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ねこの木

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　眠らない街。

賑わいにも翳りが射す。

　その時刻に松本秀夫が新宿駅南口をうろついていたのは特に目的があってのことではなかった。彼は定職を持たず単発で運送会社で荷物の仕分けなどをするバイトをしながら、その日暮らしで生活をしている。
多少ぶらぶらできる金が貯まると仕事を休み、金がなくなると、
また働き始める、その繰り返しだ。

　その日はまだ5月だったが、熱帯夜を思わせるむせるような湿気にいたたまれずアパートを出てバイクを飛ばした。笹塚から甲州街道を真っ直ぐ走って新宿に着いた。
バイクを止める場所を探して南口から西口あたりを物色していた。

　彼の拠点である歌舞伎町では最近、取締りが厳しく

また関わり合いになるのは面倒だった。

　彼が彼女を見かけたのは最初は南口でだった。
甲州街道沿いを歩く人の波に派手な柄のビニール製のバッグが目立った。
水色の地に大きなリンゴだかサクランボだかの鮮やかな赤のプリントが散り、
持ち主のおぼつかない足取りに合わせて揺れる。
ティーンエイジャーが好んで持ち歩きそうなデザインのものだったが、
持ち主は、もう少し年齢がいっていそうに見えた。

　彼は一瞥し、すぐに忘れた。
そして西口にまわりロータリー近くにバイクを止めて、シャッターの閉まった小田急線の
新宿駅近くまで歩いた。特に時間を潰すあてがあってのことではない。
湿って熱を持った風が頬に纏わりつく。

酔いつぶれてシャッターにもたれかかり眠り込んでいる。誰も関心を持たない。
闇に乗じて財布でも盗もう、という輩以外は。

　彼は足を止める。
彼女は酔いつぶれているのか、立てたひざを抱え込むようにして眠っている。
ビニールのテラテラした質感のバッグの水色と鮮紅色のコントラストが

ティーンエイジャーではないが、まだ若い女のように見える。
バッグの中身をいただこうか、と一瞬思ったがやめた。

「おねえさん・・・・」
女は微動だにしない。
「おねえさん・・・。こんなところに寝てると危ないよ。」
女は薄く目をあけたが再び眠りの淵に引き込まれるように俯く。
「おねえさん・・・財布取られちゃうよ。」
女は再び目をあける。
夜の薄暗い靄のかかったようなイルミネーションの光で見ても
わかるくらい色の薄い瞳だった。顔色も冴え冴えと白く薄かった。

「眠い。頭が痛い。」
女は再び眠り込もうとする。
「おねえさん、さっき南口のところで見たよ」
「そうなの？」
女を眠らせないように何でもいいから喋りつづける。
「そのバッグ持ってたから、今、すぐわかった。」
「ふうん。自分ではわかんないけど、目立つんだね。」
「とにかく、座れる場所に行こうよ。ここは、ほんとうにヤバイんだ。」
「ヤバいって？」
「夜になるとオレみたいな奴らがうろうろしてるってこと」
「ふうん、あなたは？」
「財布を取ろうと思ったけどやめた」
「ふうん・・・・。」
「オレ、酒は飲めないんだ。喫茶店なら朝までやっているところを知ってるよ。」
女の手首を握り立ち上がらせる。冷たかった。
一昨年、祖父が死んだときに体を触ったことがあった。
硬かった。指で弾くとカチンと音がしそうな気がした。彼の知っている祖父ではなく
祖父の形をした何かの容れもののような。
そんな冷たさだった。

「頭が痛い」
女がまた言い出した。無理やり立たせた。
「オレは松本っていうんだけど、あんたは名前、なんていうの？」

「・・・・・なまえ？」
女は思いがけないことを聞かれたような顔をして彼の顔を凝視した。

「ほんとの名前がいいたくなければ何でもいいんだ。
名前がなければ呼べないだろう。好きな名前でいいんだ。」

瞳孔が開いていた。
何かヤバイクスリでもやってるんじゃなか、と思うくらいはっきりと。
ヤバイくらい綺麗だ、と彼は不思議な気持ちになる。

「行こうと思ってた店があったんだけど、行ったら、もうなかったの。」
女はぽつりと、それだけ言った。（続）

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