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月野 かぐや

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2006年10月09日
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カテゴリ: おもひで


他人事でなくなった日がある。

2001年9月11日だ。

それをはっきりと意識したのは
私にとって、縁のあるような、ないような、不思議な縁の
あるマイナーな国の宇宙飛行士の乗ったスペースシャトルが
任務を完了し、地球に帰ってくるときに
まさかの空中分解を起こし、飛行士全員が死亡したというニュースを聞いたときだった。

それまでの私だったら

せいぜい、飛行士達本人や、その家族・友人達の気持ちに思いをはせる。
それぐらいだったと思う。

でも、そのときの私のリアクションは
自分でも戸惑うほどだった。

そのことを聞いて、
そのマイナーな国出身の宇宙飛行士や
その家族のことを考えて
えんえんと泣き崩れてしまった。

元々関心のあったことでも、知り合いとつながりのあることでも、なんでもない。

たまたま目にしたニュースと、関連記事群だった。

そのときに

他人事とは思われず、逆に、非常に個人的なものとして理解されるようになってしまっていることに気づいた。

2001年9月11日にニューヨークで起こったことと
それに関連して、私が経験したことに関しては
今までも、整理して書けたことはない。

泣き出さずに、それに関して話せたためしもない。


そのときのことが話題に出ると、そっとその場を離れるようにしている。

何度かそういう場に無理して同席して
涙を我慢して(そうでないとオイオイ泣き出してしまうから)
胸をかきむしられる思いをしたことがあるからだ。

前置きが長くなったけど
今日、初めて全部整理して書いてみる気になった。

その日の詳細はこうだ。

それまでの背景として知っておいたほうがいいことは
その8月まで、私はニューヨークに住んでいて、
その1年ほど前から、次の年はニューヨークを離れなければならない可能性が強かったため、
実際にニューヨークを離れる8月までの1年間、
私は、なんとかニューヨークに対する気持ちの整理をつけようとしていたにも関わらず、それがなかなか難しく
引っ越した先での西海岸(=東海岸との時差は3時間)でもニューヨークに対して未練たらたらで
それでも、当時、自分の住む新しい街に一生懸命慣れるように努力していたこと。

私のニューヨークに対する執着心はものすごいのだ。笑。


朝起きて、7時頃に、ネット・ニュースをちらっと見て
高層ビルに飛行機が激突している写真は目にしたが
見出しまで見るひまはなく
「なんかの映画の宣伝か、なんかの実験の予想図かな?」と思って
特別気にもかけていなかった。

朝一の、一時間足らずの授業の学生の出席率がものすごく悪いのを不思議だと思いながらものほほんと過ごした。
授業のあとに、コンピューター室に入り、
「さ~て、今日のニュースは何だろう。今日はどういうメールが届いたかな~」とお気楽に考えつつコンピューターに向っていったら、
知人が立ち上がりざまに「やれやれ、なんて日だ・・・」と頭をふりふり立ち上がって出て行こうとするので
「なんのこと?」と言ったら
「まだ知らないの?ニュースを見たらわかるよ」と言われたので
「これが今日の授業の出席率の悪かったせいなのかなぁ~」と思って
ネットにつながった。


ニュースを読んで、即座にそれがどういうことかは理解できなかった。


最初に自分を襲った感情は
自分の街に起こった大惨事を感じ取ることができなかったことへの怒りだった。
考えてみれば、朝からいろんなことがあって
ちゃんと気をつけていれば、どこかでそのニュースはもっと耳に出来たかもしれないのだ。
だからって何かが違ったかと言うと、そうでもないのかもしれないけれど
単にそれを知らずにいて、感じ取れもしなかった自分にものすごく腹が立った。

その後は、いろんなことがあった。
ショックを感じたときに、人はいろんな表し方をするもので
時には、ひどく自己の感情の感じ方・表し方を正当化するものだと思う。

私は、他の人のショックの表し方を「不謹慎だ」「ひどい」「冷たい」「どうしてそんなに平気そうなのか」と批判的に思わずにはいれなかった。


と同時に、話せる相手が見つからなく、莫大な孤独感と、「泣いてはいけない」という強迫観念の狭間で、言葉を発することもできず、なす術を知らなかった。


そんななか、私の様子のおかしさに気づいて、先生に連絡をいれ、
私を研究室に呼ぶように手を回してくれた、知り合って間もない同級生がいた。

ニューヨーク出身でもある先生は、自分の研究室で
詰まっていた涙を流させてくれ、
親に国際電話もかけさせてくれた。

他にも、虚ろな目をして歩き回っていただろう私に
「ちゃんと食べな。食べなきゃダメだよ」と言って
お昼をちゃんと食べるまで見届けてくれた留学生仲間もいた。


私は、連絡を取るぐらいの仲である知人や、友人で
ニューヨークにいる人には
一人をのぞいて、全員連絡を取った。

大学や高校の卒業生のためのセーフティリスト(安全確認リスト)がメールで回ってきたりしたし、
自分でもネットでこまめにチェックした。

電話で連絡の取れる友人には、
当日は連絡が取れなかったけれど
2週間以内には、ほぼ全員と連絡が取れた。

みんな、興奮冷めやらぬ様子で
仕事に行けなくなったこと、
同僚で家に戻れなくなった人を泊めさせていること、
一日中、何がどうだったのかわけがわからず、とにかくダウンタウンを走り回るはめになった怒り(この人は市役所勤務)、
伴侶があともう少し早く家を出ていたら命が危なかったかも知れなかったこと、
でも、その地域にいるはずの伴侶と夜まで連絡が取れなかったので、気が狂いそうになったことなどを
話してくれた。

一人一人の話を聞いて、
それでも、知人・友人やその家族や
親の友人であり、私にとっても心のよりどころとなってくれていた人や、その家族に
何事もなくて、とにかく良かったと
胸をなでおろしていた。


その一週間後ぐらいに
本当に淡い知人だったけれど、
週刊メルマガを書いている
同じ高校卒のかなり上の先輩が
崩れ落ちるワールド・トレード・センターから、命からがら逃れ、
そのとき導引してくれた消防士の姿をのち見ることはなかったことや
家族とまる二日間連絡が取れなかったことも含め
詳しい経験談をメルマガで流してきた。


これに関する話や、本人のPTSDやそれに関わる心身症との闘いは
のちのメルマガでも流れてきた。


その一週間後ぐらいに
ニューヨークで知り合い、すでに日本に帰っていた友人から紹介された
共通の友人の伴侶がまだ行方不明だという連絡をメールで受け取った。


なんとなく、気になりながらも
いろいろ考えすぎて
連絡が取れていなかった相手だった。


メールを読んで、大体の見当はついてしまった。
連絡を取ってみると、元気のなさそうな声で
「心配してくれてありがとう」。
もう、言うことはなかった。


総勢、私の知人・友人で何らかの直接的な影響を受けた人たちは6家族。

少ないほうだと思う。


私は、すぐにでもニューヨークに飛んで行きたかった。
でも、消防士でもなく、医者でもなく、看護婦でもなく、精神医でもなく、カウンセラーでもなく、医療系ボランティアでもなく、
役に立つような知識や技術は何一つ持ち合わせていなかった。


そこに行けば、私はおろおろし
邪魔なもう一体の身体になり下がるだけだと言うことは
日の目を見るよりも明らかだった。


だから、行くのはかろうじてとどまった。


医療的技術も知識も持ち合わせていない
まだ自立もできていない
社会の寄生虫のように生きている自分を
あの時以上に怨んだことはない。


医療系にはもう進めない、
自分の無能さを深く恥じた。






9:11とか、911という数字の羅列にいちいち気づいてしまわなくなるのは
いつのことなのだろうか。


数字の羅列に関しては、気づいてはびっくりしなくなっただけ
進歩は感じられる。


当日やその周りのことに関しては
「6家族」と、抽象的に数字で表せるようになったところにも
わずかながらの進歩は感じられる。

焦ってはいけないのだけれど、
毎回毎回泣き出さずに
あのときの話を淡々とできるようになるのは
いつのことなのか、
将来を心待ちにせずにはいられない。

ぷちっ。





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最終更新日  2012年04月19日 07時17分18秒
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