエット目的のエステ産業や、ほんの10年前には職業としては成立し得なかったような「インターネットウェブデザイナー」のような仕事が誕生し、途端に水を得た魚のように生きがいを持って大活躍する時代の申し子のような人もいると思うのです。このように時代の変化への対応と、それ以上に自分自身の気持ちの変化に正直に対応していくことが最重要であると思います。そしてもちろん選択肢は多いほうがいいに決まっています。いろんなことへの知識が豊富なほうがいいに決まっています。興味や関心のアンテナはずっと張り巡らしておいていただきたいと思います。(つづく)
July 17, 2006
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Vol.15 「経営戦略」 仕事をしてる以上、社員が会社側から期待されていることは利益を出すことである。どんなに人気者キャラでも、性格がいい人でも、利益を出さない人は早かれ遅かれ、会社から軽んじられるようになるのはもちろん、当の本人もその仕事から心が離れ、楽しいと思うことはないし、双方にロクなことはない。 だから仕事をしてる人は、自分が利益を出してるかを常に考える必要がある。営業職ならわかりやすいが、事務職をはじめ大人数の内勤職場にいる人など、職種によっては、直接的ではないために、自分が利益を出してるのかどうなのかわかりづらいこともあると思う。 でも、どんな人でも仕事をしてる人ならば考える必要があると思う。いや考えるだけじゃダメで、どうすれば利益がより多く出るかを考えるべきだと思う。会社のためじゃなく、自分のために。大事なことだからもう一回繰り返しちゃおう、「会社のためじゃなく、自分のために」。 富士吉田に異動になった時はいろいろと悩んだ。というのも、富士吉田教室というところは、以前から会社のグループ全ての教室で売上成績が常にビリだったというのもある。 生徒数はまあまあ多いから、売上総額を見るとビリではないのだが、対比で見るとビリなのである。 この教室に来ていろいろなデータを見たらすぐに原因はわかった。生徒の週回数が少ない(週一回がすごい多い)、講習受講数が少ない、など。早い話が生徒一人当たりの単価が全教室でビリだったのだ。 同じ山梨内で、例えば大月と比べても明らかに金額面でトラブったり、予算的に渋る家庭が多く、隣の授業料の安い塾に移ったりしていた。 隣にある集団塾は月謝が安いうえに、毎晩毎晩夜遅くまで延長授業や自習解放したり、テスト前の対策授業も無料だった。 これまでの富士吉田教室はこの隣にある集団塾(山梨では大手)に劣らないサービスを狙ってか、自習の生徒を増やし、遅くまで塾も開けていた。でもこれでは「利益」は出ないのである。 俺が考えた改革コンセプトは敢えて「更なる高級ブランドイメージ作り」だった。隣の塾は集団塾で、こっちは個別指導塾。業態が違うから、競合ではなく、共存出来るに決まってると思った。 隣の塾は相当こっちの悪口を言ってたようだが・・・。 入会面談の時、こっちのほうから先にまず「集団塾のほうが月謝も安いし、ライバルと刺激しあえたりもするし、集団塾のほうが向いてる人も多いので、どちらが向いてるかは人それぞれですよ。」と言い、 「授業料が高いですね、」と言われたら即答で「はい、非常に高いので、慎重に検討されたほうがといいと思いますよ」と言ってた。 過去に隣の某塾の生徒であり、やがて大学生となり、今ここで講師をしている先生から、 「高校の頃、こっちの塾に来てる生徒は育ちがいい感じでがして羨ましかったんですよ」という話を聞いた。 そして、とある生徒の保護者は「この塾に来るのは親たちの間でステータスみたいになってますからね」とまで言っていた。まさにこっちが考えたコンセプトの狙いどおりだった。(つづく)
July 16, 2006
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vol.14・・・コラム~「無から有へ」~※この文章は、かつて、富士吉田教室に通う生徒と保護者宛に配布してたコラム調のものです。特に思い入れの深かった号を抜粋して、どさくさに紛れてたまに挿入しますが、別にネタに詰まった、というわけではありません(笑)。---------------------------------------------------------------------- The first step is the hardest. 「最初が一番大変」という意味ですが、これは私自身、昔から本当に痛感していることです。「最初」というのは文字通り「0ゼロ」や「無」のことで、いわゆる「無から有へ」という段階が最も大変ということです。 地球の歴史や生命体の歴史(話のスケールが大き過ぎですが・・・)を紐解くと、地球誕生から古生代が始まるまで(「先カンブリア時代」と呼ばれています)が約40億年ありまして、この時代が地球の歴史のほとんどを占めているということになります。何も「無い」ところから、「有る」に至るまでというのは、それこそ気が遠くなるような時間が必要だということです。 最近私は「元ホームレスで今は年商102億円の社長」というあまりにもドラマチックな人生を送ってきている人の著書を読みまして、感銘を受けた箇所があります。少し長くなりますが、これからその部分を全文引用したいと思います。---------------------------------------------------------25メートルのプールを想像してください。「このなみなみと張られた水を、栓を抜く以外の方法で、全て空っぽにしてほしい」そう言われたとき、あなたはどんな行動をしますか。しかも目の前には小さなおちょこしかないとしたら。ここに、「無」から「有」を生み出すことの出来る人間かどうかの分かれ目があります。プールの水をこのおちょこですくって出そうものなら、きっと膨大な、果てしない時間がかかるにちがいない。なんて馬鹿げたことだと思うでしょう。しかし、ここなんです。何も無いところから「有」を生み出せる人間は、ここでおちょこを使って、まず水を汲み出し始めるのです。「え?こんなので汲み出せやしないよ」「もっといい方法を探してから」なんてことは言いません。そう言ってる人の隣でまず、この小さな一歩を踏み出してしまうのです。確かにおちょこを使って汲み出すなんて馬鹿げています。そんなもので汲み出しきれるはずはありません。しかし不思議なことに、ここでおちょこでもって水を汲み出し始められた人間は、必死におちょこで汲み出しているうちに、少し先の手洗い場に、プラスチックのコップを見つけるのです。馬鹿げた一歩を踏み出したその足が、効果的な手段を見つけてしまうということでしょうか。そして、コップを使って水を汲み上げている彼はプールのフェンス越しに、今度は花壇の脇にバケツが転がっているのを発見するのです。そう、おちょこがコップになり、そしてバケツを見つける。次はポンプを見つけてくるかもしれません。そうして一気に水を汲み上げるのかもしれません。目標に向かって、どんなに効率が悪く小さくとも、まずその一歩を踏み出しはじめられる人間は、結果として恐ろしいほど効率のいいやり方で目標を達成することになります。多くの人が「おちょこで水を汲み出すなんて、百年かかっても無理だ、馬鹿げている」と言って始めようとしない中、その小さなひと汲みをまず始められた人だけが、成功を手にするのだと思います。------------------------------------------------毎日1時間勉強する習慣がある生徒が、8時間勉強することよりも、全く勉強しない生徒が毎日15分勉強することになることのほうがずっと難しいことだと思います。中学英語をある程度マスターした人が「仮定法」や「過去完了」や「分詞構文」で苦労することよりも、本当に英語が苦手な人が「BE動詞・一般動詞」を理解するための労力のほうが、ずっと大変だと思います。この文章中に出てきた「25メートルプールの水」を仮に大学受験の英語の範囲だとすると、「BE動詞・一般動詞」というのは、それこそ「おちょこ一杯分」位なのかもしれません。しかしこの手段がずっと続くわけではありません。中学英語を身につけた時点でもはや「バケツ」や「ポンプ」という手段に変わっているはずです。物事を進めていく際に、常に「一定の速度」ということはありません。「加速」を考慮に入れてください。「倍」というよりも「累乗」をイメージしてください。最後のほうになると、物凄いスピードで、物凄い量をこなしていることに気付くでしょう。そして25メートルのプールの水を空っぽにしなくても、6,7割汲み上げていれば、大学は合格するのです。ともかくスタートしてしまうこと、ともかく最初の一歩を踏み出してしまうこと、それに今なら確実に間に合います。踏みとどまっている人は、この「歴史的な」一歩を今すぐ踏み出してみてください。速報!トイレ甲子園優勝!!この春、山梨にある8つの塾全体で、「トイレ甲子園」というイベントを実施しました。主旨としては、「トイレを綺麗にする」という域にとどまらず、それぞれの教室がオリジナリティーを発揮して、内装や掲示物にも凝り、独自の表現空間にするというものでした。このイベントで、ナント!富士吉田教室が見事優勝しました。コンセプトは、相田みつお的言葉の世界と、間接照明による落ち着ける空間という二点で改造しました。優勝したから何か貰えるとかそういうことではないのですが、罰ゲームとして8位の教室の教室長が、そのうちここのトイレ掃除をしにきます(笑)。ここの教室のトイレの劇的な変化(!?)をまだ味わってない方は、ぜひ早めに体感してみてください。よかったら保護者の方もいつでもご利用ください。
July 14, 2006
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Vol.13「仕事におけるイナバウアー」 とある本で、こんなことが書いてあった。仕事には、「緊急で重要なこと」「緊急ではないけど重要なこと」「緊急でも重要でもないこと」があり、最初の「緊急で重要なこと」とは例えば、クレームが来たその時の対応などのことで、これが大事なのは当然のこととしながらも、この本では、二番目にある「緊急ではないけど重要なこと」の大切さを強調し、推奨してた。 それは職場環境のクレンリネスや、顧客との日頃からのコミュニケーション、クレームではなく相手の小さな要望を満足させる、などのことが挙げられよう。 確かに重要。異論なし。でも、俺が仕事上で拘りたいことは実は三番目の「緊急でも重要でもないこと」である(笑)。これこそが、その人の個性として他者に対して、強いインパクトを残す。早い話が、目立つってこと。荒川静香のイナバウアーは競技の採点としては一点にもプラスにならないそうだ。でもだからこそ、それにこだわることで、強い個性となり、観客は盛り上がる。大きな拍手が沸き、それが他の演技にもプラスとなり昇華され、全体として見ると「とても素敵だった」となり、結局最終的に総合点も上がってる、みたいな流れになってたと思う。 俺も何か自分ならではのことをしたかった。そしてこういうことをするのにいちいち本部や上司の承諾が必要じゃないというのはありがたかった。何しろ「緊急でも重要でもない」ことなんだから・・・。 とはいえ、富士吉田に来たばかりの頃は、前室長の内藤さんに、こうしていいですか?ああしていいですか?あれはダメですか?とかやたら訊いた時、内藤さんがたった一言「富士吉田をよくするためなら、別に何やったっていいんじゃん?」と言ってきた。内藤さんらしすぎる言葉で、笑ってしまったが、本当にこの一言は俺の中で、仕事上のダントツの名言大賞で、この言葉を機に、俺は本当に好き勝手やりはじめた。春は百均で大量購入してきた造花の桜を、全てのパーテーションにくくりつけて教室中を花見会場みたいにしたり、夏はいつもシーズンごとに生徒が書く「四季の目標」というものがあり、それは普通、教室の壁に整然と並べて貼るものだが、「夏の目標」は全員分の目標を一枚一枚短冊(いや長冊!?)っぽく天井から垂らしてみたり、秋は、近くの草むらに行き、本物のススキをバカみたいに沢山刈り取ってきて、壁に貼りまくって、時間がたつと穂先がパラパラ落ちてきて、それが虫みたいでひんしゅくを買ったり(笑)。冬は電飾攻撃で、玄関・トイレ・キッチンにいたるまで、クリスマス系イルミネーションでビカビカさせたり。教室として視覚的に目立ってたことだけは確かだったが、少しやりすぎたかも(笑)。そして、保護者宛に毎月の月謝明細を入れる封筒に、自分の考えやポリシー、心温まる教室でのエピソードなどを書いて同封して配布してたら、これが思いのほか好評で、途中入会の家のお母さんが「バックナンバーをください」って言ってくれたり、このことは内藤さんから部長に行き、社内でも口コミで広まり、ついには社長のところまで到達した。その後、部長のところに毎月送ることが義務付けられ、うっかり忘れると、「あれ楽しみにしてんだから」と言われ、オフィシャルっぽくなり、苦痛になりだしたこともあったが、絶対に好き勝手に書こう、っていうのは決めていた。 やがて、どうやら赤澤は文章を書くのが得意らしい、と言うことになったみたいで、その後全ての教室で、各家庭に出す季節の挨拶文や、復会(一度やめた生徒を呼び戻す)キャンペーンの文章など、全社的な文章を書くことも頼まれるようになったのは、締め切りもあり、「緊急で重要なこと」になってしまい苦痛だったが、毎月の保護者に配布するこのコラム調のものは、妙にこだわりを持ち、毎月必ず書きつづけた。 このブログにも、そのいくつかをたまに挿し込み、記録として綴じておこうと思う。(つづく)
July 13, 2006
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Vol.12「教室改造」※ 前回に引き続き、過去のオジャゴロ(一部改編)の抜粋にする。――――――――――――――――――――――――――――――――――――富士吉田での初日の話は書いた通りだが、移行期間というか、しばらく大月の引継ぎをしたりで、行ったり来たりしていた。 子供ってのは敏感なもので、俺がここを去る、ということに気付いた生徒もいた。泣かれたり、花束もらったり、手紙もらったり、それはそれは感動的で、ますますもってまだ大月を離れたくないなぁと思いつつ、その日のうちに富士吉田に移動して、騒がしい教室に入り、騒いでる女子生徒を怒ったりして、「超ウザイんだけど」とか言われたり(笑)、同じ一日でこうも生徒からの対応は変わるかって思うと、笑うしかなかった。 そして、新しく大月教室の室長になった人にも同じことが起こっていた。エリアマネージャーにもなったということもあり、俺はちょこちょこ大月に行ってたが、その時生徒から「先生偉くなったんでしょう?だったらあの人クビにしてよ!」とかズバズバ言ってくる。あの時、俺も大月の新室長もそれぞれに踏んだり蹴ったりだったと思う。 さて、富士吉田である。ジャングルをなんとかしなければ、ということで、いろいろ考えて、あ、いや実はあんまり考えてないけど、まずしたことと言えば、「掃除」をした。 新築の大月教室と比べるわけにはいかないが、それにしても教室が汚かった。電気代のこととかあまり気にせず、一日中教室内の換気扇は回しっぱなしにして、極力すべての窓を開けて(当時は夏だった)、「空気の沈滞」をやめたかった。吹き抜けるように心がけた。ただ単に綺麗にしただけじゃインパクトに欠けるので、思い切ったデコレートもしてみた。俺自身、全然綺麗好きじゃないし、部屋も散らかす天才なのだが、この時の俺は「仕事」として、意識的に「清掃」してたように思う。 トイレは特に強烈にインパクトを出したいと思い、絨毯敷いたり、額縁を飾り、そこに局所照明で照らしたり、蛍光灯は排除してフットライトでほんのり照らしたり・・・。この「トイレ内改造」をしてるときはかなり俺も病的で、副室長をはじめ講師達も絶対、「室長、トイレ掃除に命賭けてるよ。大丈夫かね」みたいに思ってたはずである。 公園の汚いトイレには落書きがあるが、ホテルのトイレには落書きをしようという発想が芽生えない、という「教室の汚れは心の汚れ」とかいう、よくある標語を実践してみた。 これが功を奏したのかはしらないが、少しずつ騒がしかった教室も平和になっていった。と思う・・・。(つづく)
July 12, 2006
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Vol.11「そしてジャングルへ」 サラリーマン生活最大の思い出の地、富士吉田教室のことを書き始めてたら、収拾がつかなくなる可能性があるので、なるべく短めに、と心がけながら書き始めると、不思議な感覚になった。 あれ、この時のこの感情とか出来事、過去に書いたことがある!っていうこと。デジャブじゃなくて、ちゃんと思い出して、調べてみたら、あった。はなしがいレコードのHPで、「オジャゴロ(おじゃまる語録)」っていうのを書いてたんだけど、途中から、いちいちアップする手間(他の人にお願いしてることなので)が面倒で、BBSに書き始めた。 そこに書いたことがあったのだ。そして、改めて読み返すと、「うん、こっちのほうが、その時の状況とかリアルだ!」と思ったので、HP上ではもう見れない(BBSを狂ったようにさかのぼらない限り)ものだし、ほんの一部(名前を変えるとか)を改編し、これをそのまま生かそうと思う。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――「そしてジャングルへ」~はなれこHP「オジャゴロ」より~ 世の中には人事異動ってものがあるってことは知ってたが、自分の身に訪れるなんて。本部の上司に「富士吉田教室をお願いしたい」と告げられた時、真っ先に思ったのが、大月教室を手放したくないってことだったかもしれない。 山梨の教室(全部で8つある)の中でも大月と富士吉田はいわば姉妹校みたいなもので、富士吉田教室がどんなとこなのかは、既にいろいろと話で聞いていた。「授業中、床で寝てる生徒がいる」、「塾はもうやめていったヤンキーが普通に待ち合わせ場所として教室に入ってくる」とか、その他もろもろだが、大月と富士吉田の両方を行き来してる講師から実際に聞いた話だけに信憑性があった。本部の人も「あそこはジャングルだから」とも言ってたし(笑)。ただし生徒数は多く、マーケティング的には山梨の教室の中では、近隣に最も多くの数の学校が集まっているところであり、重要なエリアであることは間違いなかった。 心情的にはすこぶる後ろ向きだった俺ではあるが、この手の話というのは断ってる場合じゃないのはわかってるし、説得するときの言葉ってホント大事だなと思ったのが、その時の上司(部長)の言葉である。「大月はこのままどんなに順調にいっても、市場的に見て100名が限界だが、富士吉田なら150は可能だから、ぜひなんとか建て直してもらいたい。今後、エリアマネージャーとして大月も統括していってほしい」というような内容だった。 今までの自分をしっかり評価してくれて、大変ではあるが可能性を秘めた場所で力を発揮することを期待されてるとなれば、悪い気はしなかった。それに大月とも完全に縁が切れるわけでもないということだし。 不安はもちろん存分にあった。大月の場合、0人からスタートして、全ての生徒はもちろん、保護者とも全て俺自身が入会面談をして、普段からコミュニケーションをとってきたという礎があったが、富士吉田の場合、生徒・保護者誰一人知らない状態で既に100人位の生徒が教室にいる。そしてジャングル(笑)・・・。 富士吉田教室の初日のことは生々しく記憶に蘇る。今日からとにかく10人ずつ名前覚える&会話する、みたいなつもりで入室してしばらくすると、最初は生徒のほうも「新しい人だ」みたいな緊張感を持ってるようで、教室全体が何となくぎこちない空気が流れていたその時、一人の高校生(当時2年)男子が、俺のところに来て、「内藤先生はどこ行ったんすかぁ、納得いかないっすよマジで。」という、とにかく怒っていた。しかし彼自身も緊張しながら、彼なりに礼儀正しく、真剣に抗議してきてるんだということも伝わってきた。 俺の富士吉田教室初日のほとんどはこの生徒一人との話し合いで終わっていった。(つづく)
July 11, 2006
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Vol.10「会社側が求めてくる数字」入会面談というのは保護者と生徒が両方とも目の前にいて、かつ最も聴く耳をもって、接している瞬間である。 こちらのシステムをしっかり伝えるのは、まさに最初で最後だという気持ちが必要だ。 会議などでいつもいつも、オウムのようにテーマになるのが、「定期テスト対策の受講率」とか「期別講習の受講率や取得コマ」とか、「月例テスト(模試みたいなもの)の受験率」などである。これらが、その時になってから「やる、やらない」の次元になっては、数字は上がんないに決まっている。 これらのことも、最初の入会面談の時にしっかりと伝え、「やるのがあたりまえ」という状態にもっていって初めて入会させることが大事だと思った。 週回数(生徒が週に何回来るかということ)にしても、週に一回で、と言ってくる家がすごく多いが、その時にどうしても心の中で「とりあえず週一回で始めて、折をみていつか増やしてもらうようにしよう」などと思い、とりあえず目先の入会獲得を優先させようとすることが多いかもしれないが、この時も「週一回はあまりおすすめしませんよ。この教室にはいないこともないんですが・・・」というように週一回の生徒は極少数であることを伝え、「とりあえず週一で」ではなく「とりあえず週二回で始めてみて、どうしても支障あるようでしたら、またおっしゃっていただけませんか」というようなことも全て、最初の時に言う。 そんなせめぎ合いをしてると当然、入会面談は長くなる。これまで見てきた他の室長達の入会面談は30~45分位だったが、俺は一時間半~二時間は絶対にかけていた。会社側がやたらとうるさく言ってくる数字的なことは、実はこの「最初が肝心」どころか「最初がすべて」という考えでやるだけで、ほとんどが解決した。 そして会議などでよく他の教室がつるし上げられて(あの気風はどうにかならんもんかね)る中、逆に見本例的に大月は賛美されたりして、ストレスというものがビックリするくらい無かった。エリア会議で「何故大月はテスト対策受講率90%以上で月例テスト100%受験なのか発表して」と言われた時、今述べたこと全部言うのはめんどくさいんで、「気をつけてるのは入会面談の時にしっかり伝えることくらいですかね」とだけ言ったが、今初めてものすごく詳しく述べた。今こんなこと、俺は誰に向けて発信してんだか(笑)。このように、大月教室は自分の予想以上に順調に伸びていった。生徒一人一人にただならぬ愛着をもっていたし、更に「器や入れ物としての」教室そのものが、職場というより「自分の部屋」という感覚だった。実際、住んでたようなもんだし(笑)。会社に対しての成績とか数字面でのことを言うと、自分の中での一番の金字塔は、半年間休会(塾を辞めること)者ゼロという結果。これは全ての教室を入れても未だに破られていないことで、達成時は本部全体でエラく褒め称えられて、もちろんそんな賞賛はその日一日だけのことだったが、俺の中では密かにいつまでも自慢である(笑)。そんな順風満帆な日々をおくっていた2003年の夏、部長に直接面談席で、突然、「今度は富士吉田でお願いします」と言われた。(つづく)
July 10, 2006
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Vol.9「やってはいけないこと」 そんなわけで、講習日程の組み方の効率いいやり方、っていうのは教わってこなかったが、下積みの長さ(?!)により、東京の主に3教室の運営のされ方などを、他の室長よりもたくさん見てこれたのが、自分にとっては武器になった。ていうより、武器にするしかないでしょう(笑)。 「なるほど、こうすればいいんだ!」っていうことよりも、「これは、やってはまずいことなんだな」ということを事前に知れてよかった。前者は、後々になって自分から途中で気付いて改善すれば、それは単に良い方向にいくものだが、後者のような「まずいこと」を知らずに、途中から「まずいこと、としてしまう」と、そこには軋轢、不協和音が生まれる恐れがある。 すごいわかりずらいこと言ってるのは気付いてるので、具体的に例を出そう。例えばこういうこと。 入会規約には、「授業を休む場合、事前(一週間前まで)に、連絡があった場合にのみ、振り替え授業を行う」というのがあり、これがどこの教室もいつのまにか捻じ曲げ、生徒へのサービスとして、当日だろうが、ズル休みだろうが、当たり前のように振り替え授業を受け付けていた。 やがてこれがだんだん弊害(振り替え授業の生徒が多いため座席がオーバーするといった)も出てきたりして、途中から「入会規約にもあるように振り替えは出来ません!」と突然言って受け付けなくなると、サービスのつもりでプラスとなってたことが、プラスマイナスゼロ(規約どおり)になるだけのはずが、家庭側からすれば、これは明らかにマイナスのことになってしまい、更には「友達の○○君はこないだ振り替えてくれて、うちの子はダメなの!?」みたいな文句も出る。 他の室長たちも、振り替えを認めすぎるのはよくないっていうことには十分気付いてるはずだが、いざ、生徒や保護者から欠席連絡を受けると、やっぱり相手のことを思ってしまうためか、頼まれてもいないのに、こっちから「振り替えはいつにしましょうか?」などと言ってしまうことになる。 それよりも「振り替えは出来ないんだ」ということを深く浸透させた上で、そして、例えばその欠席理由が本当に致し方なく休むしかないということだった場合に、そこの家に対して、小声で(ここがポイント)、「今回だけは特別に振り替えをしますが、例外を認めたことになるのはよくないので、お友達にも、知り合いにも絶対内緒にしといてくださいね」というと、そこの保護者には物凄く感謝されることになる。これはプラスマイナスゼロの普通のところから、「プラス(しかも著しく)」になる。どちらが、いいサービスと言えるのかは言うまでもない。 さらに俺の中では、どうしても具合が悪くて休んだ生徒と、、他愛もない理由(ズル休みは論外)で欠席した生徒と一緒にはしたくないっていうのもあり、とにかく「当日欠席の振り替えは絶対に不可」ということを、浸透させた。(規約よりも譲歩し、「当日欠席」だけはダメ、ってするだけで、ズル休みは阻止出来る) こういうことを浸透させるのはいつのタイミングがいいか?それはもう絶対に一番最初である。この仕事でいえば、それは入会面談の時である。(つづく)
July 9, 2006
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Vol.8「勝手に史上最高の繁忙期」 大月教室がオープンして3ヶ月が過ぎ、生徒も50人を超えた時に、室長就任以来初めての講習(夏期講習)を迎えることになった。 今から思うと、生徒も講習コマ数も全然多くないのであるが、 忙しくて死ぬかと思ったのがこの時である。そしてそれは自らが勝手に忙しくしてたことになる。今だからコツもわかって、たいしたエネルギーも使わず、わけもなく出来ることなのだが、この頃はそうはいかない。夏期講習の授業コマを決めたあと、生徒一人一人の日程表というものを当然作成して配布するのだが、それこそ一人一人の生徒の顔を思い浮かべながら、性格やら部活状況も考慮しながら、科目のバランスを考え、休みの日もペースよく作りだし、この子はこの先生がいいからここは数学で、とか、実際、まぁこれらのことは、もちろん今でも少しは考えながら作るのだが、それは瞬時、瞬間で判断して作るものだ。しかし、この時の俺は一人分の日程表作るのに二時間以上かけた。この調子だと、12時間かけて6人分しか作れない〔笑〕、っていうことにさすがに途中で気付くものの、どうしてもああでもないこうでもないって思いながら、作ってるとミルミル時間は過ぎ去り、塾に3連泊するという不名誉な自己ベストも出してしまった。 だいたい大月発高尾ゆきの終電っていうのが、夜10:24で、授業が終わるのは夜9:30である。この時点でかなり無理があり、松田さんもビックリの連泊ぶりだった。くつろぐための服や枕や寝袋まで完備し、教室の目の前にはデイリーストアがあり、ビールも売ってるので、真夜中に、我が部屋にしてはやたら広い部屋で一人酒盛りをして眠った。 寝ても覚めても、仕事のことばっかり考えて、確かに激務といえた。でも、俺のサラリーマン生活の中で一番辛かった時期は、例の最初の半年間、いくつかの教室を雑用してまわった時である。 自分の居場所が無いとき、そして先が見えない不安なとき、人は一番苦痛なのだと思う。 大月教室には確実に俺の居場所があった。激務とはいえ、精神的な苦痛はなかった。 (つづく)
July 8, 2006
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Vol.7「内藤さん」 大月オープン当初で、まだ生徒も講師もロクにいなかった頃、内藤エリアマネージャーにいろんなこと(業務面がほとんどだったが、結構プライベートな面なども)を質問し、たくさん話をするうちに、新聞配達で金を貯め、アイルランドに渡り、行き当たりバッタリでいろいろと現地で働いたり、といったすごいおもしろい人生をおくってきてることなども知り、この人そのものにとても興味をもった。そして、こんなに話しやすい人が上司でよかったなぁと安心した。 どうしてもこれまでの上司、松田さんと比べてしまうのだが、それはそれは正反対だった。 どっちが良い悪いではなく、誰が見てもこの違いはすぐにわかるはずで、簡単に言ってしまうと、松田さんは「細かい」。内藤さんは「大雑把」。であった。 ビジネスの世界において、部下が上司に対して怠ってはならない最も重要なこと、「ホウレンソウ」、つまり「報告・連絡・相談」ということに異論はない俺は、結構、何でもかんでも内藤さんに伝えるようにしたが、でも、「あ、実はこの人、あんまり話聴いてないな」っていうのが感じられたり(笑)、不明点が出てきても、内藤さん本人も実はわかっていないことも多く、あまり解決したことがなく、でもどうしても明らかにしておかなくてはならないこともあり、やむなく部長とか専務とかに、おずおずとダイレクトで電話したり、それはそれは自立心を養わせてもらったと思う。 なんだか、こう書くと「頼りにならない適当な上司」っていう風に伝わってしまいそうだが、そうではない。あの時の俺にとっては最高、最適な上司だったと今でも断言できる。 厳しくないからラク出来るとか、そういうことでは断じてなくて(実際結構大変だった)、あの人のもとだったからこそ、教室もだんだん良くなってきたと思うし。 例えば今までの俺なら、「致命的ミスだ!」、と思うことが起き、血相変えて相談しても、内藤さんは「やばいね。」とか言いながらもあんまりやばそうでなかったり(笑)、会議の必要書類とかも、かなりやっつけだったり、やってなかったり、ヤバい、これじゃ内藤さんへのなんのフォローにもなってないけど(笑)、 それまで、松田さん流で、丁寧に仕込まれたことで、妙に細かい部分に悩んでしまうこともあり、自分自身、教室の長としてのデーンとした感じが外面にも内面にも出ていなかったとも思えるし、もっと図太く、ポジティブに、快活にいかなければ物事はうまくいかないっていうことに気付かせてくれたという感じである。 もちろん、松田さん流で鍛えられたあとだからこそ、今度はミクロからマクロという発想が出来たわけで、この逆はよくないと思うので、松田⇒内藤という順番で上司だったということは、よいめぐり合わせだったと思う。山梨エリアの会議が甲府や韮崎あたりであるときの前夜は、俺は八王子にいちいち帰るのが面倒臭いということもあり、仕事が終わったら富士急行線に乗って、富士吉田で一人暮らししてる内藤さんの家に頻繁に泊まりに行った(結構ずうずうしい)。「柳荘」という2万円代のアパート。見上げる星がメチャクチャ綺麗なところで、なんだか俺はいつも内藤さんの家に泊まりに行く時は旅行気分だった気がする。 それから2年もたたないうちに、まさかこの富士吉田市民になるなんて、加えて、結婚することになるなんて、夢にも思わなかったことはいうまでもない・・・。(つづく)
July 7, 2006
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Vol.6「大月?!そこはひょっとして、山梨?!」 さて、年代がまた元に戻るが、2001年12月1日の入社から、間もなく半年になるという、2002年の5月のある土曜日の終業時、松田さんに、「赤澤さん、月曜日から大月でお願いします」ということを言われた。 突然のスピード人事である(笑)。「大月」といえば、高尾よりも向こうで、普通列車(向かい合う座席の電車)で行くところで、稀に中央線直通で「大月行き」っていうのもあるなぁ、っていう位の知識で、山梨県なんだということもピンときてなかった。 まさに全くの想定外。青天の霹靂。 既存教室の引継ぎということではなく、新規オープン教室ということだった。 スピード人事のいいところは、相手に悩んだりさせる暇を与えないことだ(笑)。とにかく月曜日になると、俺は大月教室にいた。 本社からFC事業課の指導員と富士吉田教室の室長兼山梨のエリアマネージャーでもある、内藤さんも来ていた。 大月駅前、一等地のビルの2階。新築の家のにおい、というか、プールの塩素のにおいがした。 オープン初日は、問い合わせの電話もなく、静かに過ぎていった。まぁそれはいいとして、二日目、三日目、と何の動きもなく、大の大人が3人も教室にいる。大丈夫か?さすがに少し不安になる。 FC指導課の人はそれが仕事なんだから、暇ならそれでいいだろう。しかし、エリアマネージャーの内藤さんは、しっかり富士吉田教室の室長もしていて、こうしている間も富士吉田教室は普通に授業もあれば、いろんな業務が山積みとなってるはずなので、こんなに暇なら、とっとと自分の教室に戻りたい、って思ってたはずだ。 俺もこれまで見てきた一連の教室の、戦争のような忙しさを知ってるだけに、こんなにラクしてるのが、申し訳なく思った。 じっとしててもしょうがないということで、内藤さんに自転車を借りて、大月という町を地理的、雰囲気的に、もっと良く知りたい、ということもあり、チラシのポスティングもしてまわりながら、気分はサイクリング状態だったし、休日も隣町の猿橋の住居密集区域にチラシをまきにいったり、いたって自主的に行き、不思議に苦痛じゃなかった。 H町教室の時もポスティングは行ったが、これは苦痛に思った。この違いはやはり、「自分の教室」という愛着にほかならないのだと思う。 待望の生徒第一号は当時、小5の女の子で英語をやりたい、という生徒だった。まだ生徒が集まらないうちは、とりあえず俺が自分で授業もしてた。嬉しいことにこの生徒、中三受験生になった現在も、未だに大月教室にいるということである。俺もさんざん本人に言ってきたことだけど、この子自身の中でも「私がこの教室の第一号生徒なんだ」っていう誇りのようなものが今でもあるのだろう。時はワールドカップ日韓共同開催に沸いていた頃だから、ちょうど4年前か・・・(つづく)
July 6, 2006
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前回掲載した松田さんからの手紙は2002年3月11日(誕生日)のことで、今回掲載するのは、それから4年後の2006年4月15日、つまり俺の退職の日の出来事である。 年代が一気にジャンプする。 これは松田さんが俺宛にくれたものではなくて、今や会社も、東京、埼玉、山梨の他に愛知にも展開する大きなものとなり、全社員にあてた、通称「クレドメール」というもので、本部が毎日各教室に配信してるメールで、今や本部の次長となった松田さんが書いたものである。 4月17日(俺はもう辞めてる)の月曜日に各教室長が入室して見るように書いたものらしく、4月15日(土曜日)の遅く、松田さんが帰る時に配信したものである。15日は俺にとって最終日だったし、名残惜しさもあったし、山梨の他の教室長のみんながわざわざ見送りにきてくれて、ダラダラ話したりして遅くなってたら、教室に前富士吉田教室長で、現三鷹北口教室長の内藤さん(この人のことも絶対に後述する。我が最大の恩人)から電話がかかってきて、俺は「内藤さんとは今日が最後だともなんとも思ってないんで、挨拶すらしないつもりでしたが、ひとまず今日で無事退職です。いろいろありがとうございました。」と言うと、「いやいやそりゃ俺も同じ考えだけど、よかった、まだいたね、メール、見た?」と言ってきた。「いやもう電源落としましたけど」っていうと、「とにかく見て。見たほうがいいよ」と教えてくれた。 それは以下の通りだった。こんな、墓場までもっていきたくなるような宝物に気付くことなく、職場をあとにするところだった。まったくもう、せめて本人には知らせてよ、松田さん!----------------------------------------------------------------------------------「素直、勉強好き、プラス発想」を原則とし、私たちは個人と会社のためになるよう自立学習し、もてる才能を最大限に伸ばします。(プロミスforスタッフ)4月17日(月) ある教室長の軌跡です。「素直、勉強好き、プラス発想」という言葉を聞くと、なぜかいつも頭に浮かぶ人がいます。 その人は、私が教室異動するときに、抜けた教室の教室長候補として入社してきました。結論からいうと、その時は教室長にはならず、主任講師に教室長として残ってもらうことになりました。 入社が暮だったので、春の人事異動に間に合わず、引き続き研修となりました。当時は会社が急激に成長して教室も増え、若い新人教室長も多くなってきた頃でしたから、精神的には不安やあせりがマックスだったと思います。その後もI次長と私の異動先の教室で数ヶ月間研修となったのですが、その間不安はあったはず。なのに、不平不満を耳にすることは一度もありませんでした。(社会保険のことはいってたかな?) 教室ではテスト対策のカウンセリングや入会面談もやってもらい、月例テストにしてもほぼ問題なく業務をこなしてもらいました。とにかく説明は丁寧だし、生徒対応も素晴らしかった!入社からここまでの間、間違いは自分の責任とすべて認めて「ありがとう」「ごめんなさい」が言える「素直」な人でした。また、わからないことは何度でも質問してくれて必ず小さなメモ帳につける習慣がある「勉強好き」な人でした。(これが作詞のネタ帳とは気がつきませんでした)そんなある日、山梨に教室が新規オープンすることになり、彼が教室長に抜擢されたのでした。周りは山だらけで人は集まりませんでしたが、「どこにも負けない良い教室を作る!」という信念があったはずです。 急激に生徒は増えなかったのですが、「プラスは発想」は衰えませんでした。それはオープンからの休会0名記録にあらわれていると思います。掲示物は曲がっていたとか(笑)。 入会は多くなかったけど、休会がなかったので少しずつ生徒は増えていきました。生徒の数だけ信頼も増えてきて、独特のいい感じの教室ができたと思いました。不器用だけど「素直」で、必要ないと思われることまでメモする「勉強好き」だから、少しずつ信頼され、任されることに応えるべく独創的ではありますが「プラス発想」で取り組む姿勢が教室の姿そのものだと思いました。「素直、勉強好き、プラス発想」とてもシンプルでわかりやすい言葉ですが、だからこそいつまでもたっても色あせないんですよね?(つづく)
July 5, 2006
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Vol.4「松田さんからの手紙1」 井口さんから手渡された、松田さんからのその手紙は、今も大切に保管している。以下、本人未承諾のまま掲載する。 お疲れ様です。だいぶ慣れてきましたでしょうか。幡ヶ谷では大掃除までつき合ってもらってすいませんでした。異動に関しては、何度も期待を持たせては、変わってしまい、非常に申し訳なく思っています。But、なんとなく室長になって、いなくなった人も少なくなく、やはり、一日目から自信をもって入れるほうが良いと思います。時々、居場所に迷うこともあるでしょうが、それは「未来(ちょっとですよ)」にあるので、がんばってください。Happy Birthday!! そして封筒の中にはビール券が入っていた。この日以降、俺の中で「不安や焦り」は跡形もなく消えた。(つづく)
July 4, 2006
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