北海道 0
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けっこう揺れましたね、8時8分震度5弱だそうです。
2011.04.12
夕方の地震の時には、M9の日と同じく車で走行中でした。左右にバウンドするような感覚です。少ししたらおさまったのでホっとしました。広い幹線道路を走行中でしたが、建物の中に居るよりもずっと安全でしょうね。(上部に落下物が無いという条件下で)地震 福島、茨城で震度6弱=午後5時16分毎日新聞 4月11日(月)18時29分配信 11日午後5時16分ごろ、福島県で強い地震があり、いわき市や茨城県鉾田市などで震度6弱を観測した。気象庁によると、震源地は福島県浜通りで、震源の深さは約6キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は7.0と推定される。東日本大震災の余震とみられる。福島、茨城、栃木、神奈川各県でけが人が発生。茨城県竜ケ崎市では40代男性が転倒、頭を強く打って死亡し、県警は地震との関連性を調べている。
2011.04.11
今回のことは社会人として責任ある手順を踏まなかった点が問題だが、一般的な外国人の感覚でいえば、当然の行為だった面があるとは思う。諸外国の一般の人たち(放射能に関する知識がなく正しい状況把握ができていない一般人)によって、福島県産とか県別ではなく「すべての日本製のもの」が否定されている状況だ。日本製の玩具、お菓子類全部だ。テレビで見たが、子供をもつ一般家庭の主婦の口から、日本製の玩具が心配だという発言が出たシーンにはビックリした、なんでもかんでも日本製は全て危険だと思っているわけだ。風評被害が県別なのは日本人だけの中の事であって、世界的にみれば日本全体が風評被害を受けており、すぐに解消するとは思えない状況になっているんですね。家族や友人が「日本にいる」というだけで、今すぐに帰国するようにとせかし、大勢の外国人が帰国しているようです、今回問題になった野球選手の家族も帰国するようにと強く言い続け、今回の結果に至ったと思われる。彼らにしてみれば、当たり前の行動だったんだろう。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110403-00000007-spn-base巨人・バニスターも制限選手 無断帰国し勝手に引退スポニチアネックス 4月3日(日)7時0分配信 巨人のブライアン・バニスター投手(30)が2日、3月15日付で制限選手公示された。再来日の意思がないことから巨人が、日本プロ野球組織(NPB)の加藤良三コミッショナー(69)に申請し受理された。 バニスターは東日本大震災後の3月15日、米国に無断帰国。3月末に「再来日の意思がなく引退する」と連絡があった。球団関係者は「かなり一方的。代理人も含めて断固、厳しく対処する」と説明。米国を含む他国リーグへ移籍ができない拘束力を持つ制限選手とする決断に至った。 日本復帰の可能性を残して1日に日本初の制限選手公示された横浜・リーチとは異なり、ペナルティーの意味合いが強く公示日も無断帰国した15日に設定。野球協約では制限選手の年俸に関し「1日につき参稼報酬の300分の1に相当する金額を減額できる」とあり、年俸1億2000万円の同投手は2日の時点で760万円分(40万円×19日間)減額となる。原監督は「われわれはもっと大事な仕事に集中するだけ」。ヤクルトに所属していた父も左肩手術明けの90年4月下旬に退団し、当時の野村監督が酷評。父は米球界で復帰したが、バニスター自身は選手生命の危機を迎えた。
2011.04.03
この構想が実現するといいですね。復興と支援に膨大な予算がかかるので子供手当の継続(¥13000も)はやめて全面中止にしたほうがいいと思うけど。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110331-00000089-jij-pol寄宿舎付き小中一貫校整備=震災遺児を受け入れ―鈴木文科副大臣時事通信 3月31日(木)16時56分配信 鈴木寛文部科学副大臣は31日の記者会見で、東日本大震災で家族を失った小中学生を受け入れる寄宿舎付き小中一貫校を整備する構想を明らかにした。まず岩手県内に開校する予定で、文科省が財政支援する。 同県の沿岸地域は学校が比較的高台にあり、津波から逃れた児童・生徒が多かった一方、海岸近くの住宅などは津波で流され家族が死亡したり行方不明になったりしたケースが少なくない。このため、震災による遺児に住居を兼ね備えた学校が必要と判断した。
2011.03.31
昨年12月に設置した階段が子供たちを救う、絶妙なタイミングに偶然以外の何かを感じますね。何年も階段設置を訴えてきた市議のかたも、2年前に避難階段設置をはたした校長先生も、予知夢とまではいかないまでも、地震前の数年の間に大津波を予感していたのではないでしょうか。*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*【生きる】市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校 岩手・大船渡岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し 続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で 亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。 海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、 無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、 いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、 さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。 「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んで いきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の 平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。 親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。 2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。 平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の 道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできる ようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。 11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。 その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、 がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。 非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。 [朝日新聞]2011年3月29日17時6分 *:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆゜・:,。*児童88人を救った「運命の避難階段」 岩手県岩泉町(産経新聞 3.20) 東日本大震災による津波は、岩手県岩泉町小本地区にある高さ12メートルの防潮堤を乗り越えて川をさかのぼり、家屋をのみ込みながら小学校まで迫った。間一髪で児童88人の危機を救ったのは、2年前に設置された130段の避難階段だった。(原圭介) 太平洋に臨む岩泉町小本地区は、小本川沿いに半農半漁の住民158世帯、428人が暮らしている。小本小学校は同地区の奥に位置し、背後には国道45号が横切っているが、高さ十数メートルの切り立ったがけに阻まれ、逃げ場がなかった。 同小の避難ルートは以前は別だった。数年前の避難訓練の際、伊達勝身町長が「児童が津波に向かって逃げるのはおかしい」と国土交通省三陸国道事務所に掛け合って変更。平成21年3月に国道45号に上がる130段、長さ約30メートルの避難階段が完成した。 今回の巨大津波は小本地区と川を挟んだ中野地区(175世帯、422人)を直撃。130棟の家屋をのみ込み、校舎手前の民家もなぎ倒した。児童は予想外のスピードで迫る津波から逃れるため、避難階段を必死に駆け上り、高台の広場に逃げ込んだ。校舎と体育館は水に浸かり、今も使えない。 高橋渉副校長(51)によれば、階段のおかげで避難時間が5~7分短縮できたという。広場の倉庫には毛布やテントも用意してあった。児童88人を救った130段の階段、高橋副校長は「あと10分、避難が遅れていたらどうなっていたか分からない。少なくとも何人はけがをしていたかもしれない」と胸をなで下ろした。 卒業式と入学式・始業式は延期した上で町役場近くの町民会館で実施する。校舎での授業にはめどがたっていないという。
2011.03.30
【画像】ガソリン品切れスタンドが。全てのガソリンスタンドが普段通りに戻っているわけではないようですね。千葉県松戸市国道沿いのG.S.軽油のみの販売でした。
2011.03.27
マグニチュード9.0に修正されました。今もまだ揺れはおさまっていませんね。放射能の事も心配です。
2011.03.13
[画像]神社の灯篭が倒れていました。狛犬は大丈夫でしたね。マグニチュード8.8(8.4から訂正済)だそうです。阪神淡路地震の時の100倍以上のパワーだそうで。
2011.03.11
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