Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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成田一徹プロフィール

  切り絵作家・成田 一徹(なりた いってつ)

 1949年、神戸市生まれ。本名は徹。1976年大阪経済大学大学院修士課程修了。神戸でのサラリーマン生活のかたわら切り絵に目覚め、88年に上京。切り絵作家として独立した(東京では、昭和の雰囲気が色濃く残る谷中に長く暮らした)。
 バー空間をモチーフにしたモノクロームの切り絵をライフワークとしつつ、新聞、雑誌、書籍を中心に、街の情景や市井に暮らす人々、職人の仕事や生き様など多彩なテーマで作品を発表した。
 エッセイストとしても、軽妙で味わい深い文章にファンも多く、各地で個展、グループ展を多数開催した。講談社フェーマススクールズ・インストラクターも長くつとめた。2012年10月14日、脳内出血のため東京都内で急逝。享年63歳。

(写真は月刊「清流」より、上田佑勢氏・撮影)。



【主な著書】
「酒場の絵本」(自費出版、1982年、1985年<改訂版>)、
「一徹の酒場だより」(あまから手帖社 1993年)、
「だれでもできる最新切り絵教室」(誠文堂新光社 1993年)、
「ペンとカラーインクで描く」(グラフィック社 1993年 トリノまさる氏との共著)
「切り絵工房 秋・冬を切る」(誠文堂新光社 1996年)、
「成田一徹の切り絵12カ月1000カット」(誠文堂新光社 1996年)、
「切り絵工房 春・夏を切る」(誠文堂新光社 1997年)、
「to the BAR 日本のBAR64選」(成星出版 1998年)、
「切り絵工房 街を切る」(誠文堂新光社 1998年)
「The Cigar Story--葉巻をめぐる偉人伝」(集英社 2002年、原作者・城アラキ氏との共著)、
「酒場の絵本・改訂復刻版」(フェリシモ 2004年)、
「To The Bar 日本のBAR74選」(朝日新聞出版 2006年)、
「神戸の残り香」(神戸新聞総合出版センター 2006年)、
「新編・成田一徹の切り絵12カ月カット集」(誠文堂新光社 2006年)、
「東京シルエット」(創森社 2010年)、
「カウンターの中から」(クリエテ関西 2011年)、
「成田一徹の切り絵入門」(誠文堂新光社 2011年)、
「あの店に会いに行く」(中央公論新社 2012年)、
「新・神戸の残り香」(神戸新聞総合出版センター 2013年)、
「NARITA ITTETSU to the BAR」(神戸新聞総合出版センター 2014年)、
「NARITA ITTETSU to the BAR」改訂増補版(北澤企画事務所 2020年)など多数。

【新聞や雑誌での主な連載】
「KYODO 協同」(灘神戸生協広報紙)表紙切り絵(1986~87年)
「BIMY:美味しい酒マガジン」表紙切り絵(1988年12月~89年8月、月刊「BIMY」、ヤングマーケティング研究所発行)
「一徹くんの酒場(バー)切り絵ッセイ」(1990年7月~91年6月、計49回、週刊「サンデー毎日」)
「一徹の酒場だより」(1991年5月~95年3月、計46回、月刊「あまから手帖」)
「バーの愉しみ」(2000年5月~急逝まで計40回、雑誌「WHISKY VOICE」)
「男と酒の風景:素にもどれるところ」(2000年9月~2006年4月、計70回、月刊「MEMO 男の部屋」)
「どこへ一徹 切り絵旅」(2002年4月~2003年3月、計46回、朝日新聞大阪本社版夕刊)
「to the BAR」(2003年2月~2005年5月、計111回、週刊「サンデー毎日」)
「神戸の残り香」(2003年4月~2005年7月、計50回、神戸新聞夕刊)
「東京シルエット」(2007年1月~2009年9月、計111回、朝日新聞朝刊東京版)
「カウンターの中から」(2007年2月~2011年11月、計44回、月刊「あまから手帖」)
「あの店に会いに行く」(2009年1月~2011年秋、計73回、雑誌「スーパー・ジャンプ」)
「新・神戸の残り香」(2010年4月~急逝まで計57回、神戸新聞夕刊)
「技を切り出す」(2010年11月~急逝まで計44回、京都新聞地域共通面)
「ハーバー・シルエット」(2012年7月~急逝まで計4回、日本海事新聞)ほか多数。

【他の筆者とのコラボレーション(一徹氏は切り絵<挿絵>を担当)】
「いま 二幕目」(1986年10月~87年10月、計51回、エッセイスト・西舘好子氏の連載での挿絵、週刊「サンデー毎日」誌上、単行本化でも表紙と装丁を)
「新・シリーズ『家族』」(1989年7月、計5回、サンデー毎日編集部編)
「赤ひげ異人伝」(1991年11月~92年3月、計5回、木村克彦氏の連載ノンフィクションでの挿絵、月刊「ドクターズ・シエスタ」誌上)
「東京あなロジー」(1992年6月~11月、計19回、石川雄一郎氏の連載エッセイでの挿絵、週刊「サンデー毎日」誌上)
「ニュース場外乱闘」(1993年6月~94年12月、計36回、スポーツ・ライター李春成氏の連載での挿絵、隔週刊「SPA」誌上)
「脳外科医の独り言」(1993年10月~94年2月、計15回、神保実氏の連載エッセイでの挿絵、共同通信配信の全国の地方紙)
「ススキノ・ララバイ」(1994年1月~7月、計7回、東直己氏の連載小説での挿絵、北海道で発行されていた月刊タウン誌「Voice Line」誌上)
「小さな小さな良い子悪い子」(1994年4月~95年2月 計11回、里茂京生氏の連載エッセイでの挿絵、月刊「生協運動」誌上)
「歴史探偵かんじん帳」(1994年10月~95年9月、計48回、半藤一利氏の連載エッセイでの挿絵、毎日新聞日曜版)
「鮮度のある人生」(1994年11月~96年6月、計20回、作家・邱永漢氏の連載エッセイでの挿絵、月刊「ほんとうの時代」)
「アレキサンドリア」(1995年1月~96年3月?、計15回、作家・曽野綾子氏の連載小説での挿絵、月刊「オール読物」誌上)
「今宵どこかのBARで」(1995年10月~98年12月、計83回、伊藤精介氏の連載エッセイでの挿絵、隔週刊の「スーパー・ジャンプ」<集英社刊>)
「シニアライフ事始め」(1997年4~9月、計18回、吉沢輝夫氏の連載エッセイでの挿絵、共同通信配信の全国の地方紙)
「自分史づくり新時代」(1997年9~98年2月、計17回、吉沢輝夫氏の連載エッセイでの挿絵、共同通信配信の全国の地方紙)
「こころの絆:現代遺言事情」(1998年10月~99年10月、計52回、元・特捜検事で公証人・清水勇男氏の連載エッセイでの挿絵、毎日新聞朝刊)
「介護あの目この目/介護ざっくばらん」(2000年6月~2001年5月、計約50回、複数の専門家の連載での挿絵、共同通信配信の全国の地方紙)
「ポケットに栞(しおり)を」(2000年9月~2003年5月、計33回、文芸評論家・清水良典氏のエッセイでの挿絵、中日新聞文芸面)
「The Cigar Story:葉巻をめぐる偉人伝」(2001年2月~6月、計10回、原作者・城アラキ氏とのコラボ<切り絵漫画>、雑誌「スーパー・ジャンプ」誌上)
「男を磨く男のコラム:男包丁」(2002年6月~2003年12月、計128回、城アラキ氏の連載エッセイでの挿絵、週刊「漫画ゴラク」<日本文芸社・刊>)
「風物詩でティータイム」(2003年~2005年、計30回〓、民俗学者・神崎宣武氏のエッセイでの挿絵、月刊「銀座チャイム」=和光・刊行=誌上)
「四角い顔でまぁーるいイキ噺」(2005年4月~07年3月〓、計95回、落語家・九代目桂文楽氏の連載エッセイでの挿絵、週刊実話<日本ジャーナル出版・刊>)
「もういちど男と女」(2006年4月~07年3月、計45回、梶川伸氏の連載エッセイでの挿絵、毎日新聞日曜版)
「バーテンダーの美学 酒場の方程式」(2010年、佐藤謙一氏の書下ろし単行本での表紙および挿絵、たる出版)
「バーのある街へ」(2010年7月~2011年10月、太田和彦氏の連載エッセイでの挿絵、月刊「小説現代」<講談社刊>、2011年11月、「日本のバーをゆく」とのタイトルで単行本化された際にも挿絵を担当)

【英文での略歴】 Narita Ittetsu(1949~2012)
 Born in Kobe, Japan. He completed master's degree course at Osaka University of Economics graduate school. In 1982, privately published "Sakaba no Ehon"(the Bar Picturebook)introducing nostalgic old bars in Kobe when he was employed at Kobe city's auxiliary organization Kobe Port promotion association.
 He quitted being an office worker and moved to Tokyo in 1988. Over 30 years of creating career, he published 18 books on the paper-cutting art especially about Japanese bar scene. Evening of October 8, 2012, suffered a brain hemorrhage and collapsed in a station in Tokyo and taken to hospital. Passed away 6 days later in the morning of October 14 at age of 63.


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