ダイアモンド・ダスト

ダイアモンド・ダスト

Feb 13, 2008
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カテゴリ: 基準
今、 家族依存症 斉藤学 著  という本を読んでいる。

ここに、「大人の条件」というのが載っていた。

さて、みなさんは、此処に挙げられている条件、
満たせていますか?

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  大人の条件

成人ないし大人の条件というものを考えてみましょう。かつてある汚職事件で主役を演じた人物は、「お互い、大人のつきあいをしようじゃないか」というのが口癖だったといいます。このような使い方をするので、私自身は、大人という言葉が好きではない。公的な権力を背景に、裏取引も辞さないというのが大人の感覚なら、そんな大人にはなりたくないという人は多いでしょう。どうも私たちの社会では、「やり手」と大人とが混同されているふしがあります。ここでいう大人とは、人間として備わった能力を、フルに展開できる人のことです。
 そこで、大人であることの条件ですが、私はこれを、「現実検討の能力」「衝動をコントロールできる能力」「自分を肯定できる能力」「いい加減にやれる能力」「人と共感できる能力」というふうに分解して考えています。
大人は、他人に依存しないですむだけのパワーを備えていなければなりません。 この世で生き抜き、家族を支えるためには、経済力をはじめとするパワーが必要ですが、これは、現実を正確に把握する能力や、欲求不満に耐える能力がないと身につきません。現実検討とか衝動のコントロールという中には、自分の限界を知り、誤りを矯正するという部分が含まれますから、次の「自己肯定の能力」とは一見矛盾するようですが、実はそうではありません。自分を正確に把握したり、自己の欠点を直視したり、欲求を我慢したりするためには、自分が世間の人に受け入れられ、愛されているという、基本的な自己肯定の感覚が欠かせないのです。私たちは 人に愛されていると思うときにだけ、その人からの叱責や問題提起を、建設的に受け入れられるものなのです。  自分と自分を取り巻く現実を正視できる人は、今すぐすべきこと、次にすべきことという優先順位の区別がつけられます。また、注意深く完全をねらう職人仕事と、直感力を生かしておおまかな見通しをつける仕事との見分けがつけられます。私はこうした能力を「いい加減にやれる能力」と呼んでいますが、これこそ最も高度な大人の能力と呼んでいいもので、世の中で目だった業績をあげているのは、この能力に恵まれた人たちです。一方、私のところへ来る患者さんたちの中には、種々の才気や能力に恵まれながら、この能力だけは欠けているという人が多いのです。彼らが努力を空転させている様は、傍で見ていても痛ましい限りなので、私は口をすっぱくして、次のようにいうことになります。「今やれることをひとつだけ決めてやってごらんなさい。失敗してもいいんですよ。いい加減におやんなさい」はじめのうち「今やれること」といえば、私といっしょに治療ミーティングに出ることくらいですが、それでいいのです。高望みしないで、「今やれる課題」が設定できるようになったら、その人はすでに、私の援助を必要としないくらい健康になっているのです。
 最後の「共感する能力」は、大人の人間関係を楽しむために不可欠の要素です。

共感する能力

「共感する能力」とは体験を分かち合う能力の事です。他人の喜びを共に喜び、痛みを分かつという、人間の感性に生まれつき賦与された能力ですが、他の能力と同様、鍛錬しないとしぼんでしまいます。人間の精神は「取り入れる」段階からはじまって「分かち合う」段階へと発達し、これに伴って共感性の発達があります。赤ん坊は、親の愛と関心を取り込むところから始まって、栄養、言語、生活技術などを取り入れて成長し、固有の自己イメージを作り上げていきますが、やがて、他人に共感し、他人と相補的関係(分かち合う関係)ができるようになると、大人になったといわれるわけです。したがって、真の大人は、共感する能力をたっぷり備えているはずなのですが、いつのまにか、他人の痛みがわからないスレッカラシになっていることが多いのは、残念なことです。

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前に読んでいた「第1感」という本によれば、
直感力というのは
普段の訓練によって培われる感覚であるということだったから、
実際には「いい加減にやれる能力」を身に着けるのには、
どこをいい加減にやっても大丈夫なのかが解るくらいに

「いい加減にやれる能力」も備わらないだろうと、
私は思う。

これは、建築測量をやっていたときに上司の仕事の進め方を見て
実感として理解している。

仕事の隅々を熟知していると、


が、熟知していない者が、手を抜けば、
それは後々、大きな問題となって降りかかってきたりする。

にしても、「他人の痛みがわからない」人のことを「スレッカラシ」といいのけてしまうのには笑ったな。

ここでは「他人の痛み」とあるけれど、
これは、自分の犬の痛みを感じ取ろうとしない飼い主と言うことでもいえることだよね。

そうか、そういう飼い主は、
「スレッカラシ」で「お子チャマ」ということなのね。

人に愛されていると思うときにだけ、その人からの叱責や問題提起を、建設的に受け入れられるものなのです。

愛されていることを感じ取れない人は、
何時になっても苦言を受け入れることが出来ずに失敗するともいえるね。





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Last updated  Feb 14, 2008 12:21:35 AM
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