PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着

火曜日、教室が終わった後に
この日記( 3月12日の日記
)にもよくでてくる
ぽんぽこ先生に会ってきました。
「ちょっと、そこに座ってごらん」
と言われて座ると、
首筋、後ろ頭の付け根をちょっと揉んでくれました。
いつもは、しばらく揉んでくれたり
リラックスしていると、やわらかくなって
「また、頑張ってしまったなぁ(笑)」
と言われるのですが
今回は、どうやら違うようでしばらくしても、痛みが抜けません。
「何かあったか?」と聞かれたので
今日あったことをお話しすると
( 9月10日の日記
)
「夜回り先生のお話を聞いた時に
『これは、とても真似ができない』と思いながら
『自分なら、どうしたらいいか?』と思っただろう。
自分のなかに
『清く正しく生きるのがいい』
というのがあるということだな(^v^)
誰かのためにと自分が動くのではなく
その人自らが、動けるように、できるように
エネルギーを増やす接し方をしたらいいんだよ。
余裕がないときに、誰かの代わりをすることは
自分にとっても、相手にとってもいいことではないんだ。」
と、話してくれました。
まさに、その通りのことを思っていて(笑)
その伏線もあって、ちょっと前から
大河ドラマで、「この国のために」と動いた
徳川幕府や薩摩の志士のお話を
見たりしていて
清く、正しくという意識が
背負っちゃう意識になっていたんです。
そして、知らず知らずに
『どう頑張ろう。』
『どうしっかりしよう』
『もっと、頑張ろう』
と思っていて、エネルギーがなくなっていて肩に、サインがでていたようです。(笑)
このサインによって
自分のなかにある
頑張らねばならない
頑張って当然である
しっかりして当然である。
清く、正しく生きて、当然である
という考えが結局、
自分や相手を責めている
ということにつながっている
ということに気づくことができました。
だって、楽しくて、嬉しくて
余裕があって、ゆとりがあるとき
『肩がこる』というようなことは、ありませんよね。
ちょっと、前から
肩がこっているというときは心と身体のバランスが崩れていること
ということではないかな?と考えていたんですが
こころのエネルギーが
不足しているよ
ということだったみたいです。
おだやかで
ゆったりしていて
笑顔があって
ゆとりのある状態だと
いろんなことができますよね。
何をしてあげるかではなくどう接してあげるかではなく
自分自身がどういうカタチで接してあげるかなんだなと思いました。