20 代、 30 代では、やる気満々でもすぐに横道にそれる、それは危なっかしい若造だ。好きなことには突っ走るが、後先も考えず本能のままにも動く。だから、既婚者なのに、家庭を持っている意識も薄い、チヤホヤされれば、豚も木に登るトンチキである。
更に、僕のバンドメンバーは弟子である。付き合う仲間も横浜あたりでは暴走族以前の「カミナリ族」と言われた時代。バンドといっても、喧嘩はするは女癖も良くない。メンバ~には体育会的指導法だから、教えもするが、あまりにも理解不足だと手も出てしまう。今でいう、パワハラ、セクハラ、オイラのお腹は 2 段腹なのだ。
バンド稼業は人気商売、そのあたりでモテモテの気分になる。人生を相当に勘違いした生き方だから、家内は、その尻ぬぐいの連続だったろうか。ただ、それが 40 代になると、さすがに落ち着いてくるのだ。
バブル期、当時のディスコはバンドにとって不毛の時代になる。というのは、ディスコの主流は生バンドからレコードを使ったスクラッチ、 DJ の時代に変わる。しかし、バンドが仕事が無くなった訳ではない。その頃に盛り場でちょっとしたブームになったのがオールディーズだ。それは、ディスコでお立ち台に乗って夢中に踊る世代よりは若干上の、 30 代 40 代のお客さんが中心の、オールディーズブームだろうか。
当然に、私の同世代からやや若い世代。 1950 年代~ 1970 年代の音楽を聴いて過ごした年齢層のサラリーマンや OL が多かったろうか。最初は銀座だったと思ったが、「ケントス」の系列店がその口火を切った形だろうか。そのオールディーズライブハウスが、六本木、赤坂、新宿と派生し全国の都市にも広がった。
当時のミュージシャン(僕が音楽を始めたころは、楽隊と呼ばれ、そのあとはバンドマン、この頃になってようやくミュージシャンと呼ばれるようになった)の仕事場は、このような店で演奏するクラブバンド(箱バンド)とスタジオミュージシャンがある。
ビッグバンド時代から、スタジオミュージシャンになった私だが、スタジオでは所詮タレントのバックバンドか、スター歌手のレコーディング参加だ。自分の音楽をやりたいミュージシャンは、自分のバンドで(グループ)オリジナル音楽を目指すが、実力を着けるにはこういった店で、オールディーズなど洋楽を演奏する方が勉強になる。
六本木に、有名な レジャー型サービス産業で大手の拓建が
「ローリーポップ」というオールディーズライブハウスをオープンする。そこに請われて、私がリーダーで「リップス&ドリーマー」という名のバンドを作る。これは人気店でもあり、バンド人気にも火が付いた。週末には、店の通りをはみ出し、その小路を何回りもするぐらいファンが並んだ。
(ローリーポップ時代で、お店でバースディー。顔がデカイ)
そこを数年務めると、今度は新宿に、もう少し大人をターゲットにしたオールディーズクラブ「スターライツクラブ」がオープンする。それは、 1950 年代ニューヨークの「コットンクラブ」のような雰囲気のゴージャスなライブハウスだった。
「ローリーポップ」を後輩に任せて、そのお店のオープンから「ハリウッド・スウィンギン」という、 4
管編成のオールディーズバンドを作った。それは、画期的なバンドである。演奏曲目は幅広く、 1950
年代~ 1980
年代のジャズ、ラテン、ソウルミュージック、ボーカル中心のオールドミュージック。センターボーカルは僕と若い女性ボーカルの 2
人。コットンクラブのキャブキャロウェイバンド(ブルースブラザースの映画でおなじみ)のような雰囲気で、 9
人編成のとても人気のあるバンドに作り上げた。
女性ボーカル「令子」とのSOULデュエット、人気があった)
大人のお客様が多くなり、それなりに熟成された音楽を演奏する。それは、自分自身も多少は大人になって来た証かもしれない。毎週に休日があり生活も落ち着いてくると、釣りの方も隔週ぐらいの割合で出かける。
そしてバンドが安定してきたところで再び、後輩メンバーにリーダーを譲り、都内の有名ライブハウスで自分のオリジナルソングのパフォーマンスを続ける。それは、自由に休みも取れることから、今度は離島などに出かけ、釣りの方に比重を置いた生活だろうか。まあ、 40 代はいくらか大人になったと云う事だ。
その頃である。渋谷のライブハウス「エッグマン」でのライブ予定があった。そして、 2 日前にリハーサルを終えたので、一日の休みで八丈島に釣りに出かける。その頃は八丈島に貸別荘を借りていて、月に 10 日ほどは離島での釣三昧。
そのライブの当日に飛行機で帰る予定だが、朝から悪天候、昼には全便の欠航が決まる。大変な事態だ。音楽事務所に連絡を入れ、パパは風邪をひいて休演という事に。しかし、当日 100 人ばかりのお客さんが待っていたわけで、当然に大クレームだ。
その後、東京に戻ってから音楽事務所と、事後の会議になるのだが、事務所の女社長は
「困ったもんだねっ!、パパ~、そんなにお客さんより島が良いんだ~。そんなに好きなら、いっそ住んじゃえば~!!」
そんな嫌味に、こちらも悪態を吐く、
「そっか~、住んじゃえば良いんだね~、明日にでも家を探しに行こっ。また 10 日ほど留守にするからね~」
ところが、この瓢箪から駒がでる。其処からトントン拍子に進むと、なぜか音楽事務所も前向きになって、共同で八丈島にペンションを開く事が現実化する。ま、事務所としては、一番の口うるさい古株で、後輩ミュージシャンに影響力も大きい。こんなのが幅を利かせていると、若手が伸びない(今のジギング界も一緒かな?)。今のうちに追い出した方が?そんな訳でもないが、江戸時代の遠山金四郎風に言うと、
「そのほう、素行が不埒千万。磔つけ獄門のところ~一等を減じ、八丈島に遠島を申し渡す~!」ベンベンベン!。
と島流しが決定するのだ。
さてさて、この後は、いよいよ次は八丈島編です。長かったね~。
PR