あたしの気まぐれな毎日

あたしの気まぐれな毎日

【社会復帰本番、そして病気も本番】


当然働くこともなく、学生時代からのバイトを続けていた。

一年ほどしていい加減にその生活(っていうか、家での居心地の悪さかな)
に飽き飽きしちゃったので、思い切って派遣に登録してみることにした。
パソコンに触ったこともなかったあたし。仕事なんてないだろうなーって
思っていたんだけど、案外すぐに派遣先が決まった。
TOEICのスコアが買われたらしく、パソコンは教えます、だと。
いい会社じゃないか。実際その会社に勤めたおかげでパソコンだけじゃなく
どんどん新しいことを学ぶことができた。

何もかも初めての会社生活は、制服も、PCも、仕事も楽しかった。
今まで生きてきて制服をきちんと着たのは初めてだなぁって思って笑えた。

あたし、忘れるのも早いけど飲み込みも早い方だから、最初はただの英文事務
で1630円だった自給も仕事内容が翻訳業務に変わって1930円と急激にあがった。

それに会社では今でもお付き合いしている気の合うお友達ができて、
仕事の合間に気晴らしにおしゃべりしたり、ランチを食べたりする時も楽しかった。

しかしここでまたあの発作に悩まされることになるなんて思わなかったんだ。
通勤が苦しかった。うっかり電車で会社の人と会うとそれはさらに辛くなるのだった。
会社で人と話すのは全然苦にならなかったけど、電車は酔いやすかったので、
一緒にいる人に迷惑をかけたくないと思った。
でもさ、思えば思うほど、気持ちが悪くなったんだよね。
だって、これは電車酔いじゃなくてPDだったんだからさ。
あの頃医師も知らない病気。病院に行ってもソラナックスくれるだけだった。
「ストレスでしょう。よく眠れるように薬出しましょうね。」だって。
今、言ってやりたい。「あんたたちのせいでこんなに長くPDで苦しむことになったんだよ!」
でもその頃もらったソラナックスがどんなに役に立ったことか!
それもらえただけでも許してやらなくちゃ(笑)

とにかく電車に乗る時は端っこでいつでも降りられるところをキープすることが鉄則だった。
誰かと一緒になりそうな車両からは遠く離れて、少しでも空いている車両を選んで
下を向いて、あるいは遠く外を眺めて吐き気と戦いながら通った。
もし知ってる人見かけても、絶対に自分から声かけることもなく、見て見ぬ振りしていた。
人と一緒にいると気持ち悪くなる率が急上昇するんだもの。
吐き気止めのお守りみたいに、小さいビニール袋持ち歩くようになったのもそのころからだった。



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