あたしの気まぐれな毎日

あたしの気まぐれな毎日

【自覚症状】



高校はいわゆる中の上というか、上の下というか進学校で、そこそこ真面目ちゃんばっかりの学校だった。女子のグループがなんとなくできあがった頃になって、休日のお出かけや、トイレのお誘いを断るあたしはあっという間に『友達』なるものを失い、休み時間も一人でウォークマンで音楽を聴いたり三島由紀夫を読んだりしている子だった。だって、トイレくらい一人で行けばいいし、そんなに親しくもないのにいきなり休日一緒にお出かけするのもどうかなって思うじゃん。そんなことくらいで『友達』になれないなら、なんなくてもよかったんだ。そんな友達いらないもんね。
とにかくあたしの居場所は学校にはなかった。
ふらふらと遊び歩いているときに知り合った友達のおねえさんやその取り巻きと夜遊びに出かけるのが楽しかった。世はバブル。一番若いあたしは「姫」と呼ばれてさんざんかわいがってもらった。送り迎え付きで服も化粧も先輩任せのディスコ通いだ。

梅雨のある日、授業中にぼんやり一番後ろの席から黒板を眺めていたら、突然クラスメイトが虫に見えてきたの。みんな同じ方向を向いて、下向いてノートとってる姿が無性に気持ちの悪いものに思えて吐き気がこみ上げてきた。うそっ!吐くかも!速攻教室を抜け出してトイレに駆け込んだ。でも別に何にもでないんだ。気持ち悪くておえってなるんだけど、何も出ない。だけど教室に戻ろうとすると吐き気がひどくなって、トイレの個室から出られなくなった。やっとの思いで休み時間になって、教室に戻ったけど、もうその日は授業を受ける気分じゃなくって、そのまま早退して帰った。今思えば、それがあたしのPDの始まりだったんだ。

その日から、あたしの保健室登校が始まった。徒歩5分程度の登校時間だったけど、あたしの足は重かった。教室に行くことができなくなった。だって、人前で吐くのなんて絶対にイヤだもん!保健室のO先生は東北出身の訛りのきさくなおばさんだった。あたしが毎日のように保健室に出勤しても、お茶入れてくれて、おせんべい出してくれたりした。たわいない世間話して落ち着いたところで、ちょっと教室に行ってみたり、また気持ちが悪くて戻ってきたりしても責めることなくお茶を入れて付き合ってくれた。そんな状態で、出席日数ギリギリでなんとか卒業までこぎつけたのは、O先生のおかげだったのかもしれないな。端から見ると登校拒否?いや、そうは思われなかっただろうな。たんなるさぼりと思われていた。

でもあたしはホントはホントに病んでいたんだ。

そんな学校にでもたった一人本当の友達がいた。Kは一つ年上で、あたしの元彼の親友だった男だ。奴はヤンキーで暴走族の頭だった。進学校には珍しいパンチパーマで目立つからずっと知っていたんだけど、友達になったのは高1の秋だった。あたしはトモユキって奴とつきあってて、そいつのウチに奴は居候していた。なんでも、厳しいお父さんに勘当されていくとこがなかったとか。よく3人で一緒にご飯を食べたり、バイクで遊びに行ったり、トモユキの家で矢沢永吉聞いたりしたんだ。(なんか立派なヤンキーだなぁ)当然、あたしとKが仲良くなるにつれ、ますますクラスメイトはあたしの陰口を言うようになった。はっきりいって、あたしは彼女たちに向かってなーんにも悪いことは言っていなかったし、意地悪をした覚えもないんだけどね。女ってイヤラシイ生き物だから、ちょっと彼氏の話すると嫉妬されたり、それが暴走族だったりするだけで軽蔑して、あたし個人の性格も完全否定されたみたい。で、そんな女子に嫌われたくない男の子たちは、こぞってその悪口鵜呑みにする。ま、どうでもいいんだけどねー。基本的にあたしは男っぽいさばさばした性格だから、そういうおんなおんなした女がだいっきらいというか、とっても苦手だったから、きっとそれがなくてもお友達にはなれなかったけどね。
ほかに楽しいこと、たくさんあったから、学校へは行かなくても平気だったし、学校に友達がいなくても全然平気だった。



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