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2021年07月25日
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カテゴリ: 仏教、神話、哲学
自内証はいわば「悟り」だ。自受用身が自性身を証得したと呼んでもいいけれど。他受用は間接的である外部からの説法だが、自受用は己の内側から来る説法。だから「悟り」。

金剛界曼陀羅を見るに、あれって他受容身から自受用身を観た姿なんじゃないかって思う。何故なら、悟りへの階梯を十六大菩薩生で分解しているから。自内証の悟りを十六分割してる。それは仏の智慧を分割したら菩薩の智慧というのと理屈は同じ。満月が仏智で十六の段階の月は菩薩です。

ならば胎蔵生曼陀羅は自受用身(金剛界)から観た自性身(法身)ではないのか。金剛界に入れば証得した自性身(胎蔵生曼陀羅)の姿をキチンと把握出来るはずだからです。


ちなみに現在の真言宗では金剛界曼荼羅は西をイメージして構成されていますが、私は金剛界は自受用身の説法に当たると考えますので、南に当てはめて考えていたりします。他受用身以下の説法は顕教に当たりますから、密教を説くのは東と南の法身がふさわしいかと思うんです。

東が自性身、南が自受用、西が他受用、北が応化身のイメージで考えています。

顕教で法身が沈黙に等しく捉えられるのは有と比較されるからです。顕教では有を否定しますから、より真理に近いものは無と表現されるわけです。

一方、密教での法身は普遍性を持ち、しかもそれを有と捉えています。これは、顕教の云う否定的な有とは少し性質が違います。密教での有は普遍的顕現として、あらゆるものに平等に現れているものです。
比較を通して現れた有とは違うのです。顕教では、有は否定すべきもの。真理は無に近く、世の顕現は仮のものと捉えるからです。

しかし密教での有は普遍ですから、一つの現れを有としたところで、他と比較しませんから、全てが有となるのです。障碍なく平等にして、あらゆるものと一体化した境地です。







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最終更新日  2021年07月31日 21時21分27秒
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