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ICRFシンポジウム 岡光君啓大教会長(世界平和統一家庭連合・新宿家庭教会)による家庭連合の実情報告(4月27日)2026/05/222026年4月27日に開催されたICRFシンポジウムにおいて、世界平和統一家庭連合・新宿家庭教会の岡光君啓大教会長が登壇。東京高裁決定後の教会現場で起きた状況や、礼拝・葬儀・信徒生活への影響について、自身の体験をもとに報告した。信仰を支える共同体と聖なる場所の重要性、そして信教の自由の本質について訴えた内容。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2026.05.23
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職員の皆様 ありがとうございました。2026/05/20解散命令の決定により清算が始まり、ほとんどの職員が本日5月20日付で解雇と発表されています。非常に、残念で仕方ありません。二世の職員もいれば、中堅の職員もいらっしゃいます。当面の間、清算手続きを担当する職員は残るということですが、ほとんどの職員、特に教会長さんたちは解雇となります。特にその中でも、韓国から来られている教会長さんが、ものすごく多いんです。私と同じ1988年の6500組の方とか、3万組の方とか、多くの方々が日本のために韓国から来て、そこで定住して日本語も勉強して、日本の文化に本当に溶け込んで、日本のために生きてこらました。私の地元の教会は、私は海外から戻って15年ぐらいずっとその教会でお世話になっているのですが、歴代韓国人の教会長さんでした。その韓国人の教会長さんは、奥様は日本人なんですけれども、一度たりとも日本の悪口を言ったことがありません。本当に、日本のために生きて来られて、私たち日本人の信者を、本当に大切に思って、尽くして下さいました。日本のためにと生きて来られたんです。日本人に対して、何か悪く言ったりとか、あるいは上から目線だったりとか、そういう方は一人もいなかったんです。本当に私は、人間的にも、信仰面でも、生活の心情も含めて、本当にお世話になりましたし、尊敬しています。そういう方々が、自分の人生をすべて日本のため捧げて来られた方が、解雇されるという、非常に残念というか、悲しい思いを持っております。世間では、信者を脅して「地獄に落ちるぞ」とか言って献金を巻き上げるようなイメージが据え付けられていますが、全くそんなことはなくて、信者の家を訪ねていったりとか、親族の方が亡くなったら家に訪ねていって、お祈りをしたりとか、そういうことをしてこられました。私の家にも、何回か来られて、一緒にご飯食べたり、いろんな話をしたり、お祈りをして頂いたり、そういうことをしてきたんです。そういうことを伝える術がなくて、世間で正しい評価がされないままに、教会長が去らなければならないということが、私は本当に残念で仕方がありません。私が今言える言葉というと、「本当にお世話になりました。」ということです。これから大変だと思いますが、ぜひとも健康だけは気をつけて、同じ信仰の道を行く者として、ご一緒できればと思います。ブログhttps://www.ogasawara-church.jp/blog/...一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2026.05.21
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Xより>天心苑 徹夜祈祷会あかし徹夜祈禱会あかし:ムサ兄弟は、2021年にセネガルで伝道され、2022年に祝福を受けた貴い子女です。現在は妻と共にボリビアに居住しています。2025年、ムサ兄弟は天南米の公職者修練会に参加するため、ボリビアを離れ、一時的にブラジルに滞在していました。… pic.twitter.com/4H90iq972T— Sam Nishio (@sam_nishio) April 28, 2026ほか、天心苑 徹夜祈祷会あかしをご覧になりたい方は、”X”<Sam Nishio>からお願いします。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2026.05.16
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第 5-2講. 聖婚式と真の父母様の顕現 II動画の下にある字幕ボタンを押すと、字幕を見ることができます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.01.07
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第6回「七・八節」記念礼拝の御言二〇〇二年八月十五日(陰暦七月七日)、韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 大講堂 このみ言は、第六回「七・八節」記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理したものです。編集の都合上、一部割愛してあります。(文責・編集部) 今からは、(原理)講義を、黒板で自分なりにやることは、絶対に禁止です。きょう、(二〇〇二年八月)十五日から、そのように制度が変わります。 (チャートを使えば、)だれでも、簡単に(原理)講義をすることができます。一時間で、大概の原理の内容を説明することができます。二時間、長くても五時間で、皆さんが、何時間もかけて行うその骨子を、説明することができるのです。 自分を中心として、役に立たず、本にも載っていない言葉を使って(原理講義をして)も、一つも覚えることができません。チャートを中心として、さっと三回だけ読めば、その本の骨子を、すべて知ることができます。何のことか分かりますか? 韓国、日本、米国、どの国でも、全世界の国家は、きょうから今までの講義のやり方を中止するのです。分かりますね?(「はい。」)チャートで講義しなければなりません。中・高等学校でも、チャートでやっているのと同じように、すべて公式的課程と単位が合えば、チャートをつくることができます。 創造原理から復帰原理まで、同じ図を反復して使うので、本を読まなくても、一目ではっきりと理解することができます。ですから、チャートを中心として、三回だけ聞いて本を読めば、本のすべてが分かるのです。何のことか分かりますね? 今までは、(講義の内容を)覚えてやっていたので、チャートもなく、本も参考にしないでやっていましたが、それでは、十回やっても何も残りません。すべて流れてしまうのです。分かったでしょう?(「はい。」)分かりますね?(「はい。」) 本以外のものを参考にしようとすれば、先生の説教集から、いくらでも紹介できます。ですから、すべてチャートで講義しなければならず、五時間(のチャートによる講義)を三回行って本を読めば、詳細に理解することができるのです。ほかのものや、自分の知識で話をする必要はありません。本がテキストブックです。 きょうは、何曜日ですか? 何の日ですか?(「『七・八節』です。」)「七・八節」とは、何でしょうか? 何ですか? 天地父母、それから何ですか?(「安着と安息圏宣布です。」)安着、安息。「安息」ですか、「安着」ですか?(「『安息』です。」) 今回の「天地父母統一……」、その時は、何ですか?(「『安着』です。」)「安着」とは、何ですか?(「生活することです。」)暮らすことです。生活するのです。そのようにするために、「安着宣布大会」をしたのですが、今度は「生活圏宣布大会」をしました。生活圏です。そのように、多くの段階があるのです。 ですから、皆さんは、すべての段階を経て、上がって行かなければなりません。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代、天、そのように八段階です。それは、言葉だけではありません。皆さんが、実践生活の舞台において、それを経て行ってこそ、自分のものになります。 そのような制度が、霊界にできているので、地上ですべて訓練を積んでいくようになれば、霊界に行ってから、一次、二次、三次、どこのどのクラスである、と言えば、すべて合わせることができ、すべて分かっていくので、支障がありません。あの世で、だれかが教育してくれますか? 分かりますね? ですから、霊界の事実を知らなければ、今後、統一教会の教会員になることはできません。今から、霊界の現象が、たくさん現れることでしょう。分かりますね?(「はい。」)分かりますか?(「はい。」)霊界を知らなければなりません。 心が、体の主体ですか、体が、心の主体ですか?(「心が、体の主体です。」)心が、体の主体です。それと同じように、霊界を知らなければ、地上のことが分かりません。 ですから、今まで、摂理史観がありませんでした。神様の摂理される摂理歴史が、どのようになるのか知りません。それは、霊界の事実をはっきりと知ることによって、心の世界のことをはっきりと知ることによって、分かるのです。 体の世界は、その影と同じなので、霊界の事実をはっきりと知れば、体の世界の生活圏は、自動的に一致化させることができます。知れば、そのようにすることができるのです。分かるでしょう?(「はい。」) 現代科学も、そうです。今のスペース・エンジニアリング時代というものも、すべてを知っているから可能なのです。知らなければ、できません。すべての科学的な製品は、公式過程を経て、理論に合うので、それを作ることができるのです。分かるでしょう? 心霊世界も、自分の体が、混乱を引き起こして堕落したので、霊界をはっきりと知ることによって、これを調整し、合わせ、一つにすることができます。個人時代、家庭時代と、八段階に合わせて合格してこそ、天上世界、天国に入って行くことができるようになっているのです。 そのような父母になり、そのような父母から生まれ、心と体が一つになった息子、娘を生みましたか、生みませんでしたか? あなたたちの息子、娘は、心と体が一つになっていますか、なっていませんか? どうですか? それが、できていません。別々に離れているのです。 今までは、霊界が二つの世界に分割され、サタンと天の善なる霊たちが闘う、その中間の立場にいて、二つの世界に挟まれていたので、それを統一できませんでした。今からは、それが統一されるようになっています。 ですから、昔のやり方とは違います。心と体が闘う環境的条件を許しません。一つにならなければなりません。体を、サタンと完全に切ってしまわなければなりません。完全に否定しなければなりません。そこからサタンの血統を完全に否定しなければならないのです。 個人否定、家庭的否定、氏族、民族、国家、世界、天宙、霊界まで否定しなければなりません。完全に否定した基盤の上に、個人から八段階まで否定した上に、そこで個人時代、家庭時代、このようにして、再びそれをくっつけなければなりません。 ですから、先生がすることは同じです。堕落した世界を否定させるのです。すべて否定させて、天が守ることのできる代表的立場で、サタンが占領していた、その基準をすべて占領すれば、負けたサタンは屈伏しなければなりません。 み言を動機として、「あなたは、このようになったために、サタンになったのではないか? 神様が、これを願っていらっしゃるのに、あなたが願っているものは、違うのではないか?」と言わなければなりません。 それは、神様とサタンが公認した事実なので、それを調整するのは、神様もすることができず、サタンもできません。先生は、このことを知っているので、先生が闘っているのも、すべて……。 サタンと神様の闘いは、神様も止めることができず、サタンも止めることができません。それは、だれがそのようにしたのかというと、偽りの父母です。 偽りの父母とは、何でしょうか? 偽りの愛から偽りの生命、偽りの血統をつくったのです。血統です。「血統。」と、言ってみてください。(「血統。」)日本人の先祖と韓国人の先祖と……。「白衣民族」とは何かというと、血統が違います。血統が違うので、異なる民族になったのです。 百九十一か国の国連加盟国の中に、神様の国は一つもありません。神様の国が一つもないということは、神様が暮らされる家もなく、神様が共に暮らされる一族も……。金キム氏、文氏、韓国には二百七十五の姓がありますが、神様が暮らすことのできる姓は、一つとしてありません。家がないというのです。 そのことを“おかしい。”と思って聞いてはいけません。今日のキリスト教徒たちは、家に居ながら「イエス様を信じて天国に行く。」と言っていますが……。それでは天国に行くことはできません。 霊界に行ってみれば、分かるでしょう。文総裁の話が正しいでしょうか? それとも、自分が信じている新旧約聖書で教えてくれることが……。 それは、今後、すべて火で燃やしてしまわなければなりません。はっきりと知っている人は、文総裁しかいません。分かりますね?(「はい。」)分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」) 目が暗く、耳が遠く、鼻がつまり、口がふさがり、手足が麻痺しています。それをすべて解いて、治してあげなければなりません。 今、目が、二重のものを見えるようになったでしょう? 普通の人は、霊界にあるものは見ることができませんが、祈祷して霊界に通じる人は、霊界も見ることができ、地上で二つのものを見るというのです。 わたしたち統一教会においても、霊的体験をたくさんする人は、皆、そのようになっているでしょう? 二つの世界を共に見るので、ここで祝福を受けた人は、夫が霊界に行き、妻が地上で暮らしていたとしても、お互いに見て、一緒に生活することができます。 ですから、“寡婦がいない”ということになります。“男やもめ”もいません。理想とは、そのようなものであるべきではないでしょうか? 天地を創造された、王の中の王であられる全知の神様が創られたのに、霊界と肉界、夫と妻が、同じ日に死ぬでしょうか? 夫婦で死ぬ日が違えば、どのようにしなければなりませんか? 夫婦で“離れ離れになっては、生きていけない。”という人たちは、どうするでしょうか? 夫が先に霊界に行くと、地上に残った妻は、「死んだ。」と言って、大騒ぎするのですが、霊界に行った夫は、大騒ぎしません。 夫は、“あの妻は、(霊界のことを)知らないから、あのようにしている。神様が創造される時には、本来、分かるようになっていたのに、分からなくなった。あれをどうしようか?”と考えるのです。 ですから、真の父母が来て、それを解決してあげなければなりません。そのためには、祝福を受けなければなりません。祝福を受ければ、一緒に暮らすのです。分かりますか?(「はい。」) 祝福さえ受ければ、霊界でも一緒に暮らせるということを信じられない人は、手を挙げてください。信じられない人は、手を挙げてみてください。賞を上げましょうか?(笑い) 統一教会では、“嫌だ。”と思っても、信じることができなければ、臆面もなく「統一教会の食口である。」といって話をすることもできず、生き残ることもできません。分かりますね?(「はい。」) 堕落したら、神様に会えますか、会えませんか? 神様は、お父様です。尋ねれば、答えてくださいます。 今日、「天の国はあるのか?」、「神様はいらっしゃるのか?」、「あの世は、どのようになっているのか?」、「霊的世界の現状は、どのようになっているのか?」、「わたしたち個々人は、どのように救援されるのか?」などということは、すべて分からないではないですか? 堕落していなければ、それらのことは、すべて分かるのです。 堕落しなければ、真の父母も必要ありませんでした。分かりますか? メシヤも必要なく、救い主も必要ありません。父母を絶対に信じれば、そして神様の代わりに孝行の道を歩めば、天国に行くようになっているのです。 これが、堕落のために、すべてめちゃくちゃになったので、八段階に分かれてしまいました。これが、どのようにして一つになるのでしょうか? いくら努力しても分かりません。 先生は、そのようなことを、生まれつき知っているのです。「生而知之(学ばずして、おのずから知っていること)」と「学而知之(学んで知ること)」ということがありますが、先生は、あらかじめ知っています。だれかが、得意になって話をしていても、“あれは間違っている。”ということが、分かるのです。 ですから、よこしまなサタンが、どれほど誘惑したか分かりません。あらゆる姿に化けて現れたのです。神様の代わりになっても現れました。それは、声までも、そっくり同じです。そのようなことをすべて知れば、さっと立てば、すぐに……。 彼らは、先生の正面に立てば、まっすぐに立つことができません。横に立たなければなりません。それを見て、知るのです。「何度、ずれている。」というように知るのです。分かりますか? ですから、原理世界を発見することができるのです。 金キム仁珠さん。平壌では、「原理」のみ言を話してあげなかったでしょう?(「原理」を)知らなかったでしょう? 先生は知っていましたが、その時は、そのようにする時でした。 個人的な環境で生きることもおぼつかない中で、個人生活的な、個人級の生活をしなければならないのに、国で生きることを教えてあげることができますか? そのような時代になっていなかったので、すべて、そのようにした(黙っていた)のです。分かりますか?(「はい。」) 霊界を知らない人は、統一教会の教会員になることができますか、できませんか?(「できません。」)霊界が分からない人は、嫁いでいくこともできず、嫁をもらうこともできません。 霊界とは、何でしょうか? 家庭で大移動して、嫁いでいくのです。それとちょうど同じです。 ですから、自分の新郎の風習を知らなければならず、新婦の風習を知らなければなりません。ところが、地上では、夫婦の生活習慣が、それぞれ違います。 そのように、地上ではそれぞれ違いますが、霊界に行っても、天上世界の法に合うように、さっと神様をお迎えすることができる準備をして、イエス様も呼ぶことができる準備をしなければなりません。 使徒たちは、皆、彼の弟です。釈迦も弟であり、それから孔子も弟です。そのイエス様も、(先生にとっては)弟です。 なぜ弟なのですか? それを知らなければなりません。この地上で、あなたたちが先に、先生から祝福を受けましたか、イエス様、孔子、釈迦、マホメットが先に祝福を受けましたか?(「私たちが、先に受けました。」) 先に受けたのですが、先に結婚した人が兄ですか、弟ですか?(「兄です。」)そうです、兄です。姉も、先に結婚式をしたので姉であり、先に結婚したから兄なのです。そのことを知らなければなりません。 「地上で生きているすべての統一教会員は、霊界に行くときに、自分の弟たちを再教育しなければならない。私は、そのようにすることができる兄であり、姉である。」と、一度、言ってみてください。(「私は、そのようにすることができる兄であり、姉である。」)本当ですか?(「はい。」)本当でなければ、気分が悪いでしょう?(「はい。」) 本当にそうならば、どれほど気分が良いでしょうか? 間違いなく本当です。先生は、うそをつきません。うそであると思うならば、霊界に行ってみてください。 先生が、聖人について、どうのこうのと言い、「孔子とイエス様までも、自分の弟である。」と言っているのですが、それが正しいか正しくないか、霊界に行って、尋ねてみてください。 尋ねてみれば、笑われます。笑われるというのです。「分別のない、世間知らずな人が、ここに来ましたね。私たち以上に、真のご父母様によく侍らなければならないのに、侍ることができずに、ここに来た愚かな人たちですね。」と言われるのです。分かりますか? 霊界のことを知らなくて、よいでしょうか、よくないでしょうか?(「よくありません。」)“何が分かるというのか? どうにかこうにか、好きなように暮らそう。”と思っても、そうやって好き勝手に生きることができるでしょうか? 小さな家に隠れ住もうと思って、隣り村に部屋を一つ借りようにも、家賃を払って暮らさなければならないのですから、自由に暮らすことはできないのではないですか? 最初に、その村の犬、その家の犬が、自分のことを見てほえるでしょうか、ほえないでしょうか? ほえますか、ほえませんか? 部屋を一つ借りて、その家に入って行けば、その家にいる犬たちが、ほえますか、笑いますか?(「ほえます。」) それが、どれほど気分が悪いでしょうか? 気分が悪いでしょうか、気分が良いでしょうか?(「悪いです。」)犬が喜べば、気分が悪いでしょうか、良いでしょうか?(「良いです。」)それは、主人を知らない犬です。野良犬です。犬は、ほえなければなりません。 ですから、霊界に行けば、霊界に来たあなたたちを見て、歓迎しなければなりませんか、ほえなければなりませんか?(「歓迎しなければなりません。」)なぜですか?(「兄が来たからです。」)そうです。兄が来たからです。分かりますか? 姉が来たのですから、歓迎しなければならないでしょう? それでは、ほえるということは、どういうことですか? “歓迎しない。”ということではないですか? イエス様が歓迎しなければ、どのようになりますか? 気分が悪いでしょうか、気分が良いでしょうか? 答えてみてください。気分が良いでしょうか、気分が悪いでしょうか? 今晩、霊界に行って、「ああ、イエス様7」と言って、尋ねてみてください。 キリスト教の勧士が来て、「文総裁という人が、『イエス様は弟である。』と言い、『霊界に行くときに、気分が良いか悪いか、尋ねてみなさい。』と言うのですが、世の中に、そのようなことがあるでしょうか?」と尋ねてみると、イエス様が、「この愚かな女性よ。私よりもりっぱなかたが、文総裁である。」と言うのです。分かりますか? わたしから見れば、イエス様は、わたしの弟ですか、息子ですか?(「息子です。」)(笑い)神様は何ですか?(「お父様です。」) お父様が、二人いるのですか? 二人いますか? 一人は、“心のお父様”であり、もう一人は、“体のお父様”です。二人のお父様の血統を持って生まれたのです。分かりますか? 二人のお父様の血統を持って生まれたのですが、その“霊的お父様”の血統と、“肉的お父様”の血統が一つの所で合わさり、一つにならなければなりませんか、分かれて二つにならなければなりませんか?(「一つになります。」)どこで一つになるのですか?(「心と体で……。」) 心と体が一つになる所から子供が生まれてきます。どこで一つにならなければなりませんか?(「そこで一つにならなければなりません。」)「そこ」とは、どこですか? わたしは分かりません。(笑い)「そこ」とは、どこですか? そこ、そこ、そこ、そこ……。(笑い) 男性のものは、何と言いますか?(「凸です。」)女性のものは、何と言いますか?(「凹です。」)凸凹が合いますか、合いませんか?(「合います。」)夫と妻が凸凸、また、夫と妻が凹凹になれば、どのようになるでしょうか? それは役に立ちますか、役に立ちませんか?(「役に立ちません。」) 役に立たないものは、なくしてしまわなければならないでしょう? 役に立たないのに、なぜ持っているのですか? それは、だれが創ったのですか?(「神様です。」)神様が創られたのですか、あなたの親が創ったのですか?(「神様です。」)このような問題が、問題になるのです。 学校に行って質問して、先生が答えることができなければ、その先生を追い出してしまわなければなりません。それを、だれが創ったのですか? あなたの親が創ったのですか、神様が創られたのですか?(「神様です。」) それでは、その主人は神様ですか、あなたの親ですか?(「神様です。」)それでは、あなたの親は何でしょうか? ふろしきと同じです。ふろしきから中身を取り出して生まれたのが、あなたたちの息子、娘なので、“本来のお父様は、神様である。”ということを知らなければなりません。 天国に行きたいですか?(「はい。」)一人でですか?(「いいえ。」)二人だけですか?(「いいえ。」)親は、どうするのですか? 親を連れて行けば……。 親を先に立てて行きますか、それとも親を(後ろに)連れて行きますか? あなたたちが前に立つのですか? 親を先に立てて行かなければなりません。 その夫婦が、自分たち夫婦よりも、親のことをもっと愛し、侍ることができるならば、このような家庭によって、神様が“訪問したい。”と思われる家庭が始まるのです。 自分がそのようにするとして、そのような伝統を、だれが教えてくれるのでしょうか? おじいさんとおばあさんは、教えることはできません。堕落したので、教えてあげることができないのです。 三代がありません。あなたたちが今から……。神様が一代目で、先生が二代目ならば、あなたたちは三代目です。ですから、三代目であるあなたたちが、教えてあげるしかありません。そのようにしなければ、このような伝統を見いだせるところはないのです。 あなたたちが真の父母を、自分の父母よりももっと愛し、真の父母の愛を受けて一つになり、親夫婦と自分たち夫婦が一つになって、孫の夫婦を愛してこそ、地上天国ができるのです。 おじいさんとお父さんの二代の愛を受けなければなりません。おじいさんは天の国の象徴であり、過去の象徴です。父母は、現在の王です。全世界の家庭の王です。 ですから、おじいさんは、天の国にいらっしゃる王であり、自分は、その父と一つになった地上の王です。その天の国の王であるおじいさんと、わたしたち父母が、地上で一つの家に暮らすのです。自分たちの息子、娘は三代目であり、神様の孫の立場です。 だれが、この息子、娘を、より愛するのかというと、お父さんよりも、おじいさんが、もっと愛するのです。そうですか、そうではありませんか?(「そうです。」) なぜ、そうでなければならないのでしょうか? そのようにしなければ、回っていかないからです。ここでもっと愛してこそ、さっと回っていくのです。 ですから、孫は、おじいさんとおばあさんの愛を受け、お父さんとお母さん……。お父さんとお母さんは、この世の中の数多くの家庭における“王の中の王”です。王なのです。そのおじいさんは、天の国に無数の夫婦がいますが、その中の王です。 このように縦的に見るとき、そのおじいさんを先祖として、お父さんは王族です。二人の王族を迎えることができる孫は、地上、天上天国……。分かりますか? おじいさんから天の国を相続し、お父さんとお母さんから地の国を相続し、二つの国を相続するのが、孫なので……。 あなたたちも、結婚して四十、五十歳になれば、孫が慕わしくなります。わたしも、そうです。息子、娘はたくさん生みましたが、忙しくて、子供を懐かしく思ったことはありませんでした。 昔は、どこかに行っても、“何か買ってあげよう。”ということは夢にも思わなかったのですが、孫ができると、今は、何か良いものがあれば、“孫に買ってあげたい。”という思いがするのです。 自分を生んでくれたお父さんよりも、もっと自分を愛してくれるのが、おじいさんです。分かりますか?(「はい。」)分かりますか? はっきりと知ってください。 ですから、自分を生んでくれたお父さんよりも、もっと自分を愛してくださるかたが、神様です。ただ、おじいさんの王様が、神様なのではありません。それは、神様が万代の孫を超えて、もっと孫のことを思われるということです。 それは、木と同じです。幹から末端が遠ければ遠いほど、芽が遠ければ遠いほど、それは愛を受けるのです。 大きな木の枝が四方に伸びていっても、春に新しい芽が出るときには、根よりも、幹よりも、もっと愛するのは、新しい葉の間に咲く新しい花なのです。アーメン。そうでしょう?(「はい。」) それゆえに、三代目の孫である自分たち夫婦は、お父さんとお母さんよりも、おじいさんをもっと愛さなければなりません。 そのようにすれば、自身は、上がったり下がったりする愛の主人になるのです。分かりますか? おじいさんから下りてきて、自分が受けたので、返してあげることができるようにしなければなりません。その後世の人もそのようになり、また、その輪がそのように伸びていくので、その愛は変わらないのです。 三代が一つになって暮らす家庭であってこそ、天の国に入って行くことができます。お父さんよりも、おじいさんよりも……。分かりますか? おじいさんは、お父さんよりも、もっと自分の孫を愛するのです。そのようにしなければ、回っていくことはできません。 高い所に上がって行けば、真ん中の中心を抱いて、底の方に下りて行かなければならないでしょう? それゆえに、上・中・下を抱いて、左・中・右、前・中・後と、中でこのようにするので、回るのです。ですから、二番目が、宇宙の主動的な役割をしなければなりません。何のことか分かりますか? 目が貴いですか、鼻が貴いですか? どちらですか? それが分からないのですか? 目が貴いですか、鼻が貴いですか? 原理を学んでも、それも考えずに暮らしていたのですね。どちらが貴いですか?(「目がより貴いです。」) 鼻は、“生死の境”です。目を一時間、このようにつぶっていても、人は死にません。しかし、水の中で息をすることはできないではないですか? ですから、生死の境を、鼻が案内しています。 これ(目)は、宇宙で考えれば、神様を象徴し、鼻は、アダムとエバを象徴します。ですから、“生死の境”の主人はだれかというと、人類の先祖です。血統を担っているからです。愛も一代であり、生命も一代です。 人に「人間にとって、いちばん貴いものは何ですか?」と尋ねれば、「愛です。」と答え、「その次は何ですか?」と尋ねれば、「生命です。」と答えます。そして、「その次は何ですか?」と尋ねれば、「分かりません。」と言うのです。それがアダムです。 最も貴いものは、愛でもなく、生命です。父母の生命が貴く、愛を通して生きるとしても、血統が連結されなければ、親もいなくなるのです。 父母が、「父」という名を持ち、「母」という名を持とうとすれば、息子か娘、自分の赤ん坊を持ったときから「父」と「母」という言葉が成立するのです。その話は正しいですか?(「はい。」)そのことを今まで知りませんでした。 いくら女性がりっぱであるとしても、大宇宙の原則において、女性が、主人となることができる資格を持つためには、女性の前に男性がいなければならず、男性の前に女性がいなければ、愛の場を知ることもできず、見いだすこともできないということです。分かりますか、分かりませんか? はっきりと知らなければなりません、はっきりと。はっきりと、何ですか? はっきりと知りなさい。(「はっきりと知りなさい。」) 先生が「はっきりと知りなさい。」と言えば、あなたたちは、「はっきりと分かりました。」と、答えなければなりません。先生と同じように言ってはいけません。それは、はっきりと知らなければなりません7(「はっきりと分かりました。」)本当に分かったのならば、それでよいのです。分かりますか?(「はい。」) そして、兄というものは、弟を愛することができなければなりません。兄を、その一族の“長孫”にしてあげることができるのは、弟なのです。弟がいなければ、「兄」という名も生まれず、兄の愛もなくなるのです。分かりますか?(「はい。」) また、兄がいなければ、弟の愛、弟の生命までもなくなるのです。それは何かというと、人間の家庭生活において、すべてが相対的なペアになっているということです。ペアです。上下のペア、左右のペア、前後のペアです。 これが何かというと、この中にあるものが、何ですか? 愛です。上下も、おじいさんと孫が、愛を中心として一つになるでしょう? そうですか、そうではないですか?(「そうです。」)そうですか?(「はい。」)それでは、忘れてはいけません。ペアになっていてこそ、愛があるのです。 それでは、“独りで暮らしたい。”という寡婦、男やもめは、手を挙げてください。“独りで暮らす。”という女性が、多いではないですか? 独身生活、それは、一代で終わります。いくら一代で豊かに暮らしたとしても、それは、“この被造世界の寄生虫であった。”ということです。 父になり、母になって、娘を嫁がせることができなかった場合、その父と母は落第です。おじいさん、おばあさんになることができません。母方のおじいさんになれないでしょう? そうですか、そうではないですか?(「そうです。」) それでは、神様は人格的神というのですが、人格的神とは何かというと、おじいさんの中のおじいさんであり、お父さんの中のお父さんであり、夫の中の夫であり、それから妻の中の妻であり、息子の中の息子であり、孫の中の孫ということです。 神様は、そのように、すべてなることができるのです。なぜでしょうか? 愛が通じることができる血は、どこにでも行くことができるからです。 血統があれば、どこにでも行くでしょう? 先生のかかとから流れていく血が、この頭に巡っていきますか、巡っていきませんか? どこにでも巡っていくのに、「おいおい、来てはいけない。」と言うのですか? 数多くの系統があり、多くの枝分かれがありますが、これがどこに通っても、すべて詰まらずに歓迎するようになっているということです。それは、血統です。「血統」と、言ってみてください。血統。(「血統。」) 何の血統ですか? 自分勝手にできた血統と、完全無欠な血統、どちらを願いますか?(「完全無欠な血統です。」)完全無欠な血統とは、清く完全な血統のことです。 清く完全な血統になろうとすれば、清い父母、清い愛です。完全な父母、完全な愛でなければ、清く完全な血統が生じることができますか、できませんか?(「できません。」)できませんか、できますか?(「できません。」)そうです。 清い血統です。清い生命、父母の生命、清い愛でなければ、自分は清い血統になりません。第三者を必要としません。 エデンの園のアダムとエバは、エバが二人でアダムが一人でしたか、一人と一人でしたか?(「一人と一人でした。」)なぜですか? 凹が二つで、凸が一つならば、どのようになりますか? 凹が二つならば、一つは、なくさなければならないのです。 皆さんが結婚して、夫が浮気をして、女性二人の前に男性が一人になったならば、その女性を殺したい気持ちになりますか、生かしてあげたいですか?(「殺したい気持ちになります。」)尋ねているではないですか? 皆さん、率直に答えてみてください。皆さんの心はどうなのか、わたしには分からないので尋ねているのです。 それでは、神様が、それをご存じであったでしょうか、ご存じでなかったでしょうか?(「ご存じでした。」)ご存じでした。ですから、エデンの園において、絶対の男性は一人しかいなかったのであり、絶対の女性も一人しかいなかったのです。 なぜ、そうなのでしょうか? 愛は二つではありません。絶対的です。絶対に一つなのです。女性の愛も、男性の愛も、絶対に一つです。二つではありません。一つです。一つになることを願いますか? 夕方六時くらいになれば、夫が帰ってくる定刻ですが、一時間でも遅れれば、女性たちの胸がやきもきするでしょう?「何か事故でもあったのか?」と言うのです。 何が事故なのでしょうか? “酒場に行って、女性にたぶらかされるのではないか?”と心配して、そのようになるのではないですか? そのような心配をしますか、しませんか?(「します。」)しますか、しませんか? この者たち。すっきりと答えてみてください。(「します。」)それは、間違いありません。 誠実で美しく、香りが漂う、花のような女性の心の中には、男性が二人いるのではありません。絶対的に一人であり、それから唯一的に一人であり、変わらず不変的に一人であり、永遠的に一人であることを願うのです。 真の愛が偉大なのは、なぜでしょうか? 絶対、唯一、不変、永遠の愛として行く道は、一瞬の最短距離を通ります。それゆえに、醜い女性も醜い男性も、自分の愛は絶対的なものです。自分の愛は、ただ一つ、絶対、唯一、不変、永遠の愛であることを願うのです。 ですから、醜くて、ぺちゃんこにつぶれて、あらゆる病を抱えた男性と女性であったとしても、そのような愛、そのような属性を持った愛、四つの愛の性稟を求めるのが、全人類の正常な思考方式です。 永遠になれば、過去、現在、未来です。女性も絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛、男性も絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を願います。それを願いますか? それを願わない人は、手を挙げてください。賞金を上げます。賞金を上げますから、手を挙げてみてください。全員、願うのですね? それでは、“神様の四大絶対属性を自分のものにしたい。”と思わない人は、手を挙げてみてください。耳があって、聞いていることは聞いているのですね?(笑い)ですから、耳が宝です。 それでは、“その属性に似た私になる。”という人は、手を挙げてください。地獄に行くような人は、一人もいませんね。(笑い) 全員、天国に行くでしょう。「私の愛。」と言うとき、絶対的私の愛、唯一的私の愛、不変的私の愛、永遠的、永遠にアーメン。十本指アーメン。(「アーメン。」)“二八パル青春”、アーメン。(「アーメン。」)“二八青春”、アーメン。 なぜ“二八青春”なのか、分かりますか? この右手には、十四の節があります。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、十二個で、神様を象徴するこの二つを合わせて、十四個です。十四個が二つなので、合わせてちょうど“二八青春”です。分かりますか? この親指が、このように入っていくのですが、これがさっと出てくるのです。すべてを従えて、「私の言うことを聞きなさい。」と言えば、「はい。」と……。“二八青春”、手足が一つになることができれば……。そのようになれば、いくつですか? 手足(の節)を合わせれば、いくつですか? 五十六です。 最近の五十六歳といえば、定年退職時代に入っていくというのです。“二八青春”に下りていきます。それで、これは男性を象徴し、これは女性を象徴します。このようにしてみてください。このようにしても“私の愛”、あのようにしても“私の愛”です。一度、やってみてください。本当にやりましたか? “私は、そのように生きなければ、死んだほうがよい。”と決心した人は、手を挙げてみてください。分かっていることは分かっているのですね。そのくらい分かれば、よいですね。 もう、先生が話をする必要もありません。何の話を、もっと聞こうというのですか? 凸凹の話をしますか?(笑い)笑って聞くことができなければ、それも事故ではないですか? さあ、サッカーの話を少ししましょう。 (尹晶老氏が、サッカーに関する報告をする。) 天国が、どこにあるというのですか?(「心です。」)何ですか?(「心の中にあります。」)心と体の中です。天国というとき、心と体が一つにならなければ、天国は離れていくのです。ところが、私たち人間は、心と体が闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」) いつ、その闘いが終わるのですか? そのままにしておけば、永遠に終わりません。永遠に続きます。神様も、これを止めることができません。堕落して、サタンの血統になったものを、神様が干渉なさることはできません。サタンも、それを止めようとしません。「もっと闘え。もっと闘え。」と言うのです。 それゆえに、世の中を見れば、強盗の一味やテロ団がいますが、彼らは、日がたてばたつほど、もっと闘い、テロ団は、形容することができないほどのひどいことを、だんだんと付加させていっています。それが、彼らの日常生活です。分かりますか? わたしたち統一教会の教会員は、心を中心として、体を屈伏させるべき責任があります。それが、日がたてばたつほどさらに強くなり、自分が天国に行くようになるときには、すでに心身は統一されて、心の世界にサタンの影がなくなって、神様の反射体となるのです。それは、太陽の光を受けて、月が反射することと同じです。分かりますか? 太陽が明るく輝けば、月はどうなりますか? 曇って見えますか、明るく見えますか?(「明るく見えます。」)太陽が明るくなるとともに、月も明るくなります。ですから、“一つになっているので、一日の昼と夜は、神様が主管なさることができる。”と、このように思うのです。 同じように、すべてのものがペアシステムになっています。昆虫世界を見ても、雄と雌です。言ってみてください。(「雄と雌。」)雄と雌です。(「雄と雌。」)人間世界は、男性と女性です。(「男性と女性。」)それを分けることができますか? 男性と女性を分けることができますか? 動物世界の雄と雌を分けることができますか? 昆虫世界の雄と雌、主体と対象を分けることはできません。できないのです。 鉱物世界を見ても、すべてプラスがあり、マイナスがあります。プラスイオンとマイナスイオンの相対になっています。動物世界を見ても、雄と雌です。人間世界も、男性と女性です。 心の世界でも、心と体が一つになっていなければならず、天と地も、神様と人間も、二つの世界が、二つが一つになってこそ、天地の平和世界が成されます。 そうして、昆虫世界から人間世界まで、地上世界、人間世界を超えて天の国の果てまで、統一された世界にならざるをえないのです。分かりますか?「アーメン。」と言いますか?(「アーメン。」) その「アーメン。」と言うことができる主流思想とは、何でしょうか? これが真の愛である、ということです。真の愛です。真の愛が最も好むのは、何でしょうか? 真の愛が最も好むのは、何ですか?(「『絶対』です。」)「絶対……」、何ですか? 真の愛が最も好むのは、真なる女性と真なる男性です。そうではないですか? 真の愛が留まることができる所は、どこですか? 真の愛だけでは、留まる所がありません。休む所もなく、暮らすことができる環境もありません。その最も好む所が何かというと、男性という生き物であり、女性という生き物なのです。 それは、なぜですか? なぜ、最も好むのですか? 男性独りでも、真の愛が暮らすことができず、女性独りでも、真の愛が暮らすことはできません。男性と女性が一つになるところにおいてのみ、真の愛が暮らすことが……、できるということですか、できないということですか?(「できます。」)理解していることは理解しているのですね。 さあ、ですから、わたしたちの周りに展開されているすべての万物は、どれを見ても、必ずペアシステムになっているということを知らなければなりません。そのペアシステムは、何を必要とするのですか? 真の愛の主人が必要なのです。真の愛の主人です。真の愛の主人にさえなれば、真の愛を最も好まれる神様は、そこについて行かれるのです。 それゆえに、そのような因縁を持って存在するすべての世界は、一生が永遠に継続します。永遠にです。分かりますか? 一生が永遠に継続するのです。 皆さん。昆虫世界のとんぼを見ても、それは幼虫から育ってとんぼの姿になりますが、そのときになって、そのような姿になることが決まるのではありません。それは、創造当時に、神様から始まったのです。 そのようにして始まったとんぼの一族を連結させた存在が何かというと、愛なのです。愛です。分かりますか? 愛は、何を通して愛するようになるのですか? 男性という家であり、女性という家です。二つを一つにして、男性の生命体と女性の生命体が、一つにならなければならないのです。 愛の力には、いくつにも分かれた存在を一つにする力があります。分かりますか?(「はい。」)雄と雌は、どれほど異なるでしょうか? 男性と女性が、どれほど異なりますか? 百八十度、異なります。 男性は高い所を願うのですが、女性は低い所を願います。正反対です。男性が北極ならば、女性は南極であり、男性が東側ならば、女性は西側です。極と極は、一つになることができないのですが、一つにすることのできる力が何かというと、真の愛なのです。 その真の愛がある所においては、なぜ一つになるのでしょうか? 神様が、共にいらっしゃるからです。神様が、愛を中心として好まれるものは、一つにするための創造の理想……。 創造理想は、真の愛が一つになる所で成し遂げられるのであって、真の愛が留まることができない所においては、雄なら雄、雌なら雌、その一代で終わるのです。分かりますか? 二つが一つになって継続するところにおいて、神様の新しい愛、神様の新しい生命、神様の新しい血統が永遠に継続するのです。 ですから、万宇宙の存在は、主体と対象の相対的関係を持たざるをえません。なぜ、そうなのでしょうか? 愛の主人になるためです。分かりますか? 神様に似た、永遠に生きることができる生命の主人になるためなのです。 また、そればかりではなく、天地を満たして完成させ、人間を完成させ、人間世界の理想的な国や、天地に天国を完成させることができる愛を必要とするので、その血統が必要なのです。 ですから、皆さんも、今から主人になるためのものが……。「愛の主人になろう。」と、一度言ってみてください。(「愛の主人になろう。」)主人になりましたか? なりましたか、なっていませんか? 人間を「万物の霊長」というのですが、神様と、お父様と一つになりましたか、なっていませんか? なっていない原因は、神様が来られて……。 神様の愛は、統一させる力です。ところが、一つになることができる、そのような主体と対象の相対が、水平と縦的な基準が合わないので、一つになっていないのです。 「人」といえば、人には、思いが二つあります。心の思いと、体の思いの二つがあります。体は、世の中を中心として“自分のものにしよう。”と思い、心は、“無限なる天の世界を自分のものにしよう。”と思うのです。 それを統一させているのは、生命ではありません。男性と女性の生命では、できません。神様の愛と一つになった男性と女性になるときには、血統が生じることによって、その血統を通して、統一することができるのです。 ですから、血統を通して生まれる息子や娘を見詰める親は、二つになる(別れる)ことができません。親が、「ああ、わたしの息子、わたしの娘。」と言うときに、「これは、お母さんの息子、娘である。」とか、「これは、わたし(父親)の息子、娘である。」と言うでしょうか? お父さんもお母さんも、「わたしの息子、娘。」と言うのです。親は二人ですか、一人ですか? 二人なのですが、子供を呼ぶときには何と言いますか?「わたしの息子、娘。」と言うのです。「わたしの息子、娘。」がよいですか、「わたしたちの息子、娘。」がよいですか? 皆さんが言うときは、どうですか? 学校に通う二人の息子、娘に対して、「わたしの息子、娘。」と言いますか、「わたしたちの息子、娘。」と言いますか? 夫がいなくても、「わたしの息子、娘。」と言い、夫も「わたしの息子、娘。」と言い、親が二人共いても、「わたしの息子、娘。」と言うことができるのが、より近いということです。 なぜでしょうか? 血を分け合っているからです。血を分かち合っているというのです。自分の心と体が一つになった血です。男性の心と体が一つになった血統と、女性の心と体が一つになった血統は、同じでしょうか、違うでしょうか? 同じではありません。 しかし、愛を通して一つになることができるので、父母という二つの体になっていますが、愛によって一つになったその子供は、自分の子供になるのです。ですから、二人が一つになったので、「わたしの子供」です。分かりますか? ですから、「わたしたちの子供」よりも「わたしの子供」です。「わたしたちの妻」という言葉がよいですか、「わたしの妻」という言葉がよいですか?(「『わたしの妻』です。」)「わたしの夫」がよいですか、「わたしたちの夫」がよいですか?(「『わたしたちの夫』です。」) 「わたしたちの夫」というのは、何人かの人がいるとき、「わたしたちの夫」と……。皆さんにも夫がいるので、その中の一人として、「わたしたちの夫」と言うことは、どうですか? そのような夫を好む人がいますか? “夫と妻は、ひとえに二人だけで、あなたと私しかいない。”というときに、「わたしの夫」、「わたしの妻」、「わたしの子供」と、このようになるのです。自分を中心として決定することを願うのが人間の特性なので、神様の絶対性、唯一性、不変性、永遠性を備えて、個性真理体になるのです。アーメン。(「アーメン。」) 皆さん。“義なるもの”とは何かというと、犠牲の羊であり、その立場をどこでも守っていくことができる人を「義人」というのです。分かりますか?(「はい。」) 「人」(という字)も、“二人”のことをいうのです。“二人”です。犠牲になる祭物というものは、一人の祭物は必要ありません。神様と人間とが、水平になるためや垂直になるために、二つが一つになるための場においては、義なる祭物が必要です。 祭物は、鳩、羊、牛、これは、すべて善良なのです。鳩も、そうではないですか? 鳩も、つがいになれば、死ぬまで一緒に暮らすのです。 このようなことを見るとき、二人が一つになることができるためには、義なるものになるためには、犠牲になるところにおいて、義なるものが成し遂げられるのです。 夫婦同士で「義なる夫婦」というとき、何と言いますか? 女性が考えるときに、「私は、愛されるために嫁に行く。」と考えますか? どうですか?「なぜ、嫁に行くのか?」と尋ねるとき、「新郎に愛されるために嫁に行く。」と言いますか? 愛を受けてばかりいて、愛を横取りし、愛することを知らないというのですか? 愛されるために嫁に行くというとき、夫が愛する以上に息子、娘を愛すればよいのです。受けたのですから、返してあげなければなりません。 恩恵を受けて、世話になって、それを返すことができない人は、負債を負った人なので、負債を負った人は、天下のいかなる万物も、相対世界のいかなるものも、好むものは一つもありません。ありますか、ありませんか?(「ありません。」)わたしよりも優秀ですね。ありますか、ありませんか?(「ありません。」)あります7(「ありません7」) 「善」という字も、そうです。「善」という字にも「羊」があります。そして、「犠牲」といえば、その「犠(犧)」という字は、「羊」を中心として「秀」という字です。ですから、“最高に秀でて犠牲になることができるもの”が祭物です。このように考えるのです。 それゆえに、漢字をだれがつくったのかというと、東夷民族がつくりました。東夷民族です。甲骨文字、この骨のようなものを……。その時を見れば、昔の古代韓国であると、歴史的に知られています。分かりますか? 韓国人は、そのような面において、手本となることができる人たちです。気分が良いですか、悪いですか?(「良いです。」) そのかわり、欲も深いのが韓国人です。欲が深いというのは、“自分第一主義”ということです。そのような性格があるので、第一主義の人たちが、その第一主義で犠牲になれば、神様が好まれるというのです。神様が、いちばん好まれるのではないでしょうか? ですから、韓国人は、独特な人たちです。世界のさまざまな民族、日本民族や他の国の民族たちはだれでも、外国に行って、そこに自分の国の大使館があれば、大使館を訪ねて行きます。しかし、韓国人の特徴は、死んでも、自分の国の大使館には訪ねて行かないということです。(笑い) 日本人が旅行に行けば、なぜ、旗を持った人を中心として、ぞろぞろ、ぞろぞろと、一日中歩き回るのですか? 引率者が「来なさい。」と言えば、一人も離れる人がいないというのです。韓国人は、解散命令をすれば、一人も残っていません。全員、どこかに行ってしまいます。 ですから、“大使館に行けば、会えるだろう。”と思って大使館に行っても、会うことができず、どこに行っても、会うことができません。韓国人は、自主的力、自主性が強いのです。一度、言ってみてください。(「自主性が強いです。」)わたしは、自主性が強いです。(「わたしは、自主性が強いです。」) 何の自主性ですか? 自主性は、絶対に必要なものです。神様を愛する自主性、父を愛する自主性、夫を愛する自主性、息子、娘を愛する自主性、自分の家庭を愛する自主性、自分の国を愛する自主性、自分の世界を愛することができる自主性、自分の神様を愛することができる自主性です。 そのような自主性を統一することができる忍耐を中心として、犠牲になる民族は、世界の統一国の王子、王女になることができるのです。(「アーメン。」) さあ、“そのような人になりたい。”と思う人は、一度……。目を閉じてください。目を閉じて、手をさっとこのように広げてください。両手ではなく、片手です。このように広げて、挙げてみてください。本当に美しいです。写真を一枚写してください。 わたしも、今まで何度もだまされて、“人を信じないようにしよう。”と結論を下そうと思ったこともありましたが、今からは、離別する時が来ました。皆さんは、皆さんの行くべき道を行かなければならず、わたしは、わたしの道を行かなければならないのです。 今から、先生は地上で、どれくらい生きるでしょうか? 十年ですか、二十年ですか? 別れる日が、だんだんと近づいてきているというのです。分かりますね? 別れてから“先生の命令を成し遂げよう。”というのは、落第する人です。学生が学校に行って……。 学校に通うときも、先生の話を中心として、卒業するまでに、その話を完全に成し遂げてこそ、その学校に名前が残るりっぱな学生となることができるのです。そうして、すべての教職者から、学校の歴史を代表する先導者として後輩の前に立てられるということは、間違いありません。分かりますか? ですから、先生がいる間に完成しなければなりません。先生がいる間に完成しなければなりませんか、いなくなってから、自分たちで完成しなければなりませんか?(「いらっしゃる間に完成しなければなりません。」)なぜですか? 完成しても、賞を上げる人がいないではないですか? だれが、賞を上げるのですか? あなたの夫が、賞を上げるのですか、あなたの義父が、賞を上げるのですか? 義父の義父の義父の王の義父が先生であるならば、そのかたが生きて、王の孫の孫の孫の長孫となる、その孫と孫娘を祝福すれば、その間にいるすべての人は、孫であり、息子、娘となります。ですから、一緒に祝福圏に入っていくことができるのです。 それは、どういうことかというと、きょう、ここに集まった統一教会の人は、先生の話を聞いて、“私も、そのようになろう。”と、決心して出発し、先生が霊界に行っても、“私は行く。”と思って、従って行けばよいということです。 そうすれば、ここ(地上)で生きているときに、間違いなく、“霊界で皆さんと会うことができる。”という約束をしてあげます。「アーメン。」と言わなければなりません。(「アーメン。」) 例を挙げれば、第二次大戦の時、日帝時代において、徴兵召集命令が出れば、すべての村では、親が「逃げなさい。」と言い、あらゆるおかしなことが起きました。警察署の署長、面長、里長、班長が協力して参戦する準備をして、その人たちから「行ってきなさい。」と言われました。 そうして、村を離れて汽車に乗る場所に行き、汽車に乗ると出動サイレンが鳴るのです。サイレンが鳴るや否や、「わあ7 第二次大戦が終わった。万歳7」と言えば、汽車に乗っていた人は、汽車に乗ったまま万歳を叫ぶでしょうか、降りて来て万歳を叫ぶでしょうか?(「汽車に乗ったままです。」) 汽車に乗ったままですか? 降りて万歳を叫ぶのは、どうですか? 二つのうち、どちらがよいですか? 汽車に乗ったまま万歳をするのがよいですか、降りて万歳をするのがよいですか?(「降りて万歳をするのがよいです。」) 降りて万歳をするのが、よいですか? 汽車に乗ったままするのは、どうですか? 汽車に乗ったまま国のために万歳をするのと、降りて、親と共に万歳を叫ぶのとでは、どちらがよいですか? 愛というものは、遠い所から先に愛しますか、近い所から先に愛しますか?(「近い所からです。」)聖書では、自分の家の者が怨讐であると言っているのですが、汽車を飛び降りて、“私のお父さんとお母さんと一緒に、きょうの喜びを万歳しなければならない。”と思えば、汽車に乗ったまま万歳する人よりも、降りて、親に対して万歳する人を、すべての人が「悪い。」と言うでしょうか、「良い。」と言うでしょうか? 村全体、親、兄弟、派出所の主任や面長まで、村全体で万歳するのと、汽車に乗って、汽笛の音はしたのですが出発しないので、待っていて、(万歳をしないで)そのまま汽車の中で待っているのとでは、どちらがよいですか?(「降りて万歳を叫ぶことです。」)そうです。 家庭が問題です。国も、家庭を立てた後に、国に行かなければなりません。いちばん喜ぶのが父母、妻、息子、娘でしょう。 金鎭文氏も、そうですか? どこを回っているのですか?(「どこを回っていても、家庭がいつも頭にあります。」)家庭がいつも頭にあり、写真を持ち歩いているのですか?(「はい。持っています。」)写真に三回ずつキスしますか? 息子、娘、妻。(「写真は、親のものも、すべて持っています。」) 写真があるのは分かるのですが、「キスは毎日、三度の食事のたびに、一度ずつしてあげるのか?」ということです。(「電話をするときにします。」)電話ですか? 一年に一回、電話をするのならば、それは“一度しかしてあげない。”ということではないですか? ですから、人には、自分の精誠というものがあるのです。分かりますか? 愛も、精誠を基盤とした愛は、どこにでも通じます。写真を持ち歩いていても、朝食を食べ、昼食を食べ、寝て、すべて一緒に暮らしながら、一緒に喜んで暮らすのと同じようにすれば、その写真が、先祖にもすべて通じるというのです。信号です。分かりますか? わたしたちは、一人で暮らすのではありません。三代圏を中心として暮らすので、いつでも……。環境を無視する人は、堕落した人、つまらない人になり、自分のことばかり考える人になります。 環境を重要視する人は、全体を抱いて、もっと大きな環境を訪ねていくようになります。そうして、町を豊かに暮らせるようにして、さらに“国を豊かに暮らせるようにしよう。”と考える人になることによって、愛国者となるのです。 そのようにして、さらに“世界を豊かに暮らせるようにしよう。”と考えれば聖人となり、天地、神様まで解放すれば、天の国の王子、王女になるのです。アーメン。(「アーメン。」) “最高が嫌いだ。”という人は、手を挙げてください。“最高が好きだ。”という人は、手を挙げてください。では、何を最高にしたいですか? 親を最高に嫌う人がいるでしょうか? 最高を願うでしょう? 親が最高なのですが、結婚する人たちが、「私の妻が最高だ。私の夫が最高だ。」と言うとき、どちらが最高ですか? 親を“最高だ。”と思うのが貴いですか、新郎新婦を“最高だ。”と思うのが貴いですか? 歴史性を備えたものを見るときには、親でしょう? 新郎新婦は、二十代、三十代、四十代、一生の四分の一、五分の一を過ぎて出会ったので、いくら愛しても、“父母の愛”を超えることはできません。 それで、結婚した夫婦は、夫を生んでくれた父母、妻を生んでくれた父母の代わりとして一つになってこそ、父母の位置に立つようになるのです。 ですから、新婦は、夫の親によく侍り、新郎は、“妻の親までも、自分の親のように侍ろう。”という心を持ってこそ、それまで、結婚して一つになることができなかったとしても、そのことを埋めて余りあるというのです。 環境が必要です。環境。分かりますか?(「はい。」)手があれば、手自体に表裏があるでしょう? これ(表)が自分の夫の家庭であるならば、これ(裏)は妻の家庭です。この二つが、一緒に動かなければなりません。 ですから、夫を迎えた女性は、夫を“自分の父親の代わりである。”と考えなければなりません。分かりますか? 女性を迎えた男性は、妻を“自分の母親の代わりである。”と考え、妻の両親を“自分の両親の兄弟である。”と考えなければなりません。そのように考えなければならないのです。兄弟は、一つになるのではないですか? 氏族まで一つになろうとすれば、父方の系列だけでよいでしょうか? 母方の系列を外してよいのですか? 三百六十度、姓氏をすべて合わせてこそ、一族の環境が円満になるのです。 ですから、より大きいものを投入しようとし、犠牲になろうとする人は、より大きなものの中心存在になるのです。(「アーメン。」)これが天理です。歴史が変わっても、より全体のために苦労する人は、小さな所でも大きな所でも、より犠牲になる人は、その小さい所や大きい所で主人の位置を占有するようになるのです。分かりますか?(「はい。」) 統一教会に入って来て、“統一教会の主人になりたい。”と思う人は、手を挙げてください。このように四千人のために生き、犠牲になることにおいて、四千人が競争して、その一等になることができる人が、中心者です。より、より、より犠牲になる人は……。 神様は、なぜ神様になられたのでしょうか? 人類を中心として、数千万年の間、ために生きられて、またために生き、投入して忘れ……。父母とは、そういうものです。子女を愛することを忘れて、もっと愛することができないということが、恨なのです。 子供のために、正月や誕生日に、いちばん良いプレゼントを買ってあげるとしても、“デパートに行って、いちばん良いものではなく、このような物を買ってしまった。”と思うとき、一等、二等を忘れて三等の物を買ったというとき、父母の心は平和でしょうか、幸福でしょうか? 幸福ですか、不幸ですか? 平安ではありません。不幸ではありませんが、平安ではありません。 ですから、“来年は、それ以上の物を買ってあげよう。”と、父母は犠牲になるのです。その息子、娘よりもです。分かりますね? 親とは、そのようにして息子、娘よりも犠牲になるものなので、父母のことを、自分の中心存在の中の中心存在として貴重に思うのが、孝子の道なのです。アーメン。(「アーメン。」) それは、「神様を中心として、どうして文総裁がメシヤであり、真の父母なのか?」という話になります。歴史上には数多くの父母がいて、精誠を尽くした大勢の夫婦がいましたが、キリスト教宗教圏においても、二十四時間、食べずに精誠を尽くしてでも、父母の心の立場がどのようなものであるのかということを知り、その深い谷間の心情を知り、崩れた高い希望の壁を積み上げていることを知ってきたのです。 それを心配してあげ、直してあげようとして、“千年、万年、苦労した神様よりも、自分は、その千年、万年以上、苦労なさった神様のために生きよう。”と思って中心的な立場に立てば、神様のみ旨が成し遂げられるときには、千年万年もかからないで成される、その心情世界を相続させてくださるのです。 神様は、そのような神様でいらっしゃいます。息子、娘が精誠を尽くしたことを、いつかは忘れたとしても、遺言もできずに忘れたとしても、父母には、“いつでもそれを成し遂げてあげよう。”という心があるので、父母の父母であられる神様は、そのように生きる人を永遠に忘れられることはありません。 さらに、“彼らを、すべての存在の中心存在として立ててあげよう。”という心を持っていらっしゃるので、「神様は、どれほどありがたくありがたい、父の中の父であられ、師の中の師であられ、主人の中の主人であられるだろうか。」と、言わざるをえません。 そのかたたちが好み、そのかたたちが“したい。”と思うすべてのことは、“自分が代わりにする。”というとき、神様は、ご自身が持っていらっしゃる秘密の倉庫に入れておいた宝物までも、すべて「おいおい、子供たちは大勢いるが、あなたに上げよう。」と、訪ねて来られて、こっそりと下さるのです。分かりますか? 例を挙げて話をすれば、わたしたち統一教会の教会員たちが嫁いで行くとき、日本人の所に嫁に行き、西洋人の所に行き、五色人種の中で、嫁に行かない所がありません。 先生の教えが、このように、「ために生きる人が主人になる。」というものであることを、耳にくぎを刺すようにして聞き、“そのように生きよう。”とする人たちは、息子、娘がいくら大勢いても、自分が何番目であっても、祝福家庭としては、いちばん最後であるとしても、中心的な立場に立つようになります。 夫の父母や兄弟が最も好むのは何かというと、全体のために自分を忘れて生きる人であり、それが統一教会の教会員です。ですから、統一教会を中心として、父親でも何でも、その環境でも、兄弟たちが中心に迎えて一つになるのです。 真の愛は、永遠に統一圏を完成する、その心情を持っています。ですから、(そのような資質や感性について)自分では分からなくても、神様がお気づきになれば、神様は、環境の統一圏として、この“私”を中心存在として立てられるのです。 そうして、神様は、そのような“私”を選出することができるように推薦したり、選挙で当選することができるようにされ、そのような人物を立てられて、その人に“国と世界を任せたい。”と思われるのです。それが父母というものです。父母の中の王の父母は、そのように考えざるをえない、ということを知らなければなりません。 皆さんが天国に行ったとき、皆さんの親が天国に訪ねて来て、“息子のために生きる。”というときに、神様は、「おい、おい7 あなたの息子は天国に行くが、父母であるあなたは、行くことができない。」とはおっしゃいません。 息子がために生きれば、そのために生きる息子の所に、“もっとために生きよう。”として訪ねて行く親については、いくら傷が多かったとしても、その場で道を開いて(息子のいる所まで)案内してあげるというのです。 そうして、その道を超えて、親が息子を助けてあげることができるようになるときには、その親にも、天国に行って息子に会い、一緒に暮らすことができる道が、いくらでもありうるのです。そのような道がありえますか、ありえませんか?(「ありえます。」) ですから、親が、子女が願うその世界に行き、資格はなくても、その息子、娘が願う理想のために生きようとすれば、その親も、中心の位置に立つことができる息子、娘と同参することができるのです。分かりますか?(「はい。」) ですから、自分独りが全体のために生きようと、自分が父母のために生きようと、世の中の果てやどこに行ったとしても、ために生きる心を持って暮らす人は、絶対に滅びません。分かりますか?(「はい。」)わたし文総裁が、そのように生きてみると……。 わたしは、哀れな存在です。父母たちも追い出し、父母も「行くな。」と言う道を「行く。」と言うので、皆が足にしがみつき、首にしがみつき、大騒ぎしているのを蹴飛ばして出て来たことを思い出します。独りで山道の峠を越えて、見えない所まで飛び出して来たことを思い出します。しかし、わたしが帰るときには、親が願う理想の世界を……。南北を統一して……。 わたしは、以北(北朝鮮)に行って、母の墓参りをしながら、「わたしが、ここに来たのは、金日成の徒党たちが願い、その心で意図することのために来たのではありません。わたしが、ここに来たといって、母の墓を案内してくれたので、母の墓参りに来て、涙を流す……。」と報告しました。 先生の姉と妹が、断腸の思いで痛哭するのです。「お母さん。」と言いながら、「あれほど愛していた息子、お兄さんが来ました。」と言い、「弟が来ました。」と言うのですが、そこに立って、胸が崩れ落ちようとするのを止め、涙を流さないようにすることが、どれほど大変であったでしょうか? 北朝鮮に行って、涙を流さなかったのは、初めてです。 そして、わたしが祈祷したことがあります。 「わたしが、ここに来たのは、父と母を慰労するための個人の訪問ではありません。以北において、二千万の同胞を生かすために、三十八度線を取り除き、万国が解放の自由天地を迎えて、南北にいる兄弟たちが共に集い、国境を越えて、どこに行っても、その兄弟たちが友愛を保護し、孝子を保護し、息子、娘を愛する父母の愛を保護することができるようにするためです。今、その天地に向かう途中にいるので、そのような天地になるとき、初めて息子として訪問し、涙も流し、父母様を慰労してさしあげます。その日までお待ちください。」と、祈祷したのです。 世の中の人たちは、「文総裁は、なぜ、以北に平和自動車(の工場)をつくるのか?」と言います。先生には、“かかったお金を一銭でも取り戻そう。”などという考えはありません。 “親が、わたしを愛してくれた、その愛の心があったのならば、その以北が、なぜ、あのようになったのだろうか?”と、考えてみたときに、自分自身が“愛そう。”という心を持って、地上においてであろうと、“南北の統一を成すことができる。”という心を中心として、果たさなければなりません。 そうして、(霊界からは)霊的に助けることができる親戚が、(地上の)親戚を助け、良心的な善なる人がいれば、その善なる人を助けて、南北を水平化することができ、一つになることができる、このような面に対して、もっと協助してくれるようにと願うのが、先生の希望であり、父母の希望なのです。 しかし、心が同じであってこそ、それが成し遂げられるのであって、一つは上がっていき、一つは下がっていくということではいけません。分かりますか? 分かりますか? 分かりますか? 後ろの方は、聞こえますか?(「はい。」) 孝子になりなさい7“自分は、間違いなく孝子である。”という人は、手を挙げてください。「孝子」なので、女性は、だめでしょう? それでは、女性が気分を悪くするので、男性も手を挙げて、女性も、“孝女になりたい。”という人は、手を挙げてください。両方とも挙げなければならないでしょう? 挙げていない人は、いませんね? 全員、挙げたでしょう? ですから、父母の立場にいる文総裁は、いくら悪党の頭目のような息子、娘であっても、愛さなければならない運命であり、両方とも「(孝子、孝女に)なります。」と言うので、福を祈ってあげますか、災いを祈ってあげますか?(「福を祈ってあげます。」) きょうまでのことは、すべて忘れますが、今から、祝福を受けることができる、より犠牲になる中心存在になり、環境に奉仕することができる基盤を広げなければなりません。そのようになれば、きょう、祝福したその事実を再び成して、過去の歴史を埋めて余りある解放的な、ために生きる主人にならなければなりません。アーメン。(「アーメン。」)(拍手) 統一教会の原理のみ言の中で、最も重要なものは何ですか? 「最も重要なものは何か?」というのです。すべて重要でしょう? 第一、二、三、四というとき、息子も全員、重要ですが、一番目、二番目、三番目、四番目がありませんか? 今、父子関係です。堕落した人間が、父子関係を語ることができるでしょうか? 復帰しようとすれば、何が必要ですか?(「蕩減です。」)蕩減です。 蕩減とは何ですか?「蕩」という字は、“溶かして削って小さくする。”ということです。そうですか、そうではないですか?(「そうです。」) 夫に対する蕩減の限界点は、どこですか? 女性たちは知りません。知っていますか? 男性たちが、女性に対して蕩減することができる限界点を知っていますか? それは何ですか? このような根本問題は、理論的にわきまえておかなければなりません。 神様の属性が、何ですか? 属性は、目の属性、耳の属性、鼻の属性、五官の属性、すべてあります。肢体には、すべて属性がありますが、主流の属性は何でしょうか? 主流の属性が、“絶対属性”です。神様の属性は、絶対属性です。神様は、絶対的なおかたです。唯一のおかたです。不変なおかたです。永遠のおかたです。分かりますか?(「はい。」) そのようなおかたが最も好まれるものは、何でしょうか? 真の愛です。真の愛が最も好むものが、何でしょうか? 真の息子、娘です。そうでしょう? 真の息子、娘がいなければ、真の愛は流れてきません。その真の息子、娘が大きくなって、孝子にならなければなりません。孝子になり、二人の兄と妹が大きくなって、闘ってはいけません。 神様は、二性性相の何ですか? 中和的存在です。二人を一つにすることができながらも、いつも主体の立場に立つことができます。主体の立場にいらっしゃるので、主体的立場で、性相が形状を従えるのです。 言い換えれば、男性と女性で、男性が性相、女性が形状ならば、性相は、この後ろに来て回るようにして、一つになるのです。プラス、マイナス、そこにプラスです。そして、運動が起きるのです。その運動に入っていくことができるチャンスができれば、「さあ、今から一つになる。」と言って、初夜の初愛です。分かりますか?(「はい。」) 初愛は、女性の生殖器、男性の生殖器です。そして、内的な生殖器の主人が神様であり、外的な生殖器の主人が、アダムとエバです。分かりますか? 二人が一つになり、プラスが先なので、内的なものから一つになり、外的に引っ繰り返って一つになるのです。 愛すれば、自分が高いのか低いのか分からない、というのです。そうですか? わたしは、よく分かりません。「なりたいようになろう。神様が解放で、私たちも解放だ。万象は完成である。」と言って、そこで一つになります。そこで、“天地が合徳する。”という言葉ができるのです。 それゆえに、夫は、神様の代わりです。夫の心の中には、神様が入って来ておられ、女性の心の中には、二性性相が入って来て、二人が一つになるのですが、愛の最初の出発場所は、神様です。 内的な心から体が一つにならなければなりません。それが創造原則なのですが、堕落したので、未成年のエバと愛の関係を結んで逆さまになり、そこで線が引かれて、それ以上、上がって行くことができないのです。 ですから、堕落した血統は、ここで神様の本然の血統が、許諾できない怨讐の血を受けたというのです。これを清算することが、どれほど困難な事実であるかということを知らなければなりません。分かりますね?(「はい。」) ですから、だれであっても、祝福を受けなければ、天国に行くことはできません。そして、三対象目的を完成した家庭を成し遂げなければ、天の国の入籍が不可能なのです。いいかげんに生きるようにはなっていません。はっきりと教えてあげます。分かりますか?(「はい。」)分かりますか?(「はい。」) 皆さんが、神様の愛を受けるために、おばあさんからお母さん、妻、娘の位置に行くのです。エバは、娘であり、アダムの新婦であり、神様の新婦であると同時に、おじいさんの新婦であるのです。分けることはできません。そのことを知らないのです。 それゆえに、神様の愛は、絶対、唯一、不変、永遠です。お父さんも絶対、唯一、不変、永遠なものであり、お母さんも絶対、唯一、不変、永遠なものであり、自分の夫と妻も、絶対、唯一、不変、永遠なものであり、息子、娘も、絶対、唯一、不変、永遠なものです。 ですから、上弦と下弦を東西南北、十二に分けて、そのどこに合わせても、九十度で、ぴたっ、ぴたっと合うのです。統一されないものがない、ということです。 おじいさんの懐に、孫が入って行っても、オーケーです。分かりますか? お母さんの懐に入って行ってもオーケーであり、お父さんの懐に入って行ってもオーケーであり、お兄さんの懐に入って行ってもオーケーです。また、お兄さんが、弟の懐に入って行ってもオーケーです。 だからといって、肉的関係のことを言っているのではありません。そのように一つになるようになっています。一つになるのが、自動的な原則です。仮想的原則ではありません。自動的に、そのようにならなければなりません。 それゆえに、親がいないときには、長女として生まれたのならば、弟や妹たちを、自分が親の代わりになって保護することができなければならない、ということです。世の中においても、韓国は、そうでしょう? 親に息子、娘たちがいれば、(自分の弟妹に当たる)その息子、娘たちを全員育てて、自分の息子、娘よりも尊重して育ててあげることができてこそ、その家庭を相続することができるのです。その代を、天の天理に代わって、千々万の先祖たちの歴史的伝統に代わって相続することができる者になろうとするので、大変なのです。分かりますね? それを一族に関して言えば、七親等、八親等、十二親等が一緒に暮らす、その人々の前に手本になろうとするのですから、どれほど大変でしょうか? そしてまた、息子、娘を育てるのは、お母さんしかいません。 女性というものは、子宮を持っています。子宮は、だれのものですか? 男性のものですか、赤ん坊のものですか? 自分の乳房は、だれのものですか? おしりが大きいのは、だれのためですか? 自分のものは、一つもないのです。 赤ん坊に骨まで、骨の髄まで与えてあげても、“もっと与えたい。”と思い、そのようにして、より大きく犠牲になることを願いながら家庭を導いていく人が、天の国の女性になることができ、王になることができるということです。分かりますね?(「はい。」)分かりますね?(「はい。」) これが堕落することによって……。よく聞いてください。堕落することによって、どのようになったのかというと、時計の針のように、神様から……。黒板に描くのも時間がかかります。 このように四位基台になり、このようになるのですが、これが、中心を中心として、プラスとマイナスであり、これが男性と女性です。これは上がって行き、これは下がって行って一つになるのですが、ここに個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代と、八段階にすれば、世界的になるのです。 この線を見れば、何かというと、八段階に分かれるのです。プラス、マイナス、プラス、マイナス、このようになるというのです。分かりますね? 堕落がなければ、時計の針のように回るはずでしたが、堕落することによって、反対に回ってしまいました。こちらの方に回ったというのです。分かりますね? 逆さまに回れば、個人的なものから逆さまに回り、引っ繰り返って回るのです。 ですから、ここにあるものが、こちらの方に回らなければなりません。そうして、個人復帰完成、家庭復帰完成、氏族復帰完成、民族復帰完成、国家復帰完成、世界復帰完成、天宙復帰完成、この世界、大きな宇宙が、すべて入るのです。 ここを中心として、天の国のある……。堕落していなければ、神様は、これをすべて合わせて、だんだんと、このようにして見えなくなるのです。すべてこのようになるのですが、これをさっと切った、その面を、わたしたち人間が行かなければならないということです。 時計の針が回るように、ここで、このようになっていたならば、永遠に、このようになるはずですが、逆さまになりました。個人的にも逆さまに復帰し、これを復帰、復帰、復帰して、世界、八段階まで、こちらの方まで復帰するのです。 そうして、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、線を引くときに、ここで詰まらないように、ここまで来るのですが、そこで、このように行くのではありません。本来は、元の位置に行こうとすれば、この出発点から一つになって、こちらの方に回ってくるはずであったのですが……。 これが、ここで、このように行くことができません。逆さまにして回らなければならないのです。分かりますね? 堕落した人間は、このように落ちたので、復帰すればよいのですが、メシヤや救世主が来て、復活の役事を行い、これが、ここまでなった世界の果てから、これをすべて蕩減したものを中心として、神様を端からお迎えして……。 来られる真の父母も、同じように蕩減の道を反対に行かなければなりません。天宙的路程、世界的路程、これをすべて蕩減していくのです。 そして、本然の位置にぴたっと合わせて、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰をします。分かりますか? このようにして、アダム家庭がしなければならないことをすべてやったので、代表的家庭となるのです。 そうして、皆さんが、八段階の結実として、堕落していない中央線を中心として、ここから、さっと越えていくようになれば、……。これさえ越えていけば、かち、かち、かち、かちっと、時計が回るのです。 それゆえに、真の父母は、ここの中心として、堕落するときに、ここまで行ったことを蕩減し、神様をお迎えして、ここに帰ってきたのです。サタンを片付けてしまったのです。祝福を受けなかったのですが、祝福してあげて、個人に、家庭に、氏族に、民族に、世界にさっと入っていくのです。分かりますか? ですから、皆さんは何かというと、「祝福中心家庭」です。それは何かといえば、八段階の完成ができなかったことを、代わりに真のご父母様が完成したということです。 それで、「真の父母」というのですから、真なる父母の勝利したすべてのものを、真なる子女たちが、自動的に相続するのが天理であるということです。分かりますね?(「はい。」) ですから、このような立場から見れば、皆さんには、まだ課題が残っています。地獄にいた人たちを引っ張り出す、そのようなことをするのです。アベルが行って、地獄から引っ張り出して、すべて蕩減復帰完了です。 今日で言えば、「天地父母安息圏」を宣布したでしょう? 今では、サタン世界のすべてのものを整理して、この原則を中心として、真のご父母様が勝利しました。真のご父母様の命令によって、地獄にいるカインたちまで、最悪のカインの王、サタンの王を祝福してあげたでしょう? 第二次大戦の時の、スターリンなどの共産世界の頭目たちを祝福してあげたので、彼らの相対的関係にある地獄に行った人たちも、アベルの責任によって呼び出して祝福してあげ、兄弟の立場に立てておくのです。そして、同じ位置で、聖人と殺人鬼を祝福してあげるということです。 そして、真のご父母様が個人完成して、八段階を完成し、真のご父母様を中心として、この世界のサタンが屈伏し、この世界のすべてのものを蕩減して、橋を架けておいたので、こちら側の人も、このように……。 これを回っていけば、どれほど遠いでしょうか? こちらに行くこともできるのです。足を超えて、頭に行くことができ、こちら側の人は、頭を超えて本然に行き、その本然を誇ることができるのです。分かりますね? これは、地獄も解放することができるということです。天の国も解放することができる二つの道を、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の……。自分なりの意識、観念、考えではいけません。完全に空にならなければなりません。 ですから、神様の御前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。神様は、絶対信仰で天地を創造され、天地は絶対愛の対象です。神様が完成されるためには、愛の対象がなければなりません。 息子、娘がいてこそ、「父母」という名と「父母」の看板をつけることができるということと同じように、息子、娘を中心として、一つにならなければならないということです。 息子、娘が、父母を主人の立場に、夫が、妻を主人の立場に、妻が、夫を主人の立場に立てるのです。そのように、お互いがお互いを完成させてあげることができる相対的存在であるので、絶対愛を成さなければなりません。自分を犠牲にして、ために生きてあげなければならないのです。 お互いが、ために生きて、ために生きて、ために生きながら、どんどん高まっていくので、神様までも、ために生きることに拍子を合わせて下りて来られ、ぴたっと一つになるのです。 このようになってこそ、皆さんの心と体に力が生じます。思ったとおりに、すべてのものをコントロールすることができるのです。世の中に何か悪いものがあれば、すぐに体が、さっと背を向けるのです。しかし、今、そのようになっていないでしょう? 真の愛の力だけが……。先ほど、「統一することができる力がある。」と言ったでしょう?(「はい。」)善悪を分別していくことができるのです。 ですから、神様を絶対信仰し、絶対愛し、絶対服従することにおいては、“自分は、何々の女性である。”という概念や、“何々の男性である。”という概念は、なくさなければなりません。それは、生まれてもいない、男性なのか、女性なのか……。 生まれて大きくなるまでは、男性なのか女性なのか分からないではないですか? そのような立場で、「幼子のようでなければ、天国に行くことはできない。」という話があるのです。すっかり成長して、あらゆる欲心が、たくさんあるでしょう? 自己中心的に食べることが罪です。どこかに行って、よいものを食べても……。 どこかに招待されて、テーブルにいちばんよい食べ物があれば、箸がそちらに行きますか、どこに行きますか? われ知らず、そちらに行くのです。分かりますね?(「はい。」) 神様と、おじいさんと、すべての王たちが来て、座っているところなのに、名もない孫と孫娘が、そのようにすれば、腕を切ってしまわなければなりません。ために生きる心があり、すべての人が食べ終わった後に、何が残っていても、感謝することができる……。 女性たちが、そのようにすれば、福を受けるのです。夫とおじいさんが食べて……。部屋に入って行って、テーブルに座ることもできずに台所にいて、食卓に座ることもできずに食べて暮らしているので、福は、その人たちが受けるのです。そのようにして中心存在になるのです。 そのようになれば、夫の両親も、自分の秘密の話を嫁には話すのです。ところが、娘には話しません。(親にとっては自分の息子である)夫にも話さないというのです。分かりますか? それは、“主人になった”という事実に間違いない、ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」)その後ろの人たち、分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」) 地獄も、時計の針が、このように行くものが逆さまに行ったので、このように逆さまに行かなければならないのですが、先生を懸け橋として、地獄にいる人も本然まで引っ張って来るのです。 そうして、この線を中心として、このように直線で、先生を乗り越えていくことができ、こちらの方に行った人も、自動的について来て、ここに越えて来るのです。 それで、先にいる人が最初なので、兄の立場になり、次が弟の立場に立ち、父をお迎えして、天国に入って行かなければなりません。そのようにしてこそ、立て直すことができるのです。そうして、蕩減復帰の完了が成されます。全体蕩減するためには、真の父母が絶対不可欠の存在なのです。アーメン。(「アーメン。」)万歳7(拍手) ですから、悲しくても、先生にしがみついていなければならず、うれしくても、先生にしがみついていなければなりません。そうですか?(「はい。」)統一教会は、特別なのです。あなたのお父さんとお母さんも、そうでしょう? 「先生」と言うのですが、「先生」が何だというのでしょうか? 地獄に行ったとしても、先生を懸け橋として天国に行き、お兄さん、お父さんを訪ねて行くことができるのです。先に入籍して復帰された、すべての統一教会の教会員たちが、イエス様よりも先に来たので、イエス様も、皆さんの弟になることができるのです。分かりますね?(「はい。」)早く先祖たちを復帰して……。 イエス様の息子、娘は、いないでしょう?(「はい。」)息子、娘がいないので、皆さんが息子、娘を持てば、イエス様が、一番びりになります。ですから、早いうちにイエス様の養子を選んで、代を継ぐようにしておかなければなりません。 金鎭文氏。金鎭文氏の娘は、何人ですか?(「娘は二人です。」)息子は何人ですか?(「息子は二人です。」)だれか一人、養子として上げますか?(「“養子として上げよう。”と思ったのですが、その家庭が、息子を生んでしまいました。」) 違います、違います。(霊界にいる)四大聖人や聖賢、賢哲たちは皆、男やもめです。(「お父様のみ意どおりにいたします。」)わたしの願うとおりにする、というのですか?(「『上げなさい。』とおっしゃれば、上げます。」) 何を上げるというのですか? 自分たちが願って、兄弟で相談しなければならないでしょう? お父様が「こうしなさい。」と言えば、数多くの霊界や地上世界が、どれほど複雑になるでしょうか? 先生の頭が、溶けてなくなります。そのことを考えなければなりません。興進と薫淑のことを知っているでしょう?(「はい。」)結婚させてあげたでしょう? さあ、孔子様の夫人、立ってください。孔子の夫人です。「私は、孔子の夫人です。」と、こちらに来て宣布してください。宣布しなければなりません。大学の総長が何ですか? 嫁に行かなければならないでしょう? 宣布しなさい、というのです。(「私は、孔子の夫人です。」) やりくり上手な夫人ですか、取るに足らない夫人ですか?(「やりくり上手な夫人です。」)先生よりも孔子を、もっと愛しているでしょう?(「はい。」)(拍手) そのように思えば、孔子が訪ねて来るというのです。孔子が訪ねてくる時が来たのです。分かりますか? 「すべての心と体、骨髄から、骨から、産毛まで、すべて孔子のために生まれたので、思いどおりにしてください。」と言えば、わしが、さっと奪っていくように、空中に飛んでいくのです。そのような体験をして暮らさなければなりません。そのような時になったというのです。 それから、張貞順さん。来ましたか、来ていませんか?(「来ていません。」)李貞玉さん。(「はい。」)この小さなおばさんが、だれの相対のように見えますか? 出て来てください。だれの相対ですか?(「マホメットです。」)何ですか?(「マホメットです。」) 私は……、だれであると宣布しなさい、というのですか? きょう、宣布しなければなりません。(「私は、マホメットの夫人です。」)(拍手) 自分の夫から愛される以上に、夫を愛することができるようになれば、マホメットが訪ねて来るというのです。訪ねて来てくれればよいですか、訪ねて来なければよいですか?(「訪ねて来ればよいです。」)それでは、死ぬほど片思いしてみてください。がちゃっと開かれるというのです。なぜ、笑うのですか? さあ、それからまた、ソクラテスです。名前を言ってください。(「私は、金明熙です。ソクラテスの妻です。しっかりと侍っていきます。」)(拍手) 今から、思いどおりに一緒に暮らす時が来るのです。今から一緒に暮らす時が来ます。時代が変わるというのです。分かりますか? それから、姜賢實さん。(「はい。」)賢實さんは皆、知っているではないですか? 皆、知っていますか、知りませんか? それでも……。(「皆、知っています。」) きょうは記念日なので、宣言しなければならないでしょう? 宣言が必要です。イエス様も、メシヤを宣言できずに亡くなったのです。宣言をしていたならば、死んでも霊界に行きません。(「私は、アウグスティヌスの妻です。」)(拍手) じっとしていてください。アウグスティヌスに会って、損をしていませんか?(「損していません。」)毎日のように会っているのですか?(「毎日ではありませんが、会っています。」) 霊界の事実をすべて宣布しなければ、霊界に行ってから聖賢、賢哲たちに、面と向かって責められます。「こいつめ。先生が昼夜、強調したにもかかわらず、覚えてもいない。」と言われます。問題が起きるというのです。分かりますね?(「はい。」) 霊界は、“私”の霊界。(「霊界は、“私”の霊界。」)霊界にいるすべての人は、“私”の弟たち。(「霊界にいるすべての人は、“私”の弟たち。」)弟たちです。尋ねてみてください。祈祷してみてください。そうですか、そうではないですか? わたしが、今から数十年前に、「この四大聖人は、わたしの弟子である。」と言うと、仏教界でも、キリスト教界でも大騒ぎになりました。大騒ぎした彼らは、すべて退いても、わたしは残って、今、主人のふるまいをしているのです。分かりますね? 自信を持たなければなりません。自信。(「自信。」)よく信じる人ということです。 さあ、そのように理解して、今からは……。午後二時半なので、講義をします。分かりますね?(「はい。」)チャート講義です。 講義を一時間で、すべてできますか? すべてあるでしょう?(「はい。」)一時間、二時間、五時間。五時間は、梁昌植氏、あなたがしなければなりません。(「私は、時間がなくてできません。」)やっている途中でやめれば、次にまた、やればよいではないですか? 明日の朝、また集まるのでしょう? どこかに行く飛行機が問題ですか? 飛行機に乗るために移動する時間が問題ですか? 死ぬか生きるかの問題ではないですか? 今から、(霊的)革命が起きるというのです。原理講義を勝手にすることはできません。チャートでするのです。 わたしが以前に、チャートの一時間のものを聴いたのです。すべて聴きました。わたしが鑑定しなければなりません。ですから、今後、二時間、五時間のものも、絶対にこのチャートで講義をしなければならず、チャートでしないものは、禁止です。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」) “分かった。”という人は、両手を挙げて、神様の御前に誓わなければなりません。郭錠煥氏も、手を挙げましたか?(「はい。」)影が挙げましたか、実体が挙げましたか?(「実体が挙げました。」) 黄善祚氏。(「はい、挙げました。」)なぜ、こぶしを握ったのですか? 開かなければならないでしょう? こぶしを握って、万歳を叫ぶ人が、どこにいますか? 開いて、しなければならないでしょう? 先生が、きょう、はっきりと話したので、そのようにしなければ、地方の教会長から教区長たちは、讒訴しなければなりません。今から、六大州に二人ずつ配置します。分かりますか? 二人、三人ずつ、ここから配置して……。 史吉子さん。六大州に三人ずつ配置して、そこに行って、チャート講義の手本を三回ずつ見せてあげて、自分たちですることができるようにしなければなりません。しなければ、国家メシヤでも何でも、首です。分かりますね?(「はい。」)巡回師たちも、そうです。チャート講義をしなければなりません。 巡回師の人たち。(「はい。」)分かりますね?(「はい。」)それでは、“分からなくない。”ということが事実であると、先生は信じます。(「はい。」)それでは、拍手しなければならないでしょう?(拍手) わたしがいるときよりも、み言をよく聴いて感動すると思いますか、思いませんか?(「思います。」)わたしが五年間、訓練しました。この者たち。まったく、統一教会の人が、自分勝手にするのですか? 協会長でも、だれでもです。どこにいますか? 天の願いに絶対服従しなければなりません。そうでしょう?(「はい。」) そのようにすれば、一騎当千です。「一騎当千」と、言ってみてください。(「一騎当千。」)二つはありません。影はありません。それは、“影がない”ということです。昼でも影がないということです。そのように理解して、よく訓練してください。講義するのは、だれでもできるのです。 劉正玉氏。(「はい。」)今、日本で行っている「訓読教会」をモデルとして、全世界が、それを相続しなければなりません。そして、『神様の摂理から見た南北統一』と、今回、お母様が語ったみ言を五十万冊出版するのです。本をすべて出版しましたか?(「今、やっています。」) それを分けてあげなさい、ということです。(「はい。」)二百万ドルです。何百万ドルではありません。国民全体の前に、教材として分けてあげなければならないのです。世界が……。分かりますね?(「はい。」) そのようなものを一つ、一つ、ここで講義する人たちの前で……。女性たちもしたので、しない者たちは、頭に立て札を刺さなければなりません。“そのような命令は守らない。”というのですか? そのように理解して、絶対一方通行です。いいかげんに講義してはいけないのです。 そのようにいいかげんに講義をしたとしても、自分の話と自分の自慢が、半分以上になります。原理のみ言は、講義したとおりにしようとすれば、本をそのまま……。三回だけ講義を聴き、三回だけ本を読めば、さっと頭に入ります。本だけで、万事オーケーです。 それから、「訓読会」の教材として使えば、十年、万年たっても、すべて平和統一の基盤として、完全にパスすることができる食口を育てるということは、問題ありません。そのようなことを知っている先生が、「このようにしなさい。」と言わなければならないでしょうか、「するな。」と言わなければならないでしょうか?(「『しなさい。』と言わなければなりません。」) 金興泰氏7(「はい。」)サッカーをする人をたくさん教育して、六大州を管理することができるようにして、郭錠煥氏と一緒に、会議するときに多く条件をつくるのです。(「はい。」) そうして、心配なく部署をつくり、今からは、郭錠煥氏が任命して、「金興泰氏は後退。」と言えば、後退するのです。(「はい。」)“自分がすべてやろう。”と考えてはいけません。(「はい。」)門を開いておいて、大衆を案内しなければなりません。 この世界、二百四か国にサッカーチームをつくらなければなりません。FIFA(国際サッカー連盟)やペレがしなければ、わたし独りで、すべてすることができます。オリンピックも、わたしの手ですべて整理しなければならないのです。分かりますね?(「はい。」) 先生に、そのような能力がありますか、ありませんか?(「あります。」)わたしには、能力がありません。(笑い)“皆さんに能力がある。”と信じて、このように言うので、そのように理解して、どのような命令をしても、わたしよりも一所懸命にすれば、敗者にならずに勝者になるのです。アーメン。(「アーメン。」)万歳7(「万歳。」) 皆、喜んでいますね? さあ。(「はい。全員、お立ちください。」)さようなら7 さようなら。グッドバイ。(「立ったまま、天地父母様に敬礼をいたします。」) 一所懸命に聞いてください。特別に感想文を書いて行ってください。国家メシヤたちと責任者たちは、感想文を残して行かなければなりません。分かりますね? 原理講義をするのは、女性たちが責任を持たなければなりません。母親が、よく教育しなければなりません。父親が、感動を受けるようにするのです。小羊の婚宴をすることができ、天下のすべての名門の家庭をつくるためには、母親たちが賢くなければなりません。分かりますね? 父親が賢いだけではいけません。 今回、平和大使を全世界に立てて……。全世界に、平和大使をすべて立てるのです。郭錠煥氏、分かりますか?(「はい。」)黄善祚氏、分かりますか?(「はい。」) (「万歳三唱をして、きょうの一部のプログラムを終えて、食事後に原理講義をいたします。」) (万歳三唱)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.03.17
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Holy Mother Han ホーリーマザーハン1000回 呼名祈禱 帝王蝶(オオカバマダラ) 제왕나비2025/04/24#天心苑 #家庭連合 #祈祷#ホーリーマザーハン #家庭連合 #呼名祈禱 #オオカバマダラ #天心苑 #祈祷 #제왕나비 #帝王蝶一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.04.26
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大役事後に私たちが持つべき姿勢(日本語通訳版)-み言葉-ヨコイトシアキ副局長(教育局)-1729次修練2026/05/10 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2026.05.10
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雙合十勝日 宣布2004年5月5日、大韓民国麗水清海ガーデン第三節 「双合十勝日」と後天時代の開幕「双合十勝日」宣布真の父母様は、二〇〇四年五月五日、全南・麗水の清海ガーデンで、「双合十勝日」を 宣布するとともに、以前の時代を先天時代、以後の時代を後天時代であると宣言された。「双合十勝日」は、天と地が入れ替わり、上下、前後、左右が入れ替わ る時であり、暗闇の悪の世界が消え、光明な善の世界を取り戻すことのできる日である。また、これに先立ち、真の父母様は四月十九日に、「安着侍義の日(安 侍日)」を制定された。1 二〇〇四年五月五日、きょうを期して、「双合十勝日」を宣布しました。五月五日は、五と五を合わせれば十数です。左手の五本の指で先天時代をつかみ、また 右手の五本の指で後天時代をつかんでひっくり返し、一つにして十になるようにするのです。時計の針は右向きに回らなければなりませんが、サタンが左向きに 回るようにしました。時計の針が左向きに回っていましたが、「双合十勝日」に合わせて右向きに回っていくというのです。ですから、先天時代を越えて、統一 的理想の後天世界になりました。神様の祖国と平和王国時代が発表されたので、すべての存在、すべての植物と動物から人間まで、そして霊界の霊人たちまで、神様の祖国と平和王国が設 定されることによって、すべてが主人である神様のものとして帰っていくというのです。サタン世界はなくなるということです。ですから、神の日でないものが ありません。今や自分の先祖や霊界に行っている宗教の教主たちは、ここに反対する人々や、教派分裂と家庭分裂をする人たちをすべて整理します。ここに反対 するものも、祝福を通して完全に根まで引き抜くのです。8 二〇〇〇年が過ぎ、新しい三〇〇〇年に向かう二〇〇一年一月十三日、神様王権即位式を挙行し、先天時代と後天時代が分立された二〇〇四年五月五日から、新 しい世界が始まるのです。新しい天と新しい地は、終末であると同時に新たな出発です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.05.06
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「責任分担完成と真の愛」1991年7月14日アラスカのコディアック島で行われた聖日礼拝の説教の要旨。 祈 祷 愛する天のお父様。 きょうは一九九一年七月十四日、今月に入って二回目を迎える安息日であります。天と地が注視する中で、地上にあなたの血縁を残すために創造された私達の先祖が失敗したその日から、長く退屈な歴史路程の中、あなたお一人で蕩減路程と再創造路程を歩んでこられた受難の道を通じて、私達の先祖の過ちや、歴代のあらゆる祖先達の歩みの中で、神の御旨に仕えることができなかった歴史的な事実を許してくださったことを感謝致します。 この世界には五十億の人類が住んでいますが、天のことを知らない人が多いのです。のみならず、この地上に悲しみ中の悲しみ、悲惨な中での悲惨なことと言えば、天のことを知っているにもかかわらず、父母がいるにもかかわらず、その父母を見知らない、子女の道理を果たすことのできない者がいることです。それは、どんなにかわいそうなことでしょうか。そのような子女を眺めて、子女を愛することのできる父母としての立場に立つことができない、その恨み深い事実を考えた時、それ以上の惨めなことはどこにあるでしょうか。天と地、天の父母と地の父母を中心とした子女の因縁を失った、このかわいそうな万民を許してくださいますように、再三お願い申し上げます。 霊界に行っている数多くの義人聖人と善なる霊人達が全て合わさって、地上に恨みが晴らされて、勝利の一日が訪れることを、どんなに待ち焦がれたことでしょうか。万民解放と共に、統一の日が訪れることを渇望したとしても、これは、神様のなされることではなく、人間達の過ちによる人間の責任分担の課業として下されたものであります。これを成し遂げるためには、必ず人間を代表して歴史的な受難の十字架路程を促して、解放の歴史や版図を備えて、解放の日と国を立てなければならない、あなたの望みの一時を受け継ぐことのできる全ての人間の責任分担を完遂するために、第二の父母として、イエス様が地上に来られましたけれど、失敗してしまいました。 それ故、韓国の地から第三の父母である真の父母の名前をもって現れ、天が受難の道を歩まれたのと同じように、長い受難過程において倒れるしかない、行く道を失うしかないそのような環境の中でも、お父様が直接導き、開拓・解放なさり、今日の勝利的な版図を備えるようにしてくださったことを心から感謝致します。この地上に真の父母の名が現れて、真の父母の家庭と真の子女と真の民族、国家、世界、天宙、神様の解放圏を担うことのできる時代を迎え、全万民が歓迎の声と共に仕えなければならない、真なる神様の愛と生命と血統的因縁が再現されることのできる時代を迎えられましたことを感謝いたします。 今、統一教会はその名と共に、全ての宗教を統一し、万民を統一し、万国を統一して、あなたの四位基台圏内に結束させなければならない重大なる使命があることを知っています。それで、今日まで個人から世界的闘いの路程のために摂理しなければならず、家庭、氏族、民族、国家、世界がサタン圏を善導して、地上はもとより、霊界の地獄にいる全ての霊人達まで合わせて、この地上に天の御旨を成し遂げる一つの版図が設定されることに反対してきた渦中で、今日あらゆる世界的版図をかけて闘う各段階の全ての闘いに勝利を収めることによって、民主世界の解放と、共産世界の解放、宗教圏の解放、政治圏の解放、本性の解放、本然の愛の解放を中心としてサタン圏を完全に解放し、神様までも解放することのできる創造理想的な真なる愛の主人として、この地上に、全天宙に台頭するその日のために前進する統一教会のあらゆる運勢をつかんで育ててくださったことを感謝致します。 この日、全世界に広がっている統一の群れが、父母様のおられる所に向かって誠を尽くして祈祷する所々に、天の恵みが共にありますように。復活の役事がありますように。新たなる生命の火が全天宙に盛り上がり、天の族属(注・部族、氏族、宗族といった意味)として、天の国の民として受け継ぐことのできる忠孝の道理を果たすことを誓う統一の群れとなりますように、切にお願い申し上げます。 きょう安息日を迎え、全世界に広がっている統一の群れが集まる所々に、神ご自身が共におられ、天が共になされる群れであることを見せてくださり、全ての民族を越え、国家を越えて、彼等が残すことのできる責任の限界において全てを果たして、この地上で天の前に捧げることができる実績を残せますように、切にお願い申し上げます。 今回、日本にいる幹部達がここ、アラスカの伝統的な精神を受け継ぐために修練の過程にありますから、お父様、海洋を舞台として動いている、この全てが不便で、全てが不自由な環境の中で、一つの目的に向かって動いているこの期間が、私達においては絶対に貴重なる時間であることを知り、新たなる決意をして再び帰って行って、日本において再度火を付け、全国がお父様の御旨の前に勝利の歓声をあげることのできる一つの動機となり、復興が起こりますように、切にお願い申し上げます。 イースト・ガーデンにいる子女達もこの時間、父母様のおられる所に向かって心を合わせて誠を尽くしていることと思います。そこにおいても、お父様が共にあられますように、お願い申し上げます。韓国、日本、アメリカ、ドイツ、世界一六〇か国の全体の上に勝利の歓声と共に、天のために仕える決意の声が全天地を振動させますように、切にお願い申し上げます。 地上で成されるすべてのことが、霊界においても成されますように。統一的運勢と共に、神様の願いが成就される愛の国、愛の天国、愛の平和の世界を建てられますように、切にお願い申し上げます。 きょうのすべてを担って主管してくださるように切にお願いしつつ、このすべてを真の父母様の御名によって祝願致しました。アーメン、アーメン、アーメン。(「アーメン。」) きょうは小山田が、長子権と父母権と王権について話してみなさい。この前は神山がやったね。(小山田秀生前会長代理のコメント)「人間は堕落しなければ、もともと、神の愛を中心として、三大祝福を完成して、神の理想が地上に現れるようになっていました。そして地上生活を終えれば、天上において『天上天国』に住むようになっていたのです。 本来、神の長男・長女として来るべきであったアダムとエバがルーシェルによって堕落させられてしまったために、逆に人間が次子の立場に立ち、そして天使長=サタンが長子の立場に立ってしまったのです。それで、復帰の路程において、長男と次男とが、[サタンと神との対決]、[天使長とアダムとの対決]という形で闘争が繰り広げられてきたのです。 そこで、アベルを中心とした復帰摂理路程全体の中で、イエス様が次子の立場において、サタン的な長子を、善悪闘争の歴史を通していかにして屈伏していくかということが、重要な問題として残されてきたのです。そして、最終的に、真の父母様が地上に来られることによって、長子と次子、カイン・アベルの蕩減路程をなしつつ、更には霊界と地上の問題を治めながら歴史全体を蕩減復帰してこられたのです。 韓国を中心として、韓国から日本、そしてアメリカにおいて内外の蕩減条件を立てられながら、特にキリスト教と共産主義を中心とした世界的なカイン・アベル関係に勝利されて、一九八九年八月三十一日、「八定式」を行われることにより、歴史上のカイン圏を屈伏されて、この地上において長子圏を完全に確立されました。 このようにして、世界的カイン・アベルが一体化した基盤の上に初めて、人類は父母を迎えることができるのですから、翌、九月一日に、ご父母様は「天父主義」を宣布されることにより、本来人間が持っていたはずの、神の第二祝福である「父母権」を再び取り戻されたのです。 今までの歴史においては、父母を持たなかったために、サタンが長子の立場に立って攻撃しながら、神側の立場を代表する宗教家達は、次子の立場に在って、常に迫害を受けてきたのです。しかし、真の父母がこの地に立たれることによって、全ての人類を血統的に新生させ、転換させて、そして初めて地上における善と悪、カインとアベルの闘争が終結して、カインまでも直接愛することのできる、そのような立場に立ったのです。父母の立場は、投入し、愛して忘れるという、絶対無私の立場ですから、父母様は、神が宇宙を創造され、また、復帰のための再創造をなさった一切を代表されて、ご苦労してこられました。 この父母が立つことによって、敵がいなくなったといえるのです。父母がおられる、この地上が中心となって、霊界と地上界との逆転現象がおこり、霊界もすべて、この地上に降りて、私達に協助するのです。真の父母は、父母の立場にいる限り、苦労と投入ということが、いつまでも続くのです。 神の理想は、最終的には、目に見えない神様の身代わりとしてのアダムとエバが、第三の、完成したアダム・エバとして立たれることを通して、天法が地上に樹立されて、実現するのです。そこから、初めて父母の勝利圏を子女達に渡されることにより、子女はこの地上において父母の勝利圏を相続する道が生まれるのです。 お父様の路程をみる時に、イエス様が残された道程を歩まれたのです。それ故に、御言を知りながらも、ご自身の家族や民族に教えることができませんでした。お父様ご自身を犠牲にして「北」を、「北」を犠牲にして「南」を救おうとされました。また、日本、韓国を犠牲にしてアメリカを助け、アメリカを犠牲にして世界をと、どこまでも犠牲と投入の道を越えてこられたのです。 王権復帰を考える場合、一家庭においては息子が大きくなって結婚して妻を迎え、子供を生むことによって、夫妻の立場から父母となり、父・母は更には社会、国家、世界へと次元を高めて、将来、王又は王女となっていくのです。そこにおいて、天法を確立し、子女達が父母の姿に倣っていく。(ところで、王権というのは、家庭レベル、民族レベルでの族長をいう意味であって、国家的主権を直接指すものではありません。)そこに、所有権確立の道が開かれるのです。 このようにして、絶対心情圏を中心として、愛と生命と血統が、王において確立した時、そこに初めて、天法が地上に樹立したことになるので、神と父母の安息圏が生まれるのです。しかしながら、そこでは子女が、その責任分担を果たさない限り、断じてそのような世界は現れることができません。 ご父母様は一九八一年に「ホームチャーチ」の御言を語られましたけれど、私達はその責任を果たすことができず、興進様を始めとした子女様達に犠牲の道を歩ませ、また、お父様をダンベリーに行かせてしまったのです。そして、一九八五年八月にお父様がダンベリーから出られた年の、ベルベディアにおける子女の日の説教の中で、「氏族のメシヤたれ」と語られたのは、正しく、それをなすことによって、父母の勝利圏を相続する道を示されたのです。 更に、今年七月一日の「七・一節」による「神様祝福永遠宣布式」を通して、全世界的に氏族メシヤ活動のための総動員命令を出されましたが、それは、私達自体が、復活したイエス様の立場に立って、お父様が越えてこられた道を各氏族次元で辿りながら、世界的勝利圏を受け継ぐ道であるとみることができます。それをなすことができれば、イエス様の復活体となれるのです。というのは、一二〇名の弟子をこの地上に持ちえず、第二のアダムとして来られたのに相対者を持つことができず、そして、イスラエル国とユダヤ教を一つにすることができずして、十字架につけられてしまったのです。このイエス様の残された使命をすべて蕩減復帰されて、勝利された第三アダムとしてのお父様の立場に立つことができるからです。 しかしながら、ご父母様は、ご自身の親・兄弟を皆犠牲にされながら、世界を救うために生涯を捧げてこられたために、故郷に帰られたとしても、そこには愛するべき親・兄弟が殆どいらっしゃらないのです。私達が、自らの親・兄弟姉妹、親戚を復帰することのできる特権としてのホームチャーチ、氏族メシヤ活動を通じて、私達の責任分担を果たせば、お父様の世界的な勝利と、私達の氏族的な勝利圏が一体化することになり、初めて、父母としての勝利をなすことができるのです。 そして、今、お父様にとって、また、神の摂理において一番重要な課題は「南北統一」という問題です。神の三大祝福を、国家次元でみてみますと、第一祝福は、韓半島において、お父様の理念を中心として、宗教界と政治圏が一つになることであり、第二祝福は、アダム国家とエバ国家、韓、日の一体化です。そのためには、三大天使長国家としての米・ソ・中の国々を立てることを通して、第三世界の国々までも復帰しなければなりません。そして、第三祝福は、すべての国々が、真の父母の子供となって、神と真の父母に所有権を返還することです。それによって、天も地もすべてが真の愛の下に復帰されることになり、王権が確立されるところに初めて、神が安息し、父母が安息し、子女がお父様の勝利圏を相続することになるのです。そこにおいてようやく、この地上に、『神を中心とした一つの主権・一つの民・一つの国土、一つの言語と文化』が打ち建てられる、このように理解するものであります」。 神が地上に住まわれる根拠地は家庭(以下、日本語で語られる。) 責任分担完成は真の愛。結果主管圏と直接主管圏を統一して、地上、天上、心身統一。すべてが、神の愛を中心として、縦的な創造主なる親、横的にみれば、真の親なる父母、それが一体化する。そこにおいて、統一された愛、天と地上を結束した愛、統一的愛の結束基準が造られる。そこにおいて初めて、天の愛と天の生命と天の血統によって長子圏がなされる。血統を植え込むことによって、父母が立つ。家庭基盤を中心として拡大したその横的拡大が八方に敷かれることによって王圏が始まる。内容は簡単でしょう? 前提として、責任分担をよくなさなければなりません。責任分担完成のためには、天と地とすべてが男女一体、心身一体圏、天地が結束して、愛を中心に共鳴圏をなし、親子関係、夫婦関係、そして兄弟関係、すべて真の愛を中心として統一していかなければなりません。神を中心として愛を持ち出すところにおいては、妻が持ち出したところには旦那さんが従わなければなりません。お母さんが持ち出した場合には、お父さん、お祖父さん、お祖母さんも。孫・子供が持ち出した場合には、祖父母、父母、兄弟共に従わなければなりません。愛を体恤する家庭的基準をなすべき血統を受け継いだ長男・長女、血統的に継続された長子権の立場に立つ長子が、その親が、その王様の王権をもつことによって、万世一系、その周辺の家族達は皆横的に拡大して、それが、氏族となり、国家となっていくのです。 故に、すべてが、家庭を中心として果たされる基台になっているのです。責任分担をなすことによって、天の愛、地の愛、親戚の愛、父母愛、兄弟愛が成り立つのです。天の愛は縦的であり、地の愛は横的です。兄弟愛は前後です。そのようにして立体圏をなすのです。その中心は家庭であり、父母であります。父母を中心として父母の父母、父母の子供が一つの統一体をなすことによって、神が地上に住まわれる根拠地ができるのです。 ですから、神様自体が人間のお祖父さん、お祖母さんの立場に立つし、父母の立場にも立つのです。人間は、その神の前に、子女の関係を結ぶようになって初めて、家族編成がなされ、天地一体化した家族が設定されるのです。責任分担を果たした場合には、それが可能です。天と、地上の愛との結束ができなければなりません。内容は簡単です。その家族を代表して率いるべき者がアダムです。アダムは長子であり、最初の親であり、最初の王様です。アダムが霊界に行った場合には、神様は、アダムの心の親であるというのです。人間の心は縦的な自分であり、体は横的自分であります。神様が縦横に繋ぐために、人間はそういう二重性をもたざるをえません。心と体が分かれたら大変です。一つにならなければなりません。みな相対的です。全部焦点が合う。男・女も同じです。焦点を合わせるのです。すべてのものの焦点を合わせる中核が何かというと、それが真の愛です。簡単な内容のようですが、これを世界的に蕩減復帰させて、個人から家族、氏族、民族、国家、世界へと上がって来て、その基準において、堰を一気に越えて行くのです。 それから今度は逆に、世界から国に戻り、国から民族、民族から氏族、氏族から家庭に向かうのです。結局は、最後には家庭に帰着しなければなりません。アダム・エバは、家庭から出発して失敗したのですから、「復帰完成」も結局、家庭を中心としてなすのです。 霊界総動員体制 故に、氏族のメシヤは、結局、家庭定着の問題です。それで、韓国において、「統班撃破」運動をしているのは、家族定着圏をなすためなのです。上からずうっと定着するのです。そのために、韓国の各家庭毎に先生の写真を入れているでしょう? 写真を掲げ、旗を掲げる運動。それによって、サタン世界と天の世界が完全に分かれるのです。そうすることによって、初めて家庭で真の父母の映像に侍るようになるのです。そうなれば、霊界のすべての先祖達が下りてくるのです。 今まで霊界に行ったすべての先祖達は、別々に分かれているのです。横的に通じませんでした。縦的にも良心的基準において働こうとすれば、それなりにしか通じないのです。直通するその道がありません。それは何故かといえば、愛の問題が汚されたために、サタンの愛を消化して、ずうっと上がって行けなかったから、宗教は反対の道を辿ってきました。結局は、アダム・エバは、男、女、子供と、家庭を中心として転がり落ちて行ったのですから、家庭を中心としてすべてを蕩減して定着することによって、地上天国の出現がなされるのです。 真の父母が基盤を作ることによって、サタンが攻撃する道がなくなりましたね。努力するすべては、そのまま自分の所有物として結実するようになりました。今までは、いくら努力し、投入に次ぐ投入したとしても、その努力の結果の結実は、蕩減のために使われてきたもので、それは消えていきます。個人的完成から、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙完成にまで上がって行く、蕩減の頂上に向かって、蕩減の段階を進んで行くために、みんな投入してしまうのです。しかし、今や、蕩減がなされたのだから、家庭の基準においても横的な反対がなく、歓迎されるような圏になってきました。それで、壁がなくなってしまい、霊界も、自分の、地上の善なる後孫を援助するのです。 霊界、天使長世界は、そもそも堕落以前のアダムを擁護して、成長、成育させて、責任分担完成をなせるように援助すべき使命があります。それと同じように、今まで善なる先祖達が、天使長世界に代わって、地上の後孫たるアダム圏を保護して、神の御旨に適えるように押してきました。しかし、長子権が復帰されない場合には、霊界自体が堕落した天使長圏に立っているために、地上のアダム世界を利用してきたのです。アダム世界は、犠牲にされてきたのです。それが反対になってしまったのです。 ところが、去る七月一日の「宣布式」で、地上と霊界を切り替えました。潮水の流れが逆になりました。それ故に、世界は急速度に変わっていくのです。 それで、今から生まれてくる子供達は、非常に怜悧で、スマートな格好をして、天の運勢に通ずるような子供が生まれてきます。その子供の中からは、啓示を受けたり、預言する者がたくさん生まれてくるのです。先祖達がずうっと降りて来て援助するので、サタン世界は退くのです。霊的には、もうサタン世界は退いてしまいました。地上に善なる先祖達が来て、善なる天使長圏の諸々が悪の天使長を皆追い出すのです。アダム圏の完成圏が世界的になるから、アダム圏にある統一教会を中心としては、闘いなくして、人間の心だけがどんどんと引かれるのです。 君達もそうでしょう? 原理の話を聴いた場合には、教会に行きたくて行きたくて仕方がなくなるでしょう? 学校に通いながらも寄って行きたい。帰る時も教会に寄って帰りたい。教会に来れば心はいつも安んずるけれど、自分の家に居た場合には、地獄のような思いがするのです。そのような雰囲気ができてくるのです。もはや教会だけでなく、地上がそのようになっているのです。教会天国が国家天国、世界天国に通じるようになってくるのですから、磁石が南北を指すのと同じように、良心の方向は本郷の地が何であるかを自動的に知って、そこに行くことを切望するようになるのです。新しい生命の胚芽、穂先が生えてくるために、太陽の光に照らされる植物の穂先は皆太陽に向かっていくのと同じように、人間の心も、真の父母の本郷の地に向かって、愛の太陽圏を受けて、自分の穂先を向けていく。そういう流れになっていく。それがどんどん長くなり、多く集まることによって、地上に下がるのではなく、上に上がっていくのです。それで、多く集まった場合には、旋風のように上がっていく現象が起こるのです。地上と天が一つになって、立体的に結ばれて回っていくのです。そのような結果となって、統一されていくのです。話は簡単でしょう? その帰着点が家庭です。家庭がなくては神様の定着地ができません。 木に例えれば、幹を中心としてすべての枝が繋がっているのと同じように、すべての家庭は、真の父母を中心として(一本の幹に)繋がっているのです。その枝を切って、挿し木した場合には、その木は繁殖していくのです。それが枝の使命です。それと同様の働きをなすのが氏族メシヤの使命です。木は、東西南北に伸びた枝を中心の幹に繋ぎつつ、大きくなることによって、真っ直ぐな中心の根、中心の幹、中心の穂先ができます。そして、この枝が大きくなるのに比例して、それらが大きくなるのです。故に、「横的」(枝)が大きくなれば、「縦」も大きくなります。横的基準を犠牲にしてずうっとこうなれば、これはぐうっと上がるのです。夫婦共に犠牲にして、愛を中心として万民・神・御旨のために熱心にやれば、自分達にこういうふうに迫ってくると共に、横的に拡大された力が圧縮されるのです。 奉仕する、為に生きることによって天宙を結束させる だから、奉仕する、為に生きることによって天宙を結束させる、という結論に至るのです。故に、夫婦を中心として行くのですが、神を中心として縦的基準において、犠牲的、奉仕的生活をすれば、天宙統一圏が自動的に結束されるのです。これは、このように圧縮して一つになったはずですから、上からさっと回るのですが、横的基準があるから、回っても倒れません。それから、軸が回ります。軸は正しく回らなければなりません。遠心力と求心力が一体となることによって運動が生じるのと同じように、夫婦が奉仕して犠牲的に、自らが無の境地になれば、自動的に回る。回り出した場合には、永遠に回るのです。回り始めて、軸が上がったり、下がったりした場合には、ちょうど呼吸するように運動します。地球も、大きくなったり、小さくなったりするというのです。 そのような完成タイプをなしえた者は、天上世界の国民と、天国の家庭基盤になるのです。そのような基盤を造った場合には分かれません。父母の行かれる所に、共に行き、永遠の世界に行くのです。故に、真の父母を中心として、心情的に喜びの基準をなし、心情的共鳴圏をなしえた生活の体恤圏が、霊界における永遠の心情世界の本になっているのです。 だから、統一教会のメンバーは皆、目を開けた場合には、真の父母と共に、神と共に起き、そして働き、寝るのです。その真の父母と共に生まれる。真の父母の愛によって生まれる。愛は永遠の因縁を結んでいるために、愛の因縁は死んでいません。君達が死ぬとしても、死ぬ瞬間までは、愛を忘れて死ぬのではありませんよ。そうでしょう? 親が死んでいく時には、子供に対する愛する心情でもって、子供を愛しつつ死んでいくのです。旦那さんが死ぬ時、奥さんが死ぬ時も同様です。故に、愛を忘れて死んでいく者はいません。愛は、死を越えて永遠に繋ぐのです。だから、愛による生命圏を受け継いだ自分、男・女というものは、愛の本なる父母を忘れることができません。その夫婦は、愛の穂先である子供を忘れることができないというのです。親は根であり、自分達が幹とすれば、子供は穂先である。それらが共に大きくなると、氏族圏、国家圏に拡大します。愛というものはすべての生命の根底に在るから、神様と真の父母によって、愛が縦的・横的に定着なしえたその基準から、すべて愛と共に生きるには、起きる時も、働く時も、寝る時も神様を思い、真の父母を思わなくてはなりません。そうすることによって、心身が円満で、満足な、安定した圏に立つのです。すべてが愛によってなされるのです。 そういう生活をした者は、霊界に行けばその通りになります。それは表面化された生活です。地上には内面化拡大の生活があるのですが、内面化拡大したその基準は霊界に行けば、それが表面化される。愛が内面になる。愛が中心です。愛が内面になって、神と人類とが兄弟となります。一つの体の細胞と同じように、自分一身のような世界が霊界です。そういう境地に入れば、神様はちゃんと自分の心に入って来ます。「神様!」と言えば、自分の心の中で、「何故、私を呼ぶのか? はあい!」と答えるのです。 だから、神様と共に生きる世界です。自分一身において、目に見えない心の中におられるのと同じように、肉体の象徴であり、代表として、アダム・エバ、真の父母が霊界に行った場合には、王様の立場であり、神様の実体の立場を代表して、実体氏族圏の、天国の国民を抱えるのです。故に、天皇の心の中も、百姓の心の中も、愛を慕うのは同じです。皆、愛を中心として、このような立体圏、球体圏ができるのです。 天宙的勝利、創造完成は、「自分」から始まる だから、責任分担はそれほど重要なものです。統一教会で先生が「責任分担」という言葉を明確化したことによって、すべてを解明する原則を打ち立てたのです。皆さんが毎朝鏡に向かう時、[男として生まれ、女として生まれてきた、私の責任分担はどこにあるか]と考えなければなりません。これは、真剣なことです。この目、この歯、口、耳、手、五官すべてが、責任分担を完成した愛によって抱かれたいという思いをもつのです。感ずるすべては、愛の実体圏に立つためです。真の愛に。 そのように考えてみた時、それを失った悲惨さはいかばかりか。それを復帰するために、神が背後に在って、いかに努力されたことか。それは、観念ではなく、事実がそうなのです。そう考える時、涙を汲む、痛哭する境地を越えなければなりません。 故に、統一教会に入り、原理に感動した場合には、果てしない涙が出るのです。自分自身を忘れる程に涙が流れてくる。そうなるべきです。アダムが堕落した時は、涙で追い出され、涙を流しながらずうっと神様から離別して行ったのです。悲しみの涙でもって出発した人間が、喜びの涙でもって父母の懐に抱かれる自分たる者を発見しなければならないのが、人生最高の目的です。そうでしょう? 親の愛を体恤することによって、子供として成長して、そして完成した夫婦として結ばれて、完成した子供として、愛の相続による血統をなして、子供を抱えることができるのです。親を頂点とした縦的定着基準として、子供を中心として横的に四方八方に拡大していくのです。それが一つの家庭に結ばれ、氏族、民族、国家愛、人類愛として包容されるのです。 それを、自分を中心として再び結束しなければ、神の国と、神様と関係を結ぶことができません。天宙的勝利は、「自分」から始まる。創造完成は、「自分」から始まる。「国家」からではありません。だから、先生も蕩減の道を拡大して、世界的迫害を受けながら、一段階毎に越えては、縦的基準からずうっと神様と霊界に達して、それから、故郷に帰って定着しなければなりません。そうすれば、サタンが反対し、破壊情況をつくったすべての、この周辺の人類圏が包まれるのです。家庭定着することによって、この軸が始まります。反対に回っていたものが、愛を中心として回ることができるのです。そういう家庭の基盤を伝授するためになしたものが、統一教会の祝福です。 本来、天使長の後孫は、真の父母の後孫ではありません。天使長の後孫は相対圏をもつことができません。「自分が相対圏だ」と主張すれば、すぐにサタンとなる。真の父母によって相対圏を決めることによって、愛が元の位置に帰るのです。 国が反対し、家庭が反対し、全部反対したのです。左に回っていたものが右に回る。反対する環境でなしえた祝福の貴さ。そこには、堕落観念とか、男女の貞操の崩壊ということがありえません。祝福以降、いかにして神を中心として純潔な血統を携えていくか。神の愛による祝福基盤を受け継いだ愛の境地というものは、生命を越え、国を越え、サタン世界を越えた宝物です。故に、統一教会の祝福家庭は、日本にいようが、世界の果てのどこの国にいようが、命令通りに行動しなければなりません。 復帰の目的は、神の子女を繁殖して天国の国民を拡大すること 天国の国民は霊界で生まれるのではありません。何故、神様は実体を創造されたかといえば、天国の国民を殖やすためです。実体がなければ殖やすことができません。 縦的愛には一点しかありません。横的基準を中心として回ることによって、三六〇度の球体圏が生まれるのです。その球体圏内においては、定着するスペースがいくらでもあります。その子女は地上において生まれるようになっているのです。そのように、子女が沢山生まれることは不幸なことではありません。地上でたくさんの子供を生むということは、天上世界において神の国の国民をたくさん殖やすことになります。神が願うのは無限の世界です。そのような膨大な世界に空き地があっては駄目です。それをみんな分断して分けてやる国民が必要です。 だから、復帰の目的は、サタン世界の子供達を神の子供に切り替え、接ぎ木して、天国の国民を拡大することです。そのようにして、地上で失ったその基準を再び結束させて連れて行くというのが伝道です。それ故、いかに沢山の人を連れて行ったかということによって、新しい地を受け継ぎ、新しい氏族圏の親の立場に立つ。先祖の立場に立つ。だから、伝道は、それほど貴いことです。君達は、霊界に行きたければ、沢山の人を、超国家的な民族を率いて行かなければなりません。先生から見ると、超国家的な者達を祝福してあげたのです。今までは統一教会に反対してきたのですが、今は反対がありません。先生は段々有名になっていきます。先生の功績が明らかになることによって、アメリカに来て、サタン圏の政府が、迫害する者達が結束して、善なる代表を崩壊させてしまおうとするサタンの計略によってこのように迫害されてきたということが分かった場合には、完全に先生の方に回っていくのです。「蕩減復帰」という言葉は、先生が教えた言葉です。蕩減復帰の内容を本当に知っている人は、誰もいません。それは、真の父母の使命です。何千年間の歴史を横的に蕩減して、迫害圏が無になった立場で、初めて、第二次大戦後のキリスト教文化圏を中心とした世界統一の一つの基盤を、先生が受け継がなければならなかったのです。それを一つにするには、カイン・アベルの問題を解決しなければなりませんでした。キリスト教の旧教、新教を一つにして、そのキリスト教と国家を一つにすれば、世界は一つになるようになっていたのです。 「責任分担」は、堕落しなかった人間と祝福の子女に存在する その境地を失ってしまったために、四十三年間の路程を元返したのです。再び帰って来てみると、今アメリカにおいても韓国においても主人がいないのです。また、共産圏においても主人がいません。そして、あらゆる宗教が無力化し、世俗化しています。その宗教は、男女のフリー・セックス圏に落ちてしまったのです。教会に集まって何をしますか。神を敬い、世界愛を体恤、体験していくのではなく、体ごと、実体で放蕩圏に落ちていったのです。 アダム・エバが裸で堕落行為をして植えられたその種が、世界の終末、秋になって、創造どおりに収穫されるのですから、青年男女が木の下であらゆる堕落をしているのです。アダム・エバが堕落したのは、四方に、東西南北になしたのです。一組の男女が何人もと繋がったのです。それを復帰しようとすること自体が、全く不可能な結果に転落したというのです。 今日、そうでしょう? 愛情問題を中心としてみると、父母がいないし、夫婦もいません。お祖父さんと孫娘が一つになったり、お父さんと娘が一つになったりして、秩序が崩壊した状態に陥っています。個人主義のアメリカではそれが顕著です。サタンは、個人主義でしょう? これをいかに反対の方向に向けますか。絶対愛圏。絶対無私圏。それを果たしえるには、真の愛の力によらなければなりません。悪の愛の力で、このような結果になったのですから、それを蕩減復帰させる唯一の道は、真の愛以外にありません。こういうものを逆に、反対に回す力は真の愛です。それが何故可能ですか。真の愛は、絶対無限、全能なる神と繋がっているが故に、それは逆転させて余りあるのです。人間だけではできません。分かりましたか? これを一回転させて逆回りしていくには、アダム・エバが無から出発して、何の所有権限も与えてはいけないというのです。責任分担を完成する時に、初めて、所有権全体、神までもアダムのものになります。創造された被造物はもとより、神自体までもアダムのものになります。本来は神の実子であり、王族であり、皇族であるべき者が、こういう偉大な価値を放棄して、今まで知らずして、放蕩息子のようにしてこのような怨讐圏にうごめいている人類の姿を神がご覧になった場合には、何と思われることでしょう。 君達も、[ああ、私は女王になりたい。王様になりたい。神様までも占領したい]と、皆思うでしょう? 神様が隠された貴い宝物があるとすれば、[それまでも私の物にしたい]と。人間の欲望というものは、それほどまでに無限です。その無限なる欲望を満たすことのできる基地が、真の愛であるというのです。神が隠したたった一つしかない愛が、自分のものであるというのです。その、本源の所有権を主管したいという内心があるから、内心はいつも[自分は最高のものになりたい。世界一になりたい]と、男も女も皆そう思うでしょう? これが、本来の人間が持つべき権限であり、本来の人間の価値、資格です。故に、神様は天宙を創造した王様ですから、王様の子供達にならなければなりません。自分の親父である神様の王族の子供は皆兄弟です。その国は自分の国です。父母が住んでいる家というものは、その子供にとっては、自分のものです。愛によって一体化した父子一体、夫婦一体。故に、責任分担はとても重要です。責任分担はそのような堕落しなかった人間に存在するものです。復帰されて、祝福を受けることによって生まれた子供に、責任分担があるのです。だから、よく管理しなければなりません。それで、一番の問題は、男女問題です。 愛と生命は、神と真の父母から始まる 生命が出発する本郷の地はどこか。愛の本郷地はどこか。血統の本郷地はどこか。それは、男女の生殖器です。男・女は何によって一つになるかといえば、愛によって、愛を中心としてなるのです。生命は、そこから始まるし、血統もそこから受け継ぐのです。そのような貴重な三大基地を忘れてはいけません。天下をもらっても替えることができません。それは、神が、唯、男・女に下さった特権です。有名人を生んだのもその器官であり、王様を生んだのもその器官です。 生命の王宮であり、愛の王宮であり、血統の王宮である貴重なものを、放蕩息子のように手軽に扱ったその罪業を、どうして許すことができますか。真剣な問題です。モーセが造った「契約の箱」は、「至聖所」として敬われました。神が最も貴重な本郷地として造ったその器官は至聖所です。モーセ路程において、その「神の箱」を汚した者は、即座に撃たれてしまいました。それと同様に、至聖所たる愛の根拠地を犯した者は、それは許されません。恐ろしい話です。 それを、実体で、体恤圏に立って考えてみた場合、男女が抱き合って愛する、ということは天宙的です。それは、神人一体圏をなしえる試みです。有限が、無限に接続する因縁を授ける時間です。真の愛によって永生が繋がれます。それは何故ですか。創造の出発と動機が、愛によって始まったし、創造の過程、目的、そして結果、結実に至るまで、すべてが愛の完成を目的としているからです。自分の心身の完成は、真の愛に属することによってなされるのです。無限の根本、原因のところから、過程、そして理想の結実体まで繋ぐものは、真の愛しかありません。その真の愛を中心にして、神も永生しているのです。金や権力、知識は既に、神は持っているものです。神が永生しているのは、それらによるのではなく、唯、愛を中心として永生しているのです。 神の喜びは独自的には生じません。相対基盤が必要です。いかに偉大な神であるとしても、一人では孤独です。真に相対圏をなしえたら、その理想の境地に、縦的相対、横的相対、前後の相対圏を作っています。故に、真の愛、神に通ずる愛を伴わなければ、永生の道は繋がりません。愛が根本であり、愛が目的です。原因と結果を統一するのが、創造理想の真の愛の基準です。永生は、真の愛によって生まれる。その愛によって生命が生まれてきたでしょう? 生命によって血統が繋がるのです。男の生命と女の生命自体が百パーセント沸き出して、みんな水蒸気となると、「ワーッ」と声が出ます。ぶつかることによって、プラス電気とマイナス電気が衝突して雷が鳴り、雨が降り注ぐのと同じように、男女が一つになって無になっていく境地に、自分の代わりの者を残していくのです。それが子供です。このようにして球体を作りながら、大きくなった後には、縮まっていくのです。愛した後には、みんな元に帰るのです。ゼロに帰る。 そのようにしながら何を残すかといえば、核心を残す。そして、核心を縦的に相続します。それが子供です。子供は自分の代わりの実です。だから、愛さざるを得ません。自分を愛するからです。神様の子女である人間も、神様の代わりの者です。永生は愛によって繋がります。故に、永生の環境を持つには、愛の環境を中心とする生活をしなければなりません。愛の実体圏をもつには、愛を中心として実体的体恤をなした存在として行かなければなりません。 秋になった場合には、一年中にどのくらい成功的な過程を通過して、立派に結実したかが、秋の実を見ればみんな分かるのと同じく、人も、また、統一教会の祝福家庭の結ぶ実も、皆同じではないというのです。夫婦共に、内的な愛をいかに表面化させて、世界に拡大するか。親戚に影響を及ぼし、世界にいかに影響を及ぼすか。先生一人が生まれてきて、自由主義世界、共産主義世界にどれくらいの影響を与えてきたか、考えてみなさい。アメリカでもそうです。レバレンド・ムーンの思想というものは、宗教界だけでなく、政治界においても問題にせざるをえません。 それが一時の運命です。先生の一生というものは、百年にも満たない短い期間です。それを、いかにして永遠の歴史に通じさせるか。生命の基盤と神に通ずる愛の基盤が、永遠に、無限に拡大しえる背後関係を結んでいるから、短い生涯において、永遠の、無限な環境圏を結ぶ可能性があるのです。それ以外の理論は何もありません。真の愛の関係、真の愛を動機としてすべてを犠牲にしていくところに、唯一の結果・結実が生まれる。動機から過程、結実まで、完全なる勝利の基盤をなしえたのですから、それは、すべてが関心を持たざるをえません。 メシヤ思想、親思想、父母思想の道はすべてを包容する 生活の中心が、神と真の父母です。愛は、神と真の父母から始まるのです。故に、内的生活は神と、勝利的真の父母と共に生き、共に働き、共に愛するのです。だから、夫婦愛は勝手にしてはなりません! 神様を中心として生活する。それは、体恤的な生活であり、同じ立場に立った同域、統一圏を立てなければなりません。 故に、男・女二人が、天宙を圧縮したタックス(注・留め金)です。夫婦が真の愛をもって愛することによって、宇宙すべてが引っ掛かるのです。生命は細胞からできているでしょう? 相対圏の細胞自体が作用し、生きていこうとすれば、生命の因縁の下に、愛のために生きるのです。男・女は愛のためにできたのです。 結果主管圏と直接主管圏は縦的ですか、横的ですか? (「縦的です。」)何故ですか。人間は、元々横的になっています。だから、縦的基準に繋がるのです。責任分担ということをなすことによって、縦的な主人が設定され、その後に、真の愛によって横的な主人が設定されるのです。アダム・エバが責任分担を完遂することによって、神様が自分の縦的な存在になるのです。自分達は横的な存在になり、真の愛によって一体化します。そこで初めて縦的なところにおいて結着します。その立場は、宇宙の愛の理想的本郷の地となり、根が降りる基盤となるのです。それが定着しなければ、軸が正しく立つことができません。軸を正しく立たせるためには、メシヤ思想、親思想、父母思想によらなければなりません。創造の神が親思想の道であるというのです。そうでしょう? それが軸になって立ったとすれば、それは永遠に動きません。そこで子供を生んだ場合には、その軸と自動的に一つになることによって繁殖します。それは、神と永遠に固着されるからです。神の愛と、神の生命と、神の血統と永遠に固着されます。それが崩壊状態になると大変です。復帰歴史が長引いてきたのも、すべてここに起因しているのです。 責任分担をなすことを通して、神様と真の父母が一体となることによって、真の兄妹として、アダムはエバを守り、エバはアダムを守らなければなりません。そのようにして、縦的、横的関係を自分がいつも考えなければなりません。だから、神様の為、真の父母の為、兄弟の為に生きるのです。創造の神は、それはメシヤ思想は、真の父母と万民の愛。ところが、サタンは、そうはいきません。サタンは自分を愛します。「国も私に侍れ!」と言うのです。しかし、サタンには、侍る者がない。侍る伝統が立った場合には、すぐ神様に服従するのです。そもそも、「(私に)侍れ!」と言う伝統はないのです。 自己全体の理論と全体内容を生活の焦点として、いかに招聘して引き入れるか。それには、神・真の父母・兄弟の為に生きるのです。そこにおいては真の愛を中心として、どこにでも同化しえるのですから、縦的な国に対しては、神様の身代わりとして扱った場合には、地獄の世界になりません。そのようにして生きる人は、「天皇が定めを知らなくても、私はそのように生きます」と言って、日本の天皇を神の代身者の如く敬い、侍っても罪になりません。「この国の中心的基準は、将来、私達の真の父母が立てるべき基準を臨時に立てたものです」という思いをもって国を愛する人が、神を愛した基準にそのまま通ずるのですから、サタン世界を包容することができるのです。それを放棄してしまった場合には、サタン世界を救うことができません。 アダム・エバが長子権復帰した場合には、サタンと逆の方向に立って、長子は自らの命を懸けて保護しなければなりません。[私達は、そのように怨讐圏までも愛さなければならない]という思いを持っているのですから、世界主義と天宙主義を持つ統一教会の主義は、その国のすべてを包容し、消化してもなお余りある主義です。従来の共産主義や民主主義世界の人々は、「自分の一家族主義や一国家主義を放棄して、その主義に従いましょう」と言っているのです。心情的因縁で結ばれているサタン世界の伝統も、神側の肥料とか消化物として吸収することのできる立場に立つのですから、サタン世界の中であっても、良い物は良い物として受け入れても、それは可能だというのです。それで、「地獄も、神に帰る道がある」と言えるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.02.02
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今日は『ファミリー』1989.1月号、「神のみ旨を中心とする宗教圏の統一」【1988年10月14日(興南出監記念日)、ソウル本部教会】からの一部のみ言を掲載します。 宇宙の根本は父子の関係 では、神様に必要なものはいったい何でしょうか。それが問題なのです。神様に必要なものは食べ物ではありません。もし皆さん霊界に行けば、そこで愛に酔って憧憬するものは、すべて直角になる世界です。何の話か分かりますか。愛に酔って皆さんが要求するものは、すべて直角に現れるというのです。他のお金の力でも動きません。知識でも動きません。権力をもってしても動きません。ですから愛に同和することにおいて、四方八方に対応できる主体になれば、すべての世界は対象圏として現れてくるのです。自身が愛の対象圏になれば、すべてが主体として作用するのです。ここで「パーン!」という音がすれば、あちらではさらに大きく「パーン!!」と鳴るのです。そして大きく「パーン/・」と鳴ったら、次には小さく「パン」と鳴るのです。いったん上がったものは、それ以上に上がれば飛んでしまうので、再び下がらなければなりません。すべて和音にならなければなりません。そこでは神様も笑うでしょうか。誰が神様を見たことがありますか。神様にも目、鼻、ロ、耳、体があるでしょうか。その点では既成教会の信者たちはでたらめです。神様に目があることも知らないのです。「神様の目を見ましたか?」と尋ねても、誰も分からないというのです。「神様に鼻や、口や、耳がありますか?」「神様は誰に似ていますか?」。「神様は神様に似ているのです」。いったいそんな答がどこにありますか。 神様は誰に似ているかというと、息子や娘に似ているというのです。ですから神は人格的なのです。人格的な神は、私たちに対して人格的最高の基準を要求しているのです。世の中には法度があり、また礼法があり、高低の均衡を取るようになっているのです。それに従っていけない人は脱落するのです。ですから先生は霊界のことをたくさん知っていても、そのことについての話はしないのです。もし先生が霊界の話をすれば、気が狂っておかしくなる人も多く出ます。婦人たちも自分の夫に対し、「なぜあのように生き長らえているのか、早く天国にでもいけばいいのに。先生がお話される天国はいい所だから早く行けばいいのに……」と思うのです。それでは天国には行けません。妻はまず夫を教育して愛さなければなりません。このような話をすれば時間が早くたちますね。もう何時になりましたか。 神様が好きな色とは何でしょうか。神様は白が好きでしょうか、赤が好きでしょうか、黄色が好きでしょうか? (白です)。なぜ白ですか。白は聖い色ではありません。七つの色を混ぜ合わせたものです。プリズムを通して見れば、白は七つの色でできています。それらがすべて調和されるので、きれいに見えるのです。本当はきれいではありません。神様が好きなものとは何かというと、先生が神様に会って質問したことがあります。「神様、宇宙の根本は何ですか? 世界の全人類は、宇宙の根本が何であるかを知りたいのです。そのために祈祷や、いろんなことを行っているのです」と。それに対する神様の答えは簡単です。宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、「父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ」と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。文先生がそのような結論を出したのです。神様にお尋ねして、「神様こういうものではありませんか?」。「お前(文先生)はそれをどうして知ったのか。お前は私よりも優れている」と、神様は言われたのです。アーメン。 先生はキリスト教徒の群れに会って、その牧師にこのことを話した時、「アーメン、アーメン」と彼らは言うのです。先生が一番嫌いなのは、その「アーメン」です。それは詐欺師の使う桶のようなものです。魔術師も魔法を使う時、そのような桶を置くのです。そして間違えば「アーメン」と言うのです。「アーメン」というのは、すべてを成し得た後に使う言葉なのです。ですから神様が一度だけ「アーメン」と言えば完成であり、千年、万年も「アーメン」と言うことはないのです。父子の関係というのは、父母と息子関係でもなく、最高なる関係なのです。そして、そのような父子の関係を永遠に一つにする力が真の愛なのです。ですから神の真の愛は、一人で成就できません。今日のキリスト教信者は、「神は真の愛の主体であられ、多くの人々を迎え入れるのです」と言うのですが、それはとんでもない話です。神御自身も対象がいなければ、どんなに大切な愛も完成させることができないのです。 では、神は一人でしょうか、二人でしょうか? (二人です)。天のお父様と天のお母様という二人ではなく、神には二つの性稟が入っているのです。今答えた人は良心がありますか。ありませんか? 体がありますか、ありませんか? それら二つが合わさってあなたという一人の女性なのです。神の性稟は二つありますが、体は男性格主体となっているのです。では、男性格主体というのはいったい何でしょうか。女性格主体であればどんなにいいでしょうか。しかし女性格主体といった時には、別に男性格が存在しなければならないので二元論になってしまうのです。分かりましたか。二元論になってしまうというのです。神は永遠に一元論であられるために、男性、女性の中和体として、主体的な性稟をもった初めての男性形なのです。なぜ男性形かというと、男性は女性 を治めなければならない責任があるのです。後ろからでも、横からでも、上からでも、下からでも女性 を治めなければなりません。それで女性が、真の主体に出会った時、秒速三億メートルのスピードを持つ光の速力でもって、西側からぶつかっていっても、男性はグルッと数回回るだけで、それを収拾していくのです。何の話か分かりますか。回りながら収拾するのです。 ですから男性は女性を治めなければなりません。父母は子女を治めなければなりません。人々はみんなそれを願うのです。ですから神様は男性的主体なのです。その主体が好むのは何かというと、お金ではありません。皆さんがもし霊界に行けば、先生のこの話が正しいかどうか分かります。先生の話が間違っていれば、先生に抗議しなさい。もし霊界で先生に会えなくても、「文先生は本当に悪魔の魁首だから自分たちがいる天上の霊界にはいないのだ」と考えてはなりません。先生は最上の霊界にいるのです。昼は神様のおなかの中に人って眠るのです。世の中にそのような話をする人があるでしょうか。そのような話は、愛の世界においてのみ可能なのです。あなた方の中で、夫の心の中に人って眠りたくないという女性は手を挙げてみなさい。そのような女性は良くない女です。「あなたの真に愛する夫の心が宮殿のようであり、そこで手足を延ばしてグルグル回ったり、鼻歌を歌いながら、眠りに付きたいと思う女性は手を挙げなさい」と言えば、みんなが手を挙げるのですね。 夫の心の中に人り込んで、ゴロゴロと回っている女性は幸せ者です。その愛は、そこから出たくなくて、誰が何を言ってもも千年、万年共に生きたいというのです。おなかが空いてきましたね。説教の途中なのになぜ「おなかが空いた」と言うのかというと、先生は皆さんのおなかが空いたことが分かるからです。朝食は食べましたか? (食べていません)。 先生もおなかが空きました。きょうはこれぐらいにしましょう。このような話を始めれば、十時間、百時間でも終わりません。先生がアメリカヘ行って立てた最高記録は十六時間半、立ったままで説教したことです。それほどよく話をする先生なのです。 真の愛による同位権、同参権、相続権、所有権 さて、先ほどの話ですが、世界の統一は、絶対的な神のみ旨を中心として行うのです。問題はそのみ旨が何に根拠をおいているかということです。み旨の根拠は何かというと、それは手段でもなく、お金でもなく、知識でもなく、真の愛の根でなければなりません。 真の愛の色は赤でしょうか、黄色でしょうか。どうですか? (分かりません)。「知らない」と言ってはいけません。「調和という内容をもっているので分かりません・」と答えなければなりません。 ……全体では60ページほどですが、引用は5ページほどです。今回のお父様のみ言からもハッキリしました。シムソン氏曰く、神様本体が「夜の神様(男性格のみ)」は二元論であると、お父様のみ言でした。このように、シムソン氏(亨進氏)の「夜昼の神様論」が間違いであったことが判明しました。彼の続編は、もはや、あり得ません。同じ過ちを繰り返すとなれば、「悪魔の書」です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.03.29
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維新の名君さんへ、peaceからの伝言が入っています。>維新の名君さんへ私の立場(再確認) (2012-09-29 23:32:03) 『君子危うきに近寄らず』、ですか? 「現役教会員です」は、聞いて呆れます。それとも、これからの逃げ道を探しておられるのですか?ブログを見れば、統一教会の誹謗・中傷、顕進様万歳の記事ばかりではないですか『私の立場(再確認)』以降も、文面は変わっておりません。>私の信仰観、考え方は、「黒いハトは黒」です。>「教会の間違いは間違い」です。peaceに(裁判所での)尋問までして「刑務所へと行け」と言っておきながら、peaceが白となると、「知らぬ存ぜぬ」で通されるのですか。>私の信仰観、考え方は、「黒いハトは黒」です。>「パイオニアカフェの間違いは間違い」です。「現役教会員」といわれるからには、これもまた、維新の名君さんの信仰観でもあるはずです。原理では、アブラハムはハトを裂かなかったのでそこにサタンが侵入したということです。名君さんにpeaceも、そこまで言うつもりはありません。原理には、また、『自由と堕落』についても書かれていますから。せめて、サムネールの件に関しては白黒をはっきりして下さるよう、お願いします。真のお父様の「2010.06.05宣布文」が、名君さんの悔い改めのチャンスとなることを、ただただ祈るばかりです。アジュー 訪問ありがとうございますにほんブログ村・統一教会
2012.10.01
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全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会HPからの新着情報です。 宗教ジャーナリストが斬る「後藤 徹 拉致監禁・強制棄教裁判」控訴審判決 月刊誌『財界にっぽん』2月号が、同紙の「日本の人権〈シリーズ56〉」コーナーにて「『後藤徹拉致監禁・強制棄教裁判』控訴審で被害者側勝訴/12年5カ月『監禁』と評価/日本宗教史上画期的判決」と題するレポートを掲載しました。記事は、宗教ジャーナリストの室生忠氏によるもので、次号にも連載となる見込みです。 さらに続く(こちらから) 訪問ありがとうございますにほんブログ村OUT人気ランキング/統一教会へ
2015.01.22
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tomutomudさん達に謝りなさい!!!!!あるブログで上記一文があった。なぜ、あなたにあやまらなければならないのか???前能登教会長・郭炳憲氏のお仲間たちに物申す。ふざけた真似はするな!!仮にも三男さんの看板を背負っているんだろ。特に郭炳憲氏、「郭グループ」の「郭」の一文字でもって2000年前の洗礼ヨハネの「二の舞」を踏もうとするのか。文先生は郭錠煥氏にも言われた。平和神経「平和メッセージ16」がそれだ。お父様は郭錠煥氏(洗礼ヨハネ)の失敗を警告しておられた?! 「平和訓経」から「平和神経」へ、しかも平和メッセージが16番目まで足されて名称の変更を支持された。 中でも、第16番目のメッセージは「平和メッセージ13」に、2008年8月7日、第十二回七・八節記念式の際、『文捧王中心摂理時代』のみ言が追加されたものであり、洗礼ヨハネの話をされた。現代の洗礼ヨハネといえば「文捧王」であり、郭錠煥氏ほかの文捧王の名を挙げては、洗礼ヨハネ一人の失敗が、このように途方もない結果をもたらしたのです。 ……彼ら(文捧王)は決して、洗礼ヨハネのような失敗を、二度と繰り返せない時代圏に入ってきています。とも語っておられた。2008年8月27日のヘリコプター事故後に語られたものをさらに整理したみ言も追加された。 今にして思えば、まさに、真のお父様から郭錠煥氏への警告文(最後通牒)ではなかったかというのである。さらには、2000年9月の祝福権委譲の祝祷の時も、興進様の名前だけがあったのと同様のことだ。この時も祝福権の三男さんへの移譲も委譲もなかったことは私の過去記事に既に書き記した通りだ。真の父母様天宙祝福式(2009.10.14)にも参加されていない三男さんは、祝福権も持ち合わせていない「天使長圏」にある。 郭錠煥氏にしても、〔サタン〕=〔郭錠煥氏(義父)〕=〔女性(娘・相対者)=男性(三男さん)〕か? あるいは、〔郭錠煥氏(偽父)〕=〔女性(堕落エバ・相対者)=男性(三男さん)〕 という構図でなければよいのだが???tomutomud氏のブログ記事から奇知外記さん https://ameblo.jp/tomutomud8/entry-12308089341.html→私が思うには、顕進様が摂理的長子の立場だとお父様が述べられているみ言の根拠は無くなってしまったんだと思うんです、HOPEさんのそれは無くなる前のみ言だと思いますので、また出てくるまでもう少しお待ちください人を疑いはじめれば、何もかもが疑わしきものに見えてきます、ここは私を信じてくださればありがたいです奥歯に物が挟まったようなわけの分からないことを書くなだ。HOPE氏のまるばつクイズの答え、第1問--「×」、第2問--「×」だ。2000年9月25日、私tomy4509もその会場(清平修練苑)にいた。主礼は郭錠煥夫妻。嘘つきHOPE氏、tomutomud氏、三男派諸氏。2000年9月は6000双までが参加対象で、郭炳憲氏(6500双)はその時は呼ばれていなかっただろう!!今後もふざけた真似はするな!! だ。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓にほんブログ村ランキング参加中。 応援クリックお願いします。 ↓↓
2017.09.07
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リトルエンジェルスの韓国戦争参戦60周年記念公演(第2次巡回)[画報]ルクセンブルグに鳴り響いた Little anglesの感謝こだま <世界日報>◇リトゥルエンジェルスが18日(韓国時間19日)ルクセンブルグパークホテルの会場で、 『人形のダンス』を披露している。 リトゥルエンジェルス芸術団が18日夜(韓国時間19日)ルクセンブルグパークホテル 韓国戦 退役軍人とその家族そしてルクセンブルグの市民に韓国のジョントンチュムとコーラスに恩返しの公演を繰り広げた。この日の公演は、 韓国戦争 参戦60周年を迎え、国連参戦国や退役軍人たちの犠牲に報いるためにヨーロッパとアフリカを訪問するリトゥルエンジェルスの2番目の巡回公演4番目の作品で、 UN軍の朝鮮戦争参戦60周年記念事業会が主催する晩餐会と 進行中された。◇ 18日(韓国時間19日)の夜ルクセンブルグパークホテルの会場を埋め尽くした観客が公演を広げたリトゥルエンジェルスに拍手喝采を送っている。公演を観覧した退役軍人クライドープ エリー氏は"私達が参戦したことが認められて遠い国ルクセンブルクまで訪ねてきて、韓国の 伝統文化をソンボヨジュォとてもありがたくて、特にルクセンブルグ 国を呼ぶときは言うことができない 感動が押し寄せた。 "と語った。コンジョセフニコラスルクセンブルグ参戦用の社会会長はこの日の公演に先立ってUN軍の韓国戦に参戦60周年記念事業会バクボフイ推進委員長に、退役軍人のメダルを 授与で、韓国戦争参戦16カ国を巡回公演に乗り出したリトゥルエンジェルスに感謝の気持ちを伝えた。◇韓国戦争参戦60周年記念事業会バクボ喜推進委員長の円錐形のジョセフニコラスルクセンブルグ参戦用の社会の会長からの参戦勇士のメダルを授与された後、握手している。朝鮮戦争の退役軍人と家族、主要国の外交使節などの公演を観覧した観客たちは公演が終わった後も席を出ないままリトゥルエンジェルスが示した感動の余韻を和らげた。イジョンドク記者 にほんブログ村
2010.09.19
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今回の全国各地での還元祈願礼式も残り4か所。東日本大震災のため延期されていたが、今日は震災後の最初の大会となる。韓国での文総裁の大会と重なっての大きな運勢を日本にも連結していければ、と思う。チャンプモニム オンマンセイ(韓国HPから、11時からのネット生中継は韓国語のみに変更されていた。PeaceTV(有料)の案内では日本語・英語の案内もあったが、、、)
2011.04.24
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不正アクセスがあってからは、peaceもログイン履歴を見ることが毎日の楽しみになり、今日はどなたか訪問されていないか と眺めているのですが寂しい限りです。PC音痴からの質問です。さて、以前に、公開プロキシのIPアドレスは日によって、あるいは、時間によって変わるので特定は難しいということでした。私のIPアドレスも公開プロキシのようですが、それのログイン履歴(Yahoo、楽天を含めて)から見る限りですが、1月25日から2月12日までの18日間 220.***.**.23422・23日の2日間 220.***.**.23025日から03/02朝時点での6日間 219.***.**.117例えば、端末情報(PC、携帯電話)が変化したとしても同じIPアドレスでした。これは、田舎は、都会と違い公開プロキシであったとしてもIPアドレスの変化は緩慢だということですかもしそうであれば、1月8日・9日のサムライソウル氏へのコメントしたキジ氏のIPアドレスと、1月23日にpeaceに不正アクセスしたIPアドレスがキジ氏であるという可能性が広まったということですね。また、人為的な操作も可能だということがサムライソウル氏のブログコメントで実証されていましたが、どうなのでしょうか ましてPCの専門家であるキジ氏ですから、そのIPアドレスをタイに設定することなど容易なはずです。その過信がIPアドレスの一致を生みだした、と考えることも出来ます。 ソフトバンク「島根のおじさん?」も、同じくらいに緩慢だと見ます。それが島根から(設定の変更で)東京へ飛んだとしても、何の不思議もありません。お花畑脳のPC音痴は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 訪問ありがとうございますにほんブログ村・統一教会 2015.0725 カテゴリー「人権・拉致」へ移動。
2013.03.02
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昨年11月に韓国カフェDaumに掲載されたものを転載します。文章が少し長いので、No.1,2,3,4,5に分けてUPします。約1年前の文章、文鮮明総裁が聖和前のこともあり、現状に合わない文面もあります。また、Google翻訳であることをご了承ください。訪問ありがとうございますにほんブログ村・統一教会3。内的にお金ラインを掌握して外的な派手なパフォーマンスを見せてお父様も変わるだろう。今中心の決定は終了しました。しかし、まだ郭氏一家が行っているひどい仕業どんな信念に起因しているのだろうか?筆者は、端的に "ムンヒョンジン様の摂理に対する無知による誤った判断ととんでもない想像"と郭氏をはじめ、その一族、の "変わらない権力の座欲と、これを煽っている一部のごく少数の人士"と表現したいです。もちろん、この言葉がすべてを説明する必要はないでしょう。しかし、最近の彼の手紙とグァクペたちの一様な主張は、これを後押ししています。まるで天使長がアダムしてきて作成後に感じた感情を郭氏は感じアンアトウルガ、彼が享受したすべての栄誉を彼の義理の息子と娘を介して代理満足をしようというのだろうか?気にしないことができません。ところが特異なのはそう明確に複数のパスを介して数回後継確定について明らかにしたにも彼らはなぜ最後まであきらめず、まるで実績を見て知っている式の愚昧なことをするか?どうして彼らはGPFにそのように首を結ぶのでしょうか?一言で目的観と原理観の部材から来る徒労にすぎないと定義したい。彼らはコースに執着していません。何を空に取ることができるか摂理的な真実には関心がないようです。ただコースはどうでしたでも結果だけを持って勝負するといいます。しかし、それも限界です。どのように結果を出すことができますか?真の結果は簡単です。サタンの血統を根絶の結実を取得する必要があります。彼らは熱心にこれらの項目を無視しています。そしてただGPFという外的な行事に没頭しています。このような祭りが一部の国では、脱線の温床になってもまいただ、サタンの文化の狂乱の祭りでもまい彼らは意に介さない。ただ人員動員して世を誇示しようとしています。しかし、2010年の彼らの実績であるみすぼらしいなく思いました。彼らは政策を変えて、ホテル行事を中心にクァク·ジョンファン氏前に出して呼んでいきます。しかし、限界は明らかです。真のビジョンの欠如から来る原理観の貧困が克明です。彼らはビジョン、神の夢を叫べば叫ぶほど中身はない空虚なエコーに過ぎないからです。大衆性を確保するために、One Family under Godを叫ぶのは同じですが、コースはありません。いや、その明確なアイデンティティがありません。つまり、何が神の家族ですか?根本の質問にも、彼らは原理的解答がありません。世俗的な四海の同胞主義と何が違うの区分もありません。だからこそ表面上は壁がなく、大衆性を確保することができそうだが、その次の戦略は、不在するしかありません。目的が不明です。当為的課題である基元節、天一国創建の名分は持つが、その中身である "神の真の家族"に関しては沈黙したり、努めて冷遇しています。明らかな祝福観がないからです。つまり、メシアの自己同一性である "真の愛のお嬢さん"命題に対する深い省察が足りないからです。既に出発から体制的限界を持つGPF運動は事実上2009年1月31日王の王神様解放圏戴冠式、つまり後継者確定後終了しました。真の父母様もGPF用語自体も使用しないことを命令しました。つまり、その宣言の後に行われるGPFは、もはや摂理とは関係がなくなってしまいました。人間が摂理を作成できるという愚かさは人本主義の極端に相違ありません。それはまた別の意味の原理の "ニューエイジ"のような百害あって役に立たない後天時代の入り口に作る別の意味の "バベルの塔"のような反摂理的行為であるだけです。平和理想世界王国、すなわち天一国では、 "クロス - 交替祝福結婚 'を通じて、サタン主管圏の血統日空主管圏の血統に変化する場合にのみ可能であるためです。それで真の父母様は1960年に最初の再生の歴史を開始した以来、祝福の範囲と意味を発展させて出てきたことです。つまり、伝統的な城主を使用していた教会の祝福を私たちは受けました。これを私たちは伝統的な意味の祝福としています。これは座祝福、シバジ祝福と呼ばれ、長成期完成級で行われた祝福です。その後、真の父母の勝利圏が拡大された後、我々は国家的レベルの祝福を受けました。これは、参加の程度、例外はありません。 2000年になりました。天一国を宣言するための80の生涯の勝利の後、新しい天と新開地の概念で、ノアの洪水審判以降の世界の基準で海洋、陸、泉州(天宙)、第4次アダム心情圏を還元した基準の上で国はありませんが、万国平和賞など勝利を条件に国がない状態だが、条件的にしてくださった祝福がまさに国家の祝福、すなわち今継続される "三時代大転換四位基台入籍統一祝福式"であり、同様に伝統的な城主を持って祝福を受けたようです。それから続いて、天一国入籍のための祝福、すなわち "世界祝福"の歴史的な門を開きました。最初に "天一国の城主"を使用し、これは天一国を入籍するための全世界の祝福家庭たちのための祝福でした。このような世界の祝福の後に、我々はドゥディに "天宙祝福"の賜物を受けました。これが真の父母様1014泉州祝福式です。これは、王の王解放圏戴冠式の後のすべての勝利の占いを継承したことを意味し、まるで罪人の罪をむいて "逃避性"への避難を助けてくれるような、以前のすべての罪を整理して新しい出発をさせてくれる祝福に、真の父母様の家、5大聖人家庭はもちろん、すべての祝福家庭がこの祝福式を使って再度出発することになったのです。この祝福式は今も続い行われています。今は、もう一つの真の "継承のための祝福"つまり、基元節にする祝福式を残しています。天国の口で、出生届と同じ意味であり、非として神様の真の子としての資格を得る祝福を残していることは、今日、我々の祝福家庭たちが直面している現実であり、これらの資格を得る種族的メシアの勝利のための長さのままある基元節までの私たちの祝福家庭と家族の重要な方向性です。これは、すでに天宙平和連合を創設する際に宣布された内容の基準であり、方法です。平和のメッセージはこれをよく説明してくれています。顕進様とGPFはこのような摂理の中核を認識しません。知りもしないように、外的な摂理だけを持って平和の世界を云々しています。結局原理観と摂理観の部材は、彼らの行動様式までの規定浮かべて、人間が摂理を左右することができるという傲慢な気持ちを植え、結局は破滅に至ることは自明に見えます。結局、実績と組織基盤を持てば摂理を掌握することができるという下心の中で、実績を作れば、真の父母様も認めていただけるという錯覚はもう脱いボリギルください。なぜ真のお父様が顕進様に "カインとアベル原理をより学べ!"、と言っているのか、家族に真の父母としてとてもできない言葉で "ヒョンジンがが40日ボンチェロン修練を受けて悔い改めて帰ってきたら許してできるのか"とアモイた言葉を深く刻まなければならない。内的に金脈を掌握して、外的に派手なパフォーマンスを作成するとお父様も変わること勘違いで早く脱し、真の父母の前に告白し、悔い改めたその日を待ってみます。結論、なぜ文顕進様は後継構図から脱落したのか?私たちの家族がその詳しい内幕を知ることは容易ではありません。おそらくクァク·ジョンファンさんもわからないことがあります。また、真の父母様の言及がどんなあまりのか理解できないかもしれません。真の父母様がたった一言は簡単でした。"純血を守った者 - 文亨進しかない"全く衝撃的な言葉です。外的な力や準備がなく、血筋の純粋さを後継選定の第1原則的に私の立てる真の父母様の絶対基準が確定され、その結果亨進様が選択しました。これ以上は知ることもできません。推定のみに従います。これに対して、多くの噂が飛び交っているが、私たち家族が言及する事項はなく、考えています。これらの決定に反対する顕進様に真のお父様はこれは空も知って、私も知っている、お前も知っている問題だから、これ以上未練を持たないように言われたそうです。空の決定を私たちが翻意することも仕方がありません。それでも他の真の子供の皆さんの価値が損なわれることはありません。 1014祝福式の後、我々はすべての本来の基準に回復されたので、過去を持ち出し、このことは望ましくないと考えられるからです。郭氏とその一派は、なぜ彼らは教会を非難しながら、教会周辺だけくるくる回わっているか?端的に彼らには家族が必要となります。さらに重要なことは、日本家族の金脈が必要です。執拗に掘り下げかかるが、明らかに知っておくべきことがあります。私たちをおこがましく見ないことです。いくら言い訳をして、人への抗命であり、大逆罪を犯して、まるで兄弟間の混乱であるように巧みに煙幕作戦と世論を追い込む彼らの愚かな行為はすぐに終わりを告げるものです。顕進様!そしてクァク·ジョンファンさん、その一族!これに続くグァクペよ!もう悔い改めるしてください。機会は多くありません。クァク·ジョンファン氏のトンイルガ永久執権画策とそのためのムンヒョンジンさん皇子 - 後継者立てようとする試みは失敗を明らかに見せているからです。権力と地位に目の見えない、グムリョクと人間の強さとギェギョ万信じる非信仰的策略は終結を告げるものです。もし継続蠢動して、とんでもない宣伝をしながら家族を誘惑すれば、ここに簡単に記述したすべての内容はその証拠資料と一緒に、より明白な出てくるものです。 *ソース:統一教信徒対策委員会原文を表示▶投稿者:匿名メンバーです
2012.10.27
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ルポライター米本和広氏の著書『我らの不快な隣人』のプロローグ末尾から: この種の題材を取り上げると、常に立場上(政治性、イデオロギー性)が糾弾的に問われる。平たく言えば「おまえはどっちの味方なのか」。したがって、本書での私の立場について最初に説明しておいたほうがいいと考える。大文字の「人権の尊重」ではなく、私は「是々非々」の立場を貫きたい。是々非々は性悪説を説いた荀子の「修身」から採られた言葉である。 「是を是とし非を非とする、これを知といい、是を非とし非を是とする、これを愚という」上記に限らず米本ブログにもしばしば『是々非々』が出てくる。これを彼の座右の銘としているのかどうかは分からないが、 …… 荀子は、人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)礼儀を正すことができるとして、(性善説同様に)教育の重要性を説いた。ものとある。性善説、性悪説ともにその始点は違っても悪から善へ向かおうとする方向性は同じである。性悪説だからといって「悪」を善しとしているのではないことは明らかだ。まさに、「是々非々」はそのことを説いている。ところが、彼の解釈はまったく違っていた。自分勝手な「是々非々」論を展開している。前回「左の火の粉」(反統一教会派)と「右の火の粉」(家庭連合(旧・統一教会)派)といった考え方と同じで、自己中心的発想である。最初のプロローグに戻ろう。この一文を読めば、彼自身は単に「保護説得」と称して教会員を拉致監禁することを咎めること(が非である)にとどめている過ぎない。決して教会員のプライバシーや信教の自由などといった人権保護の立場からではないことを告げている。むしろ、反統一教会・反カルトの立場からは、拉致監禁によったとしても教会員が『強制改宗』(信仰を放棄)されればOKの立場を貫いている。さて、今回の「ヘドロシリーズ」もまた、教会員の人権を全く無視したそれであることを訴えてきた。ところが、ここでの彼は『是非・非是』 であることも書いてきた。まずは不正アクセス者X氏(=キジも鳴かずば氏)についてである。「ヘドロシリーズ」開始以前の2012年12月に既にX氏にはグルッポ内で不正アクセスの疑惑が持たれていた。 そして、米本ブログのシリーズ開始直後の2013/01/23、「ブログに不法侵入者在り!! 」「ブログに不法侵入者在り!! -- 第2弾 -- 」事件である。しかも、前者のIPアドレス(タイ)が『キジも鳴かずば氏』と一致したことでその疑惑がさらに深まり、ブログ村で大きな話題ともなった。 キジ氏のブログ「新しい分派の傾向のある『新芽会』について」 (魚拓)http://megalodon.jp/2013-0127-1451-46/hjnsupporter.blog.fc2.com/blog-entry-104.htmlのコメント欄を見れば(以下)米本氏のコメントを見ることができる。 まるでヘドロですねえ。 興味深い記事、ありがとうございました。 実は情弱、またブログ村特有の専門用語オンチなもので、半分程度しか理解できませんでしたが、ブログ村の一部住民が臭くて有害なヘドロの中で生きていることだけは実感できました。 だから、とても感謝です。 それにしても「いつも隣に」も、ヘドロに生きている人だったとは!これは、正直驚いた。 彼は拉致監禁体験者だけに、記事がどんなにひどいものであっても、割り引いて見ていました。 やはり、初心に戻って、是は是、非は非で、物事を考えることにします。 2012-12-19(13:40) : 米本 URL :それに残された「米本URL」はまさに『火の粉を払え』であり、実際にはシリーズ開始(2012-01-13)されたコメント欄でも双方のコメントのやり取りが確認されていた。上記二つのブログコメント欄のやり取りから、不正アクセス疑惑のあったキジも鳴かずば氏からの情報提供があったことが実証されていた。すぐに、「 【奇知外記】 拉致事件発生!! 米本氏は何処へ? 」(Jan 28, 2013)で不正アクセス疑惑の指摘をし、IPアドレス(タイ)の一致情報まで公開された。ルポライター職として違法な不正アクセス疑惑が持たれた時点で、その記事継続はストップのはずだ。ところが、「内通者」からの情報と偽ってシリーズを継続した。そこには、反統一教会・反カルトの素顔しかなかった。教会員の個人情報のネット拉致加害者となり、自分の実名をいいことに自分に組しない匿名者は次から次へと(魔女狩り的に)氏名公表していった。この「ヘドロシリーズ」こそがブログ村の情報提供の判断を狂わせ、反統一教会・反カルトの立場でありながらカテゴリー「統一教会」に居すわり続け、その名声でもって上位ランキングに留まるようになった。彼の「是非、非是」を訴えそのシリーズにケチをつけ続ける自称ルポライターtomy4509は、まさに、目の上のたん瘤(たんこぶ)なのだろう。私を「名誉毀損」とかの名目で黙らせよう(言論封鎖・弾圧)としてきた。 ちなみに、私の中学・高校時代の座右の銘はガリレオの『それでも地球は動く』である。2014年4月にヘドロシリーズの情報源とされたX氏が特定できたことは、まさに、「信 仰 の 勝 利」であった。 <続く> 訪問ありがとうございますにほんブログ村/家庭連合(旧・統一教会)へのリンク 清平の訓母様についても米本ブログは多くの批判記事を書いていたが、最近「奇知外記」のコメント欄で「訓母様無罪判決」の情報があった。 米本ブログへも情報開示の追及が来るのではなかろうか?
2015.12.30
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「独生女考(11)-- 異邦人の女性と言えども神への「信仰心」が高く評価された!」の続き。これまでも血統を重んじ、また、女性の死をも覚悟した神様への信仰を強調してきた。人間始祖が神の戒め「取って食べてはならない」を守らずに堕落したからだ。ところが、蕩減法によってその逆の経路、神様の戒め(み言)を守ることで復帰摂理が展開されてきた。聖書や統一原理では男性中心の摂理が書かれているのだが、当然、エバの復帰も同時進行されてきたことは間違いのないことだ。聖書の僅かな記述から女性の「絶対信仰」によってそれがなされてきたことを垣間見ることが出来る。今回は、前回のルツ記からの系図を見てみればボアズは、タマルとユダの間に生まれた双子の兄弟の弟ペレツーヘツロンーラムーアミナダブーナションーサルモンーボアズ、と胎中で長子権復帰に成功したペレツの血統であった。そして、ボアズとルツとの間に オペテーエッサイーダビデーソロモンの誕生となる。下図からもお分かりのように、ダビデの妻「バテシバ」、ここでも女性の名が記されている。バテシバはダビデの家来ウリヤの妻であった。ウリヤは、ダビデの命によってその後激しい戦場に送られて亡くなる。ダビデが城の屋上から女性が沐浴をしているのを見染めて彼女(バテシバ)と寝て彼女は身ごもったが、それが主の怒りに触れた。身ごもった子は7日後に死んだ。しばらくして、ダビデはバテシバを慰めてソロモンを生むこととなる。主はバテシバによる次子ソロモンを愛され、後にソロモン王となる。タマルによって胎中で長子権復帰を勝利したとしても、やはり神様は、長子がお嫌いのようだ。さて、これら詳細はサムエル記下11章~から長々と書かれていてチンプンカンプンだ。ところが、ただ一点気になる記述(奇術)を見逃してはならないのではないかと、個人的には考えている。サムエル記下/ 11章 01節~5節 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。 この「(女は身の汚れを清めていたのである。)」とカッコをくくっての注釈付きで聖書に収められていることが不自然と感じられないか、というのである。つまりは、彼女は「沐浴」しながらダビデの目に触れるようしていたのではなかったか? とも考えられる。ここにも何かしかの天の意図、バテシバに神様の「命」があったとしてもおかしくはない。その後も列王記上1章~でもソロモンの母バテシバが登場し、ダビデ王の所へ行きソロモンを王にするような図り事をして王になるように協助した。以下は、本記事とは直接の関係はないが、お母様のみ言である。ノア家庭について語っておられたので参考にしていただければ幸い。ACLC 真の家庭の価値バンケット 真のお母様み言天一国4年 天暦11月5日(陽.2016年 12月 3日)New York, Marriott Brooklyn Bridge愛する ACLC 会員の皆さん、嬉しいです。神様は私たちの父母です。しかしご自身が直接創造された目的があるために、その目的にあう責任を果たす人間先祖となる真の父母を待ちました。それが堕落した人類歴史の中におけるメシヤ思想です。皆さんが聖書を通じてよくご存じだと思いますが、神様には人類に対する夢がありました。しかし人間もまた、神様の前に進み出ることができる希望を持ちましたけれども、人間先祖であるアダムエバの間違いによって、蕩減というものを越えない限り、一歩も進むことのできない人類歴史です。それで神様は救援摂理歴史をなさざるを得ないのです。私は最近たくさんの話を話しましたけれども、ふとノアの洪水について考えてみました。ある地域で起きた事でしたが、ノアという中心人物を通じて、天はサタン世界にご自身が捜さなければならない息子娘たちを捜すために、中心人物として立てました。ところでノアの洪水が終わり、ノアが本当に気持ち良く昼寝をしたと聖書に記録されています。その時ノアに三人の息子がいましたが、皆さんが知っているように、長男のセム、二番目の息子のハム、三番目の息子のヤペテ。その中のハムが、お父さんのその行動に対して恥ずかしがりました。これが中心人物に対して、一つになることのできなかった結果になったのです。今、私が何の話をしているのか分かりますか。堕落した人類は天の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、よそ見をしてはいけないということです。しかしノアの息子は、その条件に引っ掛かりました。それでこの三人の息子がバラバラに分かれるようになったのです。セムは何千年の間にアジアの方面に伸びて行き、ハムはアフリカの方に行ったのです。そしてヤペテは中東とヨーロッパを中心として、ノルウェー、スカンジナビア半島。その地域で暮してみると、冬に白い雪が何ヶ月以上もずっと降る所なので、自然と肌は白くならざるを得ないのです。そうでしょう?ところでハムは暑い熱帯地方に住むようになったので、特別な色素が年を重ねながらそれが蓄積して真黒くなりました。面白いですか?それで私が話そうとすることは、天が立てた中心人物に対しては一致しなければならないということです。自分の考えや欲心があってはいけません。それが、私たちが天の前に進むことのできる条件になるのです。ところで今日、このアメリカに多くの問題点があります。全世界的に多くの戦争や、到底言葉では言えない紛争がたくさん起きています。これをどのようにして一つに作ることができるか。多くの志のある人たちが努力して来ました。そして宗教としても多くの努力をしました。しかしこのキリスト教文化圏で、神様が死んだという共産主義が出て来ました。本来、神様は堕落した人類を救援摂理なさるために、イスラエルという選民を選ばれで人間を一つに作ることのできる、そのような条件を立てることができるメシヤ思想を育てて出ました。ところで4000年というとても長い歳月を通じて蕩減条件を立てられ、一歩一歩進む路程がどれだけ大変なら、4000年という歳月が掛かるのでしょう。そして最終的に、天が約束された通りにメシヤを送って下さいました。しかし待ちに待ったメシヤに会ったイスラエル民族はどうでしたか。イエス様と一つになることが出来ませんでした。この、イエス様と一つになることができなかったイスラエル民族は、歴史を通じてどのような蕩減を払ったのかということです。皆さんはよく知っています。今日、特に聖職者の皆さんは神様を正しく教えて上げなければなりません。神様を正しく教えて上げようとすれば、この蕩減復帰摂理歴史で中心人物は救世主、メシヤ、真の父母なのです。皆さんが皆さんの信者たちを教育するにあたり、皆さん自らが真の父母と一直線上で、絶対的に一つになった立場で教育しなければなりません。そして皆さんのような祝福を受けることができる立場に進むことの出来るようにして上げなければなりません。人類が願うことは、平和世界で神様をお父様として侍って暮らすことができる、自由、平和、統一の幸福な世界。そのような世界に暮らすためには、変わらなければなりません。変わるということは、蕩減を脱しなければならないということです。真の父母によって祝福を受けて生まれ変わらなければ、変わることができないですね。そのために皆さんは各々、担当している仕事に最善を尽くしていると思います。しかし時は、重要な時というのは、いつもあるものではありません。救世主、メシヤ、真の父母が地上にいる時にこそ、皆さんの実績が天の前に、人類の前に責任を果たした立場で尊敬されることができるのです。新しい時代を開いて下さった真の父母の前に、天一国時代において、天一国は二人が一つになった、夫婦が一つになったことを言います。そのような天一国時代に生きる民になろうとすれば、蕩減条件を脱しなければなりません。それは真の父母によって祝福される立場であることを知らなければならないでしょう。祝福された者であるという責任がついて来るようになります。幸福は分ければ分けるほど大きくなります。私一人の幸福ではない、私たち皆が幸福である、73億人類が幸福であるその日のために、皆さんが熱心に責任を果たして下さらなければなりません。神様の目には五色人種がすべて美しく見えます。偏見を持たないと言うことです。もとはと言えば一兄弟なのに、私は高くてお前は低い、それは思い違いです。神様を私たちの父母として侍る立場では、人類皆が平等です。しかし堕落のために、堕落した結果、真の父母様が絶対的に必要だということを分からなければなりません。それで今日、全世界で起きているすべての問題は、個人としては解決できません。真の父母を中心に侍った立場で、一つ一つ解いて行かなければなりません。特別にこのアメリカ、この国が選択を受けた国であることは間違いありません。再臨メシヤの基盤を築くために天が祝福されました。私たちは歴史を通じて、天が選択して責任を果たせなかった国がどのような結果になったのかを知っています。この国も例外ではありません。そのために真の父母の使命を果たされるレバレント・ムーンはこの国で40年余り、到底言葉で言えない苦労をしました。ところで恩恵を恩恵として返し、感謝する心で天の摂理に責任を果たすこの民族、このアメリカ、この国になるまでは、皆さんを通じた教育が必要だと考えています。その道だけが、この国が責任を果たす道であることを肝に銘じて、もっと真実を明らかにする立場で、強く雄々しく行って下さればありがたいです。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.10
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ロナウド移籍で、韓国は凡人が予期した通りのニュース記事(2009/06/13 10:44 )。 <ロナウド移籍にピースカップ-マンユーアジアツアー'悲喜'>世界的なサッカースタークリスティアーヌ・ロナウド(24.ポルトガル)がイングランド プロサッカープレミアリーグ マンチェスターユナイテッド(以下マンユー)を離れて,スペイン プリメアリガ レアル マドリードに移して,国内サッカー界にも波紋が広がっている。....ロナウドの移籍で明暗が克明に交差するのは'夏のチャンピオンズリーグ'で呼ばれるピースカップ大会を準備してきたピースドリーム財団とマンユーのアジアツアーを推進したプロモーターらだ。....マンユーは7月24日FCソウルと訪韓競技をおこなう予定の中で先月入場券が発売10時間ぶりに売り切れるなど熱い関心を呼んで集めた。 しかし韓国代表チームの主張の'酸素タンク'パク・チソン(マンユー)を見られること慰安だが,ロナウドが陥ったことは韓国ファンたちにも惜しい大きな課題に違いない。(more...) 特に、凡人の2009/06/11の日記・後半はその生々しさを物語っている。ロナウドの大きな姿が忽然と消えたのだからまた、 「韓流サッカーとマンユ(英)との綱引き、それも面白い!!」、ピースカップが先行したようである。
2009.06.13
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自称ルポライターtomy4509が書き記すところは、公職者でもないサンデー食口の個人的なものであり、家庭連合の見解とは必ずしも一致しないことを再度確認しておきたい。さて、サンク・ブログ「火の柱3」から。以下記事を見てもお父様の「独生女」み言を一つも語らずの机上の空論「独生女批判理論」を模倣したものに過ぎない。ここで、お父様が 生まれながらの 無原罪でないといったのは 誰かhttps://blog.goo.ne.jp/hakusinsya2/e/24ae4cd35240ce129b07bebfbbdbdbccと書いていたが、その「誰か?」についてだが、「お父様が 生まれながらの 無原罪でない」と初めに語られていたのは、はお父様であった。書籍『真の御父母様の生涯路程 No.1』P.113を見れば、 それゆえ、先生が神様の召命を受けるまで、先生の家庭に相当な混乱が起きました。一家の財産を使い果たしてしまい、人命の被害もありました。それだけでなく、私の側にいる人々に、混乱が起きたりもしました。当事者である私から始まって、全部打たれたというのです。 そのように祝福を受ければ、神様がその家庭を絶望的な状態に至るまでサタン世界に差し出すのです。そうすると、サタン世界が激しく打つのです。例えば、先生がこのみ旨を探し出してくる時まで、その背後には三代に該当する蕩減の因縁が関係されていました。祖父の代で蕩減を受け、父の代でも蕩減を受け、私の代では兄まで蕩減を受けました。おじいさんの代においても悲しいことが起きなければならず、父の代においても悲しいことが起きなければならなかったのです。これを経ていかなければ、蕩減にならないのです。 これは、私自身を滅ぼそうとする摂理でしょうか。いいえ。これは完全な勝利の基点を願う、神様の愛であることを私は知りました。堕落した血統を受けて生まれた、歴史的な摂理をおいて見る時にも、これは不可避な事実でないはずがないというのです。いついかなる時、サタンがその先祖を通して、家庭を通して、兄弟を通して、自分を通して入るか分からないのです。それゆえ、それを清算できる内容をもって、天の側を代表して出ていくことのできる背後をもつことなしには、蕩減の場に出ることができません。その当事者が知っていようがいまいが、蕩減の因縁は来るのです。三代続きの蕩減の末、神様の召命(祝福)を受けた。前回記事でも儒教からキリスト教に改宗したのがお父様の家族であった。篤実なクリスチャンの家系でもなかったお父様が無原罪のメシヤ・再臨主?このようなことを書くtomy4509は「異端者」ということになる果たして???私の記事を続けてご覧になられている方々はご存知と思うが、自称ルポライターtomy4509はこれまで印刷物、つまりはお父様のみ言から「お父様、有原罪(堕落圏から)」「16歳のときにイエス様から召命された」を論じてきた。一方、H3、H4の支流人らは「お父様有原罪」は非原理的であるとし、空論の「独生女批判理論」でもってお母様・家庭連合を非難してきた。では改めて聞くが、原理講論のどこに「文鮮明総裁は無原罪で生まれられた」との一文があるというのかだ。どなたか応えていただきたい。原理講論に書かれていた再臨主とは、「天から降臨した、善の父母」、また、「真の父、真の母」(『キリスト論 重生論』から)であった。イエス様「独生子」お一人では何もできない、ということだ。何度もの繰り返しになるが、「独生子」「独生女」が出会ってのそれだ。原理講論の行間に書かれているものは再臨主「真の父母」である。クリスチャンにとっては2000年待ちわびたこれこそがまさに福音中の福音といえるものだ。さらに付け加えては、原理講論の主人は「お母様だ」と語られたみ言もある。H3、H4支流人らの空論「独生女批判理論」で原理の名を借りてのお母様批判そのものが、その原理講論の主人、つまりは原理講論と違った原理(非原理的)を語っていることに早く気づかれることだ。洗礼ヨハネの事例を挙げては、「因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度」を、原理講論はそれを戒めていた。H3、H4支流人らが訓読する八大教材教本の「黒・天聖経」からも「お父様、有原罪(堕落圏から)」を指し示すみ言の一文がある。H3、H4や元・原理本体論の劉某氏のを信じるか、お父様のみ言を信じるかは読者皆様の判断次第である。黒・天聖経 祝福家庭 4.血統転換の三段階過程③三日行事 ― 実体復帰式 祝福を受けて四十日が過ぎたのちには、三日間にわたり実体的な復帰式があります。この四十日期間は、歴史的で総合的な蕩減期間なのです。人間が愛を中心として復帰の権限をもつようになるのは、蘇生期でもなく、長成期でもありません。完成期に入らなければならないのです。 アダムの時代と次の時代は、失敗の時代です。その結果、旧約時代の神様の蘇生的な愛圏を継承できずに、キリスト教を中心として神様の長成的な愛を受け継ぐことができませんでした。その蘇生、長成の愛圏を受け継いだのちにこそ、完成的な成約時代圏に立つことができるようになるのです。そのような条件を立てることが、三日行事の実体復帰式である蕩減式です。三日行事の実体復帰式の最初の日は、旧約時代の復帰です。堕落したアダム、旧約圏を復帰するのです。二日目は、新約時代のイエス様の立場を蕩減復帰するのです。三日目は、イエス様の代わりの新郎として新婦を再創造するのです。そこで初めて正式軌道に乗って、出発することができます。このように具体的に蕩減条件を立てるのは複雑なのです。 三日行事をするとき、夫婦はどんな立場に立たなければならないかといえば、夫婦とは夫と妻ですが、妻がお母さんの立場に立たなければなりません。お母さんになって、夫を愛によって生んであげなければなりません。結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。主が来る時まで、再臨主までは三時代を経ますが、アダム、イエス、再臨主の三代を経て出てくるには、誰が生んであげるかといえば、女性が生んであげなければなりません。 この地上には今、主が、主人がいないというのです。ですからそれを生んであげる責任を果たさなければならない立場に立ったのが、女性たちだというのです。エバがアダムを完成させなければならないのに、堕落させ、イエス様がその使命を完成できるように、イエス様をよく生んで責任を果たさなければならないマリヤが、責任を果たせなかったというのです。それを、すべて復帰してあげなければなりません。結局は、アダムとして生んであげなければなりません。完成したアダムでなければ、結婚することができないということです。再臨時代まで三代かけてきたので、三人、三代にわたるお産の使命を果たさなければならないのです。付け加えておくが、霊人体の再臨復活からは相対する肉身に再臨協助するとあるが、儒教とキリスト教ではイエス様はお父様と相対関係を結べなかったとするのが原理的であり、したがって、家族が改宗して以降の16歳のときとの主張は原理講論とも矛盾しない。次回からは『「お父様、有原罪(堕落圏から)」は原理講論と矛盾しない』、原理講論の内容と照合していくことにする。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ にほんブログ村
2019.01.31
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ブログ村で「真理を求めて」、今日も自称ルポライタイーtomy4509がルポをお送りします。ヨンギ氏、いつまで同じ間違いを繰り返されるのか?最近のヨンギ氏記事は以下。再投稿、真の父母様宣布文に対する反論6月4日文亨進会長が麗水ぺ向かう計画ば取り消しになった。午後に真のお父様がソウルに帰って来られたからだ。筆者の推測では、誰かが壱日だけ戻ってきて、また帰るように緊急なお願いをしたように思われる。真のお父様のソウル行きが決まると、教会は忙しく動き始めた。文亨進会長は教会が制作しておいた16分のブラジル事件ビデオを6分の動画として再編集することを特別指示した。6月5日夜明けの訓読会の時、お父様にお見せするためのものだった。特別に殴る場面と、お父様に従うのか、私に従うのかというニュアンスが目立つようにという編集指示が下った。制作はナムインソク氏が責任を負った。午後3時には天福宮と教会職員の全体会議及び教育があった。ここで彼らは世界会長の指示を伝達した。彼らは6月5日、久里水沢里中央修練院に待機状態である全国牧師たちに、お父様の署名を受けた文書と動画を公開することを決めた。文顯進様を批判する映像を撮影しなさいという指示もくだされた。(顯進様がサタんの道を行なっている』という内容のビデオ撮影で、局長からはじまり、職員全体が撮り現場公職者たちと顯進様を批判講演することを決めたのである。最後にその翌週から教会長が直接出向いて全国教区巡回をして、UCIと顯進様批判講演をすることを決めた。……(省略)上記は、自称ルポライタイーtomy4509が過去記事「ヨンギ氏、「真の父母様宣布文」の真偽は既にハッキリしている!! 何をいまさらだ。」(May,18 2018) ほかで既に墓場へ葬り去ったものの一部引用であった。まずは、確認から。 ヨンギ氏=マキチャンネル=マキの夫さて、本論。以下はブログ「マキの夫」の最近の記事。宣布文発表までの過程 判断の基準 真かそうでないか?https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12375589929.htmlヨンギ氏の別ブログ「マキチャンネル」で挙げた書類写真(画像)の一部をテキスト文にしただけでさほどの違いはない。それがデマ記事であることを自称ルポライターtomy4509が過去記事で立証したはずだが、性懲りもなく同じことをくれ返されるところを見ると、ただただ家庭連合を批判したいだけ、ほかに何があるというのだろう。さて、それら情報源は「ターマルの掲示板への匿名投稿」からであり、2011-06-08付のgildongのブログにて「ブログ村」で紹介されていたものだ(こちら)。gildong氏のブログでは英文だけのものが上図では日本語訳まで追加されていた。これら一文を読めば、2010年6月5日の「異端者爆破者宣布文」当時、発表に至るまでの経緯を綴っているようで、英文に当たる部分がその下書き文であるということらしい。ところが、実際のそれとは似ても似つかないものとなっていた。というよりは翌年の「真の父母様宣布文」に類似した一文も見ることが出来、gildong氏、ヨンギ氏の挙げたそれらは「ねつ造文書」であるということがアリアリと分かるものであった、とその指摘を繰り返していた。このことに関してはヨンギ氏(=マキチャンネル)、ほかブログ村で自称ルポライタイーtomy4509からは何度も書いてきたものであり、誰が「能面真理」、仮面を取れば虚偽の宝庫を抱えているは言わずと知れたことだ。現在もなお、そのねつ造文章のFAX用紙を茶けるまで拝んでいる信仰は見上げたものだが、いい加減に目を覚まされては。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.03
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先ずは、統一食口であればお馴染みの聖歌2部8番「手をつなごう」。1光を求め寄り集う世界の友よ手をつなごう同じ人の血を 受けながらなぜ憎む合う兄弟よ2過去の恨みは水に流し世界の友よ手をつなごう世界が滅べば何がある耐え難い胸も今は忍べ3求める道はみな一つ世界の友よ手をつなごう愛と真で語り合おうみんな幸せになれる道4乏しさ分ち譲り合い世界の友よ手をつなごう親の心で尽くさねばどうして世界が栄えよう5静かに胸に手を当てて世界の友よ考えよう自分が柱にならなけりゃ誰が世界を支えるのか記事「平気で大ぼらを吹く郭錠煥氏(その4-Ⅲ)--神様の血統をサタンに!!」でもって明確にしたように、「祝福家庭は養子養女」といった間違った文化・教育を植え付けたのはH3の義父である郭錠煥氏であった。このような思想が「郭グループ(FPA)」の根底にあることはもちろんだが、H4のサンクもまた同様にこの郭氏の「祝福家庭は養子養女」を背景としていることは言うまでもないことだ。こういう観点から見た時、サンクはFPAとは違うといっても「郭グループ」の傘下に属しているといっても過言ではない。この『「事必帰正」--天宙史的な混乱の始まり』その原因は、人間始祖アダム・エバにおける血統問題であったように、こんにちもまた歴史的に繰り返されているのを見ることが出来る。この葛藤の本質を最もよく知っている方は、他ならぬ顯進様です。顯進様は2011年10月29日、釜山のボンネッコル聖地を7年ぶりに訪れた際に、「統一家の葛藤は神様のみ旨と摂理を守る『天宙史的な闘い』だ」と語られました。「神様の摂理の方向性をめぐって起きた衝突」であり、さらには「神様のみ旨を果たすために生きてこられた、お父様の生涯と業績を守るための闘いだ」と見なしました。神様の摂理歴史を振り返ると、このような事例が何回も登場します。太初のアダム家庭でエバが天使長の誘惑によって堕落し、またそのエバがアダムを堕落させた事件は、確かに天宙史的な混乱の始まりと言うべきでしょう。それ以後、復帰摂理歴史4千年を経てイエス様が来られた時、ユダヤ民族の不信によってメシヤの使命を全て成しとげることができずに十字架刑に処せられた事件も、神様の摂理の方向を決定するもう一つの天宙史的な混乱でした。再び2千年を経て、第3アダムとして来られたお父様が、メシヤの使命を完遂するための生涯を生きてこられましたが、その基盤と権威を後代に相続する過程において大きな衝突が起きたとすれば、これもまた、神様の摂理に重大な影響を及ぼす天宙史的な混乱になるのです。『「事必帰正」--天宙史的な混乱の始まり』より天使長ルーシェルがエバを誘惑し、アダムを誘惑して堕落した。支流人の方々に問うが、冷静に考えたときこんにちの統一家の混乱もそのようになっていないだろうか?自称ルポライタイーtomy4509としのこれまでの検証報告から見た時、郭錠煥氏の『事必帰正』は表面上は自叙伝を繕ってはいるが、実は、真の父母様から祝福家庭を引き離し、また、その位置までも引きずりおろそうとする「悪魔の教義書」ともいうべき代物とも思われるのだが。お母様「独生女」批判はいうまでもなく、50年間侍ってこられたお父様に対してすらその敬意の念すら感じることが出来ない。まして、世界的に祝福式を挙行してこられたお二方の「真の父母様」としての位相までも踏みにじるような有様である。まるでサタンが自らがいる霊界(祝福家庭の位置)を否定してまでしてした最後の発悪、その共産主義思想と類似していないか?!『「事必帰正」--葛藤の混乱と本質』でも「お父様の摂理的なビジョンと方向と目標を知って、そこに正しく合わせた方は唯一顯進様だけでした。」とあるが、GPFやUCIの選択こそが天からの祝福を軽んじたエサウの姿そのものだった。続く『「事必帰正」--長子権とは』に至っては、ヨンギ氏もカビ記事タイトル「長子権とは」までして恥をさらされることはないと思う。tomy4509は既にルポ済みで、お父様が語られていたみ言がある。これは、お母様もお父様と一体(意志を継いでおられる)の事例ともなる。大ぼら吹きの郭錠煥(その5)--支持する有志の会は「郭家の僕」(5019.11.05)記事から:1985年8月16日の「一勝日」み言からは「お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その2)」とあった。したがって、郭氏の「お母様が願われる、資格も検証されていない息子を、長子の位置に立てようとされたのです。」は、H3を中心に立てようとする危弁(詭弁)を弄したものあった。孝進様聖和後も長男としてお父様は見ておられたし、お母様も長男・孝進様、そして、その後孫が継代を継ぐことを宣布されたものだ。<続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.11.08
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韓鶴子総裁を空港で出迎えているニジェール首相と政府閣僚一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.11.28
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희망전진대회 [Rally of Hope]チャンネル登録者数 3480人ピースリンク(peacelink.live)オンライン生中継で出会う-神統一世界定着のための100万希望前進大会-午前9時30分、全世界が希望に向かって歩みだす瞬間新型コロナウイルス(COVID-19)による世界的なパンデミックと、それによって生じる国家的利己主義と個人主義によって、徐々に崩壊してゆく私たちの日常。天宙平和連合の共同創設者である韓鶴子総裁は、人間を中心とした考えと判断によって、この難局を乗り切ることが出来ないとし、「天の父母様(神様)と共に歩んでこそ、全ての問題は解決されます」と語る。その実践のために、2020年8月9日に開催された「神統一世界定着のための100万希望前進大会」の様子は、全世界にオンライン生中継され、約255万名以上が視聴した。この「希望の前進」の第2回大会が9月27日に開催され、また、以降の大会も年内に順次開催される予定だ。大会の生中継を通して伝えられる希望と感動の瞬間は、ピースリンク.LIVEの特設ページを通じて視聴することができる。 8月27日、第1回希望前進大会全景第1回の希望前進大会には韓鶴子総裁をはじめ、大韓民国国家気候環境会議委員長である潘基文(パン・ギムン)前国連事務総長、セネガル共和国のマッキー・サル大統領、カンボジアのフン・セン首相など、11名の平和を愛する前・現職の世界的指導者らが参加した。<スピーカーの主要メッセージ>韓鶴子 天宙平和連合共同創設者共生・共栄・共義です。統一された人類一家族の共同体。その中心に天の父母様がおられれば、全ての問題は解決されます。 潘基文 大韓民国環境会議委員長、前国連事務総長国籍、文化、人種、宗教、そして政治的背景を越えて、私たちは人類一家族です。互いに尊重し、共に歩んでこそ、世界平和と韓半島の平和統一は成し遂げられるのです。 マッキー・サル セネガル共和国大統領天宙平和連合が示しているように、コロナウイルスによる危機は、自己中心的な活動ではなく、相互協力と人類愛を通してのみ克服することができるのです。 フン・セン カンボジア首相私たちは共生・共栄・共義の価値を向上させ、調和と平和によって共存し、社会における信仰、宗教、文化の多様性を尊重しなければなりません。 ニュート・ギングリッチ 元米国下院議長私たちは、国境、民族、宗教を超え、政治的見解と意見の相違を乗り越えることによって、より良い世界を後世に残すことができます。 ポーラ·ホワイト 米国大統領宗教特別顧問神様を私たちの心の中に真心をもって迎えるのならば、私たちはこの危機を必ずや克服し、繁栄することができると確信しています。 ブリジ・ラフィニ ニジェール共和国首相宗教間の対話と協力において、人種と文化、宗教と思想を超越した、全ての人々が受け入れることができる普遍的価値が持つ重要性を認識しております。 伊達忠一 日本前参議院議長 今日ほど、文総裁、韓総裁ご夫妻が説いておられる「共生、共栄、共義」の精神が切実に必要とされる時代はありません。 ジミー・モラレス 前グアテマラ共和国大統領韓総裁が示されるように、相互連帯、公正、平等、正義を実現し、「真の愛」を隣人に施さなくてはなりません。 スティーブン ∙ ハーパー 元カナダ首相私たちはゼロ・サムゲームをするよりも、相互の必要性を正しく理解し、共に相互繁栄することができる関係を構築し、共通の価値の実践のために尽力しなくてはなりません。 アルフレッド・モイシウ 元アルバニア共和国大統領人類が後世の前に、平和と団結の遺産を残そうとするのであれば、政治、学術、青年学生等、すべての分野を網羅する各界各層の協力が必要です。第2回 神統一世界安着のための100万希望前進大会9月27日(日) 午前 9:30参加方法: ピースリンク.live 会員登録完了後に視聴可能神統一世界定着のための100万希望前進大会組織委員会一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ オンライン100万希望前進大会参加には、PeaceLink(https://www.peacelink.live/)右上から事前の会員登録が出来ます。googleアカウント(Gメール)のある方は、「ログイン」から進んでいただくとよりスムーズに会員登録が出来ます。
2020.09.21
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◆「韓鶴子総裁御言選集 4 - 5 - 2. 天地父母天宙勝利表彰牌と真のお母様の揮毫」「天慕之母 地敬之母」「天慕之母」は天が慕う母、「地敬之母」は地において敬う母です。「地」という字は、どん底に入って支える姿です。「地」の字が「敬」の字を支えるようにして付けました。そのように見ると、「ああ、先生は、いいかげんに書いたのではなく、何か意味がある」というのです。皆さんの行くべき道を教示したのです。「天慕之母」、天が慕う母、「地敬之母」、先生が尊敬する母、ということです。(469-320, 2004.9.22)「天慕之母」、天が愛する母です。「地敬之母」、地が敬うことのできる母です。この揮毫を書いたのは、2004年3月7日の朝ですが、3月7日は何の日でしょうか。3月になると、3掛ける4は12、天一国の12数になるのです。7日は、3掛ける7は21、21数になります。これからは天上世界の神様がお父様の形状で右に現れるようになり、この日を期してお母様がその横に立つようになるのです。神様がいなくても、実体の父母のモデルの形状をもって、天の国の統治権に越えていくのです。それが3月7日です。(446-307, 2004.4.28)「敬」の字は、お父様に仕えるのと同じなのです。地上のお父様と同じように、お母様に仕えなければなりません。「地敬之母」。天地の神様を慕うように、お母様を慕わなければなりません。「天慕之母」、その次に「地敬之母」です。敬うというのは、おじいさん、おばあさんを敬い、王を敬うと言います。王を慕うとは言いません。「敬」の字には「父」の字が付いています。「慕」の字に、どうして四つの点があるのでしょうか。左側の一つと右側の二つが四位基台を中心として連関関係があるというのです。「敬」の字の「父」の字はすっと伸びていますが、先が上がっています。女性はお母様を中心として天地を慕わなければならないという、そのような意味があります。「2004年3月7日の新しい朝、オンマのために」と書きました。先生もお母様に対して、自分を生んでくれたオンマ(母)のように慕わなければならないのです。(468-219, 2004.9.14)自分の兄のように慕い、婚約した未来の夫のように慕い、その次には夫のように慕い、父のように慕い、祖父のように慕い、王のように慕わなければならないのです。女性がつくり上げるべきはしごです。天が慕い、地が敬えば、その母自体が威信を立てることができるからです。2004年3月7日の朝は何でしょうか。今回、「オンマ、私が母に親孝行ができなかったので、夜も『オンマ!』と呼んだら、どうして呼ぶのかと言って恨まずに、私が母を呼んだ時のような、そのような返事をして母の役割を代わりにしてほしい」と言いました。年を取ると赤ん坊になると言うでしょう。80、90になるおじいさんを、世の中で一番育てにくい息子と思って育てる母になるとすれば、本当に神様が尊敬し得る母になるのです。(468-220, 2004.9.14)真のお父様、真のお母様に 「天慕之母 地敬之母」 揮毫を下賜2004年 3月 7日 大韓民国 漢南洞公館一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.03.07
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衝撃❗️🌼朴マリア一家🌻相軒よ❗️胸が痛むか泣くべきことではない❗️🍇恐ろしい霊界の光景😱霊界で会った人たち🍎李相軒先生🌰2024/07/05 #統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#李相軒#霊界九 朴マリア一家 生死禍福を主管なさる神様が「相軒よ! 人間は自分の思いどおりに生きているようだが、そうではない。個々の人間の意志と父なる神様のみ旨の方向が一致する時、その道が真の道になるのである」とおっしゃいました。 私は、なぜ神様がそのようなみ言を語られるのかと気掛かりでしたが、神様がある日「きょうはお前が行かねばならない所がある」と言って、小さな女性を私に送られ、「一緒に同行せよ!」とおっしゃいました。その女性は、神様の使者でした。私は神様の命令を受け、ついて出掛けましたが、とても気掛かりでした。 この女性は、「神様が行ってみなさいという所は良い所ではない」と言いました。いくらか行くと、この女性は、「少しお待ちください」と言うと、他の所にいたある男性を呼んで「一緒に行こう」と言いました。おかしなことだと思いながら彼らについていきました。 ここはどこでしょうか。大きな門が見えましたが、まるでそれは地上の刑務所の門と似ていました。その大きな門は固く閉ざされていました。ところがどうしたことでしょうか。しばらく待っていて、一緒に行った男性が何か言うと、その門が中からぱーっと開きました。そして私たちは一緒にその中に入っていきました。いったい、これは何でしょうか。そこにいる人たちは、みな人のようには見えるのですが、まともな人の姿ではありませんでした。 泣く姿、けんかする姿、刀で斬られた姿、目が回った姿、口に棒が挟まった姿、手が後ろに回った人、空中に向かって足を上げている人、おなかから血が流れ出ている人、耳から血が流れている人、手が曲がり、足が曲がり、耳がねじれた人、とても表現するのが難しい者たちの姿がいっぱいあふれていました。それは障害者の集団そのままの姿でした。 本当に変です。私は、神様がなぜ私にここに行けとおっしゃったのか気になりました。私がそのような姿を見て胸が締めつけられるのを感じている時、一緒に来た女性が私を呼びながら、向こうの方を指さしました。彼女は「あそこにいます。神様が訪ねてみなさいと言った人があそこにいます」と言いました。そこには一人の女性が自分の口を手でつかんでいました。その手は口にくっついて離れませんでした。何かを食べようとしますが、手が自分の口をふさいでいるので、口が開かずに、入っていく物よりも出てくる物のほうが多かったのです。 私はその女性の前に立って、「あなたの名前は朴マリアですね」と言いました。彼女は「そうだ」と言って首を縦に振りました。私は彼女に尋ねたいことがたくさんありました。けれども、彼女の手が口がくっついているので尋ねることができませんでした。「お父様! どうしましょうか」という心の叫びをどうすることもできませんでした。 ああ! その女性はまた私を連れてほかの所に行きました。その女性は「あちらに立っている男性は、李起鵬だ」と言いました。これは何という有様でしょうか。李起鵬の胸からは血が流れていました。朴マリアとはお互いに見つめることのできる距離でした。その次に私の目に入ったのは彼の息子の李康石でした。息子は彼の後ろに、手に刃物をつかんだまま立っていましたが、その姿は不動の姿勢でした。どうして一家がこのようになり得るのか。 その女性は私を見て、「もう神様のところに帰りましょう」と言いました。私はここで彼らのために神様に祈祷を捧げました。「神様! 彼らをお救いください。真の御父母様がここに来られて彼らの惨状を御覧になる前に、彼らを解放してください」と祈祷を捧げました。 しかし、誰も私の祈祷に答えてくれませんでした。どうしようか。この凄惨な光景! 真の御父母様にどのようにこの光景をお見せするかと考えながら、私は固く閉ざされた大きな門を通過して、神様のところに帰ってきました。 「神様!」と大声で叫ぶと、「相軒よ! 胸が痛むか」とおっしゃいました。私はただただ神様の前で泣き始めました。神様は「相軒よ! 泣くべきことではない! お前が責任をもつべきことなので、見せてやったのだ。お前の子供たちはしっかりと生きなければならないと教えてあげなさい。救済する道は簡単ではない。地上でしっかりと生きて来いと伝えなさい。どういうことか分かったか。相軒よ、お願いする」とおっしゃられたあと、神様は静かに離れられました。(一九九八年五月二十日)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.07.05
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「六千年役事大解怨式」での御言 「天一国」二年、二〇〇二年、陰暦二月二十二日(陽暦四月四日)、二十二時二十二分二十二秒、「六千年役事大解怨式」が、米国のイーストガーデンで挙行されました。その時の祈祷と御言、並びに、この式典に先立って行われた祈祷と興進様からの報告を併せて掲載します。興進様からの報告は、郭錠煥先生が拝読されました。 祈祷しましょう。霊人たちが、式を行う所に同参できるように祈祷してあげ、「来なさい」と案内してあげなければなりません。 祈祷 愛するお父様! きょう、二〇〇二年四月四日、十時(二十二時)二十二分から始まるすべての式典を、韓国では十三時間前に主導され、編成したすべての内容を、第一イスラエル、第二、第三イスラエル圏と連結させ、アメリカと韓国が一つの場において、同じ日、同じ時間に、この式典を制定し、今まで恨の役事によってふさがっていた霊界と肉界の垣根をすべて除去してしまい、地上に真のご父母様が再現し、歴史的旧約時代、新約時代、成約時代、すべての蕩減条件を整備し、神様の恨を解消し、解放的な祝福の中で、エデンにおいて、偽りの父母の愛、生命、血統を残して、恨の歴史を綴ったことを、真の父母が現れてすべてのことを蕩減復帰することによって、あなたの前に総生畜献納をすることができる立場に立ち、そして天一国を制定させてくださり、天と地の祝福を受けた家庭として、天上世界の先祖たちと地上世界の子孫たちが、一心、一体、一念とならしめてくださり、天地父母に仕える、新しい歴史的大転換時代、大祝福時代を迎えるようにしてくださったことを感謝申し上げます。 このような祝福の恩賜によって、この地に真の父母の直系の子女である興進君をはじめとして、榮進と惠進と喜進君を中心とした四大聖人たちと賢哲たちを連結させ、さらには、キリスト教の歴史を中心として有名だった摂理史のすべての功臣たち、教派と教団を中心として、これを結び、宗教圏を越え、政治圏を越え、国連を越えていくことができるNGO(非政府組織)基準、超宗教、超国家、超人種圏を設定し、解放的な祝福を制定するようにしてくださったことを感謝申し上げます。 このすべてのことが、神様が中心となってくださり、真の父母と共にこのことに責任をおもちになり、解怨成就、解放的な解消をなして、整備、整備を備え、本然の基準の前に一致することができる条件的基準と、進んでいくことができる方向性を完結することによって、天上世界と地上世界が一体的な真の父母を中心として、仕えることができなかったことを再び総蕩減し、天使長ルーシェルが失敗したすべてのことを、アダム完成を中心とした基準の前に、絶対服従、絶対屈伏することによって蕩減し、天上世界の地獄と楽園と天の国を開くことができるように高速道路を築いた、その基盤のうえに、万能、解放の願いをあなたが主導してくださり、地上の祝福家庭の拡大とともに、天上世界の祝福家庭を結んでくださり、カイン的祝福圏がアベル的祝福圏の前に兄弟の基準を交替し、地上から天が王の中の王となられ、祝福の主人となられ、治めなければならない愛の創造理想世界を再び取り戻し、真の父母によってこれを再び復帰し、完成し、神様の前に仕えることによって、天上地上世界に神様王権樹立と祖国定着という命題を中心として、天一国を成就してくださり、自主国勝利圏解放時代、主体国勝利圏解放の時代を天上世界と地上に結んでくださり、元一的統一世界として終着するようにしてくださった、宣布を備えるようにしてくださった、条件を立てて、峠を越えるようにしてくださったお父様の恩賜の前に感謝申し上げます。 きょう、天一国二年を中心として、二〇〇二年二月二十二日、二十二時二十二分二十二秒を中心として祝福の日を設定し、韓国と日本の中心存在たちが、アメリカを中心として全体がこの場に集って、祝典をしようと願っておりますので、霊界の祝福を受けたすべての霊人たちと、四大聖人、四大直系の子女と協同するようにしてくださり、祝福を受けた宗教圏の中心存在、教派の中心者、宗教の中心者全体が共に一つになり、一つの主流の方向を定めて、新しい開拓と新しい編成を行うことができる時代を迎え、この神聖な総蕩減の解怨式を奉献しようと願っておりますので、天地父母と共に神様が王権のうえにお立ちになり、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心情をもって、一心、一念、一体となった場に立ち、天の心情を代身した父子の因縁、夫婦の因縁、兄弟の因縁、一族全体が、天の解放的地上天上天国を相続することができる、喜びの一族として、一家庭として、この時間、同参することを真の父母の名によって許諾いたしますので、神様を第一として侍る彼らと、天上天下全体を蕩減することができる神聖な式典として奉献したものを受け入れてくださることをお願い申し上げながら、真の父母の名によって、この日を祝福しながら報告いたします! アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。 お母様、ここに座ってください。(「敬礼いたします。真のご子女様が先に敬礼をされます。全体で天地父母様に敬礼いたします。天地父母様に敬礼! 静かに座ってください」)。 この第二イスラエルであるアメリカが、全体、集中、復帰役事をしなければなりません。第一イスラエルが失敗したことを第二イスラエルがすべて……。第三イスラエル圏において勝利したすべてのこと、霊界と肉界が一体となって勝利基盤を築いたことを、第二イスラエルに加えて、世界的な蕩減役事を始めたことを知らなければなりません。さあ、それでは、その内容がどのようなものなのか、よく聞いてください。 「六千年役事大解怨式」に関する興進様からの報告 尊き真のご父母様! 神様の御旨を成就するために東奔西走されるお姿をそばで拝見しながら、息子としていつも恐縮し、申し訳ない心を抑えることができません。いかにすれば、少しでも真のご父母様に喜んでいただくことができるのかを深く考えながら過ごしております。 真のご父母様におかれましては、「神様王権即位式」を通して神様を解放してさしあげ、真の父母としてなすべきことは、すべてなされました。しかし、いまだ堕落した人類が越えるべき峠が多いので、これを少しでも減らすために、真のご父母様は多くの苦労をしていらっしゃいます。真のご父母様のこのような大きな恩恵の前に、どのようにして、すべてに報いることができるでしょうか? ただ、その大きな恩恵に、感謝し、また感謝するばかりです。 今まで真のご父母様が勝利され、道を開いてくださった恩恵を土台にして、祝福家庭はいち早く物事の道理をわきまえ、自ら果たすべき責任分担を完遂しなければなりません。私たちのゆえに苦労しておられる真のご父母様を解放してさしあげることが、子女としての本分であることを知っています。 それでは、このたびの行事を行うようになった背景を、真のご父母様にご報告申し上げます。 アダムとエバが堕落した後、今まで人類は、サタン主管圏に落ちていました。サタンは最も強い悪霊たちを動員して、被造世界を自分側の世界にするために悪の役事を起こし、自分の支配する領域を具体的に拡大していきました。 サタンは、神様が中心人物を通して役事されることをよく知っているので、神側の中心人物が勝利的に蕩減条件を立てることができないように、妨害する役事をしてきたのです。サタンは復帰の各時代ごとに、最も強い悪霊たちを動員して、悪の役事をしました。サタンは常に侵犯する機会を狙い、その各時代の中心人物が讒訴条件に引っかかれば、責任を果たせないように、背後で執拗に悪の役事を行ってきたのです。このように、各時代ごとの中心人物たちが、神様の御旨どおりに責任を果たすことができなかった、その背後には、サタンと悪霊たちの役事が大きく作用していたのです。 アダム家庭において、実体基台を勝利するためには、カインとアベルが一つにならなければなりませんでした。その摂理をされる時に、蕩減復帰原理の立場から、神様がアベルの祭物だけを受けられるようになったその時、アベルが謙虚な心で、兄であるカインに対していなければなりませんでした。ところが、反対にアベルは驕慢な心をもつようになったので、サタンはそれを条件として侵犯し、カインに血気を起こすようにさせ、理性を失うようにして、弟のアベルを殺害するように役事したのです。 ノアが山の上に百二十年間かけて箱舟を造り、洪水審判がすべて終わった後に、ノアはまず、神様の前に謙虚になって感謝の祈祷を捧げなければならなかったのですが、ノアが「自分ですべてをなした」という慢心をもつようになると、常に侵犯する機会を狙っていたサタンは、悪霊たちを動員して、ハムをして、父ノアの裸体行為に対して恥ずかしさを感じるようにさせ、兄弟たちを扇動して、ノアの心と距離を置くようにさせました。 サタンは、アブラハムの三種類の供え物を通して、アダム、ノア、アブラハムの家庭のすべてを蕩減復帰しようとされる神様の御旨を知り、侵犯する機会を狙っていると、アブラハムが三種類の供え物を献祭する時に軽率な心をもつと、これを条件にしてサタンは侵犯し、ハトを裂かないようになり、結局、象徴献祭を失敗するようにさせたのです。 モーセの時にもサタンは、イスラエル民族がモーセと一つになろうとする心をもたせないように役事をしました。特に、出エジプト以後、四十日間の断食祈祷を通して、幕屋のための基台を準備する過程においても、イスラエル民族がエジプトでの生活に対する未練をもって、不平不満を言い出すと、それを条件にしてサタンは、イスラエル民族が金の子牛をつくり、それを自分たちをエジプトから導いてくれた主人として崇めるようにさせたのです。また、モーセが不信するイスラエル民族に向かって血気を起こすと、石板を壊すようにさせ、また、レピデムで磐石を二度打つようにさせて、中心人物としての責任を果たせないようにさせたのです。その背後にも、サタンを中心とした悪の役事がありました。 イエス様の時も同様でした。サタンは、不信する当時の律法学者や祭司長たちに入り、「イエス様はメシヤではない」と扇動して、イエス様を排斥し、迫害するようにしました。また、洗礼ヨハネが自分中心の人間的な心をもつようになると、その中にサタンが入り、イエス様を証しながらも侍ることができないように、誘導したのです。それだけでなく、弟子たちがイエス様を信じなくなると、サタンはそれを条件として、イエス様と弟子たちが一つになれないように、悪霊たちを通して役事したのです。このようにしてイエス様は、結局、十字架上で亡くなるしかありませんでした。当時の中心人物たちが責任を果たさなかったことも、その原因でしたが、その背後には、サタンの執拗な悪の役事が隠れていたのです。 真のご父母様がこの地上に来られた後にも、サタンは、神様の中心摂理に対する妨害の役事を継続してきました。一部の無知なキリスト教の牧師たちと聖徒たちにサタンが入り、真のご父母様を不信するようにさせ、迫害するように扇動したのです。また、神様を否定する北韓の共産主義者たちを通して、真のお父様を監獄に入れ、さまざまな拷問と苦痛を与え、真のお父様のメシヤとしての意志をくじこうとしました。真のご父母様は、そのようなサタンに屈することなく、かえって神様を慰労され、蕩減条件を立てられて、サタンを屈伏させて勝利されたのです。 しかし、サタンは最後まで放棄せず、継続して神様の摂理を妨害するために必死に役事をしてきました。サタンが狙った第一の標的は、まさに真のご父母様が立てられた祝福家庭でした。祝福家庭が神様と真のご父母様に対する、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で暮らしていたならば、サタンが讒訴することはできませんが、そのようにできない家庭には、サタンが悪霊を動員して、罪の根の問題を再び犯させるような状況をつくり、過ちを犯すように役事をしたのです。真のご父母様に従う祝福家庭が罪を犯すようになったので、サタンは、真の家庭にまでも苦難を与えたのです。このようにサタンは、復帰摂理歴史六千年の全過程で、執拗に、巧妙に、神様の御旨が成就できないように、あらゆる手段と方法を動員して悪の役事をしてきたのです。 その当時、直接参与したサタンと最も強い悪霊たちをすべて、天一国二年、二〇〇二年、陰暦二月二十二日、二十二時二十二分二十二秒に、清平に呼んで、解怨するようになります。 今まで、霊界にいる私をはじめ、榮進、惠進、喜進が中心となり、霊界全体をくまなく捜し、六千年の復帰摂理の役事期間において、中心人物たちを打ち倒すために悪の役事をしてきたサタンと最も強い悪霊たちを、すべて捜し出して、その位置をあらかじめ表示しておきました。そしてきょう、この時間に、当時の摂理的中心人物たちを通して、サタンと犯行に直接参与した最も強い悪霊たちを連れてくるにあたって、その力が不足した場合に備え、今まで清平の役事を通して祝福を受けた絶対善霊たちの支援を受けて、彼らをすべて清平に連れてきて、歴史的な大解怨式を行うようになりました。 このような行事は、真のご父母様が神様を解放してさしあげ、本来の位置に立ててさしあげていなければ、この時間、このように歴史的な大解怨式を行うことはできませんでした。サタンを中心とした悪が崩れていくと同時に、それを転換点として、神様を中心とした善が早く定着しなければならないのですが、もし、神様王権即位式を通して神様を解放してさしあげることができていなければ、悪がだんだんと崩れていったとしても、善がより強く前進していくことはできなかったでしょう。 しかし、今からは、善悪が完全に交差する時代を迎えることによって、生きていらっしゃる神様が、全知全能の力を思いどおりに発揮なさることができるようになったのです。したがって、今後、悪は弱くなり、崩れていき、神様を中心とした善はだんだんと強くなり、神様が、全体、全般、全権、全能の役事をなさることができる時が到来するようになったのです。 今からは、原理を知る祝福家庭が、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、神様と真のご父母様の心情と一体になれば、豊かに暮らすことができるようになっています。しかし、堕落性を中心として非原理的な生活をすれば、滅びるようになっています。 真のご父母様は、私と大母様を通して、四大聖人、賢哲たち、各教団の教主たちを捜し立てられ、修練を受けるようにされ、絶対善霊として立ててくださいました。それで、各教団の直系の弟子たちを中心として、宗教間の境界線を崩して、真のご父母様と一つになることができる宗教統一の道に進むように導いてくださいました。 また、地上の祝福家庭を中心に先祖解怨式を通して、彼らを霊界の修練を経て絶対善霊にし、地上に再臨協助することのできる基台を立てられました。また、地上の肉身をもつ人間に憑いている恨みの霊と悪霊たちを分立し、彼らもやはり霊界の修練所を経て、善の役事をすることのできる絶対善霊にすることができる道を開いてくださいました。 このような基盤のうえに、今まで四大聖人を中心に、教団の代表と信徒たちが祝福を受けたのですが、彼らを、去る二〇〇二年、陽暦二月一日に霊界の修練所に呼び、真のご父母様が神様王権即位式以後に摂理される具体的な内容について教育をしました。そして、彼らは、復帰摂理歴史に協助するために、陰暦二月二十二日、陽暦四月四日に、地上に再臨し、真のご父母様がなされる摂理を協助するようになります。彼らは何よりもまず、真のご父母様が推進される、キリスト教および各教団の指導者たちを含めた、十四万四千組の群れを祝福してくださるという大きな祝福行事が勝利できるように、再臨協助をします。 今まで祝福を受けた絶対善霊たちの、地上の祝福家庭に再臨協助して地上天国と天上天国をなそうとする覚悟と決心は、大変強いものです。このような時に、地上の祝福家庭と公職者が絶対善霊と一体となり、神様と真のご父母様の御旨を成就するために、先頭に立たなければなりません。 尊き真のご父母様! 今は神様の御旨どおりにすべてのことがなされていく大転換時代であり、天地開闢の一時を迎えています。霊界では、すべての時間が感動の心情で満ちています。このような時に私たちすべての祝福家庭は、油断することなく、現位置において神様と真のご父母様を中心として、霊界と肉界が、一心、一体、一念をなし、なすことのできる最善の努力をすべてなして、必ずや、真のご父母様の王権即位式をしてさしあげますので、彼らを見守ってくださり、思う存分、お喜びをお受け取りください。 二〇〇二年、陰暦二月二十二日(陽暦四月四日)、天宙清平修錬苑より、息子、興進がお捧げ申し上げました。(拍手) さあ、心の準備をしてください。二十二時二十二分二十二秒を迎えるまで。(「全体起立して、立ったままで心の準備をいたします」)。 祈祷 愛するお父様! きょうは天一国二年であり、新たに二〇〇二年を迎える陰暦二月二十二日、陽暦では四月四日、この日は、大母様の年が、八十九歳になる記念の日でもあります。 大母様と忠母様、真のご父母様、三代にわたり、母が責任を果たせなかったすべてのことを、過去の旧約時代、新約時代、成約時代を清平に集合させ、このことを代身し、大母様を中心として、息子の立場にある興進君と榮進君と喜進君と惠進嬢を中心とした四大家庭が、この地に来て苦労していった四大聖人の祝福家庭と共に、そして、忠孝の道理の道において忠誠を尽くした、霊界にいる数多くの、数億の人、聖人、烈士、忠臣、孝子たちを祝福しましたので、地上の真の父母の名と共に、天上世界の祝福を受けた家庭と地上世界の祝福を受けた家庭が一体となり、失ってしまったカイン・アベルの基準を蕩減することのできる、すべての家庭的基準を取り戻し、アベルの勝利の主権を中心としてカインが屈伏するように、天上世界の祖先たちが、一心、一体となるようにしてくださり、天地父母に仕えることによって、超宗教、超国家、超NGO圏を中心として、初めて歴史時代に新しい神様王権樹立と共に、サタン世界を越え、絶対的な基準において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の観念を中心とした、ために生きる真の愛の神様を中心として、失ってしまった真の父母と一体となった本然の真の愛と真の生命と真の血統の因縁を、神様が一代であり、アダムとエバを失うことによって二代圏家庭の設定ができなかったことを、真の父母の家庭を中心として、世界に広がっているすべての祝福を受けた家庭が、天上世界の家庭と一つになり、真のご父母様に侍ることのできる基盤を、カイン・アベル、アダム家庭で失ったものを、国家を越えて、天宙史的なもののうえに立ち、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原理を通じて、ために生きる生活を主体として、すべてのことを投入して忘れ、投入して忘れ、ために生き、よりために生きる、永遠な神様の愛と父母の愛を代身することのできる、深い愛の世界が、この地に出現することができるようになった恩賜に感謝申し上げます。 このことによって統一教会の群れは、第一に、真の愛を中心として私たちが生まれ、真の生命と因縁を結び、真の血統を受け継ぐことができ、神様が一代、アダムとエバの代身としての真の父母、この二代を中心として、三代圏を結ぶことのできる勝利的祝福中心家庭の価値をもつようにしてくださったことを心から感謝いたします。 言葉だけではなく、事実の中の事実であり、事実が中心として現れることのできる天の権威の足場となり、万事に神様の自主権を中心として、すべてを治めるうえで不足のない、個人基盤はもちろん、家庭基盤となり、祝福家庭を中心として、天上の祖先まで一つになり、牽引車のように、機関車のように、霊界を引っ張って地上に再臨させ、完成の印を押し、公印を押して、天上まで連れていく、解放的決定をすべき時間に到達いたしました。 それゆえ、きょう、陰暦二月二十二日のこの時間を期して、霊界のすべてのふさがれていた垣根を壊し、解放的次元を中心として、平準化することのできる位置において、真の父母と共に、神様と共に、水平線上に立って、一体、一念、一心をもち、一つの家庭的理想圏でお互いに、上下の父子関係、左右の夫婦関係、前後の兄弟関係、そのような出発の家庭を中心として、すべての氏族を代表することのできる氏族的メシヤ、国家を代身すれば国家的メシヤ、世界を代身すれば世界的メシヤ、天宙を代身すれば神様のすべてのメシヤ的責任を完成、完結し、すべてのことを清算することができる時間を迎えましたので、天の国の王権樹立と共に、全体があなたの水準にありますので、願われる通りに、全体、全般、全権、全能の行使を、天の玉座から地の果てまで、地獄の底にまで、解放の愛の恩賜圏をもたらし、心を込めて「私が創造した彼らの理想の姿だ」と、忠孝の道理を誇りながら抱くことのできる、解放地上天国が訪れてくるように、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。 このことのために、今まで反対していた天使長ルーシェル以下のすべての一族全体も、この場に参席することのできる同伴者とならしめてくださり、立証することができ、証拠的後援者として選び、立てましたので、神様がこの場にお立ちになり、彼らに指示され、すべてのものが、一体、一心となるようにしてくださり、前進する一方通行として、万事亨通(あらゆることが思いどおりになること)、万事亨通、万事亨通、太平聖代(徳のある君主が治めている世の中、時代)、地上天国、天上天国を完結することのできる、祝福家庭の相続者たちとなることができるよう許諾してくださいますように、懇切にお願い申し上げます。 このことのために苦労した清平も、今やすべての力を尽くして地上と天上が協力し、真の父母がこの地で解怨成就することができる、王権即位式をすることができる、総生畜献納の世界的な奉献の日のために前進するすべてのことにおいて、神様が主体となって命令してくださり、管理、主管してくださることを懇切にお願い申し上げます。 地上は、あなたの祖国の地になりましたので、その祖国の地で生まれた、孝子、忠臣、聖人、聖子、宗主たちを合わせ、善なる祖先たちを協力させて、生まれた故郷の部分部分を合わせて、郡を越え、国家を越え、世界の至るところに連結することのできる、宗教圏解放、政治圏解放、NGO圏解放、地上天国統一の主人の王権を中心として、自ら、自由、自己主張することができる世界に前進することができるよう、お願い申し上げます。 このように天一国を宣布し、天一国の前においての、自主国である主体国としての勝利圏解放世界を越えて、初めて、堕落していない本然の元一統一世界へと締めくくることができる、解放、地上天上完結をしてくださり、勝利万々歳、天国がすべて天の一族、一家庭の群れが、一国家の群れが、一文化の一族になることができるように、祝福、祝福、祝福を完結してくださるように、懇切にお願い申し上げながら、 清平の興進君が報告した内容以上のことまでも、自主的な権限をもって、地上のきわめて小さなものから天上世界のきわめて大きなものまで、自主圏、勝利圏解放時代を自ら指導してくださいますように。 元一統一世界をなされ、千世、万世、太平聖代をなされますことを、真の父母が、懇切に、懇切に願いながら、ご報告をお捧げいたします! アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。アーメン! (「アーメン!」)。(拍手) 御言 復帰は蕩減復帰 四人、韓国の代表四人、日本の代表四人、アメリカの代表四人、それで十二名になるでしょう。三人ずつにして、東西四方に、筒の中にある菓子を砕いて、遠くにまいてください。蕩減条件です。四方にまけばよいのです。「これは宇宙の蕩減条件物である」と考えながらまきなさい。できるだけ遠くにまくのです。空中にまいて、地に落とすようにするのです。 復帰は蕩減復帰です。そのままでは復帰できません。罪を犯せば、それをすべて解消しなければならないのです。すべてなくしてしまわなければなりません。蕩減です。反対になくさなければならないのです。このように落ちたのなら、反対に引き上げなければなりません。それが蕩減復帰です。そのままでは復帰できません。蕩減復帰があるために、歴史が今まで長い歴史……。 神様ご自身がなさることはできません。神様がされるのならば、蕩減条件が必要ですか? すべて切ってしまえばよいのです。否定してしまえば、宇宙をすべて破壊しなければなりません。仕方なく置いておいて、再び洗って、本然の形態を備えるためには、そこに対する……。罪を犯せば、罪を犯した量に該当する分だけ洗わなければなりません。漂白しなければならないというのです。ですから、漂白する苦労、漂白する材料、これは絶対に必要です。蕩減条件物が必要だというのです。 今まで救援摂理を知らなかったのです。祭物とは何かというと、蕩減条件物です。今までそれを知りませんでした。それゆえ、動物を祭物にするなど、あらゆることをしたのです。堕落以降、神様の愛の中で保護を受けて暮らすことができ、その愛の中で神様と共に同化して暮らすことができる、この世界のすべてのもの、万物が、血を流さなければなりません。血を流さなければならないのです。 なぜ血なのかというと、偽りの生命、偽りの愛、偽りの血統が生じたということです。血(血統)が汚されたのですから、血を抜かなければなりません。それで、祭物は、必ず半分に裂かなければならないのです。一つは神側、もう一つはサタン側です。 ところが、神側は、十のうちの一しかありません。創造されたものがそのようになりました。九まではサタン数です。それゆえ、九数といえば、東洋思想では悪い数なのです。賭博場で九数といえば、一番よい数です。賭博場では、九数が一番の親分になるのです。それゆえ、九数を越えていくのは大変です。九数ですべてそのようになるのです。三分の二をサタンがもっていき、天は三分の一にもなりません。全体の三〇パーセント、一〇パーセントにもならないというのです。 それで、今まで十分の一を中心として献金してきたのです。それゆえ、信仰生活は、十分の一献金をしなければならないようになっています。十分の一献金を、自分の生活のどのようなものよりも貴く思い、給料をもらえば、そこから汚していない清いものとして捧げるのです。もし、もらった給料のお金が新しいものでなければ、新しいお金に替えて献金しなければなりません。精誠を尽くして十分の一献金をする人は、滅びません。そこには、必ず天運が従ってくるのです。サタンがついて行くことはできません。ですから、十分の一献金が必要です。 それゆえ、信仰生活はすべて、物質的条件、それから精神的条件です。自分の貴いものを捧げなければなりません。自分の生命の代わりに貴いものを捧げるので、自分の家庭において最も愛する貴いものを天の前に捧げなければならないのです。十分の一は神様のものとして、十分の九も自分のものではなく、自分の家庭と国と世界にすべて残していくのです。 すべてを自分の息子・娘に残してあげれば、争いにしかならないのです。そのような世界になります。だんだんと相続がなくなるのです。これからは、公人として生き、人の所有するものは、国家の所有として主体的に捧げる時が、おのずと来ます。何のことか分かりますか? 自分の息子・娘に与えるのではないのです。忠臣は息子・娘に相続させるのではなく、国に相続させるのです。国に捧げなければなりません。そのような時が来るというのです。 ですから、自分が天から祝福を与えられて豊かに暮らすということは、天が国に与えるものを代わりに分割して私に与えたということであり、国のものとして、国の人として私に与えたものなので、自分がこの地上で生きて、逝く時には、国のものとして捧げてから逝かなければならないのです。 アメリカはよく見てみると、自分の息子・娘に相続させずに、公的な社会に寄贈する人が多いのですが、それは、御旨の中で一つの不可避なことなのです。先生も同様です。先生にお金ができれば、息子・娘のために準備するのではなく、すべて国と世界のために使うのです。先生が世界のために使うということは、自分の国と世界の未来の子孫のために準備するということです。 ですから、統一教会の教会員で言えば、先生が息子・娘を考えずに、先にそのようにしてくれたので、食口の皆さんは、先生の息子・娘を食べさせてあげ、保護する責任があるのです。 なぜですか? 天使長がアダムを育てることができるのです。アダムを保護して育成するのは、天使長の責任です。ですから、教会員である皆さんは、カインの立場であり、天使長の直系の息子・娘と同じ立場なので、統一教会の息子・娘が幸福に暮らせるか暮らせないかという事実は、皆さんが保護するか否かにかかっているのです。 皆さんが正しく保護することができなかったので、先生の家庭がめちゃくちゃになったのです。それが分かりますか? (「はい」)。このことを祝福家庭が、口を開いて不平を言うのですか? 先生の息子・娘は、いくらサタンが連れていったとしても、先生が行って、取り戻してくることができるのです。分かりますか? 今もそうではないですか? 興進君と榮進君と喜進君と惠進嬢です。一人の娘と三人の息子が逝きました。三人の息子です。息子も、三タイプの息子が逝ったというのです。エバ・母と、三時代の三人の息子です。これは、数もぴったり合うのです。彼らを全員祝福してあげました。 惠進は八日目に逝きました。今まで世の中で、数多くの赤ん坊が霊界に行きましたが、そのような赤ん坊に祝福という言葉があり得ますか? あり得ません。真の父母が来て、サタン世界の血統を断ち切り、蕩減条件を立ててすべてを解消したので、霊界の祝福を受けた家庭を中心として、赤ん坊で早く死んだ人たちは、十六歳……。父母たちがために生き、家庭において赤ん坊が生まれた日を記念してあげれば、霊界で成長するというのです。精誠を尽くして成長するようにしてあげ、そしてまた、何代かの善なる先祖たちがいれば、先祖管理圏内で育てていくのです。そのような年齢で十六歳以上になった人たちをすべて、霊界で祝福しました。数百億名になるでしょう。 真の父母が来て、一九五二年にはすべて終わる また、既成祝福もしてあげました。三十六家庭を見れば、既成家庭がいます。自分勝手に結婚した人です。その次に、第二家庭です。これはノア家庭です。ノアも半分しか定着することができませんでした。地において条件だけを立てたのです。ノア家庭と同じような人たちがいるのです。結婚式を挙げて暮らすことができずに、因縁だけを結び、その後に別れた人たちがいます。好きなように暮らして条件だけを立てたのであって、家庭で息子・娘をもつことができなかったのです。ノア家庭のように半分しか成立していないその家庭が、第二家庭であり、第三家庭は、純粋な善男善女です。その第三家庭は、ヤコブ家庭です。ヤコブ家庭の十二人の息子・娘が定着したので、これが歴史的な家庭を中心とした先祖の基盤です。 自分勝手に結婚した人、約婚、結婚と同じ立場に立った条件的結婚のような人、そして、ヤコブの十二支派が定着したように地上に定着した家庭があるのです。ですから、三十六家庭の中で、中心は何かというとヤコブ家庭です。善男善女が中心です。分かりますか? 既成家庭は旧約時代と同じであり、それから、中間の家庭、契約結婚は新約時代と同じです。アメリカでは契約結婚するように、すべてそのようになっていくのです。新約時代と同じです。成約時代は、善男善女を中心として定着するのです。 しかし、既成家庭でも、契約家庭でも、善男善女の家庭でも、天から祝福を受けて地上で家庭を築いて暮らすことができるという道理はありません。それは、真の父母が来て、天の法を新しく解き明かし、解説し、サタンがついてくることができないように分別して、安着することができるように環境与件をつくったので、家庭が楽園を経ずに天上世界に行ったとしても、讒訴できないのです。今までサタンは、楽園世界以下、国家基準以下にとどまっている霊人たちを、地獄に行って自由に処断することができたのです。 しかし、先生はこれを乗り越えました。既成家庭、それから契約結婚、それからヤコブのような家庭、このすべてが定着したのです。家庭で見れば、旧約時代が既成家庭、新約時代が契約結婚です。最近、アメリカで契約結婚をするでしょう。暮らすことは暮らすのですが、家庭を嫌い、息子・娘を嫌うのです。息子・娘がいないのです。家庭がないのです。そのような者たちです。定着してヤコブの十二支派編成をしたようになり、そのすべてが一つになって、神様に捧げることができるようにならなければなりません。それが三十六家庭です。 三十六家庭では、カインとアベルが一つになっていません。それで、カインとアベルが一つになることができる条件を立てたのが、七十二家庭です。七十二家庭を中心としたものが、モーセを中心としたイスラエル民族です。エジプトから帰ってきたイスラエル選民が、七十二長老です。それゆえ、十二家庭から七十二長老の位置に上がり、イエス様が来て百二十、そのようになるのです。十二支派の還元です。十二数を中心として、挙国的な基準において百二十門徒です。五旬節で、イエス様を中心とする百二十門徒の前に、聖霊が降臨しました。父であるイエス様が天上世界に上がっていったので、母である聖霊が地上に来て、赤ん坊を出産する苦労をするのです。 ですから、聖霊降臨以降のキリスト教の歴史というものは、地上の基盤がない霊的基準です。それゆえ、今まで霊的な国だけをもってきたので、世の中に国家基準、定着した国がありません。しかし、イスラエル民族の時には国がありました。教会中心の国があったのですが、今までキリスト教には国がありませんでした。放浪者です。 それゆえ、ローマに行っても、どこに行っても、迫害を受けて血を流したのです。垣根を崩すためには、血を流さなければならないのです。イエス様が血を流したので、イエス様が完成したその後について行こうとすれば、民族的基準に行こうとすれば、血を流して越えていき、すべての民族が血を流した祭物として、奉献されなければならなかったのです。蕩減条件を立てて、国家基準を越えていかなければならないのです。 その国家基準を越えたものが、英米仏です。第二次大戦を中心として、英米仏と日独伊です。内容がぴたっと同じです。エバ国家であるイギリス。サタン側の世界のエバ国家である日本。ヒットラーは、日本がアジアで大東亜戦争を起こして、六か月以内に覇権を握ると、「ああ、あの日本と一つになれば世界を飲み込める」と考えて、日独伊同盟で枢軸国となって戦いました。それとちょうど同じです。 イギリスが母の国であり、イギリスが産んだのがアメリカで、フランスが天使長国家です。第二次大戦において、キリスト教文化圏である連合国が勝つことによって、連合国の基盤のうえに再臨主が来るようになっているのです。イエス様は死ぬことによって、霊界を統一し、地上の統一圏を成し遂げることができませんでした。それゆえ、失ってしまった国家基準を世界的基準において連結することができる、そのような基盤のうえに真の父母が出てこなければならないのです。真の父母です。 再臨主が来て、これを七年で、一九五二年になれば、すべて終わるというのです。七年以内にすべて祝福です。旧教、新教が反対せずに、祝福の道理……。今、あなたたちが学んでいるこの御言、今、平和大使のような人たちに、郭錠煥が国を訪ねて一日ですべて教えてあげ、祝福までしてあげる、そのような能力、武器の中で、これ以上に恐ろしい武器はありません。何のことか分かりますか? 今まで、何十年、何千年、苦労して祝福の峠を訪ねてきた歴史を、一日で、国全体を祝福することができる時代に入ったのです。今は、天下を収拾しやすい段階に入ってきているのです。分かりますね? まだ霊界と肉界がすべて祝福されていません。それで、霊界の祝福と地上の祝福を行います。地上がアダム圏であり、天上世界が天使長圏です。先祖は今まで天使長圏にいました。なぜ、先祖が天使長圏だったのかというと、アダムが堕落した十六歳以降の体には、サタンの体が連結され、人類を繁殖したからです。それが人類の先祖だというのです。それで、真の父母が十六歳から蕩減の役事をし、世界的な勝利的覇権を占領したのです。先生がそれをすべて切ってしまい、天使長の立場、昔のアダムと同じ十六歳の年齢時代に、接ぎ木して、先生の代役者としての男性として立ててあげるのです。天使長には相対がいません。 堕落したエバの願いの中の願い 皆さん、祝福を受けた人たちは、自分が優秀で祝福を受けたのではありません。自分の妻を通して血統復帰したという条件を中心として、先生が十六歳以降から今までの勝利的覇権の役事を切って、接ぎ木してあげたのです。接ぎ木されてから三年間、母に侍らなければなりません。自分の妻が自分を生んでくれたのです。自分を生んでくれたというのです。妻が自分を生んでくれなければ、男性として現れる時がありません。 生んであげて、母の代身、姉の代身、妹の立場で、自分が保護してあげ、天使長が保護することができなかったことをすべて蕩減して、保護してあげることによって、初めて……。最初に祝福を受けた者は、三年ではなく、七年間、暮らすことができませんでした。蕩減条件を立てていかなければなりませんでした。最近は、どれほど便利になりましたか。 これは、世の中でもそうではないですか。戦勝国家が、その国の責任者を捕まえて刑場で殺してしまうのですが、赤ん坊と妻たちは残しておきました。分かりますか? それをなくしてしまうことはできません。怨讐の世界に行って、僕として過ごしながら……。僕として過ごすのも悪いことではありません。天の血族がいないので、忠臣の中の忠臣のようになれば、その国の忠臣たちが妻にし、妾にして、血筋を残すようになるのです。そのように種を取らせてでも、摂理歴史をはぐくんできたのです。 それゆえ、僕の僕から始めて、上がっていくのです。だれがその僕から上がっていくことができるのでしょうか? 今まで女性たちがそれを蕩減してきました。僕として蕩減した女性と蕩減された息子・娘を立てて、その息子・娘の立場を継ぎ、また、母が八段階を経て解放させてきたというのです。 あなたたちが三年という期間をおいて出会うというのは、蕩減役事の過程にあるということです。自動的になされたのではありません。これを自分勝手にしたのではありません。それをすべて蕩減しなければなりません。このようにふさがっているものを、交差したものを平行線にしなければならないのです。だれがこのようにしたのですか? 自分たちでは、永遠にできません。これをすべて解放してあげなければならないのです。女性たちがこのようにするのは、お母様の分身だからです。 女性を一人として見るのです。一人です。また、アダムも一人として見るのです。来られる再臨主はアダムです。一人のアダムです。アダムのすべてがアダムではありません。天使長の息子・娘です。分かりますか? 女性も一人です。キリスト教は何かというと、新婦の宗教でしょう。「新郎よ、来てください」と言っているのです。キリスト教自体が新婦宗教です。新郎がいません。牧師たちは天使長の立場なので、終わりの日にすべて蹂躙して、ホモになる者もおり、問題を起こして破壊するのです。 それゆえ、神様が訪ねられるのはエバだというのです。では、世界六十億人類の中の、三十億のエバは、だれの相対圏かというと、来られる再臨主です。分かりますか? 女性たちがもっているすべてのものを、だれに捧げなければならないのかというと、自分の夫の前に捧げなければならないのです。すべてのものを女性たちがもっています。終わりの日には、すべて女性たちが占領するのです。占領して何をしようというのですか? 新郎に……。 新郎が堕落することによって、すべて引っ繰り返ってしまいました。新郎は来る時に、お金や国や世界をもってくるのではありません。体だけをもってくるのです。体です。一人の新郎として来るのです。一人の新郎が何をもって来るのですか? 真の愛をもって来るのです。 では、再臨主が来たとすれば、世界の女性たちはみな再臨主を思慕するのです。だれよりも愛さなければなりません。恋煩い以上です。「先生に会うことができなければ、死ぬ!」。このようになるのです。男性までも、先生に会いたくて泣かなければなりません。それはだれかというと、男性にとっては、自分の父親なのです。神様の代身であり、兄の代身であり、最も愛したい叔父の代身なのです。 世の中は、二人を失ってしまいました。ですから、男性であるアダムがこの地に来る時には、一人の女性を世界の中から選ぶのです。世界の博物博覧会のようなところで一等になることのできる新婦を選ばなければなりません。それで、八十代の老人から、七十、六十、五十、四十、三十、二十、十代まで下りていくのです。それゆえ、十二歳になれば、統一教会の教会員は、「先生のような夫をもらおう」と考えるのです。八十の老人も、霊界から「おまえの新郎はだれかというと、真の父だ!」と教えられるのです。 女性は、真の父に出会うことができなかったのではないですか? 真の男性を見ることもできず、慕うこともできませんでした。ですから、真の父である男性を、すべての女性たちが慕うようになっているのです。それゆえ、夫と仲良く暮らすことができず、浮気し、たたかれ、冷遇され、踏みつけられ、そのように暮らしてきたのです。 ですから、理想的夫、理想的家庭、理想的息子・娘を待ちわびてきたのです。それが堕落したエバとしての、何千万年の歴史を経ながら願ってきた、願いの中の願いです。そのような時が、間違いなく来るのです。また、夫が浮気もするのです。フリーセックス、ホモになり、あらゆることをすべてします。動物よりももっと悪くなるのです。そのようになる日には、地獄で滅びるというのです。 しかし、統一教会の先生が来て、女性が純潔を守り、そして、行かなければならない道をはっきりと教えてあげるのです。いくら先生を恋い慕い、「恋しくて死にそうだ」と言ったとしても、むやみやたらに対するのではありません。あくまでも妹です。妹として育てて、約婚し、約婚しても思いどおりにはしません。結婚して、母となり、母だけではなく、おばあさんとなるのですが、それだけではありません。女王の立場にまですべて育て、行くことができるようにするのです。 それで、皆さんが祝福を受けて、きょうのような総蕩減をして越えれば、女王の立場に行くのです。昔の女王と、今日の皆さんのような女王の立場を考えれば、今、どれほど文化的生活をしていますか。インターネット、電子メールが出てきて、世界のどこに行っても、座っていて世界と通じ得る時代が来ました。 世界で最も高い山が何かというと、ハワイのマウナ・ケアという山です。六千メートルの海底から山になっていて、地上では約四千二百メートルですから、約一万二百メートルになるのです。エベレスト山が、八千、何メートルですか? (「約八千八百メートルです」)。約八千八百メートルにしかならないというのです。海底がその山の根拠になっているのです。エベレスト山は、陸地を根拠として測ったのではないですか。水面でしょう。海抜何メートルになるのかというのです。マウナ・ケアは、海中に六千メートルも埋もれています。それゆえ、最も高いというのです。やあ! 私がよく見てみると、神様は本当に理想の願望が強いのです。なぜ、ハワイ島を海洋摂理の終着点にされたのでしょうか? 最も高い所だからです。 そのままでは堕落性は脱げない お母様が立派だというのは、顔がきれいだからということではありません。目が四つあるわけでもなく、歩んできた歴史が違うのです。お母様になるためには、三代が一人娘でなければなりません。三代にわたって娘が一人でなければならないのです。(お母様のほうを向かれ)そうでしたか? (拍手) 男性がいても、一人息子まではかまいませんが、二人以上はいけないということです。なぜですか? 親族が多ければ、「統一教会のお母様だ」と知れば、どれほど……。韓国の歴史において、妻たちには政治のにおいも嗅げないようにしたでしょう。女性たちは煩わしいのです。女性の親族のために、苦しむ人が多いのです。これがしがみついて、どろぼうを働き、あらゆることをして滅ぼしてしまうのです。お母様も、兄弟がたくさんいるのではありません。本来は、七代の一人息子、一人娘です。そのような家系を選ばなければならないのです。 思いどおりにどのような女性でも引っ張ってきて、お母様にすることができますか? すべて天の条件に合わなければなりません。宗教でも、三つの宗教を革命し、峠を越えて、「再臨主は人として来る」と言って、何十年の伝統が立っていなければなりません。そのようなことをお母様の母親である大母様がしたのです。新イエス教から、鉄山の聖主教、その次に腹ポク中教、三つの教派をすべて革命してきました。そのことはみな知りませんが、そのようなことを考えるとき、お母様を捜し出すのが、簡単だったでしょうか、困難だったでしょうか? 統一教会でこのことを知らない人は、「自分がお母様になる!」と思って、先生を誘惑しようとして大騒ぎしたのです。この女性たちが、どれほど激しく騒いだのか知っていますか? 先生は、その女性たちの思いどおりにはなりません。(笑)ああ、本当です。純潔を守らなければなりません。そのようなことは、詳しく話しません。霊界に行けば一日で教育できるのですが、ここでは何年かけて説明しても終わりません。ですから、教えてあげません。分かりますか? 霊界に行って一度だけ光を発すれば、すべて終わるのですが、ここで話をすれば、何十年かかっても、その解説は終わりません。 天機漏洩という言葉があります。天の国の秘密を、何も分からない人に教えてあげれば、大きな問題が起きるのです。それゆえ、神様は、すべては教えてくれないのです。最近の興進の報告によれば、そうではないですか。イエス様の十二弟子から、キリスト教史の有名な人たち百二十名がすべて出てくるのですが、その人たちはみな、「神様が自分の父母だ」ということを知らなかったのです。また、尋ねたとしても教えてくれません。深刻に尋ねると、神様はいなくなってしまいます。答えてあげるようになっていないのです。そのような秘密の話、天の国の秘密や歴史の秘密の話は、真の父母が解決するようになっているのであって、神様は分かるように教えてあげてはいけないようになっているのです。 この者たち! 女性たち! この女性のために、どれほど私が悪口を言われましたか! では、女性たち、「先生を好きではない」という人は手を挙げてみなさい。「好きだ」という人は手を挙げてみなさい。恥ずかしくありません。統一教会の男性たちは、先生が女性たちを動員しても、身動きすることができず、じっとしているのです。ご飯を一人で食べて、赤ん坊の面倒を見ても、黙っているのです。物請いをして食べても、不平を言ってはいけません。何のことか分かりますか? (「はい」)。天使長の分身の立場として、先生がそれ以上に苦労して自分を生かしてくれた歴史の恩徳に報いるためには、いくらあぜんとしても、本心が反対できないのです。それを喜んで消化することができる歴史的事実があるのです。 あなたたちは口を開けば、「あの人は善いか悪いか」と評価しようとするでしょう。「私よりももっと知っているか、知らないか?」と。あなたたちが何を知っているというのですか? 神様を知っていますか? 霊界を知っていますか? 最も貴いものを何も知らずに、知っているふりをして、しっぽを振り、頭を振り、何がハーバードですか? エールでも何でも、すべて偽りの群れです。そこには、神様の息子・娘は一人もいません。地獄に行く群れです。アメリカも同じです。大革命が起きて、引っ繰り返らなければなりません。 自動的に善なる女性になると思いますか? 「この女性たち! 間違っている! なっていない!」と、気合を入れてあげなければなりません。ただそのままでいて、堕落性が脱げていくと思いますか? アメリカの女性たちは、ハンバーガーやチーズを好むでしょう。日本に宣教師として行っていた二人が、約一年半ぶりに帰ってきて、飛行場に着くや否や飛び込んでいった所が、マクドナルドです。それからチーズ、ケーキ……。何年間の習慣でも、そのように難しいのに、堕落性は何千万年です。堕落性の習慣が染みついているのに、それが一日、二日で、脱げると思いますか? きょうは、解放して祝福をしたので、女性たちを称賛しなければならないのに、なぜこのように……。大きな木の板に、太い釘が打ち込まれているのですが、これを抜くことができません。そのままでは抜くことができないのです。抜こうとすれば、ドンドンとたたいて、初めてサッと抜くことができるのです。分かりますか? あなたたちの思うとおりに、そのままにしておいてはできません。そのままでは(堕落性は)脱げないというのです。何のことか分かりますか? お父様が言う観念が分かりますか? それを知らなければなりません。それゆえ、今からあなたたちを修練所に送って、訓練しなければなりません。天国に行って、私はそのような姿に会うことはできないのです。 CIA(アメリカ中央情報局)は、「レバレンド・ムーンは女性を好む」と思って、「レバレンド・ムーンを誘惑しろ」と探偵を送ったのですが、その二人が発見されて追い出されました。日本でもそうでした。「レバレンド・ムーンは色魔で女性を好むから、美人なら間違いなくついてくる。行ってやってみなさい」と、送ってきたのです。通じません。 お母様は、それを知っているので、私を信じています。分かりますか? (「はい」)。お母様の目から見て、自分よりも美人だと思う人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いると思います」)。その女性に対して、少しでも先生の目つきが違えば、気分が良いでしょうか、悪いでしょうか? なぜ、笑うのですか? 答えてください。率直でなければなりません。 あなたたちも、自分の夫よりも立派な男性がいれば、その男性のところに行って、「ご飯でも食べさせてもらいたい」という思いがありますか、ありませんか? どうしてないのですか? 統一教会に入ってきてお化けになったから、そうなのでしょう。(笑)原理を知り、統一教会の教会員になったから、ないのであって、どうしてないことがありますか? 私が最も頭の痛いことが、霊界を整備すること 今から霊界に行って、私が最も頭の痛いことが、霊界を整備することです。行って間違いなく、この者たちをすべて整備しなければなりません。先生が原理を知っているその基準を中心として知っている人がいなければ、私一人から、二人、三人と接ぎ木していかなければなりません。再び接ぎ木していかなければならないのです。全員が霊界(天国)に行けると思ってはいけません。 では、霊界には、あなたたちだけで行きますか、先生について行きますか? (「ついて行きます!」)。私は、ついて来られるのは嫌です。今までついて来られ、どれほど心を痛めたことでしょうか。あなたたちは、心を痛めていないでしょう。 するべき仕事が明らかに残っているのに、おなかがすけば、「おなかがすいた。ご飯を食べさせてくれれば働く」と言っているのです。自分たちが今までしてきたことを考えてみなさい! 先生が「おなかがすいたから、監獄に行くから」と言って、「嫌だ」と言っていたら、どうなるでしょうか? 千尋、万尋の山を越えなければならず、海を渡っていかなければならず、荒野を渡っていかなければならず、そこに鰐の群れがいないでしょうか? 蛇の群れがいないでしょうか? 千辛万苦して、今日、顯進君……。 あなたたちは、先生が完成したと思いますか、できなかったと思いますか? (「完成したと思います」)。あなたたちはどうですか? (「完成できませんでした」)。いつ完成するのですか? 地上で完成できなければ、霊界に行って問題が起きるのです。ここでは、そのままかもしれませんが、あそこでは、光を発するのです。発光体です。 電灯の光が少しでも明るければ、視線はそちらに行くでしょう。すべて分かるようになっています。自分の濁った電灯の姿でいいのですか? ここに百ワットのものがあるのに、十ワットでよいのですか? それは千個あったとしても、ないのと同じです。それを知らなければなりません。 自分の功績がなければならず、自分の何か誇るものがなければなりません。町内でも、もっているものがあり、家門もよければ、町内の人がみな称賛し、思慕し、基準にするでしょう。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。 では、皆さん、先生に対して、「真の父母」と言ってみなさい。(「真の父母!」)。真の父母という方は、どのような方ですか? 真の父母に侍ってみましたか? アメリカの人たちは、父母にも侍らず、夫を嫌い、兄弟にも侍ることができないではないですか。 真の父母になろうとすれば、息子の中の息子になり、娘の中の娘にならなければならず、夫の中の夫、妻の中の妻、父の中の父、母の中の母、おばあさんの中のおばあさん、おじいさんの中のおじいさん、王の中の王、女王の中の女王にならなければなりません。そのようになりましたか? そのようになって真の父母に侍っても、天の国に行って百点にはなりません。 それでは、「先生が神様に侍って暮らす生活とは、どのようなものだろうか?」と考えてみましたか? 神様が先生のおしりについて回られるのでしょうか、先生が神様のおしりについて回るのでしょうか? 尋ねているではないですか? (「神様がついて回られます」)。見たのですか? それは、うそですか、事実ですか? 「それは、うそではなく、事実だ」と言う人は、狂った人です。世の中に、そのように言う人がどこにいますか? しかし、それはそうだというのです。 いくら立派な父母だとしても、息子が放蕩児になり、堕落した……。聖書に「堕落した放蕩息子」の例え話が出てくるでしょう。父母は、追い出したとしても、その追い出した息子を、そばにいる息子・娘よりも、もっと考えるというのです。分かりますか? 間違ったことを悔い改めて、自分のところに帰ってくることを、千年の恨以上の切実な心で思っているのです。ところが、息子は百年たっても、「父親は嫌いだ!」と言うのです。 それは、地獄に行かなければなりませんか、どのようにしなければなりませんか? 地獄がなければなりませんか、地獄があってはいけませんか? 地獄がなければ、正す道がありません。父親が父親の役割を果たすことのできる方法がありません。そうではないですか? 今からは、先生に従ってくることを嫌うというのです。祝福中心家庭ではないですか。祝福中心家庭は、先生の家庭の代身です。 先生はかわいそうな人です。離婚した前妻までも祝福してあげなければ、行くべき道を行くことができないのです。それを知っています。神様も同様です。約束したことを成し遂げることができなければ、行くことができません。お母様も、そのようなことはよく理解できません。最近は、話をしたので理解できます。 どれほど悔い改めなければならないか知らなければならない では、先生が神様をより必要としますか、神様が先生をより必要とされますか? (「神様が先生をより必要とされます」)。なぜですか? 神様は、サタンを屈伏させることができません。それを知らなければなりません。神様は、サタンを屈伏させることができないのです。サタンを屈伏させるのは、レバレンド・ムーンでなければならないのです。分かりますか? サタンを屈伏させる時までは、レバレンド・ムーンにお願いしなければならないのです。 では、あなたたちは、神様よりも優れていますか、優れていませんか? アメリカの優秀だという人たち、あなたたちは、神様よりも優れていますか、劣っていますか? (「劣っています」)。劣っているでしょう。劣っているので、神様もそのようにレバレンド・ムーンを好まれるとすれば、あなたたちは劣っているので、神様よりももっとレバレンド・ムーンを好まなければならないという論理になるのですが、そのようになっていますか? どれほど差があるかということを知らなければなりません。あなたたちが、どれほど悔い改めなければならないのかということを知らなければなりません。 このような場に参席して、「私はいついつ、このような全体蕩減解怨式に、神様が共にあって真の父母が祈祷する時に同参したので、私は万歳だ。ははは……」。それは通じません。ここは恐ろしい場です。分かりますか、分かりませんか? (「分かりました」)。悪口を言われるのがいいですか、あの果物を食べるのがいいですか? (笑)果物の話をするので、笑い声が聞こえますね。これは、霊人たちのために準備しておいたのです。霊人たちを接待しようと考えましたか、考えていませんか? ああ、尋ねているではないですか? (「考えませんでした」)。どれほど差がありますか。 真のご父母様がいくら適当に対しても、「やあ、ありがたい。感謝だ」と言うべき場なのです。あなたたちが霊人世界のために、自分で一つでも買って供えることができなかったことが、恨であり、「申し訳ない」と思わなければならないのではないですか? それなのに、もらって食べようというのですから。いつもそのような乞食になってよいのですか? 八十を越えるおじいさんが真の父母だというのですが、一度も孝行してみることもできずに、老いて死ぬまでこき使うのですか? この者たち! この女性たち! この男性たち! 両班ですか、下衆ですか? (「下衆です」)。下衆なのですが、一人では滅びるので、相対をつくってあげたのです。分かりますか? 一人では滅びるというのです。妻が少し優れていれば、後ろを振り返り、夫が少し優れていれば、行きながらも後ろを振り返り、一緒に行こうとするので、サタンから守られるのです。そのことを知らなければなりません。 最も恐ろしいのが、統一教会の祝福を受けた一双です。これを永遠に別れさせ、闘って怨讐になるようにさせたいと思っても、この男性と女性たちは、夫を連れていこうとし、女性を連れていこうとし、一緒に行こうとするのです。あなたは、一緒に行こうと思いますか? 一緒に天国に行きたいですか? アメリカの女性たち、どうですか? あなたたちも、夫と一緒に天国に行こうと思いますか? (「はい」)。では、どのくらい思いますか? 神様は、アダムとエバが、雨が降っても、風が吹いても、世の中に戦争が起きてこの地球が壊れても、このペアが千年、万年、壊れないことを願われたでしょうか、願われなかったでしょうか? 考えてみてください。神様が家庭を中心として、どれほど考えられたでしょうか? 革命をしなければなりません。天が地になり、地が天にならなければなりません。分かりますか? (「分かりました」)。本当ですか? (「はい!」)。永遠にですか? (「永遠にです!」)。あなたたちを信じることはできません! どのくらい先生に従っていきますか? 約婚して夫について行き、ホテルの部屋を二つ取りますか、一つ取りますか? では、寝る時に、ベッドを二つ置いて寝ますか、一つ置いて寝ますか? 尹博士! (「二つです」)。何年間ですか? 七年間そのように暮らしましたか? 七年間です。蕩減路程です。七年間そのように暮らした家庭で、祝福を受けることができずに、霊界に行った人たちがいます。私が行くや否や、祝福してあげようと思うのです。その息子がいるのですが、母親が先に霊界に行き、一人でかわいそうに暮らしています。その息子を私が助けてあげようと思うのです。 そのようなことをするために、先生が苦しいでしょうか、苦しくないでしょうか? 財布にお金が残るでしょうか、残らないでしょうか? つらい生活です。このようなことがすべてついて回って……。乞食の王が良いですか、悪いですか? 殺すことができずに、連れて歩くのです。行けば、いつも問題を起こして……。 霊的に見れば、「去年行った乞食が、死なずにまた来た」と。物請いするために俗謡を歌う人よりも、優れていると思いますか、劣っていると思いますか? 適切な時、還暦の日や誕生日に訪ねていき……。他の村の祝宴の家で鶏をもらおうとすれば、鶏の足でも持っていって、その家の犬に食べさせ、それからもらって食べるのです。そうすれば、犬がほえないのです。犬もほえて主人もほえれば、どこに行ってもらい食いするのですか? 伝道しようと思えば、そのように考えなければなりません。自分を中心にして伝道しようというのは、悪い者でしょう。みな喜ばせてあげなければなりません。 さあ、来て分けてあげてください。白人は白人に、日本の女性は日本の女性、韓国の人は韓国の人に分けてあげてください。「ああ、生涯に一度、パイナップルを丸ごと食べることができれば」と思う人、食べてみたことがない人、手を挙げなさい。一人もいませんね。それではやめましょう。 夜、市場で、主人が三分の一の物をただで分けてあげれば、その翌日はよく売れるのです。それは宣伝になるのです。分かりますか? その翌日、分けてくれると思って集まった人々に、「きのう、すべて分けてあげて元金もない」と言えば、一度にすべて売れるというのです。商売をするにおいても、千万種類の方法があります。 研究開発しなければなりません。分かりますか? 生涯、自分のやり方で伝道するのですか? 闘いながら、伝道することもできるのです。(「立ったままで敬礼をお捧げいたします。天地父母様に敬礼をお捧げいたします。敬礼!」)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.10.04
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2025.2.17 付で真の父母様宣布文サイトから以下の新着がありました。祈祷の締めくくり「ホーリー マザー・ハンに侍る」について掲載しました。祈祷の締めくくり「ホーリー マザー・ハンに侍る」について【質問】2025年1月31日(天一国13年天暦1月3日)、祈祷の締めくくりが「ホーリー マザー・ハンに侍る祝福家庭」となったことについて、どのように理解したらよいでしょうか?【上記の質問に対する見解】 この度、「ホーリー マザー・ハンに侍る祝福家庭の名」を通して祈る時代が来ました。かつて、私たち信徒および祝福家庭は、「真の父母の名」を通して祈る時代がありました。その後、真の父母様は、祝福中心家庭の名を通して祈る時代を宣布されました。 私たち祝福家庭の名で祈るという点においては、今回においても変わっていません。 さて、真のお父様は1994年11月27日に、次のように語られました。 「お母様を中心として皆さんが一体になっていかなければならない時が来ました。もう先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾したというのです。お父様がいない時は、お母様のことを思わなければなりません。これからは可能な限り、いつでも、どこに行ったとしても、子供たちを中心として家庭と家庭がつながることを、お母様がたくさん行うでしょう。そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、祈祷もそのようにするのです。 今までは先生を愛してきましたが、これからはお母様を愛さなければなりません。これからはお母様の時代に入っていくことを理解して、特に女性たちはそのようにしなければなりません。ここにおいて、先生が第一教主であれば、お母様は第二教主であると世界的に宣布し、天地に宣布します」(「マルスム選集」265-310) このみ言で分かることは、これからは「お母様の時代に入っていく」ということです。そういうお母様の時代圏においては、「先生がいなくても、お母様が代わりにできる特権を許諾した」と語っておられ、お父様は「そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、祈祷もそのようにするのです」として、「ホーリー マザー・ハンに侍る祝福家庭」の名で祈る時代が到来することを、あらかじめ語っておられたと言えます。 実は、コリント前書12章3節において次のように述べられています。 「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」 この聖句について、聖書注解書は次のように解説しています。 「偶像の背後には見えない魔物の霊がかくれていて、……神の霊、聖霊によらなければ、だれも《イエスは主である》とは言えない」(『新約聖書略解』482ページ) 初代キリスト教会時代において、イエス・キリストにつながるには、聖霊によらなければならないことを明確に打ち出しているのです。すなわち、その当時「見えない魔物の霊」の惑わしによって、イエス・キリストに正しくつながることができない霊的な混乱が起こっていたためです。 ところで、現在、家庭連合の信仰において、勝利された人間始祖の立場である「人類の真の父母様」に正しくつながらなければならない時代を迎えています。それは、人類の真の父母は永遠に一組であり、それは文鮮明・真のお父様と韓鶴子・真のお母様しかおられないということを明確にしなければならないということです。 初代キリスト教会において、イエス・キリストと聖霊の一組が「霊的真の父母」であったように、今現在、私たち家庭連合においては、実体の真の父母は文鮮明・真のお父様と韓鶴子・真のお母様の一組しかおられないことを明確にし、天苑宮・天一聖殿入宮の時を迎え、全人類が天の父母様に実体で侍るに当たり、真の父母様の実相を証ししなければならない時代圏が来ているのです。 ただ単に「真の父母」と表現したとしても、「偽りの真の父母」に従っては、天の父母様の怨讐となってしまいます。しかしながら、その天の父母様の怨讐が現れるようになってしまったのです。UCI・FPA(いわゆる「郭グループ」)では、文顯進・郭全淑夫妻が真の父母であると宣言しています。また、サンクチュアリ教会では、姜賢實氏を真の母にすげ替えて、真の父母だと宣言する状況に至っています。これは人類歴史上、あってはならないことです。 「人類の真の父母」は永遠に一組であり、それは勝利した人間始祖の立場である文鮮明・韓鶴子ご夫妻しかいません。この事実について、真のお父様は聖和される約4か月前の2012年4月21日の「特別集会」において、次のように宣言しておられます。 「創造主の資格をもって、最後に万王の王と父母の先祖の中の先祖となりうる勝利の覇権の栄光の宝座に座る人は、億千万代においてただ一つの夫婦(文鮮明・韓鶴子夫婦)であって、二つはいません」(「KMS中和新聞」2012年4月27日号) すなわち、文鮮明・韓鶴子ご夫妻しか「人類の真の父母」はいないことを明確に宣言しておられるのです。ところが、この宣言に対して〝反逆〟しているのがUCIであり、サンクチュアリ教会などの非原理集団です。彼ら非原理集団も、祝福中心家庭の名で祈っています。彼らは、彼らなりの「偽りの真の父母」を掲げ、そのように祈っているのです。 ゆえに、これらの非原理集団の振る舞いに惑わされないようにするため、初代教会が「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』と言うことができない」と告白したのと同様に、今や私たち家庭連合における祝福家庭においても「ホーリー マザー・ハンに侍る祝福家庭」と告白することで、「人類の真の父母」は永遠に文鮮明・真のお父様と韓鶴子・真のお母様の一組しかおられないことを闡明(せんめい)する時代が到来しているのです。 すなわち、天の父母様を実体で侍る〝摂理の完成〟であり〝人類歴史の完成〟と言われる天苑宮・天一聖殿入宮式を迎えるにあたって、その勝利圏と信仰を明確にしなければならないために、私たちは「ホーリー マザー・ハンに侍る祝福家庭」として、天一国の一つの共同体であることを明確にするのです。 そのような意味から、今回の祈祷の締めくくりの文言は、極めて重要な信仰告白であると言えます。お父様は、このような時代が到来することを予見され、「そのように理解して、先生の代わりにお母様に侍る心を持ち、祈祷もそのようにするのです」と語っておられるのであり、このみ言を受け、今回、祈祷の締めくくりの言葉が「ホーリー マザー・ハンに侍る祝福家庭」となったと理解することができます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.02.18
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交差祝福で恩讐超えよ2003.03.05文鮮明師、中東平和イニシアチブでスピーチ 世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)の創設者・文鮮明師は2日、ワシントンで開催された国際会議「中東平和イニシアチブ―共存を超え新平和文化に向けて」(主催・IIFWP)の最終セッションで、テキストを見ず、自由に参加者に語りかけた。以下はスピーチ抜粋。 172人のあらゆる分野のトップリーダーたち。どんな組織に属していようが、チャンピオンになりたいか、最後になりたいか。(「チャンピオン」と答える)それでは、172カ国のチャンピオンになりたいか。神を中心とした先祖や聖人、60億人類の中で、チャンピオンになりたいか、最後になりたいか。 私を見てハンサムだと思うか、ぶ男と思うか。だれでも世界で一番の美男子、美人になりたい。みんなそうなれるのだが、そうなりたいか。その秘密を知りたいか。 神様さえできないこと、信じられないことをやるという確信があるか。もしあるならば、どんなことをやったとしてもチャンピオンになれる。現在、過去、未来の世界のチャンピオンになれる。 自分の配偶者が自分より優れていることを願うか、劣っていることを願うか。 それでは、夫と妻とではどちらが主体か。中心はどちらか。(「Not easy」という答え )それが問題だ。 この世界に、神が本当に信じられる人間がいるか。あなたたち自身はどうか。歴史を通して、神が完全に信じることができた人はいなかった。 愛の世界においては、配偶者が自分より何倍も優れていることを願う。自分より子女が何倍もすばらしいことを願う。 神は、子女であるアダム・エバを神以上にすばらしくなることを願い創造された。 みなさんは、キリスト教、ユダヤ教などいろいろな信仰を持っているが、自分が堕落していることを知っている者は手を上げなさい。 堕落した父母でも、息子・娘は自分よりすばらしくなることを願う。堕落していない世界では、神がご自身の子女を創造したとき、その子女がどれほどすばらしくなることを願われただろうか。 子女を失った神の心情を知り、神が歴史を通じて人類を保護し、許し、愛してきたことを知った立場で、「神が私を愛した以上に私は神を愛する」「神が信じられないことを信じる」「神様ができないことを私はやる」と言えば、神は何とおっしゃるだろうか。神は私を誇りに思い、私のところにやってきて励ましてくださるだろう。 ここで話をしているのは、172人、172カ国のチャンピオンのことではなく、全宇宙のチャンピオンになるということだ。そこにいたれば、神と自分は一心同体になる。 みなさんは、レバレント・ムーンよりも勝りたいか、劣りたいか。もし、みなさんが私ができないことをやり、信じることができないことを信じるなら、絶対的に世界平和は実現すると確信しながら、私は安心してあの世に行ける。 神が最も望むものは何か。あなたちが信じることができなくとも、私は神の真理を伝えなけらばならない。 人間が堕落したのは事実かどうか。堕落はどうやって起こったか。なぜ神が堕落する可能性を持ったアダム・エバを創造したのか。なぜ、堕落した人類をすべて滅ぼし、新たに創造することができなかったか。 愛の問題で堕落が起こった。神は歴史を通じて、愛の問題を解決する一人を探してきた。そのために準備されたのが宗教だ。 もしアダム・エバが神の息子・娘として創造されたとすれば、彼らが堕落した後、神は彼らが消えてしまうことを望むだろうか。いや永遠に愛することを願う。 愛、生命、血統のうち、何が一番大事か。もし、血統は大事でないという者がいるなら、その者は一代で消えていく。父母は自分を犠牲にして、子どもの生命を救いたいと思う。動物や昆虫なども同様だ。血統がより貴重だということを意味している。 祖父母、父母、子女の三代が重要だ。祖父母は、息子・娘(父母)よりももっと孫を見たいと思う。だから、血統が続く。孫は、祖父母と父母からそれぞれ二種類の愛を受ける。 神様も同様だった。神の孫(アダム・エバの子女)は、神とアダム・エバからそれぞれ愛を受ける。そして、天上(神)と地上(アダム・エバ)の二つの国の主人の立場に立つはずだった。言い換えれば、もしアダム・エバが子女を持っていたならば、見えない世界の王、神の愛とこの世界の王、アダム・エバの愛を受け、天上地上すべての王の立場に立つはずだった。 人類歴史が始まる時点で、神は全人類の父母の立場だった。全知、全能の神はあらゆる計画を持っていた。それは幾十億の人類が平和に暮らす世界を創ることだった。神はご自身の孫に対して、それ以上の願い、希望、未来の計画を抱いておられた。 それでは、これまで神は孫を持ったことがあるだろうか。(「All the time」などの答え)誰が神の孫の立場か。(「All of us」との答え) (君たちは)堕落したのだ。堕落した先祖の後孫なのだ。神ではない。 だから堕落の意味を知らなければならない。人間の堕落は、偽りの愛、生命、血統を相続したことが原因だ。神の本然の愛、生命、血統とは全く関係ない。 アダム・エバが堕落したのは、彼らが子女を生む前だったか、後だったか。前だった。つまり、アダム・エバの子女は、堕落の結果だ。宗教指導者は、このことを知らなければならない。 アダム・エバが、エデンの園を追い出された時、子女がいたかどうか。子女はまだいなかった。アダム・エバは神の孫を生むはずだったが、堕落のためできなかった。つまり、神は孫を持つことができなかった。 もう一度尋ねる。あなたたちは神の純粋な血統を相続しているか。それともアダム・エバから始まった堕落の血統を相続しているのか。「イエス」か「ノー」かはっきり言いなさい。(「No」の答え) 堕落がなければ、アダム・エバの血統は真の血統となっていた。彼らの子女は、神に“心”の神として、アダム・エバは“体”の父母として侍っていたはずだった。堕落によってすべて失ってしまった。その結果、われわれはいまだに心と体が葛藤している。 われわれの心と体はいつも闘っている。一つになっていない。神は心と体が闘っているだろうか。われわれは、堕落した人類始祖の後孫だからだ。好むと好まざると、サタンの血がかけめぐっている。 言い換えれば、(われわれの生命に)サタンの愛、生命、血統が刻み込まれている。見えない心は神につながっているが、体の欲望はサタンにつながっているので、心と体が常に闘う。 心がプラスで体がマイナスの立場だったのが、堕落により、体がプラスの立場にたったので、常に葛藤が起こっている。 堕落の時、心の欲望が堕落の原因となったのか、体の欲望が原因となったのか。体の欲望があった。 それでは、堕落しなかったならば、神の愛、生命、血統が刻み込まれるのはどこだったか。それは男性と女性の生殖器だ。(あなたちは)偽りの愛、生命、血統とつながった堕落した生殖器を持っている。「イエス」か「ノー」か。(「Yes」と答える)「イエス」と言うのなら、地獄に行くということだ。神の恩讐だ。現代の世界のほとんどすべての家庭がこの性関係の問題を抱えている。最大の問題だ。 あなたたちは、あらゆる問題の王様だ。個人、家庭、国家、世界、天宙とあらゆるレベルでそうなっている。真の愛、生命、血統の根源である神が、この汚れた悪の世界を見る時、触ってみるのも嫌だ。 サタンは神の愛の恩讐だ。神は全人類を子女にしたいと望んだが、サタンがすべて(霊的に)破壊してしまった。 この堕落した望みのない人類をいかにして救うか。壊れた部分を修理するか、それともすべてを滅ぼして新たに創造するかの二つの方法がある。 壊れた人間を修理する“修理屋”として準備されたのが宗教だ。完全に修理されるまで、あたたちには何の自由・権利はない。 修理するために、神はブループリントが必要だ。あなたたちは持っていない。ブループリントとは何か。 神がどうやってその内容を教えることができるか。あなたちは、生活のあらゆる場面で心と体が闘っている。どんな社会的地位にあろうとも、心と体が闘うところには、神ではなくいつもサタンがいる。イスラム教とキリスト教が闘っている。そこに神が存在できるか。だから、神はそれらを一つにするための運動が必要だ。 “修理屋”は二つは必要ない。神のブループリントは一つだからだ。その修理屋はどこにあるか。 神は、イスラエルを中心にメシアを送ることを人々に教えていた。神が“修理屋”として送ったのがメシア・イエスだった。修理屋の主人は誰か。ユダヤ教か、イスラエルの国か。イエスだけが神のブループリントを持ち、何を果たすべきか知っていた。 イエスは、新しい神を中心とした真の個人、家庭、国家を打ちたて、ローマ帝国までも一つにすべきだった。 イエスがあんなに早い時期に十字架にかからなければ、“修理屋”としての責任を果たしただろう。ユダヤ教、イスラエルがイエスに従っていただろう。ユダヤ教を中心にイエスとイスラエルの民が真に一つになっていたなら、すべて“修理”が終わり、イスラエルが人類の中心の民になり、全世界が統一されていた。現在中東で起こっているイスラム教とユダヤ教・キリスト教との紛争はなかった。 イスラムについて言えば、十二部族の一つが出エジプトし、あなたの部族が中東に神の国を建てていただろう。 中世には、失敗したキリスト教は、ヒューマニズム、共産主義に追い詰められた。 本来(イエスが十字架にかからなければ)キリスト教はなかった。イスラム教もなかった。ただ、神を中心とする家族があっただけだ。 イエスが来た時点で、神はすでに、中国、チグリス・ユーフラテス、インドなど十分な環境を準備していた。ユダヤ教とイスラエル、ローマの反対がなければ、全世界が一つになり、イエスを中心に地上天国が出発していた。 イエスは、神の血統を三代復帰するために来た。イエスは第二アダムとして国家レベルの基台を立てなければならなかった。ローマまでだ。 再臨主もキリスト教も必要なかった。(ユダヤ教が一番悪い・・・)ユダヤ教、イスラエルの民、ローマ帝国の無知のために、イエスは十字架にかけられた。(君たちは)同意するか。 もし、ユダヤ教とイスラエルがイエスの教えを中心に一つになっていたら、ローマ帝国を凌駕していただろう。 第一アダムが神の真の愛、生命、血統を失ったので、それらを復帰するために第二アダムとしてイエスが来た。野生のオリーブの木を真のオリーブの木に接木するように。そうすれば、ヒンズー教、仏教などすでにあった宗教も、自然に吸収されていった。 神は、ヒンズー教、仏教、キリスト教などの宗教ではなく、神の下の一つの家族をご覧になりたいのだ。 イエスの十字架により、キリスト教が現れ、霊的救いのみ担うようになった。キリスト教は新婦宗教だ。新郎としてのイエスを失った。 十字架はイエス処刑の象徴であり、礼拝の対象なんかではない。十字架の後、イエスは四十日間にわたって弟子たちのもとを訪れたが、霊的にだけだった。 堕落により、アダム・エバは偽りの愛、生命、血統を相続し、偽りの父母となった。イエスは真の愛、生命、血統を持った救い主・メシアとして来られ、神との関係を取り戻し、真のオリーブの木畑に変えなければならなかった。 神が第一代ならば、第二アダムとして来られたイエスは第二代。イエスは、神の孫となる子女を持たなければならなかった。もしイエスが子女を持っていたならば、十字架にかかることはなかった。 ユダヤ教は最後の宗教になるはずだった。しかし、(ユダヤ教などの)失敗によりイエスが十字架にかけられ、新しい宗教が現れるようになった。 第一アダム、第二アダムの時代が終わり、今、再臨主・第三アダムの時代を迎えている。再臨主の使命は、真の愛、生命、血統を中心に三代を復帰することだ。 すべてのサタンの血統を洗い流すため、再臨主は、神の愛、生命、血統を中心に全世界を祝福しなければならない。そして、霊界と地上の統一させなけばならない。 今は最後の時、国連はバラバラだ。どこの国にもリーダー、主人はいない。ブッシュ大統領は米国の主人になっているか。アナン事務総長は国連の主人になっているだろうか。真の愛、生命、血統を中心とした真の主人、リーダーはどこにもいない。神はどこにも見つけることができない。それゆえに、神は、全世界が祝福を受け、真の愛、生命、血統を取り戻すために、再臨主を送られる。 イエスをはじめ霊界のあらゆる聖人、義人は「レバレント・ムーンは、真の救い主、メシア、真の父母だ」と証している。私は何も頼んでいないのに、霊界の現実を知り、真理を学んだからだ。 宗教はこれまで、独身生活を求めてきた。今は家庭の時代。宗教指導者といえども、祝福を受け、真の家庭を築かなければ天国には入れない。祝福により、真の愛、生命、血統を取り戻すことができる。また、それが罪なき真の子女を生む唯一の道だ。このようにして三代を築くなら、家庭で天国に入るだろう。それが天国の基礎だ。 祝福を通し、地上のみならず天上までも統一し、世界平和を築くのは統一教会(統一運動)しかない。 韓国人のレバレント・ムーンが、イスラムと何の関係があるか。何でキリスト教に関わるのか。それは神のためだ。神が願うものを知っているからだ。「神さえできないことを成し遂げる」といのが私の決意だ。 歴史を通して、神の戦法は「打たれて復帰する」ことだ。それが蕩減の法則だ。私が何をしているか知らずにみな反対してきた。米国においても、多くのクリスチャンが、ユダヤ人が、共産主義者が反対し、私を追い出そうとしてきた。 「天一国」時代が到来した。霊界と地上も、右翼も左翼も、イスラムもクリスチャンも、すべてが共に働き、家族として共に生きる。それが「天一国」だ。 世界平和は、宗教、国家を超え、子どもたちが国際結婚することで成し遂げられる。イスラムとユダヤ教徒が結婚する。共産主義国と民主主義国の若者が結婚する。そうすれば、われわれはすべて親戚となり、最後には全世界が一つの家族になるだろう。 弟を愛すべきカインがアベルを殺した時、神の心情は途方もなく傷ついた。一人の人間が殺されたのでさえそうなのに、いま世界では幾千万人が殺され、飢餓で死んでいく。神の心情が平安であるはずがない。 すべての人々を“修理”し、すべての宗教をなくしてしまわなければならない。そして、神の下の一つの家庭を築かなければ、希望はない。 真の“修理屋”は統一教会(統一運動)だ。霊界の聖人たちが「レバレント・ムーンだけが、天宙を一つにすることができる」と証ししている。もし信じないならば、彼らが霊界から降りてきてプッシュし、神のために働かせるだろう。 この混乱する世界のあらゆるところで、恩讐同士が殺し合っている。こんな状態が続くならばどこに人類の希望があるだろうか。ただ神主義だけが、世界人類を一つの家族にすることができる。 アダム・エバの時、神は三代を築こうとされた。今、その三代が復帰されなければならない。 神の下の一つの家族を築くための最もシンプルな方法が「交差結婚」だ。ユダヤ人とイスラム教徒が、北朝鮮の金正日と韓国のノ・ムヒョン大統領の子どもが、交差結婚するならば、恩讐関係は解消される。 時が来て、国連がレバレント・ムーンを招き、全人類に超宗教、超人種、超国家の祝福を行うことを決定するならば、一週間以内に全世界を復帰することができる。解決策はここにある。 真の祝福家庭になるならば、私たち自身が、親戚、知人を祝福することができる。時は来た。彼らが嫌がっても、力づくで祝福を受けさせなければならない。それが彼らのためだ。それが真に神の祝福だと知った時、感謝されるだろう。 そんなことを言えば、非難の的になるだけだ。テロリスト、ギャングの王だと思うかもしれない。私は80年間、これを教育し続けてきた。 ユダヤ、イスラム、キリスト教の指導者たち。交差祝福を行えと命じるならば、あなたちはそれに従うか。もし確信が持てないならば、候補者を私たちのところに送りなさい。四十日間以内に教育すれば、一〇〇%同意するようになるだろう。 やるかどうか。神が望んでいる。先祖が、あなたの宗教の始祖が望んでいる。ウソだと思うなら、今夜帰って祈ってみなさい。イエス、モハメッド、釈迦、孔子が来てはっきり答えるだろう。 善人なりたいか、悪人になりたいか。神の命令ならばやるかどうか。国際、人種、宗教、国家を超えた祝福に協力するならば、恩讐を愛したあなたは最初に天国に入るだろう。 きょうレバレント・ムーンが語ったことを信じるかどうか。(「Yes」) 「イエス」と答えた者は、左手を上げなさい。(みな上げる)「左」はサタンを象徴する。サタンが降伏した(もうサタンがいなくなった)。【送料無料】韓流コーラ 韓国式 麦コーラ メッコール 250ml×30缶 1BOX 炭酸飲料 ノンカフェイン 防腐剤・人工着色料不使用 ビタミンB1 ビタミンB2 ビタミンC コーラ 炭酸飲料 大麦飲料 麦コーラ 韓流コーラ 韓流コーラ 大麦の炭酸飲料一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2025.08.10
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天地人真の父母様 天宙聖婚66周年 および 天苑宮 天一聖殿 入宮1周年 記念行事 記念式 および 2026 天地人真の父母 孝情 天宙祝福式https://www.youtube.com/watch?v=1ZgZY_LAMxA2026/05/02 に公開予定天一国14年 天暦3月16日(2026年5月2日)土曜日 午前9時30分会場:清心平和ワールドセンター一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2026.04.30
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毎日続く 信教の自由の街頭演説2026/05/06一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2026.05.07
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数年前に、車で走っているときに見かけた9月の花火大会。それが、我が家の恒例となり、年を追うごとに、遠目から次第に距離が縮まり、今回は目前で。
2010.09.25
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今日もサンク・ブログ「火の柱3」の記事から。連合は 韓氏オモニを 解任排除するだろうhttps://blog.goo.ne.jp/hakusinsya2/e/9859edbc50034cb4965cdac55df9ed1a私は お父様が無原罪のお生まれであると 信じますこの一文においてサンクチュアリシックと 連合シックは一致する早く合流すべきだ連合シックは お父様が有原罪とする人を 排除しているそれでいいたとい それが 韓氏オモニであっても同じである韓氏オモニが お父様が有原罪であると言っていることを 確認し次第連合は 韓氏オモニを 排除するだろう「(家庭連合は)お父様が有原罪とする人を排除している」という。であれば、私tomy4509もその一人ということだ。前回私の記事からはお父様自身も「有原罪」と語っておられたことを見れば、お父様もまた排除される運命にあるのかさて、今私たちが論じていることが何であるかを明確にしておかなければならない。統一食口であれば、誰もが「真の父母様は原罪のないお方」であることを信じている。今回論点となっているのが、「独生子」「独生女」を巡って原罪なく生まれられたか、そうでなかったかである。また、お母様が「独生女(女メシヤ)」であるか・ないかということであった。お父様の家族は元が儒教であったのがキリスト教に改宗したことをもって「お父様、有原罪(堕落圏から)」、そして、イエス様から召命されて「独生子」(無原罪)となられた、というのが私の主張であり、お父様のみ言との照合を試みてきた。私たちは「主の路程」講義からも、お父様がイエス様のように聖母マリヤから生まれられたような「無原罪で」という話は聞いたことがない。16歳のときにイエス様と霊的に出会われて召命を受けた以外には……。また、お父様のお母さんが聖母○○ということもだ。これらは「因習的な信仰観念と旧態を脱けでられないかたくなな信仰態度」によるものである。それよりも「3.1独立運動」ゆえにお父様が誕生することが出来たと。その時の柳寛順烈士の話も「主の路程」では聞いた。柳寛順烈士についてお父様は民族の試練と三・一独立運動 その時韓国という国は、日本の占領下にありました。ですから、日本を通して生まれたことと同じになったのです。韓国は四十年間、日本の統治下にありました。すなわち、韓国は日本の支配を受けていたということです。ですから、結局先生は日本治下から出てきました。韓国から今後アダムが現れるということを中心として、日本が韓国にあらゆる圧迫を加えたのです。 先生が生まれるその時、一九二〇年代の韓国は、三年の凶年になって、この上なく難しい時でした。そうした三年期間を中心として見るとき、一九一九年に三・一運動が起きて、日本に対して反旗を翻し、新しく闘争が始まったのです。そのような刹那、二番目の年、一九二〇年に先生は生まれました。そのような試練の過程で、先生一家が独立万歳事件を中心として、試練を経験したその基盤の上で、先生が生まれるようになりました。 三・一運動をリードした人々は宗教人です。プロテスタントと天道教を中心としたメンバーが、これをリードしてきました。このようして、新しい方向に、日本帝国主義の方向ではなく、アメリカの方向に! アメリカについていくようになります。このような方向を経ていくことにより、キリスト教文化圏が急進的な発展をしたのです。 十六歳で殉国した柳寛順烈士は、堕落しないエバと同じ立場にありました。アダム国家におけるエバと同じだというのです。そのエバの立場にあった柳寛順烈士の体を、サタンが六片に分けてしまいました。六数はサタン数です。柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くしながら、一身を犠牲にしながらも解放運動をしたのです。 独立運動が最盛期だった一九一九年に、先生は母の腹中にいました。独立しない地で、そのまま生まれることはできなかったので、先生の生命を中心として、そのような戦いがあったのです。その時から十ヵ月後の一九二〇年に、先生が生まれたのです。堕落したエバの罪を蕩減するために、天の側の心情圏をもって、この地上のすべての女性を代表して、韓国の地を守りながら死んでいった人が柳寛順です。 摂理史で見る時、条件的に国の基盤を中心として、日本から独立するために天は摂理をしたのです。(『真の御父母様の生涯路程 No.1』P.50)「堕落しないエバと同じ立場」とまで語っておられた。韓国では今年「3.1独立運動100周年」を迎えていくなか、南北統一に向けた活動も活発だ。H3サイドもこれを利用してのイベントを企画しているとの情報も私の耳に入っているが、北(共産主義)寄りの方向を取っており天側(父母様の考え)と逆行しているようである。私たちは「3.1独立運動」が反日運動であったかのように見がちだが、改めて聞いてみたときにそれはキリスト教の崇高な精神が礎となっていた(詳細は「キリスト教精神の「3.1独立宣言書」、東洋の恒久平和を謳った」から)。「お父様、有原罪(堕落圏から)」は原理講論と矛盾しないについて「篤実なクリスチャンの家系でもなかったお父様が無原罪のメシヤ・再臨主?」堕落圏からメシヤ・再臨主は、原理講論と矛盾するような内容だ。<続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.01.31
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「四大心情圏と三大王権」一九九二年 八月 二十七日ソウルの国際研修院 国際合同結婚式の背後にあるもの 一九九二年の八月は、歴史的な月であったことを皆さんもよく知っていることと思います。世界的復帰摂理を前にして、いかに統一された一つの総合的な集まりを持って世界に影響を与えていくのかという問題は、世界中の指導者達のみならず、誰しもが皆考えていることなのです。 この統一教会が今まで歩んできた道は、とても常識では考えることのできない受難の道でしたが、そのような道を経ながら、一つの国のみならず世界の国々を結びつけて、今や世界の頂上の峠をすべて乗り越えたのです。このような時点に至ったということは、統一教会の信徒達はもちろん、先生もいかに苦労の多かったことでしょうか。しかし、そこには人間の力だけではなく、天がどんなにご苦労なさってこられたかということを、皆さんはよく知らなければなりません。 そのような神様のご苦労の基台によって成されたこの大会の基盤というものは恐ろしいものです。また、このような報告を聞いた時、ただ喜んでいる間はいいのですが、その背後には何千万倍の悲しみが潜んでいるということを、皆さんは知らなければなりません。 今回の統一教会を中心とした合同結婚式というものは、制限された世界の環境の上で成されたものであり、まだ世界と神の御旨は残っているのです。世界は広く、大きく、遠いのです。その世界をどのように短縮させるのかという問題は、人間の力や努力をもってしてはできないのです。 ですから、私達が今から活用しなければならないのは広報です。今まで統一教会は、広報をしませんでした。それは私が広報を願わなかったからです。 宗教団体というものは、宣伝をしてはなりません。宣伝によって入ってきた人は、教会員になっても、信仰の本質的基盤を体得することができないのです。深く入っていこうとしても入っていくことができないのです。しかし事実を、大会や統一教会の動きを自分の目で見るようになる時、それが一般社会の見る基準とは大いに異なっており、また、統一教会の人々が皆知っていても宣伝をしなかったというので、私が宣伝しなければならないという決意をするのです。 また、そうすることによって、彼が一年、二年、三年、四年と月日が過ぎ、統一教会の内部を知れば知るほど、世の中が知らずに反対しているという事実を自ら知るようになるし、それがむしろ彼自体に刺激的な影響を与えることができるし、心霊発展の動機をもたらす力でもって成長するようになるのです。そのような意味で、広報や宣伝を制限してきたのです。 もし、これから大々的に宣伝をするとしても、事実より七〇パーセントを越えてはいけません。事実より多く宣伝してはなりません。事実の七〇パーセント程度を宣伝すれば、どんな人が統一教会に入って来ても、その深さを探し求めるために長い歴史を通して来たとすれば、それを知るために心霊が啓発される時間が多いので、彼自体にも有利になるのです。しかし、世の中の一般の団体は、何か行事を行う場合、すべて宣伝によって動くのです。 皆さんがよく見る広告で、特に財界の広告は一つの内容を何年も宣伝するのです。そのようにして洗脳し、その一部を見れば直ちにそれと関係あることと連想し、考えるように宣伝するのです。そのようにして宣伝された内容と事実が同じなのかというと、相当に問題が大きいのです。そのようなことは、宗教では許されないというのです。しかし、復帰基盤から見た時、統一教会が持っている内容はとてつもないものなのです。いかなる国も持つことができなかった歴史を持っているのです。 また、今まで先生が開拓してきた道には様々な困難が多くありましたが、何一つ今まで発表しませんでした。先生が監獄生活をしたことや、外国において迫害されたことなど、多くの重要な問題がありますが、今まで黙っていたのです。国が驚き、自分の一族が驚いて、引っくり返るような内容を宣伝するようになり、もしアメリカで活動すれば、その国と怨讐になるのです。家庭も怨讐になるのです。 では、何故そうしなければならないかというと、どうしてもアメリカを救わなければならないからです。大韓民国を救った後には、アメリカを救わなければなりません。大韓民国を救う前にまず自分の家庭を救い、大韓民国を救った後に、アメリカを救ってあげなければならないのですが、アメリカと大韓民国が決裂したり、アメリカの家庭と大韓民国の家庭が決裂するような垣を作っておくとすれば、それがまた問題になるというのです。 ですから、責任を負った者は、そのことを知りつつ、できるかぎりなだめながら行くのです。私は日本の食口や韓国の食口の秘密もよく知っています。知っていても、知らない振りをして越えていくことが多いのです。そして、それを持ち出してくれば日本人だけでなく、韓国の食口達とアメリカの食口達との三角関係になるのです。現在の環境で知ったとすれば問題になることが多くあるというのです。 ですから、団体活動を発展させなければなりませんし、愛すれば愛するほど、それを知らない振りをして押さえていることがいくらでもあるというのです。そのような意味で、統一教会の歴史の中に現れなかった歴史がたくさんあるということを知らなければなりません。 創世以前からあった真の愛 そのような観点から見ると、八月二十五日の合同結婚式の衝撃とか喜びというものは、ただ一日の出来事ではありません。その背後に多くの歴史的な峠を経過して花咲いたのです。 皆さん、汚い沼のようなところに蓮の花がありますね。その蓮の花が夏になって咲くならば、その園に咲く花は何であれ表面は皆同じなのです。しかし、その蓮の花が咲き出るまでの歴史はどれほど長いことでしょうか。水底の汚れの中に種が落ちて、水を貫いて出て来るのです。水の上に浮かんだら風が吹いても飛ばないようにひもを結び付け、何メーターもの深い水の下に基盤を置くことによって美しい花が咲いたのです。そのことを考えてみなさい。その花は普通の木の花とは違います。一般の木の花は枝に咲いています。それはいつも見ることができるのです。また、ばらのようなものは刺の中で咲いています。そのような面で蓮の花は貴いというのです。地と空間を越えて高く上がって来て咲いているので、蓮の花が仏教で尊ばれているのも、そのような内容があるからです。その背景に隠れている内容が一般の花とは違うというのです。 それと同じく今日、統一教会がこのようなことを成したのは、八月二十五日の一日で成したのではありません。四十年の歴史を代表したのです。更にはキリスト教二千年の歴史を代表し、神様の創世以後の六千年の歴史を代表したのです。六千年ということは、聖書史、文化史を中心とした言葉です。実際の人類歴史は二百六十万年以上と考えられています。創世以降に、その長い救済摂理、復帰摂理というものを中心として、神様が続けて準備してこられたという事実を考えてみるとき、その根はいかばかり長いことでしょうか。 ですから、その結果は一つの時代に現れましたけれども、動機は、はるかに遠い神様の心情圏を中心として真の父母という因縁があったのです。「真の父母」という言葉は、歴史以来初めて出て来たのです。皆さんは、その価値も知らずに「真の父母、真の父母」と言っています。祈祷するときも、「真のご父母様、真のご父母様」と言うのです。その「真の父母」という言葉は、歴史以来いつ出てきたものですか。私が現れることによって、四十年前に初めて「真の父母」という言葉が生じたのです。 それでは、その真の父母の内的因縁はどこにあったのでしょうか。これは神様がこの世を造られる前からでした。この地上に万物を創造する前からあったというのです。真の父母の根本は何ですか。真の愛です。真の愛は創世以前からあったのです。ですから創世以前から真の父母の愛があったということになるのです。 では、「神様が先か、真の愛が先か?」と問えば、どのように返答しますか。(「真の愛が先です。」)どうしてそうなのですか。それは、愛であらざるをえません。神様の二性性相が、プラス・マイナスの相対性をもって授け受けすることができるその資格は誰が授けたのでしょうか。被造世界では、鉱物世界の分子もプラスイオン・マイナスイオンからできているのですが、何故そうなったのでしょうか。電子の世界においても陽子・電子が運動をしているのですが、何が運動させるのでしょうか。運動をするようにした動機は何でしょうか。それは、プラスでもなくマイナスでもありません。電子でもないし、陽子でもありません。陽イオン、陰イオンでもありません。また、植物に入って行ってそのような作用をするのは雄芯でもなく、雌芯でもありません。そして動物の世界では、雄でもないし、雌でもありません。では、人間に作用するものは何でしょうか。男でも女でもありません。それは何かといえば、その全部に作用するのが愛なのです。愛故にそうなのです。 このように見るとき、相対的に展開しているすべての万物世界は、主体と対象によって運動するのですが、それは、自分なりの級に該当する愛を中心として運動し始めたという論理を立てることができるのです。このように展開されたすべての被造世界のように神様自体内のすべてのものも、同じ作用をするのです。性相と形状も、唯じっとしているのではありません。 主体と対象が一つになっている方であり、格としては、男性格主体が神様です。神様は男性格主体ですから、女性格対象はありません。それで創造を始められたのです。男性格主体の前に対象格がありませんから、対象が必要だというのです。神様の為に始めたのではありません。神様の喜びと、すべてのものを幸福でもって抱いてあげることのできる愛故にです。 ですから、愛が先なのか、神様が先なのか? これが問題になります。愛自体は人格的になることができません。人の人格であれば知情意があります。しかし、愛自体には情しかありません。それで男性であれば男性、女性であれば女性を中心として、為に生きるところにおいて知が出て来るし、意が出て来ます。そして、情が一つになろうとしますから、希望が出て来ます。世間では「知情意」と言っていますが、本当はそうではありません。「情知意」と言わなければなりません。これを皆、是正しなければなりません。 三万双の祝福は宇宙史的な慶事 ですから、八月二十五日の行事は、その日が何か月前から準備されて成された事ではないのです。長い歴史を越えて、神様がいる前から出発したと考えてみるとき、その全体が和動し、全体が花咲く日になったのであり、天下がそこに直結されて関係を結びたいと思うのが、神様と共に関係づけられた被造世界の願いだと結論付けることができるのです。 それでは、そこで成された勝利が世界的であるというとき、その勝利を誰が占めるのか。統一教会が占めることはできないのです。その歴史的由来によって因縁づけられたすべてのものと、その因縁を調整する神様を中心として、また、霊界であれば霊界の私達の先祖達が因縁づけられたすべての力と、歴史時代を経て来ながら数多くの宗教を動かして、今から行くことのできる未来の世界まで連結させたその位置で、代表的な私達が喜ぶのです。私達だけが喜ぶのではなくて、全体を代表して喜ばなければならないというのです。 バルセロナ・オリンピックでマラソンのチャンピオンの黄選手を誰が知っていましたか。三渉(註・江原道の日本海側にある地方)地方の田舎で貧しく生きてきた人です。けれども世界が公認する場に出て行って一等になれば、どれだけ認めまいとしても認めざるをえないのです。 結婚式は、人生においてどれだけ貴いものでしょうか。オリンピック競技のマラソンより、もっと貴いものなのです。生活環境で一番喜ばしく、一番良く、一番記念になるものは誕生日ではありません。また、死ぬ日でもありません。誕生日と死ぬ日は直結したものです。好むと好まざるにかかわらず、共に訪れるのです。けれども、結婚は直結していません。男と女が出会ったとしても、自分が願った通りにできません。たまたま喫茶店に行って、一度因縁が出来て会ったために結婚するようになったというのです。また、どこかに散歩に行って、たまたま出会って結婚することもあります。それは、実に不思議だというのです。 このように見るとき、世界の若者達が一つ所に集まって、三万双が結婚するという事実は宇宙史的な慶事です。それは、宮廷で、ある王様を中心として王子・王女達が結婚する時、国中でほめたたえられることよりも、もっと恐ろしいことなのです。百三十一か国の人達です。これは、どれだけ否定しようとしても世界的であらざるをえません。世界が驚いて関心を持ち、世界的事件として、その関心が継続して一次、二次、三次までさえ発展していけば、その次からは大変なことが起こります。 今回、三万双したのですが、次回の三年後には何万双したらよいですか。今、それを決定しなければなりません。今からそれを準備しなければなりません。今や私は統一教会の儀式に関係しなくてもよい時になりました。復帰路程において、妨害物を除去させるのに私が剣をかかげ、手を出さなくてもよい時が来たというのです。今や越えるべき峠を皆越えました。 今やメシア宣言したでしょう? (「はい。」)メシアは、日本語で「飯屋」です。救世主はまずどのような人々を救ってあげなければなりませんか。やくざ達や暗黒世界なのですか。一番良い人達を救ってあげなければならないというのです。この世の中は悪なる世の中です。悪なる世の中で一番善良な人達はどのような人達ですか。悪なる世の中が好む人達ではありません。悪なる世の中が嫌う人達です。サタン世界で一番善良な人は、サタン世界で一番嫌われる人の中にいるというのが定評です。 成約時代の勝利的基盤は旧・新約時代の喜びと連結 それでは、サタン世界で一番嫌われ、憎まれ、理由もなく悪口を言われる人々がこの世の中のどこにいますか。神様の選民です。イスラエルの国の人々が皆嫌われますね。選民の歴史がそうだからです。神様が選んだ民は、悪魔の世界で、ぞっとする程に悪魔の世界が八方から謀略し、八方から清算するための戦いと迫害と、ありとあらゆる行動を皆してくるのです。 ですから、一つの宗団であるイスラエル民族が国家を形成する時までは、悪魔の世界に四方から囲まれ、すべての国々が非合法的な行動で皆集約して攻撃するのです。無くそうとするのです。そこの責任者を無くしてしまい、そこに精神的な支柱になっている宗教であれば宗教、思想であれば思想を無くしてしまおうとするのです。 イスラエルは、歴史を通じて捕虜になって他の国に捕らえられて行ったことが多くあります。そのような民族はイスラエル民族しかありません。ジプシーの生活を続けているのです。その反対の位置に立って影響を及ぼした時が無かったというのです。キリスト教をみても、ローマ帝国の四百年間の迫害時代を通じて、千辛万苦、数多くの人々が血を流し、追い詰められ、追われながら、かろうじて生き残ってきたのです。 このように、選民イスラエルの歴史とキリスト教の背後は悲惨なのです。ローマにカタコムベというものがあります。それは地下の洞窟ですが、そこでは、四百年間のローマによるキリスト教迫害時代に、生き残るために隠れて生活し、死ねば壁に墓を作って、そこに死体を入れておき、それが腐る中でご飯を食べ、子供を生んで育てたりしたのです。動物でも、そのような生活をできない状況の中で、信仰の道を貫くために、そのような悲惨さを克服しながらローマ帝国を占領し、キリスト教文化を創建したのです。 それ故に、「キリスト教」と言えば、誇る前に悲惨であったと考えなければなりません。存在するもので、根を持たずに現れるものはありません。立派な木になろうとすれば、立派な姿を育て出すために、見えない根があるのです。見えない根が大きくなったので、木も大きくなるのです。また、見えない根を中心として長くなったので、長い間死ぬことなしに大きくなるのです。 根の中には環境的条件を克服して消化する自主的な能力、即ち、過去の能力、現在の能力、未来の能力が潜んでいます。それと同じように、過去、現在、未来を制圧して余りある力の条件を自分自身に保有している人だけが、歴史的未来世界に主体として残るようになるというのです。 今日、統一教会は、統一教会自体でもって始まったのではありません。イエス様が来られる時までの四千年間の旧約時代、そして二千年の新約時代というように、六千年の歴史のバトンを受けて成約時代を完成しなければならない使命を帯びているのです。それ故に今日、成約時代の編成のために勝利的世界基盤を築いたとすれば、それは成約時代だけで成された喜びではなかったということを知らなければなりません。その前に、新約時代の喜びと連結されなければなりませんし、その前に、旧約時代の喜びと連結されなければなりませんし、その前に、神様と連結されなければならないのです。 アルファたる神様を中心として始まったので、そこに根を共にしてこそ、オメガへと戻って行くことができるのです。そうしてこそ、循環運動が可能なのです。すべては循環運動をするので、主体と対象を中心として、必ず位置を相互に交替しなければならないのです。それは何故かといえば、互いに平準化されようとするからです。そのためには授け受けしなければなりません。一度与えて平準化が成されれば、二度与えた時には二倍の平準化が押し進められるのです。そのような関係性を持つことなく今日の喜びはありません。 たまたま金持ちの息子・娘として生まれたからといって、その地方で威張る人がいますが、それではいけません。出来がよいからといってどうして威張りますか。平面的には皆同じだとしても、整えた背後の根が違うのです。先祖達が苦労したので、自らは豊かに暮らせるのです。高い山に上って行くことはどれだけ大変なことでしょうか。夜中に高い山を上って行った人は、早朝を早く迎えることができるのです。それと同じだというのです。 真の愛と真の生命を持つ真の父母 ですから、すべてのことが、関連する因縁を背景にして関係付けられているという事実を知らなければなりません。その事実だけを喜ぶ人達は見物人であり、通り過ぎる人です。主人になれません。主人と客はそこが違うのです。主人とは、根と共に、背後と共に、そのすべての難しい環境を消化しながら、内的なことに責任を負い、一つの勝利の基盤を設定するために努力している人です。 統一教会で行事をすると言うので、世界の有名人達が一日来て感動したとしても、その人達は客にしかならないのです。そして、統一教会の祝福を受けた家庭においても、その三万双にも差があります。三万双が皆違います。同じではありえません。そうなれば、自分は何番目の級に入るのか、考えてみましたか。 今回祝福を受けた人達、手を挙げてみなさい。ここには教区長達が来たのですね。教区長ほどになれば、そのようなことを少し考えなければなりませんね。三万双の中で教区長というものが何番目に精誠を尽くし、切実なる心でもって待ち焦がれて来たでしょうか。神様は、来るべき主を迎えて結婚式をする日を、どれだけ待ってこられたでしょうか。(「六千年です。」)それは文化史を中心として言う言葉です。実際には、何百万年の間、待ち焦がれてきたというのです。それは深刻な問題です。 また、イエス様を何千年待って来ましたか。イエス様は二千年、イスラエル選民は四千年待ちました。選民が何をしようというのですか。父母がいないために父母を探し求め、父母を育てることのできる民族を作ろうというのです。このようなことを考えるとき、今回の行事を忘れることができないのです。 普通に参加する人や皆さんの父母が来て喜ぶ、そのような流れて行く喜びにひたってはいけません。神様の立場で、根を持って喜ばなければなりません。あるいは結婚対象者が、自らの様々な蕩減路程を経るために苦労した人達が多いのですが、その人達の等級の順序の中に立っている私自身はどのような種類の人なのかということが問題です。 真の父母が誰なのか分かるのかというのです。真の父母は何をする人なのですか。直接の関係は何なのですか。真の父母は他でもありません。真の愛を持った方であり、真の生命の種を持った方です。その二つしかありません。真の愛と真の生命があれば皆それで良いのです。そこには血統も生じます。真の愛さえあれば所有権もあるし、心情圏もあります。すべてのものが皆あります。それ故に必要なのです。 それでは、堕落とは何か。堕落した先祖とは何か。偽りの愛と偽りの生命を植えてしまったのです。故に、汚れたものを澄んだ水で洗わなければなりません。一度汚れたものを洗うことは易しいことですか。白紙に何か書いておいたものを消したからといって、前のようにきれいになりますか。紙一枚でも、染まったものを消すことは大変なのに、私達の心の世界が汚されて、体と心が今まで何千年も闘争してきた歴史を見れば、癩病で目茶苦茶になったのよりもっと険悪になったのに、水で一回洗ったからといって、きれいになりますか。簡単な問題ではありません。千回万回、繰り返さなければなりません。「精誠」という言葉がありますね。同じことを千回万回、心を尽くし、反復しながら、私を良くすると同時に、世界まで良くするために影響を及ぼすというのです。良い品物を作ろうとすれば、どのようにしなければなりませんか。素人が工場に入って行って、一回教えてもらって、学んで作ったからといって、それが良い品物になりますか。千回万回、精誠を尽くさなければなりません。「原理の御言を中心として精誠を尽くす人」というのは、原理講論を毎日、読んで、読んで、読むのです。朝に読んで、昼食時に読み、夕方に読みながらも嫌にならない事が精誠です。同じことを千回万回繰り返すのです。 南北統一は直ちにできないのです。四十年かかったのです。四十年間、一日も絶えることなく、一日に三食ご飯を食べる時、眠る時、いつでもそれを繰り返さなければなりません。繰り返すにあたっては、四十年前に初めて精誠を尽くした時からだんだんさめてくるようではいけません。千回したとすれば、千回だけ皮がむけなければなりません。皆さんは、原理講論を何回読んでみましたか。 真の父母は救世主の父 今日、真の父母を中心として世界的な患難の中で迫害を受け、四十年間の受難の路程を経て来ながら、このような勝利の版図を持ったという事実を顧みると、心が冷々とするほどです。もしもこれができなかったとすれば、先生は地上から立ち去らなければならないのです。七十歳が過ぎたのに、これができなかったとすれば大変なことになるではありませんか。 私は善なる人々を探し求めて来たのです。善なる人を救わなければなりません。彼等は宗教者達です。再臨主、救世主が来るとすれば、善なる人を救うために来るのですが、善なる人はサタン側が喜ぶ人達ではありません。よく食べ、立派に着飾り、踊りを踊り、酒に酔って四つ角で千鳥足で歩く人達は、皆ごみ箱に捨てられる人達です。自分のために汗を流す人達を救ってあげるのではありません。未来の世界のために汗を流し、未来の主人のために汗を流す人達を救うのです。 サタン側で愛される人は、救世主が必要とする人達ではありません。真の父母が必要な人は、救世主が必要とする人達の中でも抜きんでた人達です。救世主は、真の父母の息子です。真の父母と救世主とではどちらが偉いのですか。(「真のご父母様の方が偉いです。」)聖書を読んでも「真の父母」という言葉はありません。真の父母が何かといえば、新郎として来る方なのです。イエス様は結婚もできませんでした。そのような人が父になることができますか。真の父母は何かといえば救世主の父だというのです。 イエス様も霊界では先生に挨拶しなければなりません。このような話をすると、「異端だ」と言って大騒ぎしたのですね。自分達が分からなければ無条件に皆、異端だと思うのですね。分からないからと言って反対したのですが、小学校に入学してみると、反対したその人が先生であればどうしますか。世の中で無知な者として取り扱ったのですが、大学に行ってみると、その人が自分の担任教授であったらどうするのですか。それほど恥ずかしいことはないのです。ちょうどそれと同じだというのです。 歴史的な主体の前に相対的な面の価値を帯びて、小さくとも、内的な姿は条件だけでも整えて喜ぶとき、それが歴史的に捜し求めてきたその喜びです。先ず天に栄光をお返しし、歴代の預言者達に対して、アブラハムの時代からずっと栄光をお返しし、イエス様が見ることのできなかったものをイエス様の前にお返しし、私達の統一教会の先輩達が見ることができなかったものを彼等に栄光を皆お返しして喜んで、笑うようにならなければなりません。そのようになれば、冷たいお茶でも一杯準備して、私に飲ませて喜ぶ人と共に私が喜べば、私は全体が喜ぶ人の対象になり、彼が持つすべての栄光の価値を私が同じ位置で、さほど苦労せずに受けることができるというのです。 ですから、私は出しゃばる人が一番嫌いです。自慢しようとすれば、私以上自慢できる人が世の中にどこにいますか。けれども、それが嫌なのです。何故なら、愛の対象を立てようとするからです。愛する人は自分よりもっと出来が良いことを願いますから、神様が立ててこそ、もっと出来が良いのではありませんか。出来が良い先生が皆さんを立てて、褒めたたえてこそ、喜ぶのではありませんか。 大いなる使命のために行われた祝福 今からは統一教会を知らなければならないようになっています。統一教会を知らなければ常識がない人です。本当です。統一教会を知らなければ何の価値もない人になります。外に出て行ってみなさい。「どこから来たのですか」と問われたとき、「韓国から来ました」と言えば、「三万双が結婚したそうですが、どのようでしたか」と聞かれることでしょう。それを説明できなければなりません。「それは、事実です」と答えれば「行ってみましたか」と聞かれるでしょう。もしも行ってみることができなかったとすれば、「テレビで見ました」と答えます。「どうでしたか」。「壮観です」。「どんな人達が集まりましたか」と聞かれれば、全部説明しなければならないではありませんか。何故そのように集まったのかというのです。目的は何なのですか。自分の花嫁や夫をもらうことが目的ですか。世界を救おうというのです。家庭完成は、氏族完成と連結されるし、国家を完成させなければなりません。そのような広く大きい使命を前におき、結婚したのです。 ですから、二人が好きになるのも良いけれども、二人に願われる御旨が成されるように、万民の前に展開することの方がもっと忙しいのです。そのようになれば、全体の前に影響を与え、影響を受ける環境と条件は、この人を中心として侍り、しっかりと寄り集まるのです。 皆さんは誰を中心として寄り集まっていますか。夫を中心として寄り集まっていますか。妻を中心として寄り集まっていますか、それとも、先生を中心として寄り集まっていますか。(「お父様を中心として寄り集まっています。」)私が皆さんに、「花嫁を置いて、他の所に行くように」と言えば、行くことができますか。(「はい。」) 今年七月二十一日のことですが、先生がお母様の大会をして、その後、「四十日伝道に行かなくてもいい」という女の声を聞きました。毎年行っているのに、今年は何故行きませんか。「九月から四十日間、伝道に行け」と言えば行きますか、行きませんか? 「そのように一度も休み無くこき使おうとするんだな」と思いますか。見なさい。地球は回っているのです。休めばよいのですか。休めば大変なことになります。「ああ、統一教会を信じることは辛い。一度も休むことができないし」と言うとき、息のことを考えてみなさい。三回だけ休んでみなさい。 先生もそうです。二十四日、リトル・エンジェルス会館でバンケットをして帰って来ますと、翌日が結婚式なのに、四百名がまだマッチングを受けていないで、どこかに集まっていたのです。それで、行って夜を徹して四時過ぎまでマッチングをしてあげると、土砂降りの雨が降っているのです。「雨が降れば雷が鳴って地がはね上がる。そこで三万双を不動の姿勢で立って祝福してあげれば、それこそ歴史的な事件になるのだが」と思うと、気持ちがよかったですね。(笑い)それは考え方によるのです。雨が何の関係がありますか。雨が降ったからといって、ご飯を抜きますか。腹が空けば、たとえ雨が降っても食べなければなりませんね。 結婚の問題は一生に一回しかありません。御飯を一食食べないことより、もっと深刻ではありませんか。雷が何の関係がありますか。そのようなことは眼中にもないのです。この前、大会をする時、「雨が降れば中止にしますか、それとも行いますか」と聞かれたのですが、大会をするのに雨が何の問題になりますか。そのような考えは先生には通じません。 救世主は、サタン世界で一番嫌われている人を救うのですが、世の中で探し求めてみると統一教会の皆さんしかいません。サタンがたまらなくなって反対しますから、サタンが一番憎むのは統一教会の皆さんです。ですから、救世主は統一教会の人々を訪ねて来ざるを得ません。救世主の父が神様ですから、神様は統一教会の文先生を忘れてしまうことができないというのです。神様が文先生を訪ねて来て、神様のすべての秘密を皆教えてくれ、密かに相談したりしていましたから救世主になったのです。神様の身代わりとなって世の中を救うことができれば救世主になるではありませんか。救世主の内容は何なのか。真の愛と真の生命の種を植え付けてあげることができれば救世主になるのです。ところが人類は、真の愛の畑で生まれませんでした。真の生命の種を受けられませんでした。 復帰摂理の最終目的はアダム家庭の完成 さあ、今からしっかりしなさい。時間がなく、短縮して話をするのです。今から私達はどのように行かなければならないのか。今や個人を伝道する時が過ぎて行きました。今からは個人伝道を考えません。 どこから堕落しましたか。個人で堕落しましたか、家庭で堕落しましたか? (「個人でしました。」)アダムとエバが一人で、個人で堕落しましたか。相対がいてこそ堕落するのでしょう? 相手がいないのにどのように堕落しますか。どこで堕落しましたか。(「家庭で堕落しました。」)家庭でです。家庭の中で何人ですか。(「二人です。」)家庭が堕落しました。それによって一族が引っ掛かるし、民族が引っ掛かるし、国家が引っ掛かるし、世界が引っ掛かっています。 それでは、どのように救いを受けなければならないのか。今日、キリスト教思想の中で間違っていることは何かというと、救いを受けるにあたって、私個人の救いを受けるというのです。そして、イエスを信じれば天国に行くことができると言われているのです。では、一人で行けというのですか。天国に行ってみなさい。しかし、そのようにはなっていないのです。 天国とは何でしょうか。本来、神様の王子・王女が王権を受けて、国を治めていて、相続を受けてきた王権を自分の息子・娘に伝授してあげて生きていくところが天国です。そのように考えてみるとき、「天国は空いている」という言葉は否定することができません。天国が空いていますから、天国を創造されようとした神様のすべての理想が成されないまま、悲惨な神様であるというのです。 それでは、今までイエス様が苦労したことは何だったのですか。それは、新婦を捜し求めてくることだったのです。そのようにすることができる一族がいなければならなかったのです。ザカリヤの家庭とヨセフの家庭が連合したような、カイン・アベルの環境がなければなりません。カイン・アベルを中心として二つの相対圏がなければなりません。救援摂理は復帰摂理であると言いました。復帰は戻って行くのですが、復帰摂理は再創造の摂理です。 神様が環境を造っておいてその中に何を置きましたか。環境を創造した後に、必ずプラス・マイナス、主体と対象を置きました。それが創造の原則です。神様は、環境を創造した中に主体と対象を置きました。ですから、鉱物にも主体と対象があるし、電子にも主体と対象があるし、植物にも主体と対象があるし、動物にも主体と対象があるし、人間にも主体と対象があります。雄雌、男女、皆あるのですね。すべてのものが皆主体と対象から出来ています。手も、右手が主体であれば左手が対象です。こうして合うのです。足も皆、主体と対象で出来ています。二つが連合して一つの焦点で皆連結されるのです。 家庭が堕落しました。ですから、今までの救援摂理は何かと言えば、家庭を復帰するのです。誰の家庭かと言うと、アダム家庭完成のためです。アダム家庭が堕落して、サタンの汚された基台を中心として氏族が出来、民族が出来、国家が出来、世界が出来たし、天地が出来たのです。サタン世界の家庭がこれを貫いて出て行こうとぶつかるようになるとき、これが壊れてはいけません。個人的勝利の環境に氏族環境が行ってぶつかったとしても、中心にならなければなりません。たとえ国家が反対したとしても、貫いて出て行かなければなりません。世界が反対したとしても貫いて出て行かなければなりません。 オリンピックのチャンピオンも、記録を破れば王になるのですね。記録を好む人が王の振る舞いをするのです。それと同じく、蕩減復帰路程において、記録を破って完成したアダム家庭一つを作ろうというのです。神様の再創造の役事は、失ってしまったアダム家庭を復帰して、サタン世界の版図圏内でどれだけ迫害されても亡びず、無くならず、勝利して残る一つの家庭王を作るためのものです。真なる神様の生命と愛を中心とした王宮に生きることのできる家庭を作ろうというのです。これが救援摂理の最高の目的です。 家庭解放のための救いの歴史 今までの救いの歴史は、完成した家庭を捜し求めるためのものでした。イエス様が来てもできませんでした。家庭をなして国を従えなければならなかったのです。ローマに入って行って、ローマを消化しなければならなかったのです。そうすれば天下を統一したことになり、還故郷することができるのです。 先生も同じです。真の父母の位置に立って、個人を中心として上がって行かなければなりません。長成期完成級から完成期完成級まで七数が残ったのです。これを上がって行くために霊界と地上界を連結させて、霊界の勝利圏を地上に結ぼうとすると、宗教圏を全部収拾しなければならなかったのです。全部上がって行った後に宗教が必要ですか。アダムの世界に宗教がありましたか、不義の政治がありましたか。不義の泥棒もいませんでした。ここには絶対に順応します。侍り、歓迎するようになっているのであって、そこに対峙し、闘争して、分散させようとするものがなかったというのです。 しかし、今日、サタン世界で先生の家庭を中心として、長成期完成級から出発して七年路程を行く道に、この世界が厳しく打ち、無くしてしまおうとしたのです。そこから勝利しなければならないのです。そのためには、御言でもって勝利しなければなりません。キリスト教であればキリスト教文化圏内でそれを全部収拾し、共産主義と自由世界まで収拾して、上がって行かなければなりません。そこから、左翼と右翼が全部反対するのです。 十字架のイエス様を中心とした右側の強盗と左側の強盗のように、二つの輩をもってこのようにして行くというのです。(仕種で示される。)これが天へ一八〇度戻って行かなければならないのです。左側が右側になり、右側が左側になろうとすれば一八〇度ではありませんか。そうしてこそ統一された世界へ行くのです。ですから、左右を収拾して一つの勝利された世の中を造り、どの国であっても先生の家庭が行くところに反対できない勝利的家庭にならなければならないのです。 キリスト教が反対するその局面を、統一教会によってキリスト教に対処してきたのです。大韓民国が反対するのに対処して、世界統一教会民族編成をなしてきたのです。民族を作ろうが、国家を作ろうが、今や大韓民国が統一教会をどうすることもできません。国家の次元を乗り越えました。 世界のすべての帰着点は韓国ですが、韓国に帰着するためには、心と体が帰着し、夫・妻が帰着し、親戚が帰着しなければなりません。世の中を見れば、一番難しいのが姻戚です。姻戚同士は大概会うことを嫌がりますか、会うことを好みますか?(「会うことを好みます。」)あまりにも会うのが好きで心配です。食べるものがなければ姻戚の家に行って御飯をもらって食べようということを考えます。住むところがなければ、その家に行って潜り込んで住めばよいと考えます。それでも、先生が教えた原理によれば反対できないようになっています。兄弟が飢えるようになれば、共に分けて食べなければならないのですね。兄弟が隣の町の寒い部屋に住んでいて、自分達の部屋が暖かければ、自分達の部屋に来て眠るようにさせるのです。そのようにならなければ兄弟とは言えません。民族を越えて、血族を越えて、そのようなことをしなくては天の国を所有できません。天の国の皇族の血族になることができないのです。 今まで歴史は、家庭を解放するための闘いをしてきたのです。旧約時代、新約時代、成約時代。成約時代とは何か。中心となる真の父母の家庭が、堕落圏の世界において完全に勝利し、乗り越える時を言うのです。そのようになれば、環境をみても文総裁の家庭を打ち捕らえようとする怨讐がいません。彼等が争って負けたので、無くなったのです。たとえ射撃のチャンピオンであっても、オリンピック競技に出て負ければ、自分が持っている賞杯を引き渡さなければなりません。 サタン側の世界をずっと経て来るのに、ご父母様の家庭に対して、世界中の国の家庭が反対しないのです。今では「ああ、行くべき所が分からない」と思うのです。今、そうなのです。世界は今後、行くべき所へ行かなければならないのですが、アメリカに住んでいる人も、この一等国がどこへ行くのか分かりませんし、大韓民国も、どこへ行くべきか分かりません。そのようにして次第に修羅場に消え去って行くのです。 偽りの愛がこの世界を地獄世界に作ってしまったから、神様は、はるか底の方へ下って行くようになっているのです。しかし、夜が明ければ暗いものは反対に押しやられていくように、悪魔が作った亡国の版図は、朝が来ればだんだん地へ入って行くのです。来るべき主が現れる時には、だんだん目茶苦茶になります。 アメリカ自体が世界の中心なのに、世界を失ってしまいました。世界の主人になることのできる思想がありません。白人を中心としたアングロ・サクソン民族、それ自体が一つの民族でもありません。自分の民族に関することも皆分かりません。父、母も皆、忘れてしまいました。夫婦同士も皆分かりません。全部、個人主義になって、皆失ってしまいました。 女性として生まれれば、男なしには絶対に生きることができないようになっているのです。それなのに、フリーセックスをするのです。そこに何か残りますか。よく見てみると全部、お互いに利用し合っているのです。相手を愛するが故に、そうするのでありません。考えると呆れ返ります。そのようにして、だんだん暗黒の天地が訪れ、嫌になるのです。そして、今後は皆、生理帯を付けて生きたがるというのです。関係を結びながらも、もの寂しいのです。それは全部、利用してやろうとするからです。自分にお金でもあれば、こちらで奪われ、あちらで奪われて、結局巡り回ってみると自殺するしかないのです。彼等には行く所はありません。 ところが、統一教会の信徒達を見ると、外見はみすぼらしいのです。今回も、アンカレッジから祝福を受けに来た統一教会の男女を見ると、着のみ着のままで来たのですね。嫁に行こうとする娘達が着ているものを見ると、飯場で働いていた服を着ているのです。また、唇を見てもルージュ一つも塗らないし、化粧もしないで来るのです。それを見て私は、[私があのようにしてしまったのか。それとも、自分達がそうするのか]と考えました。私がそのようにしたとすれば、それは私が罪人なのです。私達の統一教会の信徒達がそのように生きるので、私も身に付けるものも質素なものを着て歩き回るのです。条件的にでもそのようにするのです。負債を負ってはいけないのです。負債を負う者は立ち去らなければなりません。後退するのです。 今までの救援摂理とは何ですか。真の父母の家庭を完成させて、サタン世界のすべての国の家庭と、すべての民族の家庭が、その家庭に反対せず、崇めるようにする環境を作ることが、選民を立てた神様の御旨でした。イエス様が家庭を捜し求めることができたとすれば、国を代表し、世界を代表し、自由奔放な解放された立場で生きられるようになったのです。しかし、そのように生きられなかったのです。それがイエス様の恨みであることを知らなければなりません。 ですから、キリスト教を中心として、二千年後に再び来る時までの新約時代において、第二イスラエルのクリスチャン達がしなければならないことは何か。新婦を準備しておいて、新郎を迎えた後に、世界舞台を中心として、自分の家庭や自分の国よりももっと自由に世界を治めることのできる環境を神様が作ろうとされたのです。そのように準備されたのに、キリスト教はそれを成すことができませんでした。 堕落によって失われた実体完成圏 さあ、はっきりと聞きなさい。今からの時代はどのようになるのか。家庭を中心として解放圏を全世界に整えた統一教会の文教主によって、初めて自分が解放された環境で、万国の主人であることを発表しなければなりません。 主人とは誰ですか。真の父母様です。ですから、今回、女性大会の活動をするとき、父、母、息子・娘達を動員して標本を見せるのです。その家庭を東西南北で反対せず、歓迎したという事実が驚くべき事実だというのです。ですから、救援摂理は、来たるべき主の家庭が、世界のどこでも境界線なしに、夜でも昼でも自分の家のように住むことのできる環境を作るためにあるのです。そのための先発隊として選ばれたのがイスラエル民族であり、キリスト教です。ですから、再臨時代には、キリスト教の基盤の上に来たるべき主と出会ったならば、世界はそのような版図として継承されるのです。 それでは、そのキリスト教は、来たるべき主の時をどのように準備しなければならないのかといえば、サタン世界で互いに反対する家庭や国を全部結び付けて、清算しておかなければなりません。それで、来たるべき主の立場に相対するキリスト教文化圏を中心として、サタン文化圏を完全に占領して、統一圏を整えなければなりません。そうしてこそ、主が来て、家庭理想を超国家的な次元で行使することができるのです。それで、キリスト教は二千年間、超国家的な版図を世界的に築いてきたのです。旧約時代に失敗したことを新約時代に成就すべきでしたが、できなかったのです。それで、成約時代に来て成就するのです。ですから、成約時代に再臨主が来る時、キリスト教文化圏が世界を支配する位置に立たなければならないのです。事実、そのようになったか、ならなかったかということを、皆さんは知らなければなりません。 神様が理想とされる完成アダムは、人間が堕落することによって今まで現れませんでした。反対に、どのようになったのですか。(以下図①)サタンが神様の代わりに立って、堕落したアダムと一つになりました。このアダムの下にエバが従って行ったのです。この下にカインが従って行き、その下にアベルが来ます。本来、堕落しなければ、神と一つになったアダムにエバが連なり、そこにカインとアベルが繋がっていったのです。このようになったとすればサタンはいません。 しかしながら、堕落することによってこれが皆無くなってしまったのです。モデルは残りましたけれども、実体完成はできませんでした。実体完成する代わりに、堕落した実体圏が起こりました。ですから、主人が代って、サタンを中心としてこのようになりました。 ここ( )に神様が入って行くことができるのか、できないのかが問題です。堕落した後にアダム・エバをエデンの園から追い出したでしょう? ところで、アダム・エバは子供を生んだ後に追い出されましたか。愛の関係で堕落したとすれば、愛の関係を結んだことを知った後に、子供を生む時まで保留して追放するという法は無いのです。雷が落ちるのです。堕落したアダム・エバを見れば直ちに火が落ちるのであって、何日か待つことができますか。できません。絶対にできません。 子供を生もうとすれば夫婦生活もするし、胎内で十か月は待ってから、「おぎゃー」と言って出て来るのです。ですから、結論ははっきりしているのです。堕落した直後、子供を生む前に追放されたということは間違いありません。それでは、アダム・エバが子供を生む前に追い出されてどこへ行ったのでしょうか。人であっても、動物のように食べるものを捜し回るのです。まさに動物とそっくり同じです。 それでは、二人が動き回りながら何をしたでしょうか。エバとアダムが一緒に動き回ったでしょうか。「このあばずれ女め、もうお別れだ」と言って、一人は東へ行き、一人は西へ行ったでしょうか。アダムが怒って、「このエバめ!」と言って頬を叩いても、エバが泣けば、やはりかわいそうに思うのですね。「あいつ、どうなったのか。死ななかったか」と思って行って見るのです。ですから仕方無しに付いて回るしかないのです。そして、二人が動き回りながら分別がつくようになって、動物達も全部、雄、雌のつがいが交流するのを見ると「一緒に生きるな」と言っても生きるようになっているのです。 蕩減法による復帰の役事 それでは、その結婚生活を誰を中心としてしたのでしょうか。神様がそれに干渉したでしょうか。アダム・エバはカイン・アベルを生んだのですが、神様が、「アダム・エバよ、息子・娘を生みなさい」と言って生んだのがカイン・アベルなのですか、それとも自分勝手に生んだのがカイン・アベルなのですか? (「自分勝手にして生んだのです。」)自分勝手にしたのですが、誰が喜びましたか。(「サタンです。」)サタンが喜んだのです。サタンを中心として結婚式をしたというのです。これを否定することができません。故に、サタンの愛を受け、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだということを否定することができません。それで、今日、堕落した五十億の人類は、完全に悪魔の血筋を受け継いだというのです。堕落という概念をはっきり知らない人は、復帰の概念が分かりません。それを知らなければなりません。 ところで、アダム・エバの二人が一番初めに堕落したことだけでも悔しくてたまらないのに、二人がまたくっついて生きるのを見るとき、神様はどのように思われるでしょうか。喜ぶでしょうか。「そのように生きなさい」と思ったでしょうか。呪いたかったのです。そのような連中を、創造理想の主人である神様は放っておくことができないので、再び創造理想の位置を捜し求めなければなりませんでした。この位置( )に立たなければならない神様が、サタンが頭になりましたから、仕方なく戻って来て、この位置( )に立たれたのです。町内に娘がいて、神様が息子を育てて、その人の嫁にしようとしたのに、町内の泥棒野郎が行ってくっ付き、息子・娘を生んでしまったというのです。だからといって神様は、「私は、そんな息子・娘は必要ありません」と言うことができないのです。絶対的な神様が永遠性を中心として造ったので、仕方なく、これを再び捜し求めて修理するしかないのです。ですから、救援摂理は復帰摂理です。戻って行くのです。復帰摂理をしますから、再び修理するしかないのです。病気になれば病院で全部処方して、反対に引き上げるようにしなければならないのに似ています。それ故に救援摂理は、逆にしなければならないのです。 それで、神様は仕方なしにアベルを通じてなされるのです。アダム・エバを思い通りに主管し、カイン・アベルを思い通りに主管することのできる神様が、エバを奪われ、直系の長子権を皆奪われましたから、次子からするしかないのです。本来は、神様がアダムの主人であり、アダムが神様の息子であるので、サタンも仕方がないのです。神様が取ることができるのは、復帰原理から見るとき、これしかないというのです。(図① を示しながら)ですから、神様は、アベルを捜し求めてカインを屈伏させる役事をなさるのです。 ところが、ここに悲劇が起ったのです。これを再び上って行くためには力だけではできません。歴史の路程に逆説的路程がここから生じたのです。愛の歴史的路程、生活の路程全部が反対しますから、一八〇度の逆説的路程が成立したのです。ですから、聖書を見れば「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」というのです。イエス様は「誰でも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらには自分の命まで捨てて、私のもとに来るのでなければ私の弟子になれない」と語りましたし、又、「誰でも、私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って私に従って来なさい」と語りました。自分の十字架を、父母たるイエス様が負ってあげることはできません。子供が罪を犯したからといって、神様が責任を負うことができないというのです。それで、イエス様は「自分の父、母、息子・娘よりも私をもっと愛しなさい」と語ったのです。たとえ愛するとしても、「自分の十字架を負って従わない者は私の弟子になれない」と語りました。十字架を加えたのです。それが何かというと、蕩減法です。一八〇度変わらなければなりません。サタンがあの頂点を握りましたから、一八〇度反対は底ではありませんか。神様が底を握り、ここ( )から復帰の役事をして行かなければならないのです。 復帰の経路 今日、歴史は今までこれ( )も清算できませんでした。今まで兄弟げんかです。血筋でこれが交叉したので、カイン・アベルでもって血筋を捜し求めて行くのです。(以下図②参照)これがカイン側であり、これがアベルです。三段階を経ていくのです。アダムの家庭において、カイン・アベルが兄弟として生まれました。ところで、神様を中心としてカインをアベルの前に屈伏させなければなりません。順序は、神様、アダム、天使長です。神様の位置がここにあるし、その次がアダムの位置、その次に天使長の位置です。この天使長がカインであり、アダムの位置がアベルであり、サタンの位置の代わりが神様です。神様とアベルが合わさって天使長が屈伏しなければなりません。復帰がそうでしょう? 順序が神様、アダム、天使長ですね。ですから、神様が次子アベルをアダムの位置に立てておき、カインを天使長の位置に立てたのです。ですから、カインはアベルの前に屈伏しなければならないし、アベルはお兄さんの位置に上って行かなければなりません。 堕落しなければ順序は、神様、アダム、天使長の順です。カイン・アベルが交叉した位置で、長子権を捜し求めなければならないという論理がここから出てくるのです。こうしてアベルとカインが、主体と対象の位置で一つにならなければなりません。 復帰歴史は再創造歴史だというのです。堕落しなかった時は、主体が先になった位置なのですが、堕落したのを復帰するには逆になるのです。小さいものが主体になり、大きいものが相対にならなければならないというのです。それを強制でするのではなく、自然にするのです。アベルが主体の位置であり、カインが対象の位置なのですが(図①②)、強制で替えるのではありません。主体と対象は、順理的にするのです。自然的にしなければならないのです。ですから、救援摂理は難しいのです。 これが神様を中心として一つになるようになれば、神様の位置とアダムの位置と天使長が復帰されるのです。この二人が一つになれば、アベルがプラスになり、カインがマイナスになるのです。再創造歴史であるので、環境圏内で一つになって、プラス、マイナスが設定されれば必ず次の圏があります。これよりもっと大きいものがプラスになるか、マイナスになるのです。もっと大きい存在の前にこれがプラスであれば、マイナスになって、このように一つになるか、これがマイナスであれば、これがプラスになって、このように一つになるかして対応的な関係で発展するのです。(図③)そして、息子・娘が母親エバを中心として一つになるのです。この三人が一つになって、アダムが復帰されるのです。そのような原則があります。復帰していく過程は、堕落するときと正反対になります。 もともと、天使長は相対圏も所有圏もなかったのです。ところが堕落することによって天使長が所有権を持ったというのです。自分の物ではないのにアダムの物を奪ったのです。そのために、これを捜し求めて来なければなりません。それで父母と息子・娘が一つになるのですが、エバ、カイン・アベルが大きいプラスですから、カイン・アベルが一体となってマイナスの位置に立ち、そして、アダムがもっと大きいプラスになり、更にエバ、カイン・アベルがマイナスになってこそ一つになるのです。それで、サタンを除去してしまい、神様を受け入れればよいのです。それが復帰です。(図`③参照) サタンの基地となった肉身 それでは、サタンの基地はどこかというとき、それは皆さんの体です。サタンの基地は、愛がねじれたところなのですが、その所がどこかというと、心ではありません。体です。成熟して心と体が一つになって愛さなければならないのに、心が苦痛を感じ、「こうではいけないのだが」と思っています。ねじれた罪の舞台が体なのです。心が許可しない愛で体が汚されたために、サタンの愛の基地は体になったのです。ですから体が基準になって堕落するようになったし、本来、心は天を基準としてできましたから、この心と体が定着する基地をどこにしようかと争っているのです。 神様の基地とサタンの基地が私の体で生じました。本来は、神様だけの基地にならなければならなかったのです。心と体が一つになった、神様だけの基地になるはずなのに、心と体が分かれて、神様の基地の前にサタンの基地になりましたから、これが禍根となっているのです。 それでは、体の基地を捨てなければなりませんか、心の基地を追い出してしまわなければなりませんか。原理的観点から見れば、体の基地を追い出してしまわなければなりません。サタンの愛の基地が肉身となったために、体を中心として見れば、心がプラスなのに、体がまた別のプラスになっています。(図④参照)今日まで、人間がどのようにして心と体が分裂してしまったのかという問題を考えてみた人がいません。しかし、先生が出て来て明らかにしてあげたのです。 偽りの愛故に、体と心の争いが始まったのです。万一、神様の愛を中心として、心と体が一つになった愛の中に根を下ろしたとすれば、その愛が離れない限り、私は永遠に一致するようになるのです。ところが、悪魔の愛の種を受けたので、体と争うのです。長成期完成級の位置に上って行ったのが体ですか、心ですか。私の家庭が堕落して、版図が家庭から氏族、民族、国家、世界、天の国の宝座の下まで拡大されていきました。それは悪魔の愛によるものではありませんか。体は心を勝手に支配することができないのです。アダムも長成期完成級までしか上ることができなかったのですが、悪魔の勢力圏は、体を通じて個人的基盤から家庭、氏族、民族、国家、世界にまで皆、つかんでしましました。故に、心が解放されるためには、体の世界を全部ひっくり返して消化しなくては戻って行く道がないのです。これを完成しなければならないのがメシアの使命です。 メシアは、心の完成者として来て、体まで共鳴させて、愛でもって吸収し、一つにしなければならないのです。そのためには、まずサタンを追放しなければなりません。サタンの愛の根を清算して接ぎ木し、分けてあげなければなりません。そうしてこそ戻って行くのです。根本をはっきりと知らなければなりません。 アダム完成者として来られる再臨主 皆さんが行く道はどこですか。体と心が争っているのですね。そのような位置では解放されません。解放するその位置の人は、心を中心としてサタン世界の民族と争い、勝利した位置に立たなければなりません。私がどれだけ「心の世界に自信を持つ」と言っても、サタンが反対するのです。周囲から攻撃するのです。ですから、これを征服しなければなりません。そのことを神様が知っているので、宗教を立てることによって心が体を支配する条件を立ててきたのです。万民の代わりに征服するのです。そのようにして、血を流して残してきたのです。故に、キリスト教は、個人から、家庭から、氏族から、民族から、世界的版図であるローマ帝国において血を流しながら解放圏を拡大しつつ、ローマ帝国をキリスト教文化圏に変えていったのです。 ですから、そのようにしてローマを越え、個人級、家庭級、氏族級、民族級、国家級、世界級まで越えてここまで来たので、反対する道がなくなったというのです。それは心が解放される道だというのです。心が解放される道を通してメシアが来るのです。アダムは心の完成基準を捜し求めて来なければならないのに、心の完成基準を失ってしまったのです。それを世界版図でサタンが占領したために、蕩減して戻って来ることのできる勝利の判定を得なければならないのです。それで、これを皆築いた基盤の上に心を取り戻して、再び戻っていかなければなりません。 家庭で堕落しましたから、定着地は国でもないし、民族でもありません。家庭です。それ故に、争って皆消化し、勝って戻って来るとき、ここには反対はないのです。その道を皆行かなければなりません。しかし、その道が分からないために、長い歴史をかけてキリスト教を中心としながら、心と体が一つになる基盤を築いてきたのです。心と体が分立されることによって霊界と肉界が分かれたために、来るべき主は、心と体を代身した霊界と肉界を統一しなければなりません。 ですから、来るべき主は男性として来て、アダム完成者にならなければなりません。アダム完成者とはどのような人かといえば、神様の心情圏内において、王となることのできる神様の息子です。息子の中の代表たるべき息子は、神様と心情的に通じあい、愛される資格を持つ者として現れなければなりません。 アダム完成のための四つの条件 アダムが堕落した時から今日まで、神様の創造理想として願われる息子を生み育てるという御旨が一度も成されませんでした。ですから、その心は、堕落した世界の悪魔の子供達を見るたびに恨みになっています。これを解いてあげなければなりません。神様の息子として完成し、恨みを解いた息子はこの地上にいなかったのです。 アダムはまず何にならなければならないのか。神様の心の中には愛の包みがあるのですが、その愛を完成しなければならないアダムは、神様の御旨通りになったこれを皆合わせて、「ああ、良いですね」と言いながらここに入って行かなければならないのです。神様のみ心に一致して、「お前は私の息子の中の息子だ。私がお前を創造するとき、息子として生み育てて、このように作ろうとしたのが、ついに完成したので、私の心の中の恨みと悲しみがなくなった。お前を眺めるとき、喜びが先に始まるのだ」と言わなければなりません。 アダムが完成すれば神様の喜びの対象になるのであって、悲しみの対象になるのではありません。ところが未完成になり、悲しみの対象になったというのです。喜びの対象となることができず、悲しみの対象となったことが恨みとして残っているのです。故に、その恨みを解いてあげなければならない息子の使命が残っているというのです。 アダムは、最初に息子の使命を果さなければなりません。二番目にはお兄さんの使命を果さなければなりません。エバは、娘の使命を果さなければならないし、妹の使命を果さなければならないのです。息子の心情圏とお兄さんの心情圏を持たなければなりません。三番目は、アダムは新郎の使命を果さなければなりませんし、エバは新婦の使命を果さなければなりません。アダムは神様の中にある新郎の心情を完成しましたか。創造理想において新郎のあるべきモデルの根本とぴったり一つになって、その完成を喜ぶことのできる新郎的心情圏をアダムが完成できませんでした。四番目は何かといえば、父母の心情圏です。新郎と新婦の心がまさしく合一して愛して、完全に血肉が同化されて混ざり合うようになるときは、神様と一緒になるのです。神様は、性相と形状が愛によって和合されて、主体的性相を持つために、アダム・エバは、完全に一つになることによって、主体の前に対象としての位置に立つのです。実体として、対象の位置でもって神様の前にマイナスにならなければなりません。(図⑤参照) アダム・エバが神様から生まれたときは、息子であるし、娘であります。この時は、対象的関係があります。神様が性相、形状でもって最大限度に拡大させたのです。上から最下へ垂直線で分けておいたのです。大きさを願うならば遠いほど大きいものが生ずるのです。極が遠いほど占領する面積が多くなり、成された形態が大きくなるのです。垂直の軸は一点しかないので、そこからは繁殖が生じません。繁殖するためには大移動が起こらなければならないのです。それで面積を捜し求めて行かなければなりません。 四大愛を中心とした統一圏の形成 それでは、男はどこへ行かなければならないのか。男が縦的な垂直であれば、横的な一番遠い距離を捜し求めなければなりません。アダムは東側、エバは西側です。エバもこのように捜し求めて行きながら大きくなって行くのです。アダムの行く目的は、このように育つことです。幼稚園に行き、小学校に行き、中高等学校に行き、大学に行き、博士コースに行きます。エバも同じです。お兄さん、お父さん、お母さんから分かれて行くのです。そうしながら女性は女性なりに成熟しなければならないし、男性は男性なりに成熟しなければならないのです。分かれてどこに行くかというと、家を出て、自然と一つになるのです。 子供達も動物を好み、鳥を好み、昆虫を好むではありませんか。小さいアダム・エバも、そのようにしていたのです。神様には、アダム・エバは生きたおもちゃのようなものです。ですから一緒に遊びたいし、知りたいのです。そうしながら、東西南北へ球形体になるのです。兄弟を中心として全部回るのです。こうしながら大きくなって行くのです。(黒板に書かれながら語られる。) このように大きくなって、ここからここまで来てみると、世の中の万事を皆知るのです。すると、「私が行かなければならない所は違う。男がこのように動き回るべきではない」と思って、エバが自分の相対であることを知るのです。エデンの園では二人しかいなかったからです。 エバも大きくなってみますと、「ここに来て一人でいるべきではない。お兄さんを捜し求めて行かなければならない」と思うのです。アダムは兄であり、エバは妹です。分別がつき始め、生理が始まったりしますから、アダムのことを考えるようになるのです。何でもないのに胸がふくらんで来るし、一人離れるとひっそりとして寂しいのです。 すべての万物も、春が訪れるようになれば皆つがいになりますから、アダム・エバもそれを見て、私の相対は誰かしらと考えるようになるのは当然のことです。アダムの相対はエバであり、エバの相対はアダムです。それは自然に分かるようになっています。愛の博物館である自然界を眺めるようになるとき、人もまた、このように生きるものであるということを、全部知るようになっているのです。 皆さんも嫁に行く前に皆学ぶのですね。(「はい。」)それと同じです。女性達の胸が大きくなり、月のものが生じ、異常な気分になるのですね。そのようになると、男性のことが意味もなく思われるし、塀を越えてがやがや騒ぐ男の声が聞こえれば、我知らずにすっと行って、塀越しに見るようになるのです。兄弟の愛は結局このように上って行くのです。(黒板に書かれる)これが必要なのです。球形になりますから解かなければなりません。兄弟思想は世界を象徴するのです。これを上弦、これを下弦と言います。これは東弦なのですが右弦です。これは西弦なのですが左弦と言います。これは前後を言います。ここからは見えますけれども、あちら側は見えません。それで、これは前弦、これは後弦と言います。 それでアダムが完成して息子の代表者としてオーケイ。神様の心情の中にあるすべての基準に一致したというのです。孝子が生ずるという話です。娘も同じくオーケイ。また、アダム自体はお兄さんです。お兄さんとして妹を愛するのにオーケイ。その次に、自分の家で自分が父母の愛を受けて生きることを知ります。妹を思い、兄を思う時、必ず、自分の父母が愛する兄であり、父母が愛する妹であることを忘れてはいけません。その上に自分の愛、兄の愛をプラスするようになるとき、兄弟の愛が生ずるのです。父母が愛する心情圏に兄の愛をプラスするようになるとき、妹の愛が生ずるのです。 そのように大きくなって、これを皆愛するのです。ですから、今や残ったものは相対的愛しかありません。兄弟が皆上って行って、新郎新婦を愛することによって、今や右弦、左弦が、上弦、下弦が合わさらなければならないし、前弦、後弦が一つにならなければなりません。それで、一つが中心になった核が右側の核になり、左側の核になり、下側の核になり、上側の核になり、前弦、後弦の核にならなければならないのです。右弦の焦点がこれ(図⑥o)です。左弦の焦点も同じです。前後の焦点もこれです。上弦、下弦の焦点もこれ(o)だというのです。このすべての弦の焦点は一つしかありません。そしてこの距離は皆同じです。これ(a―o)が皆同じであるだけにこれ(b―o)も皆同じです。これ(c―o)が皆、同じであるだけにこれ(d―o)も皆同じです。(書かれたものをさし示されて語られる) ですから、これ一つを取って背負って動き回って、一か月後に南側のこちらを取ってしまって、持って来て合わせても合うのです。どこに持って来て合わせてもオーケイです。だからと言って、焦点は絶対に傷付きません。これが統一圏であり、焦点です。眼にも焦点がありますね。これが少し曲がると眼が痛いのです。鼻も焦点がありますね。少しだけ回せば鼻づまりになります。唇も二㍉だけ違っても振動数が変わって話し辛いのです。人が歩いて行くときも全部焦点を合わせるのです。体が交互して焦点が合うのです。脚と腕が交互して焦点を合わせて行くのです。それが衝突を起こすようになれば、道行く人も逆に行くのです。真っ直ぐ行けません。 すべて、真っ直ぐにならないものは不合格になるのです。この焦点さえ合うようになれば、どれだけ削り捨てても全部合います。絶対統一が起こるというのです。また、このようになれば、電気でいえば負荷がかからないというのです。神様はこのような統一圏を作ろうとされるのです。 本然の夫婦愛の定着 アダムの完成は先程語った四つの種類です。一番目は息子、二番目は兄弟、三番目は夫婦、四番目は父母です。この四大心情圏を捜し求めることが神様の心中の願いです。これを、そのまま実体として成さなければならないのです。アダムがこのように完成するようになれば、四種類の愛がどこに来て集まるかといえば、東側にいるアダムの中に集まります。また、エバが完成するようになれば、このような四つの種類の愛が西側にいるエバの中に皆集まります。そこで完成するようになります。 このようになるとき、神様の心中には、いつでも息子に対することのできる喜びがあるのです。息子の喜びが誰にあるかというとアダムにあります。神様の中にあったアダムの心情圏のすべてのものが完成して相対になり、それを授け受けするから良いというのです。 その次には兄弟の愛です。子供が父母に親孝行するよりも、兄弟同士がお互いに愛し合う姿を見て、もっと喜ぶのが父母の心です。兄弟の愛は、父母の愛に自分達の愛をプラスしなければならないという道理があるからです。父母は、子供が自分達に親孝行してくれる以上に、兄弟達同士が愛することを喜ぶのです。それは、兄弟の愛は、父母の愛の上に自分達の愛がプラスされているのが天理だからです。今の世の中では、このことが分かりませんが、皆さんははっきりと知らなければなりません。プラスされたその上にまたプラスして、合わさるものが夫婦の愛です。ですから、夫婦になれば、姉や兄のことを気にしなくてもいいし、父母のもとから去ってもいいのです。夫婦の愛の中には父母の愛があるし、兄弟の愛があるからです。それ故に、夫婦の位置は、父母と兄弟が包んでくれ、愛してくれる、保護する位置です。もっと大きい愛ですから、為にしてやることのできる位置にいるというのです。これが分からなかったというのです。 今日、女性が嫁ぎ先に行けば、小姑達が大騒ぎしますね。それをどのように教育するのですか。この原則があることによって是正されるのです。嫁ぎ先の父母も、小姑も夫婦同士の愛の前には、為にしてやらなければならないのです。それを後ろ楯してあげるのが原則です。 息子の愛と兄弟の愛をプラスして一つになることによって、夫婦の愛が定着することができるのです。夫婦がこのような愛を皆成してどこで会うのか。ここにあったのが、ここからこれを成して移動が始まります。(書かれたものを指し示して)夫婦の愛以外には移動することができないのです。ですから実に素敵なのですね。 ですから、これを実体圏から見ると、兄弟の愛は皆上って来て移動するようになるとき、これが下弦ですから、神様も愛することのできる心を中心として、このように捜し求めて下って来るのです。こうして神様が願う夫婦の心情圏が、このようにぴったり向い合って、夫婦の心情圏が皆動いて、上下弦が連結される立場になって移動して行きますから、これは下って来るのです。これが移動しますから、一つになるためには下って来なければならないというのです。 これは相対がありません。ここに軸はありますが、相対がないので、相対圏に立つ対象的位置を捜し求めて行こうとしますから、ここに行くのです。そこから初めて男は女を引き寄せ、女は男を引き寄せるのです。愛するとき、初夜に誰が引き寄せてあげなければならないのですか。新郎が自分でも知らないうちに引き寄せてやらなければなりません。手本になることのできる愛の起源が父母です。父母が夫婦の愛によって連結されて息子・娘を生みました。この伝統を受け継ぐために、父母の位置に合った愛の頂点の位置を代身して行くことのできる位置がこの位置です。ですから、初めてそこに行って相対に出会うようになるのです。分かれていたのが来て、ぶつかって力強く引き寄せますから、爆発が起こるのです。それを恥ずかしく思うのは、堕落した要素が多いからです。こうして、「ああ、私の愛する人よ!」と言うのです。皆さんもそのようなことをしてみましたか。家庭の伝統がどのようになっているかということを知らなければなりません。西欧社会のようなものは全部零点です。全部地獄に行くのです。一つも原理に合いません。 ですから、愛する夫婦が街を仲よく歩き回れば、通りすがりのおじいさんやおばあさんたちが拍手をしてあげなければなりません。「あそこに美人の花嫁がいる。取って食べてみよう」と考える人は泥棒です。女性達もそうですね。「あの美男子を一度取って食べてみたい」ということを考えるでしょう? 男であれ、女であれ、同じです。 こうして引き寄せてみますと、「ああ、いい!」と言って、上弦下弦、前弦後弦、右弦左弦が初めて愛によって膨れ上がってくるのです。こうして、神様の本性的基準で性相と形状が作用するのが、一回り回ってあちらまで行って、行く所がなくて戻って、行ったり来たりすることを何回もする間に、拍子や呼吸が合わなければならないのです。呼吸するように百パーセント合う位置に連結されれば、そこから一身になるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.21
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