


次に”緑の軸線”については、10月12日の日記 「合同展示会の模様」
で解説済みだが、その軸線とは「冬至」の”日の出”方位を重視した「筥崎宮」ー「宇美宮」ー「宝満山」を結ぶ《三点一直線》の祭祀線であった。
実は、展示期間中に「筥崎宮」を参拝の折、本殿の背後にある「東末社(五社合殿)」をお参りした際に、その五社の中央となる社殿に「乙子殿」と書かれた神額を見出すこととなった。この「乙子(おとご)」(「末子」の意味)の文字に見覚えがあったので、すぐさま現地で調べてみると、祭神は「菟道
雅郎子(うちのわけのいらつこ)
」であり、
「筥崎宮」の主祭神「
応神天皇」の皇子の一人であることが
わかった。
もしかすると…かつて参拝したことのある「志賀島」の中腹に鎮座する「乙子神社」と関連するのでは…ということで、
後日になって上記の
《三点一直線》
を「筥崎宮」から伸ばしてみると、やはり
「志賀島」に向かい、驚いたことに「雅郎子皇子(わけのいらつこのみこ)
」を祀る「乙子神社」に当たるのであった。
そこで上の画像は、その
「雅郎子皇子
」を祀る小社を少し遠くから撮影したものが左側、当社の「乙子神社」と記された社額を中心に撮影したものが中央、そして社内に鎮座する「
雅郎子
皇子
命」と彫られた
丸石を撮影したものが右側である。

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