ぼくなりのヒントを言うならば、冒頭のGive Life Back To Musicのシンプルな曲調とプロローグ的歌詞、ジョルジオモロダーのイタリア訛りのトークのフィーチャーから始まりモジュラーシンセ自体の存在を音楽にしてしまった曲、Touchという曲のシンガー選びから曲の構成、編曲、ドラマ展開、そして、その次に なんのためらいもなくGet Luckyが弾け、Beyondの冒頭のオーケストラの音楽的コンセプトからあのビートが始まり、そしてその曲でのあの歌詞の意味合い。。。そしてラストのContactでの破綻。。。 そして、明らかなのは、芸術的要素から批判の対象になりがちなチープな要素まで、このアルバムを構成する全ての音楽的なそれらは”確信犯的に”動員されている。。。。 (おそらくメンバー二人以外の参加ミュージシャンは、説明がない限りは、最後の仕上がりまで、ここまでのコンセプチュアルな志は予想できなかったに違いない)
なんせ「サウンド」や「曲」でアルバムを聴いているうちは、Album Of The Yearという「人間が本能から哲学的思考までを様々に巡らせた音楽の作品賞」だとは理解することは不可能な、まさに聴いている側の心の自由さと青年さ加減が試される作品だ。 つまり「なんかいい」と思えず、ついつい文句が出そうなら「良くない」ではなく「わからない」と言っておいた方がよい作品でもあるだろう。