ダイアモンド・ダスト

ダイアモンド・ダスト

May 2, 2018
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カテゴリ: 備忘録
軽微な過ちや
短期的な過ちに関する謝罪は
許す立場の者にとっても
許される側の立場の者にとっても
良い結果に結びつくことが多い。

しかし、
謝罪に至るまでの年月が長かったり
謝罪の内容が重すぎるものである場合
謝罪された側の感情としては


しかし、それでも許しを与えなくてはならない状況があった場合
許す側というのは
最初に被害を被ったことによる傷と
後から謝罪されたときに
傷をほじ繰り返される痛みと
新たに沸き上がった怒りと
さらにその怒りを自分の中に押し殺して抱え込むという
三重苦、四重苦を味わうことでしかない。

許すというのは
かくも過酷なことをやってのけることであり
そんなことからすれば

どれほど楽で
しかも謝罪の後からは
負債から解放され
その件に関しての一切を切り離していける楽が待っている。

一方許しを与える側というのは

謝罪によって消え去ると言う事ではなく
相手が発生させた瑕疵や負債を
一生涯三重苦の状態で引き受けると言う事なのだ。


謝罪すれば良いとか
謝罪した方が良いとか
それが一般的な見解だ。

しかし
謝罪された側の痛みについては
それを体感したものでなければ
絶対に解らない。

謝罪を受けたから
気持ちが晴れるとか
気持が収まるとか
そんなに簡単なことではないということを
多くの人はご存じないよね。

悲しみというのは
その件に関するすべてのエネルギーを
相手に奪い取られていたがための感情で
そこに謝罪によって
相手のエネルギーを一部注ぎ与えられたことによって
無力さから生じていた悲しみが
エネルギーを得たことで
憤りに変化する。

しかし謝罪した相手のことを考えると
いきおいが増して強くなった感情をも
自分の中に抑え込まなくてはならなくなる。

そんな苦しさは
誰も考えないから
謝罪という行為が美化されていたり
許すと言う事が
あたかも自分の中にある
「悲しみからの解放」に至れることであるかのような語られ方をしていたりする。





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Last updated  May 3, 2018 12:12:11 PM
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