ダイアモンド・ダスト

ダイアモンド・ダスト

May 2, 2018
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人間という生き物は不思議な生き物だ。

承認欲求とか理解されたい願望とかいう摩訶不思議な欲求を持ちながら
同時に自由を求めたりする。

他人と自分は同時並行的に同じ世界で生きてはいるが
自分の経験がそっくりそのまま相手の経験と重なると言う事はあり得ない。

自分を100%理解し受け入れてもらうには
自分と全く同じ性格で
なおかつ全く同じ経験をしていると言う事でもなければ
絶対にあり得ないはずなのに

何故他人に自分の存在や価値の承認を望んだり
自分を理解してもらいたいという欲求に囚われるのだろう?

そんな絶対にあり得ないもの
絶対に手に入らないものを
何時までも望み
それが手に入らないことで苦しむなんてナンセンス。

そんなことで苦しんでいることは
自分の人生時間を浪費しているのと同じだ。

自分のことは
自分にしか解らない。

他人に自分を理解してもらいたいとか


そう割り切れるようになると
人生の歯車は
苦しみという輪留めが外れ
一気に加速する。

自分の人生は自分だけのもの。


他人からの理解など
はなから必要ないはずなのに
なぜそんなバカげた欲求が人間には備わっているのだろう?

それは社会生活?共同生活?
を営んで生き延びてきた動物だからだという説明がなされていることが多いのだが
元をたどってみれば
未熟な状態でこの世に生まれ落ちた個体が育って生き延びるのに
ただ親からの庇護を受けるために
親子という小さな社会をクリアするために
必要だった本能なんじゃないか?

そんなもののために人生時間を無為にしてしまうのは
どうかしているよって思う。

他人の承認なんか必要ない!

自分自身が自らを承認できれば良い事だ。

人生の軸を他人の上に置くことを止めて
自分を軸にしていけば
もっと中身の濃い人生になっていくはずだ。





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Last updated  May 2, 2018 12:37:24 AM
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