特殊部隊連合神国家首都 Y・H・V・H

特殊部隊連合神国家首都 Y・H・V・H

GREEN BERETS

GREEN BERETS
[U.S.ARMY SPECIAL FORCES GROUP]
(アメリカ陸軍特殊作戦群)

>
SF隊員

アメリカ陸軍の特殊部隊。
正式名称としてはSFGA[SPECIAL FORCES GROUP AIR BORNE](特殊空挺部隊)または
SOF(SPECIAL OPERATIONS FORCES)と呼ばれていますが、隊員が「緑色のベレー帽」を被っていることからグリーン・ベレーと呼ばれ親しまれています。


■部隊の歴史■


●WW2
1942年7月:GREEN BERETSの歴史は古くアメリカ・カナダ軍の正規軍の混成部隊と陸軍刑務所に収監されていた囚人達を寄せ集めて編成した部隊、[第1特殊任務部隊](GREEN BERETSの前身)と[OSS](戦略情報事務局/CIAの前身)といった「不正規戦部隊」を主力にモンタナ州で編成されました。

発足当時としてこの2つの部隊の主な任務は、
第1特殊任務部隊が奇襲、敵陣の偵察、後方攪乱で
OSSが情報収集、スパイ工作、情報攪乱をやっていました。
この任務以外にも多国籍軍の「正規軍・不正規戦闘部隊」の育成・訓練を施していました。

この部隊は1942~45年頃まで、イタリア軍・ルーマニア軍の敵陣を奇襲したり、キスカ島奪回作戦での後方攪乱、イタリア・フランスで水陸両用作戦等の任務に従事していましたが、現代のようなエリート部隊としての存在はまだ無くゲリラ等も当時は考慮に入れていなかったので活躍の場が少なかった。そして第2次世界大戦後、第1特殊任務部隊が解散されました。

●朝鮮戦争
1950年:朝鮮戦争が始まりアメリカ軍は南朝鮮(韓国)に侵略している北朝鮮軍を阻止するために軍隊を派遣させました。
最初はアメリカ軍は北朝鮮軍を押していきましたが、北朝鮮軍が通常戦からゲリラ戦に切り替えると、アメリカ軍は北朝鮮軍のゲリラ的戦術に大苦戦しました。アメリカ軍はゲリラに対抗にするために陸軍精鋭部隊レンジャーを編成して最前線に送って行きましたが北朝鮮のゲリラ的戦術に対応仕切れませんでした。

1952年:対ゲリラ部隊創設の必要性を重要視していたロバート・マクルアー准将は第1特殊任務部隊、OSS、空挺隊員、陸軍レンジャー等、といった第2次世界大戦で活躍した部隊を中心に収集して、
ノースカロライナ州フォート・ブラッグの基地内にある心理センターに[10th SFG](第10特殊部隊グル-プ)が創設されました。
まだ編成されてまもない10th SFGは戦闘部隊としての機能をまだ持っておらず任務も第2次世界大戦の時と同じく、多国籍軍の「正規軍・不正規戦部隊」の育成と訓練を主任務としています。

1953年:10th SFGが発展して拡大していくと共に、分割して行き[77th SFG](第77特殊部隊グループ)として独立していきました。
この頃から部隊のトレードマークである[緑色のベレー帽]をかぶるようになります。

1954年:エクマン大佐がグループ内で着用を許可しました、その翌年になると殆どの隊員が緑色のベレー帽をかぶる様になりました。

●ベトナム戦争
1957年:インドシナ半島で共産圏が活発に行動され始めて行くと、
沖縄を拠点に、77th SFGを中心とした[1st SFG](第1特殊部隊グループ)が編成されました。
沖縄基地を本拠地として1st SFGはベトナム、タイ、ラオス、台湾に隊員が派遣されて行きました。
また、南ベトナムにナトラングでコマンド-訓練センタ-を開設、軍事顧問として派遣されていたGREEN BERETSは南ベトナム軍や山岳民族に対ゲリラ戦・訓練・教育を施しました。

1960年:77th SFGは第7特殊空挺グループと改称されて南ベトナムに派遣されました。

1961年9月:フォート・ブラッグで新たに[5th SFG](第5特殊部隊グループ)が編成される。

9月25日:グリーン・ベレー本部を視察していた当時の大統領、ジョン・F・ケネディ大統領はゲリラやテロといった不正規戦にも対抗できるような軍事戦略を重要な戦術と認識して特殊部隊は正規部隊として認証されるようになり、アメリカ陸軍特殊部隊[GREEN BERETS]が正式に編成されました。

これを受けまして陸軍省は、イギリスの特殊部隊SASにあやかってベレー帽を被っていた「グリーン・ベレー」を正式にベレー帽の着用を認められ正規の軍服として認証され、それ以降「グリーン・ベレー」は全SFG隊員の愛称となり、部隊名も[GREEN BERETS]呼ばれるようになりました。

GREEN BERETS隊員はそれまで[スネーク・イーター]と呼ばれていて、意味としては「野外で蛇を捕まえて食べる野蛮人」で特殊部隊として認定を受ける前の肩身の狭さをモノガタリます。
あと正規軍は彼らのことを「何をやらかすか判らない、得たいの知れない連中」と思っていたのである。
しかし、ベトナム戦争が激化するにつれて特殊部隊を重要な部隊として認識されるようになる。

こうして正規部隊として認められた特殊部隊「GREEN BERETS」はCIAの支援を受けて、[CIDG](民間不正規戦グループ)計画がスタートされました。
この計画はベトナム中部山岳のモンタニヤード(山岳少数民族)を軍事訓練を施し、南ベトナム軍の反共作戦部隊として使う計画を考えていました。

1961年11月:ブオンエナオでこの計画が開始されました。
これもベトナム戦争がベトナム国内で問題視されていた為、なるべくアメリカ軍の介入を避ける為でGREEN BERETSは訓練支援部隊として任務についたのであります。
GREEN BERETSはモンタニーヤードと共に生活し現地の村人の心を掴むため医療看護にも積極的に従事していきました。これにより現地人との厚い信頼関係を結ぶことができ、GREEN BERETSの地道な努力が実りCIDG作戦が見事に成功することになります。

1962年2月:米軍は南ベトナム軍を本格的に軍事訓練を開始する為に[MACV](南ベトナム軍事支援米軍司令部)が創設されました。

1962年9月:ベトナムで各地で活動している1st SFG・5th SFG・7th SFGの各特殊作戦グループを統括するためにアメリカ特殊部隊司令部がナトランに設立しました。

1963年2月:米軍事顧問団から顧問軍へと名称変更となる。

1963年末:アメリカ特殊部隊に忠誠を誓った120個中隊から編成された総勢:18000名のCIDG部隊にまで発展。[Aチーム](A作戦分遺隊)の指揮下で国境周辺でパトロールや監視任務をしていました。そして全盛期になると80もの前線基地で40000名もの膨大な数のCIDG攻撃隊員が北ベトナム軍や解放戦線に戦闘を行いました。

1964年:LLDB(南ベトナム特殊部隊)を創設する為に、5th SFGをベトナムに派遣して、CIDG攻撃部隊を南ベトナム軍・LLDBの指揮下に入る予定でした。
だが、山岳少数民族は長年ベトナム人から差別をうけていたせいか、両者とトラブルが絶えずCIDG攻撃隊員は断固として南ベトナム軍の指揮下に入ることを拒否し、最後まで南ベトナム軍の指揮下に入ることはありませんでした。
そして軍事顧問的役割を果たしていたGREEN BERETSも戦争の激化と共に戦闘任務につくようになっていきます。

1964年5月:「プロジェクト・デルタ」計画がスタートしました。
この計画はCIDG攻撃部隊とLLDBに長距離偵察訓練をする目的だったが、実際作戦投入された部隊はGREEN BERETS隊員とCIDG攻撃隊員志願者による混成チームで彼らは[ロードランナー]と呼ばれていました。

ロードランナーの編成単位としてGREEN BERETS隊員が2~4名、CIDG攻撃隊員が4~8名で1個偵察チームが編成されてました。
初期の偵察チームの編成は12個偵察チームで後期には16個偵察チームにまで拡大する。偵察任務の際、CIDG攻撃隊員の数名がべトコンか北ベトナム軍兵士に偽装していた。
このLRRP(特殊長距離偵察パトロール)が成果を上げることに成功し、更に攻撃性が強くなった戦闘偵察パトロール部隊に発展し、1967年になるとプロジェクト・シグマ、オメガ、ガンマと次々と各部隊が新設されていきました。

1964年10月:CIDG攻撃隊員による[マイク・フォース](機動攻撃部隊)が編成されました。
この部隊はヘリを使った、上空から作戦を行う(通称:ヘリボーン作戦)為に編成された高機動部隊で、人数は2000~3000名の連隊規模の5個部隊(1st MSF~5th MSF)から編成されており、偵察・砲兵や河川パトロール用の艦艇などの部隊もありました。
マイク・フォースは南ベトナム軍兵士よりも戦闘力と士気が高く、プロジェクト・デルタ計画で編成されたロードランナーと連携して不正規戦を戦っていきました。
マイク・フォースの兵力の概要として、2500名の隊員は本部、1個偵察中隊、4個歩兵大隊で編成されている5th MSF(モービル・ストライク・フォース・コマンド)はナトランに駐屯していて、5th SFGの指揮下に置かれていました。

1967年以降:マイク・フォースは5th MSFに全て吸収されマイク・フォースは消滅します。
GREEN BERETSとCIDG攻撃部隊の脅威に、北ベトナム軍は危機感を持ち、更に戦闘は激化していきます。

1965年:いよいよアメリカ軍の本格的なベトナム介入が始まり、歴史上ではこの年からベトナム戦争が始まったことになっています。

1966年9月:アメリカ陸軍は歩兵師団と旅団にLRRP小隊が編成され、5th SFGの[Bチーム]が訓練担当になり、リコンド-スクールを設置、志願兵にラープ訓練を開始しました。
このアメリカ陸軍ラープ小隊は[MACV-SOG]の指揮下に入り特殊作戦任務に就くこととなりました。

1967年11月:ベトナム戦争で活躍している米陸軍特殊部隊:GREEN BERETS、米海軍特殊部隊:NAVY SEALs、米空軍:第90特殊作戦飛行隊、米海兵隊特殊部隊:FORCE・RECONの各軍の特殊部隊を指揮・統括する為、[MACV-SOG](南ベトナム軍事支援米軍司令部/特殊作戦部隊)がサイゴンのタンソニェット空港内に設立されました。

SOGはマスコミ対策に表上では「研究/観察グループ」というカバ-ネ-ムを付けてましたが、その裏での実態は不正規・非合法活動任務で暗躍する特殊作戦部隊であったのです。
MACVを監督するため、「CCC」(中央コマンドセンタ-)、「CCN」(北部コマンドセンタ-)、「CCS」(南部コマンドセンター)の各管制本部を配置され、前方作戦基地(FOB1/2)を指揮しました。
MACV-SOGは米国防省とCIAの命令で動き、任務を受けたMACV-SOGは各軍の特殊部隊から隊員を選抜して、統合部隊を編成し任務の期間中だけ共同作戦を実地しました。
作戦内容としても、各特殊部隊員が所属するMACVにも一切知らされておらず、表上はMACVの統制にあったが、実際はCIAが立てた秘密作戦でありました。
SOGの総勢はアメリカ軍特殊部隊:2000名とCIDG攻撃部隊:8000名の隊員がおり、作戦単位は1個偵察チームで、3~5名のアメリカ特殊部隊員と9~13名のCIDG攻撃隊員で構成されていました。

SOGが行った特殊作戦については、現在も不明な点が多く、殆どの情報が公開されていないが、一理の任務内容として北ベトナム、ラオス、カンボジアへの他国の潜入作戦や捕虜の救出、北ベトナム人を誘拐・暗殺任務などを行っている。

1965年~1972年:2675回もの膨大な数の国境作戦を実地、103名のアメリカ軍特殊部隊員が戦死したと言われています。

1968年:共産側のテト(旧正日)の激しい攻勢後、3月にパリ和平会談が開始されて、ベトナム戦争を南ベトナム軍に任せる案がアメリカ議会で決定した。
ベトナム戦争を早目に終わらせる為、CIAは「プロジェクト・フェニックス」計画を提案してSOG部隊の志願者で[PRU](ベトナム転向者のスパイ)を極秘で結成。任務も通常の作戦とは異なり、「テロにはテロで対抗」するものでベトコンの幹部クラス&その支持者を暗殺・誘拐・脅迫するものであった。
この秘密部隊の志願資格はベトナム・ツアー(ベトナム従軍)2回以上のエリートで機密保全の完璧な隊員が選抜されたものでなければならない。

この計画は1968年~から1970年まで続け、ベトコンの戦法を逆手に
取った作戦は、ベトコン組織に致命的なダメージを与え活動停止状態にまで追い込んだ。元CIAの話しによると、約40000人を殺害したと言われている。

1970年11月20日:GREEN BERETSの数々の戦果で武勲を上げ、特に印象に残ったのが「オペレ-ション・アイボリ-・コ-スト」(ソンタイ捕虜収容所奇襲作戦)です。この作戦は北ベトナムのド真ん中にある捕虜収容所に収容されているアメリカ軍将兵をGREEN BERETS隊員が救出する作戦であった。
600名の志願者から53名が選ばれブル・サイモンズ大佐の指揮下で作戦を実行に移した。
しかし、既に捕虜は新しい収容所に移送されソンタイの収容所は空っぽで誰もいなかったのです。
結局、北ベトナム通信学校に在住しているソ連・中国軍人の教官と北ベトナム軍兵士、捕虜収容所の警備兵を全滅させただけで、作戦自体は失敗に終わった。
作戦後、当時のアメリカ大統領作戦に参加した隊員全員に銀星章を受領され、「命懸けで戦友を救出する頼もしい部隊がある」という話しが将校に伝わりアメリカ軍兵士や捕虜の士気向上に貢献した。
だが、アメリカ軍捕虜からは米国政府の不甲斐ない行動に批判的でした。

1970年:アメリカ国内での反戦運動が高まっていく中、アメリカ軍はベトナムから暫時撤収を始めました。

1973年1月:パリ和平休戦協定でアメリカ軍のベトナム戦争は表面上では終結ということになります。

1973年3月:この協定に従いアメリカ軍は全て撤退したということになっていた。
だが終結後も、南ベトナムが陥落する1975年4月まで[第69統合整備・支援中隊]というカバーネームで秘密作戦部隊が最後まで戦い抜いてきた。
任務はCIAの管理下で秘密部隊がラオス、カンボジア、北ベトナムに進入するもので、14の地上戦闘チームでアメリカ人2名、現地人4名で1チームを編成。他にも兵器庫、配車センター所属する非戦闘員で構成されていました。この期間で戦死した者はMIA(戦争行方不明)か軍籍から除籍されていると言われる。

1975年:南ベトナムの首都:サイゴンが北ベトナム軍により陥落、カンボジアと南北統一された後、アメリカ軍は完全にベトナムから撤退しました。アメリカ軍撤退後もモンタニーヤードはベトナム共産政権と1992年まで戦った。

こうしてベトナム戦争が終結すると、今回の戦争について賛否両論が起こり、誇張・美化する推進派、誹謗中傷・批判する反対派が極端に多くなり、それに伴いカーター政権下によってCIAが弱体化され、特殊部隊も同様に存在意義を失い規模を縮小化することになりました。

GREEN BERETSは不正規戦が主な任務だったので、任務上匿名性が高い為、成果が現れにくく軍上層部は彼らを兵力縮小して、当時大規模だった5th SFGを解体されるなど、どんどん孤立化していきました。

●特殊部隊の復活
1982年:そして時代は「軍事強行路線」を敷くレーガン大統領の時代になり、不正規戦闘に優秀なGREEN BERETS、諜報活動に優れたCIAに注目をするようになり、軍事強化の具体的な例として特殊部隊が再編成されることになりました。
これも「大規模な紛争からテロ・ゲリラ活動の末端LV、正規軍の投入が困難な場合」など様々なことに対応できる「対不正規専門部隊」が重要な役割をもつ部隊であることを明確にしたからです。

やがてアメリカとロシアの大国同士が睨み合っていた「東西冷戦」が終結したことにより、危機は免れてたと思っていた。しかし、世界情勢が2極化から多極化することにより、思想や信仰の衝突、貧富の差などの民族・宗教問題を始めとするテロ行為や紛争が世界各地で起こった。

米国防省はこういった紛争をLIC(低烈度紛争)と定義している。
こういったLICに対抗するために特殊部隊を有効に扱えるシステムを生み出した。

1987年4月:アメリカ議会の承認を得けて[US.SOCOM](合衆国特殊作戦群)が創設される。
これは陸・海・空の各特殊部隊の統合指揮を取り世界各地の不正規・紛争を遂行するために設立されまして「フロリダ州マクディール空軍基地」を本拠地にしました。

●現在
GREEN BERETSはUS.SOCOMの隷下部隊としてノースカロライナ州フォートブラッグ基地にある[ASOC](陸軍特殊作戦軍団)司令部に統括されています。
このASOCには第75レンジャー部隊や第160特殊作戦航空隊が配置しています。
ベトナム戦争で使われたフォート・ブラッグ心理戦センターは、1956年特殊戦争センターに改名されて、1965年にはJ・Fケネディ特殊訓練センターと更に改名されて、現在はASOCに統括されている。

1995年:第11特殊作戦グループと第12特殊作戦グループのアメリカ陸軍予備隊が解隊

そして現代も尚、湾岸戦争を始めとする、パナマ侵攻、ソマリア、アフガニスタン、イラク戦争など私達の知らない所で他国の軍人に訓練を指導したり、特殊任務を遂行し活躍している。


■編成・任務■


●任務・技能
GREEN BERETSは友好国の軍隊あるいは現地の味方ゲリラに対ゲリラ部隊の編成・特殊作戦訓練を指導したりと訓練指導部隊として従事していることです。
戦闘での最大任務は対ゲリラ戦である、他にも対テロ戦、人質救出作戦、極秘作戦、CQB戦闘、空挺降下、ハーツ・マインズ(民心獲得工作)を心得ており、1人の特殊部隊員で正規軍兵士100人分の力を持っています。

2001年9月11日に起きた米国同時多発テロへの報復活動について、[北部同盟](反タリバン勢力)の部隊に近代戦術訓練を施している。

●グループ構成
前述に書いてある通りGREEN BERETSはアメリカ陸軍に所属しており、ASOCの配置下に置かれています。
規模は5個の特殊作戦グループ、州軍2個部隊から編成されており、1個SFGの規模は大隊クラスに等しい数となっています。各隊の編成として

第1特殊作戦グループ(空挺)
担当:中央・東南・南西アジア
拠点:ワシントン州フォート・ルイス

第3特殊作戦グループ(空挺)
担当:地中海・西南アフリカ
拠点:ノースカロライナ州フォート・ブラッグ

第5特殊作戦グループ(空挺)
担当:中東・北アフリカ
拠点:ケンタッキー州フォート・ブラッグ

第7特殊作戦グループ(空挺)
担当:中央米・南米
拠点:ノースカロライナ州フォート・ブラッグ

第10特殊作戦グループ(空挺)
担当:ヨーロッパ
拠点:コロラド州フォート・カーソン

第19特殊作戦グループ
州軍部隊
拠点:ユタ州ソルトレークシティ-

第20特殊作戦グループ
州軍部隊
拠点:アラバマ州バーミンガム

第56生物化学兵器偵察分遣隊
陸軍現役部隊

第801生物化学兵器偵察分遣隊
陸軍現役部隊

第445生物化学兵器偵察分遣隊
予備役部隊

第900生物化学兵器偵察分遣隊
予備役部隊

●組織構成
本部
本部支援中隊
3個SFG大隊
1個支援中隊
で構成されていて、各SFGが実戦部隊の主力として活躍しています。

◆作戦中隊の構成
総務分遣隊
Bチーム
Aチーム(X5)
特殊部隊1個中隊はそれぞれ、総務分遣隊1個、B分遣隊(Bチーム)1個、A分遣隊(Aチーム)5個で合計7個分遣隊から構成されています。

B分遣隊
指揮官:少佐
隊員数:将校6名(その内、1名の将校は部隊を指揮する)下士官18名、3個合計で72名(各1個で24名)で構成。

A分遣隊
指揮官:大尉
副官:中尉
隊員数:将校2名、下士官10名、合計12名で構成。
B分遣隊の指揮下にある[ODA](A作戦分遣隊)とも呼ばれているGREEN BERETSの最小単位である。

またAチームはCQB(近接戦闘)訓練をしており、[C中隊](チャーリーカンパニー)といわれているCQB専門部隊もあるという。

そしてGREEN BERETSのモットーは「抑圧からの解放」としている。

●部隊・編成(ベトナム戦争時代)
1968年、マイク・フォースの部隊編成

第1MSF
隊員数:463名
拠点:ナダン
本部、1偵察中隊、2個歩兵大隊で構成、第1軍団のB-16-1チームの指揮下に入っている。

第2MSF
隊員数:3119名
拠点:ダナン
本部、1個偵察中隊、5個歩兵大隊で構成、第2軍団のB-20チームの指揮下に入っている。

第3MSF
隊員数:2015名
拠点:ロンハイ
本部、1個偵察中隊、3個歩兵大隊で構成、第3軍団のBー36チームの指揮下に入っている。

第4MSF
隊員数:2199名
拠点:カントー
本部、1個偵察中隊、1個エアボート中隊、3個歩兵大隊で構成、第4軍団のB-40の指揮下に入っている。

第5MSF
隊員数:2500名
拠点:ニャチャン
本部、1個偵察中隊、4個歩兵大隊で構成、5th SFGの指揮下に入っている。

FOB所在地

CCN(北部コマンドセンター)
拠点:ダナン
担当:北ベトナム、ラオス
3箇所のコマンドセンターの中では最大規模クラス

CCC(中央コマンドセンター)
拠点:コントゥム
担当:南ベトナム、ラオス、カンボジア

CCS(南部コマンドセンター)
拠点:バンメトゥ-ト
担当:カンボジア
3箇所のコマンドセンターの中では最初規模である。


■隊員選抜■

沈黙のGREEN BERETS隊員

(画像提供:炎神丸さん)
GREEN BERETSの入隊するには、下に定められた基準をクリアしなければなりません。

1.空挺隊員であること、又は降下資格を有する者
2.男子で21歳以上であること
3.学歴が高卒以上であること
4.身体強健であること
5.視力0.8以上で色盲でないこと
6.隊長から推薦された者で、階級が伍長以上であること
7.軍法会議を含め、交通違反以外の逮捕歴がないこと
8.第2親族中に精神障害者、自殺者がいないこと
9.自ら以前に特殊部隊を退隊していないこと
10.セキュリティ・クリアランスの保持者であること、又は取れる見込みがあること
11.米国籍を有していること
以上、この項目をオールクリアしないとGREEN BERETSの入隊志願許可が下りません。常に優秀な人材を維持・確保するために志願資格も厳しく設定されてます。
ちなみにセキュリティ・クリアランスとは秘密保全条項のことでありまして、国家が保持している機密・極秘・秘密書類及び物件の保護を託するのに相応しいと認めることができる人物に与えられる証明書のことです。
志願を受けた特殊部隊本部は、身元、素行、信条、各項目などを再度調査され1つでも引っかかるとOUTで志願が出来なくなります。

この審査を無事にクリアして初めて「SFAS」(評価・過程)過程で入隊試験を受けることができます。

この過程で約1ヶ月間、体力・気力・精神力を厳しく試されます。
この難関をクリアしてやっと、「SFQC」(特殊部隊員資格コース)に進むことができます。

SFQCの訓練は主に・・・
前半:2週間の訓練は
1.25kgのリュックサックを背負って8kmを45分以内に走破
2.ユニフォームと軍靴を着用して、75m以上を平泳ぎで進む
3.地図の読解・記憶能力を有すること、地図を30秒間見た後、地形に関することを10問中7問正解すること)
4.外国語学能力を有していること
その他.地図解析、夜間航法、空挺作戦、カモフラージュ技術、パトロール計画作成技術、情報分析、報告書作成などを訓練します。

後半:2週間の訓練は
コンパスと地図とサバイバル・きっとを持ち込み、険しい地形を目的地までひたすら移動する訓練があります。

この4週間の訓練期間で特殊部隊員に最低限必要な体力・知性・記憶力・忍耐・精神力の適正が判断され、この過酷な訓練を突破した選ばれし者だけが、「各特殊部隊員専門コース」に進むことが出来る。

「特殊部隊専門コース」には重小火器コース・破壊工作コース・通信コース・医療衛生コース・外国語コース・情報作戦コースに分かられます。

1:重小火器コース
世界各国の重小火器について、組み立て、分解、使用可能な砲弾の種類、特徴などを22週間かけてみっちりと学びます。
コース終了間際には戦場を想定して、目隠しをして1分以内にM16を組み立てなければテストに合格することはできません。

2:破壊工作コース
27週間かけて、バージニア州フォート・ベルヴォアにある工兵学校で爆薬、対人、対戦車地雷の敷設法と撤去法、記録法を学びこととなります。
この訓練を4週間ぐらいやると、特殊訓練センターに戻り破壊工作の訓練が本格的に始まりそこで、あらゆる目標物の破壊方法を教え込まれます。
特別破壊工作には爆発物などを何も装備せずに、未開発地域にいかされ現地調達の材料で爆発物が作製できる、高度で危険な訓練を叩き込まれます。

3:通信コース
地上の磁気作用や通信衛星使用法を30週間の訓練で、初歩から高度までの通信技術をビシビシと教え込まれていきます。
テストにはちゃんと最低限の通信速度を身につけてるかテストをします
それに合格すると敵陣後方から味方陣地の交信法に移ります

4.外国語コース
国防総省又は国務省管轄の外国語学校で敵対国の政治体制や宗教、語学を学びます。

5.医療衛生コース
特殊訓練コースの中では1番期間が長く約1年間、テキサス州の全陸軍衛生隊員訓練センター、火傷治療研究所、陸軍病院又は民間病院で医療衛生の全分野を学ぶこととなります。

この専門コースをクリアすると次にパラシュート降下、水中活動、チーム活動訓練(不正規戦における模擬訓練)をやります。

この訓練を無事に終了すると晴れてGREEN BERETSに配属することができます。

■隊員の装備■


●武器
アサルトライフル:M4A1、M16A2、CAR-15、XM177-E2

スナイパーライフル:SR-25

オートマチックライフル:M2カービン

重機関銃:M240B、M60、M249MINIMI

サブマシンガン:MP5A3、MP5SD6、イングラムM10/11

ハンドガン:M9、M1911ガバメント

ロケット/グレネード:M203 40mmグレネ-ドランチャー

その他:ランドール社製シースナイフ、BENCHMADE社製ストライカー、アレン・エリシュウィッツフォールディングナイフ

●装備品
アーマー:スピア・ボディアーマー、レンジャー・ボディアーマー、EAGLE社製TAC-V10ベスト、ロードベアリングベスト

BDU:米国陸軍標準戦闘服

ヘルム:PASGTヘルメット、MICHヘルメット、USジャングルハット

ナイトビジョン:PN/VIS-14暗視装置、PN/VIS-7暗視装置

バックパック:EAGLE社製ベッカーパトロールパック、A-3パックエアボーンタイプ、エアボーンアサルトパック、BLACKHAWKHI社製R.A.P.T.O.R、ピストルマガジンポーチ

その他:CMELBAK、PRC-80通信機


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