パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

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詩編129編



【はじめに】  わたしたちの生涯にはしばしば苦難が訪れる。小さな苦難は日々体験するところであるが、時には大きな苦難と直面することになる。年老いた両親との死別や、配偶者との死別等は誰でも体験せねばならない。また大きな病気をすることや不慮の災いに直面するとき、わたしたちは今まで自分が立ってきた人生の基盤がもろくも崩れて行くことを体験する。どのような苦難がやってきても勝利の人生を歩みゆく秘訣はどこにあるのだろうか?

【テキストの解説】  詩篇129篇は都もうでの歌の10番目の歌。この詩篇は若い時からの苦難を歌っており「さあ、イスラエルは言え」ということばから始まるもので詩篇124と酷似している。あるいは時代や作者が同じであるかも知れない。
1ー4節 若き日の苦難と苦難への勝利 
5ー8節 神の正しい裁き

【メッセージのポイント】
1)背中に受けた傷が溝となる。
1 【都に上る歌。】イスラエルは言うがよい。「わたしが若いときから/彼らはわたしを苦しめ続けたが 2 わたしが若いときから/彼らはわたしを苦しめ続けたが/彼らはわたしを圧倒できなかった。3 耕す者はわたしの背を耕し/畝を長く作った。」(1ー3節)
この詩人は多分バビロン捕囚の体験者なのであろう。彼は若いときから苦難を経験してきた。その苦難は「背中を耕され、うね溝を長くされた」という体験であったと表現されている。これはイスラエルの民が受けた苦難の表現であって、彼らの居住地が実際にバビロンの支配者によって取り払われ、田畑とされてしまった事を意味しているという。また奴隷として背中を鞭打たれ、その傷が畑のうねのようになって背中に残っているという意味であるともいう。
 わたしどもの体験としては実際に身体に傷を受けるような苦難の体験は少ないかもしれないが、過去に受けた心に受けた傷が今なお痛んで血を流している事もありうるのである。

2)正しき主は悪しき者の縄目を断ち切りたもう。
 4 主は正しい。主に逆らう者の束縛を断ち切ってくださる(4節)。
この4節には奴隷として繋がれたこの詩人が解放の恵みを体験したことを歌っていると見るとができる。「義しきヤーウエよ、彼は悪しき者の縄目を断ち切られた!」(関根正雄訳)。
 わたしどもの生涯が受けた傷とさまざまな囚われから、解放と平安へと導いてくれるのは誰であろうか?新約の恵みのなかに歩むわたしどもはそれが何であるかを知っている。「イエスキリストにある命の御霊の法則はわたしどもを罪と死の法則から解放した」(ロマ8:2)とパウロは叫んだ。十字架と復活の主イエス様を受け入れるときにわたしどもは魂の根本から解放といやしを体験する。苦難からの勝利はこの岩なる主にしっかりと結ぶことなのである。

3)神の裁きを恐れよ。
 5 シオンを憎む者よ、皆恥を受けて退け。6 抜かれる前に枯れる屋根の草のようになれ。7 刈り入れても手を満たすことはないように。穂を束ねてもふところを満たすことはないように。8 傍らを通る者が/「主はあなたがたを祝福される。わたしたちも主の御名によって/あなたがたを祝福する」と言わないように。(5ー8節)
5節からこの詩人の語調は突然変わる。シオンを憎むものへの宣言がここにある。ここには主に従わないで高ぶるものの姿が4つのたとえで語られる。
 1)最後には自分の罪と恥があらわにされ、恥じて退く。
 2)屋根に生えるペンペン草のように砂漠の風で萎れてしまう。
 3)人生の収穫のときにその懐に抱く束はない。
 4)悪しき者には祝福のことばが語られない。
 義なる神の歴史支配を見通すことは、現在の試練と苦難に打ち勝つ力。

【 結 論 】 人生に苦難はつきもの。しかし、主を見上げて主に救われて歩む生涯は、不思議な平安と感謝にみちた勝利の生涯なのである。   ハレルヤ!   


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